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投稿:私はなぜ親鸞会をやめたのか

私と親鸞会との縁は、今から42年前です。大学を卒業した年、高森会長に3ヶ月間随行したことが始まりでした。以来、親鸞会会員として在籍してきましたが、今年3月に退会しました。

そのきっかけは、チューリップ企画ホームページに、チューリップ企画と田中氏の論戦が載っていることを知ったことでした。その内容は「若不生者」の「生」の意味に関することでした。

「若不生者」の「生」は、「極楽浄土に生まれる」ことであると主張する田中氏が、正しい根拠を提示していることに対し、「若不生者」の「生」は「信楽に生まれる」ことであると主張するチューリップ企画は、正しい根拠を出せずにいるのです。

一連のやりとりをみていると、チューリップ企画の説は間違っていると言わざるを得ません。当初、私はいずれにせよ、両者の主張は二益法門には変わりがないのだから、どちらでもよいのではないかと単純に考えていました。しかし、それは大変な誤りでした。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と正信偈にあるように、釈迦は、弥陀の本願一つを説くためにこの地球上に現れられたのです。だからその本願の一字一句の解釈に間違いがあってよいはずがありません。又、この二者の解釈の相違は、私の阿弥陀仏に対する“思い”に大きな相違をもたらしていました。

この42年間、聞法の目的は「信楽に生まれること」即ち「信心決定」することだと教えられ、「信心決定しなければ!」「信心決定しなければ!」と求めてきました。

『聞』というは衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」と聞き、阿弥陀仏に向かうのですが、何故か心は阿弥陀仏から遠く離れ、阿弥陀仏そのものが遠い遠い存在であり、全く分かりませんでした。こんなことで一体何時になったら信心決定できるのだろうかと絶望に近い心境でした。

ところが、聞法の目的は「弥陀の浄土に生まれる」こと、即ち、「成仏する」ことだと教えられると、阿弥陀仏そのものの存在が大きく大きく感じられるのです。阿弥陀仏が本当に身近に感じられるようになりました。

もちろん成仏するには、この世で信心決定しなければならないのですが、信心決定することが目的だと言われると、もうそこで止まってしまい、その先の「成仏」に心がかからなくなるのだと思います。

もう一つ、私の退会を決定づけたのは、嶋田氏(親鸞会元講師)の「私の白道」をネットで読み、高森会長の著書に盗作が明らかになったからでした。私は、本当だろうかという思いで嶋田氏と同様、福岡県の敬行寺から大沼法龍氏の在庫本をあるだけ(10冊)を購入し、高森会長の著書の内容を調べました。

嶋田氏が言われるように、同一表現、類似表現等とても多く本当に驚きました。すばらしいお歌だと感じ入っていた歌も多くは大沼氏からのものでした。これでは高森会長の本を読むより、大沼氏の本を読むほうが余程ましだと思えてきました。

それにもう一人、伊藤康善氏の書物からも盗作の多いことは嶋田氏やネット上で明らかにされています。しかもこの伊藤氏は、高森会長の善知識だったとは全くの驚きでした。嶋田氏も言われているように、高森会長の「私には導いてくれる先生はいなかった。親鸞聖人によって信心決定したのです。」という言葉は、高森会長から直々に聞いていただけに大きな驚きでした。若い頃随行させてもらい、つらい時、苦しい時、無二の善知識に随行させて頂いたのだ、という誇りを励みに求めてきただけにショックでした。

そして、その時点で明らかになった、高森会長以外にも善知識といわれるお方はおられたんだ、ということもショックでした。私が20代の頃、大沼氏も伊藤氏もまだ存命だったと知った時、二人に是非ともお会いしたかったなあと思いました。42年目に初めて知った高森会長の過去、盗作、そして教えの間違い、キッパリと退会の決断ができました。

退会の意思を支部長に伝えた時、2人の支部長がやってきました。「高森会長の盗作の事実が判明したから、もうついていけない」とそれだけに絞って伝えました。(理由はそれだけで十分だと思ったからです。それに教えの間違いを言えば、話はゴタゴタ長引いてしまうと思ったからです。)支部長は「盗作ではない、『引用』だ」と言いました。私は「ええっ?」と思いました。ちなみに広辞苑には、「引用」とは「自分の説のよりどころとして他の文章や事例または個人の語を引くこと」と出ています。もちろん引用元はハッキリしなければいけません。そうでないものを盗作というのです。同じく広辞苑には「盗作」とは「他人の作品の全部または一部を自分のものとして無断で使うこと」と出ています。更に支部長は、もし盗作だとしてもそれのどこが悪いという口ぶりでした。

高森会長は、真実を明らかにするためには、使える手段ならあらゆる手段を使うと言われているし(そういう言葉は私も聞いていました)、それが多くの人を幸福に導く為にされるのならよいのではないかと言うのです。

しかし、よくよく考えて欲しいものです。あらゆる手段といっても、その手段とは”正当な手段”でなければならないのは当然のことです。私は30年余り教職に携わってきました。そこで感じてきたことは、生徒の厳しい目です。もし教える側に何かやましい言動があれば、生徒はすぐに見抜きます。もう信用もしないし、ついてこなくなります。ましてや三界の大導師たる善知識は、この世の一介の教師とは比べ物になりません。後の世を渡す人なのです。教えはもちろんのこと、その言動にも厳しい目が向けられるのは当然ではないでしょうか。

 

最後に、嶋田氏も言っておられるように、私は親鸞会を別に恨んでいるわけではありません。何故なら、自ら求めて入会したのだし、それに仏とも法とも知らなかった私をここまで導いて下さったのは、他ならぬ高森会長だからです。

そして2人の支部長も、人間としてとても信頼できる人たちであり私は尊敬していました。願うなら、支部長達にも、今一度、広い視野に立ち、親鸞会の外から会全体を眺めて欲しいと切に思うのです。

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コメント

光に向かって の 内容は、ヒトのものを盗むな、ということは、大前提でしょう。自らそう語っていた人が、その裏で、さまざまな
後ろ指さされることを してきた。

しかも それについて 弁解も 反省も ない。


自分で、三界の大導師たれ! 糸筋ひとつ とるな! と 言っているヒトだったからこそ、あまりに言行不一致の 数々は、 信用できない人と
結論づけて 当然でしょう。

しかも、なんの弁明もないどころか、疑問を受け付けずに 除名とか。

どこまで 偉そうで、高飛車なんだ と思う。

かつての弟子でしょ。 しかも、 長年慕ってきた 弟子であり、
純粋に、唯一の善知識と ついてきてくれた人たちじゃないですか。

仏さまの慈悲 どころか、 恨み、呪って、身の破滅 と いうのがぴったりで、普通の感覚の人なら、離反して当然だと思います。

ほんとうに、がっかりですが、それより 今、まだ 気づかない会員さんが心配です。


投稿: | 2009年10月27日 (火) 17時55分

退会できて良かったですね。まだ会にいて、MCされている人達もやめるように言って上げてください。
 ただ、あなたがもし、信心決定されているなら、会長もいいご縁になったと喜べるかもしれませんが、まだなら、悪縁以外の何者でもないので、そこのところもっと、怒ってもいいんじゃないですか?
 日曜のテレビ座談会、会長は巧く(効率よく)お金が集まったとご満悦のようですが、会員をコケにするのもいい加減にして欲しい!テレビで信心決定出来るなら初めからそうしたらよかったでしょ?今まで節約して、沢山の建物を建てたり、日本全国、いや海外まで出かけた、交通費返してよ!時間と体力もね。いつもトンボ帰りで、観光も殆ど出来なかったし。損した。損した。
 現役会員の人はもっと、もっと、もっと、もっと、もっと、怒りなよ!馬鹿にすんじゃないよ!って。なんで、まだ会にいんの?まさか大本営発表のインフルエンザを心配した深い御心を信じてるんじゃないよね?思考停止していないで頭働かせなよ!今やめないでいつやめるの?MCされたまんまいつまで会長の金つる続ける気?信じられない。怖いよね。何も考えられなくなっちゃうって!

投稿: | 2009年10月27日 (火) 18時14分

「宗教革命」「記念すべき日」
これ誰の何に対しての言葉かわかりますか?
2chにありましたが、会長がテレビ座談会の事をこう表現したらしいです。
 会長が会員さんの信心決定など眼中になく、献金で出されたお金の使い道を何も考えずに、湯水のようにつかって、自分だけの名利の為に生きてきて、贅沢三昧を重ねてきたのがよくわかる表現でしょ?

 何の為の、週末大移動、多額の献金だったのでしょうか?誰か納得のいくように説明してくれませんか?初めから、テレビにしたら良かったじゃないんですか?現役会員が黙っていられる神経がわかりません!全てMCがなせる業ですか?

投稿: | 2009年10月27日 (火) 18時48分

テレビだったのですか?
電話で音声のみだったと聞いているのですが。

投稿: | 2009年10月27日 (火) 20時07分

音声のみです。
それも全国で5ヶ所は双方向で会話できますが、それ以外の場所では一方通行です。
対機説法ではありません。
リアルタイムで聞く意味がありません。
会長の姿も見えないので、臨場感もありません。
録音で後で聞いても変わりません。
そんな話に5千円も出さなければ聞けません。
華光会の説法は増井氏はインターネットで無料で聞けます。
本気で全ての人の後生を念じているならば、インターネットで無料で流せば良いのです。

投稿: | 2009年10月27日 (火) 20時20分

投稿された方が賢明にも仰っている通り、会を辞める理由は、
「高森会長の盗作の事実」これだけで十分だし、これ以上は必要ないです。
盗作をするということは、単に倫理的に問題があるというだけではない。
盗作は、会長自身が教えを説くような資格がない、何よりの証拠です。
会長は正しい教えを説いているのではなく、正しく教えを説けないから、
善知識という役になりきるために、盗作するしかなかったのです。

会長の肥大した幼児的自我を止めることのできる人は誰もいないでしょう。
教えを自分の都合で捻じ曲げてわがままにやっているように見えて、
自分が騙している相手以外の人たちからは顧みられることもない、孤独な老人。
本人には、もはや人を騙しているという自覚はなくなっているのかもしれませんが。

それにしても、42年間真摯に求めてこられた方の言葉は重く、そして爽やかです。
静かにそして確実に、親鸞会は終わりを迎えつつあるのだなと思いました。

投稿: | 2009年10月27日 (火) 22時10分

善知識 夢さめぬれば 盗作師
盗作師 夢さめざれば 善知識

投稿: | 2009年10月28日 (水) 00時34分

スカイプ使ってるのかと思えば、音声だけなんて・・・終わっている。
会長は、音声だけで革命なんて言ってるんですね。
感覚のズレが凄すぎる、もう終わっている。
昔の高森会長は善知識の似せもの説法をしていた。今の高森会長は嘘もの説法をしてますね。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 00時43分

何だか力が抜けてきた。電話の音を聴くだけに、何時間も正座している会員さんたちの様子をを想像しただけで。パソコンでもスカイプでもMSNでも簡単に画像が映るのに、会長がベッドの上で横になりながら話す日が来てもおかしくないね。具合が悪いのを隠したいのかな?そんな状態で何が話せるの?
 投稿者と同じように会長の剽窃を知ったときのショックは大きかったね。すぐだから、自分に対して対機説法が出来なかったんだと納得もしたけど。結局この人からは阿弥陀仏の御心は聞けないと思って、やめたけど。自分を良く見せる事、本当は何も知らないのに、沢山知っていると見せかける事に長けていたんでしょうね。
 会長には、騙されたけど、結果オーライで今はとても幸せ。でも退会するまではいつも辛くて辛くて、会でした事は一つも嬉しい事はなかった。みんな会やめた人はもっと早くやめてれば良かったって言ってるのが良く判る。負け惜しみじゃないよ。やめてわかることの方が多いから。狭い会の中の変わった常識みたいなものに囚われて一生送るのは避けるべきでしょ?
 生の説法が復活するまで休むのもいいかもしれないよ。仕事が急に入ったからって、それだけで2万か4万浮くよ。ちょっとした残業代や臨時収入になるから、家族とゆっくり過ごしたら?

投稿: | 2009年10月28日 (水) 00時56分

説法にたてない とか、インフルエンザで というのが もし 理由で
電話説法となったのであれば、
「申し訳ない。でも 少しでも 皆さんとの ご縁をということで」

とか、懺悔のこころ。必死な誠意が伝われば まだ ましと思うのに、

宗教革命 って。唖然とする言葉だ。

今まで 足で聞け とか。さんざんに言われてきたけど、ホントかなあ
と 疑っている。 
なんか 適当に踊らされているんじゃあないか。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 07時35分

親鸞会で教えられてきたことは、ほとんど会長の思想(妄想)に都合のいいように解釈されていますので、すべてリセットしないとなかなか本当の阿弥陀仏の御心が入っていかないです。投稿の方は若不生者の解釈で気付かれて、良かったですね。私は宿善で気付きました。どれ一つとっても、目的は今生での絶対の幸福の境地になることだ、それには仏法を聞け、仏法は因果の道理の善の実践だ、善とは善知識・本会への服従だ、善に励むこと…とすり替えられ会のために財や労力をつぎ込むことだけが助かる道最高の道と刷り込まれてしまうのです。どこに阿弥陀仏がでてきますか?阿弥陀仏をまったく忘れてお飾りの死に仏にして全く関係のないところで忙しいだの苦しいだの言っていても、全くの方向違いだったと私はかつての自分の姿に思います。

最初に親鸞会に惹かれたのは、おそらくどなたも教えの正しい部分なのでしょう。信心獲得、一念往生、現生不退、現生十種の利益など・・でも、実際の親鸞会で教えられることは「善の勧め」であって、「信心獲得の勧め」じゃないんです。阿弥陀仏の御心、釈迦の本意、七高僧の教えとは逆なのがS会です。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 08時46分

本当にその通りですね。一度でも阿弥陀仏に向かった事のある方なら、この気持わかってもらえると思いますが、なかなか今残っている、現役会員さんにはいないのが、現状です。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 08時59分


> 信心獲得、一念往生、現生不退、現生十種の利益など・・でも、実際の親鸞会で教えられることは「善の勧め」であって、「信心獲得の勧め」じゃないんです。


親鸞会の教えが、本当に「善の勧め」であるなら、一つの宗教として許せるが、親鸞聖人のお名前を悪用して「悪の勧め」をしているから、なおさら許せんのです。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 13時07分

会館やその他の建物の為に何千万、何億のお金を食べるものも食べず、節約して注ぎ込んだ会員さんの献金を何だと思っているの会長は?
 多分、考えた事ないよ。特に小杉に移って、お金の感覚がなくなってから。T商事と組んだ頃からかな?
 青春切符で東北や九州から乗り継いで、野宿までしたお年寄りの会員さんに電話座談会の事、なんて説明するつもり?地元で電話の声聞いていて助かるなら、そんな苦労要らなかったでしょ?
 建物も直の説法も全部要らなかったんだ?
 これって詐欺じゃない?
 現役会員さん団結して抗議に富山に乗り込んで、会長に会って真相聞く事がが出来るまで座り込んだら?やってみる価値あるよ!

投稿: | 2009年10月28日 (水) 19時11分

抗議したい気持ちは分かりますが、自衛隊出身の講師がいたり、バカ息子もいるから、抗議しても難しいと思います。昔は、会館でも、全国の会場でも自由だったが、最近はそういったことを警戒してるのか、やたらとチェックが厳しい。名札やらバッチやらあの下らないシールや。お礼状を書くなっていうこともいわれた。多分高森先生のところへ行く前に、都合の悪い内容は破棄して、見せてないだろうよ。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 19時50分

直訴できたとしても、何も変わりませんよ。
会長の本当の姿を知らなさ過ぎますね。一番の悪人は、会長です。
M晴やら取り巻き連中などは、吹けば飛んで行く程度の小物です。
会長は、60年も人を欺き続けて何とも思わない人物です。

教義上の矛盾点についてさえも、特専部員の質問を撥ねつけて除名にしたのは、会長ですよ。取り巻き連中に、除名の権限はありません。

金の使い道は、すべて会長が握っていて、おこぼれをM晴が掠めとっているだけです。

いい加減に、会長に何かを期待するのはやめましょうよ。全くの無駄です。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 20時15分

1番の悪人は会長だが、以前はまだ会員の声が会長の耳に届いていたから、無茶苦茶な方針程度で済んでいた。
それが、会長に届く情報が制限されてしまったため、ハチャメチャな方針になってしまった。
その程度の影響力は息子達にはありますよ。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 21時03分

↑要するに親鸞会は「みんなで機攻めせよ」ということね。
要するに徹底的に自己嫌悪になりなさいという教えね。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 23時01分

サポート 出拠
http://wikidharma.org/4ae84fe18090a (35)

現代語訳:
順誓が蓮如上人に、「信心がおこったそのとき、罪がすべて消えて往生成仏すべき身に定まると、上人は御文章にお示しになっておられます。
けれども、ただいま上人は、命のある限り罪はなくならないと仰せになりました。
御文章のお示しとは違うように聞こえますが、どのように受けとめたらよいのでしょうか」と申しあげました。

すると上人は、「信心がおこったそのとき、罪がすべてみな消えるというのは、信心の力によって、往生が定まったときには罪があっても往生のさまたげとならないのであり、だから、罪はないのと同じだという意味である。

しかし、この世に命のある限り、罪は尽きない。
順誓は、すでにさとりを開いて罪というものはないのか。そんなことはないだろう。

こういうわけだから、お聖教には、<信心がおこったそのとき、罪が消える>とあるのである」
とお答えになりました。
そして、「罪があるかないかを論じるよりは、信心を得ているか得ていないかを何度でも問題にするがよい。

罪が消えてお救いくださるのであろうとも、罪が消えないままでお救いくださのであろうとも、それは弥陀のおはからいであって、わたしたちが思いはからうべきことではない。
ただ信心をいただくことこそが大切なのである」と、繰り返し繰り返し仰せになりました。
----------
信心を強調する一念義系統の大沼、伊藤、高森という系列の思想ですね。近代に導入されたキリスト教の神学の毒に惑わされた犠牲者かもな。
往生即成仏という究極の仏果を得る信楽を自分で拵えようというのが間違い。高森顕徹は仏教の悟り舐めてるのか?
それこそ、何億兆年かかっても得られないだろうよ、あほくさ。

多分、このブログの趣旨と違う投稿なので、これでおしまい

投稿: 通りすがり | 2009年10月28日 (水) 23時33分

間違いだらけの自称善知識、高森会長先生

「真実を伝えるためには、使えるものは何でも使う。」
あなたはそうおっしゃいます。

あなたは他人の著作を我がもの顔で剽窃し、
恥知らずにもその事実をひた隠しにしてきた。
あなたを弁護する人たちは、それを突きつけられると
「盗作ではなく引用だ」などと開き直る。

しかし、他人の著作の孫引き程度の事しかできないような人物が、
どうして無二の善知識などと言えるでしょうか?
あなたの言葉の核にあるのは、真実などではさらさらなくて、
どこまで行っても「あなたの真実」でしかない。
それは好意的に言ってもせいぜい他人の学説の受け売りだし、
言葉がどんなものかをわきまえている人なら、
あなたの言葉など真面目に論ずる価値もないとみなすでしょう。

手段が不正なら、その目的が不正になるのは当然です。
逆に目的が正しければ、手段も正しくあるべきです。
「わたしの真実」を「万人共通の真実」と思うのは勝手だが、
悪徳商法のような真実の押し売りは甚だ迷惑です。

元学徒のつぶやきでした。
さようなら、親鸞会。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 23時47分

信心とはそもそも何なのか、親鸞聖人がどう教えておられるかを全く語っていない。
法の深信が無い。どうしても抜け落ちてしまうのは、もはや法が心に無い証拠。
会長自身が、罪悪感の延長線上でしか、機の深信を捉えていない為、機の深信と罪悪の違いを明確に説明できない。これでは、大衆の前で説法できない訳だ。それにしても、情報有難うございます。

投稿: | 2009年10月28日 (水) 23時54分

会長に真意を尋ねるというより、会長ののいる所に千人単位とか大勢で押しかけて、マスコミに報道させるのを目的にしたらいいでしょ?かつて会がH寺にしたように。横の団結が必要だと思います。今は。
 会館の前で座り込みでもいいし。マスコミを極度に恐れているみたいだし。インフルエンザより怖いんでしょ?

投稿: | 2009年10月29日 (木) 00時59分

私も直接聞きましたが、

投稿: | 2009年10月28日 (水) 22時05分

の人の、挙げている話の要約は端折られている部分が結構あります。


「そんな人のために阿弥陀仏は本願を建てられた」とも説かれていました。

支部のHPに連絡をすれば、誰でも聴聞できると思うんで、一回聞いて直接聞きに行ってもよいと思いますよ。

投稿: | 2009年10月29日 (木) 07時18分

居座るのは結構だが、問題もあります。というのは、会員のなかには高森先生一直線の人もいれば半信半疑の人、学生、身内の反対の人様々だろう。講師や職員は別として。

投稿: | 2009年10月29日 (木) 08時33分

そんなにたくさんの人数でなくても、本当に信心決定したい人で、電話座談会や会のこれからの方針について聞きたい人は、会長に直接聞きに言ったら?
 関東の同行の話を出すまでもなく、事は後生の一大事でしょ?
 今まで、善知識の直接の対機説法でした助からないと、富山に誘い、人が多いからと、大きな会館の献金をさせたのに、電話でOKという方向転換の軽いのりはいかがなものか?誰か聞きにいく、気骨のある現役会員はいないの?
 そのときの会長や会の対応でやめるかどうか決めたらいいんじゃないの?

投稿: | 2009年10月29日 (木) 08時59分

>本当に信心決定したい人

がいないんだから、そんなこともしないと思うよ。
したい人はさっさとやめてるから。

>気骨のある現役会員はいないの?
やめてる。エネルギーと時間の無駄。

投稿: | 2009年10月29日 (木) 10時23分

信心決定本気でしたくないのに会に所属する意味があるの?その辺が理解不能?
 会にいて今楽しい?嫌な事多くない?少なくとも私は会にいて楽しい事などなかったから。だから、教えがおかしいと思った時点でやめたけど。
 現役会員さんたちは詐欺師の会長やカルトの資金源を稼ぐ為に助からない教えを話してお金を騙し取ってるって自覚がないところが怖い。
 そうじゃないと思うんなら、思いたいんなら、証明してよ。命がけで確かめなよ。今が大事なときでしょ?会の横暴を見逃すの?このままうやむやにしてもいいの?
 みんな不審を持ったまま、このまま、電話座談会を正座していつまでも聞き続けるつもりなの?
 現役会員の人誰か答えてよ?答えられないって事は、もう人生諦めて、投げちゃったと見做すからね!いいね!

投稿: | 2009年10月29日 (木) 12時11分

問題の多い団体、抗議も必要だが、やはり基本的な質問、意義についてはきちんと答えてもらいたい。  一番の原点だろう。 
答えない?のが一番だめやろう

投稿: | 2009年10月29日 (木) 16時38分

教義上の質問も収支報告も答える気なんて全くないんだよ。
気がないというより、答えたらもう終わりだと思うから、だんまりを決め込む。
この期に及んで、まだ、答えて下さいと下出に出るの?
今、直ぐ信心決定したいと強く思っているなら、急ぐはずだけど?一体いつ信心決定する気なの?それとも臨終の観音菩薩に夢を託しているの?
 聞きに行って、答えてくれて、納得できたらそれでいいんだし、不当な扱いを受けたら、事実をマスコミやネットでありのまま流したらいいし。
 電話座談会なんて末期の症状を呈しているんだし、思い切った賭けに出るのも一つの手だとは思うけど、みんな悪者と思われたくないよね。自分が可愛いし。せいぜい、菓子折りの饅頭みたいに集まって、正座して、玉音放送拝聴するような求道遊び続けるんだね!

投稿: | 2009年10月29日 (木) 18時13分

>せいぜい、菓子折りの饅頭みたいに集まって、正座して、玉音放送拝聴するような求道遊び続けるんだね!


どうせ玉音放送をやるなら、人間宣言(未信宣言)を早くして欲しい。

投稿: | 2009年10月29日 (木) 18時46分

早く解散しよう

投稿: | 2009年10月29日 (木) 23時09分

講師も会員さんたちも、自分達だけで、求道しているんだと自己陶酔しているのは(見ていて痛々しいけど)、仕方ありませんが、ほかの人まで巻き込んで、被害を広めないで下さい。カルトの活動に誘ったり、資金を貢がせないで下さい。
 教えの何がおかしいかというと、阿弥陀仏がたまにしか、出てこないのに、人を連れて来い、お金を出せと要求するからです。自分達に都合の良いように作り変えて、考えられた因果の道理を根拠にして。
 どんな善より、阿弥陀仏の本願が優り、どんな悪より、阿弥陀仏の本願を疑う事が恐ろしい。こんなとてもシンプルな事をお金集めや人集めの為にわざとあまり言わないように、間違えるように言っているとしか思えません。
 なぜなら、弥陀の本願はただ、だから。そう言ったら、お金も人も集まらないと考えているんでしょ?阿弥陀仏の本願に救われた人のする事とは考えがたいし、煩悩の成せる業と開き直るなら、とても悲しいし、残念です。
 電話にした時点でもう終わりですよ。会長は会員さんの信心決定など考えていないと表明したのと同じです。会員さん、騙された事に早く気が付いて、もっと怒って下さい。

投稿: | 2009年10月30日 (金) 12時38分

私は支部長から阿弥陀仏の本願の話をされたことがありません!

投稿: | 2009年10月30日 (金) 13時44分

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