親鸞会を「真実」と信ずる理由
ブログを始めてずいぶん色々な方から相談をいただきましたが、やはり親鸞会の教義や組織に色々な問題があるとわかっていても、自分はやめられないという方もおられます。
私も経験したことですが、十年、二十年と続けてきた方にとっては「親鸞会こそ真実である」というパラダイムを転換するには相当に勇気の必要なことなのだろうと思いますし、なかなかそれが出来ないのも理解できるのです。
そういう人はなぜ自分が親鸞会を真実と信ずるに至ったか、その理由を箇条書にして見ることをお勧めします。親鸞会が真実でない理由ではなく、「自分が親鸞会を真実と信ずる理由」です。
なぜ、親鸞会の教義を真実を信ずるに至ったか。
なぜ、高森顕徹を唯一の善知識と信ずるに至ったか。
如何に強く親鸞会や高森会長を信じている人でも、親鸞会や高森会長を信じていない時が過去に必ずあったわけで、そこから今日に至るまで信じるに値すると判断する何らかの理由があったはずです。
それを思い出す限り書いてみるのです。是非一度やってみてください。それも徹底的に。「因果の道理が真実だと思ったから」と思った人はそれだけ書くのではなく、「ではなぜ自分は因果の道理が真実だと思ったのか」「いつどんなきっかけでそう思ったのか」というところまで書いてみるのです。
このブログの読者の皆さんは、是非当ブログのコメント欄を使ってこのことをやってみて下さい。やった人は意外な事に気付くはずです。
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コメント
すでに退会して久しいものですが、思い出して書いてみてもいいでしょうか?
投稿: | 2009年11月 4日 (水) 22時28分
すでに退会した方も是非書いてください。具体的な内容がかけなくても、やってみた感想だけ書いていただいても構いません。
投稿: ぶるうの | 2009年11月 4日 (水) 22時45分
おらは、
全ての人は苦しんでいる
↓
その根本原因は、人はやがて必ず死なねばならないことにある。死に際しては信じていたもの全てが崩れ去り、苦しまねばならない。これを後生の一大事という。
↓
この死の大問題に取り組まれ、解決の道を発見されたのが仏教説かれたお釈迦様。
↓
仏教を知るには、その根幹である因果の道理を知らねばならない。
↓
因果の道理は必ず三世因果になる。
↓
結局過去も未来も現在に収まる。現在の自己を徹見すれば過去も未来も明らかになる。
↓
法鏡に写し出された自己は悪しかできない。悪因悪果で後生は一大事。
↓
お釈迦様は人間の実相を通して、全ての人は死ねば必ず無間地獄に堕ちると言われた。釈尊は経典に「一切衆生必堕無間」とこれを説かれている。
↓
この後生の一大事を解決し、我々が救われる道は仏教しかない。
↓
本当の仏教を日本で明らかにされた方が親鸞聖人。我々が救われる道は親鸞聖人の教えしかない。
↓
親鸞聖人の正しい教えを説く人は今日高森先生しかない。
↓
他の人の話は皆私見を交え、真実の教えでないから聞かない方がいい。
↓
ネットの情報は真実のわからない連中が愚痴の心で有ること無いことを書き込んでいるだけ。見てもためにならないから見ない方がよい。
↓
いよいよ一向専念高森会長。
みたいな感じだった。。。
しかし、
善因善果悪因悪果自因自果って経典にないぢゃん!
一切衆生必堕無間なんて経典に根拠がないぢゃん!
高森に先生がいんぢゃん!東条を阿弥陀仏の救いに導いた善知識がいるぢゃん!T口さんを救いに導いた善知識がいるぢゃん!
高森教学はよく調べれば、ぱくりに自分の考えを入れた間違いだらけのヘンテコドグマぢゃん!
んでやめぽ(*_*)
投稿: | 2009年11月 4日 (水) 23時50分
仏教に対する以前からの自分の思いと、親鸞会で聞いたことが合わさって、弥陀の本願以外に自分を救いきる教えは無いと思った。親鸞会=高森会長が正しく浄土真宗の教えを説いていると、理由なく信じていたとしか言いようが無い。親鸞会以外の仏教に関する情報を遮断された為、信ずるようになったのかも知れない。途中からは、結局は信ずるしかないのだと思っている自分があった。しかし、その信心も変わる時が来たという事。
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 00時18分
私は昔は納得したが、今は話にならない。
教えはネットや批判は真実しらないから批判するんだから見るな!いまだにそんなこといってるからな。 じゃあ、収支報告しなかったり、壁画をご報謝とかで(高森くんが購入したというが会員さんのご報謝だろ。)購入するとはどういうことや?
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 07時09分
死ぬ時には何にもあて力にならない。100%死んでいくのだから、最後にはすべて崩れてしまう。
こういう話が私にはポイントだったと思います。しかもこれは間違いない話なので。
境界愛、自体愛、当生愛の話で、阿弥陀仏の本願に救われないといけないと強く感じた。
あとは渡部さんの話ですかね。ハイデッガーの。世界内存在の話。説得力があった。
結局死ぬ時には…という話が私には強烈だったんだと思います。
正直高森会長から聞くより先輩に話してもらった話のほうが断然心に響いた。
支部とか全然そんなことしないもんな。みんな元気ないし、世間話ばっかり。支部長もビデオ流すだけ。
阿弥陀仏の本願に救われるのが人生の目的なのは否定しないが、親鸞会にいても救われるのは難しいなと思ったし、事実教えをねじまげていることがわかったから今年辞めました。全く後悔していません。
投稿: 31歳の元会員 | 2009年11月 5日 (木) 09時44分
改めて考えてみたけど、親鸞会が真実だと思えた理由なんて実に薄っぺらい者しか思い浮かばない。どうしてなんだろう?こんな理由で十年間求めてきたのか。
投稿: がくと | 2009年11月 5日 (木) 11時16分
振り返ると、その時、その時色々な思いがありましたね。なかなか、これ1つが理由だと単純には書けませんが、思い出せる範囲で書いてみます。
最初の頃は、真実かどうかは分からないけど、とりあえず納得できるまで聞いてみよう、という感じでした。しばらくすると、後生の一大事があるかどうかは分からないけど、本当にあったら大変なので、聞いてみよう。1つ1つの話は、納得できる話も多いので、という感じかな。
ただ「後生の一大事がある」「阿弥陀仏の救いがある」と言われても、いくら教学を勉強して仏語を覚えても、それが本当なのかどうかは分からない、といううやむやは常にありました。信心決定すればはっきりと分かる!といくら言われても、していない自分にはそれが分からない。
そうすると、結局は「真実を説き切っている」高森会長の姿を通して「こんなに高森先生はご苦労をして叫ばれているのは、私に後生の一大事があるから、そしてそれを解決しようとされているからでしか有り得ない」というような思いで自分を説得しようとしたこともあります。しかしそれとて、高森会長の姿を間近に見ることのない私にとっては、あまりよく分からないこと。最終的には、身近な講師や先輩の姿を見て、親鸞会の教えていることは真実に違いない、というようになってきます。
ただ、これは「自分で自分を親鸞会が真実であると納得させようとしている」という苦しまぎれのもので、本心では、どこか解せないものが常にありました。なぜ、自分で自分を納得させようとするかと考えると、どこかに「これまで自分が費やして来た時間やお金が無駄だったと思いたくない」という気持ちもあったように思います。
要するに「必ず地獄に堕ちるという一大事がある」「阿弥陀仏の本願に救われるということがある」といくら言われても、それは結局分からないことなので、身近な親鸞会会員の言動や、親鸞会の居心地の良さ、といったものが親鸞会が真実であるということを自分に納得させるための最大の根拠となっていましたね。それなりに居心地が良ければ、真実かどうかは分からないけど、とりあえず続けてみよう、というモティベーションは維持されます。みんなといっしょに何かに向かって一生懸命になる、ということ自体は、ある意味居心地の良さでもあるんですね。親鸞会にかけるコスト(お金と時間)を、リターン(居心地の良さ)が上まっていた間は、それこそ「後ろ向きな心」はあまりなかったように思います。
ところが、親鸞会にかけるお金も時間もなくなってきて、そして色々と居心地が悪くなってきてから、そういった根拠がだんだんと薄れて来て、退会することを決意しました。
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 14時00分
お邪魔します。
大学に入学して親鸞会に会うまでは、仏教では死後は説かれなかったと思っていました。
それで、誰しも生前の記憶がないように、死ねば無に帰す、そう思うと虚しく、破れかぶれで
何にも打ち込めませんでした。ところが、「お釈迦様は死後を説かれた。死んだら終りでは
ない。仏教では死の解決を教えているから聞いてみないか」と誘われ、親鸞会の話を聞く
ようになりました。何より、好感を持っていた仏教で死についてまじめに考えることができる
のがうれしかったのです。
95年頃、ある人より、大沼法龍さんの著作、華光会と高森氏の関係を知り、
すったもんだの末、自然と退会しました。
退会して14年ほど経ちますが、いまでも会報第一巻にある阿含経典からの引用
「因果応報なるが故に来世なきにあらず。無我なるが故に常有にあらず」という言葉を
心のよりどころにしています。これも高森氏のねつ造なんでしょうか。だとしたら困って
しまいますが。
投稿: スルー | 2009年11月 5日 (木) 17時24分
会長から聞いた始めての話は盲亀浮木の譬。六道を出離して悟界に生まれることが仏教の目的と聞かされた。ではどうすればその身になれるかと講師に尋ねた。阿弥陀仏の本願に救われる体験は、自ら信心決定して、深い教学力を持った人に聞かなければならないと言われた。会長の話を聞く為に、会に入った。
元々、求道は一人一人と思っていたけれど、一人では信心決定が遅くなると言われ、会員を続けた。会の活動は理不尽なことばかりだったけど、我慢して続けた。いい事なんて何にもなかった。
会長を信じた理由
会報や新聞の初期の縮刷版には阿弥陀仏のことがたくさん書かれていた。こんなことが書ける人は余程勉強をされた人に違いないと思った。
信じられなくなった理由
それが、時が流れるにつれて、三願転入、善の勧めの話がメインになっていった。阿弥陀仏の本願の話が聞きたいのに、何故話してくれないのか?不思議だった。とうとう真相が知りたくなって、ネットで調べると、出るは、出るはたくさんの疑問が一気に晴れた。教えに対しても、組織に対しても。変だと思った理由がまるで、パスルの様にすらすら解けた。
中でも、会長が他人の書いたものを引用でなく、自分が書いたように見せかけていたことで、この人は善知識でもないし、自分の師でもないと判った。心の中で自分と会長を繋いでいた細い糸がブツンと切れる音がした。
次々と会員の献金で建物を建てたのも変だった。座談会で、家を売ってアパートで暮せとの発言には怒りが収まらなかった。ほかの人は笑っていた。記念会の式典で、スクリーンに前田町と正本堂大きさを図示した時の会長のはしゃぎように悪寒が走った。
もうひとつ、会員さんの手紙を会長が読まなくなったのも、ネットで真相を調べる強い動機になった。手紙も読まない人が信心決定してもらおうなんて思うはずがない。ましてや対機説法など出来るとは到底思えない。別の知識を探すか、直接、阿弥陀仏に向かおうと決心した。
それから、K会のMさんに会いに行って、H寺放火未遂事件が本当だったと聞き、会長から離れて正解だと思った。
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 18時40分
私が不満を持ちはじめたのは21世紀入ろうとする頃かな。理由は正本堂を建てたのはまだしも、運営が厳しくなって、建物を建てて、次から次へご報謝をし自転車操業であったことがわかったから。完全にご報謝じゃなく献金です。外から見たら明らかにおかしいことがわかります。壁画でもそう。とくに収支報告がそうです。親鸞会は当たり前ですが他の大学のサークルやクラブより収入、支出が多いですが一切収支報告がありません。こんなサークルはありません。高校野球でもあります
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 18時57分
教えに興味を持った→親鸞聖人の教えを正しく説かれる方は高森だけだと言われる→その言葉を信じる→仲間の雰囲気に流され学徒に→必然的に後生の一大事の重さに日々苦しむ→大導師になる→幹部クラスになる位活動に精を出す→段々金しか要求してこない講師に信頼関係が薄れる→ネットで親鸞会について検索する→親鸞会の内情を知る→MCされていたことに気づく→仏教やMC関係の本を読む→親鸞会を相対化する目を持つ→退会→親鸞会に注ぎ込んだ金時間体力を他のところに投資しておけばよかったと超後悔する→それは時間が解決してくれる。
まぁこんなもんやろ。
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 20時33分
私もマインドコントロールされてたが、おかしいと気づいたのは、何度も言うが、収支報告がないことと、学生なのに常識の範囲外でのお金使用だ。普通で活動だけで年間百万だ。サークルの飲み代でもせいぜい月に一万だ。百万ならつきに約八万、社会人でも豪遊できる。少しは頭を働かせてください
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 22時03分
新勧合宿のとき、「高森会長だけが人生の目的を説いている」と、親しい先輩に言われて、周りみんなが行く様子に流されて、そのままバス予約して、参加する習慣がついた。
あとは、「正しい(はずの)会長が説く内容だから、正しいはずだ」という気持ちのまま大学4年間過ぎた。
なにも自分で検証しようとしなかった。
後悔と反省あるのみ。
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 22時28分
バスの予約について疑問をもちませんでしたが? バスをチャーターするんだが、一律金額決まってるけど、普通は人数で金額は多少変動するが、大学四年間まったくなかった。収支報告もなかった。すなわち、バスを何人利用し、収入いくらで支出いくら!当たり前だろうが。
投稿: | 2009年11月 5日 (木) 22時43分
今からよく考えると会長という男に尊敬に値するところは何一つなかった。
会長に対する情報は全て講師の語るものや会の発行するヨイショ記事だけだった。それを実際確かめることなく、疑う事もなく、鵜呑みにしていた。
法話の中で度々下品な言い回しを嬉しそうに発する会長の言葉に何度も耳を疑った。これが、あの阿弥陀仏に対する書籍を書いた人の言葉なのか?印が頭の中に浮かんでは消えた。これは多くの人が指摘する『なぜ・・・・・』の幼稚で品性を疑うような表現にも通じると思った。
何かというとお金と名誉を欲する話ばかり、これが悪いと聞かされた。阿弥陀仏の本願を疑う悪は霞んでいた。多分会長が、名利に強い執着があって、自分がよくわかる話なのでつい口にしてしまったのだと後から思った。いつもお金が欲しい、お金が欲しいと全人類は思っているといっていたのは自分の事だったのだろう。実際、会の印象はお金で始まって、お金で終わるものだった。
世間の悪と機の深信の理解が深いところでされていないで、ごちゃ混ぜになっていたのではないかと今は思う。仏教は世間の倫理道徳と違うと威張っていたけれど、会長のやっていることは、聖人の名を騙った宗教詐欺ではないのか?MCされたカルト団体の信者を手先にして、お金やそれを持ってくるカモを集める。
教えを説いて、信心決定してもらおうとも思っていないことは、誰か言ってたけど、会員さんの手紙を読まないなど、会員さんの話を聞かない事でもハッキリしている。座談会も一方的なもので、リアルタイムで聞けない。無制限に許可したら、会や会長の都合の悪い質問が出てくるから、絶対しないだろうし。
とにかく結論としては、会長は昭和の歴史に残る稀代の宗教詐欺師だったという事。騙された人はプロの仕事に引っかかったので、反省したり、自分を責めたりしないほうがいい。
投稿: | 2009年11月 6日 (金) 09時00分
騙されたあなたに落ち度はありません。ハッキリいえます。
騙す宗教詐欺のカルト会の代表者のT会長が全て悪いのです。
この人物がいなかったら、数々の悲劇は起こらなかった。彼は生まれついての詐欺師です。多分詐欺が身に付いていたのです。今は、痴呆で現実と詐欺をしている感覚が一緒になってもっと訳がわからなくなっていると思われます。彼にははじめから罪悪感なんてないんです。善知識になりきっているのですから。何十年も前から。そんな人物の詐欺を素人のそれも大学に入りたての学生には見抜けるはずはないのです。聖人の教えを知りたいと思っていた人も、ほかに説く人と縁がなく、比較してよく吟味出来なかっただけです。余りにも一途で純粋だった為に騙されてしまっただけです。詐欺師のほうがあなたより、何十倍も上手なのです。
最近話題の結婚詐欺師やT商事の社員がお年寄りを信用させ、この人になら騙されても構わないと、何千万もお金を貢いだのと同じような事を会長はあなたにしたのです。一種の催眠術のようなものと思ってもいいでしょう。でも醒めてしまったら、詐欺師に対しては怒りがこみ上げ、お金や時間を返せとなります。
詐欺とわかっていてもこの人になら、騙されて地獄に堕ちようと大金を取られようと構わない人は別です。ある意味、幸せな人です。そんな人以外は、自分の会長への思いを親鸞聖人の、法然上人に対するものと同じだと決して、美化してはならないのです。すぐ詐欺師から離れなさい!
繰り返し言いますが、騙されたあなたは絶対に悪くない。
いじめだって、おとなしいから、ぼんやりしているから、八つ当たりできそうだったからとかいう理由でいじめを正当化できないのと同じです。やるほうが100%悪いのです。
絶対自分を責めてはいけません。責めるより、一度はとことん怒ったらいい。自分と会長を許せる時が来るまで。
投稿: | 2009年11月 6日 (金) 12時59分
阿弥陀仏の本願や今生で信心決定出来る事を会長に教えてもらった恩があるし、ほかに知識を知らないからやめられない人が多いようだ。恩より酷い詐欺に遭ったこと自覚するのが先だと思う。それにネットでも何でも自分で知識探ししたらいいでしょ?そんな風に甘えて人を頼っている内に人生終わっちゃうよ?
でも、考えてみなよ。教えてもらっても、何千万も注ぎ込んでも結局、助からなかったんだよね。どうしてかって言うと間違った、教えだったから。それなのに、何十年もかけた人もいる。どうしてもっと早く始めの1,2年で気が付かなかったのかと思うけど、やっぱりそこはプロの詐欺師にかかったので、どうすることも出来なかったんだよね。看板は真宗でも中身は別物だった。食品偽装と何ら変わりがないし、それ以上に長い間、心身を蝕まれた。たちの悪い宗教詐欺だったんだよ。大金を取られないH寺の方がましだったかもね。中にはきちんと教えといている人もいただろうし。
阿弥陀仏の救いを口先だけ言っていても、会長には正しい教えが説けないとわかったんだよ。会員さんたちに信心決定してもらいたいなんて思っていないんだよ。もう詐欺師のカルト団体からは抜けたら?善知識頼みや求道してる振りはお終いにしなよ。痛々しいから。富山に二度と行かなくても、いいでしょ?報恩講を区切りに見切りを付けたら?会の行く末は、ネットでみてたら。安全だし、被害も拡大しないから。
恩を感じるんなら、阿弥陀仏の本願に救われてからにしなよね。あの時、自転車操業や電話座談会をしてくれて有難う。こうまでして下さらなかったら、阿弥陀仏に向かえない私でしたと、会長を拝んでね。
投稿: | 2009年11月 6日 (金) 23時41分
親鸞会の一番の狙い目は人材は学生、お金は古い会員と金持ちだろ。
我々の頃は学生は新入生が大学にもよるので一概に言えないが一つの大学で30人くらい入部し、半分くらい春の合宿でやめ、残りは会員となり、大学在学中にさらに半分くらいやめ、卒業したら幹部なり社会人としてわずかの人が残るパターンだった。しかし、ますます親鸞会運営が厳しい昨今、それもきびしいだろ。 どうですか?学顕クラブは成果でてますか。
投稿: | 2009年11月 7日 (土) 19時16分
親鸞会はやはり、学生勧誘の失敗が崩壊をまねいています。そして、ムチャクチャな献金でお金のある支部会員もやめ、ますます崩壊に近づく!
学生については、年間予算、収支報告、勧誘の成果を一覧にして、学生会員に報告するのは当たり前です。挨拶とか部室掃除は厳しく言われますが、それはよいことですが、収支報告も同等に大事です。
部室の家賃はもちろん、光熱費、チラシ代、備品購入代、聴聞バス代、などあげればきりがない。 言っても無駄だが、一般常識ができていない団体は二度と大学のキャンパスで勧誘してもらいたくない。
投稿: | 2009年11月 7日 (土) 19時23分
会長の狙いはお金とたくさんの人の前で話をする名誉というか自分勝手な自己満足でしょ?幹部を除いた、講師や会員さんは信心決定だから、思惑が一致していない。そこで、自分の目的が会長の力では無理と見切りを付けた人からやめて行く。今残っている人は、悪いけど、真剣に信心決定したいと思わない人か、諦めた人か、一生、会長のポチになると決めた人。このどれかでしょ?
この際、今は会計報告とかお金がどうこう言っている場合ではないと思うけど。やめた人も現役の人に退会を真剣に勧めてあげなよ!それが親切ってものでしょ?
今日聞きにいった人、我が身に災難が降りかかってこないうちに報恩講が済んだら、退会セットをすぐ送れる様に今から、準備したら?送付が完了した人は報告してよね。スッキリしたって!みんな涙を流して喜んでくれるよ。励ましのコメント一杯もらえるよ。
投稿: | 2009年11月 7日 (土) 21時52分
親鸞会にいる人間からすれば、このようなブログや批判的な発言は、「この人、何様!こっちらこれだけ苦労してるのに」なんて、憤慨モノかもしれませんが、そりゃ、こちら(非会員)のセリフですよ。
何様なんだ、親鸞会は!!っていつも思いますし、この会を知った人は皆口にします。
世間知らずの学生が、ちょっとしたきっかけで、はまってしまったカルト。
そのきっかけって、実に些細なもので、自分に酔っていたのかもしれないと思い知らされます。
投稿: | 2009年11月 7日 (土) 23時44分
うーん、あまり覚えてないけど、死後の事は小さいときからよく考えて
たなー。それで死後は皆地獄と断言するもんだから、断言する人ってあ
まりないよね。それでほんとなのかなと思ったのが、のめりこむきっか
け。
それで確か犬鉄が涙ぐみながら、この教えを伝えるのは君たちしかいな
い期待しているとか言いながら話してたときに、ああこの人は本気で他
人の幸せを考えている人なんだと信用するようになった。それで二種深
信なんて、普通じゃあ想像出来ないようなことを(絶対矛盾とかいう説
明ですよ。実はまちがってたんですね)言ってるから、この人の言って
るのは真実なんだと自分に言い聞かせてた。それで十数年経過・・・。
まあ宗教の知識なんて全くなかったし、詐欺師が本気できたら全くなす
すべなしですね。やはり元講師の方々が反旗を翻してくれたおかげでい
わゆるアンチの意見というものに耳を傾けることが出来たので、最近よ
うやく犬鉄は詐欺師だと思うことが出来るようになりました。
インターネットで以前からたまにアンチと言われる人の意見を見る機会
はあったが戯言としかそのときは思えなかった。元講師の方々、感謝感
謝です。
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 05時19分
大学生を勧誘すること自体おかしい。他のサークルやクラブも勧誘してるしね。大学生は世間知らずです。知ってるように思えるかもしれないが、私も社会人になってわかりましたが、何もわかっていない。親鸞会の人はすべてではないが、世間知らずです。
ひょっとしたら、インターネットの時代ですから、勧誘できなくなって、学友部が崩壊するかもしれませんね。
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 10時18分
親鸞会を「真実」と信じた理由…私の場合は、専任講師がそう言ってるのを信じた、それだけだった。だから、疑問がおきて私の白身読んだとき、何やってんだこの人達は、善にも心がけてない、ただの知識頼みの集団だと知って、すぐ辞めた。結局「親鸞会のいう善」に励まされるだけの、浄土真宗を利用した新興宗教だった、と今はわかる。阿弥陀仏を利用し、親鸞聖人の名を汚し、人間の欲と傲慢はつくづく恐ろしいものだと思う。
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 10時22分
私のほうの側面から言えば、何かこう絶対的な存在に依存したいという、私についてきなさい、そうすれば間違いないから私の言うことを聞きなさい、そんなカリスマ的なものに魅力を感じるそういう人間の弱さというものがあるとおもうのです。そういう事は過去から言われてきたことだと思うのですが、そこでまさか浄土真宗でとは思います。でもきっと過去の歴史にもあったのでしょう。気をつけなければならなかったと思います。
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 10時36分
【先輩の話】
テレビに出てるような人が、大学の近くにあるスタジオで、電話を使った最新システムのテストをするので、アンケートに協力
↓
【現実】
会長が、カーテンを締め切った部屋に設置された最新のシステム(笑)を通して御法話
・・・馬鹿にしてるんですか?
先輩は悪くないと思います
悪いのは全部、s会です
元潜入捜査員
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 10時56分
2009年11月 8日 (日) 10時22分
書き間違いです。私の白身→私の白道
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 11時44分
親鸞会のトップの責任だが、一会員でも融通聞かない会員は論外だ。
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 16時55分
お金集めだと言われる所以を列挙しようか。
・聴聞の休憩中、専任講師が箱をもってお金をかき集めていた。
・箱の中に一円玉が入っていると、会長は怒り出した。
(お金のない人は、髪の毛の布施というたとえがあるのでは?)
・バザーと称して服などを集めていた。
・一円玉や五円玉をかき集めていた時代があった。
(それで自動車を買ったなどといっていた。)
・アニメなど売れなくなると、交換という形で、お金を集めていた。
・最近では米ぬかを持ってくるように言っていた。
(お聖教が汚れてもいいのか?)
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 18時52分
お金集めだと言われる所以を列挙しようか。
・聴聞の休憩中、専任講師が箱をもってお金をかき集めていた。
・箱の中に一円玉が入っていると、会長は怒り出した。
(お金のない人は、髪の毛の布施というたとえがあるのでは?)
・バザーと称して服などを集めていた。
・一円玉や五円玉をかき集めていた時代があった。
(それで自動車を買ったなどといっていた。)
・アニメなど売れなくなると、交換という形で、お金を集めていた。
・最近では米ぬかを持ってくるように言っていた。
(お聖教が汚れてもいいのか?)
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 18時53分
高森くんは馬鹿だな。金集めじゃないって高森くんの弟子が言ってる。だったら一円でもかまわないだろうが。怒るって意味分からん。アニメが売れないって、今はインターネットの時代。同じことしてうれるわけないだろう。高森くんの本はそのうち古本屋行きになるだけ!
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 19時21分
アニメ実績あげるため、アニメ持っていない会員、またはもっていない部を粗探しして販売してた。 誰とはいわないがな。 バカ息子はアニメ頒布したことないらしい。
投稿: | 2009年11月 8日 (日) 19時23分
昨日でやめる決心して、退会セット送ったか、準備している人っているんですか?まだ迷っている人の励みになると思うから、教えて。
退会者の人から、現役の人がやめたという情報でもいいし。名前はわからないようにしてらいいけど、長くいた人がやめたとか、幹部がやめたとか聞いたら思い切れる人も多いと思う。
繰り返すけど、会長は真宗を利用した昭和、平成にまたがる巨額な金額を騙し取った、宗教詐欺師だし、会はお金や人を集めることを目的としたカルト。
集まったお金の大半はたぶん、会長一族の埋蔵金になる。ポチ講師たちも月何十万かそのおこぼれを恵んでもらっているかもしれないけど。そんなものには、1円でも出さない方がいい。
お金の代わりに得られるものは間違った助からない教えだけ。お金は勿論、時間、体力かけても、不快さと苦しさのおまけも付いて来る。
投稿: | 2009年11月 9日 (月) 12時25分
本当に今がやめるチャンスだよね。この時期逃した、またずるずるいっちゃうよ。今年一杯と思っている人も、12月初めまでにやめる意思を表示しないと1月分の会費を請求されて、嫌な思いするから。メールでも電話でもやめることだけしっかり伝えないと。
会でいっている事は 会長の恩 因果の道理
この2つくらいに絞れれてきたね。これ以上は、間違いを指摘されてややこしいし、大変だから、何も言えなくなった。
会の人達は、真宗の門の前で会長が立ちはだかって、通らせないようにしているようなものだと気が付いたら。阿弥陀仏に救われることを故意に、邪魔しているってことをね。
本当の真宗の教えは因果の道理や煩悩を超えたところにあるのだから。
こんな風にいっても聞く耳もたないか。会員は会長の犬で、飼い主の説法が命の綱になっているから。それが、どんなに間違った助からない教えでもね。自分で一度でもわかろうとして御文章でも読んだ事ないでしょ?会長の間違った解釈に頼りっきりで。
投稿: | 2009年11月 9日 (月) 17時16分