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投稿:会員の後生を見捨てた布教局長のおかげで目が覚めた(2)

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○親鸞会の教義がおかしくなってきた。
○長年活動をしていた人間的に信用出来る人が、誰にも本音を言わずに辞めていった。
○確認書という名の奴隷の誓約書を書かされた。
少なくとも、親友部員は辞めた方が良さそうだと春頃には考え始めていました。

日曜日の度に、高森会長の説法がある度に苦しくて苦しくてどうしようもなく、ある人に相談しました。その時恐ろしい事実が判明しました。サンキューの営業や寿司をつくる仕事等で、なかなか聴聞出来ないY店長がある時「会長先生のご説法を聴聞出来る環境にしてもらえないでしょうか」(具体的には店を休業する、代わりが出来る人に応援に来てもらう等です)と布教局長に嘆願しました。それに対する返答が「聴聞は自分の責任ですることだ、自分で何とかしなさい」だったのです。

Y店長は布教局長と何十年来の付き合いがあるそうです。店長の奥さんは布教局長が入会させた程です(Y店長本人からは滋賀県の店をたたんで富山県に来たのは、布教局長がサンキューの総責任者だったから信頼出来ると思ったからだと聞きました)。それだけ縁の深い会員で、しかも直属の部下であるY店長の後生さえ心配出来ない、そんな布教に会員1人1人の後生を心配出来るはずがない、そうとしか考えられません。それを見抜けないのか、確信犯なのかはわかりませんが、聴聞に極まるという最重要の教義さえ理解出来ていない光晴氏を布教部門の最高責任者に任命している高森会長にも、強い疑念を抱かざるえなくなったのです。

その日は、もう頭の中は真っ白で、先は真っ暗な状態でした。私は親鸞会に、高森会長に騙されていたのだろうか?騙されていたのかもしれない、という考えが浮かぶことさえ苦しくて辛くて・・・、数日間悩み続けました。

5月末に行われた高森会長の親友部員対象(講師部も参加はしていました)の座談会も私の気持ちに影響がありました。これは急遽行われたにも関わらず、1人5000円の御法礼が各部門毎に集められました。

親友部員が質問して、高森会長がそれに答える形式でした。その中で特に印象に残った質問があります。親友部員のある女性が、「先日の懇親会(福徳会員対象)で会長先生は『私達がどんな活動をすることを阿弥陀仏が望まれているのか、その御心を知って活動することが大切だ、私は常にそれを考えて活動をしてきた』と仰られたと参加者から聞きました。新型インフルエンザが流行している今、私達はどのような活動をしたら良いのかよく考えます。阿弥陀仏は私達にどんな活動を望んでおられるのでしょうか?それを知るにはどうしたら良いのでしょうか?」というような質問をしました。

高森会長の答えの結論だけをいいます。「本師本仏の阿弥陀仏の御心がわかるのはお釈迦様のような仏様だけだ、私達人間にわかるはずがない」でした。

座談会は1日の予定でしたが、途中で高森会長が不機嫌になってしまい「こんな本音を言えないような、堅苦しい座談会をしたかったのではない、こんな雰囲気なら午後はやらない」と言い午前の部が終わりました。午後はなんとか予定通り行われましたが、その影響で人生相談のような座談会になってしまいました(後輩に注意する時気を付けるべきこと等)。午後は教義的な内容はほとんど出ず、ハッキリ言えば時間の無駄でした。事前に5000円の御法礼を集めて、100人以上の親友部員が仕事を放り出して集まった(講師部も含めると約300人)にも関わらず、会長は堅苦しい説法をしたくない、と言ったのです。それに疑問を持たない周りの親友部員にも疑問を感じました。

高森会長は「一緒に徳水館に入りながら話すようなざっくばらんな、こんな内容の座談会がしたかったのだ」と言っていました。では、なぜ5000円という普段の行事と同じ額の御法礼が徴収されたのか、私には理解出来ませんでした。もしも高森会長が親友部員と仲良くしたいという意味での座談会だったならば、会長から『今日は阿弥陀仏の救いに関して以外の話をしたから御法礼はみんなに返す』とあって当然だと思いました。

なお最近の顕正新聞に漫画が増えているのは、この座談会が原因です。参加した親友部・講師部に対して、会長が「みんなは、漫画は好きかな?」という問いをしました。それに対して全員が「イエス」という返答をしたからです。

その後、同朋の里でもある支部対象で高森会長の座談会が行われたそうです。しかし、同じ敷地にあるサンキューで働いていた会員や、すぐ側の本部会館でビデオ御法話をしていた支部の会員は、その事を知らせてもらえませんでした(会長座談会があることは、事前に施設課等の何人かで準備をしたそうですので、当日急遽決まった訳ではありません)。どんな人にも死んだら後生に大変な一大事があると50年以上会長自身が説いてきたにも関わらず、聴聞出来るはずの会員の後生が無視されたのでした。

高森会長も信用出来なくなり、光晴氏という最悪の縁から早く離れたいと思い、親友部員を辞たい旨を上司に伝えました。I親友部長やT店長、Y店長等の人からは私の今後(求道と再就職)について心配されました、もちろん説得もされました。当然のことながら、高森布教局長が私を心配しているという事は、誰からも聞きませんでした。

梅雨になる前に親友部員を退任しました。その時にはまだ、親鸞会の会員は続けるつもりでした。

2週間程たって落ち着いてからインターネットを検索すると、親鸞会の問題点を示すサイトを見つけ、その多さに驚きました。私の白道、さよなら親鸞会、苦笑の独り言、安心問答、清森問答、高森先生の親鸞会教学を検証する、捏造と捏造された不倫事件の真相等はもちろん、親鸞会側のサイトもすべて見ました。

まず情報の正確さにビックリしました。その中にあった会長の食生活に関して3つの出来事を思い出しました。

1つ目は私が顕真学院任務の時に1年間以上の長期間にわたって、本部の行事の時、12時25分頃正本堂6階配膳室にいっていました。高森会長に味噌汁の味見をしてもらうためです。顕真学院では、美味しい味覚(高森会長好み)も学院生に学ばせなければならないという理由でした。

2つ目はお忙しいはずの高森会長が、麺の出汁やタイヤキの味見をしに1週間に何回もサンキューに来ていた事です。麺の出汁の味には特にこだわり、会長は「売れないのは味が悪いからだ」と言ったり、「こんなもの食べれるか」と食べかけの丼をひっくり返したりしていたとパートさん(非会員)から聞きました。なお、会長が旨いと言ってから半年経っても麺の売上は変わりませんでした。

3つ目は、私がレストラン祇園にいた頃に、O料理長(非会員)の出す料理に会長が点数をつけていたこととです。会長は極端な好き嫌いがあり、出した料理には必ず食べ残しがありました。すべてのお金や物は仏法領と指導しているにも関わらず、です。

私が1番衝撃を受けたのは、私の白道です。元講師の方の苦しみが自分の事のように感じられました。そして、光晴氏が部下と不倫をしたらしいこと、それ以上の問題である、高森会長が不倫事件を無理矢理揉み消したことが事実だとわかり(万一捏造ならば法的手段ですぐに閉鎖されるはずです)、これまで不可解だった事が繋がりました。

光晴氏は自分の名誉や立場の保身、色恋沙汰にばかりに目がいっているから、会員1人1人の後生を心配出来るはずがないのです。様々な証言と私自身の体験から導き出されたのは、光晴氏は会員の後生を心配するどころか、後生の一大事そのものを信じていないという答えでした。

そして、そんな光晴氏の心に講師部の幹部は気付かないのか・・・?と考えた時に、私が顕真学院で仕事をしていた頃の事を思い出しました。

学院では「組織の私物化は絶対してはならない」と、学院生に対して厳しい指導があります。ところが学院長や教授(上司)の立場にある講師部員は、かなりの我が儘をしていました。食事に『各講師のこだわりや好き嫌い』がありました。例えばメニューが豚カツの時、肉を食べない講師には別に焼魚を用意しました。丼(ご飯の上に何かをかける料理)が嫌いな講師(個人的信条が理由)には、わざわざご飯と別の食器に丼の具を盛り付けました。各講師の個人的な我が儘が、些細なこと(フォークを使わない講師の席には置かない、食器を置く位置等)も含めて、たくさんありました。

運転出来ない学院長がパーマに行くのに、親友部員が(任務時間中)送迎をすることもありました。これらは振り替えって考えると、正に組織の私物化でした。顕真学院等での指導は立場が弱い者への建前で、光晴氏やそれに類する人達は、おかしな言動を数え切れない程していました。

私が最も気になっていた高森会長の説法内容(教義)が変化してきた原因は、チューリップ企画の山田氏と田中氏の法論だとわかりました。1番大事な阿弥陀仏の18願についての間違いを指摘・暴露されたために、辻褄合わせをしようとしたことと、年老いて思考が衰えてきたことが重なった結果、教義の様々な歪みが目に付くようになったのでした。

しかも『最近の高森会長の説法・教義』が間違っているのではなく、『根本から間違っている教義』を、説法の上手な高森会長が『巧みな話術と断章した聖教の御文』で正しいと錯覚させていたことが最近証明されています。(親鸞会教義の誤り等を読むと、高森会長は阿弥陀仏を軽視していて、教義を論じる以前の問題だとわかります)

騙されていた自分があまりにも無様で、情けなくて、悔しくて、辛くて、それを認めたくありませんでした。心の涙がとまりませんでした。しかし、これ以上傷口を広げたくない、ただその一心で、一刻も早く親鸞会を辞めようと思いました。

それから、本部会館に支部長宛の手紙を、以下の内容で出しました。インターネットを見て、親鸞会教義と組織の間違いがわかりました。支部長には大変お世話になりましたので、警察沙汰にはなりたくありません。今後は一切電話や手紙等で連絡をして来ないでください(要約)です。親鸞会の本尊(正しくありませんので単なる本尊です)も同封して、書留で郵送しました。

その後は、私の後生の心配よりも警察沙汰にしない方が重要なのか、支部長からの連絡は一切ありません。

この投稿を目にされた皆さんへ

私はレストラン祇園、顕真学院、サンキューと働いていました。親鸞会に対する怒りはもちろんありますが、幸い私はまともなところに就職が決まりました。相談にのって下さった元会員の皆さん本当にありがとうございました。

この投稿文を関係者に読まれたら、投稿した私が誰かすぐわかります。親鸞会の内部でどれだけ酷い悪口を言われるか、わかりません。しかし、皆さんに少しでも親鸞会の隠された実態を客観的に知ってもらいたい、と願い投稿しました。

私は自分がなぜ親鸞会に魅いられてしまったのか考えました。すると私は、これまでの人生で、毎日の生活の中でや未来に感じる不幸の数は1から10まで数えているが、幸せの数を数えようとしなかった心が本であったと感じました。そこからくる不安な思いを助長され煽られて、『必堕無間』と刷り込まれて、高森会長は真実を教える人だと信じ込まされてしまったのだと思います。

私は皆さんが単に親鸞会を辞められるのではなく、1日も早く高森親子の呪縛から解き放たれて、意識改革をされて、自分自身が本当に幸せになれる未来へと向かって踏み出されること、それだけを願っております。

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コメント

お気持ち、よくわかります。
会長は、とんでもない詐欺師です。それに従っている側近も同罪です。

以前は親鸞会は、組織がおかしいと昔から言われ続け、会長がその事実を知らないことが問題だ、という批判が多くありました。

しかし、今や組織がおかしいのは、会長がおかしいからだとハッキリしてきました。それどころか、教えまでもが最初からおかしかったと白日の元に晒されてしまい、親鸞会に在籍する意味がないどころか、親鸞会に在籍していることが謗法罪ですらあります。

以前の投稿で後生の一大事があるから親鸞会を辞めないという会員が多いとありまして、それがきっかけで「親鸞会教義の誤り」が始められたと聞いたことがあります。

親鸞会は確実に追い詰められています。どこまで存続するのかはわかりませんが、近い内に大きな変化が起こると予想しています。

会員は、運命を高森親鸞会と共にする筋合いはありません。即刻退会すべきです。

投稿: | 2009年11月28日 (土) 15時19分

私は教義よりむしろカンの鋭い人はすぐにおかしいとわかります。会員は教えがわかっていないからというがどの宗教も同じです。 壁画を購入だけでもおかしいと分かるはずです。Y店長っていつも新聞にのってる店長でしょ?腕あるんだからさっさとやめてサンキューをつぶしたらよい。あんな詐欺な営業なら訴えても勝てますよ。

投稿: | 2009年11月28日 (土) 19時02分

お仕事見つかって本当によかったですね。大変辛い中、良く頑張ってこられましたね。騙されたとわかった時のショックは経験した者にしかわかりません。気持を切り替えて、新しいお仕事頑張ってください。劣悪、最低の環境で、こんなに辛抱できたのですから。もう浮かぶしかないですし。元会員の方々も力になってくださって嬉しかったですね。本当に色々、感謝、感謝、有難かったですね。
 きっと、今後は、この方は、素晴しい活躍をなさるに違いありません。職場の皆さんにも可愛がっていただけると思います。
 益々のご多幸とご発展を祈念いたします。そして、願わくは、今、この場で、阿弥陀仏の本願に救われてください。

投稿: | 2009年11月28日 (土) 21時19分

この文章をうちのSNSで紹介したら、

>こういう組織が50年も続いているなんて……
>ここの代表者は心が痛まないのでしょうかね。

>……痛まないからできるのか。
>なんか、悲しいよぅ。

という女性のレスがありました。
不安や不幸の数を数えるより、顔を上げ眉をあげて幸せになる未来を見つめていって欲しいな。

ご苦労様でした。
しばらくは宗教というものに近づかない生活をなさるのがよいと思います。
いまは、仕事先の仲間や環境に順応するようにという貴重な時間なのでしょう。

新しい生活、頑張ってね、でも頑張れない程には頑張らない事だな。

投稿: 林遊@なんまんだぶつ | 2009年11月28日 (土) 22時07分

サンキューは潰れるのも時間の問題。潰れないのは、店員が、会員だから。それだけです。 
店を作って、売上をあげるには、それなりのリサーチが必要。サンキューは会長の思いつき、経営のイロハはもちろん、簿記のボもしらないバカ息子ですから、赤字は当然。立地条件、価格、年齢層、人口などあらゆる調査が必要。

投稿: | 2009年11月28日 (土) 22時09分

 会員の御放射が続いている限りはどれだけ赤字でもサンキューはつぶれないでしょうね。親鸞会本体が破綻するときがサンキューが閉店するときでしょう。

投稿: | 2009年11月28日 (土) 22時19分

よく不況で見つからないというが、やりたいことがある、資格をもってる、コネ、これをもってればそこそこ優良企業にはいれます。 親鸞会は最悪だが、時間、金銭については学んでるから、人間の基礎はできてるからMCから解放されれば、安泰だな

投稿: | 2009年11月28日 (土) 23時55分

バカのM春は、親鸞聖人の御教えを 全くわかっていません。
ケンシンでの特集。 「同志が寄れば仏法讃嘆」  「弥陀の願心伝える」
テーマ「法施」で 法施とは法を施す。と 言いながら、
よく読めば、両親を誘え、友達をつれてこい。 
ただの人集めです。こわいねカルトは。
退会した方よかったね。冷静に見れば M春は 冷酷非道なカルトの
親玉です。他の方も早く 目覚めて下さい。       

投稿: おすぎ | 2009年11月29日 (日) 00時20分

人生なげうって、真面目に 真摯に 求道している 会員さんは、
ほんと、けなげで、涙ものなんです。

でも、会長は、善知識、先生という、自称、大変偉いところで、言葉は
謙虚であったが、それが コトバだけ ということは すでにばれているし、その息子の局長は、若いときから、二代目のプライドかわからないが
傲慢さは、隠しとおせない、結局は やからであった と 感じる。

高森一族は ちえこさんも含めて 自分らが 阿弥陀仏の代わりと
思っている錯覚 勘違いを 悟るべきだろう。

多くの会員を 迷わしている 罪は重く とても 人間のすることでは
ない。 確信犯なら目もあてられないぞ。

投稿: たか | 2009年11月29日 (日) 00時55分

ホントにMハル様様ですよ。
あの人のおかげで目が覚める人は多いんじゃないでしょうか。
ただ、Mハルの影に隠れて目立ちませんが、ホントにしょうもない人間は会長なんでしょうね。

ホントにしょうもない親子だ。

退会された方は本当に良かったですね。
気持ちを切り替えるのに時間は必要だと思いますが、焦らず頑張って下さい。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 01時46分

本当によく今まで耐えてこられましたね。
切なくて涙が出そうです。

最近は根本の教えが間違いだからおかしいと思い始め、調べてあーやっぱりとなるようですね。自分もその1人ですが…

・一切衆生必堕無間は、勿論一切経に出ていない言葉である。
・「善をしなければ信仰は進みませんよ」は諸行往生。19願の行信の結果は臨終来迎の化土往生です。
・善知識に無条件服従せよとは外道の教え。昔の新聞見たらわかります。
・若不生者の「生」の解釈の誤り。親鸞学徒なら親鸞聖人のお言葉に従うべき。
・念仏を軽視し、ひたすら諸善(主に財施と破邪顕正)を説く。金集め人集め。
・二種深信の解釈違い。
・帰命無量寿如来 南無不可思議光の解釈の間違い。
・過去の因を知らんと欲すれば〜の言葉を、○○経の言葉と言ってるのは親鸞会と日蓮宗だけ。
・御遺言鈔というものは存在が不明。
などなど。思いつくだけでかなりあります。
投稿した方が調べたブログに書かれていますから、まだ知らない方は興味があれば一読されたら如何でしょうか。

教えが間違いばかりで炎上していますから、おかしいと思う所が雨後の筍のように出てくるわけですね。
例えば自分は驚愕講義ではほぼ最前列へ言っていましたが、Mは大抵おつとめ時にいないんですよ。
忙しいから事前に済ませてるのではと皆思ってるか知れませんが、忙しいなら尚更一切の用事を片付けて、会員と共におつとめするのが会をリードする立場の者ではと考えていた私は不審に思っていました。
Mは会のおかしな部分に気付かせてくれる点、ある意味善知識かも知れませんが、許すべからざる会の片棒担ぎに変わりありません。

まだ決心がつかないが揺れてここへ来た会員さんは、悪いこと言わないから早く辞めましょう。

投稿: 真偽検証 | 2009年11月29日 (日) 02時23分

光晴氏は、会員の後生どころか、自分の後生も気にかけていません。
会長は、身内の後生を気にかけていないのですから、ましてや
会員の後生をなぜ気にかけるのでしょうか。

> それに疑問を持たない周りの親友部員にも疑問を感じました。

親鸞会の方針、会長の言動については、どんなにおかしいことにも、
疑問を持たせないという親鸞会の洗脳教育により、
疑問を持つ事ができないような精神構造となっているのだと思います。
その中、疑問を持つことができた投稿者の方は立派だと思います。
疑問を持つ人から順番にやめていっていることでしょうから、
今、残っている人は疑問を持たない人が多いのだと思います。

実際のところ、どうなんでしょうね。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 03時49分

こんにちわ。あーよくそこまで耐えてこられました。私のも学生時代に勧誘され自分では正しい道を歩んでるつもりでいました。このようなサイトを読ませていただき間違っていたことにきずかされました。私の身近にも親友部員の方がいていろいろ顕正新聞を読み聞かせてくれますが、本当に一生懸命にされているの姿に涙がでる思いがします。親鸞会の人たちは知識ばかり詰め込んで、無常と罪悪。この二つを徹底的に突き止めることがないと教えてもらいました。組織の維持に心血注ぐよりももっとやるべき原点があるのだと思っています。せっかく真宗が唯一救われる道を説かれていると自覚できた方々なのです。他の道を歩まれることが出来るといいですね。

投稿: 時 | 2009年11月29日 (日) 08時54分

サンキューの労働実態について、所管の労働基準監督所に通告したらどうですか。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 09時46分

内部告発っていうのもあるんだろうが、親鸞会の元会員にも、お世話になった方もいてできないっていうのもあるでしょうね。   それと、サンキューの職員は、マインドコントロールされてるし、店長も一般の店で働いていたわけやから、対策はしてあるだろ。なんかあったら、腹黒い馬鹿息子はにげるだろうよ。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 10時39分

親鸞会の職員は、仕事と給料の割にあってないだろ。親鸞会の職員は特に高学歴の人もいますからね。民間で働いて聴聞したほうが、上納金もだせるし、運営にはプラスになるが、親鸞会のバカども(高森一族)はわからないんだよな。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 10時42分

>・「善をしなければ信仰は進みませんよ」は諸行往生。19願の行信の結果は臨終来迎の化土往生です。
>・念仏を軽視し、ひたすら諸善(主に財施と破邪顕正)を説く。金集め人集め。

同感です。私は以下のように思いますが、現役の会員さんはどのように考えますか。

歎異抄 (2)

おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、
たづねきたらしめたまふ御こころざし、
ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。

※「善をしなければ信仰は進みませんよ」を「善をしなければ往生極楽のみちを進みませんよ」と解釈すれば
※「念仏よりほかに往生のみち」を知らないと仰せの親鸞聖人の教えに反することになります。

しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、
こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。

※「南都北嶺にもゆゆしき学生たち」の教える「往生の要」は
※「諸善」「善をしなければ信仰は進みませんよ」でないのだろうか。

もししからば、南都北嶺にもゆゆしき学生たちおほく座せられて候ふなれば、
かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、
よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。
(乃至)
そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、
念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。
いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
(乃至)
詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。

※「いづれの行もおよびがたき身」と知らされるために
※「善をしなければ信仰は進みませんよ」と親鸞聖人は仰せだろうか。

このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと[云々]。

※このうへは、「善をしなければ信仰は進みませんよ」をとって信じたてまつらんとも
※念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと[云々]。
※現役の会員さん、私はこうのように思えますが、いかがでしょうか。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 12時06分

確かに、会長に助言したり、ブレーキを掛けたりする人がいなくなったのも、崩壊を早める原因だったかもしれません。それ以上に会長の話す教えが、助からない、間違った教えだという事が判明したから、会員がどんどんやめていくのではないでしょうか?
 信心決定したいから、会長や息子の非人間的な行動や理不尽な指示にもみんな長年耐えてきたのでしょう?

投稿: | 2009年11月29日 (日) 13時25分

教えの間違いとか理不尽なやりかたはなるべくしてなったかな。だから崩壊に近づいた。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 14時05分

味はプロ、複数の第三者が決めること、祇園の食事の味を高森会長が決めたならば、料理味見は失格です。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 14時07分

法然、親鸞両聖人が流刑に遭われても、守り抜こうとされた御教えを、反故にすることを、よくぞ50年も真実だと、垂れ流し続けられたものですね。
 会長、善知識に成りすまして、集めた会員に求道ごっこさせて高みの見物をしていた生涯は満足でしたか?
 あー、もう善知識が板に付いて、詐欺をしている感覚もないんですよね?
 あなたの自己満足の下らない、ごっこ遊びに付き合わされて、何千、何万の有能な若者が人生棒に振ったんです。投稿者も含めてね。
 あなたが会など立ち上げないで、K会で二番手で、北陸支部でやっていてくれたら良かったと思っている人は多いでしょうね。無理ですね。何でも、1番がお好きなようだから。
 今更何を言っても、終わった事は仕方がないですけど。富山の本堂で説法できないなら、F館やめたらいかがですか?もう作る意味ないでしょ?おねだりやたかる事ばかりでなく、少しは会員さんに還元する事考えたらどうでしょう?

投稿: | 2009年11月29日 (日) 15時06分

>念仏をとりて信じたてまつらん
※「雑行をすてて、念仏を信じる」というと「善をすすめない、悪をすすめる外道」と反論する人がいるかもしれませんが、

御文:それ当流門徒中

それ、当流門徒中において、(親鸞学徒において)
すでに安心決定せしめたらん人の身のうへにも、(信後の人も)
また未決定の人の安心をとらんとおもはん人も、(信前の人も)

こころうべき次第は、

●(世間:どう生きる)
まづほかには王法を本とし、諸神・諸仏・菩薩をかろしめず、また諸宗・諸法を謗ぜず、
国ところにあらば守護・地頭にむきては疎略なく、かぎりある年貢所当をつぶさに沙汰をいたし、
そのほか仁義をもつて本とし、

蓮如上人:また外には仁・義・礼・智・信をまもりて(御文:毎年不闕)
仁  - 人を思いやること。
義  - 利欲に囚われず、すべきことをすること。
礼  - 仁を具体的な行動として、表したもの。
智  - 学問に励む
信  - 真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。

親鸞会:六度万行
布施 - 人に物や法や親切を施す
持戒 - 言行一致
忍辱 - 忍耐
精進 - 努力
禅定 - 反省
智恵 - 上の五つの善をまとめたもの

●(出世:なぜ生きる)
また後生のためには内心に阿弥陀如来を一心一向にたのみたてまつりて、
自余の雑行・雑善にこころをばとどめずして、
一念も疑心なく信じまゐらせば、かならず真実の極楽浄土に往生すべし。

このこころえのとほりをもつて、すなはち弥陀如来の他力の信心をえたる念仏行者のすがたとはいふべし。

●(念仏の信心)

親鸞聖人:このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、
蓮如上人:かくのごとく念仏の信心をとりてのうへに、なほおもふべきやうは、

(乃至)その御恩報謝のためには、ねてもさめてもただ念仏ばかりをとなへて、
かの弥陀如来の仏恩を報じたてまつるべきばかりなり。
このうへには後生のためになにをしりても所用なきところに、
ちかごろもつてのほか、みな人のなにの不足ありてか、
相伝もなきしらぬくせ法門をいひて人をもまどはし、
また無上の法流をもけがさんこと、まことにもつてあさましき次第なり。

親鸞聖人:面々の御はからひなりと[云々]。
蓮如上人:よくよくおもひはからふべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

※当流は「善をすすめない、悪をすすめる外道」でないことがわかります。
※現役の会員さんには「人をもまどはし、また無上の法流をもけがす、まことにもつてあさましき」教義から速やかに離れてほしいと思います。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 15時55分

 会長、布教局長は部下である講師部員の目をじっと見つめて話すことなんてあったのでしょうか?
 財施で御殿をいくつも建設したり、自分にとって気に入らない質問をした者を、相手に後生があることが痛いほど判っている(?)にも関わらず簡単に除名にしたり、厨房で味見をして味が気に入らなければ丼をひっくり返す行為からは、人の目の奥にある痛みを感じることよりも、自分のことを考えることを優先する姿が強く印象づけられます。
 親鸞会では奉仕活動をする者を、雑毒の善をしているに過ぎないと教えていますが、人の痛みを感じて行動出来る者の方が、財施で豪華な食事をすることが当然と思っている人物よりも、血の通った熱い本物を持っている人のように思えてなりません。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 16時27分

会長も、息子も心を許せる人などいないと思います。会長と息子はお互いすねに傷を持っているもの同士で、お互いを補完し合わないと、お金や人を集める組織が維持できないから、我慢し合って暮しているのでしょう。
 二人とも、頼れるものはお金や名声だけなのではないでしょうか?
 そうなら、とても悲しいと思いませんか?
 何の為に、会員さんの多くは食べたいものも食べず、着たい物も我慢して、その他、生活の全てで、節約に徹してきたのでしょう。それが、そのまま会長一族の欲を満たすことに利用されただけだったのだとしたら。
 

投稿: | 2009年11月29日 (日) 17時42分

○教義面の誤りアニメ編
・親鸞聖人獲信の場面。
法然上人は「よく聞き抜かれた」と仰っている。聞き抜かれた=獲信だから、他人が獲信したかはわからないと言っておきながら、法然上人は親鸞聖人が獲信されたことをわかったことになる。
・体失不体失往生のじょう論の善慧房のセリフ。
「体失してこそ往生は遂ぐれ」を「どんな人でも、念仏さえ称えれば、死ねば必ず極楽浄土に連れていくという、有難いお約束です」と訳して田中一憲氏からツッコミ。
・信行両座のじょう論
「ここに数百人の門徒羣居すといへども、更に一言をのぶる人なし」とあり、行の座へ入っていった人は誰もいない。
・善鸞義絶。
主な義絶の理由は、造悪無碍の異安心是正に関東へ派遣された善鸞が、賢善廃悪にとらわれて念仏を廃したこと。善をしなければ助からない、というような事を言っていたと歎異鈔2章からも推察される。
・王舎城の悲劇で、修行者の命はあと3年。
・韋提希夫人は、阿弥陀仏のお姿を拝する前に「地獄しか行き場のない私でした」と助かる縁手がかりのない自己を知らされている。間違い。本当は救われた一念の時、無有出離之縁と深信する。

アニメ作るのはいいが、お聖教や史実に忠実に作りましょう。まぁ忠実でないおかげで誤りに気付けるわけだけど。

投稿: 真偽検証 | 2009年11月29日 (日) 21時19分

会員さんは、食べたいものを我慢して、買いたいものを我慢して報謝されてます。それを、簡単に除名にしたりするのは、言語道断。高森会長やバカ息子が尊敬されてると思いがちだが、会員は尊敬されてると思いがちだが実際は、嫌われてますよ。 
犯罪に等しい。 

投稿: | 2009年11月29日 (日) 21時24分

かつて、学院の講義でT晴教授(会長の二男であり、M晴局長の弟)が、高岡会館での25周年の時、何人だったか記憶が曖昧ですが、「ワシが講師部に入りたての頃(?)に、参詣確約者が目標に中々届かずにいると、会長先生から『○○人集められなければ法話はしない!』と言われ、必死になって目標人数を集めたものだ」と自慢げに講義していました。

この時は「それも深い御心だ」と信じ切っていましたが、今思えば親鸞会の人集め・金集めは結局のところ会長から始まっていたのだと思います。
昔はまだ良かったという意見も散見されますが、それもとんだ思い違いであり、親鸞会(徹信会)結成以来終始一貫して人集め・金集めが会長の腹の内なのではないでしょうか。

今回投稿された方とは恐らく学生時代に一緒に活動した事があると思いますが、辞められて本当に良かったと思います。
(よかったぁー! ←知る人ぞ知る「良かったオジサン」)

過去を振り返ると色々と悔しい事もあるでしょうが、頑張って下さい。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 22時42分

親鸞会は報告だらけ。どうでもいいことでもです。プライバシーの侵害ですよ。例えば休憩時間にジュース飲んだだけで報告した先輩もいました。
親鸞会は金、人集めじゃないっていうが、まさに金集め、人集めです。気付かないのは高森会長とバカ息子だけ。会長の次男はあまり表に出てこないが、バカ息子に比べれば頭はいいだろう。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 23時01分

よかったオジサンwwwなつかしいな(笑)
あの人、今頃どうしてるんだろうなぁ。

投稿: | 2009年11月29日 (日) 23時37分

死んだときいた

投稿: | 2009年11月30日 (月) 00時18分

つらい経験でしたね。しかしながら退会したことで、今後は自らの意思で前に進んでいくことがきっと出来ます。
どうも同期の方のような気がしてなりません。これからの幸せを願っております。

私が退会するきっかけの一つになったのもまた、食事関連の会長の言動でした。

かつて祇園のカレーはとても美味しく、私の個人的なカレーランキングでは現在でも第一位と言ってもいいくらいの味でした。
いろいろ苦しい会での活動の中、祇園で食べるカレーだけは楽しみでした。
店長が何年も修行して苦労して生み出した味だと聞いていました。確かにそれだけの職人魂を感じる味でありました。

ところがブラジルでの法話の時だったか、会長がカレーを作ったんですよ。
すさまじく辛くて、食ってるうちに美味いとか不味いとかを超越するようなヤツでした。
「カレーはこのくらい辛くなければ駄目だ」
と自信満々に言ったあと、
「これからは祇園のカレーもこれ式になるそうです」
と満足げに話していました。
私は思わず店長のほうを見ましたが、なんというか、かしこまったような表情をしていました。
あれだけ美味しいカレーを何故辞めてしまうのかと、私はショックでした。
プロが何年もかけて築いた味を、どうして捨ててしまうのか。
会長は仏法についてはプロかもしれないが、料理のプロではないのだから、そこまで従う意味がわかりませんでした。
MCのせいか、当時は「店長、やり過ぎじゃね?」と思うばかりで、まさか会長の押し付けだとは考えもしませんでしたが。
今から思えば、そういうことだったのかと明らかに知らされた思いです。

何にせよ、無条件服従に対して「?」が浮かんだ出来事でありました。

投稿: ぽぽんた | 2009年11月30日 (月) 09時01分

祇園のカレーの話、懐かしいですね。
確かにあれはうまかった。ものすごく凝ったカレーで、確かカレー粉やルーは一切使ってなかったと思います。少し高かったけど祇園でしか食べられないすばらしい味でした。

現役の人は「たかがカレーくらいで」と思ってバカにするのでしょうね。でも、案外こういうきっかけが「一事が万事」で、高森会長の人格や会のあり方への疑問につながって行くのですよ。

今親鸞会に対して教義批判がありますけど、昔と違ってこそこそと会の内部で批判者の人格批判や反論(?)をするだけで、決して自分たちの教義を聖教を通じて客観的に検証しようとか、組織のあり方を反省しようとならないですよね。

同じだと思うんです。祖師である親鸞聖人に対して謙虚であるのと同じように、自分たちの外部の人や自分たちの生き様やあり方についても謙虚でなければならない。しかし親鸞会にはそれが全くない。だからいつの間にかみんなにそっぽを向かれてしまうんです。

世界唯一の真実の教えなのだから全て無条件に従え、批判するな、疑問を持つな。趣味や好みも善知識に合わせろ。これは正しい宗教の姿とはとてもいえない。そのことに気付いたきっかけがカレーだとしたらそれはそれでよかったのだと思う。

投稿: | 2009年11月30日 (月) 11時18分

ヨボヨボじいさんの味付けは若い人には受け付けない。高カロリーって言うのがわからないかなあ? 
食のプロに任せたらよい。

投稿: | 2009年11月30日 (月) 12時30分

ふつー年取ったらあっさりしたものが食べたくなるのが一般的だと思うが、高森会長は真逆。変わってるな。

投稿: | 2009年11月30日 (月) 15時45分

この方の投稿文2つと最新の教義の間違いの善の解釈のところをプリントアウトして、現役会員に見せたら、いきなり捏造だと言われました。そして、ここにはこう書いてあるけれど、説法ではこんな事は聞いたことがないし、弥陀の本願への疑いが晴れたら助かると先生は言われていると譲りませんでした。
 職員の方への不遇な待遇や理不尽な指示についても、「こうなるとわかっていたから、自分は会にと違う所に就職したし、嫌なら辞めたらいいし、そもそも、はじめから行かなければ良かったでしょ?」とまるで他人事でした。明日は我が身どころか、今も、会長や息子は職員の人ばかりでなく会員の一人一人に対しても、ただの金づるとしか思っていないことがわからないのでしょうか?人事とすまして言えるその神経に驚きました。
 多分、会のおかしな点も、人間としてやってはいけないことを会長や息子がしていることも知っているのでしょう。以前事務をしていて、郷里に帰って転職した現役会員もおかしな事を一々気にしていたら職員なんてやってられないというような事を言っていました。
 これが真実を伝える団体の人達の言う事、なのかとびっくりしましたが、自分が助かりさえすれば、人はどうなっても構わないのでしょうか?目の前の親や家族が苦しんでいても、それを振り切って、まず我が身の後生を解決しなければと思っているのでしょか?聖道門ではないし、、そのままで、救ってくださる本願ではないですか?親や大学に嘘をつくのも方便だからと指導されましたが、今考えるとそれもおかしなことでした。
 最後にアニメの死亡事故の時なぜ、責任者は活動をやめて、事故や故人の事を最優先しなかったのか尋ねると「あれは個人の起こした、事故だったからね」との一言でした。たしか、その人と亡くなった人とは、同じブロックで活動する、知り合いだったはずでが・・・・・。
 人間として、ごく当たり前の感覚を持った人には、とても、耐えられないところがこの会なのです。

投稿: | 2009年11月30日 (月) 18時27分

本当にどうしようもない会です。

21世紀の浄土真宗を考える会で、顕正新聞の記事が載っています。
会長に届いた手紙の内容から、罪悪観は自力・方便だと説法していたことがわかります。
自力は信一念で捨たりますから、会長が獲信しているとすると罪悪観が捨たっていることになります。

罪悪観がないのですから、罪を罪とも思わず、悪を悪とも感じず、どんな悪いことをしても懺悔も反省もない、人がどれだけ苦しもうが平気な、自己中心的人間になります。
だから今まで投稿されていた記事のようなことを平気でできるし、そんな教えを聞いている会員もまるで他人事のような対応をするのでしょう。


勿論獲信とはそんなダメ人間になることではありません。罪悪観は信前信後を通じて大事なことです。
この会は教義的にも組織的にも真宗とは無関係な団体ですから、親鸞聖人の名を語って外道の教えを弘めないようにしてもらいたいと思います。

投稿: 真偽検証 | 2009年11月30日 (月) 20時45分

いまだ会長になんらの疑問を持っていない会員さんには

会長の『本願寺なぜ答えぬ』に、紅媒氏の論文が全文掲載されていないのは、なぜか?

ということを検証してもらいたい、と言えばいいと教えて頂いたものですが、
はまっている人は、検証自体ができないんですよね。

投稿: | 2009年11月30日 (月) 21時20分

>会長に届いた手紙の内容から、罪悪観は自力・方便だと説法していたこと>がわかります。
>自力は信一念で捨たりますから、会長が獲信しているとすると罪悪観が捨>たっていることになります

罪悪深重・煩悩熾盛の私こそが弥陀の本願の正客です。。
というのが、念仏の教えじゃあないんですかね。

罪悪感を獲信というスペースシャトルを打ち上げる為の噴射ロケットみたいな方便と位置づける教えは
真宗じゃないでですよ。

投稿: | 2009年11月30日 (月) 23時06分

親鸞会会員はすぐに「捏造だ」と言うが何の根拠も無しによく自信持って言えるね。

投稿: | 2009年11月30日 (月) 23時20分

>親鸞会会員はすぐに「捏造だ」と言うが何の根拠も無しによく自信持って言えるね。

無理にでもそう思わなきゃ(自分で自分に思い込ませなきゃ)やってらんないんでしょう。
自己のすべて、人生をかけてやってきた事が否定されてしまうから。。。
でも、自分に嘘はつけませんよ。
いつか嫌でも目を覚まさなきゃならない日がきます。
だったら早く目を覚ましたほうが、他ならぬ自分が苦しまずに済むのにねぇ・・・

投稿: | 2009年11月30日 (月) 23時28分

根拠はやまほどあるし、やってることが捏造だろう

投稿: | 2009年12月 1日 (火) 04時38分

親鸞会会員が、親鸞会の批判に対して、「捏造だ」と言うのに、根拠が山ほどあるという意味ですか?(そうとしか取れませんけど…)

親鸞会が捏造を繰り返していることには文字通り根拠が山ほどありますけどねぇ…

投稿: | 2009年12月 1日 (火) 08時21分

この投稿を読むと、如何に親鸞会が改善出来ない団体であり、自浄作用のない組織なのかが良くわかりますね。
いろいろな出来事が出ていますが、それぞれの酷い実態以上に、それを何とマシにしようという努力を親鸞会上層部が全くしていない事が、大変よくわかります。

投稿: | 2009年12月 1日 (火) 12時31分

会の講師には2通りあると思います

幹部講師で会から色々貰っている人
 これらの人は会長の本性を嫌というほど見て来て、人間として尊敬など出来なくなっているけれど、信心決定するためには会長の話を聞かなくてはならないと固く信じているので、表面上会長に従っている。ただ、自分達も含めて元気な人が、誰も救われていないし、ネットで教えの間違いが指摘され始めているし、心が揺らいでいる人もいる。でも、家も建てたし。年配の人は今更、転職も出来ないし、会長存命中は、とりあえず、このまま動かずにいようかと思っている。半ば確信犯。

末端の講師で何も分らず会長命の人達
 そもそも会の断章教義のテストの点取り競争で優越感を保っている人が殆どなので、深い教義を知る機会もない。会長との縁を多くの人に持ってもらいたいと純粋に思っている。悪気がないので、余計始末に悪い。必死で動いている割に信心決定したいという感じが伝わってこない。阿弥陀仏の話は出来ないから、めったにしない。上司に絶対服従で、密告も厭わない。ロボットのような存在。でも、個人的には、結構いい人が多いのでとっても可哀想。

 本当に助かりたいと思った人から辞めていく、不思議な会です。残っている人は、法論も出来ず、内輪で、ネットや、元講師、K会、教義の間違いを指摘する人たちに対して、悪口や愚痴を言い合って安心しようとしています。
 正々堂々と、阿弥陀仏の本願を明らかにしようという人は皆無です。

投稿: | 2009年12月 1日 (火) 17時59分

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