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投稿:「静かな劇場」の著者さまに向けて。

「静かな劇場」についての投稿をいただきました。
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9/29記事「仏教は因縁を宗とす」について
http://blog.goo.ne.jp/345shigure/e/98480cd2dd4bc1c133a32854030c77d3

私の心は、いまだ因果の道理を聞ききっておらず、ましてや、廃悪修善へと向かっておりません。己の後生の一大事に驚くことなく、それどころか全く気づくことなく、悪を造り続けていながら、そのことに目を向けようとしない心が私にはあります。私は全くわかっていない。仰るとおりです。

しかし、私が後生の一大事に気づいていないことと、ネット上での親鸞会への数々の非難は別の事柄です。己の後生の一大事に気づいていないから法を謗るのではありません。会長の盗作疑惑、教義批判への無回答、息子の不倫疑惑、浄財の不透明な運用、これらの会としてのあり方が、私たちをして己自身へと向き合わなくさせてしまっているのです、仏法を聞かせなくさせてしまっているのです。

これらの疑惑は勝手に作られた捏造かもしれません。でもそれならそれで、疑惑を一つ一つないものとしてきちんと説明して、聴聞への障害を取り除くことがあなた方仏法者の使命ではないのですか。

己の後生の一大事に気づいたなら、そんな些細な疑惑など構っておれなくなるはずだ、と仰るかも知れませんが、逆です。会に対するそんな些細な疑惑の数々が(そして疑惑に対する不誠実な対応が)、人々をして気づけなくさせてしまったのです。

因果の道理・無常観・罪悪観、これらは私の生き方に関わる本当に大切な教えだと思います。だからこそ、そんな些細な疑惑で仏法へのご縁が遠ざけられてしまうのは虚しいと思いませんか。情けないと思いませんか。

親鸞会講師としてあなた様ご自身が会のあり方と向き合ってみてはいかがでしょうか。

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投稿:ある特専部員の除名の真相(後編)

 理不尽なことに対しても堪え忍び、これだけ絶対服従を続けているが、こんなことまでしなければ阿弥陀仏に救われないのだろうか、それならば救われる人などいないと言っても過言ではない。実際、先生の側にいる10講講師、顧問弁護士、顧問会計士、主治医も誰も救われていないではないか。教えは正しい筈なのに、何かが狂っているのではないか、そんな疑問が日に日に膨らんできたのです。

 そんな時、あることがきっかけで元講師であった嶋田氏の書かれた「私の白道」を読んだのです。理不尽な扱いを受けられた嶋田氏は、自分と重なって感じられ、しかもそこには先生の教えの間違いが明らかにされていたのです。衝撃でした。怒りが込み上げて来ました。20年以上も騙されていたことに初めて気が付きました。

 それからネットを調べると、次から次へと親鸞会のおかしなところが暴露されていたのです。しかし私の関心は、盗作でも不倫でも不正経理のことでもありません。ただ1つ、教義が正しいのかどうかだけでした。

 ネット上には、一部の幹部しか知り得ない情報が流出していました。私が組織を通じて知るよりも先に、ネットで情報を得ることができたからです。情報を流出させているのは誰かもおおよそ見当がついていましたが、そんなことはどうでもよかったのです。兎に角、先生の説く教義で救われるのかどうか、それだけが知りたかったのです。教義さえ正しければ、他のことは二の次だと思っていました。

 ところが調べれば調べるほど、教義上の間違いが明らかになってきました。仕事上で付き合いのあった真宗の僧侶から話を聞いたりもしました。そして出た結論が、親鸞会では救われない。それで、法話、アニメ解説、教学講義の参加にも消極的になりました。

 そんな態度ですので、私は親鸞会の上部から当然問題視されていました。それを分かっていましたが、今更上司に絶対服従する気など更々ありません。それが更に問題視されて、今年8月16日に呼び出され、情報流出について聞かれました。私にとってはどうでもよいことばかりで、正直興味がありませんでしたので、適当なことをいってその場を取り繕って終わりました。

 翌々日の18日に、「いままでの御恩がありますので退会するつもりはありませんが、親鸞会の教義上に決定的な誤りがあると思っていますので、それについての反論を、親鸞会としてしてください」と、「親鸞会教義の誤り」の内容を添えて上司にメールで送りました。私の扱いについては親鸞会では大問題になっていますので、先生にまで話が行かない筈がありません。それを見越しての質問でした。

 当然親鸞会として何等かの反論があるものと期待していましたが、それから1週間も掛けて検討された、25日に出された結論が、「正御本尊と親鸞会のバッチを返してほしい」でした。反論や説得をするどころか、退部しろということかと思い、「わかりました」と素直に従いました。

 ただ、自分としては、お世話になった人への挨拶くらいはしておかねばならないと思い、未だ特専部員には私の退部の連絡が流れていなかったようでしたので、30日に一部の特専部員に、「私は教義上の理由のみで退部しました、それ以外に理由は一切ありません」とメールを送りました。

 それから6日後の9月5日、「君は除名になったから、それと別に挨拶のメールを送る必要はない」と電話があり、除名になったことを知らされました。理由は図面や通達等の情報を流出させたということでした。しかし、私が除名後も通達等の情報は流出されています。たとえば私の除名の通達などです。

 結局のところ、教義上の矛盾点を指摘されて、何一つ答えることができず、それを他の会員へ知らさせたことが先生の逆鱗に触れたのでしょう。それが証拠に、退会する気がないのに、一方的に退会させられ、それから12日も経ってからの除名です。退会から除名までの間にあったことといえば、私が送ったメールに対して、一部の特専部員が教義上の問題とは何だったのかを問い合わせ人があったらしいということだけです。

 教義上完璧と自負し、会員にまで信じ込ませていたのに、「親鸞会教義の誤り」ブログ1つであっけなく、敵前逃亡とは本当に情けないものです。絶対服従の教えは、教義上の誤りを隠すためのものでもあったのです。

 会員であった25年間以上もの時間と、これまでに使った数千万のお金を返せというつもりはありません。先生にまともな人間になって欲しいとも思いません。私が先生に望むことは、正しい教えを説いて下さい、これ以外にはありません。しかし、今更誤りを認めて訂正することなど絶対にできない人であることは、よく分かっていますので、それも無駄な望みです。未だ何も知らずに騙され続けている会員さんに目覚めてほしい、これが私の願いです。

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投稿:ある特専部員の除名の真相(前編)

 私は退会した後、除名になりました。今まで理不尽な扱いは、親鸞会内では日常茶飯事でしたので、特別驚くことでもありません。

 私は16年前に特専部に入りました。信心決定するためには、少しでも高森先生との御縁を持たなければならないと聞いていたからです。実際、一般の会員さんはもとより、ほとんどの講師部員よりも先生との距離ははるかに近かったと思います。しかし、先生との距離が近くなればなるほど、先生への絶対服従することの難しさを知ることになりました。

 私は毎年、お中元とお歳暮を先生に贈っていました。その度に、お礼状が届きましたが、秘書が代筆して、最後に先生の直筆の署名が書かれてある葉書です。ある時、意味の分からない歌が書かれてありました。

 無常佛 疑いぬかせ 助け切る

「無上佛」なら分かりますが、「無常佛」とはどんな御心なのだろうか。先生の署名もあるし、秘書がたとえ書き間違えたとしても、最も心にかけておられる阿弥陀仏のお名前が書き間違えられていることを見逃される筈がない。きっと何か深い御心があるに違いない、しかし、何度読んでも意味が分からない。もしかして間違っているのではないか。でも何があっても絶対服従なので、間違っていると思うこともあってはならない。悩んだ挙げ句、局長に葉書を見せると、「これは今問題になっているんだ」と言われて葉書を取り上げられてしまいました。数日後、

 無上佛 疑いぬかせ 助け切る

と訂正されて、秘書のお詫びの言葉が添えられた葉書が届きました。しかし、今回先生の署名はありませんでした。

 特専部員として任務を遂行するには、呼ばれた時にはすぐに行けるようにしておく必要がありますので、会社を辞めて独立しました。先生の御指示にはすぐに対応する、絶対服従なんだからと、常に心掛けているつもりでした。

 先生との打合せで、「Aの方針にする」と決定されれば、その通りに即実行します。その後中間報告をすると、「Bにするのが当然だろう」といわれるので、すぐにBに変更します。再度確認すると、「なぜBにするのだ、Cの方がいいだろう」、すぐさま変更します。これを延々繰り返して、最後にはAに落ち着く、よくあるパターンでした。
 なぜこんなに方針が変わるのか。理由は

 ・前回のことを忘れた。
 ・思い直して変更したが、前回の指示が間違っているとはいえないだけ。
 ・絶対服従の姿勢を試している。
 ・機嫌が悪く、単なる嫌がらせ。

が考えられますが、その時々で4つともあります。しかし、信心決定のためには、何も言わずに従わなければならない教えです。

 先生とのある打合せの前日、私の身内が亡くなり、通夜の準備をしていると上司から電話があり、「明日は先生との打合せだろう、どうして前日から来て準備をしないのだ」と一方的に叱られ、事情を説明するも聞く耳持たずでしたので、「明日の早朝から準備をして打合せに備えます」と答えて納得してもらいました。もちろん翌日の葬式を欠席し、先生との打合せに出ました。打合せ後残っていると、「早く帰らなくていいのか」と言われましたが、今更帰っても葬式の後片付けも終わっています。他にいう言葉がないのかと思いました。

 またある人のアトリエで先生と打合せの前日、「あそこは汚いから、前もって皆で掃除をしてきなさい」と上司からいわれました。他人の所を勝手に掃除するなど、そんな非常識なことはできないというと、「汚いことで先生の御機嫌が悪くなり、やり直しと言われたら大変だろう」といわれるのです。機嫌で方針がころころ変わるのことを周りの人はよく知っていたのです。

 またある日の朝、「今日の昼に先生との打合せをする」との電話を受け、当日の予定を全てキャンセルして必死の思いで、時間に間に合わせるも、約束を先生にすっぽかされました。先生を追いかけて、他の場所で打合せをするも、先生から逆ギレされて罵られる。しかし、信心決定するには絶対服従するしかないので、ただただ耐えるしかありませんでした。

 来いといわれれば、片道4時間、往復8時間をかけてでも打合せに出向き、1週間に4往復、1ヶ月に16往復をしてでも任務を果たそうと努めました。

 先生と上司からの指示には、世間の仕事を放り出してでも、何を差し置いてでも従う、これ以外に救われる方法はない。上司は自分よりも先生に従っている、まだ自分は甘いのだと反省するのですが、あれほど先生に信順している上司でも救われないのなら、自分が救われることはないのではないかと、思い始めました。

 そして昨年、大事件が起こりました。同朋の里第1期工事で、特専部員が工事の大半の設計を請け負うことになったのですが、私は当時別の任務で余り関わっておりませんでした。その設計内容が、先生の思いと大きく違うということが工事中に発覚し、しかも特専部員以外の設計担当者の意見を無視して、特専部員が勝手に決めたということになっていたのです。特専部の関係者は退部に値する大問題となりましたが、当時全く関わっていなかった私までも重大な責任を問われたのです。

 余りにも理不尽なことでしたが、皆口を噤むばかりで反論する人が誰一人ありません。仕方なく、その時の経緯を私が聞き込みをした結果、濡れ衣を着せられていたことが判明し、問題が解決したかに見えましたが、それが大きな誤りでした。一度振り上げた拳は、簡単には降ろせません。特専部への責任は軽くはなったものの、その時の設計責任者と私に今回の責任が押し付けられた格好になりました。遠方から通う交通費は全て自腹、週の半分を使う任務も無報酬で続けるしかありませんでした。そんな状態が長く続く訳もなく、仕事も収入面でも大変な無理をした結果、経済的に破綻し、大きな借金を負うことになったのです。

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幻想のお花畑で踊る人々

親鸞会に顕正新聞という機関紙がありますが、その執筆・編集をしている人が、こんなブログを書いています。

静かな劇場
http://blog.goo.ne.jp/345shigure

その最近のエントリ「ダンシング」(魚拓)に、こんな文章があがっていました。

私は、本当に不思議に思うのである。 仏法を求める人、とりわけ僧侶たらんとする人は、上記のような内容は心に深く刺さっているはずである。少なくとも私はそう思っていた。 もちろん仏法者といえど枯木ではないのだから、もろもろの煩悩は起こり、金や名誉や地位や異性に心動かぬわけにはいかないが、だからといってそちらの方向に突っ走らないのは、その方角には幸福の蜃気楼しかないことを知っているからである。またその自覚や覚悟なしに、どうして仏道を進ませていただくことができよう。仏道は煩悩に逆らう厳しいものに決まっているのだから。 仏法をよく知らない人でも、仏法とは、僧侶とはそういうもの、そういうものとは煩悩を満たすのとは反対の道、世間の価値観と異なるもの、ぐらいの認識は持っていると思うのである。

ところが、ネットウマ(※)のサイトを見ると、自称・元幹部らの書いていることがつくづく幼い。こんな思いしかないなら、なぜにわざわざ仏法の道を?と首をかしげざるをえないのである。

・やめてみて分かったことですが、世間の人のほうがはるかに常識的で、普通に付き合ってくれました!
・本当にやめてよかった、と皆一様に言っています。普通の仕事につく人、学校に行きなおすひと、自分の信仰を求め布教をつづける人など様々ですが、自分自身をとりもどし……。
・裏切ってしまったと思った人たちが、信じられないくらい支援してくれて、今は一社会人として社会で働いて家庭ももって幸せな毎日です。

こういう、私たちにはとても恥ずかしくて書けないようなことを、「どうだ!やっと俺たちは目覚めたのだ」といわんばかりに書いている。今、世間と楽しくダンスを踊っている真っ最中なのであろう。「よかったね、ボクちゃん」とでも言ってやればいいのだろうか?
でも、そんな悠長なことも言っておれないのである。

「仏法に人生を懸けます」「正しく親鸞聖人のみ教えを伝える立派な講師になります」と何千人も前に誓っておきながら、彼らはその誓いを果たさなかった。そんな大ウソをついただけでなく、彼らを信用し、多くの人が出して下された多額の浄財(人によっては何千万も)を受け取っておりながら、不浄説法をして回り、追い出された後も、浄財を返すわけでもなく、反省するわけでもなく、それどころか私の青春を返せ!時間を無駄にさせられた!などと毒を吹き、こちらに噛み付いてくるのだから、彼らを信じて浄財を出して下された方々にとっては、踏んだり蹴ったりなのである。少しはそういう方々の気持ちにもなってみてはどうなのだろうか。

お金を無駄にさせられた。時間を無駄にさせられたとは、こっちのセリフ。

いつの時代、どこの宗派に、修行に挫折し「私の青春返せ!」などと本山に食ってかかった僧侶がいただろうか?仏門においては絶対服従などあったりまえのことだろ、それがいやなら最初から門をくぐるな。バカ坊主!といわれておしまいだろう。

親鸞会の人たちは、ネットなどたわごとと言う割には自分が書くのは大好きなようです。それにしても私が現役時代は布教に忙しくてこんな事書いている暇は無かったのですが、今は会員も減ってそういう時間も生まれてきたのでしょうか。

しかしこれを書いた人は今の親鸞会の現状を見て、何も思わないのでしょうか。自分たちの教祖高森顕徹氏が先人の著作をパクリまくって、それを必死になって隠そうとしていること。ネット上で親鸞会の教義批判が巻き起こり、法論を挑まれても逃げるばかりであること。それにあきれた学徒(会員)が次々とやめている事。会長の息子の不倫疑惑が目の前でもみ消されたこと。多額の浄財が集められ高森会長の御殿やら事業やらにつぎ込まれており、当然会計報告など全くなされていないこと。高森会長の孫が誰も「最高の道」である講師部にならないこと。

文章を見ると随分とお怒りのようですが、もっと他に怒るところがあるのではないでしょうか。まず自分たちの団体の内部批判をしっかり行ってから批判するのならば説得力があるのですが、親鸞会の腐敗しきった現状を見てみぬ振りをして、外に向かって言うことだけが一人前だから、誰の心にも響かないのです。

そして、相変わらず「やめた人は煩悩に突っ走る情けない人。私は大安心大満足の人生の目的を達成するのだ」というビリーフから一歩も抜け出すことが出来ていません。やめた人は「親鸞会は教義も組織もおかしいからここにいても救われない」「嘘つきで我欲に満ちた人たちにはこれ以上従えない」と判断したから出たのであって、欲を満たすために脱会したのではありません。

未だに「親鸞会こそ真実」「高森会長が世界唯一の善知識」と思っているからこういう文章を書いて自己満足にも浸れるのでしょうが、そんなもの単なる何の根拠も無いただの思い込みにすぎないことがまだわからないのでしょうか。

昔から今に至るまで「やめた人は欲に走った人、俺は違うもんね」の何とかの一つ覚え。余程居心地のいいビリーフなのでしょうね。そのあなたの信念を否定する事実が次々と暴露されていますが、まだ見るのが怖いですか?認める勇気がありませんか?自分の信念が崩れるのがそんなに怖いですか?

そもそも御殿やら美食やら名誉やらに溺れた会長が率いる会と、「やめたら1000万」というこれまた財欲でようやく団結を維持している人たちに言われるなら、私は「欲に走っている」で結構です。会長から末端の講師部員まで誰も自分の足元を見ようともせず、他の価値観を口汚くののしる事でしか維持できない信仰なら私は遠慮します。どうぞご自由に「無条件服従」してください。それで救われるのならば。

「仏法に人生を懸ける」というのは見たくないことに目をつぶって嘘つき善知識に無条件服従することではないのです。そもそも「歎異抄の解説本が出てない」だの「F館を待ち望む学徒」だの毎月読まなくても内容がわかるような新聞つくって食ってゆけるほど世間は甘くありません。上層部の言いなりになって総会で叫んでればやり過ごせるような楽な組織もありません。

自分が厳しい道を進んでいると勘違いしているから可笑しいのです。今のままでは会の中にいたほうが楽だから外に出たくないんだと思われても仕方がありませんよね。

自分たちに都合の悪い人を次々に除名にして、ネット対策で知られたくない事実を隠し、会長や組織への批判を禁じ、血眼になってIPアドレスを検索して「裏切り者」を探し、自分で自分を目隠しして「俺たちが真実だ」と幻想のお花畑で踊っていればそれなりに楽しいのでしょう。しかし、そんな時は長くは続きませんよ。

これからも「親鸞会に騙された」「金と時間を返せ」とやめてゆく人は後を絶ちません。いずれ親鸞会は行き詰ります。自分に見る勇気が無くても、否応なしに見せ付けられる時が必ず来るのです。高森一族はそのときの逃げ道を着々と用意しています。あなたはどうですか。泥舟と一緒に沈むつもりですか?

それが「仏法に人生を懸けます」の結論だというなら、私には最早アドバイスできる言葉は一つもありません。どうぞ、ブログの続きを書いてください。

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人の信仰を批判する前に、まず自分の信仰を振り返れ

親鸞会弘宣部の作った親鸞会被害家族の会への反論サイト「親鸞会批判の真実」に『「純粋無垢に信ずる人」ならば、「何を」信ずる人でもよいのか?』という記事が載っていました。聖母マリアへの素朴な民衆信仰に言及した浄土真宗東本願寺派(浅草本願寺)法主に対する批判なのですが、

「もはや病膏肓に入るというか、デタラメというほかありません。」
「この欺瞞、無神経ぶりには、親鸞会の会員ならば呆れる他ありません。」
「口先だけで「釈迦の教えを伝えられた上人方のご恩徳」などと言っていても、そんな「ご恩徳」など誰もこれっぽっちも感じてないことは、リーダーである法主の情けない発言が証明しています。」

とまさに言いたい放題。口汚さも語彙の少なさもさすがの親鸞会クォリティです。

高森崇拝以外の信仰など絶対に認められない人たちですから致し方ないのかもしれませんが、おらが教祖高森顕徹氏がつい最近まで東本願寺派に尻尾を振っていたことをもう忘れたのでしょうか。

自分が書いた原稿が「東本願寺報」に掲載されるとなって、周りが心配するほど乗り気で、真宗の歴史が変わるとか本願寺との協調とか一大方針転換とか散々周囲に言いふらし、これまでの著作や発行物から本願寺への批判部分を削除する事まで指示をしていた高森会長。

それがいざ、掲載を断られたらこの有様。あまりの幼稚さというか子供っぽさに思わずため息が出てきます。しかも掲載されたのは「親鸞会被害家族の会」への批判サイト。この会と「浄土真宗東本願寺派」は何の関係も無いわけで、いつもの親鸞会のやり口とはいえ実に悪辣です。

何しろ最近の親鸞会、情けなさすぎます。しょうもない印象操作をする暇があったら、教義批判への反論くらいしてみたらどうでしょう。誰からも尊敬されず、誰からも信頼されず、誰からも期待されない親鸞会。褒めるのは内輪の人のみでその人すらも年々減っている現実。

いつまでこんな馬鹿なことを人生かけてやっているのでしょうか。件の記事のタイトル『「純粋無垢に信ずる人」ならば、「何を」信ずる人でもよいのか?』。これは、どうみても親鸞会の会員に向けられた言葉ではありませんか。

人の信仰を批判する前に、まず自分の信仰を振り返れと言いたい。

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やめられない理由

その人は私とあったときに、開口一番「もう親鸞会の問題点は殆どわかっているから、そういう話はいらないです」と言いました。ネットを見て、組織的にも教義的にもおかしい事は十分わかったし、自分自身が見聞きしたことだけでも十分すぎるほどわかる。もう泣きたいほどそれで悩んだし、直接うんざりするほど腐敗した実態を見てきたのだと。

「それでも高森先生を信じるしかないんだ」と彼はいいました。別にマインドコントロールされている訳でもない。でもそうするしかないから、仕方が無いと。

「僕が親鸞会をやめたとする。でも嫁はきっとやめないよ。心のそこから信じきっているから。完全に思考停止してるんだ。」

「嫁には、ひょっとしたら親鸞会が間違っているかもしれない…そういう考えが入り込む余地はまったく無い。」

「僕が嫁を説得してもいいかもしれない。ぶるうのさんに頼んでも良いかもしれない。でもそうなるときっと上司に報告される。夫婦でもね、間違いなく報告すると思う。もうなんか社会主義国みたいな感じだよ。何があっても報告するのは親鸞会の上司。家庭の問題も、夫婦のことも、子育ての悩みも、みんなそう。」

「そうだね…別に僕がやめたって、歳も歳だから今さらまともな職に就ける可能性は低いかもしれないけど…一人生きて行くくらいなら何とかなるよ。でも、嫁とは離婚だろうな。離婚したっていいんだけど、そうなるともう子供と会えなくなるかもしれない。それが辛くて踏み切れないんだ。」

「辛いよ。毎日自分の心にうそをついて生きている。御法話に行くのが辛い。聞きたくも無い話をじっと座って聞いている。そんな辛い思いをするなら、もういっそのこと自分を騙して高森先生を信じるしかないだろ。」

「時折、自分の心を全て打ち明けて退会したい衝動に駆られるよ。ぶるうのさんみたいに踏み切れた人がうらやましい。どうしてこんなことになったんだろう。街で普通に幸せそうに歩いている家族を見ると涙が出てくる。自分の子供には道を誤ってほしくない。でもどうしたらいいのか。」

どうしても誰かに話したかったんだと言ってその人は去ってゆきました。私にはただ話を聞くことしか出来ませんでした。

この人が誰であるか、公開すれば親鸞会には大きな衝撃が走るでしょう。でも、絶対に言うことはできません。

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滝本太郎弁護士のブログに親鸞会のこと

先日このブログでも紹介したライブドアニュースの記事ですが、オウムをはじめとするカルト問題への取り組みで有名な滝本太郎弁護士のブログでも紹介されていました。

http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/msgcate3/archive

それにしてもここ数年、カルト問題の会議や研修会で親鸞会の話題が取り上げられないことはありません。高森会長の迷著「歎異抄をひらく」はちっとも有名にならない一方、こうした部分で親鸞会の知名度が上がる一方なのは複雑な気分です。

いくつかの大学ではカルト問題について先進的な取り組みが始まっており、着実に成果は上がってきています。昨日もある国立大学で、教職員ではなく学生対象の研修会に出講させて頂き、その重要性を改めて感ずることが出来ました。

まだまだ出来ることは山ほどあります。自分の役割を自覚してやれる限りのことをやってゆきたいと思っています。

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投稿:1千万円の違約金に縛られて親鸞会の専任講師を辞めることをためらっている方へ

1千万円の違約金に縛られて親鸞会の専任講師を辞めることをためらっている方へ

親鸞会の教義の誤りや高森会長の横暴に気が付き、専任講師を辞めたいと思っているものの、1千万円の違約金に縛られて、辞めることができない方へのアドバイスです。

気兼ねなく、辞めてください。
1千万円の違約金の支払いを求められた場合は、「払うべきお金ではないので払わない」ときっぱり断りましょう。
ここで、注意していただきたいのきっぱりと断り、1円たりとも払ってはいけません。1円でも払ってしまうと、「払う必要があるものと認識していた」と思われ、裁判で不利になる可能性があるからです。

支払いを拒否した場合は、親鸞会は裁判に訴え、勝訴し、裁判所から支払命令の判決を取る必要があります。裁判をせずに、脅迫や暴力・ストーカー行為等で支払いを強要した場合は犯罪行為ですので警察に被害届けを出してください。

さて、親鸞会が裁判を起こした場合はどうなるでしょうか?親鸞会の勝訴は以下の理由で難しいでしょう。
1.専任講師は見かけ上は親鸞会とは雇用関係はありませんが、実質的には雇用関係があり、雇用者が被雇用者に対し、辞めるときに違約金を取るのは労働基準法違反であり、契約自体が無効です。
2.この契約は専任講師側が一方的に不利な契約であり、また、身体の自由を認めた憲法に違反する可能性があり、契約自体が無効の可能性が極めて高いです。

また、親鸞会が裁判を起こした場合、マスコミを巻き込んでください。「大学入学時に、偽装サークルでだまされ、親鸞会の講師になり、だまされていたことに気づき、辞めようとしたら1千万円の違約金を請求される羽目になった」というストーリーで持ち込めば乗ってくれるところもあるでしょう。マスコミが騒ぎ出せば「すねに傷のある」親鸞会は訴訟を取り下げる可能性が大です。

さて、万が一、親鸞会が勝訴した場合、どうなるでしょうか?
親鸞会が「1千万円の違約金を請求する権利」が認められることになりますが、講師は搾取され続けてきたのであるからどうせ蓄えもなく、払えるお金を持っていないでしょう(配偶者や親の資産で払う必要はありません)。払えなければ資産の差し押さえとなりますが、搾取され続けてきたのであるからどうせろくな資産は持っていないでしょう。最低限の生活に必要な資産(生活必需品)は差し押さえの対象になりません。また、社会で働き出せば給与の一部も差し押さえの対象になりますが、最低限の生活に必要なお金は差し押さえの対象になりません。差し押さえにならない金額はおそらく、現在の(「親鸞会の講師として得る収入」-「親鸞会の講師として必要な支出」)よりも多くなると思われます(私の想像ですが…)。

免責:以上の内容は私の法律の解釈であり、絶対的なものではありません。専任講師になったのも、契約書に捺印したのもあなた自身であり、自己責任です。上記の内容を採用するのもしないのも自己責任であり、万が一、採用し、被害が生じた場合であっても、あくまで自己責任です。筆者(もちろん、ぶるうのさんはなおさら)は賠償を含めた一切の責任は負いませんのであらかじめ、ご了承ください。

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投稿:親鸞会学友部で活動している、あなたへ。

今、学友部で活動している皆さんにぜひ読んでいただきたいと思い投稿させて頂きます。私は最近、学友部を辞めた者です。

一年の四月に声をかけられそのままストレートで学徒になり、学友部の主な活動に積極的に参加していきました。今、学友部で活動しているあなたもおそらく同様なものと思います。

私は東学友部でしたのでK学友部長をはじめ新勧当初から多くの講師、学友部で働く親友部、学顕クラブの方々にお世話になりました。

辞めたばかりなので時々後悔の念に苦しむと同時に学生時代の間で辞めることができ、このままずるずると会員を続けることをしなくて済んでホッとしています。

時々親鸞会時代の事を思い出しては、ある意味で人間的に成長させて貰ったなと恩を感ずることがあります。しかし、それには貴重な学生時代が代償となり、それはあまりにも大きなものでした。

辞めて気付いたことに、時間というものがあまりに貴重であったということです。皮肉なことに部会などで時間の貴重さ(無常観など)を何度も教えてもらいながら、それを強く実感したのは脱会してからでした。

学友部の活動で費やしたもので取り返しのつかないものは時間でしょう。お金と体力はいくらでもとはいいませんが取り返しがつくものです。しかし、時間、とくに学生時代という貴重な財産は取り返しがつきません。しかも、このことに気付くのが脱会した後でしたので後悔の念は強まるばかりでした。

学友部で活動しているあなたは、何馬鹿なことを言っているの?と思われるでしょう。親鸞会の活動(親鸞聖人の三願転入のお言葉を利用した人集め金集め。)は本当の幸福になるためのもので、とてもやりがいがあることであり幸せなことではないかと。

このような思考は、実は仮初めの信仰で作られた幸福感です。個人的な思想によってねじ曲げられた教義で叩き込まれた信仰であるならば、それは本来幸せだと思わないあなたも幸せなことだと感じ操作されてしまっているのです。いわゆるマインドコントロールです。

学友部では、親鸞会はマインドコントロールしていると外部から非難されていることに対策を取っています。k学友部長も声を高上げて親鸞会ではマインドコントロールはされていないと叫んでいました。

思えば、学友部長をはじめ、講師、先輩方が言うことにそれが是非関わらず自分で考えず服従していました。マインドコントロールかどうか自分でしっかり調べ考えた事なんて、果たしてあなたにはありますか?思考停止してませんか?学友部長などの高圧的な説法に心を縛り付けられていませんか?私は学友部であった頃は学友部長や幹部講師の使命感を与えられるような説法に魅力を感じていましたが、脱会して気付いたことは全て高圧的で会員を思考停止させるものであったことです。

一つの例にk学友部長の会合で、ネット上の親鸞会批判の中に高森会長の過去にスキャンダルがあり、ああだこうだと非難してくる輩がいると学友部長が言いました。私はすでにネットの批判は大体把握していたので、ああ華光会などのことかと思っていましたが、そういった具体的なことは言っていませんでした。ただスキャンダルがあると。

本来ならここで、そのスキャンダルが具体的にどういうもので、それに対して反論しなければならないと思います。ただ非難してくる者を明確に反論せずに罵倒しても何の意味もないですから。(親鸞会の本願寺批判のようなものです。)ところが学友部長はここで如何にも威圧的に声を高上げて言いました。

「そんな些細なことを考えるのは、後生の一大事の重さが分かっとらんからだ。後生の一大事が自分の中で真剣に問題になっていればそんなことはどうでもいいこと」
確かこのような旨趣だったと覚えています。私はこれを聞いたとき親鸞会の現状を知ったのと、今まで尊敬していた学友部長に対して失望しました。学友部長は確信犯だと私は思っています。おそらく思考停止させることを知っていて説法しています。罪深いことです。尊敬していたからこそ厳しく言わせてもらいます。

何が言いたいかと申しますと、会長の過去にスキャンダルがあるならば明確に検証しなければならないのに、それについては考えなくてよく無視して、後生の一大事の解決に全力を注ぎましょう(とは言ってても結局は人集め金集めに終着する。)と、話を無理矢理展開しているということ。そして、会長のスキャンダルに関して一切考えなくてもいいと思考停止させるよう意図的に操作していることです。

ハッキリ言いますが、会長のスキャンダルを徹底検証することはとても大事なことです。なぜか?あなたは善知識と思っている方の過去を知らなくていいのですか?と逆に問いたいと思います。親鸞聖人の生涯についてはあれだけ知識をお持ちでありながら、自分の師の生涯も知らないのですか。ましてや不出世の無二の善知識と崇めている高森会長様ですよ。なぜ知ろうとしないのですか?

もちろん、そのスキャンダルの根拠がデタラメなものなのか正しいものなのかしっかり検証しなければなりません。そして、そのスキャンダルからどういう結論が出るのかも考えなくてはなりません。もしかしたら、今までも思っていた善知識が化けの皮が剥がれた欲深爺さんになるかもしれません。

結論としては、過去の投稿と同じです。考えるのをやめるな、しっかり悩んで考えろ、ということです。今は本当にネットで貴重な情報が得られます。親鸞会を批判したサイトも充実しています。どうか、そういったサイトを一度じっくり読んでみて下さい。もちろん考えて悩んで。批判サイトを鵜呑みにするのもどうかと思いますし。学友部は東大をはじめ有名国立大学、私立大学に拠点を置いています。あなたのは頭は少なくとも世間一般よりはいいはずです。大丈夫です、自分でしっかり考え決断を踏めるはずです。今さら説明しても何なんですが代表的なものを紹介します。

親鸞会のマインドコントロールに関して
なぜ私は親鸞会をやめたのか
ジャンヌ
親鸞会の現状や組織に関して
さよなら親鸞会
私の白道
親鸞会の教義に関して
清森問答
苦笑の独り言
高森先生の教学を検証する
親鸞会教義の誤り

私はこういったアンチのサイトを初めはまともに読むことができませんでした。当然、厳しい求道に負けた人達の言い訳であり自分への慰めであると思っていました。会員の立場で反論しようと思えば反論できると思っていたのです。(もちろん、それは反論になっていませんでした。)しかし、中には完全に反論できないものがありました。一つの例として、伊藤康善氏と大沼法龍氏の著書からの盗作です。これはどうあがいても?反論できませんでしたし、高森会長の人格を疑うものとなりました。ちなみに、自分は両者の著書を自分で購入し盗作の事実が真実かどうか確認しました。これはかなりショックでした。

でも、次第にアンチ側の主張は根拠もしっかりしていてもっともで、逆に親鸞会の方が事実を隠蔽し根拠の暗い主張をしていると思うようになりました。最後の極めつけは、T社法論をキッカケとする親鸞会教学の不信でした。それから派生した「苦笑の独り言」は強烈でしたが迷いの目が覚めるようなものでした。

アンチのサイトを読んで、良かったことは自分で考える機会を与えてくれたことです。親鸞会側だけの一方的な情報で固められた思考ではまともに自分で価値判断を決定することは出来ませんでした。しかし、アンチ側の主張を取り込むことで、複眼的に自分を見つめることが出来、ようやく自分で考え価値判断を下すことが出来るようになったのです。そこで、ようやく親鸞会側の一方的な情報源から自分の人生を決めることの危険性を感じることとなりました。

以上から、たとえ親鸞会の姿が浮き彫りになり自己の信仰が崩れてどんなに苦しくともアンチ側のサイトを全部きちんと読んでみて下さい。そうすれば、親鸞会を去っていた人達の気持ちもきっと分かると思いますし、そっちの方が利口的な生き方だとハッキリすることでしょう。間違っても親鸞会を否定することが謗法罪だとか迷いの心だとか思ってはいけません。そう考えるよう徹底的に叩き込まれてきたのだから。

親鸞会学友部に所属しているあなたに言いたい。学生時代は本当に貴重な時間です。自由な時間がこんなにあるのは学生時代しかありません。たくさん本を読んだり映画を見たり海外へ行ったり人と会って話をしたりできるのは、この時期にほかありません。人生について考えるのも、もちろん今も大事なことだと思いますし、仏教思想というのも自分の人生観に取り入れるのに役立ちました。ただ、学生時代が親鸞会漬けになってよいのか、よく考えてみて下さい。

会費、交通費、御法礼、御報謝などを間に合わせるために体力と精神を疲弊させられているあなたの学生時代は本当に充実していますか?充実していると思わされていませんか?そう思いこんだことはある一定のプロセスを経た本当のあなたが絶対に思わないことではありませんか?御法謝の為のアルバイトも結局は時間も体力もお金も搾取されているのです。その時間、体力、お金をもっと他の大事なことに使ってみようと一度考えてみませんか?考えて、悩んで。

最後に私が共感を得たぶるうの氏の言葉を引用させて貰います。

B団体では脱会者を「厳しい求道に負け、欲に流された」と批判します。しかし、会を無批判に信ずるより、その本当の姿を見つめ、自分の信念の是非を考える方が、よほど苦しく勇気が必要であることは言うまでもありません。(『カルトからの脱会と回復のための手引き』から引用)

長文、駄文でしたが最後まで読んでいただき有り難うございました。
さよなら、親鸞会。

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livedoorニュースに親鸞会を扱った記事

すでに各所で話題になっていますが、livedoorニュースに親鸞会を扱った記事が掲載されています。

http://news.livedoor.com/article/detail/4331220/
http://news.livedoor.com/article/detail/4333120/
http://news.livedoor.com/article/detail/4334029/
http://news.livedoor.com/article/detail/4335217/
http://news.livedoor.com/article/detail/4336710/

親鸞会の関係者の方は、なぜ講義がNHKから中止されるにいたったのか、よくよく真剣に考えていただきたいと思います。

まあ、どうせ本願寺の陰謀だとか、いつもの通りの内向けの言い訳で終わるのでしょうけど。

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