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因果の道理など真理ではないと信ずる人とは

私には何人か現役会員の友人がおり、たまに電話やスカイプで話をすることがあります。そのときにある友人が、ため息混じりにつぶやいていました。

親鸞会ももう終わりだな、と。

人が少なくなり、活気がなくなり、講師部員の目は例外なく死んでいると。信心の沙汰が大事と推進されるが、結局高森会長の説法の暗記大会で、信仰を語れる人など誰もいないと。

学友部の後輩と話をしても、自分で色々調べたり考えたり出来るような人は既にほとんどやめてしまっていて、残っているのはそもそもネットの情報にアクセス出来る能力すらないような人ばかり。幹部の能力を持った人は少なく、大抵の大学の組織は講師部員や「がっけんクラブ」から職員が派遣され維持されていると。

「電話座談会」の高森会長の話を聞いていても、自著の「歎異抄を開く」の自慢話とテキトウな話の内容にうんざり。話の内容に信念も覇気も感じられず、高森会長は腑抜けのようだと。

ここ数年で急激におこった親鸞会の凋落。以前は余程気をつけて見ないと気付かない程度だったが、ここ1~2年で明らかに衰退が分かるまで進んでいるのだと、具体的に語ってくれました。

親鸞会はどうしてこうなってしまったのでしょうか。

思えば親鸞会は、自分たちへの批判や問題に対して正面から向き合った事が一度もありません。

かつては豊田商事事件のときに、会長の永野一男と親鸞会との関係が報道されましたが、「雑行を行っていた永野会長と親鸞会の会員ではない」と一方的に決め付け、豊田商事で親鸞会の講師が説法をしていたことなど何の反省も行いませんでした。

紅楳英顕氏から親鸞会の教学を批判する論文が発表されたときも、氏が主張してもいない主張をでっち上げて「勝利」し、法論を本にしたときもわざわざ紅楳氏でない別の人の論文を掲載しごまかしをしました。

アニメ頒布で死者が出た時は「活動中いかなる事、たとえ事故で命を落とす事があっても本望です」と活動員に書かせ、学友部のレクリエーション中に死者が出たときは親鸞会との関係性をごまかすのに必死で、過労死で死者が出た時は「弔い合戦」として更なる活動の激化が進められ、その背景については何の反省もありませんでした。

幾たびも批判の対象になっている正体を隠した勧誘についても、「学生が勝手にやっていること」と誤魔化しその是非については全く反省も議論も行わず今に至るまで隠し続けています。

華光会と会長との過去が暴露され会員が流出したときは、華光会の機関誌から都合のいい部分だけ抜き取って土蔵秘事に仕立て上げ、「華光会」の名前を隠しつつ印象操作を行いました。

会長の著作が大沼法竜や伊藤康善のパクリだと判明したときは、何の理由も会員には告げずひそかに全ての会報を廃刊にし、会員に聞かれれば「引用」だと誤魔化しました。

会長の息子に不倫疑惑が発覚したときは、全講師部員を3日間本部会館に閉じ込めて不倫疑惑を調べた講師部員をあぶり出し粛清し、肝心の疑惑は「捏造」と決め付け闇に葬りました。

親鸞会にとって都合の悪い内部資料がネットに流出すると、「著作権法違反」や「名誉毀損」を理由に法的圧力をかけ閉鎖に追い込み、内容についてはこれまた「捏造だ」と繰り返すだけでした。

また、こうした批判を隠すためにネットに大量の誤魔化しサイトを配置しました。中には講師部員が本願寺の関係者を騙ったブログまで立ち上げました。

会を批判する人が出てくると容赦なく「除名」にして、除名になった人の悪口を徹底し内部の会員が接しないようにしました。その後離反する人が相次いだために、密告を奨励し講師部員に「やめるとき違約金1000万を払え」という誓約を課しました。

結局「親鸞会も高森会長も絶対に正しい」「全人類の救われる唯一の道を説く善知識」といった考え以外には受け入れられず、親鸞会に対する批判や問題提起については無視か逃亡か誤魔化し以外の対応をとれず、今まで何の検証も議論も反省もなされてきませんでした。

そして、講師部員や職員は上司の顔色ばかりを伺い、密告や粛清を恐れただの高森会長のDVDビデオを流すだけのロボットになり、多くの幹部が親鸞会を見限って離れてゆきました。

これを自業自得、因果応報と言わずになんと言うのでしょうか。しかしそんな簡単なこともわからないのが親鸞会の人たちのようで、この体質は今に至るまで全く変わっていません。

最近では「親鸞会が間違っているという人の中に因果の道理が真理ではないと公言している人がいる」と突如言い出し、「因果の道理を信じていないものに親鸞聖人の教えなどわかるはずがない」と主張する人まで出てきました。

そもそも親鸞会の説く因果の道理が間違っていると各所で指摘されているのに、その疑問には一切答えないのですから話になりませんし、果たして「因果の道理が真理でないと公言している人」という主張自体も怪しいものです。

しかし以前も親鸞会は自分たちを批判する人を「本願寺の僧侶などごく一部の人」と決めつけ、自分たちに向けられる批判には全く答えず本願寺の悪口を繰り返すことで逃げていましたから、これも「いつもの親鸞会のやり方」なのでしょう。

そういえば高森会長の因果の道理の説法に、「自分に良い結果が返ってきた時には『自因自果』と思えるが、自分に悪い結果が帰って来た時には『他因自果』としか思えない。しかし、そんな都合によってコロコロ変わるようでは、大宇宙の真理とは言えない。『他因自果』ということは、万に一つ、億に一つもあり得ないのだ。」という内容がありました。

それなのに「親鸞会は世界に二つとない、素晴らしい集まり」と自画自賛する一方、批判を受けた時は「本願寺の僧侶などごく一部の人が悪意を持ってまき散らしているから」「因果の道理がわからない人など所詮親鸞聖人の教えもわからないのだ」と批判の内容を省みもせず、それによって引き起こされる組織の衰退や会員の離脱まで他人のせいにするのですから、「廃悪修善」をする気がない上に「自因自果」も全くわかっていないのでしょう。

つまりは彼らは因果の道理を真理だなんてこれっぽっちも信じていないのです。自分ですら信じてないものを、どうして真理と言えるのでしょうか。親鸞会にしてもこの「静かな劇場」の著者である講師部員にしても、守りたいのは「親鸞聖人の教え」でも「仏法」でも「因果の道理」でもないのです。

自分たちが選んで、人生をつぎ込んできたものを否定したくないために、「因果の道理」を使って自らに寄せられる批判や問題から目をそらしているに過ぎないのです。だから彼らにとって「因果の道理」とは、既に「真理」どころか「宗教的信念」ですらありません。たんなる批判をかわすための「道具」です。

褒めろといわれれば褒め、敬えといわれれば敬い、感謝しろと言われれば感謝し、怒れといわれれば怒る。人生に対する悩みも教義への疑問も全て「お手本」が与えられ、それに従うことを信仰と勘違いする。

自分の書いたもの、自分の言ったこと、自分の行った行為、何一つ責任を取れず、矛盾を指摘されれば場当たり的に逃げ道を見つけ出してはそこに逃げ込み、自己陶酔し、内輪で賛嘆しあう。

思考力を持った人は黙って親鸞会を去り、残った人たちは「去った人は仏法をわかってなかったのだ」と決め付けることで溜飲を下げ、「必堕無間」の頚木の中で空虚な信仰に浸っている。

「自分たちの人生はそんなもんなんだ。いまさら変われないんだ。どうかそっとしておいてくれ。」

「静かな劇場」の文章からは、著者のそんな本音が伝わってきます。

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投稿:私はなぜ親鸞会をやめたのか

私と親鸞会との縁は、今から42年前です。大学を卒業した年、高森会長に3ヶ月間随行したことが始まりでした。以来、親鸞会会員として在籍してきましたが、今年3月に退会しました。

そのきっかけは、チューリップ企画ホームページに、チューリップ企画と田中氏の論戦が載っていることを知ったことでした。その内容は「若不生者」の「生」の意味に関することでした。

「若不生者」の「生」は、「極楽浄土に生まれる」ことであると主張する田中氏が、正しい根拠を提示していることに対し、「若不生者」の「生」は「信楽に生まれる」ことであると主張するチューリップ企画は、正しい根拠を出せずにいるのです。

一連のやりとりをみていると、チューリップ企画の説は間違っていると言わざるを得ません。当初、私はいずれにせよ、両者の主張は二益法門には変わりがないのだから、どちらでもよいのではないかと単純に考えていました。しかし、それは大変な誤りでした。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と正信偈にあるように、釈迦は、弥陀の本願一つを説くためにこの地球上に現れられたのです。だからその本願の一字一句の解釈に間違いがあってよいはずがありません。又、この二者の解釈の相違は、私の阿弥陀仏に対する“思い”に大きな相違をもたらしていました。

この42年間、聞法の目的は「信楽に生まれること」即ち「信心決定」することだと教えられ、「信心決定しなければ!」「信心決定しなければ!」と求めてきました。

『聞』というは衆生仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」と聞き、阿弥陀仏に向かうのですが、何故か心は阿弥陀仏から遠く離れ、阿弥陀仏そのものが遠い遠い存在であり、全く分かりませんでした。こんなことで一体何時になったら信心決定できるのだろうかと絶望に近い心境でした。

ところが、聞法の目的は「弥陀の浄土に生まれる」こと、即ち、「成仏する」ことだと教えられると、阿弥陀仏そのものの存在が大きく大きく感じられるのです。阿弥陀仏が本当に身近に感じられるようになりました。

もちろん成仏するには、この世で信心決定しなければならないのですが、信心決定することが目的だと言われると、もうそこで止まってしまい、その先の「成仏」に心がかからなくなるのだと思います。

もう一つ、私の退会を決定づけたのは、嶋田氏(親鸞会元講師)の「私の白道」をネットで読み、高森会長の著書に盗作が明らかになったからでした。私は、本当だろうかという思いで嶋田氏と同様、福岡県の敬行寺から大沼法龍氏の在庫本をあるだけ(10冊)を購入し、高森会長の著書の内容を調べました。

嶋田氏が言われるように、同一表現、類似表現等とても多く本当に驚きました。すばらしいお歌だと感じ入っていた歌も多くは大沼氏からのものでした。これでは高森会長の本を読むより、大沼氏の本を読むほうが余程ましだと思えてきました。

それにもう一人、伊藤康善氏の書物からも盗作の多いことは嶋田氏やネット上で明らかにされています。しかもこの伊藤氏は、高森会長の善知識だったとは全くの驚きでした。嶋田氏も言われているように、高森会長の「私には導いてくれる先生はいなかった。親鸞聖人によって信心決定したのです。」という言葉は、高森会長から直々に聞いていただけに大きな驚きでした。若い頃随行させてもらい、つらい時、苦しい時、無二の善知識に随行させて頂いたのだ、という誇りを励みに求めてきただけにショックでした。

そして、その時点で明らかになった、高森会長以外にも善知識といわれるお方はおられたんだ、ということもショックでした。私が20代の頃、大沼氏も伊藤氏もまだ存命だったと知った時、二人に是非ともお会いしたかったなあと思いました。42年目に初めて知った高森会長の過去、盗作、そして教えの間違い、キッパリと退会の決断ができました。

退会の意思を支部長に伝えた時、2人の支部長がやってきました。「高森会長の盗作の事実が判明したから、もうついていけない」とそれだけに絞って伝えました。(理由はそれだけで十分だと思ったからです。それに教えの間違いを言えば、話はゴタゴタ長引いてしまうと思ったからです。)支部長は「盗作ではない、『引用』だ」と言いました。私は「ええっ?」と思いました。ちなみに広辞苑には、「引用」とは「自分の説のよりどころとして他の文章や事例または個人の語を引くこと」と出ています。もちろん引用元はハッキリしなければいけません。そうでないものを盗作というのです。同じく広辞苑には「盗作」とは「他人の作品の全部または一部を自分のものとして無断で使うこと」と出ています。更に支部長は、もし盗作だとしてもそれのどこが悪いという口ぶりでした。

高森会長は、真実を明らかにするためには、使える手段ならあらゆる手段を使うと言われているし(そういう言葉は私も聞いていました)、それが多くの人を幸福に導く為にされるのならよいのではないかと言うのです。

しかし、よくよく考えて欲しいものです。あらゆる手段といっても、その手段とは”正当な手段”でなければならないのは当然のことです。私は30年余り教職に携わってきました。そこで感じてきたことは、生徒の厳しい目です。もし教える側に何かやましい言動があれば、生徒はすぐに見抜きます。もう信用もしないし、ついてこなくなります。ましてや三界の大導師たる善知識は、この世の一介の教師とは比べ物になりません。後の世を渡す人なのです。教えはもちろんのこと、その言動にも厳しい目が向けられるのは当然ではないでしょうか。

 

最後に、嶋田氏も言っておられるように、私は親鸞会を別に恨んでいるわけではありません。何故なら、自ら求めて入会したのだし、それに仏とも法とも知らなかった私をここまで導いて下さったのは、他ならぬ高森会長だからです。

そして2人の支部長も、人間としてとても信頼できる人たちであり私は尊敬していました。願うなら、支部長達にも、今一度、広い視野に立ち、親鸞会の外から会全体を眺めて欲しいと切に思うのです。

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正本堂建設の経緯

今回初めて全国の親鸞会の拠点において「電話座談会」での高森会長の行事があり、報恩講も電話にて開催されるそうです。それを聞いてかつて取材した正本堂建設の経緯を思い出しました。

1997年正月に、当時の第一講堂と第二講堂に加えて、1室2,000人収容で3階に分けて合計6,000人収容の第三,四,五講堂を造る話が、高森会長からありました。
それで、その時の会議が「本部会館増築建設委員会」と名付けられ会長臨席で設けられ、会議で以下の様に変更になりました。

本部会館増築建設委員会議事録(第1回)
                                   1997年1月10日9:50~14:50
           参加者 高森先生
                吉村総務局長、泉特専部長
                ○○館長、○○副館長
                ○○主任、○○氏、○○
                ○○、○○(書記)

 1.第1駐車場脇に遺跡があるので注意する。
    →ロ-タリ-を上部に設けてはどうか。
 2.建物場所は、弘宣部前の敷地とする。
 3.下坪は1,000坪とする。
 4.1フロア-4,000人で、2フロア-。
   (あとは通路に座って10,000人)
 5.全体で1万人ゆとりをもった収容とする。
 6.先生は3階で御説法され、2階はスクリ-ンでの聴聞。
 7.講堂のスクリ-ンは天井埋め込みにしたい。
 8.演台に上る人の控室と現在よりも広い放送席が必要。
 9.講堂と廊下境の仕切りは固定式で、吸音を考えたものにした方がよい。
10.建物の構造は鉄骨か、鉄骨鉄筋コンクリ-トのどちらかで、工期を考えれば、鉄骨にしてはどうか。
11.本館の会議室と先生のお部屋を移し、本館を別の用途に変更する。
12.顕真会館の使い方も見直す必要がある。
13.参詣者の宿泊場所は、広範囲に分散させる。
14.機械室は機械が新しくなっているので、新館地下がよいのではないか。
15.省エネビジネス(30%カット)が脚光を浴びているので、それも考慮にいれる。
16.この会館において先生の動線(玄関、EV、お部屋、控室)は大変よい。
17.講堂の縦横のバランスは今のままがよい。
18.建物規模は、40m×83m(本館は34m×72m)。
19.参詣者の出入りを分散させるように計画する。(2階と3階の人の流れを分離)
20.子供部屋は、新館の後ろに別棟で建設する。
21.売店は一箇所に集中させずに分散させる。
22.教学講義は、現在の第1講堂で。
23.顕真会館の子供部屋をレストランに改装する。
24.会議室は大中小が必要。
25.事務室、執務室は現在のままとする。
26.特別会議室を今よりも広くし、トイレを設ける。
27.本館と新館とは、本館2階、3階、地下でつなぐ。
28.本館屋上と新館とをつなぎ、本館屋上の使い方を検討する。
29.経理とOA室はできるだけ近くに置きたい。
30.小さい収納庫を分散して配置する。
31.現在の先生のお部屋は会議室にする。
32.4F、5Fの会議室は500坪とする。
33.建物階高
    1F 5m
    2F 6m
    3F 7m
    4F 5m
    5F 5m
    6F 5m
34.先生のお部屋の広さは、現在のままでよい。
35.秘書室は5階とする。
36.幹部理事室はそのまま。
37.本部全体で20人の居住部屋を確保する。
38.エスカレ-タ-で3階までいけるようにしたい。
39.エレベ-タ-は7基程。
40.車庫から新館に入れるように通路を設ける。
41.先生のお部屋の空調はボタン1つでできるようにする。
42.造成の際出た土を利用できないか。
43.○○館長で現在の不都合箇所をまとめてもらう。
44.建設委員会の書記は○○とする。
45.会合の日程(時間 9:30~16:00  場所 司令室)
    1月 14日・21日・29日
    2月  6日・13日・21日・25日
    3月  6日・12日・18日・27日

これをもとに図面を作成し、第2回の会議が午前中は、会長抜きで開催されました。

 

          本部会館増築建設委員会議事録(第2回午前)
                     1997年1月14日 9:30~12:00
                参加者 吉村総務局長、泉特専部長
                     ○○館長、○○副館長
                     ○○主任、○○氏、○○
                     ○○、○○(書記)
                     ○○会長、○○

 1.11日の先生からの御指示
    本館4階と増築館を渡り廊下でつなぐ。
    地下の渡り廊下はなし。
 2.13日の先生からの御提案
   講堂を一体感をもたせるホ-ル形式にしてはどうか。
 3.講堂の床を傾斜させるのはよくない。
 4.ホ-ル形式で演台を一番下にすれば、5000人が先生のお姿を直接見ることができる。
 5.会議棟を設けてはどうか。
 6.ホ-ル形式の功罪
    功
     ・一体感がある
    罪
     ・暖房の立ち上がりに時間がかかり、床暖房が必要になる。
     ・音響効果に特別の設備等が必要である。
     ・工期が長くなる。
     ・工事費が高い。
     ・三層が必要である。
 7.山側の外壁と擁壁とを兼ねて、建物の巾をできるだけ大きくとれるように検討する。
 8.開発の変更申請で、増築館は4000人収容、本館は休憩と食堂に利用、射水近辺の人が集まる施設、と説明する。
 9.造成の際発生した土量の場外搬出に問題があるので、検討する。

ここのポイントは、新しい講堂を2階吹抜けのホール形式として、参詣者が会長と同じ空間で話を聞けるようにするという会長の提案でした。
午前中の話合いを受けて、午後は会長臨席の会議となり、突如1万人収容の正本堂にすると会長が宣言し、委員会の名称も「正本堂建設委員会」と変わりました。

 

            正本堂建設委員会議事録(第2回午後)
                    1997年1月14日 12:50~20:30
               参加者 高森先生
                    日下部事務局長、保野財務局長
                    吉村総務局長、泉特専部長
                    山崎学院長、山根指導部長
                    ○○館長、○○副館長
                    ○○主任、○○氏、○○、小堀
                    ○、○○、○○、○○(書記)

 1.正本堂建立であり、これが最後になるので、時間を抜きにして考える。
 2.造成土の処理は3,400万~4,000万で解決(佐藤工業に確認)。
 3.建坪は1,900坪(40m×160m)。
 4.隣地の購入を検討する。
 5.講堂をホ-ル形式とする。
 6.女性トイレの数は200程必要。(大きさよりも数を優先)
 7.現在の第1講堂は教学講義とロビ-として利用。
 8.演台の位置は3階に。
 9.講堂内の通路巾は6尺。
10.講堂吹抜けは2/3程がよい。
11.各階構成
    1階 機械室
    2階 下足荷物置場(300坪)・会議室(550坪)
    3階 演台・講堂(6,000人 800坪)
    4階 講堂(2,500人)・下足荷物置場・・全体で850坪
    5階 講堂(1,500人)・下足荷物置場・・全体で500坪+特別会議室
    6階 先生のお部屋
   [参考]
    顕真会館3階 講堂(1,500人)・・320坪
12.エスカレ-タ-ホ-ル(200坪)を設ける。
13.会議室は分散させる。(会議棟にまとめない)
14.本館1階の子供部屋を荷物置場(1階全体で3,000人分)にし、正本堂3階の参詣者の半分(3,000人)を本館側から出入りさせる。
15.本館2階から正本堂の3階への階段を設けてはどうか。
16.正本堂の玄関は2階のみとする。
17.3階へは土足で入れないようにする。
18.段差をなるべく少なくする。
19.階段を緩くし、手すりを多く、踊り場も余裕をもって設ける。
20.屋根(屋上)の雪対策も検討しておく。
21.講堂内の可動間仕切りはなし。
22.収納のスペ-スを確保する。
23.根拠が簡単に出せるようにする。(コンピュ-タ-の利用等検討)
24.工法、工期、工事費を考慮すれば車庫を作りなおす方が有利になる。
25.芝生広場から工事用の仮設道路を設ける。
26.現在のロ-タリ-を拡張して、正本堂と一体で考える。
27.正門の位置も検討する。
28.駐車場からロ-タリ-の下を通ってロ-タリ-に出るような人の流れにしてはどうか。
29.計画段階ではコンピュ-タ-グラフィックで検討し、計画が煮詰まった段階で模型を製作する。
30.全体の工期を延ばしてもよい。(設計期間も延長)
31.講堂は現在の第1講堂のような音響と空調にする。
32.工事費の試算
    正本堂   76億(1,900坪×4×100万)
    渡り廊下   1億1千万
    造成     2億
    外構     1億
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    合計    80億1千万
33.各部屋の広さ、車の数、人の流れ等の資料をそろえておく。
34.遺跡の扱いについて調べる。
35.基本設計は○○設計が中心となり、○○設計と共同で進める。

その後紆余曲折を経て、現在の正本堂となりました。
会長と同一空間での聞法ということに、最初から最後までこだわったのが会長であることはいうまでもありません。

それがどういうわけか報恩講まで「電話座談会」になってしまいました。足で聞け、というかつての高森会長の主張はどこに消えてしまったのでしょうか。かつては40度の熱があっても参詣しろと言われたものですが。

インフルエンザ対策というのが表向きの理由だそうですが、会員は親鸞会の行事に行かなくても普通に学校や職場に通っており、正本堂に集まらなかったら感染しないというわけでもないでしょうし、参詣者から距離のある壇上の高森会長に感染するリスクも余り考えられません。

私にはもう、高森会長には数千人の参詣者を前にして話をするだけの覚悟も度胸もなくなっているのではないかと思えます。だから電話座談会という安易な手段に流されたのではないでしょうか。

こんなときでも富山県から全国各地の拠点に弁当の配達は行われたそうです。

私には今の親鸞会がいったい何にこだわっているのか、さっぱり理解できません。

かくて会員の血と汗の浄財を集めた正本堂や周辺施設を使う機会はますます少なくなり、高森会長が死ぬ日まで緩やかに衰退してゆくでしょう。

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投稿:光戦の辛い出来事

私は、今年1月の講師の除名の件で、精神的にあまりに大きなショックを受けました。その事で担当のI支部長に面会を迫られ、「講師部内のことで会員さんに申し訳ない」と手をついて頭を下げて謝られたので、私が「高森先生も大変ですね」と言うとI支部長は「高森先生は泰然自若としておられます」と。深々と謝りながら、弟子を除名処分にして泰然自若とは?とても違和感のある、受け入れられない返答でした。私を安心させる為に言ったとすれば、何か隠していると感じたのです。

そして、本当の事が知りたいと思い、インターネットで親鸞会の実態を知る事になったのです。学生部で縁があり、17年間親鸞会にいましたが、それまで批判サイトを見たことは、一度もありませんでした。数ある情報の中でも何人かの方が、親鸞会の活動中亡くなられていた事や、会長が多数の著書でパクリをしていた事は衝撃でした。そして会計報告が出来ない現状は、親鸞会がらみの仕事をしていて、腑に落ちない点があったので、情報が確信に変わりました。しかし教義面での間違いは、すぐには分からなかったので、恐怖を感じながら震える手で外部の人に電話して親鸞会の事を聞きました。そして一気に退会に心が傾いたのです。

親鸞会での辛い出来事は、大学を卒業後地元に帰って就職した初めてのお盆休みに、九州での光戦(アニメ映画「世界の光親鸞聖人シリーズ」(チューリップ企画)の戸別訪問による販売活動)に参加した時の事です。地元のF講師に参加を強く勧められ、連れの会員もいたので、参加を決めました。しかし連れは、仕事の都合がつかなくなり、自分だけになったのです。運転歴も半年足らずで、家族は反対しましたが、自分の思いを押し通して、中国地方から熊本まで一人で運転して行きました。夕方すでに到着している人達と合流してファミレスで食事をした後、女性の宿泊場所である熊本事務所に移動しました。参加のスタート日や期間は人それぞれ違い全国から会員が集まっていました。

翌日は、学生部の合宿のような時間厳守の体制で、早朝に起床し拠点に集合との指示でした。拠点場所の説明も配車の段取りも何もなかったので、場所を知っている人の車について行くことで頭が一杯でした。私が急いで事務所を出ようとしたとき、Aさんが「かさかさ」と言って慌てて事務所に戻ってきたのです。晴れているのにどうして傘がいるのか疑問に思ったのですが(テレビ等の情報源がなかった為)、時間までに集合しなければならず、出そうになった言葉を抑えてすれ違ったのです。そして私は誰も乗せることなく出発しました。

しばらくして直進してくる車を見計らっての右折に差し掛かりました。前方の2台が右折し、見失ったら困るので、必死になって右折したのです。朝もやの中、直進車との距離が余りにもなかったので、危うくぶつかるところでした。直後にドンと音がしたのです。その瞬間バックミラーを見ると横向きの白いバンが見えましたが、すれ違った車が物でも落としたと思ったのです。

拠点に着くと異様な雰囲気でした。私の後ろをついて来ていた車が事故に遭ったと知ったのです。先頭の運転手だったW講師には「Bさん(私)が止まると思った」と言って責められました。S講師が事故の対処にあたり、会員どうしで研修をして、それぞれにまわる場所を振り分け、私は一人で出発しました。そして夜の帰宅時間になっても嫌な胸騒ぎがしてどうしても帰る気になりませんでした。あてもなく車を走らせ、気がつけば小雨が降り始めていました。このまま帰らないわけにも行かず、考え事をしながらの運転で脱輪してパンクしてしまったので、近くのすし屋に助けを求め、スペアタイヤに変えてもらいました。

そして皆が寝静まったころ、恐る恐る事務所に帰ると、事故の詳細を書いて、FAXで報告したものが残っていたのです。あまりにもショッキングな内容に全身の力が抜けてしまいました。朝玄関ですれ違ったAさんが亡くなられたとの悲しすぎる現実でした。(バンの左後方と直進車との衝突で、私が見たのはバンの右側面の無傷に見える側でした。自分が最後尾だと思って出発したので、音を聞き、バックミラーで事故車を認識しながら、事故に気づくことが出来ませんでした)

翌朝には、「弔い合戦」との会長の言葉が伝えられ、光戦にまわるように指示されました。このとき何と厳しい教えなのかと思いましたが、深い御心(無常を教える為)からのご指導だと勘違いして、その後ますますのめり込んで行ったのです。

2日間の光戦を終え、帰りの高速道路のガソリンスタンドで地元紙をもらい事故の記事をみつけた時、参加した事を心底後悔しました。地元に帰ってからは「光に向かっているのに、何でこんなに苦しいのか?」と自問し、「苦しいけれど親鸞会から離れたらもっと苦しむ」、「辛いから仏法聞くしかない」と自答するだけの繰り返しでした。会長に手紙を出しても何の反応もありませんでした。(無言の説法だと思って慰めました)

総責任者だったK講師は亡くなられた方のご両親に、土下座をして謝罪されたと人伝いに聞きました。しかし親鸞会としての対応は、責任逃れの最低最悪のものだったと今になって知らされます。現在この世でただお一人の善知識高森先生と教えられ、何の疑いもなく信じて求めてきましたが、今思えば「弔い合戦」との言葉は、慈悲を説かれた仏教の教えから程遠く、亡くなられた方の無念さ、ご遺族のご心中を察すると言葉もありません。

その後、親鸞会は講師部等の職員に対して、「活動中いかなる事、たとえ事故で命を落とす事があっても本望です」との内容を親鸞会と両親宛に書かせたのです。私も事故防止の為くらいに考えて疑うことなく書きました。しかしすべては親鸞会の都合であったと知れば、諸々の理不尽だった事もすべて理解できました。そして教えを間違えて理解し、周囲の人たちに迷惑をかけてきた事も知らされました。

愚かにも最近気がついた事は、事故直後に対応出来なかったとしても、仲間が事故をおこした事を知った時点でその場に急行すれば良かったと言う事です。私は事故に遭った運転手の方や同乗者の方と実況見分に立ち合い、支え合いたかったと思います。しかしチューリップ企画にとって不利な証言をさせない為、それどころか私の存在自体が都合悪かったのだと気がついたのです。4台連なった状態だった事、親鸞会の事は、もちろん新聞には載っていませんでした。その後この事故の件で当事者同志が話をする事は、何かしら禁じられた空気を感じ、ほとんど話をした事はありませんでした。

法を仰ぐことを知らず、自分ばかり責めて何も聞いていなかったこと、今ではアニメの内容にも多々問題点があることが指摘され、筆舌に尽しがたい虚しさに襲われます。私や家族が親鸞会を去った後、恩を受けながら会長を裏切った恩知らずと会員に思わせて、妄想の敵を作り出し、そういう心で会員を縛る親鸞会のやり方に、さらなる犠牲者が出ない事を祈るばかりです。会長が「こちらの常識は相手の非常識、相手の常識はこちらの非常識」と言っていた事をこのような形で痛感するとは、夢にも思いませんでした。

ぶるうのさんはじめ、親鸞会の実態を教え続けてくれた方々にお礼申し上げます。

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井狩春男さんと100億円のカラオケボックス

親鸞会の関連会社である1万年堂出版(株式会社チューリップ企画の出版部門)。明橋大二の子育て本のヒットで有名なこの出版社は、信者を動員した書籍購入活動(SK作戦)でも知られています。

この全く無名であった出版社の出版戦略を支えて来たのが「ベストセラーの仕掛人」として知られる井狩春男氏です。その詳細についてはちゆ12歳の「井狩春男さんと「光に向かって」で詳しく触れられています。

どうして親鸞会のような問題のある新宗教団体の出版活動に肩入れするのか。彼くらいの経歴の持ち主に他に仕事はないのかと思いますが、少し前にこんな話を聞きました。

井狩氏が正本堂(100億円以上の金をかけて建てた親鸞会の宗教施設)を訪問したときに、高森会長自らが内部を案内したのですが、大講堂を見た際に井狩氏が言ったそうです。

井狩「いやぁすごい広いですねぇ。こんなところで歌ったらきもちいいでしょうねえ」
会長「じゃ、歌ってみますか?」

その後は視聴覚室の責任者が急遽呼ばれ、法話用の設備しかない大講堂にカラオケを流すのにてんやわんや。

そのときに会合をしていた親鸞会の講師部200名も会長の指示で大講堂に呼ばれ、親鸞会自慢のLED大スクリーンにカラオケの映像と字幕がうつされ、普段は「寺でロックコンサートをしている、けしからん!!」と本願寺を批判する人たちが、演壇の上で井狩氏が「いい日旅立ち」を歌うのをみんなで拝聴したのだそうです。

何十年も親鸞会に尽くしてきた信者すら直接会うことなどかなわない「会長先生」。それが自らが案内をし、ご要望とあれば「神聖な場所」である演壇をカラオケボックスにし、さらに講師部を聴衆に集めるほど感謝しているのが井狩春男氏なのでしょう。

これだけの扱いを受けていれば、さぞかし他の部分での待遇もいいことなのでしょう。井狩氏が親鸞会からはなられられないのも納得です。井狩さん、親鸞会の布教に役立てて、本当に良かったね!!!

しかし井狩氏はこの「親鸞会」という団体が大学での偽装勧誘では統一教会や摂理と一緒に問題になっていて、脱会する人の家に集団で夜中に押しかけるような団体であることをご存知で、こんなことをしているのでしょうか。

井狩氏がいたるところで推薦した「光に向かって100の花束」はほとんど大沼法龍のパクリですし、「現代の教行信証」と信者に呼ばせていた「会報」はパクリがばれると黙って廃刊にしています。こんな恥知らずな人の著作を推薦して、恥ずかしくないですか?

あなたが演壇で歌っていたときにそれを聞いていた講師部員の目を見ましたか?彼らは1000万の契約で親鸞会に縛られ、多くは朝から晩まで給料も無く働かされています。あなたが暢気に歌を歌った「正本堂」は彼らが信者から集めてきたお金で建ったものです。

献金額で十段階にランク分けをされ、絵を買ったり建物を建てたりするたびに献金を要求され、あげくに出したお金の使い道さえ知らされない信者がいます。一方、親鸞会に取り入って甘い汁を吸う人もいるのかもしれません。

井狩氏に少しでも出版に携わったものとしての良心や誇りがあるのならば、どうか早めに親鸞会から離れてください。

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投稿:方向を間違った教え

ある支部で副次長をされていた方からの投稿です。

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 私は、25年以上在籍しましたが、先日退会しました。親鸞会は親鸞聖人の教えを正しく教えていると信じて、学生部、青年部、支部と幹部を続けてきました。就職して多忙でも、子供が生まれて経済的に苦しくなっても、変わらず求めてきました。

 ところが 正本堂ができた頃から、どうも変だという疑問が起きてきました。

 以前はよく「善をしなければ良い結果は来ませんよ。だから善いことをしなさい。」と、ご法話で聞きました。しかし、ここ2,3年は、次のフレーズになりました。「善をしなければ信仰は進みませんよ」「信仰が進まなければ救われませんよ」と。この言葉を聴くと、どうも釈然としない・・。 「信仰が進む」という言葉が間に入っているものの、結局「善をしなければ救われない」「救われるには修善が必要だ」と聞こえる。同朋の里での信心の沙汰に出るとわかりますが、実際聴いている人のほとんどがそう理解している。わざわざそう受け取るように意図されて言われているのではないか。

 親鸞聖人が「正信偈」に明らかに教えられています。

  何によって救われるのか。(阿弥陀仏の本願力ひとつ)
  救われない原因は何か。 (疑情ひとつ)

 「阿弥陀仏に救われる為には善をしなさい。」などと、どこにも書かれていない。それなのに何故先生は、救いに修善が必要であると思わせるような話をされるのか。聖浄廃立はどうなってしまったのか。 この疑念を 拭い去ることができなくなったのです。

 この疑念が決定的になったのが、今年6月の親鸞聖人降誕会です。2日目のご説法で、修善(親鸞聖人の場合は比叡山での20年間のご修行)をしたから、悪しかできない自分が知らされ、極悪人と見抜かれた願に相応して、救われたのだ、と話がありました。救われるのは弥陀の願力ひとつなのに、願力の話が全く無く、修善によって願に相応する!と言い切られたのです。大変なショックを受けました。

 真実を説かずに方便だけで終わるご説法でよいのか?

 捨自帰他の親鸞聖人の教えは、どうなってしまったのか!

 親鸞聖人の教えを捻じ曲げているのではないか。「私は真実を説き切っています。」といつも聞かされてきたのです。

 妻に話すと、同じ疑念が生じていました。そこで、ある講師に疑問をぶつけました。その返答は「納得できなければ従えないというお粗末な信仰では親鸞学徒とはいえない」というものでした。その返答も判ります。しかし、明らかに親鸞聖人の教えと異なることを言われたのです。正しく教えを説かれている先生、という大前提がゆらいでいるのです。降誕会で「あなたの心に白隠がいるのです」と言われました。どんなにやっている人でも、心からやっているか?まだまだ実践が足りない。と言われれば、反論できる人は無いと思います。どんな善をどれだけ善をやれば悪しかできない自分が知らされるというのでしょうか。親鸞会の会員で誰がいつ親鸞聖人20年に匹敵する善ができるのでしょうか?そういうことのできない、意志の弱い人や努力のできない人は救われない、これが阿弥陀仏の本願なのだろうか?

 方向を間違った教えを20年、30年いや何千年聞こうと救いは覚束ないと思い、退会を決意しました。

 すぐさま「正御本尊を返納するように」と何度か言われましたが、返納する意思が無いことを伝えました。毎年、正御本尊に関する誓約書を書いていますが、最近の誓約書の文面は「死亡や、親鸞学徒で無くなるときには返納します」となっています。つまり「退会時に返納すると約束したでしょう」と言ってきても、根拠は無いのです。 私は退会はしても、親鸞学徒で無くなったわけではありません。 命を懸けてお護りせよと教える正御本尊を、何の為に”貸与”にして、退会する時は返却して当然と言ってくるのでしょう。その後、返事はありません。

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参考までに以下メールのやりとりです。
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最初のメール 9/30
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 **支部長様
 正御本尊についてお願いがあります。 御返納させて頂くのが筋と考えていましたが、引き続き奉持させて頂く事をお願い出来ないでしょうか。
 バッジや会員証と違い、返納することは心情的に耐えられません。家族○人の共通する心情です。貸与とはいっても、長年にわたり、お仏壇に御安置してきたものですし、これからもそれは変わりません。正御本尊ですから。 返納したくないと言っている者からでも、何が何でも返納させるということはあり得ないと、信じています。実は退会者と縁があって話をした事がありますが、返納したことを後悔し、またこのようなことに腑に落ちない思いを抱いていることを聞かされました。全く同感です。この思いをどうか、責任のある方に伝えて頂きたいのです。
 退会すると言っても、親鸞学徒でなくなるということでは決してありません。なお、私としては御返納させて頂くとお約束したのは親鸞学徒で無くなるときと認識しています。 何卒、よろしくお願い致します。


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講師より返信 10/1
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○○○○様
メール受信しました。
内容については、○○○お会いしたときにお話したいと思いますが、
一端は、奉持してきていただきたいと思います。


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○○○○より 10/1
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**講師様
お忙しい中、申し訳ありません。
1.昨日お願いしたことについて
  ○○○○特別会ってお話を聞く必要があると思いません。
  一端は奉持することがなぜ必要なのか、説明が無いので、理解できません。
  最初から結論は出ていて、その場で説得するつもりならば、時間の無駄です。
  お願いしたことに返事をせずに、とにかく事を処理しようとするやり方は不審を増幅させる
  のみでは無いでしょうか。
  昨日お願いしたことは変わりません。
  結論的な回答はすぐに頂けるとは思っていませんが、その返事は3つしか無いと思います。
  どれでしょうか。返事を頂けないでしょうか。
   (1)認めない。
   (2)認めるかも知れない。あるいは条件付きで認めるかも知れない。
   (3)すぐに返事はできない。
  いずれにしても、今の時点で返納させて頂くつもりはありません。
  あくまで、親鸞聖人ご真筆のご名号を下付して頂き、死ぬまで大切に奉持するつもりでした。
  そしてそれは、今でも変わりません。退会すると親鸞学徒で無くなるということはありません。
  何度も書きますが、退会した人も、現会員もこのことに対して不審を抱いています。
  そうまでして、俗な言い方をすれば「取り返す」必要があるのでしょうか。
  そういう思いを組み取る必要はないのでしょうか。
  「取り返す」ことが親鸞聖人の御心に沿う事なのでしょうか。
  **講師が私を説得する責任など無いと思います。
  返さない(もちろん死ぬまでのことです)と言っている以上、仕方が無いのではないでしょうか。
 2.手元にある名札とバッジは、家族の分を含めて郵送させて頂きます。
 3.対応  1.の(1)から(3)について、あらかじめ対応を書かせて頂きます。
  (1)の場合は拒否します。
  (2)の場合は死ぬまで大切に奉持させて頂きます。
  条件があるならば文書で明示してください。
  (3)の場合は、回答が出た時点で対応致します。
  従って、明日時間を取って頂く必要はありませんので、上記の返事をください。よろしくお願い致します。


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最後ののメール 10/7
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**講師様
 先日お伝えした件についてお返事が頂けないようですので、黙認されたと判断させて頂きます。
 なお、今後連絡や接触は無用ですのでよろしくお願い致します。
 重ねて断っておきますが、「親鸞学徒でなくなったときに返納させて頂く」と誓約書にあったと記憶しています。
 昔の誓約書は退会時となっていましたが、それが変更されていますのでその通りに理解しています。

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渡部隆志の新刊「やがて世界は仏教にたどりつく」定価1200円

親鸞会の弘宣部長である渡部隆志による新刊「やがて世界は仏教にたどりつく」が発刊されます。定価1200円。

渡部隆志氏といえば、1994年に発刊した前著「キリスト教文明の崩壊と仏教の時代」で、

「『般若心経』の「色即是空、空即是色」が、現代物理学の先端をいくアインシュタインの相対性理論に現れる式、E=mc2(Eはエネルギー、mは物質の質量、cは光速度)と同じ意味であるとは、多くの物理学者が指摘するところ。」 「仏教の世界観が真理であることは、現象学が論理的に証明した後、量子力学、素粒子物理学などで実証されている。」

といった根拠の無い珍説を自信満々に披露していたことが思い出されるのですが、今回の新刊はどうでしょうか。目次を見てみましょう。


●第1章
世界の大動乱は、
表面だけ追っていては本質を見誤る。
歴史の底流にある思想や宗教の影響を
知ることが不可欠

●第2章
私たちを幸福にするための
科学技術が、なぜ今日、
大きな危機をもたらしているのか

●第3章
これからは支配や対立ではなく
協調の時代。オバマ大統領のアメリカは、
人種差別を克服できるのか

●第4章
物がどんなに平等でも、豊かでも、
心が満たされなければ幸せになれないことを
証明したマルクス主義・ソ連の消滅

●第5章
憎悪と報復の連鎖を捨て、
「幸せの連鎖」を生むスピリットが求められている

●第6章
私とは、何ものか。
生きている意味は、何なのか。
哲学、科学は、急速に仏教に近づいている

●第7章
「人は、なぜ生きるのか」
パスカル、トルストイは、真剣に悩み、
絶望していった

●第8章
絶望の本質は、「人間は必ず死ぬ」こと。
この根本的な不安を、どう晴らすのか

●第9章
西洋哲学の限界と、ニヒリズムを超えた体験
仏法者は、すべてに感謝せずにおれなくなる

●第10章
弥陀の本願は、明日なき我を
「ただ今の一念、絶対の幸福に救う」
と誓われている

どうみても内容は前著「キリスト教文明の崩壊と仏教の時代」の焼き直しです。本当に有難うございました。それにしても前著から15年、何の進歩もないね、この人の頭は。

さすがに今回は前著のような珍説は削除されていると思いますが(メールで指摘されたら答えずに逃げたしね)、どうせ内容は似たり寄ったりでしょう。渡部氏の得意技「知ったかぶり」炸裂のトンデモ本なら面白いことは面白いかも知れませんが、それなら大川隆法の本でも読んでいたほうがまだナンボかマシかもしれません(いろんな意味で)。

いずれにせよ、1200円も出して買うような内容では全くありません。そもそも、自分たちの説く「教義」にさまざまな批判や誤りを指摘されながら、一個の反論も出来ないような連中に「やがて世界は仏教にたどりつく」といわれても何の説得力もありませんしね。仮に世界が仏教のたどり着くのが事実だとしても、あなた方が説くニセ仏教ではないことは間違いないです。

そういえば最近聞くことですが、「歎異抄をひらく」以来歎異抄の解説本が出てないという話も、いつの間にか「歎異抄をひらく」の反論本が出ていないという話にすり替わっているそうです。真宗界から何の注目もされていない本の反論本なんて出るわけ無いでしょ。愉快な人たちですね。

少し前に兵庫県の山奥に巨大な宗教施設を建てた仏教系の新宗教団体に取材に行ってきたのですが、そこでも「世界は仏教にたどり着く」「ここが世界の仏教の中心になる」とか随分お花畑な話を聞かせていただきました。

渡部隆志さんもせいぜい信者から金を搾り取って射水の山奥に建物立てて「やがて世界は仏教にたどりつくのだぁ」「射水の聖地が世界の仏教の中心になるのだぁ」とか叫んでてください。誰も聞いてないけど。

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親鸞会も講師部も地に墜ちた

親鸞会の弘宣部講師N氏が執筆するブログ「静かな劇場」について以前「幻想のお花畑で踊る人々」というエントリを書きました。

その後多くのブログから「静かな劇場」の記事への批判が相次ぎ、突如N氏は実に弱気な反省の辞を述べ、ブログの過去の記事を全て消去してしまいました。

なぜ過去のエントリーを消したのかとの問い合わせがありましたが、一言で言えば、自身の反省からです。 売り言葉に買い言葉ということもあり、甚だ感情的になり、相手を不快にさせることを幾つか書いたことを素直に認め、お詫びしたいと思います。以前と違い、たくさんの人がここを訪れるようになった今、そのままにもしておけないので、これまで書いたことは消去し、心新たに話を始めることにしました。 と同時に今後、特定の人の(教えとは関係のない)〃言動〃を、あれこれ言うことはしないと約束したいと思います。

ただ、一言言わせていただくなら、だれしも自分の所属する団体のことを悪く言われて快く思う人はいないのです。
例えば、隣国が日本の戦時中の行為をいつまでも、蒸し返し、自国民の敵対心を煽るのを見て、冷静でいられるものでしょうか。なぜなら、私たちは日本で多くのことを学び、育てていただいた恩義があり、また愛してもいるからです。

私は親鸞会で、他では知ることのできない、実に多くのことを学ばせていただきました。それは親鸞聖人のみ教えであり、その恩義は一生かかっても返し切れるものではないと思っています。親鸞会も、その中で聞法される方々も、私は愛しています。それが〃熱く〃なった理由であり、その気持ちを察し、ご容赦願えればと思うのです。

過去には「親鸞聖人は盗作の大家」と暴言を吐いた親鸞会のブログが突然消去されたこともあり、今回のことも十分に予想していたのですが、このような弱気な言い訳を読まなければならないのは全くの予想外です。

私が親鸞会を批判するのは、別に親鸞会に恨みがあるからではありません。一時は親鸞会の中で生かされて、親鸞会の人々に育ててもらった私が親鸞会を批判し続けるのは、「高森会長と親鸞会は間違っている」と分かったからです。

知った以上は速やかに親鸞会を後にし、多くの人にその事実を知らせなければならないと考え、失ったものの多大なる事に絶望しつつ、多くの困難を乗り越えながら親鸞会の実態を明らかにしてきました。それが親鸞会時代「間違った教え」と知らずに多くの人を迷わせた、自らの使命であると思ったからです。

N氏は高森会長も親鸞会も正しいと思っているからまだ残っているのでしょう。ならば、なぜ親鸞会に対する批判に真っ向から答え、自分の信念を明らかにしないのだろうか。多くの会員が親鸞会のあり方に疑問を持ち、教義に疑問を持ち、やめてゆくのを見ながら、どうして反論しない。何が文書伝道だよ。そのペンは飾りか。飾りじゃないなら「私は親鸞会に対する批判にたいしてこう考える、だから自分は親鸞会講師部として活動するのだ」と書いてみろや。

相変わらずF館がどうだとか「歎異抄をひらく」の解説書がどうだとかくだらない記事ばかり書く一方、自分のブログはちょっと批判されたら記事を消去。おまけに「だれしも自分の所属する団体のことを悪く言われて快く思う人はいないのです。」って。

自分たちは本願寺を散々に批判しておきながら、いざ自分が批判されると「批判されると辛いからやめてください」って事らしい。馬鹿じゃないか。親鸞会講師部はいつからこんな打たれ弱い、軟弱な集まりになったのだろうか。

講師部としてじゃなく、人間として、男として恥ずかしくないか。真実に命をかけると数千人の前で約束して、会員から浄財をもらって生きているんだろう。それがちょっと批判されたらこの体たらく。

今月の顕正新聞の記事に「純正さのバロメータ」と題して「謗法への義憤の激しさは、信仰の純正さなのだろうか」とか書いているけど、内輪で「謗法はゆるせません!!」とか盛り上がってるだけじゃないか。そんなに怒っているのなら私の家に来て説得してみろよ。少なくない会員が私を説得しようと自宅まで来たが、講師部員で同じ事をやった人など誰もいないぞ。会員の方がよっぽど立派じゃないか。

人の見えないところでブログに書くのが精一杯で、しかもちょっと批判されたら消して弱気な言い訳。他の講師部のブログでちっとはマシなものが無いかと見ても「○○はおいしかった♪」、「空がきれいでした(^^)」って程度の文章。

あんたがたの真実開顕ってこの程度かよ。実に笑えるね。

私は、人生かけて親鸞会の批判をしている。今まで筆舌に尽くしがたい辛いこともあったが、決して逃げずに続けてきた。それが親鸞会時代に多くの人を迷わせた自分の使命だと思ったからだ。

しかしもう講師部には、人生をかけて親鸞会を守ろうなんて人はいないらしい。
自分の説く教えや、自分が勧誘する組織に責任持つ人もいないらしい。

毎月2回締め切りを守って新聞を作ってればそれでいいと思ってるんだろう。10分説法丸暗記してしゃべって、DVDとプロジェクターのスイッチ入れればそれでいいと思っているんだろう。総会で適当に叫んで、自分が指摘されなければそれでいいと思ってるんだろう。

批判されても、見てみぬ振り。ネットを見てやめてゆく人たちを幾人も見ているのに、自分が批判に答えてやろうと思う人なんて誰もいないんだろう。ネットなんてくだらない、たわけたものだと内輪で言い合ってればそれで使命は果たせたと思っているんだろう。

どうせやめたくっても、1000万の違約金とか除名されたりとかが怖いし、社会復帰できるか自信が無いからしないだけなんだろう。楽だもんな、講師部なんて。

自分がかつてこんな自分勝手で、弱い、情けないところにいたかと思うと残念でならない。

親鸞会も講師部も地に墜ちた。

君たちは使命もプライドも失った、ただのロボットの集団だ。反論できるならしてみろ。

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投稿文:W部弘宣部長様

脱会した方から、講師部員の人に色々メールを送っているけど、何の返事もないという事を聞きました。以下はそのメールです。

親鸞会には答えられる人はいないようです。口では威勢のいい事を言っていますが、身の保身が最優先で、こうした疑問に答えたり法論をするような余裕はないのでしょう。

これで因果の道理がどうとかこうとか言われても、ただ質問に答えられず逃げているようにしか見えません。答えるのは無理だって分かったからもういいんですけどね。

騙されているのに気付かない理由は二つあって、一つは単に騙されている事実を知らないから。もう一つは騙されている自分を認める勇気がないからです。

真摯な疑問に答える勇気もなし。自分の行く末を見つめる勇気もなし。騙されている事実を見る勇気もなし。認める勇気もなし。批判サイトに反論する勇気もなし。親鸞会はいつからこんな臆病者の集団になったのですか?
--------------------
W部弘宣部長様


ご無沙汰しています。
(はじめに言っておきますが、他からの批判を受け入れる度量がなければ、どうぞ削除してください。最後まで読めますか?)

この夏頃から、私が講師部をしていた時に担当していた青年部、婦人部、学友部の会員の方から突然、連絡をもらうことが多くなりました。

内容は、高森先生や親鸞会に対する不信の電話、メールです。

私も答えられる範囲で答えてきましたが、こちらも仕事や私生活などで忙しいので、「支部長に聞いて下さい。」と言うと、「支部長に聞いても答えてもらえない」と言う人もいます。

結論から言いますと、「親鸞会講師部の皆さん、もっとしっかりしてもらえませんか??」ということです。

あなた方が顕正、育成している会員でしょうに、もうちょっと、会員の訴えを聞き入れ、自分たちの組織内でしっかりまとめて下さい。それとも、もうやる気ないのですか?


★多くの人から聞かされるのは、「なぜ、先生は自ら所属していた『華光会』のことを隠し続けながら、名指しで批判することができないのか」ということです。

弘宣部長がご存知でしょう。詳しくは以下のサイトに記載されています。

高森顕徹氏の獲信体験

華光会と高森顕徹会長

高森顕徹氏の求道時代を知りたい人のために


★また、これも多くの人から聞かれますが、先生は大沼法竜や伊藤康善といった人の著作から、丸映しとも思えるほど、膨大な量の文章を自身の著作に使用しておられますが、なぜ引用元を明らかにせず、まるで自分が書いた文章であるかのようにふるまっておられるのか、といったことです。

詳しくは以下のサイトを再度、お読み下さい。

高森顕徹氏の著書のルーツ

高森顕徹氏の盗作問題

大沼法龍氏の言葉

高森顕徹著「光に向かって100の花束」は大沼法龍の著作のパクリです

弘宣部のブログが消える?

あたかも自分が書きつづったかのように振る舞い、他人からの盗作だとネットで批判され始めると、その書籍を廃刊にしたり、講師部のメーリングリストで諸歌集の削除を徹底するように指示するなど、情けない実態です。


その他にも、会員の皆さんの訴えを聞いていると、数多くの不信を買っている事実があるようですが、とりあえず、上記の事実に対して、一体どのような説明を会員の皆さんになさっているのでしょうか。

変に隠さずに、しっかり事実を認識した上で、会員のみなさんには「光に向って進みましょう」と話しをすればいいのに、隠そう隠そうとするから、嘘が第2、第3の嘘を呼び、会員のみなさんの不審を買っているのではないでしょうか。

自因自果をいつも説いておられるのに、それさえも認められず、「やめていった者たちがおかしなことをふれ回っているから」などと、心の中で思っておられるから、惑業苦を繰り返しておられるのではないでしょうか。

会員の方々のお話しを聞いていると、あまりに滑稽で「これがかつて尊敬していた講師部の先輩方の言動か」と、正直思ってしまいました。私のような者から言われて、情けなくないでしょうか。


★あと、会員の皆さんが不審におもっておられたのは、布教局長の不倫騒動とその後の先生の対応です。

これは、当事者のS谷講師の親御さんをも巻き込む事態に発展していますから、会員のみなさんにとっては、不倫騒動自体も問題ですが、その後の先生の対応にも不審を感じておられる人が少なくありませんでした。

「捏造」と捏造された不倫事件の真実

M晴をあまりいじめないでくれ事件


布教局長は以下の「親子の集い」の代表を務めておられますが、

浄土真宗親鸞会 親子の集い

ある会員の方が、
★「あのような男が親子の集いなどの代表ができるものか、親子関係を破壊している張本人ではないか。」と言われていました。

過去、自分がおこなってきたことにより、講師部員の家族や関係者に多大な苦痛を与え、多くの人に親鸞会や高森先生への不信を抱かせながら、問題を解決しようともせず、よく「親子の集い」の代表が務まるものだと、その肝っ玉の大きさには恐れ入る次第です。

なお、布教局長にもこの旨をメールで送りましたが、ご自分の影におびえ、最後まで読む勇気もなかっただろうと推察しますので、弘宣部長からお伝え頂けますか。

その他、10名前後の講師部の方々にもメールを送らせて頂いてます。他の会員の皆さんへの対応と同様、一切、こちらには返信はありません。

答えようにも答えられないので、皆さん、自分の心の中から、これらの事実を必死に消そうとしているのでしょう。現実から目をそらすあわれな惨状です。


★弘宣部長、頼むからもうちょっとしっかりして下さい。
以前、S田講師が講師部をやめ、一会員となったある時、先生や親鸞会のことを批判していたか何かで、講師部の総会に呼ばれ指摘されていましたが、そのとき、弘宣部長はたしか、「我々の顕正戦を黙ってみておれ!」といった発言をなさっていました。

親鸞会の戦いぶりをみていますが、私が講師部をやめた4年前からみても、会員は減少し、ネット上で批判され続け、マスコミにも取り上げられ、講師部も元気がなくなり、本当にどうしてしまったのですか?

いつの総会だったか、ネット上で名指しで親鸞会を批判する者はいるのに、「講師部で実名でブログを書いている者はいるのか!!」と、講師部の情けなさを嘆いておられませんでしたか?

その結果できたブログが現在、ネットにあがっている講師部員の立ち上げたブログでしょうか?

積極的に教義を展開し解説するような内容のブログはほとんどなく、「○○はおいしかった♪」、「空がきれいでした(^^)」というようなブログで、正直、驚くとともに、笑いがとまりませんでした。

「親鸞聖人のみ教えを徹底する、そうすればすべての問題が解決する」などと言いながら、実際にやっていることは、布教には消極的で、親鸞会で言われる、いわゆる「世間ごと」満載のブログばかりですね。


★★お尋ねします。今、もし「親鸞会と法論がしたい」という人がいたら、親鸞会は法論する勇気はありますか?法論したいという人はどこに申し出ればいいのでしょうか?弘宣部長、あなたにでしょうか?

親鸞会は公約に「相手が誰であれ、相手の望む方法で法論を行う」と謳っていたように思いますが、もうあの公約は取り下げたのでしょうか。

いろいろな問題をかかえる親鸞会の最後の牙城が教義の正当性だと信じている会員も少なくないと思いますが、教えを説かなくなった親鸞会だから、会員が減少しているように思えてなりません。


弘宣部長、もうちょっとしっかりして下さい。情けないですね。講師部もくだらないブログを書き込む暇があれば、目の前の会員の方に、親鸞聖人のお言葉をお伝えすべきではないですか?

講師の中には、「最近、御法話会場で、ブログの名前で呼ばれることが増え、ちょっぴり嬉しいです」と書いていて、笑えました。

高森先生がお聞きになったら、「ネットを見る暇があるなら、親鸞聖人のお言葉を話せ!」と激怒されるのではないでしょうか。

皆さん、意外とヒマなんですね。

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投稿文:石川学生部員の死亡事故の件について

親鸞会は当時、学生本部体制で、K玉学生本部長の下、各地域毎に学生部長がいました。そんな中、石川学生部をN田講師が担当になった年に事件は起こりました。

石川学生部には100人近くの会員がいましたが、金沢大学や金沢工業大学を中心に大学や自治体の反対が年々強くなっていました。それを掻い潜って、ようやく誘えた新入生をどうしたら惹き付られるかが大きな課題になっていました。

そんな中、新入生と仲良くなり、会員の団結も築けるという一石二鳥のレクレーションが提案されました。

それが、戦争ゲーム(正確な名称ではないかもしれません)でした。N田学生部長の発案だったと聞きました。

ゲームの前に、それぞれ自分達の使う武器を作ります。主に段ボール等を材料にして剣や槍等を作りました。会場には、運動公園のような小さな山や池があるような広いスペースが使える公園を探しました。

先輩(会員)と新入生を担当等を基準に2つのグループに分け、それぞれの陣地を決めます。

それぞれのグループで、配置や作戦を練ってからゲームスタートです。

敵グループが持つ武器にやられたら、戦死(捕虜だったかもしれません)になります。

最終的に相手グループを全滅させるか、相手陣地を占領したら勝利になります。

これまでの、バスケットやサッカー等のスポーツと比べて、目新しく盛り上がったため、何回もこのゲームをしました。繰り返す度に、武器を工夫したり色々な作戦を練ったり、よく言えば創意工夫、悪く言えばどんどんエスカレートして行きました。

学生本部内でも話題になり、隣県でも同じレクレーションをしたと聞いています。

そして季節は秋になり、金沢大学生のHさんが死亡する事件が起こりました。

事件が起きた後、マスコミに取り上げられ、ニュースにもなりました。

その時には、親鸞会の名前が全面に出ては高森会長に迷惑がかかってしまうと、講師と学生がしていた金沢大学の部長等が口車を合わせました。

私たちは、金沢の大学生のサークルです。N田さんは、金沢大学のOBでもあり、浄土真宗の話をして欲しいと私たち学生が招待している親鸞会の講師の方です、と。

K学生本部長は、学生本部内の火消しのため大忙しでした。

最初に、事件の日のHさんの行動を、石川学生部の部員から小さな事まで聞いて調べ上げました。

そして、その情報をまとめて、他の地域の学生部員達に2・3時間使って、事件の経緯を説明して、親鸞会には過失がないことを暗に示しました。そして、親鸞会教義を使って、私たちは無常の身だから~等と、よくある言い回しで締め括りました。

事件の当時はこんな流れでした。

当日戦争ゲームをした場所は、小高い丘や池沼があった。

グループ分け、陣地を決めた後、ゲームを開始した。

Hさんが1人で池沼の近くにいたのを丘の上から見た学生部員がいた。

その後、池沼に浮かぶ簡易の「いかだ」のような物に乗っているHさんの姿を同じく丘の上から見た学生部員が何人かいた。

しばらくして、池沼の方を見るとHさんはもういなかった。

その後、Hさんがどこにもいない、という事で事件が発覚した。Hさんは溺れて亡くなっていた。

この事件は、Hさんが乗っていた「いかだ」が沈んでしまい、池沼にはまったHさんは服を来ていたために溺れて、亡くなってしまったという大変悲しい「事故」でした。

公平にみて、N田講師にあるといえる責任は、監督不行き届きだったでしょう。

しかし、親鸞会を辞めた今正常な思考で考えてみると、親鸞会でなければ、この事故は起こらなかったように感じます。

亡くなったHさんは大学4年生でした。石川学生部の幹部でした。そのHさんの行動を目撃した学生は後輩ばかりでした。

池沼に浮かぶ「いかだ」の上に、何の準備もなく乗っていたら危ないのは明白です。それを見たら誰しも危険だと思うはずです。

誰か1人でも、それを口に出していれば、一言「大丈夫ですか?」言うだけでも結果は違うように思います。しかし、それが出来なかったのは、なぜでしょうか?

親鸞会学生部は上下関係が厳しい組織です。普通、後輩は先輩に注意なんて出来ません。

しかも、上の立場の人間の指示に従う事を最優先させる、思考停止させる組織です。それは様々な事柄に対する判断能力を低下させます。

また親鸞会の活動でクタクタになっていなければ、体力に余裕があれば、Hさんは溺れなかったかもしれません。

これはあくまで私個人の考えではありますが、親鸞会でなければ、こんな事故は起こらなかったのでは・・・と思います。

数年前に風の便りに聞いた話です。

毎年事故のあった時期になると、当時の石川学生部の幹部が何人か集まってHさん追悼の意味を込めた法話をしているそうです。しかし残念なことに、そこにN田講師が参加したと聞いた記憶は、私にはありません。

もしかしたら参加した事があるかもしれませんが、もし少しでも自責の念やHさんの後生をおもう気持ちがあるなら、人間の心があるならば、あんなブログは書けないように思います。

N田講師の「静かな劇場」は、自分たち親鸞会を省みる心もなければ、相手を思いやる気持ちも感じられません。

「因果の道理という仏教の教えを忘れてしまっている」ようにしか、思えません。

かつて親鸞会に所属して、敬意の念を感じていたN田講師の現在の姿に、本当に悲しく思います。

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