投稿:ある特専部員の除名の真相(前編)
私は退会した後、除名になりました。今まで理不尽な扱いは、親鸞会内では日常茶飯事でしたので、特別驚くことでもありません。
私は16年前に特専部に入りました。信心決定するためには、少しでも高森先生との御縁を持たなければならないと聞いていたからです。実際、一般の会員さんはもとより、ほとんどの講師部員よりも先生との距離ははるかに近かったと思います。しかし、先生との距離が近くなればなるほど、先生への絶対服従することの難しさを知ることになりました。
私は毎年、お中元とお歳暮を先生に贈っていました。その度に、お礼状が届きましたが、秘書が代筆して、最後に先生の直筆の署名が書かれてある葉書です。ある時、意味の分からない歌が書かれてありました。
無常佛 疑いぬかせ 助け切る
「無上佛」なら分かりますが、「無常佛」とはどんな御心なのだろうか。先生の署名もあるし、秘書がたとえ書き間違えたとしても、最も心にかけておられる阿弥陀仏のお名前が書き間違えられていることを見逃される筈がない。きっと何か深い御心があるに違いない、しかし、何度読んでも意味が分からない。もしかして間違っているのではないか。でも何があっても絶対服従なので、間違っていると思うこともあってはならない。悩んだ挙げ句、局長に葉書を見せると、「これは今問題になっているんだ」と言われて葉書を取り上げられてしまいました。数日後、
無上佛 疑いぬかせ 助け切る
と訂正されて、秘書のお詫びの言葉が添えられた葉書が届きました。しかし、今回先生の署名はありませんでした。
特専部員として任務を遂行するには、呼ばれた時にはすぐに行けるようにしておく必要がありますので、会社を辞めて独立しました。先生の御指示にはすぐに対応する、絶対服従なんだからと、常に心掛けているつもりでした。
先生との打合せで、「Aの方針にする」と決定されれば、その通りに即実行します。その後中間報告をすると、「Bにするのが当然だろう」といわれるので、すぐにBに変更します。再度確認すると、「なぜBにするのだ、Cの方がいいだろう」、すぐさま変更します。これを延々繰り返して、最後にはAに落ち着く、よくあるパターンでした。
なぜこんなに方針が変わるのか。理由は
・前回のことを忘れた。
・思い直して変更したが、前回の指示が間違っているとはいえないだけ。
・絶対服従の姿勢を試している。
・機嫌が悪く、単なる嫌がらせ。
が考えられますが、その時々で4つともあります。しかし、信心決定のためには、何も言わずに従わなければならない教えです。
先生とのある打合せの前日、私の身内が亡くなり、通夜の準備をしていると上司から電話があり、「明日は先生との打合せだろう、どうして前日から来て準備をしないのだ」と一方的に叱られ、事情を説明するも聞く耳持たずでしたので、「明日の早朝から準備をして打合せに備えます」と答えて納得してもらいました。もちろん翌日の葬式を欠席し、先生との打合せに出ました。打合せ後残っていると、「早く帰らなくていいのか」と言われましたが、今更帰っても葬式の後片付けも終わっています。他にいう言葉がないのかと思いました。
またある人のアトリエで先生と打合せの前日、「あそこは汚いから、前もって皆で掃除をしてきなさい」と上司からいわれました。他人の所を勝手に掃除するなど、そんな非常識なことはできないというと、「汚いことで先生の御機嫌が悪くなり、やり直しと言われたら大変だろう」といわれるのです。機嫌で方針がころころ変わるのことを周りの人はよく知っていたのです。
またある日の朝、「今日の昼に先生との打合せをする」との電話を受け、当日の予定を全てキャンセルして必死の思いで、時間に間に合わせるも、約束を先生にすっぽかされました。先生を追いかけて、他の場所で打合せをするも、先生から逆ギレされて罵られる。しかし、信心決定するには絶対服従するしかないので、ただただ耐えるしかありませんでした。
来いといわれれば、片道4時間、往復8時間をかけてでも打合せに出向き、1週間に4往復、1ヶ月に16往復をしてでも任務を果たそうと努めました。
先生と上司からの指示には、世間の仕事を放り出してでも、何を差し置いてでも従う、これ以外に救われる方法はない。上司は自分よりも先生に従っている、まだ自分は甘いのだと反省するのですが、あれほど先生に信順している上司でも救われないのなら、自分が救われることはないのではないかと、思い始めました。
そして昨年、大事件が起こりました。同朋の里第1期工事で、特専部員が工事の大半の設計を請け負うことになったのですが、私は当時別の任務で余り関わっておりませんでした。その設計内容が、先生の思いと大きく違うということが工事中に発覚し、しかも特専部員以外の設計担当者の意見を無視して、特専部員が勝手に決めたということになっていたのです。特専部の関係者は退部に値する大問題となりましたが、当時全く関わっていなかった私までも重大な責任を問われたのです。
余りにも理不尽なことでしたが、皆口を噤むばかりで反論する人が誰一人ありません。仕方なく、その時の経緯を私が聞き込みをした結果、濡れ衣を着せられていたことが判明し、問題が解決したかに見えましたが、それが大きな誤りでした。一度振り上げた拳は、簡単には降ろせません。特専部への責任は軽くはなったものの、その時の設計責任者と私に今回の責任が押し付けられた格好になりました。遠方から通う交通費は全て自腹、週の半分を使う任務も無報酬で続けるしかありませんでした。そんな状態が長く続く訳もなく、仕事も収入面でも大変な無理をした結果、経済的に破綻し、大きな借金を負うことになったのです。
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コメント
想像していた以上に壮絶な経緯のようね!
投稿: | 2009年9月28日 (月) 07時01分
聞いていた以上にひどい話で驚くばかりです。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 07時31分
投稿者の方のお気持ちに深く同情致します。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 07時38分
現役講師から聞いたのですが、講師部でもすごく上の立場の方以外は、高森氏と直接話せる機会は布教講義で質問する時ぐらいで、あとは学徒と変わらないそうです。それでも「高森先生はすごい感情の激しい方だから・・」と言ってましたよ。特専部は一般の講師より直接接する機会が多いから、実像がわかるんだね。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 07時55分
こういうブログのお陰で、いろいろ真実が分かりまして、脱会することができた者です。
本当にありがたいです。
と、同時に、会長のやっていることは恐ろしい、でも、こんな酷いことさえも、現役の会員さんたちは「後生の解決のためには仕方ない」という気持ちになってしまい、それが誤った教義に基づいた考えであることも知らず、日々過ごしているんですね。
酷い話です。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 09時28分
9月号の顕真に「如来聖人、T先生は私たちの後生を何百倍、何千倍も念じてくださっている」
というような記事が有りました。(そもそもこの記事自体がおかしいと思いますが・・)
しかし、実はT氏は特専部員の人生さえも、これっぽっちも念じていないということがよく判りました。
学生時代、同じ地区でしたね。特専部と支部で立場は違っても、ずっと同志と思っていました。
人生掛けて取り組んできた者を都合が悪くなるとあっさり除名にするとは、許し難いことです。
私はこれからも同志と思っています。よろしく。
投稿: かば | 2009年9月28日 (月) 09時28分
高森は慈悲のカケラもない、非常識極まりない自己中心的な強欲ジジイだということがよくわかりました。
というか、高森の周りにいる人たちは「おかしい、こんなもんが善知識なわけない」って気付かないんでしょうか?
投稿: | 2009年9月28日 (月) 09時35分
お~い、K玉さんあんたが思っている善知識は善知識でも何でもないぞ~いい加減、気づけ~てか、気づいとるやろマジで、最後は決起してT森をその自慢の声量で弾劾して去ってくれ
投稿: 元会員 | 2009年9月28日 (月) 10時49分
ブログを見て、ますますおかしいのがわかりました。お山の大将なんでしょう。昔、高森会長を支えていたI総長やF最高顧問がなくなられたのが崩壊の加速を進ませたと思います。 親鸞会の組織は、世間で言えば大企業なみの組織です。ワンマンで仕切れるような組織でも時代でもない。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 12時35分
まじめに求めていらっしゃっただけに
受けた仕打ちがどれだけ悔しいかと、この方の痛みを思うと、言葉がでません。
多分、同じような年の方ですね。隣で聴聞してたのかもしれませんね。引き受けた借金、費やした時間・体力、どれもこれも
この方の命の一部ですよね。人ごととは思えず悲しいです。
かつて私と同級生で親しかった方も特専部中枢にいます。心配しています。
その方だけでなく、縁あった方々で未だに会に残っている
方々のことを私は祈っています。どうか幸せになってください。
私よりずっとまじめでいい方ばかりでした。
投稿: 元会員 | 2009年9月28日 (月) 14時08分
確かに、表面的には真面目な人が多かったけど、本当に真面目な人は少なかった気がする。
真面目な人なら、息子の不倫は絶対許せない!
真面目な人なら、会長の贅沢や次々に建ついらない建物や、思い付きのサイドビジネスが教えと関係ない自転車操業だと追求する。そして、会員への搾取を止めさせる。
真面目な人なら、教えが間違っていて、助からないと分った時点で直ぐ、聞くのを止める。
冷たいようだけど、結局自分のことなのに、怠惰なだけなのに、忙しいと言い訳して、事実を確認する努力を怠っただけでしょ?あれほど可笑しいよっていいながら、櫛が欠けるように、周りの人がやめていっても自分で何もしなかったんだよね。これからは他人を盲信するのは止めようね。でも、身から出た錆とはいえ、こうまで苦しくならないと、除名にならないと、MCは解けなかったって事。でも崩壊の波にのまれる前に抜けられてよかったね。不幸中の幸いだよね。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 19時00分
裁判で訴えれば勝てます。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 19時46分
なんか人格攻撃が多いね、だれでも裏表はあるでしょ。
借金を背負ったっていうのも、なんか自己責任なのでは・・・
大人なんだから、断らなきゃ。ただひどい中でがんばることで
虚栄心が満たされたことも確かでしょ。(特選部をステイタスと
思ってた訳ですから。)
前半は愚痴がおおいね、後半にF館の6Fの話が出てくることに
期待します。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 20時27分
ごめんなさい、私も100%同情できない。どうして理不尽なことがいくつもあった時点でやめなかったのか、善を勧める人や団体がそんな有り様でおかしいではないですか。どうして「信心決定するには絶対服従しかない」が間違いと分からないのか。何より善知識の言いなりになって右往左往したり思考停止したりおかしいと思っても口を噤んだりすることがどうして真面目に求めていることになるのかわかりません。
真面目に求めるってそういうことですか?向かう方向全く間違ってませんか?
MCのせいと言ってしまえばそれまでですがでも会の人はそこまでされないと分からないのかとむしろショックです。この方は気付かれて退会されたということですから、大変でしたねとしか言いようがありませんが、上の言葉は今だ会で迷っている人へ向けてです。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 20時55分
100%同情できない、というのは全く同情できないという意味ではなくて同情の余地はあるけど100%の同情はできないという意味です。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 21時00分
講師部や特専部にいた人にしかわからないのかもしれないが、
上司から理不尽なことを言われても、なかなか逆らえない空気
というものがあった。
第3者からみれば、「その時点で訴えない者が悪い」というだけ
で片づけられるかもしれないが、そのような空気があることが
問題のように思う。
そこに、上司ではなく会長本人がからんできて、
「善知識には絶対無条件服従」なんて教えが背景にあると、
どうしようもない気もする。
たしかに愚痴である部分もあるかもしれないが、内部の状況は
痛いほどよく知っている自分としては、同情せずにはおれない。
読み終わって、さもありなんと思った。
大小あるが、似た様はことはこれまでも他の特専部員や講師部員は
経験しているだろう。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 21時02分
理不尽なことに逆らえない雰囲気ではなく、逆らうと必堕無間なので、逆らえないというのが本当です。
嶋田氏、清森氏も同じように酷い扱いを受けてでも、親鸞会に留まろうとしたのはなぜか、それは偏に”教えが正しい”というところにあるのです。真面目という表現が適切かどうかは別として、理不尽な扱いを受けてでも必至で堪えるのは、真面目に、会長に従わなければ必堕無間、これを信じていたからです。
講師部員は、事の大小はあっても、この特専部員と同じような理不尽な扱いは毎日のように受けています。ただ、それが会長ではなく、局長であったり補佐であったりすることが、会長だけは正しい、という妄信を結果的に生みだしています。
この投稿は、同情して欲しいから書かれたのではないでしょう。講師部員でさえ知らない会長の理不尽さを訴えたかったということではないですか。
愚痴としか捉えられない人は、親鸞会のMCで苦しんだ経験のあまりナイ人で、それはそれで幸せなことですが、そんな人向けの投稿ではないです。今まさにMCで苦しんでいる人に、MCを解く切っ掛けになるようにこの投稿がなされたことを理解すべきです。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 21時17分
愚痴とか同情というレベルではないことが分からないのでしょうか?
相手はカルトなんですよ。
理不尽なことがあった時点で気が付いて、マインドコントロールが解けるなら、カルトではないです。
なぜこれ程の被害者がいるのかが、全く理解されていない評論家みたいなコメントは、心に響かないです。
今でも、何も知らずに苦しんでいる会員がたくさんいるのです。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 21時39分
どこかでセーブすること覚えなきゃイカン。少なくとも特専部は専門の集まりやから、弁護士はじめ医者や会計士の集まりなんやから。宗教団体に顧問弁護士がいようがいまいが犯罪犯せば罰せられます。特専部は少なくとも頭が悪い高森一族よりはあたまいいんだから冷静に考えたら?
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時02分
大変でしたね。一度乗りかかった船は降りれない、という状況で、身動きが取れなかったのでしょうね。
でも、自由になれてよかったですね。お疲れ様でした。
ゆっくりと、今からのことを考えられたら、すべてうまくいくと思います。
私も、親鸞会で昭和59年から数年、準会員として時々聴聞しました。
私の場合、一番最初から、会長は、間違っていると確信したのですが、その理由は他宗教も仏教の中の他宗派もすべておもいきり非難していたからです。特に創価学会に対してライバル心から、とんでもない暴言ばかりでしたね。お釈迦様はそんなことを喜ばれるはずはないので、「こんなに他人を非難する人は、絶対に変」と確信しました。宗教組織のトップとして他組織の悪口を言うなんて、考えられません。でも、学生として友人関係などもあったので、時々聴聞しました。聴聞しながら、親鸞会の講師の方々の様子は常に「きつい」「死にそう」「いやだ」と、全身で叫んでいるのがわかりました。無垢で純真な若者をつかまえて理不尽なことをさているんだろうなということが一目でわかりました。まさしく、洗脳されていたのですね。
でも、命あるうちに、逃れる事ができて、自由になれて、よかったです!
投稿: まり | 2009年9月28日 (月) 22時04分
こんな一言で片付けられるほど簡単ではないと思うのですが、
洗脳なんでしょうね。
どんな非常識極まりないことや苦しく悲しいことがあっても、それに耐えて喜ぶことが宿善になる、後生の解決につながる、という発想なのではないでしょうか。
そこには、会長は間違いのない希代の善智識である、という盲信があると思うのですが、それはやっぱり、あの教義に対する絶対的な確信からくるんでしょうね。
恐ろしい、といっては失礼かもしれませんが、中にいると麻痺しているのか、その恐ろしさが分からなくなるのだと思います。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時13分
愚痴っぽいとかいうコメントもあるけど、あった出来事が事細かに具体的に書かれていて非常に参考になると思う。「私の白道」もそうだけど、あった出来事を「あった」と書くことは非常に意義がある。もちろん、被害者としてのバイアスはかかっているので読む側はそれを心得ていなければならないが、それを「愚痴っぽい」ととるか「意義深い」ととるかは読む人によるんだと思う。あんまり被害者面してグチグチ書かれると読む方も嫌になるけど、この程度なら不快になるほどでもないんじゃないか。こういうことがあった、という事実の羅列なら大いに歓迎したい。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時18分
私も昔はマインドコントロール一直線やったからわからなかったが、今思えば、親鸞会の幹部や講師はすべてとはいわないが、マインドコントロールまっしぐらで変なのがよくわかる。 イニシャルであげると バカ息子、K玉、W部、など中には童貞でため込んでる奴もいるだろう。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時20分
>どこかでセーブすること覚えなきゃイカン。少なくとも特専部は
>専門の集まりやから、弁護士はじめ医者や会計士の集まりなんやから。
>宗教団体に顧問弁護士がいようがいまいが犯罪犯せば罰せられます。
>特専部は少なくとも頭が悪い高森一族よりはあたまいいんだから
>冷静に考えたら?
宗教的信念が自分の中で一番上になっていて、それがあらゆる選択を
する理由の根幹になっているので、職業としての専門性とか、
倫理観とか、第3者からすれば「なぜこんなことを…」と思えること
でも出来てしまう(やらざるをえない)のでしょう。
医師や弁護士といっても、特専部員になる人は一部を除いて、
講師部員と同様(それ以上かも)に、会長に命をかけ人生をあずけて
いる人たちです。
会長の命は絶対なのです。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時22分
マインドコントロールとは、人生における優先順位を完全に操られた状態です。
普通の人は、一般的に自分自身や家族、恩人、友人、将来のビジョンを大切にします。
親鸞会にマインドコントロールされた人とは、優先順位を操られて、親鸞会的優先順位を刷り込まれた人ということです。
不適切かもしれませんが、戦前は天皇陛下は絶対でした。天皇の命令は死んでも守るという考え方が一般的だったのではないでしょうか?
天皇が間違った事を言ったとして、それを指摘するのは至難のワザだったのではないでしょうか?絶対的な権力を持ったいろんな人物に置き換えて考えてもらっても、だいたい同じです。
高森会長は親鸞会における天皇ですから。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時22分
再び、まりです。
心の傷やショックを治す為に、しばらく、無理をせずに、のんびりと、自分の体と心をいたわってくださいね。
信心決定、もし、まだでしたら、連絡ください。
信心決定するためには、時間も金も全然かかりません。
もう二度と、宗教団体には関わらないほうがいいと思いますよ。
信心決定するためには、今、それを望むだけでいいのです。
今、望みましたか。それでOKです。
これが仏の救いです。金も時間もない人のために、金も時間も要らないのがほんとうの救いです。金や時間を取るのは人間の救いです。
投稿: まり | 2009年9月28日 (月) 22時25分
仏教の基本がいつの間にか消えていたんでしょうね。
苦を抜くのが、仏教の教えです。
それが苦しむ事になるのは、教えが間違っていたということです。
私も金・金・金そんな求道でした。
でも気付いて離れられた私はそれだけで幸せでした。
そして今は幸せ感を味わっています。
そういう道を来たからこそ味わえる幸せです。
決して無駄な道ではなかったのだと思います。
今は苦しいという思いが残るでしょうが、是非心も体も労わって下さい。
思う存分心の内を吐き出すと、きっと新たな勇気が沸いてきます。
御自分を信じて下さい。
貴方が乗り越えられない以上の試練は与えられていないと思います。
愚痴からは何も生まれてきません。
仏縁はそんな貴方にいつか花開く事があるでしょう。
お元気で。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時37分
「善知識に無条件服従できた時が、阿弥陀仏に救われる時だ。信心決定のときは阿弥陀仏と善知識は一直線上に並ぶのだ。」(観経では救われるときお釈迦様は消えましたが・・ハハハ)「納得できなければ従えないというのは信仰の幼稚園だ。」と、何回も聞きましたね~。
救われたいという純粋な心を利用するだけして、都合が悪くなれば除名。
まさしく、鬼ですね、鬼!!
ここまで無条件服従もしたこともない、お気楽講師や親友部員、学徒が、えらそうに「善知識を裏切った」などど非難している現実。
あなたがたより、ずっとずっと真面目に信順して、わかった事実なのですよ。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時47分
>心の傷やショックを治す為に、しばらく、無理をせずに、のんびりと、自分の体と心をいたわってくださいね。
これは本当に必要なことです。
自分でも無意識の傷の深さに気づかずに無理をなさると、あとあと精神的に苦しむことがあるようです。
本当にどうかごゆっくりなさって下さい。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 22時49分
特専部の人は講師部より、顕徹との「ご縁」が深いということなので、講師部も知らない新たな暴露話が出ると良いね。
都合の悪い人を除名→除名された人が親鸞会のダークな部分を暴露→
それを見た人が親鸞会に真偽を質問→都合が悪い人なので除名。
いつもの悪循環だね。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 23時17分
この人、借金を抱えちゃったと言うことですが、ある意味、親鸞会が崩壊する前に、辞めることができてよかったかも。
このまま、特専部に残ったままで、親鸞会が崩壊したら、保証人になっているので今以上の負債を押し付けられたかも。
他の特専部員も親鸞会が崩壊する前に辞めないと負債を押し付けられて大変なことになるよ。
投稿: | 2009年9月28日 (月) 23時21分
どこの宗教団体でも言えることは、皆何かしら、メリットがあるから続けてるの。それがなくなったら、やめるよ。何らかのいいことがあるんだよ。嫌なら、逃げ出してるよ。とっくに。それが、依存の魔法の杖か、煽てられて、頼りにされていると思って、いい気分になっているかはそれぞれでしょ?みんな自己陶酔しているの!居たいからそこを止めずにいるの!ただそれだけ!
MCされている人は、可哀想だけど、物事を批判的に見る能力が欠けていたのか、または批判は揉める元だし、面倒だし、トップに盲信するほうが楽だから、止めてしまったんだろう。
トップも、その中で世間的に重宝できる資格のある連中はプライドが高くて、ちょっと、煽てると、我が身を犠牲にして献身的に尽くす世間知らずだって分ってるから利用しただけ。支部でほかの人と同じに扱うと拗ねるし、あえて特専部とか名前を付けて一般人とは別の集団にして、自分に奉仕させただけ。
単純でしょ?でも会にいると分らない。だからそれをMCっていうんだよ。現役で退会を迷っている人は、真面目に自分や家族の事必死で、考えたら、どうすればいいか、答えが出るよ。
投稿: | 2009年9月29日 (火) 00時19分
ホントとことんやりますなあ、唯一無二の名匠は・・・完敗です。
投稿: | 2009年9月29日 (火) 00時36分