投稿:親鸞学徒を自覚するなら、高森学徒を辞めて下さい
昭和59年1月6日、親鸞会が出した質問の回答を求めて、意味もよく判らず本願寺の座り込みに参加しました。参加理由の1つは、高森会長が参加すると聞いたからでしたが、本願寺でその姿を見ることはありませんでした。話が違うとは思いましたが、何か深い御心があったのだろうと思い込むように努力しました。
それから暫くして、『本願寺なぜ答えぬ』が発刊されました。一読して、本願寺の主張の方が正しいのではないかと思いましたが、講師が絶賛するので、私には理解できない深い何かがあるのだろうと、またもや自分の心を誤魔化しました。しかし、どうしても引っ掛かるところが1箇所ありました。それは、『本願寺なぜ答えぬ』の「はじめに」のところに、
最後に、勧学寮頭監修による『現代の教学問題』の「宿善について」の、コピー全文を掲載したのは、ほかでもない。
『回答書』に、こんなことを、いっているからだ。
「私が発表した論文も、全文のせてもらった方が、よく解って、よかったのではなかろうか。論文を部分的に引いて反論されたのでは、私の主張の内容が、読者に解りにくく、誤解を生ずる点もあろうと、思われるからである。」
”こんな苦情で、また、真実開顕に、背を向けられてはたまらない”と、思ったからである。
と書いてありましたが、この『回答書』とは、紅楳英顕氏の『派外からの異説について』です。しかし、紅楳英顕氏の『派外からの異説について』は、本文で部分的に引用されているだけです。ではなぜ、わざわざ別の論文だけを全文載せたのかです。単なるミスなのか、何か意図があったのか。前者は考えられません。ならば載せられない理由があったのか。そのことについて講師に聞きましたが、判らないというだけでした。
誰に聞いても判らないので、疑問を持ちながらも、その後『本願寺なぜ答えぬ』を全国に頒布する活動に参加し、自分のやっていることで、真宗改革ができると教え込まれて、それを鵜呑みにしていました。しかし、何も変わりませんでした。
あれから25年、関西本部建立の話や、本部会館建立、アニメの頒布、『なぜ生きる』の出版、正本堂建立など、様々なことがありまして、その度に、真宗の流れが変わるだの、大げさな言葉に踊らされ続けてきましたが、結局何も起こりませんでした。
自分はといえば、熱心に活動をしていたものの、善の強調が年々激しくなり、私が最初に聞いていた時の話と段々掛け離れてきていくのを感じて、心は萎える一方でした。しかし、参詣目標、入会目標、財施目標は次から次へと与えられ、後生の一大事の解決という名目で、ひたすら金集め人集めに尽力しました。多くの仲間が去っていっても、彼らは堕落者というレッテルを貼って見下すことで、自分の行為を正当化させるのに必至でした。
ところが今年に入ってからは、善の勧め、因果の道理の話ばかりになり、さすがにこれが本当の浄土真宗の教えなのかと、鈍い私でも教えに疑問を持ち始めました。
それで支部長に、「善をしなければ信仰は進みませんよと教えられますが、では善をすれば信仰は進むのですか」と尋ねましたが、絶句して返答はありませんでした。困った末にいわれたことが、「『本願寺なぜ答えぬ』にすべての回答がある」でした。
そこで25年ぶりに『本願寺なぜ答えぬ』を読んでみました。25年間封印されていた疑問が再び思い出されました。この本の一体どこに答えが書かれてあるというのか。紅楳氏が質問されている獲信のための善の勧めとは、七仏通誡偈、定散二善、19願のことなのか。それは誤魔化しているだけのようにしか思えませんでした。
支部長に尋ねても、親鸞聖人の教えられたことの本当の意味が判るのは高森会長だけだという説明にならない説明を繰り返すだけです。疑問は余計に膨らみました。
また、自分よりもはるかに積極的に活動していた人が次々退会していくのを聞いて何かあるに違いないとも思いました。親鸞会内部では、楽な求道に迷ったと説明していますが、そんなレベルの低い話である訳ないです。彼らの退会理由も知りたいと思いました。
そこで、情報化社会から取り残されていた私でしたが、インターネットでも使って調べて見ようかとふと思い立ち、いろいろ調べてみてびっくり仰天でした。
親鸞会の教えの間違いが山ほど書かれていて、しかも親鸞聖人、蓮如上人ほか、歴代の善知識方のお言葉を豊富に出されて、親鸞会教義を批判していましたので、非常に説得力のあるものでした。親鸞会では全く聞いたことのない根拠も多々ありました。しかも、『本願寺なぜ答えぬ』の内容について、完膚なきまでに論破されており、これまでの疑問が一度に氷解しました。
具体的には、
「親鸞会教義の誤り」
「21世紀の浄土真宗を考える会」
「苦笑の独り言」
「清森問答」
などです。
26年前に本願寺に座り込んでまでの抗議行動も、『本願寺なぜ答えぬ』の全国頒布活動も、本願寺に対する単なる布教妨害と親鸞会の宣伝活動の意味だけで、真実開顕とは、真逆の活動であったと知らされ非常に後悔しました。本願寺は答えられなかったのではなく、呆れて相手にしなかっただけであることも判明し、高森会長の説く善の勧めは、親鸞聖人の教えを根本から破壊するものであったとようやく理解できました。
そのことを支部長に話をすると、支部長は高森会長の言葉を示して説明しようとするので、親鸞聖人のお言葉で説明して下さいというと、沈黙して以後どんな質問にも一切答えてくれなくなりました。
支部長と言えど、親鸞聖人の教えには疎いのです。高森会長の著書以外に読んだことはないので、仕方がありません。
結局のところ高森会長が善を勧める目的は、金集め人集めをして、親鸞会と高森一族の繁栄のため、つまりは自己の名利のためであることもよく判りました。支部長に質問しても答えられないのは、支部長に問題があるのではなく、高森会長に問題があったことも得心しました。特専部員が会長に質問して除名になったという話も、最初は嘘だと思っていましたが、本当のことに間違いありません。
30年近く、出鱈目教義に騙され続けてきたことに憤慨していますが、幸いにして、正しい親鸞聖人の教えを他で聞かせて頂けました。従って、会員を続ける理由 は何1つ無くなりましたので、きっぱりと退会をしました。
親鸞学徒を自覚するなら、高森学徒を辞めて下さい。そのためには、自分で親鸞聖人の教えを調べて確かめて下さい。これが未だ残る真面目な会員さんに望むことです。
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コメント
これは「投稿」ですよね。読む前に「投稿」とわかるような標題をお願いします。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 11時28分
顕真学院で親鸞会が本願寺の座り込みをした時の話題が出たときのことです。
ある学院生が高森先生は本願寺で座り込みされなかったんですか?と言いました。
学院長はその発言に対してすかさず「高森先生は滋賀会館で陣頭指揮をとっておられたんですよ」と言いました。
①陣頭指揮という言葉の正しい意味を知らないならば学院長を辞めるべき。
②高森会長が本願寺で座り込みをしなかった事を正当化しようとして、学院生の認識を都合良くすり替えようと詭弁を使ったのなら、人格的に問題があるから、学院長を辞めるべきです。
③高森会長に昔言われた(わしは滋賀会館で陣頭指揮をとる等)言葉をそのまま覚えていて、言っただけならば、高森会長が正しい日本語を使っていない点に、善知識としての資質を疑うべきです。
投稿: 元○○部員 | 2009年12月15日 (火) 13時20分
早速標題直ってましたね。ありがとうございます。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 13時50分
私も騙されてきた一人です。
本願寺の座り込みは、参加した講師部員が武勇伝の如く語るのを聞いて、ふうーんと思ったものでした。
【陣頭指揮】軍隊の先頭に立って指揮すること。長たる人が直接現場に出て指揮すること。
「現場に出て」と辞書にありますよ、学院長。
今更何が出てきても驚きませんが、あらゆることが彼の都合のよいように伝えられてきた訳です。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 13時57分
なんか、牟田口中将を思い出したよ。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 14時49分
本願寺に座り込みをしていた時代から、既に会長は、単なる肝っ玉の小さいオッサンだった訳ですね。
つくづく、こんなしょうもない人間に騙されていた自分が情けない・・・
投稿: | 2009年12月15日 (火) 16時28分
会長が「陣頭指揮を取る」と言わなかったとしたら、学院長は
そのように言うことはなかったでしょうね。だから、会長が
その言葉を使ったことに間違いないでしょう。
会長は、軍隊にいたこともあり、軍隊の言葉を使うのが好きです。
ところが、軍隊にいたにも関わらず「陣頭指揮」の意味を
知らなかったとすれば、軍隊でも何も学んでいなかったという
ことですし、知っていてあえて間違った言葉を使ったのだと
したら、いつもながらの狡猾さですね。
いずれにしても、会員からすれば、そこに会長がいないことに
対して、不信感を持つのが当然ですよね。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 17時45分
顕真学院で、学院生から学院長に質問をして、学院長が誤った
答えをした時に、それに対してさらに突っ込むことができなかった
のは、上司に対して批判的な言動をしてはいけない、という
軍隊組織だったからでしょう。誤っていることを誤ったいると
指摘できない、こういう組織が腐って行くのは、当然の帰結ですね。
人間、誰でも間違いはあるということを前提に考えなければなりませんし、
ましてや浄土真宗では煩悩具足の私たちと教えられているのですから。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 17時52分
親鸞会の幹部でも会員でも融通の聞く人と言われたことしかやらない人がいた。指示待ちという意味じゃなく、簡単に言えば上司のロボットってこと。
教えはまちがいだが、聴聞に極まるなら、聴聞だけにして、余計な会合はしなくていい。会員だけが見れるパスワードにして、違反者には処分するなど、無駄を省く考えはないのか!そうすれば無駄な金は無くなるだろう。ドメインで食べ物提供してるが、計画性ない経営で儲かるわけない。今はエコの時代。木を伐採してどうするんや!薬品、医療品が儲かる時代です。 仮に親鸞会が学校つくっても閑古鳥がなくでしょう(笑)。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 20時15分
高森一族は金儲けは下手。ビジネスをやる以上は金儲けは当たり前。もうからないのは、計画性がないからです。味の問題でもコストの問題でもない。ど素人がしてるから。時代にあった指導、時代にあった運営、時代にあった教育です。 軍隊教育は死語です。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 22時57分
本願寺は親鸞会を相手にもしなかったんですね
投稿: | 2009年12月15日 (火) 23時20分
会員は、親鸞学徒ではなく高森学徒と言わざるを得ません。
真宗にはない珍しい教えがどんどん出てきていますから。
代表的な珍しい教えが、投稿された方が仰っていますが、三願転入を利用した善の勧めです。
諸善は雜行と名けて嫌われる行です。信前は善を往生に役立てようという心しかありませんから、雜行を捨てよと教えられます。
その、捨てよと教えられている雜行を公然と勧めているのですから、蓮如上人の御教示に違反し、親鸞聖人の教えを破壊しているのです。
あくまでも万行諸善は雙樹林下往生(化土往生)の行であって、難思議往生(報土往生)の行ではありません。
19願の行信因果と18願の行信因果を正しく把握もしないで、ごちゃまぜにしているのですから、いくら善を励んだところで報土往生を遂げられる身にはなれません。
18願の行信因果は、
願:至心信楽の願(18願)
行:選択本願の行(他力念仏)
信:至心・信楽・欲生の三心
果:難思議往生(報土往生)
対して19願の行信因果は、
願:臨終現前の願(19願)
行:修諸功徳の善(定散二善)
信:至心・発願・欲生の三心
果:雙樹林下往生(化土往生)
となっています。
ここを読まれている方はもうお分かりだと思いますが、親鸞会では、報土往生を目的とする人に化土往生の行をやらせているのです。
自力の善をいくら積み重ねても、0は0であり、報土往生は叶いません。
「定散の善は諸行往生の言葉に摂まるなり」(末灯鈔)と親鸞聖人は仰いますから、定散二善を勧める親鸞会は諸行往生です。
このトリックに会員は早く気付いてもらいたいと思います。
投稿: 真偽検証 | 2009年12月15日 (火) 23時21分
では、真宗に善の勧めはないのかといえば、正定業である弘願念仏という最高の善を勧めています。
では、親鸞会ではそのように念仏を勧めているでしょうか?
ずっと聞いてきたならお分りのように、念仏より定散二善に圧倒的に重きを置いて説かれています。
念仏をいくら称えても、金と人が集まらなければ組織は拡大しませんよね?
獲信のためという名目で財施と破邪顕正を勧められたら、獲信が目的の会員は丁度目の前に人参をぶら下げられた馬の如く一生懸命走るでしょう。
こうして財施によって金、破邪顕正によって人が集まり、組織は大きくなっていきます。
では、財施に破邪顕正にと走れるだけ走らされて、会員は目的の獲信を果たしたでしょうか?あるいは少しでも獲信に近づいているのでしょうか?
百歩譲ってそれらが善としても、諸行であり、雜行ですから、真実の信心は得られません。
「少善根福徳の因縁を以ては彼の国に生まれることを得べからず」(阿弥陀経)です。
悲しいことに、汗水流して稼いだお金を財施したのにろくな会計報告もされず、浄財が不浄財になっています。
せっかく頑張って人を誘っても、珍しい教えですから誘う人も誘われた人も仮門にとどまってしまいます。
「方便権仮の要門に
会員ひさしくとどまりて
諸有に流転の身とぞなる
悲願の一乗帰命せよ」
と親鸞聖人は悲しんで、悲願の一乗を勧めておられるかも知れません。
まぁ実際は嘘の親鸞聖人の教えですから、あさましき外道の法であり、永く無間地獄に沈むべき業にて徒事なのですが…
投稿: 真偽検証 | 2009年12月15日 (火) 23時39分
ある座談会で「なぜ会長先生は本願寺に来なかったのでしょうか」と直接会長に訴えた青年部員がありました。「次回は先頭に立ってください」と。弁論ほどではないですが、座談会の他の質問に比べてかなり長い訴えでした。
そのあと講師部の会合で「なぜあの者をつまみ出さなんだ。君らの中で誰もそうする者がいなかったことが情けない」と会長は怒ってたらしいですね。
投稿: | 2009年12月15日 (火) 23時42分
布教妨害したわけやないのにつまみだす必要はない。高森くんが行かなかったのが悪い。講師のせいにするなよ。
投稿: | 2009年12月16日 (水) 07時09分
自分はネットを見てから退会するまで1年弱かかり、最後は親鸞学徒をとるか、それとも高森学徒をとるかで悩んだ覚えがあります。
そのとき疑問に感じたことですが、
①三願転入しなければ蟻一匹助からない。
②3つの念仏がある。
・19願の念仏(万行随一の念仏)
・20願の念仏(万行超過の念仏)
・18願の念仏(自然法爾の念仏)
①②を主張するならば、
念仏だけで三願転入するのではないか?
念仏を励めば信仰が進むのではないか?
なぜ諸善でなく念仏を勧めないのか?
現役の方はどう思いますか?
歎異抄の著者は「さいはひに念仏」しながら信心異なる人々に対して泣く泣く書いたと結んでいます。
親鸞会在籍時の自分は「諸善をして出来ない自分が知らされてから念仏に心が向いて、そして・・・」と思っていた信心が異なる人でした。
『かなしきかなや、さいはひに念仏しながら、
直に報土に生れずして、辺地に宿をとらんこと。
一室の行者のなかに、信心異なることなからんために、
なくなく筆を染めてこれをしるす。
なづけて『歎異抄』といふべし。外見あるべからず。』
歎異抄の著者は誰に向けて書かれているのか、現役の方はどう思いますか?
投稿: | 2009年12月22日 (火) 19時23分
私は以前、金沢学友部で活動していました。とある事情で親鸞会から離れ今に至ります。つい先日、このブログや清森問答の存在を知り、寝る間を惜しんでひたすら読み漁ってました。
最初は疑ってましたが、親鸞聖人や蓮如聖人の根拠を出され話される事に納得せずにおれませんでした。布教局長の話については、ただただ呆然とする他ありません。
一つだけ、どうしても聞きたい事があります。教えて下さい。こんなコメント欄に書くのは場違いかもしれませんが、ご容赦下さい。
高森先生は信心決定したと言ってますが、本人も言ってるように、真実知らされれば、仏恩報謝せずにおれないのではないのですか?なぜ間違った教えを、親鸞聖人の教えと嘘をつき、会員を騙してるんですか?
私は、色んなものを失い、それでも必死に自分を肯定し、学生時代は無駄じゃなかったと言い聞かせてきました。騙された怒りよりも、今はただ悲しいです。
投稿: | 2010年3月28日 (日) 01時26分
本来ならばコメントへの返信は良くないですが、失礼します。
善意に解釈すると高森会長は、信心決定しているが、長年周りの人から称賛ばかりを受け、また会長が親鸞会を自分勝手に出来るシステムを作ってしまったが為に、信心決定した人でも無くならない煩悩が増長して今のようになった。
悪く解釈すると、会長は信心決定したと思い込んだが実際は違った。
両方に共通するのは、最初は浄土真宗(らしきもの)を活性化させたい(自分の力で)と思っていたが、手段を選ばず布教したために(嘘をつけばつく程辻褄合わせに益々嘘が多くなるように)だんだんタガが外れてしまい、完全なカルトになってしまった。
大まかにはこんな感じでないでしょうか。
投稿: | 2010年3月28日 (日) 08時43分
性格からくる言動は本人の努力ですので仮に信心決定したとしても我欲だけに従っていたら何でもします。救われたらしき人でも?の行動をされるような人はいます。人格者が救われる訳でも、救われて人格者に変わる訳でもありません。だからそのあとも聞法精進が大切なんです。ご恩報謝と称してやっているうちに自分を認めてほしくなってしまったんでしょうね。最初はそうでもなかったのかもしれませんが、教えに無知で努力を怠った上に正本堂を建てて自分の力を示したいが為にお金を集めるために浄土真宗に勝手な解釈を加えて後生は地獄と脅して知識だのみから逃れられないようにし、救われない教えにして講師会員をゴールのなき偽の信心決定に向かわせて一生自分にお金と労力を集めさせるようにしてしまったのが高森会長です。謝罪とか反省とかいうことは人に要求することであって自分の中にはないという人物が高森会長のようです。無知と傲慢は恐ろしいと思います。
投稿: | 2010年3月28日 (日) 09時34分
親鸞学徒に5月になりましたが、やはり私も高森さんに騙されたんだ。親鸞の本当の教えなら良いが珍しき法の会に想いました。親鸞直筆のコピーの名号も入会金5万円でいただいたものと思っておりましたが、脱退時、死亡時には返却下さいとの事。高森さんの誹謗罪、親鸞聖人を商売にした罪は新興宗教と同じく救いようが無いとおもいます。
投稿: | 2015年6月 1日 (月) 04時35分