『歎異抄をひらく』畏敬から失笑へ
私が親鸞会をやめたあと、本願寺や他の宗教関係者の「親鸞会への無関心」に驚いたものです。詳しくは「本願寺はなぜ親鸞会に無関心なのか」というエントリで書きましたので読んでみてください。
ただ、そんな中でも親鸞会の活力や布教、聞法に対する取り組みに積極的に学んで行こうとする人もいました。そこには本願寺を飛び出し、一代で大きな教団を作った高森会長への畏敬の念もあったとおもいます。本願寺の僧侶から「高森先生」という言葉を聞くのは驚きでしたが、そういう声も多少はあったのは事実です。
しかし脱会からもうすぐ5年。もはやそんな声も全く聞かれなくなってしまいました。高森会長や親鸞会の「化けの皮」がはがれるのは本当に一瞬でした。いまや親鸞会を畏敬する人もいなければ、自分たちの存在を脅かすと恐れる人もいません。親鸞会を見る目から伝わってくるのはただ失笑だけです。
どうしてこんなことを書こうかと思ったのか。それは「異端か、正統か『歎異抄をひらく』発刊から1年10カ月」という記事を読んだからです。この記事はもともと顕正新聞の新年号に載っていたものですが、まさかネットで公開されるとは思いませんでした。
高森会長の「歎異抄をひらく」の発刊から歎異抄の解説書が出ない、という話が嘘であることは「高森会長が抱いた『歎異抄をひらく』の妄想」で明らかにしましたが、今は主に「反論書が出ない」という言い方に変わっています。それを信者に伝えるのなら別に構わないのでしょうが、そのことを機関誌にもウェブにも書くとは私には正気の沙汰とは思えません。
もしどこかの新興宗教の会長が何かの本を書いて「オレが書いた本に2年間反論が無い。思想界は沈黙している」とか言い出したら信者以外の人はどう思うでしょうか。「それ、単に注目されて無いだけだろ、アホか…」と笑われて終わりでしょう。
しかも今までの著作は盗作だらけで、自分で本を書こうとすれば教学課の力を借りないと何も出来ず、信者から集めた金と労働力で全国の本屋で自分の著作を買わせて「ベストセラー」を演出していた人が、「反論書が一向に出ないことに、日本の思想界全体の、何か地殻変動のようなものを感じないわけにはいかない」などと機関誌に書かせているのですからバカにされて当然なのです。
加えて本の内容はこれまで本願寺の学者が出した内容に全て類型が認められるもので、まともに読んだ人がいたとしても特に反論の必要も感じないでしょう。そもそも16万部出たと言っても、どれほどが本当に読者の手に渡っているのかも怪しいものですが。
「真宗十派は自らの存在意義を失ってしまう」「真宗界の地殻変動」という言葉が親鸞会の中で飛び交っています。似たような言葉を昔ききましたね。そう、光大作戦で全国に「アニメ世界の光親鸞聖人」を売りまわった時です。あの時も「真宗界の大津波」とか40万本突破と宣伝されましたが、真宗界に大津波など当然起こらず、過剰な販売ノルマを課せられた信者が自ら買い込んだアニメが押入れに大量に残っただけでした。
高森会長も親鸞会はもはや「こういうことを書いたら周りからどう思われるか」ということを考える力を完全に失っているのでしょう。正本堂の7階や法輪閣で取り巻きだけを相手にして生活しているのですから、仕方が無いかもしれません。
親鸞会を畏敬する人はなくなり、周囲からは失笑のみが聞こえてきます。笑われ、バカにされる親鸞会。自業自得とはいえ、さびしいものです。
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コメント
一年前までは、まだ会長の権威が残っていましたので、退会しても再入会する人もありましたし、退会者でも会長の教えについては一目置いている人もありました。
ところが今や、会長の権威は完全に失墜し、教義も親鸞聖人の教えとは似てもいないものと判明してしまいました。マインドコントロールの効いている会員にのみ通用するのが、会長の権威となりました。
会長自身も1年でここまで大変わりするとは、夢にも思っていなかったでしょう。
親鸞会と最初から関係のなかった人も、会長を密かに尊ぶ人も一部にはありました。そんな人も、ここ一年の暴露によって、やっぱりカルトだったのかと呆れて見ています。
本願寺を初め、親鸞会外部の人は、親鸞会をカルト集団としてしか見做していませんので、相手にする気などさらさらありません。下手に相手をして嫌がらせや暴力沙汰にでもあっては堪らないと思っているのが実情です。
親鸞会の相手をしているのは、かつて親鸞会にいた人たちばかりです。家族や友人が未だにマインドコントロール下に置かれているのを、見て見ぬふりができないのです。
救いようのない講師部員はともかくとして、一般会員さんはまだ救うことが十分可能です。何とか目覚めてほしいと心より願っています。
投稿: | 2010年1月13日 (水) 13時57分
なんというか、とても 見るに耐えない もう会員ではありませんが、
「やめてくれよ~」というような 恥ずかしい内容ですが、あきれて
失笑されることが 本当に わかっていないのでしょうね。
『歎異抄をひらく』だけが、現在唯一の 希望の光と 思っているのかな。
相手にされていない、ということを、誰も反論できないだろう!
と 思う の には あきれます。
人の文章を切ったり張ったりの 断章 ていうのも ばれているのだから
どんなにとりつくろっても、もう尊敬なんて しないよね。
投稿: たか | 2010年1月13日 (水) 16時02分
私も辞めるまでは大本営発表を聞かされて鵜呑みにしていました。
周りから相手にされていないのが実状で、遥かにすごい内容の事をお聖教に忠実に書かれた本が本願寺から出版されています。
「念仏さえ称えたら死んだら極楽」などと書いてある本は、勧学の方々の本からは少しも見当たりません。
どなたも信心正因称名報恩の教えを正確に伝えられていると思います。
三願転入の御文を利用して難行であり劣行である善の必要性を説き、金集め人集めに狂奔している会とはえらい違いです。
本願を信じ称える、至易最勝の行である他力念仏の勧めということを、私は入会以来聞いたことがありません。
教えを求めて残っている人も時間の問題で、後は動く勇気のない人か、考えがある人以外は残らないのではと思います。
投稿: | 2010年1月13日 (水) 17時13分
子供なんですよ。
相手にされてないから、「真宗界を揺るがす」とか何とか言葉だけが肥大していく。
実が伴ってないから、「すごい人,高森」を言葉でアピールするしかない。
会長も取り巻きの連中も、みんな同じやり方でしか、尊厳を保てなくなってきている。
・・・騙しの代償だから当然なのかもしれないですけどね。
投稿: | 2010年1月13日 (水) 18時27分
親鸞会で責任ある立場にいるほとんどの人が、身体の横幅やプライドばかりが大きくなって、心がちっとも大きくない人が本当に多いですね。
誰も見ていなくても聞いていなくても、阿弥陀仏の目は誤魔化せないといいながら、相手によって態度を豹変させる8講以上の講師。
何かを諦めているような親友部の課長。
上司に誉められることばかり考える親友部員、ビデオ講師、そして支部の幹部。
腐りきった会長と一族。
素晴らしい親鸞学徒の集まり、世の師表と誇れる団体だと思い、尊敬していた過去の自分が、本当に惨めです。
こんな恥ずかしい団体には関わりたくないが、本当の意味での加害者は百人に満たないから、それ以外の人達には、一刻も早く退会してもらいたい。
投稿: | 2010年1月13日 (水) 19時26分
上層部の連中は最後まで会員を食い物にするつもりでしょうね。
昔の親鸞会は会員から集めた金で高い絵を絵師に書かせて、得意満面になるような組織ではなかった。
もう終わっていた団体だったのです。それに気付かなかった私がバカだった。
投稿: | 2010年1月13日 (水) 19時57分
「反論書が出ないから正しい」って、何よそれ。
日本中の本の中で、その本に対する反論書が出る本なんて、
一体どれだけあるってんだ?多く見積もって0.01%だろう。
反論書が出ないから正しい、という理屈が立てば、
日本中の本の少なくとも99.99%は正しいことになるわな。
言い草がばからしすぎて涙が出る。
投稿: | 2010年1月13日 (水) 20時36分
人をだまし、恩師をだまし、聖人をだまし、阿弥陀様までだまし・・・。
唯一素直なのは己の煩悩にのみ。
名誉、金、権威、地位、信者の羨望の眼差し。
人の無常感につけこんで、己の欲望を貪る。
これで浄土へいけるのですから世の中なんて楽にできているんでしょうかね(笑)
投稿: | 2010年1月13日 (水) 22時22分
呆れます。昔は命懸けというが本当に説く人も聞く人も命懸けやった。おかしくなったのは何度も言うが、親鸞会草創期の人がいなくなったこと。やりたい放題。特にバカ息子。
今は昔では考えられない問題があるのに、いまだに対策をしていないし、対策をしたとしても対策になっていない。最大の問題はインターネットの普及と、少子化ですよ。
インターネットの普及は、とにかく、常識外れの言動から、手の施しようがありませんね。少子化は、まさに学友部ですよ。昔と違い、宗教偏見が強く、大学のカルト対策もあり、あまりうまくいってない。ましてや、残る人は幹部というより、むしろ、行くところがないから残った(笑)。
投稿: | 2010年1月13日 (水) 23時34分
カルトがカルト対策でやっつけられるのは良いことだろ?
投稿: | 2010年1月14日 (木) 05時31分
> 集めた金で高い絵を絵師に書かせて、得意満面になるような組織
これは本願寺派がやってしまっているような…。かかわりあいにならないのは一つの選択ですが、そのようになってはいけない例としては親鸞会からきちんと学んでいただきたいものです > 内局とか宗会議員とか。
http://www.laris.co.jp/news13.html
> 新たな御影像を再現するに相応しい最高の日本画家、上村淳之画伯(上村松園・松篁・淳之の作品を収蔵する松伯美術館長)に制作をお願いしました。
投稿: 本願寺派門徒 | 2010年1月14日 (木) 05時52分
御影像なら、納得する人も多いでしょうが、ロビーや通路に飾るための絵に、親鸞会は莫大なお金を注ぎ込んでいるのです。
でも実際いくらかかっているかは、会員に知らされませんから、10倍くらいの値段で金集めをしている可能性もあります。
投稿: | 2010年1月14日 (木) 07時41分
壁画は仏教とは関係ない。さすがに腹が立った。いろんな理由付けがあるけど、壁画は関係ない。金の無駄。会員の金を何やとおもってるんや!ふざけるな。
投稿: | 2010年1月14日 (木) 07時51分
>これは本願寺派がやってしまっているような…。
本願寺ならばこうしたところに多額の金を使う事について批判する人がいるし、その存在も許されている。問題はあるけど議論して決まったことであり誰かが勝手に決めたことでもない。またお金の流れはオープンにされている。
親鸞会では批判が許されない。会長と上層部が勝手に決めたことで議論の余地も無い。お金の流れは不透明でいくら集まってどれだけ払ったのか誰も知ることが出来ない。
投稿: | 2010年1月14日 (木) 09時28分
>呆れます。昔は命懸けというが本当に説く人も聞く人も命懸けやった。おかしくなったのは何度も言うが、親鸞会草創期の人がいなくなったこと。やりたい放題。特にバカ息子。
自分もこういう見方を前までしていましたが、末節というか表面的な見方だと思うようになりました。
隠されていた正体が、草創期の人たちがいなくなってきたことによって表れてきただけのような気がします。あるいは抑止力がなくなったというだけで本質が現れたに過ぎないだけなのかもしれません。
命がけで説いていたから聞いていたから、昔はおかしくなかったというのは少し違うような気がします。説いてる内容で判断しないといけないと思うんですよね。
そもそも会報や光に向かってなどの著書はおかしくなる前に書かれたものですよね。それがパクリであり、それを隠して自分の文章のように会員に読ませて、世界唯一の蓮如上人以来の大善知識と言ってきていますよね。
それは会員が勝手に言っていることだといわれるかもしれませんが、弟子一人も持たずの精神があったら、会長が真っ先にやめさせると思うんですよね。
自分の師匠やケコウ会のことを隠されてきたし、攻撃もしましたよね、しかもイニシャルで。
何が言いたいかというと、要するに、おかしくなる前の最初から、おかしくないですかということです。
数年前までは親鸞会のやり方が悪い、とりまきが悪いという見方も少なくはなかったですが、批判サイトのおかげで今は会長の化けの皮がはがれただけというのが大方の見方のような気がします。
投稿: | 2010年1月14日 (木) 13時22分
80のじいさんに御殿ているの?いい方悪いがドッキョボウみたいな部屋でいいだろう(笑)。
投稿: | 2010年1月14日 (木) 22時17分
よぼよぼのおじいさんは、子供と同じだね。
インターネットの普及、あとは本願寺は反論できないのでなく相手にしてないとはな
投稿: | 2010年1月14日 (木) 23時49分
そう、化けの皮が剥がれたんです。だから私も去年辞められたんです。
投稿: | 2010年1月15日 (金) 00時16分
ちょ!!なんか適当にやってたらマネーもらえたんけど(笑)
http://comoscomos.com/san/isqq4h3
投稿: 中野 | 2010年1月15日 (金) 21時23分
>軍隊組織、無茶な財施、休みなし、絶対服従
時代にかかわらずそんな組織は遅かれ早かれ崩壊します。
トップ一人で独断運営を続け、誰も意見一つ言えないのですから、
ひとたびトップが曲がり出したら、あとは倒れるまで曲がり続けるしかありません。
投稿: | 2010年1月16日 (土) 08時07分
私の会社のリーダーも戦前生まれのワンマンだが、時代の変化に対応し、ほとんどは若い人に任せてます。決断は、リーダーですが、聞く耳もたないと(笑)。
投稿: | 2010年1月16日 (土) 11時41分
講師って親の反対を押し切って進んだのではないですか?
いくら社会経験がないとはいえ、自分で選んだ道なら仕方がない。講師は会員が言うこと聞かないし、上司からは罵声があがるし。 年中無休でストレスもたまり、それは講師になる前からわかるでしょう。人に進められたからやるというのは、正論に見えても、自分で判断してもらいたい。
投稿: | 2010年1月16日 (土) 12時38分
まあ、やり方は悪いと思うけどこれはしょうがないね。
変えることは難しいと思うよ。
だって、絶対服従にしないと人がついてこない教義なんでしょ。
それに、自分が一番偉くなって家来を動かして自分の名誉欲や財欲
を満たすための組織なんだから、そもそも人の意見を聞くという行為自体ナンセンスなんではないのかな。
普通、なぜ人の意見を聞くことができるのかというと、やり方を改善して達成したい目的があるから。
目的が人から崇められたい、名声を得たい、人を思い通りに動かしたいという場合、人の意見を聞くこと自体ありえない。人の意見を聞かないことが本質的な目的なんだから。
少しでも苦しんでいる人に親鸞聖人の教えを伝えたいという目的にシフトしたら、人の意見を聞くことができるかもしれない。
まあでも、教義が違っているみたいだから、下手に広がらなくて良かった。
投稿: | 2010年1月16日 (土) 18時47分
今年はいろんな情報を共有化して、何とかして問題解決しないといけない。
投稿: | 2010年1月17日 (日) 18時06分
ここまで来たら、百歳まで会長に生き続けてもらいたい。
そして、どんどん変な教義を編み出して、会長が死んだあとに、仏格化(いわゆる神格化)出来ないところまで、会長には出鱈目を話してもらいたい。
中途半端な教義破綻の場合、それなりの人数の会員が残ってしまいそうだから。
今残っている会員が、自分自身を騙せないところまで、会長には突っ走って欲しいですね。
投稿: | 2010年1月18日 (月) 00時18分
無責任な高みの見物的な発言は控えていただけないでしょうか?
家族や友人がまだ会にいます
ここに来ている人は、そんなひとがたくさんいますから。
神経を逆撫でするようなことは言って欲しくないです。
投稿: | 2010年1月18日 (月) 01時11分
>無責任な高みの見物的な発言は控えていただけないでしょうか?
どの発言のことを言っているのかわからないけど、
>今残っている会員が、自分自身を騙せないところまで、会長には突っ走って欲しいですね。
これのこと?
私は無責任かもしれませんが同じ意見です。
今会に残っているの多くはデタラメ教義と露骨な金集めの実態を見ながら、それでもどこか親鸞会には真実があるのではないかと思って様子見をしています。
そういう人に、もうついて行けないと思わせるくらいのことをしてくれと正直なところ思っています。
投稿: | 2010年1月18日 (月) 09時59分
「たかみのけんぶつ」という人なら親鸞会にいますね。
本願寺座り込みの時は、滋賀会館で高見の見物、いろいろな作戦の時、会員が雪の中や、夏の暑さの中回っていても冷暖房のきいた部屋で美食三昧しながら高見の見物、自分は手を汚さずに手柄だけはもらっていくようです。
投稿: | 2010年1月18日 (月) 10時29分
いじめの傍観者もいじめに加担していると言われますように、放置している、黙ってみている人も、会の横暴振りを助長している事にどうか、気が付いてください。
出来る事からやって言ったら良いのではないですか?
会をやめて資金源にならない
教えや組織がおかしいと会員にはなしていって、一緒にやめる様言う
会以外の、正しい教えを説いている人を探して聞きにいく
ブログを立ち上げて、会のカルトぶりや教えの間違いを指摘する
自分が信心決定して妙好人になって話す
回りには自ら信心決定してブログを立ち上げている人、そこまでは行かないけれどブログで会を離れて、正しい教えに行くように呼びかけている人が、一杯います。元講師のブログにリンクされていますから、見てください。尊い事だと思ってみています。
何か行動を起こしたら良いと思います。自分の出来る範囲で、知らされた範囲で、私も上記のいくつかをを実践しています。
口では難とでもいえます。実践に移しましょう。
投稿: | 2010年1月18日 (月) 12時48分
>>ここまで来たら、百歳まで会長に生き続けてもらいたい。
>>そして、どんどん変な教義を編み出して、会長が死んだあとに、仏格化
>>(いわゆる神格化)出来ないところまで、会長には出鱈目を話してもら>>いたい。
>>中途半端な教義破綻の場合、それなりの人数の会員が残ってしまいそう
>>だから。
>>今残っている会員が、自分自身を騙せないところまで、会長には
>>突っ走って欲しいですね。
人に「早く死んでほしい」という言葉は使いたくありませんが、
私の家族を含め、今、親鸞会にいる会員の多くは、本人は自覚しているか
は別として、阿弥陀仏ではなく、会長に向いています。
会長が亡くなれば、多くの会員が辞めるでしょう。
私の家族も辞めるのではないかと思っています。
会長がでたらめ教学を話そうが、心が会長に向いている人は、
でたらめだと感じ取る理性がありません。
その証拠に、親鸞会の教学の誤りを具体的に指摘したサイトを見せても、
「私にはこのサイトの著者の言っていることが正しいのかどうか
判断する能力がありませんので、高森会長の言っていることを信じます。」
というでしょう。
親鸞会教学に染まっている人は、会長が「よし」とすることを信じ、
会長が「しろ」ということをし、会長が「するな」ということは避けます。
この呪縛から抜け出すためには、会長から離れ、冷静、かつ客観的に
教学を検証する時間と気持ちが必要ですが、会長がいる間は、
それは無理でしょう。
投稿: | 2010年1月18日 (月) 22時47分
阿弥陀仏の光明はS会会員にも掛かっています
だから、会長がどうであろうと、会に所属していようと、やめていようと、元講師を初めとして、何人もの人がこの1年で救われています。実際、元講師のブログに貼ってあるリンクを見られたら良いと思います。おかしな事は言っていませんから。信じる信じないは個人の考えでしょうが。
今救われる教えですから、阿弥陀仏の本願に救われる時は救われます。正しい教えを聞いたなら。
なぜ、~したならとか条件を付けるのですか?何も要らないただの教えなのに。今救われようとしないのですか?
なぜ、信心決定を遠くに見て、人事のように平静を装っていられるのですか?
家族は仕方ないとしても、あなた自身の信心決定の為にまたは御恩報謝の為に、今あなたが出来る事があるのではないでしょうか?
傍観でなく、出来る事をなぜしようとしないのでしょうか?わかりません。
投稿: | 2010年1月19日 (火) 00時24分
実際は、今さら会長本人が消えたところで大勢に影響ないですよ。最近のつまらない話を聞いて文句もいわないでしょ?F館にもOKだすでしょ もう会長はいるだけでいい、名前だけあればイイんです。ちょうどよく会の規模もしぼんできたので、光晴で十分引き継げます
結果として、会の運営失敗にも深いミココロがあったわけだ
投稿: | 2010年1月19日 (火) 00時24分
「ひらく」を読んだときの感想。
ずいぶん無難に書いたな、という印象。なので反論も出ないのでしょう。
投稿: あ | 2010年1月23日 (土) 15時21分
たしかに
会長の本てのは、ツマラナイ内容か、オモシロいものをパクッているか、どっちかですね
投稿: | 2010年1月28日 (木) 08時08分
高森先生は、自分の考えがこうだ、ああだと言われた事はただの一度も無く、必ずお経に書かれている事と、親鸞聖人のご著書に書かれている事を引用して、現代の言葉で分かりやすく教えています。今までに仏教、キリスト教、新興宗教問わず、いろんな宗教の話を聞きに行きましたが、こんなに分かりやすく、自分の考えを一切入れず、あくまでもお釈迦様のお経に説かれていること、親鸞聖人のお聖教に書かれている事を忠実に教えている団体は、残念ながらこの地球上では親鸞会だけです。お釈迦様が”人身受けがたし今既に受く、仏法聞きがたし今既に聞く”とおっしゃっているように、仏法を聞くという事は本当に難しいことなんだとこのブログを読んで思います。“変な教義を編み出して”と言われている方、それはお釈迦様に言っておられるのですよね?高森先生の教えられる事は、すべてお釈迦のお経に基づいているのですから。非難されるからには何が本当の仏教であるかを知った上で非難していただきたいです。具体的に、高森先生のご著書のどこがおかしいのかを。
教義が間違っているみたいだからと言われている方、根拠は何ですか?みたいではなく、間違っていると言うからにははっきりどこが、と言ってください。つまらない内容か、面白い物をパクっていると言ってる方、どちらかはっきりご自分で分かってから書いてください。何も分からずに書いている方々、墓穴を掘っておられますよ。
投稿: | 2010年2月 2日 (火) 16時28分
いまだに、このさよならで、会長を擁護する人がいるんですか?
ジョークや皮肉ですか?
それなら、もうちょっと、捻り効かせて下さい。本気でとっちゃう人がいますから。
反対にお尋ねします。あなたが、会長や、会長の言っている教えをそこまで盲信できる根拠を教えて下さい。
まず、あなた自身が阿弥陀仏の本願に救われているんですか?
その上で、会長の教えは正しいと思っているんですか?どうなんですか?
救われた人は、ほとんど、会長を非難しています。そして離れていきます。どうしてですか?
あなたは会長と腹を割って、何時間も話したことがあるんですか?会長の人となりを熟知するほどの仲なんですか?
会長がすんでの所で、放火犯にならないようにM氏やお母さんに止められた事どうですか?放火は重罪ですよ。
会員さんからの献金で、ご馳走食べたり、温泉に行ったり、ないはずのF館の6階に住んだりするのも平気なんですよね。
18願を説かずに、善をしたら救われると回り道を教えていることも許せるんですよね。自分で虎の説法をしろと、著書に書いているのに。
なぜ、誤りを指摘されて、黙っているんですか?教えが正しいなら、反論したらいいのに。
それと、教えは、O氏やI氏の継ぎ接ぎで何もわかっていないことは、証拠が上がっていますよ。
だいたい、若くて元気な人が救われて、会長の手足になる人が今も、一人もいないでしょ?
おかしいと思いませんか?
例えば、あなたは元講師の話を聞いて、比較してコメント書いているんですか?
よく聞いてどこが違うか、自分自身で考えて、確認したんですか?
ブログ等を読んで、その上で、コメントしているんですか?
最後に、根拠をあげるとしたら、私が信心決定しているからです。会長が、なぜ、阿弥陀仏の話をしたくならないのが不思議です。阿弥陀仏の話が聞けなくて私は、会をやめました。そして、阿弥陀仏に向かって救われました。
多くの人に信心決定して欲しかったら、人生の目的、因果の道理より阿弥陀仏の本願のおいわれに時間を割く筈です。もし本当に自身が、救われていて、一人でも多くの人に救われて欲しかったら。そうする筈です。
どうか、今、阿弥陀仏の本願に救われて下さい。
投稿: | 2010年2月 2日 (火) 18時36分
18願を説かずに、とはどういうことですか?いつも私は高森先生から3願転入のお話を聞かせて頂いています。数えきれないほどです。19願と20願を通らずして18願にはたどり着けません。あなたが、高森先生が18願を説かないと言っておられるという事は、高森先生のご説法を聞かれた事がないのではないのですか?親鸞会の教えは、”一向専念無量寿仏”です。無量寿仏とは、阿弥陀仏のことです。親鸞会の教えは阿弥陀仏一仏に向かえ、という教えです。なぜなら、阿弥陀仏だけが私たち凡夫を救ってくださる力があるからです。ほかの諸仏や神に向かっていては救われないというのが親鸞会の教えです。”なぜ生きる”にも”嘆異抄をひらく”にも、はっきりと書かれています。あなたが阿弥陀仏に向かって救われたのなら、阿弥陀仏の本願を正しく説く高森先生を非難する事が”謗法罪”という恐ろしい罪である事はご存知だと思います。人々を救う唯一の教えである阿弥陀仏の本願を説く善知識をそしる事は大変恐ろしい罪なので、どうかやめてください。”人生の目的、因果の道理より阿弥陀仏の本願を説くべき”とありますが、”人生の目的”は、阿弥陀仏の本願に救われる事で、それが親鸞聖人の教えであり、高森先生がいつも説いておられる事です。因果の道理は、仏教の根幹であり、それが分からないと救われません。お釈迦様でさえ45年間仏教を説かれましたが説ききれなかったと言っておられます。阿弥陀仏の本願に救われるには、阿弥陀仏の本願を説いてくださる善知識からご説法をお聞きするしかなく、その善知識が高森先生です。
投稿: | 2010年2月 2日 (火) 19時35分
聞かれた事に答えてから、反論したらいいのではないですか?
① あなたは信心決定しているのですか?
② 会長と個人的に正味何時間話したことがあるのですか?
③ 某寺の放火未遂を会長が自慢げに話すのはおかしくないですか?犯罪行為ですよ!
④ 会長は、美食、豪邸、絵画、骨董その他贅沢に会員さんの献金使ってもいいのですか?
⑤ 3願でなく18願が、本願の生起本末、疑情の話を会長から、あなた自身が満足が出来るほど聞けていますか?
虎の説法が聞けているとあなたは、本気で思っているのですか?
⑥教義批判を何故会長は放っておくのですか?
⑦I氏やO氏からの剽窃はいい事ですか?
何故会長は引用したと言わないのですか?
⑧何故、若くて元気な人が救われないのですか?
信心決定して、会長の手足になる人がいないのですか?
それどころか、救われた人は、出て行くか、追い出されてるでしょ?
⑨会をやめて信心決定した人が、21Cとか○○問答とかにリンク貼っていますが、彼らの書いたものを読みましたか?救われてるって言ってますよ。ハッキリと。信じないでしょうが。
⑩元講師の人達に電話して言い分を聞いた事がありますか?番号書いてありますよ。
話を聞いて、比較して、自分で考えた事がありますか?
これらのことを実際考えたり、やってみて、クリアしてから、存分に薀蓄を語ってください。
ちなみに、私は全部、実際調べたり、尋ねたり、足で回ったりして、自分の頭で考えもしました。そして、クリアしました。それでやめました。
もう一度聞きます。コメントは、皮肉ですよね。本気で、上記のように書いてるんなら、今、救われる気のない人ですね。
ぶるうのさんの最新の記事10回声に出して読んでみたら如何ですか?それともあなた対策員ですか?
ちなみに、会長のなぜや歎異抄は少しも腹にこたえず、拍子抜けしました。
別に、変人扱いしてもらっても私は、結構ですけど。
阿弥陀仏が最後に、ご判断される事でしょうし。
今、阿弥陀仏の本願に救われて下さい。今ですよ。
投稿: | 2010年2月 2日 (火) 22時09分
私も以前は高森会長は親鸞聖人の教えられたことを、そっくりそのまま教えられたと思っていました。
しかし、昨年1月の教学講義で、高森会長が阿弥陀仏の18願の若不生者の生まれるには、当益の意味は全くない、と断言した時に、あれっおかしいなと感じました。
調べてみると、親鸞聖人のご著書に、生まれるは極楽に生まれさせるという意味だと書かれておられました。私が言っても駄目だと思いますので、自分で調べられてください。
ヒントは真宗聖典には略本しか載ってるおらず、親鸞聖人の著者の広本に出ています。
そして3月には高森会長は、大無量寿経にお釈迦様が易往爾無人とおっしゃられているのを聞いたら、頭がおかしくなったと思わなければ求道は始まらないと断言しました。
しかし、大無量寿経のそのお言葉の前後をしっかり拝読すれば、それがなぜか?理由をハッキリお釈迦様が教えられているので、頭がおかしくなったと思うはずがありません。
そして6月、高森会長は親鸞聖人が救われたのは比叡山で20年間修行をされたおかげだ、と。
これらを聞いたあなたはどう思われますか?
本当に高森会長はお釈迦様や親鸞聖人の教えられたまま、自分の考えをいれずに説法をしていますか?
投稿: | 2010年2月 2日 (火) 22時12分