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投稿:裸の王様

皆さんのよくご存知の「裸の王様」。S会のT会長と講師・会員の関係によく似ていますね。

大きく違うのは原作では詐欺師に騙された最大の被害者は王様ですが、S会では王様に相当するT会長そのものが大詐欺師であることです

以下は原作のあらすじです。(引用:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%B8%E3%81%AE%E7%8E%8B%E6%A7%98

新しい服が大好きな王様の元に、二人組の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来る。彼らは何と、馬鹿や自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織る事が出来るという。王様は大喜びで注文する。仕事場に出来栄えを見に行った時、目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当の事は言えず、見えもしない布地を褒めるしかない。家来は家来で、自分には見えないもののそうとは言い出せず、同じように衣装を褒める。王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、その中の小さな子供の一人が、こう叫ぶ。「王様は裸だよ!」


さて、以下はS会の状況です。

お金と名誉が大好きなS会のT会長は蓮如上人以降で唯一の大善知識という触れ込みでやって来る。彼は何と、「仏縁のない者」や「求道心の弱い者」には分からない不思議な徳があるという。専任講師には分かるはずの会長の徳が分からない。専任講師はうろたえるが、幹部会員たちの手前、本当の事は言えず、ありもしない会長の徳を褒めるしかない。

「蓮如上人以降で唯一の大善知識です」
「親鸞聖人のみ教を正しく説きくださっているお方です」
「優れた教学の持ち主です」
「すばらしい文章を書かれるかたです」
「法論で本願寺を破られたかたです」
「全人類が救われるため、ご自身のことは全て犠牲にされています」
「師はおられず、親鸞聖人に直接導かれ救われた方です」
「いろいろの施設を建ててくださるのは全て私たち(会員)の後生のためです」
「経済にも明るい方です」
「深いみ心をお持ちの方です」
等々

幹部会員は幹部会員で、自分には分からないもののそうとは言い出せず、同じように会長の徳を褒める。騙すことができると確信した会長は、ありもしない徳を持っているとの触れ込みで説法に臨む。一般会員も「仏縁のない者」や「求道心の弱い者」と思われてはいけないと同じように徳を誉めそやすが、その中の目覚めた会員の一人が、こう叫ぶ。

「真宗史上最悪の悪知識だよ」
自分の欲得を満たすために親鸞聖人のみ教を捻じ曲げて説いている奴だよ」
「でたらめな教学だよ」
「盗作を平気でやる奴だよ」
「本とうは法論で本願寺に勝ってなんかいないよ」
「会員を搾取し、自分の欲得を満たしている自分勝手な奴だよ」
「師のいたことを隠し、こともあろうにかつて所属していた団体を根も葉もない言いがかりをつけて中傷している恩知らずだよ」
会員からの浄財を使っていろいろの施設に自分専用の豪華施設を造って平気な奴だよ」
「株で大損。始めた事業は全て赤字続き」
「深いみ心なんてない。思いつきで言っているだけ」
等々


さた、まだS会の会員の皆さん、T会長の姿を直視し、自分の心に正直になってください。どのような叫びが聞こえるでしょうか?

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コメント

会長をとんだ詐欺師と冷めて見られるようになったら、退会間近でしょう。でも多分そこまで、現役会員は思えないでしょうし。やめてからしばらくしても、元講師でさえ、会長をT先生と呼んでいた位ですから。
 なぜかと言えば、自分が命を賭けて取り組んできた事を否定する事になるから。会長が詐欺師だとしたら、自分も詐欺師の片棒を担いでいた事になるから。直ぐには素直に考える事は不可能でしょう。
 でも、時間の経過と共に、やっぱり、騙されていたんじゃないだろうかって気付くんです。自分自身がそうでした。
 嫌だけれど、自分を反省しつつ、第三者の目を持って、会長や講師たち、現役幹部の人達を見ていったら、この投稿のようだときっとわかります。気が付いたら即、退会しましょう。正しく見る勇気を持って下さい。

投稿: | 2009年11月20日 (金) 19時27分

その通りです。

曲がった親鸞会じゃのぉと見るのが真っ直ぐな見方で正見といいます。
学生時代から聞いてる人は部会でよく聞かされたでしょう。

白いものは白、黒いものは黒、真っ直ぐなものは真っ直ぐなもの、曲がったものは曲がったもの、正しいものは正しいもの、間違ったものは間違ったものと見るのが正しい見方です。

・他人の著作を盗作して自分の著書のように出版する。

・世間に盗作の事実が流れるや、「心の道」と題して出版予定だった会報を廃刊にする。(ちなみに会報は学生は1冊8000円、一般会員は1冊1万円という高値です)

・本願寺との論争では論点スライドして自説を並べ、相手が呆れて返答しなくなったところで勝利宣言。

・アニメのシーンやセリフは根拠がないか、根拠の通りではないのに、違うのではないかという質問には質問で返し、誠実さのない対応に呆れて質問者が返答しなくなったところで勝利宣言。

・本願寺の本尊論についての指摘に一向に答えず、だんまりを決め込む。

挙げればキリがないけど、親鸞会はそういう団体です。

まだ辞めてないが、迷っているあなた。あなたの親鸞会への見方は正見ですか? それとも邪見と思いますか?

親鸞会以外に親鸞聖人の教えを説かれる方は沢山ありますから、勇気を出して決断して下さい。

皆辞める時は、今までの自分を否定されるような感覚になって苦しんだと思います。

しかし、会から解放された感覚は清々しい。これも辞めた人はわかると思います。

これから、親鸞聖人の教えを引き続き求めるか求めないかはあなた次第です。

ただし親鸞会では正しい親鸞聖人の教えは聞けませんから辞めて他を当たって下さい。

それが、あなたがこの世で救われる選択になります。

投稿: | 2009年11月20日 (金) 20時48分

解決すべきは一大事ですが、親鸞会と御文章では違って聞こえます。

<後生の一大事の解決を求めている人への勧め)

親鸞会では
  後生地獄に堕ちる一大事を解決する信心

御文章は
  われらが往生すべき他力の信心

・われらが往生すべき他力の信心(三経安心)
・「南無阿弥陀仏」といふ六字は、ひとへにわれらが往生すべき他力信心のいはれをあらはしたまへる御名なりとみえたり。(願行具足)
・報土に往生すべき他力信心の道理なり(願行具足)
・すみやかに疾く浄土に往生すべき他力信心の一途ばかりをもつて本とをしへたまへり(三業)
・一つには、自身の往生すべき安心をまづ治定すべし。(念仏行者)
・これすなはちわれらが往生の定まりたる他力の信心なりとは心得べきものなり。(機法一体)
・自身の往生極楽の信心獲得のためなるがゆゑなり。(毎月両度)

会を離れた後によくよく御文章を読むと、往生という言葉が多いことに驚き、親鸞会との違いを感じますね。
迷えっている会員は、確かめてみてください。

投稿: | 2009年11月20日 (金) 21時59分

親鸞聖人の御文を読んで思った事を書いてみました。


●御文
かたがたよりの御こころざしのものども、数のままにたしかにたまはり候ふ。明教房ののぼられて候ふこと、ありがたきことに候ふ。かたがたの御こころざし、申しつくしがたく候ふ。明法御房の往生のこと、おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがへすうれしく候ふ。


親鸞聖人の
「かたがたの御こころざし、申しつくしがたく候ふ。」に対して、
親鸞会会長からは
「会員の方の御こころざし、その御恩は言い尽くせないほどです。誠にありがとうございます。」のような感謝の言葉を聞いたことがない。

記憶に残っているのは、集金が厳しい時に側近から
「会長先生は大変お疲れの中、・・・してくださいます。御恩を感じ報くいなければなりません。」はよく聞いたかな。


●御文
鹿島・行方・奥郡、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ。またひらつかの入道殿の御往生のこときき候ふこそ、かへすがへす申すにかぎりなくおぼえ候へ。めでたさ申しつくすべくも候はず。おのおのみな往生は一定とおぼしめすべし。さりながらも、往生をねがはせたまふひとびとの御中にも、御こころえぬことも候ひき、いまもさこそ候ふらめとおぼえ候ふ。

親鸞聖人
・かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、
・往生をねがはせたまふひとびとの御中にも、

親鸞会の場合
・後生地獄へ堕ちる一大事の解決を求める人々の、
・後生地獄へ堕ちる一大事の解決を求める人々の中にも、


(乃至)


●御文
また往生の信心は、釈迦・弥陀の御すすめによりておこるとこそみえて候へば、さりともまことのこころおこらせたまひなんには、いかがむかしの御こころのままにては候ふべき。この御中のひとびとも、少々はあしきさまなることのきこえ候ふめり。

親鸞聖人
・往生の信心

親鸞会の場合
・後生地獄へ堕ちる一大事の解決の信心


私の場合、辞める決断がなかなか難しかったけど、
「親鸞会で聞かなくても、親鸞聖人・蓮如上人のご著書に聞いてみよう。」
「親鸞会以外の本も読んで、それで親鸞会が正しかったら、また戻ればいいじゃん。」
こんな感じで決心しました。
妙好人といわれる人達もいろんな知識から聞いているし、真宗は親鸞会と違ってもっと自由でしょう。現役会員にはマインドコントロールで『教祖絶対』に固まった思考から自由になることを期待しています。

投稿: | 2009年11月21日 (土) 23時11分

会長はお疲れの中とか、命懸けというが、根拠はない。我々会員も命懸けで求めてる。ベテラン講師はちがうというが、立場あっていってるかもしれないが、命懸けだ。

投稿: | 2009年11月23日 (月) 08時20分

高森くんは呆れることばかり。いくつかあるが、まず正本堂の壁画、地下道建設、つくるのは勝手やが、会員の浄財でつくるのはむだです。それならば、除雪車を買うとかでわざわざ作らなくても対応できます。 壁画もです。あんな金の無駄遣いは幼稚園以下。

投稿: | 2009年11月23日 (月) 13時08分

タイトルを「大様」と表記しているのは、何か意図的なものですか?

投稿: | 2009年11月23日 (月) 20時27分

私は親鸞会を辞めた後は、本願寺派で聴聞しています。余計な事かもしれませんが、東京の方なら築地本願寺、京都の方なら西本願寺の聞法会館、大阪なら津村別院などで聴聞できます。良い先生は沢山いらっしゃいますよ。

投稿: | 2009年11月24日 (火) 18時52分

神戸の方なら芦屋仏教会館も聴聞できますよ。

投稿: | 2009年11月24日 (火) 19時05分

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