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「歎異抄をひらく」の反論書

シリーズ親鸞〈第7巻〉親鸞の説法―『歎異抄』の世界

親鸞会の中では「歎異抄をひらく」の反論書だといわれているそうです。
この本のどこが一体「歎異抄をひらく」の反論書なのでしょうか?
誰かご存じの方、教えていただけませんか?

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コメント

アンチのブログ(さよなら親鸞会や清森問答など)は、コメント欄を開放しているのに対して、高森会(シンパ)のブログは、コメント欄を開放しているブログを私は知りません。 中には、コメント欄がないブログもあります。

 真実開顕の絶好の機会だと思うのですが、なぜブログのコメント欄を開放しないんでしょう
 悪事が露見する事を恐れ慄(おのの)いているとしか、思えません
コメント欄を開放している、高森会(シンパ)のブログあれば嬉しいのですが、
 もしあれば、教えてください

高森会(シンパ)のブログで 静かな劇場 4/19 沈黙
http://blog.goo.ne.jp/345shigure
にコメントしましたが UPされません
 
真実開顕の絶好の機会だと ワクワクしているのですが

投稿: | 2010年4月22日 (木) 08時24分

10年前ぐらい前 から 2ch に カキコ してきましたが

膨大(ぼうだい)な下劣なカキコ や AA(アスキーアート)を目にしてきました

最近は アンチのブログのコメントにも、見られます

あれは、高森会が組織だってやっていた という事を聞いて 愕然(がくぜん)としています

本当の事でしょうか

投稿: | 2010年4月22日 (木) 08時28分

>本尊に善知識の名前を書くのが正しいのであれば、
>親鸞聖人も書かれたはずだ。しかし親鸞聖人が書かれていないのだから、
>これは間違いなのである。


高森会の本尊(名号)には 名号の左に 親鸞と書かれてあります なぜこのような 親鸞聖人の教えに反することをするのでしょうか?

投稿: | 2010年4月22日 (木) 08時29分

安心問答(浄土真宗の信心について)の管理人さんや
真偽検証             の管理人さんも

コメント欄を開放しておられますね、敬服(けいふく)します

投稿: | 2010年4月22日 (木) 09時09分

静かな劇場は、高森会の情報部(現弘宣部)の部員のブログですね
情報部も地に落ちましたね
昔は真実開顕に燃えていましたが、

悲しくなりますね 真実開顕の絶好の機会ではないですか
コメント欄を開放し、疑問、質問に答えるべきです

投稿: | 2010年4月22日 (木) 09時28分

何も知らない会員に「やっぱり『歎異抄をひらく』は真宗界で注目されている
すごい本なんだ!」と印象づけたい意図があるように感じます。

投稿: SYU | 2010年4月22日 (木) 16時44分

意図はそれ以外にないでしょお

投稿: | 2010年4月22日 (木) 17時31分

ある意味注目されてるかもよ。「なんて幼稚な本なんだ」と。

投稿: | 2010年4月22日 (木) 21時35分

幼稚というほどではないが…まぁどこにでもありそうな本かなと。
そういう本を無理やり持ち上げて騒いでるトコは確かに幼稚だね。

投稿: | 2010年4月22日 (木) 22時16分

幼稚園児のような本だから反論できないのではなくばからしくて反論しない!

投稿: | 2010年4月22日 (木) 22時29分

K山さんのブログに投稿しても一向に公開されません
http://ameblo.jp/katayama15660/

投稿: | 2010年4月22日 (木) 23時06分

K山子牛に限らず、S会のブログは投稿してもムダですよ。
いかにもマイコンかかってます、っていう内容なら公開されるかも。

投稿: | 2010年4月23日 (金) 12時55分

「親鸞会最高!」とコメントしても反映されませんでした

投稿: | 2010年4月23日 (金) 20時22分

講師のブログなんて、子供が書いた絵日記みたいなもの。
好きなことを書き連ねるだけで、人の意見を聞く気もないし、内容に関する責任を負うこともない。あのブログからは「僕らのことを認めてくれる人だけ見てね☆」という声が聞こえてくるようだ。子供ならまだ可愛げがもあるが、いい年したおっさん、おばさんだけにお気の毒としか言いようがない。

投稿: | 2010年4月23日 (金) 21時49分

少し前の顕正新聞に(現在は公式サイトにも一部)掲載されていましたが、「歎異抄をひらくの後に真宗の学者が書いた歎異抄本が出ていないのは、反論できないからだ」というのが、現在の親鸞会の公式アナウンスです。
真宗大谷派(東本願寺)の「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」記念出版本に、大谷派の学者が書いた歎異抄解説本が出たら「反論書だ!」と言わねば、前述のアナウンスがウソになるからだと思います。
まとめると
(この2年間)「学者が書いた歎異抄の本が出ない→沈黙している!!!」
 ↓
(現在)「学者の書いた本がでましたけど→反論書だ!!」

反論書という理由はそれだけだと思います。大谷派の学者の本ならツッコミどころが親鸞会的にあるとおもったからではないでしょうか。

投稿: | 2010年4月24日 (土) 03時50分

元会員のものです
高森会のサイトで
親鸞会ブログポータル
(全国各地の親鸞学徒が運営するブログの最新更新情報をお届けしています。)
http://親鸞会.com/ 

大量のブログ(すくなくとも1、000以上)が紹介されていもすが
実際にこのような、ブログが存在しているのでしょうか?

架空のブログとしか思えません

投稿: | 2010年4月24日 (土) 08時51分

「反論書」読んだよ。驚くほどまともな本。
親鸞会としては、東本願寺がこのようなまともな本を書いたのは、「歎異抄をひらく」の影響であり、完全に意識しているといいたいらしい。
どうしても本願寺に認めてもらいたいんだね。アホクサ。

投稿: | 2010年4月24日 (土) 09時10分

>「親鸞会最高!」とコメントしても反映されませんでした

うけるw
あなたひょっとして、世親菩薩(てんじんぼさつ)様ですかwww

投稿: | 2010年4月24日 (土) 09時53分

勝手に「反論書」を作って騒ぐ前に、
自分たちに向けられている問いにきちんと答えたらいいのに。

投稿: | 2010年4月24日 (土) 10時58分

選択本願念仏集 にも 多数 反論書 
明恵上人の『摧邪輪(ざいじゃりん)』
公胤(こういん)の『浄土決疑鈔』
定照の「弾選択(だんせんじゃく)」

がありますので 選択本願念仏集 にあやかり
反論書 反論書 と言って 「歎異抄をひらく」をもち上げているのでしょう

シリーズ親鸞〈第7巻〉親鸞の説法―『歎異抄』の世界 (単行本)
の著者 延塚 知道氏に聞けばいいと思う
http://www2.otani.ac.jp/shinshugaku/kyoinshokai/nobutuka.html

どう答えられるか楽しみです

投稿: | 2010年4月24日 (土) 14時08分

> コメント欄を開放している、高森会(シンパ)のブログあれば嬉しいのですが、 もしあれば、教えてください


親鸞会は批判されることを極度に恐れていますので、そのようなブログは存在しないと思います。
                            清森 義行 氏                              

さよなら親鸞会に無断転載しました。清森 義行 氏  ごめんなさい

投稿: | 2010年4月24日 (土) 16時49分

なんか面倒くさくなってきた
顕徹がよろこんでいるのなら、もう反論書ってことでイイや

投稿: | 2010年4月24日 (土) 18時53分

反論書と言われている本、買って読みました。
非常に分かりやすく書かれた読みやすい本だと思います。
真っ赤な表紙のセンスの無い本に比べて、こちらの方が良いと思います。
しかし、何故この本を「反論書」とされたのか分かりません。
別に親鸞会の事や「歎異抄をひらく」の事は一言も書かれていません。
この本は大谷派が宗祖750御遠忌を記念して出される予定の「シリーズ親鸞」全10巻の7番目(実際には他の9巻はまだ未発刊)です。
他は「教行信証」「御伝抄」などが予定されています。
もしもこの時期に発刊された本を「反論書」とするならば、三明智彰著の「歎異抄講義」が上下二巻あるので、そちらの方がインパクトがあるのでは、と思います。

投稿: 淀川コナン | 2010年4月25日 (日) 09時16分

4月25日、読売新聞一面「地球を読む」山折哲雄「人を裁く」より


・・・・「ある抗議書」はどのような物語だったのか。
これは大正三年に発生した実際の殺人事件を題材にしたものだった。
年配の夫婦を殺害した極重犯に死刑の判決が下る。が、獄中の犯人は教誨師の言葉で回信してキリスト教に入信、感謝のうちに処刑された。
ところが、その犯人の最期の姿を伝え聞いた被害者の遺族が悲痛な抗議の声をあげる。
殺された人間が地獄に落ちる苦しみの中で死んでいったのに、殺した人間はなぜ天国に昇る心境をえてこの世を去ったのか。なんという無残な不公平,遺族の立場にたてば、あまりにも当然のうめき声でないか、その気持ちを司法大臣閣下にぶつける抗議書の形でこの書は書かれているのである。(略)
じつは最近になって「シークレット・サンシャイン」という韓国映画を見る機会があった。その深刻な映像世界に惹きつけられてゆくうちに、いつのまにか菊池寛の作品を思い出していたのである。
物語は平凡な密陽という地方都市を中心に展開してゆく。夫を事故で失った女が幼い息子を連れてソウルからやってくる。ピアノ教室を開くというふれこみの女に好奇の目が注がれる。
そんな閉鎖的な状況が描き出される中で、突然子供が誘拐され、殺される。時を経ずして遺体が発見される。
犯人が挙げられ絶望にうちひしがれた中で、女はワラをつかむ思いでキリスト教の集まりに顔を出すようになる。信者たちによる神への祈りの声に励まされ、心身の平衡をとりもどして許しの気持ちがきざす。ついに刑務所にでかけ、犯人への面会を求めて自分の思いを告げる。ところが、事態は思いもよらなかったところに展開してゆく。犯人はこういったからだ。自分はすでに神の赦しをえ、神の愛に包まれて感謝の毎日をすごしている・・・・。その犯人の言葉に驚愕した女の表情がみるみる暗転し、痴呆のように放心した姿がクローズアップされてゆく。何という理不尽な神の摂理。(略)映画の主人公は犯人がいとも簡単に神の祝福を手にしたことを知って人格崩壊の危機にさらされる・・・・

歎異抄には親鸞聖人の信心が示されているという。
親鸞聖人なら、どう語られるのだろう。

東條英樹の話とかでは、理解出来なかった。
「歎異抄を読む」を読んでもわからなかった。

投稿: | 2010年4月25日 (日) 12時50分

そろそろ反論書が出たってことにした方が会員を煽れるからじゃない?
我が珍乱会は、なにかしら巨大な勢力と戦ってま~す、がんばってま~す、っていう演出でしょう。
踊らされてる会員が不幸だ。上層部の連中、いまにみてろ。

投稿: | 2010年4月25日 (日) 16時12分

2010年4月25日 (日) 12時50分の投稿者です。

「歎異抄を読む」は間違いで、正しくは「歎異抄をひらく」です。

投稿: | 2010年4月25日 (日) 16時58分

最近おとさたないですが。

投稿: どら | 2010年4月30日 (金) 06時54分

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