投稿:会員の後生を見捨てた布教局長のおかげで目が覚めた(1)
私は大学生の時に親鸞会に勧誘されて、その後親友部員になりましたが、高森光晴布教局長のおかげで、今年退会することが出来ました。
昨年11月に親鸞会結成50周年記念大会がありました。親鸞会では『聴聞は親鸞学徒の命』『高森会長の直の説法を命懸けで聞かねば絶対に救われない』と常日頃から言われています。まして50周年大会です。これを聴聞しなければ、人として生きている意味はない、そんな者は阿弥陀仏に絶対に救われない、という雰囲気でした。
布教局長も日本各地や海外で「親鸞学徒の皆さん、万難を排して、後生の一大事解決のために、2000畳で善知識から、高森先生から聞かせて頂きましょう」等と、高らかな声で決死の聞法を勧めていました。
その頃の私は、サンキューの麺コーナーで任務をしている親友部員でした。麺コーナーはY店長責任の下で、麺類と寿司を作っていました(現在はあんしん弁当の横に寿司工場があり、1000万円以上の機械も設置されており、会長が百味寿司と命名しました)。
「50周年には、普段よりも大勢の会員が当然集まるだろう。会長先生は遠方から来られる会員さんに旨い寿司を食べてもらいたいと思われているんだ。その分たくさん寿司を作れないか」という指示(要約)が、事業部長である高森光晴布教局長からY店長にありました。
普段、行事日に作る寿司の量でさえギリギリでした。前日までに極力準備をして、当日の朝5時前から始めても完成に10時頃までかかりました。しかし、会長先生の名前まで出ている布教局長からの指示に、出来ないとは言えるはずがありません。Y店長は毎日頭を悩ませていました。
最終的に、50周年大会の1日目には当日販売用の寿司を通常の2倍の量、2日目は1日目の量に加えておとき用の寿司も100パック程作ることになりました。
量は普段の2倍ですが、握り寿司を作ることもあり、作業の手間は3倍以上になりました。(手が足りず握り寿司のネタは、生よりも味が落ちる冷凍の切身になりました。冷凍で良いから作るように布教局長から指示がありました)
当然人手が足りず、寿司に集中するために、麺コーナーの営業を休みたかった訳ですが、布教局長の許可がおりません。人手が足りないなら派遣社員を雇えと言われ、高い給料で素人の派遣社員を雇うことになりました。
Y店長は私に「自分は会長先生の御心にお応えするためには聴聞に行けない。責任者として寿司を精一杯つくる。お前も先生の御心に応えるために、我慢して寿司をつくってもらえないか」と言いました(店長からは強制ではありません)。
いくら会長先生の御心に応えるためとは言いながら、聴聞をせずに寿司を作っていていいのか悩みました。改めて言うまでもなく聴聞は親鸞学徒の命です。それに50周年大会の御法礼が2日で5万円と普段の報恩講以上に高額なのは、それ程大切だという意味と受け止めていました。また数年前、会長先生の説法中に弘宣部ビルまで荷物(係の任務に必要になった)をとりに行った親友部員が、親友部合宿で大問題にされていた事も印象に残っていたからです。
しかし・・・、Y店長の困りようを考えると、店長を見捨てて自分だけ聴聞にいっても良いのか?何日も悩みました。
聴聞と会長先生の御心を天秤にかける判断力は私にはないと思った結果、事業部長である高森光晴布教局長に、伺いたいと考えました。また通訳や看護等の係の任務で、当日まともに聴聞出来ない人は、後日特別にビデオ聴聞していることを知りました。それらの事を無難な表現を考えて、会長先生に1番近く、御心に1番近い布教局長に伺おうと考えました。
50周年大会の数日前、サンキューのEマネージャーに「会長先生の御心にお応えするために寿司を精一杯つくると、50周年大会の当日聴聞出来なくなります。そこで、後からご説法をビデオ聴聞させて頂きたいんです。布教局長に許可を頂きたいので、伺ってもらえないでしょうか」とお願いしました。こう伺えば50周年当日に、寿司づくりと聴聞どちらを優勢すべきか布教局長に判断して頂ける、私の心得違いを叱責されてもいいと覚悟してお願いしました。
バタバタと準備していると、あっという間に50周年記念大会当日になりました。
1日目は、完成した寿司を正本堂2階のサンキューの出店に並べ終えたときには、すでに11時50分でした。走って大講堂に向かいましたが、大講堂は一杯で中にも入れず、会長先生の顔も見れず、説法も最後の数言しか聞けず、すぐ恩徳讃になりました。
2日目、大講堂に正座出来たのは11時40分で、少しだけ聴聞出来ました。
50周年大会が終わった翌日、布教局長からの返答をEマネージャーに尋ねたところ、まだ伺っていないと言われ、心臓が止まるぐらい、びっくりしました。
布教局長の許可を得ずに、無断で会長先生の御説法中に寿司を作っていた事になってしまうからです。
50周年という最重要な御説法に無断欠席したのだから、ビデオ聴聞出来ないばかりか、私の聞法姿勢を問題にされて親友部員退任になるかもしれない、と覚悟をしました。
しかし、翌日マネージャーから、ビデオ聴聞の許可を布教局長からもらえたよ、と軽~く言われました。詳しく尋ねると、布教局長は気にされた素振りが全くなく、ビデオ聴聞していいという許可をもらっただけだと聞き、驚きました。
親鸞会では、上司の許可なしに行動すると、大変な問題になります。それを50周年大会という親鸞会史上最も重要な、これを聴聞しなければ親鸞学徒でないという会長先生の御説法を、無断で聞かなかった。しかも寿司(予約があったのではなく当日販売用)をつくっていたのが理由です。通訳や看護係のような、どうしても会員でなければ支障が出る任務ではありません。それなのに、おとがめが全く無しなのは、なぜなのか・・・?
そして心の中にあった、ある思いに気付きました。会員1人1人の後生を念ずる立場である高森布教局長に伺ったならば、寿司作りなんて馬鹿な事をせず聴聞しろ、と言われるだろう。そうでない場合でも、会長先生の御心に応えるためにするのだし、会員の皆さんが喜ばれるのだから、自分で決めたら良い、しかし後生の一大事は1人1人の問題だぞ、というような返事があると私は期待していたのでした。
高森光晴布教局長は親鸞会布教部門の総責任者です。親鸞会の中でも、会長先生の次に会員の後生を念じていて、会長先生に最も近い場所でその御心を感じでいるはずの人です。そんな布教局長が50周年大会を無断で聴聞しなかった親友部員に無関心だったのです。
50周年大会を聴聞しなかった事について、私は誰からも注意を受けませんでした。聴聞出来なかった事を知った一部の人からは、腫れ物を触るような対応を受けました。私の心には、布教局長と親鸞会に対する疑念が生まれました。
50周年大会の次の土曜日の夜、広宣部ビル5階でビデオ聴聞しました。しかし、私の心にはポッカリと穴が空いていて集中出来ませんでした。ビデオの最中ずっと、以下のような考えが頭の中をグルグルと回っていました。
私がサンキュー配属になってから、いろんな人から会長の説法を聴聞出来ているか心配をされたな。サンキューは休業日も無く、会長先生の御説法中も営業していたから。
I親友部長は、聴聞出来るように配慮してやって欲しいとY店長に言われていたな。ある親友部の課長からは、君聴聞出来てるのか?大丈夫か?と私と顔を合わせた時に周囲をはばからず心配されたな。支部長からも(任務に口出しは出来ないという意味を暗に含みながら)聴聞が1番大事だから、大変だけど少しでも先生から聞かせて頂けるようにしないとね、と何度も言われたなぁ。
布教局長からは、聴聞や後生を言及されることは一度もなかったなぁ。私だけでなく、Y店長や他のスタッフに関しても聞いたことがない。サンキューは、布教局長直轄の組織なのに。親鸞会の厳しい上下関係を考えれば、理由なんてなくても布教局長の一言で簡単にスタッフの行動を左右出来るにも関わらず・・。
そして、もし私が知らなければ、私が伺わなければ、私やY店長はビデオ聴聞さえも出来なかったことにも気付き、愕然としました。
50周年大会後、会長先生の御説法の日には勤行の時間に間に合うように到着しなさい、遅れる場合は時間と理由を担当支部長を通して布教局長に報告する制度が出来ました。
年が明けてから寿司工場が出来て、普段から寿司をつくる量が増えました。それからは勤行どころか会長の説法開始時間に、私は何度も間に合いませんでした。酷いときは11時で、到着してみると中休みの時間という事もありました。Y店長はもっと酷い状態でした。
Y店長の事はわかりませんが、少なくとも私が遅れることは、私は担当支部長に毎回報告しています。それを支部長は布教局長に報告しています。遅れて入るときには、正面玄関で中に入る時間と支部・名前を名簿に書いて入り、それらはすべて布教局長に報告が上がって、目を通しています。(遅れた会員がいる支部長は、注意を受けている事からわかります)しかし、何ヵ月たっても布教局長から、私やY店長に対する叱責や改善命令はありませんでした。
状況は悪化していきます。『売上金額』(利益ではありません)を伸ばさないと布教局長から叱責されるため、行事の度につくる寿司の量が増えていきました(普段の売上を伸ばす事は不可能ですから)。しかし、人手は増えません。
そんな最中、1月の教学講義で高森会長は阿弥陀仏の18願に死後の救いを約束されていない、と言いました。3月には、「易往爾無人」と聞いたとき、お釈迦様頭がおかしくなったんじゃないですか?と思わなければ求道は始まらないと言いました。大無量寿経の「易往爾無人」の前後をちゃんと読めば、しっかりその理由をお釈迦様が解説されているにも関わらずです。
その上、Eマネージャーが退職という通達が流れました。その時辞める理由を誰も知りませんでした。会長先生の教えられる事に間違いがないと言っていた会員歴30年近い人にも関わらず、退職していきました。
3月には親友部員全員に、サービス残業を強制する「確認書」が何の説明もなしに配られました。サンキューでは、会員の従業員の残業時間は毎月最低100時間以上です(パートは除きます、また休みは多い人で月に1日か2日です)。月に70時間の残業で過労死ラインですが、最低でも1.5倍です。もちろん誰も残業代を請求したことはありません。それは1人1人の志からです。
何の説明も無しに、サービス残業を強制させる文言を書かせる用紙を配る。しかも親友部員は採用された直後の給与は手取り約1、2福(あえて関係者にしかわからない単位で書きました)です。親友部になったのは、お金のためではないとは言いながら、この仕打ち・・・、奴隷になれという意味だろうか?法律上の問題や倫理道徳、人としての信義等を考えると、高森会長や布教局長等の上層部は頭がおかし・・・としか思えませんでした。
(2)へ続く
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コメント
もういい・・・。
糞布教局長よ、お前こそ地獄に堕ちるべきだ。
そして、会長よ、お前は一体会員の何なんだ?
投稿: | 2009年11月27日 (金) 15時13分
怒りがおさまらない。
投稿: | 2009年11月27日 (金) 15時16分
言葉が出ません…
とにかく会から離れることができてよかったです。
富山での行事がなくなったら経営は火の車でしょう。
親友部員は手取り1,2福って…バイトしてた方がマシ!!
しかも月100時間残業してて残業代なしか!?
Mなんか月200万もらってるって話だから、なんつう団体だ。
自分の同期で親友部員なった人がいるが、痩せて痩せてかわいそう。
それでもMCに気付かないところがますますかわいそう。
教えはまるで間違い。その上Mは会員の獲信より売上金に興味がある。
これではもはや救われないでしょ。
会員はこの内容必見です。
投稿: | 2009年11月27日 (金) 15時31分
ほんと悲しいですね。
私も会の仕事をしてたので退会イコール失業でした。
がんばって生きていくしかないですね。
求人の応募の電話でさえ勇気がいるのですが、読んですぐにかけました。
高森一族に関わってしまった人生が悲しすぎます。
そして友と会えないのが辛い。
投稿: | 2009年11月27日 (金) 15時58分
大変な苦しみから解放されてよかったと思います。他の親友部員も続いてほしいですね。退会前後の心境を思い出して「悲しみがとまらない」(杏里)の替え歌作ってみました。
「悲しみがとまらない」(アンチ)
※I Can't Stop The Loneliness
こらえ切れず 悲しみがとまらない
I Can't Stop The Loneliness
どうしてなの 悲しみがとまらない※
あなたに 後生 ゆるしたことを
わたし 今も 悔んでいる
学徒は シンパシイ 感じてた
昼下がりのセイホンドウ
あの日電話が ふいに鳴ったの
富山に行きましょうと 彼女から
誤解だよって 上司は笑う
だけど 顔 にウソの目つき
退会できて 気づいたの
信がそこにないことを
会はちいさな カルトみたいに
財産も 青春も 奪って
I Can't Stop The Loneliness
時を返して 悲しみがとまらない
I Can't Stop The Loneliness
だれか救けて 悲しみがとまらない
(※くり返し)
時間がたって感情の高ぶりも大分落ち着いてきましたが、まだ「私いかさま師を信じたの」がリフレインすることもあります。
オリビアを聴きながら(杏里)
※出逢った頃はこんな日が
来るとは思わずにいた
Making good things better
いいえすんだこと時を重ねただけ
疲れ果てたあなた私の幻を愛したの※
「疲れ果てた私いかさま師を信じたの」
親鸞会時代は、歌でカルト思考を強化したり勧誘したりしていましたが、退会後は好きな歌で癒しています。歌ってパワーがありますね。現役会員も入会前に好きだった歌を聴いて当時を思い出してみたらどうでしょうか。親鸞会に染まった自分とは違う懐かしい自分に再会できるかも。
投稿: | 2009年11月27日 (金) 19時03分
皆さん続々と退会されていますね。本当に良かったですね。おめでとうございます。職員だった人も、講師でこれから退部する人も、悲観しないで下さい。世間はあなたが思うほど、そんなにつめたくはないですよ。会とは違うんです。親や親族、友人に思い切ってどこか働けるところないかどうか尋ねてみたら、案外簡単に見つかるかもしれません。
特に、会員さんのお世話を必死でされていた方なら、退会された会員さんで、自営の方とか、顔の広い方、資格をもって働いている方に思い切って相談されたら、きっと力になってくれると思います。恩を仇で返すのは会長一族や幹部講師たちのほうです。
退会した人は現役の人がどうしているか心配していますが、自分からはコンタクトが取れないだけですから。今の環境に感謝できたら、事は好転するでしょう。カルトから離れる気持になれたことをもっともっと喜んでくださいね。更に、幸せになれることを念じています。
投稿: | 2009年11月27日 (金) 19時35分
蓮如上人は「人の信なきことを思召せば、身を切り裂くように悲しきよ」と仰っているが、M春はそんな心は微塵もないんだろうな。
こんなのが会長なったら会の崩壊は明らかだ。
投稿: | 2009年11月27日 (金) 20時56分
時給300円台ぢゃないのか!?
投稿: | 2009年11月27日 (金) 22時27分
外から見ていれば明らかなことも、会員でいる内は気付けないんですよね。私もそうでした。S会には会長も含めて人の後生を心配してくれる人はいません。仏縁を念じてくれる人もいません。ただし、親鸞会との縁を念じてくれる人はたくさんいます。(会内ではこれを仏縁と表現する人も多いです)
「親鸞会は辞めるけど、親鸞学徒はやめない」
こういう言葉が理解できないばかりか、非会員が親鸞学徒を名乗るのを嫌がります。元を辿った会長の思想が、このようになっているからです。
二代目も当然、「ワシが、ワシが」という自尊心の塊です。
親鸞会は表面上、聞こえの良いことを口にしていますが、身の丈に合っていないので、世間の集団よりも内部が空洞化しています。
①自分たちだけが親鸞学徒である
②抜けるやつは門法の敗残者
③嘘も親鸞会と縁をもつための配慮(これは私が学生のとき言われました。今はどうか知りません)
これだけのものが揃えば、どれだけ惨い人間が出来上がるか明らかです。これを肯定させるだけの要因を探っていくと、結局は「わが身」の後生なんですよね。わが身だけの後生、と言えるかもしれません。
会長が親鸞の教えを、狭量かつ無慈悲なものにしてしまった結果です。
会長の頭の中がこうなっているからこそ、生まれた創作教義ですよ。
①で自尊心を与え、②で団結し、③で商売の肯定をしているんです。
もちろん浄土真宗ではありません。
本当の真宗は、そんな懐の狭いものじゃないですよ。
投稿: | 2009年11月27日 (金) 23時02分
すいごいなw
いわゆるパワハラだよね。
残業代払わないのは労働基準監督署にちくればいいと思うよ。
サンキューの運営は会社だから確認書なんて効力ないし。
早く親鸞会は崩壊するべきだね。
幻想から解き放たれて辞めれて良かったよ。
これからの人生を大事にして。
投稿: | 2009年11月27日 (金) 23時54分