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投稿:埋没費用と機会損失

埋没費用

埋没費用とは事業に投下した資金のうち、事業の撤退・縮小を行ったとしても回収できない費用のことですが、詳細についてはウィキペディアを参照ください。  

埋没費用の例についてウィキペディアにも載っていますが、別の例を出したいと思います。

なけなしのお金を出して中古車を買いました。ところがすぐに故障、修理費に何十万円もかかるとの事。「ここで廃車にしたらせっかく中古車を購入するために出した費用が無駄になる」ということで、修理を決断。ところがそんなに走らないうちに、また別の所が故障、修理費に何十万円もかかるとの事。「ここで廃車にしたらせっかく中古車を購入するために出した費用とこの前修理に出した費用が無駄になる」ということで、修理を決断。…。

ここで、中古車を購入した費用や以前の修理費が埋没費用となります。これらは絶対に回収できない費用であり、別の修理をするかどうかの決断に含めてはいけません。埋没費用を考慮に入れて判断すると正しい判断ができません。上記の例では修理費をいくらかけても一向にまともに走らない車なのでこのまま修理を続ければ埋没費用がかさむだけです。今まで投下した埋没費用はあきらめて廃車にするのが正しい判断でしょう。

さて、親鸞会の場合ですがお金だけ考えてもすごい埋没費用となります。正本堂建立財施に始まり(それ以前にもありましたが…)、地下道、ドメイン(施設を含む)、安心弁当、各種著書、毎月の会費に新春大会(書き落としたものもあるでしょう)。さらに今後も続くことでしょう。しかしながら一向に信心決定できません。それどころか善因善果で幸せになるはずがどんどん不幸になっているのではないでしょうか?当然です。間違った教えを信仰しているわけですから。そろそろ、親鸞会に見切りを付けるときではないでしょうか?

また、よく言われるのはたとえば上記の例であるならば、修理を決断する前に「もし、今、この中古車を買うか(修理をするか)どうかの判断を迫られたら買うか(修理をするか)どうか?」と考えることです。もしも、Yesであるならば新たに修理をすれば良いですし、Noであれば新たに修理すべきではありません。

親鸞会の場合でしたら、もしもあなたが、あなたが親鸞会に勧誘されたばかりの当時のあなたにアドバイスできるとしたら、果たしてあなたは親鸞会に入ることを勧めますか?自分の心に正直になって問いかけてください。Noであるならば、親鸞会を辞めるべきでしょう。

機会損失

機会損失についてはウィキペディアにありませんので私の言葉で簡単に説明しようと思います。

無駄に使った時間やお金を有効に使っていたとするならば得られていたであろう利益が得られなかった損失のことを言います。

たとえば売れる商品を仕入れていればそれが売れて儲けられていたのに売れない商品を仕入れたばっかりに得られなかった利益損失のことを言います。

親鸞会に属することによる最大の機会損失は信心決定できないことでしょう。何十年と求めている専任講師が信心決定できないのですからこのままあなたが求め続けても信心決定できないことは保証されているようなものでしょう。一刻も早く、真の善智識から教えを聞かれて信心決定していただきたいと思います。

経済的・精神的な機会損失については割愛したいと思います。「いや、私は仏法をひろめるためにお金も時間も使いたいんだ」と言われる方がおられるかもしれません。それはそれで結構なことです。ただし、親鸞会の教えていることは仏法ではありませんので、親鸞会のためにお金や時間を使うのは「正しい仏法をひろめるためにお金や時間を使う」ための機会損失となります。

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コメント

お金の使い道は、簡単に仏法のため!で説明おわりです。じゃあどういう使い道かといえば、答えが抽象的で。詳しい説明なしで納得する人もいるでしょう。しかし、そうじゃない人もいますし、そういう質問もできない雰囲気なんですね。しかし、仏法のため、会員さんの大事な浄財ならば収支報告は当然すべきです。顕真学院で時間、金銭、約束について学びますが、意味がないと思います。例えば約束を守るのは当然でしょう。しかし、無茶苦茶な状況で約束を守れというのが親鸞会です。例えば、学生とかで夜の11時まで部室にいて朝、7時に部室会合にこい!とか日常茶飯事です。

投稿: | 2010年1月18日 (月) 22時52分

親鸞会はまじめな人ほど、どつぼにはまります。  お金がなく、食べるものも食べず、髪の毛がうすくなり、見た目より老けて、生活もできず、留年し、大学も中退、ニートになり、未来もない。

投稿: | 2010年1月18日 (月) 23時05分

じゃあ真の知識って誰だよ?と親鸞会に質問してもなかなか答えない。何故か?
もし「高森先生です」と答えればすぐに「どんなことを言ってるの?」とくる、親鸞会の構成員の話のオチは「この先の話は善知識高森先生から聞いてくダサい」だから、いきなりそのオチを聞かれると困ってしまう。「高森先生から聞い」というオチはもったいつけて言わないと効果がない、そして高森先生の話は、舞台を整えて有り難みを演出しないと人を惹きつけることが出来ない。
結局言うほど幸せな人がいない、いるならその人自身が自分のことを話せば良い、話したらメッキが剥がれるから言わないわけだ。
「本当の知識から聞けば良い」なんてきくと、親鸞会を思い出しマス

投稿: | 2010年1月18日 (月) 23時51分

この喩えはいかがなものでしょうか。

馴染みのない専門用語で当たり前の理屈を主張する
説明方法で、会に勧誘されたときの先輩の言いぶりを
思い出してしまいました。

言いたいことが「長い間無駄な出費で結果が得られず損しました」
なら、そういえば良いのです。

投稿: | 2010年1月19日 (火) 01時20分

>馴染みのない専門用語で当たり前の理屈を主張する
>説明方法で、会に勧誘されたときの先輩の言いぶりを
>思い出してしまいました。

よくわかるわ。自分も自己啓発書やビジネス書に並んでいる横文字に違和感を良く感じる。そんな外国の権威や学問で言われている専門用語をつかわずにもっと簡単に日本語であらわせるんじゃないかと。専門用語使うと頭よさそうに見えるし説得力あるようにみえるしね。

でも専門用語は理解の時間短縮になる人もいるから、いい面もあると思うよ。

埋没費用や機会損失はビジネスパーソンwには当たり前の用語みたいだから、社会人には馴染み深くて分かり易くていいんじゃないのかな

毎回万人に馴染みやすい記事やら投稿じゃなくてもいいと思う。
なかなか理解できないことでも今までと違う言葉などでハッと理解できることはあるしね。色々な方向から考えていくことはいいことだと思う。

ある特定の人にヒットする内容もたまには必要かもね。


投稿: | 2010年1月19日 (火) 02時10分

> 「長い間無駄な出費で結果が得られず損しました」

いや、それでは言いたい事の半分だろ。
むしろ、今までの損はきっぱりとあきらめて、
これ以上損しないように親鸞会をやめなさい、
ということが主だろ。

投稿: | 2010年1月19日 (火) 04時20分

要するに、過去の損に悩んでるひまがあったら、
とにかく親鸞会をやめて、社会復帰しなさいと。

まあ、このサイトの主張はそういう同じ事をくり返し
言葉を替えて言っているわけだから、埋没費用とか
機会損失という言葉を使うのもまた良しということで。

投稿: | 2010年1月19日 (火) 04時24分

投稿やん。別にいろんな人が色んな言葉で言っているのを紹介しているだけやし、いいんちゃうの?

投稿: | 2010年1月19日 (火) 10時19分

投稿は問題ないと思う。
でも、思い出す人の気持ちも分かる。

世間の話題や専門用語でも、それ自体は別に悪くないのに、会で使われていたために、悪いイメージがします。会で使われていた言葉も。
例えば、「真実」。
ま、あまり普通には使わないけど、使うときはあえて「事実」と言ったり。本来は悪い言葉ではないけど、今は使いたくない。

投稿: | 2010年1月19日 (火) 10時44分

2010年1月19日 (火) 01時20分の投稿の人、ネット対策員じゃないかい?

結論を「長い間無駄な出費で結果が得られず損しました」にミスリードしている。結論がこれじゃあ、「損が大きいからこのままでは辞めれない」と親鸞会にとどまることになりかねない。

結論はその後の人が書いているように「今までの損はきっぱりとあきらめて、これ以上損しないように親鸞会をやめなさい」というほうだと思う。

それに機会損失については触れていないよね。目をそらさせる作戦じゃない?
高森会長にとって辞めた会員が浄土真宗の教え自体を聞かなくなるのはまだ許せる。
高森会長にとって許しがたいのは辞めた会員が本願寺、華光会、辞めた講師の話を聞くようになること。

本願寺:かつて高森会長が僧籍を剥奪され、逆恨みして盛んに攻撃していた。そんなところに自分の会を辞めた会員が行くなんて…。

華光会:かつて高森会長が所属していた会。自分がトップになれないことに嫌気が差して、飛び出して親鸞会を設立。そんなところに自分の会を辞めた会員が行くなんて…。

辞めた講師:以前は高森会長を絶対視し、最大限の敬意を示していたものの、今では高森会長の教義を批判。そんなところに自分の会を辞めた会員が行くなんて…。

投稿: | 2010年1月19日 (火) 12時36分

これまでに費やしたものが大きいからやめられない、
ということはよくあることだよね。
ギャンブルでも、今まで負けてきた分を取り返そうとして
どんどん深みにはまっていくわけだし。
親鸞会をやめようかどうしようか迷っている人の中で、
これまでに費やしたお金と時間が惜しくてやめる
タイミングを逃している人はいることだろう。

これまでに費やしたものが大きいだけにそれを埋没費用と
割り切ることができるかどうかは、複雑な気持ちもあるの
だろうけど、でもやっぱりそのように割り切って親鸞会を
やめるしかないんだよね。

投稿: | 2010年1月19日 (火) 18時53分

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