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親鸞会とマインド・コントロール

西田公昭著「マインド・コントロールとは何か」を読んだ時の衝撃は忘れる事が出来ません。親鸞会の腐敗や矛盾を知りつつ「それでも親鸞会が真実だから」という自分の心、この心がどこから来たのかを考えるきっかけを与えてくれたこと。そして、親鸞会の勧誘方法が統一協会などのいわゆる「カルト宗教」のものとなんら変わりがない事を知ったからです。

マ インド・コントロールとは何か」にはマインド・コントロールのシステムとともに、「破壊的カルト」がどのような手段で布教を行い、それがどう私達の心を左右するのかを具体的に詳説しています。そしてこんな手段で布教をする団体というのは「親鸞会」や「統一協会」「摂理」くらいしかありません。それで親鸞会だけがマインドコントロールを「正しく」用いて、統一協会や摂理については「悪用している」とはとても思えなかったからです。

親鸞会が行っている勧誘方法とマインド・コントロールとのかかわり、他のカルト宗教との類似性については、「なぜ私は親鸞会をやめたのか|マインドコントロールについて」を読んでください。

しかしなぜ「破壊的カルト」と言われる団体の勧誘や育成には類似点が多いのでしょうか。その理由は「そういう勧誘や育成をしないと信者を維持できないから」です。

「破壊的カルト」の特徴として人の入れ替わりの激しさがあげられます。親鸞会でも幹部以外は毎年相当の人が辞めて行く。だから教勢を維持するために強引な勧誘をせざるを得ない。当然やめる人が多ければ教団に対する評判は悪化するから、勧誘の時点でウソをついたり育成のプロセスで意図的な情報隔離をせざるを得なくなります。

「破壊的カルト」でなければ入信する人も少ないかわりにやめる人もあまりいません。だから社会的モラルに反するような勧誘をわざわざ行う必要はないのです。

これは何事にも通じる話です。信仰の言葉を大沼氏や伊藤氏の著作から盗作して「自分が書いた」と言い張るのは、自分に信仰がないからです。あればそんな倫理に反することをする必要はありません。機関誌や集会で自分のことを褒め称えさせるのも信仰がないからです。無条件服従を要求したり「やめるときは1000万払え」という要求をさせるのも同じことです。

インターネットを見るな、やめた人間の話を聞くなと徹底するのは、自分達の教団の悪い評判が満ち溢れているからです。普通の教団にはそんな必要はないのです。

会計報告が出来ないのは人に見せられないような使い方をしているからです。自分の「師匠」を明らかに出来ないのはそこに致命的な問題があるからです。信者を動員して自分の著作を買わせるのは内容のレベルが低いからです。「歎異抄解説の決定版」と言わせているのも同じです。著者が自分の著作を「決定版」と呼ばせていたら典型的なバカですが、内容に自信がないからそんなことも分からなくなっているのです。

そこらじゅうに信者の金を使って自分の専用施設を建てさせているから、いろいろな事を隠す必要も出てきます。信者に対してますます嘘や誤魔化しが多くなります。大きな立派な教団を作ったと思われたいから、そこらじゅうを美術品で飾り不要な建物を建てまくります。これも全く同じ理由です。教義にも信仰にも自信がないからです。

私は最初に親鸞会で「弁論大会」なるものを聞いた時に、みんながみんな「高森センセー有難うございましたー」と褒め称えるのを聴いて、ここは創価学会かと気分が悪くなりました。そういうことを求められる教団では信者もそういう風に育ってゆきます。統一協会の機関誌を見てください。他の怪しげな新宗教団体の行事を見てください。あなたがかつて親鸞会に大して感じた「気持ち悪さ」と全く同じものを感じることでしょう。

類似しているのは理由があるのです。やっている事は他の新宗教と一緒だが中身だけは違うなんて事は絶対にありません。「マインド・コントロールとは何か」が私に教えてくれたのはそういうことです。「統一協会は金儲けのためにウソをつくが、親鸞会は真実を広めるためにウソをつく」と思っている人は少し頭を冷やしたほうがいい。

なぜ今回こんなことを書いたのか。それはこんな記事を見つけたからです。これを書いた人は、親鸞会をやめた多くの人が「自分はマインド・コントロールされていた」と感じるのはなぜか、真剣に考えたことなど一度もないでしょう。人の痛みを分かろうとしない宗教者ばかりの団体なら、脱会者が減らないのも納得できます。

ただの俗人を「世界唯一の善知識」と信じ込まされていたからこそ、その「マインド・コントロールされていた」という気持ちも出てくるのです。そしてそれは他の「破壊的カルト」から脱会した人の気持ちとなんら変わる事はありません。

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コメント

親鸞会で活動している人は、誰一人としてマインドコントロールされているとは心底思っていない。

講師部員の中には、マインドコントロールができるなら、とっくの昔に君をマインドコントロールで『信心決定』させているよ、ととんでもない理論で親鸞会ではマインドコントロールしていない事を力説している。
当のご本人もそのように『カンカン』に思い込んでいる。
(マインドコントロールされている)

これこそが、親鸞会のマインドコントロールであり、カルトたる所以である。

K玉やO谷Tかし講師(若手)などは、早稲田や東大出身で頭のキレる人間であり、彼らは時に高圧的な物言いをするが、マインドコントロールの典型ではなかろうかと常々感じている。

気付くのが遅すぎた・・・・

自己収入のない学生時代に異性との付き合いをするのは禁止だと言うくらいなら、お願いだから、特に生活能力のない(無垢な)学生達を騙し続けるのはやめて欲しい・・・・

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 00時19分

O谷講師は知らないが、K玉氏の場合は親鸞会の組織的、教義的誤りの全てを承知した上で人をだましている職業的詐欺師なんじゃないかな。親鸞会が破滅しても、新しいカルト=ミニ親鸞会を立ち上げてやっていける人だと思います。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 00時39分

私の場合は2年9ヶ月、親鸞会の会員やってたけど、
マインドコントロールはされてなかったと断言できるな。
自分の意思で入会して、自分の意思でやめた。
やめたのは石川青年本部にいたときだった。
ブチ切れて、当時の担当講師(当時オ○島さん)に罵声浴びせ
まくってやめた。
アルタの連中とか、親友部の男の偉そうな態度に相当腹がたった
というのがキレた理由。

なぜ2年9ヶ月も続けたのかと言うと、親鸞会の人達を見て
疑問に思ったことがあって、それをはっきりさせたかったから。

「このアルタの連中や、親鸞会はいったい何をしたいのだろう?」
「本当にこの人達は、死後の世界の存在を信じているのだろうか?」
「阿弥陀仏の本願とか、信心決定といったものを信じているのだろうか?」

いろいろな会員と話しているうちに、「こいつらは単にみんなで
ワーワーやっているのが楽しくて親鸞学徒とやらを名乗っている
のではないか?」
「別に阿弥陀仏も無間地獄も信じていないし、絶対の幸福なんて
興味がないのではないか?」と思うようになった。
というか、彼らの本性を見抜いた。
それで、愛想が尽きて、おさらばした。

でも、やめた後も、親鸞会という組織がいったい何だったのかという
疑問はずっと残っていた。(当時はまだネットが普及してなかった)
それに答えを与えてくれたのは、S・ハッサン著「マインド
コントロールの恐怖」という本だった。
それには私が親鸞会で経験したのと全く同じことが書かれていた。
そして、親鸞会が破壊的カルトと呼ばれる組織の1つであるという
こともわかった。

親鸞会の会員の中には、本当にマインドコントロールにより
不幸な人生の一時期を送った人たちもいるだろう。
だが、断言できるのは、アルタの幹部達は、絶対にマインドコント
ロールによって動いていたのではない。
彼らは自分達の意思で、親鸞会の活動を楽しんで、ダミーサークルを
新勧を、他人を傷つけることを楽しんでいたのだ。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 00時43分

アルタの幹部は、半分はマイコン、半分は確信犯だと思う。

マイコンメンバー(学院などへ進んだメンバー)は根がまじめであまり世間の裏側を知らない人達。
確信犯メンバーは表立っては『親鸞学徒』を装い、内心では冷ややかに親鸞会を見てはいるものの、他のサークルなどへ行ってもあまり相手にされないような、いわゆる『変わった人』のグループかと・・・(私見ですが・・・・)

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 01時03分

現在、アルタは存在しないぞ。

確か、金沢大学の文サ連から除名のはず。その後は、『マップル?』だったか名前を忘れたが、ダミーサークルで勧誘は続けていた。

経済学部のメガネかけた小柄なN田H一君(確かこんな名前?)が、授業サボって勧誘していたが、見るからに怪しげな風貌で、その勧誘にくっついていくヤツの気が知れん。
※たまに、可愛い女の子も勧誘していたが、彼女らも親鸞会の一味だと思うと、(カルト)宗教って奥が深いのかなぁ。

勝木書店横(今は違うテナント)のマンション1階にかつては拠点を構え、いつからか鈴見の弁当屋(かつてほか弁だったが、現在は空き家かな?)の2階に拠点を構えて活動していたと思う。

道路から仏壇が丸見えだったぞ!

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 01時11分

K玉氏・・・・怖いが、優秀だと思う。
確か祖父が戦時中の乃木大将と何だったとか・・・

親鸞会にはまったばかりに有能な人材が埋もれてしまったと思う。
親鸞会に入ってなかったら、本当の意味で多くの人を幸せにするような仕事をしていたと思う。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 01時15分

マイコンされていない会員の存在か…多くはないがいるだろうよ。会長みたいなタイプが大好きとか、マユツバものの説法を聞くのが楽しい人、あとは会からエサもらっちゃってる人間かな。
宗教家のフリして「なんで必死になれないんや、君達とはやっとれんよ」と散々学生のケツ叩いてた裏で、こっそり学生のケツ触ってたセクハラ講師のOモテ君なんかは確信犯の部類だろうな、彼も家持ちだし、セクハラがライフワークだし、エサ喰った人間だ
しかし親鸞会はあんなセクハラ講師でさえ、人数さえ勧誘していれば、黙認して使い続ける。そんな組織だから、不倫が趣味の二代目をクビに出来るわけないよね

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 07時09分

社会人になって辞める人が多いが、親鸞会以外の人と話をするとよくわかります。昔はあまり気にしなかったが、立派な方も見えますが、反面、常識では考えられない方もいらっしゃいます。
講師や職員の言動にキレることもありますね。我慢はしますが、人によってはハッキリいいます。 
そうでもしないと、よくなりませんからね。よくするつもりはないが、まわりに迷惑しますから。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 07時57分

そもそも、そんなところにまだいるから、迷惑してるんでしょ?
 まず、やめて、遠ざかるのが一番。
 自分はやめてるなら、早くやめるようにいってあげたほうが、我慢するより、よっぽどいいよ
 MCの人は何言っても、聞いた振りして、聞き流すよ。
 もういい加減、こんな破壊カルト団体に関わるのやめたら?

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 13時25分

>なぜ今回こんなことを書いたのか。それはこんな記事を見つけたからです。

読みました。
親鸞会らしい言い分です。
親鸞会のためだったらマインドコントロールを使っても悪くはないと言いたいのでしょうが、実際マインドコントロールを受けている会員は元々そんなことを望んではいません。もし、親鸞会のためだったらマインドコントロールを使っても使われてもよいと思っているとしたら、それはマインドコントロールを受けているためでしょう。

私もほとんどの会員は大なり小なりマインドコントロール下にあると思います。
一部の確信犯はありますし、勘づいている人もあると思いますが、本当にそう分かったらやってられません。職員なら仕事をすることは片棒を担ぐことになるし、会費や誤報零を払う気にはなれません。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 13時33分

>講師部員の中には、マインドコントロールができるなら、とっくの昔に君をマインドコントロールで『信心決定』させているよ、ととんでもない理論で親鸞会ではマインドコントロールしていない事を力説している。
当のご本人もそのように『カンカン』に思い込んでいる。

マインドコントロールで信心決定させたら、お金をそれ以上出そうという気持ちがなくなってしまいます。
何故ならば、信心決定は不退転の位になる訳ですから、お金を出さなくても信心は崩れない、という事になります。
マインドコントロールされた信心では御恩報謝の心は起きないので、御恩報謝の為にお金を出そうという気持ちはありません。
もしもマインドコントロールで信心決定させたら「お金を出さないと信心が崩れてしまいますよ」と言わなくてはなりません。
さすがに、それはだれが考えてもおかしいと思うでしょう。
だから、マインドコントロールで信心決定されては困るのです。
いつまでたっても信心決定出来ない、宿善ポイント制がお金を集めるマインドコントロールには最適です。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 14時31分

深いマインドコントロールからどうしても抜けられない人、居心地がいいからいる人、惰性やしがらみで残っている人、確信犯的な共犯者たち、いろいろパターンはあれど1000人ぐらいの会員は最後まで残りそうな気がします。
仮に破産しても教団がなくなるわけじゃないし、じり貧のまま続いていくでしょうね。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 15時34分

>なぜ今回こんなことを書いたのか。それはこんな記事を見つけたからです。

リンク先の記事に昨日コメント書きましたが、表示されてません。
都合のいいコメントしか承認しないってのは本当なんですねえ。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 18時28分

↑どんなコメントを書いたのか。参考までに教えていただけませんか?

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 19時32分

4つ上の人に賛成です。会で言う善( 献金したり、人を連れてくる)をすることでポイントが貯まって、臨終に阿弥陀仏が迎えに来るというマインドコントロールなのですよ。
 救われたら、お金が入ってこないから、「今」と言う事をはっきり、教えないし、阿弥陀仏のこともチラッとしか話しません。
 毎回、人生の目的、因果の道理で時間がなくなります。
 外道であり、破壊カルトなんですよ。こんな人達は相手にしてはいけません。幹部講師は確信犯だし、働き蟻の様な講師や会員は、ネットを見ないので、何も知りません。あなたは、気が付いているのですから、早くやめましょうと勧めましょう。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 20時22分

>どんなコメントを書いたのか。参考までに教えていただけませんか?

「この文章を書いた人は、他人の苦しみが分からない、分かろうとしない、無慈悲な人の典型ですね。こんな人に仏教を語ってほしくないです。」
こんな感じでした。

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 20時27分

マイコンの件に限らず、親鸞会は都合がよいと
「世間でも当たり前に行われていること」
と斬って捨て、都合が悪くなると
「仏法は世間のことと違う」
と押し通す。

例.「誤法礼が高すぎる」
⇒「嵐のコンサートはもっと高い。まして人生の目的(以下略)・・」

投稿: | 2010年2月 1日 (月) 23時08分

親鸞会の弁論大会。高森先生ーとさけんでばかじゃないの?

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 00時04分

ダブルスタンダードは昔から指摘されていることですね。
会長の都合という見方をすれば、どんなことにも理由付けしてしまえるんですよね。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 00時22分

1.返報性
他人から何かを頂けば、何かお返しをしなければならないというのは、
人間として、ごく普通の感情ですよね。
「何かしてもらった」ことによって、
私の心が「何かしてあげなきゃ」と動く。
こういう人の性質を利用したものが親鸞会での「ご恩」の強調です。
「倒れるまで布教された」「著作活動のためにまた倒れそうだ」「それでも法施が十分できないからと言われて、自ら財施をされる(私達が用意させて頂くべきものなのに)」
こうやって「~してもらっている」ことを刷り込むことによって、金銭的、肉体的奉仕を引き出すワケです
返報性自体は日常にありふれた人間の反応の一つでしょうが、それを恣意的に利用して教義を後付けする勧誘方法は宗教者として非難されるべきですし、危険な思想です。
ましてや、恩の強調などによって抵抗する意志を奪った相手に対してのパワハラ、セクハラが行われる実態に至っては法律で裁かれるべきレベルの話です
本来の恩師への奉仕というのは、自然なかたちではじまり、行われるものでないでしょうか?

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 03時27分

セクハラ好きの講師を教えてくれ。M晴、W部、○もて以外に誰がいる?

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 10時36分

メインはこの三人だ。  セクハラ三兄弟。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 12時23分

 お〇ての奥さんは美人だぞ。(20数年前)今も連れ添っているのかな。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 14時07分

親鸞会のやってきたことと存在自体がハラスメントだよなあ。
いい迷惑だよ、小杉町にしてみれば。
親鸞会なんか、はやく出ていけ、なくなってほしい。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 14時08分

何年か前に福井県にある宗教団体・白装束の集団(何でもかんでも真っ白の白づくめ)がテレビで話題になった。確か岐阜県に入ろうとして、拒絶されて福井に戻ったと思う。
それを見た学院長が、あんな変な集団を受け入れるなんて、福井県は人がいい、他所の地域だったら拒絶してるわ、とか何とか言っていた。
親鸞会というサティアンを作り、周囲や業者に多大な迷惑をかけるカルトを拒絶しない富山県の方がよっぽど不思議ですよ。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 14時20分

親鸞会は地元の建設業者や旅館業者に多少は貢献してるんじゃないかな。またサンキューやあんしん弁当で売れずに廃棄されるだけの無駄な食材をたくさん買ってるし。クレームやキャンセルが多いので嫌われてると思うが、客には違いない。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 15時07分

講堂も教室も食堂も体育館も生徒や職員寮もあるし、どこかの学校法人が小杉サティアン全部買い取ってくれないかな?
 それか、誰か一緒に学校やりませんか?
 会員さんのお金が無駄しない為には、学校にするのが、一番いいんじゃないかと思います。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 17時17分

怪しい宗教団体の施設なので学校法人が買うわけありません。教室の規格に合わない大きすぎる部屋が多いし。
物流業者の倉庫ぐらいしか使い道がないのでは。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 17時57分

○もてって50越えたおっさんでしょう。バカ息子もそろそろ還暦でしょう(笑)。親鸞会も高齢化してますね。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 22時22分

SPAのなにわきんゆうどうに出てきた宗教家っておもしろいですよ。
露骨過ぎて笑いますわ。

投稿: | 2010年2月 2日 (火) 22時53分

親鸞会にマインドコントロールされていた人が目を覚まして、「私は親鸞会にMCされていた」というのも事実であれば、親鸞会にMCされている真っ最中の人が「私は親鸞会にMCなんかされていません!」って言い張るのも事実でしょう。

会員の人が「私はMCなんてされていません!」と強がるのは事実でしょう。騙されている人は「私は騙されている」などと思うはずありませんから。騙されているはずがない、と思う人ほど、騙されている真っ最中という訳です。

また、親鸞会のMCから目が覚めて、「私は騙されていた」と思うのも事実でしょう。目が覚めた世界からしか夢うつつの世界は分かりませんから。

しかし、なぜ、親鸞会から脱却するとここまで考えが180度変わってしまう人が多いのでしょうか。言葉を変えると、「自分はMCされていた!」と思う人が多いのでしょうか。それこそが、親鸞会や統一教会など宗教団体にまつわるMCの怖さだと思えてなりません。

投稿: 夜神 月 | 2010年2月 2日 (火) 23時56分

親鸞会の人は「世間でもマインドコントロールなんてたくさんある。結局は何にマインドコントロールされるかが重要なんだ!」とでも言うのでしょうか。

だからマインドコントロールされる相手が親鸞会だと最悪なんでしょう。
親鸞会という団体は、ここの記事に書かれているような団体ですからね。

会員で悔しいと思う人がいるなら、ここの記事に書かれていることに勇敢に反論してみなさいよ。

出来ないでしょ?せいぜい、内輪で傷のなめ合いするだけでしょ?「先生の深いみ心だから、それ以上、我々があれこれ詮索する必要はない」などと言って、思考停止するしかないんでしょ?

勇気を出して、その先を考えてみなさいよ。怖くて考えられなくなっているんですよ、あなた方は。

「信仰する」ということと「自分では何も考えない」というのは違いますよ。

投稿: 夜神 月 | 2010年2月 3日 (水) 00時00分

2.コミットメントと一貫性
小さな要求に応じると、大きな要求であっても小さな要求の時と同じ流れで
あればYESという傾向にある。

親鸞会は結論を言わない、結論とは「必堕無間」「何百年に一人の善知識」である。
イキナリ言ってはまるで相手にされないから目的と手段、人間の実相、因果の道理なんかの話を繰り返す。
頃合いを見て結論を話すのだが、当初はうなづけなかったものに何故かうなづいてしまう、そしてそれを宿善という言葉で片付ける。宿善ならイキナリ話しても良さそうなものだが。
そして「必堕無間」「何百年に一人の善知識」ということにうなづいてしまったが最後、一気に親鸞会のペースに巻き込まれ、人生そのものをも捧げてしまうのです

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 07時06分

親鸞会さえなかったら、と思う元会員も多いでしょうね。
あのとき、勧誘されなければ、とヒストリカル・イフに囚われて苦しむ人も多いと思います。
はじめからなければよかったんですよね、親鸞会なんて、いいことは何一つとしてないですから。

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 12時17分

ろくなことない。 
まず、お金はそこそこあるはずなのに貧乏になる。 食べ物はパンの耳、激やせ、顔色悪いし、大学生は単位おとし、留年、親には反対される。それでも求めるのはマイコンだね。  
安心弁当やらといってもお金ないから食べれない

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 13時37分

会長が弁当屋について、
聞法のためには体が大事、目的が大きいほどその手段もまた大切になる、若い人はコンビニの食事ばかりとってるんじゃないかと心配だ
とかうたってたな…
お前んとこの金集め、人集めのおかげでまともなメシが喰えとらんのに、おまえはアホか?って思ったね

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 14時21分

その通り。高森一族はバカだ。人生の目的達成には手段が大事、体が大事、学生や若者がコンビニ弁当ばかりやと体を壊すからということで安心弁当をつくったらしいが、結局、それをつくるためのご報謝で弁当買えないだろう。 
本当にバカだ。

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 19時10分

何度も言うが、会長の思い付きやから、失敗する。 彼には反省ということがない。

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 19時12分

それは口実で、ゴホーシャ募る大義名分が必要だっただけ。<弁当屋
会員のことなど考えてない。考えてるフリだけして、そこに幹部が「センセイのご配慮」とか「深いミココロ」とフォローをいれ、会員に無理矢理刷り込んでるだけ。

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 20時11分

高森くんは金儲けしか頭にないからなあ(笑)(笑)。 もう80こえた爺さんやぞー。

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 20時27分

弁当屋の横に作った寿司工場なんて、専門家の店長から、絶対に儲からない無理だと言われたのに、会長が無理矢理作らせたんだもんね。

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 21時22分

ビジネスの素人がやるから失敗するんだな。 
辞めたら、店運営できなくなるからちょうどいいんじゃない? 

店をやるには、まわりの住人の年齢層、土地柄、儲けの予測などあらゆることを想定しないといけない。 高森会長は、ど素人。  彼についていくと一生台無しになるよ。

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 22時17分

いんだよ お金は会員がジャブジャブいれてくれるからな

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 22時58分

そのうち愛想つかしてみんな辞めるよ。 
バカ息子への俳句。 
バカ息子 
ガラクタ同然 
役たたず

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 23時40分

会員が減っている中でのむちゃくちゃな拡大路線は早晩破滅する。
サンキューやあんしん弁当が赤字をたれながせば、それだけ親鸞会の破たんが早く訪れる。無駄な事業をもっとやればいい。

投稿: | 2010年2月 3日 (水) 23時54分

それは確かに早まるが、ご報謝が増えるかな。

投稿: | 2010年2月 4日 (木) 00時14分

身の丈にあったほどほどの金あつめでダラダラ親鸞会が延命するよりも、滅茶苦茶な建設ラッシュをやって数年で破綻したほうがいい。そのほうが多くの会員が目を覚ますことができる。
それでも気がつかない会員は、もうつける薬がないね。

投稿: | 2010年2月 4日 (木) 00時25分

サンキューの職員は絶対に赤字になるのをわかってるのになぜ自分の店を捨てわざわざサンキューで働くのだろう?

投稿: | 2010年2月 6日 (土) 00時14分

店を開くという善知識の御心に応えるために決まってるでしょう。話を持ちかけられて断ったとあっては、「何たる恩知らず」ということになる。それに先生なら何とかしてくれるだろうという根拠のない安心感もある。今まで大勢の人がそうやって怪鳥を信じては無情に切り捨てられてきたのだが。

投稿: | 2010年2月 6日 (土) 01時02分

断る理由なんていくらでもあるよ。熱心な会員だからそういった誘いもあるんでしょう。
店を開くとか移住は大変です。

投稿: | 2010年2月 7日 (日) 11時43分

ハコモノは金食い虫
事業は赤字持ち出し
教義は修繕がきかず
会員の流出は止まず

打つ手はナシ

投稿: | 2010年2月 9日 (火) 18時46分

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