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急激に進む精神の劣化

未だ顕正新聞でしつこいくらいに毎回取り上げられているF館ですが、かつて当ブログでも「F館の会長専用施設」「本館とF館の会長御殿」という記事で、会員に隠されている6階の「会長御殿」について報じてきました。

しつこく会員からお金だけ取りながら、未だに建物の全容すら説明する気のない親鸞会ですが、最近になってF館の模型を会員に公開したらしく、その写真が話題になっています。

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これがその模型の写真です。6階の会長専用施設が完全に削り取られており、機械室も屋上への出入り口もないきわめて不自然な模型です。

下に並べてあるのが、過去に発表されたパースです。


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これを見ると、6階の会長専用施設や屋上庭園がはっきりとわかります。この部分をあえて削り取って会員に見せなければならなかった理由は何でしょうか。

会長の専用施設が会員の理解を得られないものならばやめたら良いし、作る必然性のあるものならしっかりと説明したら良いでしょう。しかし参詣者数も会員数も減り続けている今の親鸞会には、とてもできない相談なのかもしれません。それにしても、こんな姑息なやり方までして会長御殿の存在が隠され、それでいて金だけむしりとられる会員の皆さんはもう少し怒っても良いのではないでしょうか。

かつて親鸞会にはプライドがありました。自分たちを批判する勢力に対しては容赦なく反撃し、法論を持ちかけられれば応じて、法論のやり方には問題があるものの、その記録は書籍で公開されました。親鸞会を批判するサイトが出来れば程なくして反論サイトが立ち上がり、反論の内容は稚拙ながらも自らの存在意義をかけて必死に戦う姿がそこにはありました。

しかし最近の親鸞会にはかつてのそうした姿は全く見られません。「苦笑の独り言」や「親鸞会教義の誤り」といった教義を批判するブログの存在になすすべもなく、会長の贅沢施設や会の運営を批判する内容にも沈黙したままで、やったことといえばくだらないマンガを新聞に連載し、6階を削り取ったウソの模型を会員に見せたくらいです。

反論サイトの代わりに講師部員や職員が作った他愛のないブログが乱立し、一部の会員が教義について質問しても回答を避けるばかり。「歎異抄をひらく」については権威付けのために嘘をつき、あまりの情けなさにあきれて自ら脱会する人も出始めています。

もう親鸞会には教義などどうでもよく、大きな建物を建てるくらいしか関心はないのでしょう。こうも会員の減少より先に精神の劣化が急激に進んでいるのを見ると、自分が親鸞会にささげた青春はいったい何だったのかと切なく思います。

なぜ親鸞会はこうも急激に精神を劣化させてしまったのでしょうか。内部では誰も声をあげる人はいないのでしょうか。あげたくてもあげられないのか、あげるつもりもないのか…

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コメント

私も、教義上の質問をしても無視されて、それで会員を辞めました。
反社会的なことも、教義さえ正しければ、ある程度は目を瞑ってきました。

しかし、親鸞会が教義に対しての自信のなさが今年に入って明らかになりました。

さすがに親鸞会の終りを感じました。

投稿: | 2009年8月27日 (木) 18時57分

去年、、このまま、ここで、会長の話を聞いていても、私は絶対に救われる事はないと見切りを付け、退会しました。最後に富山の会館に行った時、予感がしたのか、何気にオフコースのさよならを繰り返し口ずさんでいました。そのとき限り、本当に、二度と行くことはなくなりました。行かなくなって、一度も後悔したことはありません。
 カルト、異安心、悪知識、偽者、傲慢、嘘つき、詐欺、献金、ダミー、ケチ、密告、上から目線、思考停止、反論封じ、粛清、不倫、パクリ、軍隊、絶対服従会というと、これら、色々な言葉が脳裏に浮かんでは消えます。こんな事しかやってこなかったのですね。何十年もの間。情けない限りです。

投稿: | 2009年8月27日 (木) 21時00分

高森会長、今はある意味親鸞会は大人気ですけど、あと数年したらネットの話題にも上がらなくなりますよ。
反論の余地があるなら、さっさと反論してください。
そうすれば、より一層早く会員は見切りをつけられるようになりますから。

投稿: | 2009年8月27日 (木) 22時19分

今の会員数どうなってるんだろ?献金目標まで集まるのか?
たとえ集まっても、今後ハコモノ保てるのか??

投稿: | 2009年8月27日 (木) 22時33分

核となる教えが、これ以上誤魔化し切れないところまで、ネット等で誤りを指摘されて破綻したので、会は雪崩の様に全てが崩壊に向かって進んでいるように思えます。よくぞ、50年間もの長期に渡って会員を騙し通せたものだと感心します。もうこの勢いは止まらないでしょう。騙されてしまったのは、非常に残念ですが。これから起こるであろう、更に悲惨なごたごたに、現役会員は、巻き込まれない内に早々と退散しましょう。
 T森会はカルトではあっても、親鸞聖人の教えでは初めからなかったのですから。
 

投稿: | 2009年8月28日 (金) 07時31分

入会前から、自我の確立が出来ていた人は、人格面でそれ程影響を受けなかったでしょう。でも、大学のキャンパスで声を掛けられ、そのまま、ベルトコンベヤーに乗ってしまった人は、会の思想がそのままその人の人格の中心部分を成すものとなってしまったので、中々MCを説くのは困難かもしれません。
 極論すると、自分の中に会から入ってきたもの以外なかったのですから。忙しくさせられて、余裕を持たせて貰えなかったというのは自分も含めて言い訳だと思います。こんな、最悪な環境でも、信心決定している人もいるのですから。縁も大きなファクターだったでしょうが、縁を求めるのも本人次第でしたし。
 化けの皮が剥れた今こそ、躊躇してはなりません。今すぐ、今度こそ、自ら、良い縁を求めて速やかにカルトから離れましょう。

投稿: | 2009年8月28日 (金) 07時56分

よく考えずにいいと思ったものに飛びついたのは人生の岐路において大きな失敗だったと思いますが、当時、T森会以外に若者でも入っていける真宗の集まりが無かったのも事実です。親鸞聖人のお名前も会には付けたくないのでT森会とこれからは言う事にします。
 だからこそ、それが、真実の教えを説く団体で欲しかったです。でも叶いませんでした。人間としても、遵法という点からしてもおかしなことを強いられ、人格が破綻しないか、余程何も考えないか、感じないかでないと会でやっていく事が困難なのではないでしょうか?
 事実、最後、やめる前の段階で、こんなに会に苦しめられるなら、死んでしまおうと考えました。たぶん、ひどいうつ状態だったのでしょうが、会と距離をおくことで、自分自身を徐々に取り戻していきました。本当に危なかったです。あの時、あのまま死んでしまっていたら大変でした。
 少しでも自分の頭で考え始めたら、苦しくなってきます。自分のやっている事が矛盾だらけで。いかにもおかしいので。私のようになる前にやめた方がずっと幸せです。手遅れにならないうちに、症状の軽いうちに、距離を置いてみましょう。

投稿: | 2009年8月28日 (金) 08時22分

どんな事でも、批判的な目を常に持つことが大事である教訓を教えてもらいました。一つの事柄を取り込んだら、もう一度、自分の中で練り直して、再構築していく思考法が、絶対服従の中で何年もいたら出来ないのかもしれないですが。
 2Cでやたら、『S会の教義の誤り』をやたら褒める人がいますが、こういう腰巾着みたいなものの言い方は、身内の誰かかなとも思わせます。かのブログの管理人はこんな風に他人に思わせる表現はやめるようにいえるほどの思慮を持ったほうがいいと私は思います。あくまでも憶測ですが、本願寺関係ではなく、私もU田さんのような気がします。内容に賛同して会を離れる人が出てくるのは歓迎すべき事ですが、それはまたいつか、別の機会に良く検討したうえでコメントします。
 とにかく、よく考える習慣を身に着けることを始めて下さい。
 
 

投稿: | 2009年8月28日 (金) 08時58分

想像で、適当なことをコメントされない方がよいと思います。明らかにU田氏の話とは異なる内容がいくつもありますので、違うと確信をもっていえます。

今問題は、親鸞会を退会する人をどのようにして増やすかです。本論から外れる話は、他でお願いします。

投稿: | 2009年8月28日 (金) 10時10分

>核となる教えが、これ以上誤魔化し切れないところまで、ネット等で誤りを指摘されて
>破綻したので、会は雪崩の様に全てが崩壊に向かって進んでいるように思えます。
>よくぞ、50年間もの長期に渡って会員を騙し通せたものだと感心します。

親鸞会はこれまで会員の言論や情報管理を統制し、批判をおさえ続けてきた。

しかし、ここ数年、ネット上での批判、それも元講師部や元幹部といった
内部の状況を詳しく知った人たちによる批判が相次ぎ、もう事実を隠しきれなくなり、
これまでの親鸞会への不満、批判が一気に爆発した。

いつの間に、このようにネット批判が盛んになったのだろうか。誰かが火をつけたのだろうか?

投稿: | 2009年8月28日 (金) 10時20分

確かにほかのブログの管理人が誰かなんて、直接は関係ないかもしれないし、そのうち誰だかわかると思う。でも証拠を挙げて、ハッキリこの人だと断定している訳でもないし、推測の域を出てないし、放っておいたらだめなの?それともU田さん本人が違いますって言っているのどこかで聞いたの?何か不都合な事があるの?教義の内容については、何も言っていないし。本当に教えが間違ってて、危ないと思ったら何か言うつもりなのかもしれないけど。まあ関係ないから、これ以上はこの話題はもうやめようね。限が無いし。
 ただ、会をさよならするにあたって、どんな風に抜けるかはよく考えたほうがいいのは確かでしょ?あまり深く考えずに、こっちのほうが耳障りがいいからという理由で次に乗り換えるのは凄く危険じゃないかと思うけど。また同じ轍を踏むのはごめんだしね。そこのところを言いたかったんじゃないかな?一つの例として。
 でも、どんな理由でもやめようかと思っている人はまだいいけど。MCの人は手強いよ。教えが間違っていようと、秘密の6階が実際あっても、T先生が命だから、お体を休めてもらう為だからと気にもとめないんじゃないかな?5階だって言ってたのに、嘘つき、献金返せ、という人はとっくにやめてるんじゃない?

投稿: | 2009年8月28日 (金) 12時39分

「親鸞会教義の誤り」の管理人は、U田氏でも、K森氏でもないです。本人から聞きましたので、断言します。他の除名講師からも、はっきりと自分ではないといわれました。
管理人がいいたいことは、カルト教義の誤りに気が付いて、カルトから離れてほしい、ということだけですよね。自分のところに来て、話を聞いてほしいなんて全くいっていません。匿名で、連絡先も、メールアドレスさえも公開していませんので、純粋に、カルトのマインドコントロールを解くことをボランティアでやっているのでしょう。「苦笑の独り言」もそうですよね。
次にどこへいくかはそれぞれで考えればいいです。あそこがいいとは、管理人もいっていません。

いいものをいいと思って、誉めるのが悪いならば、感動するなということでしょう。自分が思ったことを表現して、それはまだ絶対服従の影響を受けているというのは、如何なものでしょうか。親鸞会と無関係な人でも、感動して、誉めることはあるでしょう。何でもカルトの影響が抜けていないという物の言い方はされない方がよいのではないですか。

これ以上このことで議論するのは、ナンセンスです。

カルト崩壊に向けてのコメントを期待しています。

投稿: | 2009年8月28日 (金) 13時20分

会員の時から、地獄に堕ちるとか服従しなければならないとか思ったことがなかったのでそんなに驚きませんでしたけれど、他の方の反応を見てやっぱりMCは根強いんだなと思いました。私は高森会長の口を通して発せられる聖人のお言葉を信じていただけなので、阿弥陀仏に従わねばとは思っていましたが、会長を信じねばとは思ったことありません。だって、そうじゃないですか「一向専念阿弥陀仏」ですもの。会長を信じたところでどうなるのでしょうか。疑いなく信じることができるのは阿弥陀仏だけです。向かうところが違ったら助かりません。人間ですから永遠に生きておられる訳でもないし、煩悩具足の凡夫ですよ。「秘密の御殿」も「服従せよ」も「恩の押しつけ」も「ワシだったら腕の一本や二本」も「辞める時は1千万」も「会をやめたら地獄行き」も、こんなこと言われるのは阿弥陀仏から賜った信心を我が物顔で振る舞うかのような驕慢自惚れじゃないでしょうか。きっと会長が「大本堂で1万人の前で説法をしたい」という望みを抱いた時から、浄土真宗からは外れ、目的が違いますから教義もネジ曲がっていったのでしょうね。現に正本堂ができてからすっかりおかしくなりました。もっと早く知りたかったです。そしたらもっと早くやめていました。でも仕方ないです。長い間騙されていた自分も悪かったと思います。
要するに、「親鸞会におれば大丈夫」という自力の信心が崩れたんです。そんな信心とても臨終には間に合いませんでした。危ないところでした。「善をしておればいい」とか「会長先生には間違いない」という会員さんのそんな信心を崩されては困るから「ネット見るな」と言われて、いつまでもそんなもろい自力の信心に腰掛けさせられていては大変です。

投稿: | 2009年8月28日 (金) 16時19分

退会者増加はなかなか難しい。本人に手紙を送ることはできません。反対されて求めてる人もいるから。最終的には個人の判断です。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 12時07分

純粋な疑問なのですが、会員も減り、これだけ叩かれているのにどうしてこれ以上箱ものを増やすんでしょうか?

私が在籍していたのは随分前で、ちょうど正本堂を建立しているときだったのですが、その時から何度もお金の徴収があり、建立してやっと終わったかと思ったら今度は、また別の・・・。

正直いってこの会に在籍している限り一生何らかの理由でお金を徴収されるように思いました。活動費でただでさえお金がかかるのに。生活を切りつめて財施しているのに。どうしてこんなに立派な建物ばかり必要なのだろうと思ってました。

百歩譲って正本堂には建立の意味があるとして(一同会してのT先生の話を聞くため)他の建物っているんですか?この前なんとかの里を作ったばっかりじゃないんですか?F館作った後はもう何も作らないんですか?会員が減ってるのに誰が使うんですか?月にどれくらい使うんですか?空き家にして税金無駄に納めてませんか?アパートなんて売り払えっていうならそこにすませてあげたらいいんじゃないんですか?一体、どれだけ財施させれば気がすむんですか?もう、っていうか馬鹿ですか?

頭の先にぶら下げられた腐った人参を永遠に追い続ける会員の皆様が不憫で仕方ないです。

一歩そこから出て、冷静な目で見てみてください。異常としかいいようのない現実が見えてくると思います。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 12時24分

それは、資金繰りのためだそうです。
お金がないから建物作る、のだそうです。
融資、負債、献金。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 12時50分

正本堂の借金を、ドメイン御報謝で返済し、ドメイン御報謝時のあんしん弁当、駐車場、法輪閣、同朋の里買収費の借金を、同朋の里第1期工事御報謝で返済し、同朋の里第1期工事、あんしん弁当拡張費の借金をF館御報謝で返す。
ではF館工事費は、何で返済するのか、新たな御報謝が次々出てきます。多分、エコ御報謝、同朋の里道路工事御報謝などでしょう。
完璧な自転車操業ですが、問題は、F館の財施が思うように集まっていないことでしょう。
その焦りが5階建ての模型となっているのです。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 13時09分

本当は純粋に何でも信じられ、感動出来るといいのでしょうが、これだけ嘘を重ねられるとやはり、何にでも一度は疑ってかからないとまた騙されてしまう様な気がします。
 学生で勧誘された人はダミーサークルでした。宗教じゃないと騙されました。
 社会人サークルも、何とか大学も、A医師やK弁護士もS会だとハッキリ名乗りません。
 小杉の本部も正本堂もほかの建物の最上階には会長の住まいが、会員には内緒で、ちゃっかり造られました。特に、会員は聞法道場の阿弥陀仏が安置されている上に会長の小屋を恵むためにお金を出したわけではありません。
 そもそも御名号も親鸞聖人のお名前を張り合わせた偽物でした。もらったものだ思ったら、やめる時、夜中に大勢でおしかけて、あれは貸与したものだから返せの大合唱。人の迷惑など顧みません。
 一切衆生必堕無間だ、一息切れたあとは地獄の後生の一大事が必ずあると騙され、人集め、金集めの手先にされました。
 聖人の教えは三願転入だから、まず19願の善に励めば、無常罪悪が知らされ仏縁が深まって信心決定出来る様に会員を思わせるような説法を繰り返して、聞かされましたが、死後は六道輪廻が仏教の通説でした。
 会長は恩師のK光会のIさんの葬儀にも顔を出さなかったのに、自分の母親が死んだ時には説法をサボって、自分を善知識と敬うように言われても、違うでしょ?
 それから、今回のS会教義の何とかやK笑さんの事でも元講師や会の誰かが、入れ知恵しないと会の教えや組織のことなど部外者には、分からないでしょ?「本人に実際、話を聞いて管理人ではないと言われました」って、誰が「自分です」って言いますか?「自分たちが協力しています」って。何らかの繋がりがあると考えるのが妥当でしょ?別に誰だからいいとかいいとか悪いとかはここでは考える事は抜きにしても。リンクも貼ってあったし。K笑さんは会に友達がいると書いていましたし。元講師か、会員か、両方かは存知ませんが。
 単なるボランテイアでしているとはどうしても考えにくいです。ただ、法論が趣味ということは考えられますが。私でさえも自分自身が現に何十年も会で騙され、酷い目にあったので、会員の皆さんが早くやめて欲しくて、会が崩壊して欲しくて書いています。
 物事には表と裏の二面があるのです。特に表面上当たり障りの無いきれい事を言っているものには騙されてしまうことが、多いのです。「仏教に善の教えがないのか」と本願寺に迫った事のように。良いと思われる事は皆に認められやすいし、反論しにくいからです。
 明らかに、間違っている事、整合性を欠くもの以外の正しさを証明する事は困難を極めます。だからこそ私も、皆さんも騙されてしまったと思います。
 今度こそ騙されてはなりません。やめた人はよく考えて、慎重になって下さい。まだやめていない人も、献金はどう考えても無駄ですから、やめた方がいいでしょう。こんな事を言っている私のコメントも疑って読んで下さい。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 14時47分

私も約30年、親鸞会でしっかり騙されました。時間、金銭、体力、その他もろもろ、とんでもない騙され方です。しかし、上の人のように他の人にまで疑心暗鬼にはなっていません。
何でもかんでも信じるのは問題ですが、逆も問題です。確かめる勇気と手間を惜しんではなりませんが、大きなことでなければ、ある程度確かめたらそれなりに信用すればいいでしょう。

「親鸞会教義の誤り」でも書かれているように、私はプラス思考の仏教精神で生きています。だから、マイナス思考の親鸞会は許せません。これだけ様々なことが暴かれながら、未だに誤魔化しの体質を強めている親鸞会を、徹底的に追及していきます。おかしな教義面でも、反社会的言動でも。

これ以上、犠牲者を増やさないためにも。犠牲者は、物質的なことよりも、精神的なことの方が酷いです。だからこそ、脱会してもマインドコントロールに苦しんでいる人はたくさんいます。そんな人を救うためには、「親鸞会教義の誤り」など、教義面での間違いをはっきりさせることが必要だと思います。

幸いにして私は完全にマインドコントロールから解放されました。それで、他の人にもそうなって欲しいと思っています。私は普通の仕事をしていますので、親鸞会を崩壊させても何の利益も得られませんが、反親鸞会活動をしている人にはかなり協力をしています。元講師、苦笑氏、その他の人にも。

現役会員には、まずは目覚めてもらいたいです。そのためにできることがあれば、協力します。もちろん無償で。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 16時08分

地元の高校が甲子園にでてはじめて決勝まで行き、準優勝して涙が出ました。 親鸞会は腹は立つし、感動して涙を流したことがない。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 16時21分

騙された人が、慎重になる事、熟慮する事、自分の足や目で確かめる事等は決してマイナス思考ではないと思います。何か考えたり、確かめたりする時には、人に会って話を聞いたり、文献にあたったり、するでしょう。そのときの心がけを言っているだけで、邪魔をしようとしているようには少し前の人には感じられませんでした。
 そもそも人を信じるにも信じ方にいろいろな段階がありますが、明らかに悪いもの以外は静観するのが普通だと思います。その静観している対象について表面的でなく、行間や真の目的を考えていく事はむしろ大切ではないですか?
 自分自身が信心決定しなければ、この人は正しかったとは心底信用出来ないでしょうし。また、仮に信心決定した後でも、人間ですので、考え方がどうしても合わず違った道を行く事だってありえます。
 そして教えを信じるにあたって、「表面上当たり障りの無いきれい事」にまんまと引っかかってしまったので、その思考の習慣そのものを変えていかないとまた騙されかねないという警鐘と私は受け取りました。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 17時23分

そうですね。何十年も会員をやっていて、いろいろな情報を見聞きしているにも関わらず、やめない人には、正しい教えをいくら説いていっても、難しい所がありますね。
 やはり、自分だけは長年、正しく聞いてきたという自負を捨てられない事が大きいと思います。そして、ほかの縁の浅い人は教学もあまり進んでいないし、聖人の教えを説いてくださる会長の話が正しく聞けないけれど、自分は大丈夫。このような根拠の無い自惚れのバリアが邪魔をして正しい教え、助かる教えが届きません。
 これをMCというのかもしれません。でも、こんな人が多いのも確かです。これらのひとに、共通している事はなんとなく、しっくりこないとか、違うような気がするといった、直感というか、つぶやきに敏感になれないところではないかと思うのですが。
 そして、心を柔軟に保ち、何かにとらわれないように、じっくり物事を考えられるようになれるにはゆとりの時間も必要でしょうね。忙しくさせて、思考を停止させるのがカルトの常套手段ですから。
 確かに、疑ってかかるという言い方はマイナス思考と間違えられやすいかもしれませんね。でも、何の疑問も持たずに盲信してた人たちには言いすぎでは無いような気もします。自分自身への反省も込めて。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 17時57分

大したことでなければ、そのまま受け取ればいいでしょうに。これ以上は、無駄な話ですが、念の為
「苦笑の独り言」より
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-413.html

【投稿】ブログ「親鸞会教義の誤り」が出来ました。
メル友より、新しいブログの紹介です。
 ↓
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いつもお世話になります。

親●会が諸行往生であることについて、「苦笑の独り言」に投稿しましたら、親●会の現役、元会員には思ったよりも評判がよかったので、びっくりしています。

実は、某本●寺の関係者に教えてもらって書いたものでしたが、その人が今後も親●会教義の誤りについて、ブログを新たに作って書いてくれることになりました。

苦笑さんのように頻繁に更新はできないようですが、現役会員が目覚めるきっかけになることを期待しています。

親鸞会教義の誤り
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このブログと相互リンクにして、オイラも応援したいと思います~。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 18時03分

誰から(信心決定しているか否か)、どんな話を聞くか(助かる話か否か)を熟慮する事は大した事ではないのですか?その人の思いと、実際知識選びに真剣になった経験があるかないかによると思いますが。
 みんなそれぞれ異なった考えがあるのに、大した事でなければ、そのまま受け取れといわれても、「何だかなー」という感じです。大した事かどうかの基準は人それぞれ違うのだから、各人の判断に任せたほうがいいと思いますが、いかがでしょう?今度こそは自分は騙されたくないですがね。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 19時46分

自分はバリバリ会員だったころは特に疑問を持っていなかったが、一つひっかかることがあった。「真剣に聞け」と言われるから真剣に聞こうとしてきたが、どう考えても年が経つにつれて真剣度が落ちていった。「真剣さ」で言えば会に入って1、2年目ころが一番真剣だったと思う。余力を残さず、その時その時オールアウトで全力を出しきっていた。でも3年目、4年目となって、だんだん計算高くなった。うまく立ち振る舞うことを覚えた。「立派な求道者」と見られるにはどうすればいいかわかってきた。そのうち「立派な求道者」と言われることが気持ちよくなってしまった。ただ1点ひっかかるのは「真剣に聞け、真剣に聞かないと救われない」と言われること。年を経るに従って真剣度が落ちていくことはウスウスわかっていた。このままでは救われない、そう感じた。何か突発的なことが起こって、真剣度がグーンと上がる時が来るんだろうか、とも思った。でもそれは平生業成でなくなる。やはり救われないのでは、と思った。そんななかネットなどを通して種々の親鸞会教義の問題点を聞いた。最初から100%信じなかったが、やがて親鸞会が誤りだと気づいた。また、種々の親鸞会の問題言動にも気づいた。そこから辞める決意をするまではそんなに時間がかからなかった。

投稿: | 2009年8月29日 (土) 23時14分

陳腐な団体になってしまったね。

投稿: | 2009年8月30日 (日) 05時19分

甘えたコメントが多いですね。騙されたくないから慎重になる、一見尤もらしい意見に思えますが、知識選びのためにどれだけのことをしたと言うのでしょうか?

私は親鸞会に見切りをつけた後、すぐに思い付く限りの人に会いました。家の中にいて、慎重に善知識を探しています!?
何を考えているのでしょうか。

匿名のブログの管理人が誰であっても関係ないでしょう。そんなに気になるのなら、思い当たる人全員に真剣になって、本当に貴方ではないのですか、と聞きなさいよ。
はっきり言いまして、管理人が誰であっても、大した問題ではありません。
ブログの内容を読めば、U田氏、K森氏でないことぐらいわかりなさいよ。そんなこともわからない程度の知識選びしかしていないことを反省すべきです。

投稿: | 2009年8月30日 (日) 05時28分

行動する事と熟慮する事は二者択一でなく、両者揃って、初めて正しい方向へと進めると思います。別に家で慎重に知識探しをしていなさいと会に留まらせるように言っているのではないでしょう。
 慎重にと言っている人皆が考えてばかりで、何もしていないと決め付けるのは如何と思います。文面を読んだり、人に会った時に、かつて、S会に騙されたときと同じでなく、この人は本当に私の信心決定の良い縁になるか否かを自分の心の声を聞きながら判断する方がいいのではというように慎重にと言っている人のコメントを私は読みました。
 実際私もやめてすぐから、考え付く全ての人や団体に会いましたが、今の所、自分がこの人という人には残念ながら会えてはいませんが、以前よりはずっと、幸せです。結局、最後は阿弥陀仏に向かうしかないと教えてくれる人に会えるまで、何人でもどこにでも行ったらいいだけでしょうが、その過程でほんとにこの人でいいのか、常に確認していく作業は大切ではないでしょうか?それを甘えというなら、甘えなのかもしれません。

投稿: | 2009年8月30日 (日) 08時10分

 結局、会の誰かは分からないけど、会に関するブログには会の関係者が関わっているのですね。そうでないと、会の教義的な誤りや、組織の問題点などわかりませんからね。
 別に誰でもいいですが、匿名の文章は責任の所在があいまいですね。元講師の書いたものなら、電話やメールで確かめようがありますがね。
 ただ、問題は誰が書いたかというより、内容に「阿弥陀仏の救いは今ですよ、今阿弥陀仏に救われてください」いうメッセージが感じられるかどうかだと思いますよ。
 ハッキリ言って、会がどうであろうと、そんなに嫌ならやめたらいいだけだし、問題はその後でしょう。それと、長年やっている会員は教義的に間違っていても、あっていると思い込んでそこから前に進めないのも憂慮すべき点ですがね。鼻が馬鹿になってしまって考える事も出来なくなってしまっているのでしょうが、気の毒です。
 まあ、誰の書いたものでも、会を離れるきっかけになるのは悪い事ではないでしょうし、邪魔をする気は毛頭ありません。でも、くれぐれもまた変なものは掴まないように気を付けて下さいね。

投稿: | 2009年8月30日 (日) 08時41分

確認作業を否定する人はないでしょう。確認作業のために行動したかどうかが問題なのです。

ことの発端は、「親鸞会教義の誤り」の管理人が、U田氏ではないか、というところから始まったもので、だからどうなんだ、といいたいですよ。それを本人に尋ねたのですか、そしてもしU田氏だったことが仮に判明したとして、どうしたいのですか。

もともと信用していなかったけれども、やっぱりそうだったのか、と言いたいのでしょうか。逆に、管理人ならば、是非聞かせて頂きたい、と言いたいのでしょうか。あるいは信用していたけれども、裏切られたと言いたいのでしょうか。

とにかく、知識選びにおいてもし管理人が誰かが問題になるのなら、本気で尋ねればよいでしょう。「あなたが、管理人ではないのですか」、と。その点では、何もしていない、と思いますが如何でしょうか。
騙されたくないのなら、騙されないだけの確認作業をして下さい。

大体「親鸞会教義の誤り」の管理人が、直接か間接か親鸞会と関係がある人である、それで何が問題になるのか理解に苦しみます。他のことと論点をすり替えないようにして下さい。

投稿: | 2009年8月30日 (日) 08時48分

確認作業には色々な方法があります。本人に直接聞く、文章から推測する。誰か知っていそうな人に聞く。ほかにもあるかもしれませんが。これらを全てされてからのコメントかもしれませんよ。決め付けるのは良くないと思います。本人や知っていそうな人だって場合によれば嘘をつくかもしれないし。推測はあくまで想像の域を出ません。本当のことなど確かめようはありません。最終的に本人が何を信じるかでしょう。誰のものでも、内容もいいと思った所を取り入れたらいいだけでしょ?
 ただ言える事は、教義が全部わかってから信心決定できる教えではない事です。行動を起こさず、じっとしていては先に進めません。よく考える事と知識探しは同時にしていったらいいのではないでしょうか?
 自分の勘に頼って、行くしかないと思います。縁があれば聞くし、この人ではだめと思ったら離れるただそれだけではないですか?
 これはあまり言いたくなかったのですが、どこかのMさんと間違えられるかもしれませんが、例のブログは既に聞いた事であったり、知っている事と多くの現役会員に言われました。それがどうしたのと。
 ある人には、感動的で、驚くべきことと褒める内容でも、自分はわかっていると思って長年会にいる人には、MCを解く効果があるのか疑問に思いました。
 断っておきますが、ブログをされている方を非難しているのでもなく、これから先も書かれるでしょうし、ただこんな意見もあるということを知って頂きたかっただけです。このブログでやめる決心がついたと喜んでいる人がいるなら、よかったと思います。
 ここにはまだやめていない家族や友人をなんとかやめさせようとしている人もいると思いますので、現役会員の受け止め方の一部をあえて、コメントしました。
 

投稿: | 2009年8月30日 (日) 14時55分

今、信心決定することよりも、なぜ、会に所属して、根拠の無い安心を求め、人集め、金集めをすることでお金や生活の全てを注ぎ込むのでしょうか?そんなに安楽椅子は居心地はよく離れ難いですか?
 魂を売ってまで、カルトに身を捧げる姿は痛々しいです。

投稿: | 2009年8月31日 (月) 08時59分

やっていることを見たら、完全にカルトじゃないですか。だいたい「なぜ生きる」のSK作戦だって、幸福の科学とかの真似でしょう。そのうち親鸞会も政党作るかも知れませんね(笑)
今のハコモノ乱立はあらゆるカルトが好き好んでやっていることです。

いい加減気付きましょう。そこらのカルトと全く同じだと。

投稿: 全体部室 | 2009年8月31日 (月) 13時10分

なんで、いとも簡単に、カルトの親玉を信じてしまうのか?彼らにとって教えなど、助かる事など、二の次なのかもしれないと思えてきた。
 社会的にも法に触れるような事を会員にやらせてるような代表者にコロリとさ騙される要因は自信の無さから来るものなのか?
 自分さえ助かれば、人はどうなろうと構わないという自分勝手な、傲慢な指導者の態度に同化することで、彼に近づけると思っているのか?
 いずれにしても、無理があると感じる事は、間違った方向に行っている証拠だから、立ち止まって、考えて引き返した方がいい。それ以上進めば進むほど、余計苦しくなるはずだから。
 理性や倫理観まで曲げなくては、求められない真実など出鱈目だと思う。ひょっとして、カルトに騙されているかも知れないなどとは少しもMCの人は考えられないのだろうか?
 
 

投稿: | 2009年8月31日 (月) 18時56分

会の新年の新聞の一面の会長の文章を暗記した人はいませんか?『なぜ生きる』や『歎異抄をひらく』の会長のものも嬉々として暗唱している人もいました。新年の会合で発表した人も多くあることでしょう。
 そんな人たちを横目で見ながら、「これってカルト?」と思いました。特に、新聞で会長が使う言葉が、いかにも昔風で古めかしくて、辞書無しでは解らないものも多かったです。今思うと、もしかしたら、新聞の記事でさえ、OさんやIさんのものだったかもしれません。なにしろ、人の文章を自分のものだと平気で本にまで出来る人ですから。
 もう一つそんな時思った事は、分かり易く心がけていると口では言いいながらも、難しい言葉を多用して、この人は、自分を飾ろうとしているのだという事でした。学力や文章力にコンプレックスがあるのかとも思いました。
 有名大学の学生ですぐカルトと見抜けなかった人は、申し訳ないのですが、暗記の勉強は得意だったかもしれませんが、自分の頭で考えることが苦手だったのかもしれません。かく言う私もアホな上に怠け者でしたので何十年も思考を停止して、会以外の根拠を勉強もしませんでしたので人のことを言う資格はありませんが。
 でもさすがに、ころころ変わる会の方針や自転車操業そのものの献金集めが酷くなったので考え始め、やめました。やっぱり、困ると人間考えるものかと思いました。自分の良心に反する事まですると精神が壊れますよ。壊れないようにするための自衛手段が思考停止なのだったのかもしれませんが。
 呆けてしまった今は勿論ですが、冷静に、客観的に会長を考えたとき、人格的に大した人物ではないし、それ程頭がいいことも無かったと思います。
 ただ、ごまかす事や、自分を偉く見せたり、責任転嫁は詐欺師の中の詐欺師、天下一品でした。これって褒めてしまっていますか?

投稿: | 2009年8月31日 (月) 22時17分

教義の間違いを読んで退会を決意された方は、会との繋がりより、助かりたい思いが強いのかもしれません。また、人間関係で疲れている人かもしれません。もういい加減にやめたいと思っていたら、必堕無間、三願転入など中心となる事が間違っていたので、渡りに舟だったかもしれません。
 でも、このようにやめられた人や、退会を考えられる人はそれ程Mcされていなかったのでしょう。今、会でバリバリに活動している人は、教えが間違っていようと自分だけは正しく聞いているし、カルトそのものの会長のやり方にも飼いならされて不満すら感じなくなってしまっています。
 会を動かしているのは、MCされたこのかわいそうな人たちであり、これらの人達に少しずつでも訴えていく事こそ会の崩壊を早め、促す事になるのかもしれません。お金を出す人、車を出す人が、櫛が欠けるように一人、また一人と抜けていったら、実際の活動に支障があります。MCがそれほど進んでいない人はあの人もやめたし、自分もやめようという気につられてなる可能性も大きいと思います。
 会での出来事のここがカルトだったとコメントに具体例をあげていく事もMCを解く一つのやり方かもしれませんね。

投稿: | 2009年9月 1日 (火) 08時06分

今残っている会員でもいろいろあると思います。

親鸞会の反社会的な面を知って辞める人は、MCの軽度の人でしょう。
反社会的な面を知っても辞めずに、教義の誤りを知って辞める人は、MC中度の人でしょう。
教義で間違っているところがあっても、正しいところも多々あると、思い込んで留まっているのは、MC重度の人でしょう。
問題は、教義の誤りは無関係で、会長の言うことだけが正しいというMCが極わめて重度の人です。
3番目までの人は、何か切っ掛けがあれば、辞めます。一番最後は教義の誤りになる筈です。
4番目の人は、数百人はいて、親鸞会が組織的に崩壊しても、名前を変えた組織にそのまま残る人でしょうから、救出は極めて難しいですね。

とりあえずは、3番目の人までの救出に力を注ぐつもりです。
4番目の人は、親鸞会という組織が崩壊してからです。

投稿: | 2009年9月 1日 (火) 08時43分

阿弥陀仏は今救われると本願でお約束されています。仏教の慈悲は苦しみの重い人に余計かかります。苦しみの度合いは私たち凡夫には分る知恵がありません。
 それに人間の心なんてずっとそのままなどという事はありません。いつがらりと変わるかわかりません。だから、MCの人は後回しなど悲しい事は、家族の人もみていると思うので言わないほうがいいと思います。
 実際、家族の必死の働きかけでカルトから抜けた人も多くいます。どんなことが、琴線に触れるか予測できないから、教えでも、カルトみたいな事でも思いつく事を言っていくしかないと思うのですが?

投稿: | 2009年9月 1日 (火) 13時00分

まだ信心決定していない人は、思いが色々変わります。だから、カルトにはまっていても、病気になったり、お金が続かなくなったり、結婚したり、子どもが出来たり、という人生の節目で、ふと立ち止まって、過去を振り返ってみたり、未来に思いを馳せた時、「何だか違うんじゃないのかな?」と考える事が何回かはあると思います。ちょうどそのとき、誰かの文章やコメントを読んで、「やっぱり、同じ事思っている人がいるんだ」と気が付くかもしれません。
 今となると、自分の子どもにかつて、ダミーサークルで勧誘していた過去は知られたくありません。会にいたときも、チラシ配りや話し込みに子どもは、連れて行かなかったし、掃除や草むしりのただ働きに参加させませんでした。子どもは巻き込んじゃいけないという心の声に従って。その時間は、遊んでやっていました。
 会の人集めや、金集めに加担するくらいなら、富山に行く回数を減らしたり、地元の活動を休んで家族サービスしたほうがよっぽどいいです。大きくなったら、子どもは離れていくし、小さいとき相手にしてやらなかったら、こんどは親が相手にされなくなるから。今、何を優先すべきか、よく考えたほうがいいと思います。

投稿: | 2009年9月 1日 (火) 17時53分

もうご存知の方も多いと思いますが、S会の毎月の冊子のなかの8月号の中に不可解な文章がありました。世間の冷たさと題して除名処分を受けた人を攻撃しています。
 「退職票」を取りにいっただけで五逆・法謗の罪と決め付けられています。「退職票」をすぐ取りに来たことを生活に困っていると決め付け、五逆・法謗と決め付けるのは、やめたら、生活苦と地獄が待っていると会員への見せしめに取れます。辞めたら、すぐ出さないと、期限切れで貰える物ももらえなくなるという常識もありません。
 もともと辞めない事が前提で、辞めると1000万逆に払わないといけない決まりなので、雇用保険の制度など勿論、無いのかもしれません。公務員にも雇用保険はありませんが、余程の事が無い限り、定年まで面倒見る前提があるから、誰も文句はいいません。反対に安定した雇用を保障していないという事を恥じなければならない立場でしょ?S会が仏教を教えている団体ならば?なぜ、それほど辞めた人を露骨に攻撃するのか分りません。
 会員の減少が進んでいて、S会のほうが経済的に困窮していると思うのは私だけでしょうか?

投稿: | 2009年9月 3日 (木) 08時59分

辞めた人を露骨に攻撃・・・
これって親鸞会ならフツーにやりそうなことですね。
私が10年前にいた学生部(当時・サークル名アルタ)もそうでしたから。
担当講師も学生会員も活動をやめてしまった仲間のことをボロクソに
罵っていましたよ。
「あいつは裏切り者や!」
「仏法が何にもわかってない奴や!」
「高森先生のご恩を何と思ってるんだ!」
「もうそのまま地獄行きだわ!」
「学校で顔合わせても相手するな」
中核になって活動していた学生がやめたときほど、その攻撃の仕方は
すさまじかったです。
もう会合の度に個人攻撃。
90年代後半に、金沢の学生部アルタで活動されていた方なら、当時の
ことをご存知でしょう?
担当講師の言動もご存知でしょうね?
ホント懐かしいねぇ。
ま、10年前から親鸞会の体質はおかしかったと。
それがここ数年になって顕著になったというか、「これはおかしい」とまともに
判断できる人が増えてきた。やっと増えてきたというか・・・
ちなみにお釈迦様は、他人を非難してはいけないよ。
どんな生命も攻撃されるのはいやだよ。おびえているんだよ
と教えられたそうですよ。

投稿: 元アルタ | 2009年9月 3日 (木) 13時48分

あるときは本願寺、そして、お世話になったK光会まで敵に見立てて、非難をくりかえしたS会。今度は、首にした講師にまで矛先が及んでいます。弱い犬ほど良く吠えるといいます。会員さんを取られたのが、そんなに悔しいのでしょうか?会が何といおうと、会員さんは、自分の判断で、どこにでも行きます。正しい教えを求めて。
 人のせいにしたら駄目ですよ。よーく自分たちの今までやってきた事を反省してみてください。当然の結果が現れているだけですよ。
 助かる教えを説いていないのに、お金ばかり要求するから、皆離れていくことにもうそろそろ気が付いてもいいのではないですか?
 職員の方は取りあえず、失業保険だけは確保して、資格試験でもめざしてはいかがでしょう?行政書士、社労士、保育士、教員、国会議員秘書、通訳その他比較的短期間で取れるものがたくさんあるので、自分の適正に応じて、今すぐ勉強を始められるといいかもしれません。 講師の方で辞めたい人は資格を取っても、採用が?なので、学習塾を開くか、親族か支部の会員さんのつてで、水面下で就職の斡旋をお願いして回るくらいしか思い浮かびません。利用できるときは、ただ働き同然でこき使って、いらなくなったら、ポイ捨ての上に、呼び捨てにされ、人格まで貶める会にまだ、何の未練があるのですか?

投稿: | 2009年9月 3日 (木) 17時06分

なんとー元アルタの人がおるやんね
件の担当講師は相変わらずですね
素行不良で叩かれたせいでしばらくおとなしく
してるけどな、
あのおっさんも例に漏れず、家庭が寒いこと
なってるわ。別にかばってやる義理もないけど、
まぁ可哀相っちゃ可哀相やね

投稿: 元々アルタ | 2009年9月 3日 (木) 21時35分

除名ではなく、普通にやめた講師に対しては、おそらく
離職票のようなもの(在籍証明?)は、本人の希望が
あれば発行しているかと思います。

これだけ辞めた人を攻撃しているのは、それが除名された
講師であり、親鸞会を批判した人であるからです。

批判者を徹底的に攻撃し、みせしめにすることで、
内部の批判を抑えようとするのは、親鸞会に限らずある
ことでしょう。

しかし、こんなことでもしないと内部の結束を図れない
親鸞会は末期症状だと思います。

親鸞会は今、惑業苦を続け、負のスパイラルを真っ逆さまに
落ちています。

そう遠くない未来に親鸞会は内部から崩壊するでしょう。

投稿: | 2009年9月 3日 (木) 21時42分

裁判沙汰になった講師は、今は西学友部の副学友部長になってるし。
親鸞会講師って、悪をするほど出世出来るんかな。

投稿: | 2009年9月 3日 (木) 21時51分

こんなカルトなTS会みたいなものが、存在する事だけで、釈尊、七高僧、親鸞聖人その後に仏教を伝えてくださった方々に申し訳ないです。
 
厭離穢土 欣求浄土 抜苦与楽 破闇満願 信心決定 平生業成 絶対の幸福 

いかにも、幸せになれそうな言葉を並べて、何十万、何百万の人達を騙し、苦しめた罪は重いですよ。

速やかにカルトTS会を離れて、阿弥陀仏に向かいましょう!
今救われる教えですから、仏教は!真宗は!
絶対、苦しんだ分だけ、幸せにならないと!
元を取らないと死んでも死に切れません!

投稿: | 2009年9月 3日 (木) 23時21分

> 除名ではなく、普通にやめた講師に対しては、おそらく
> 離職票のようなもの(在籍証明?)は、本人の希望が
> あれば発行しているかと思います。

親鸞会講師は、職員ではなく、外部の独立した布教師です。
親鸞会の業務を、一部委託しているだけです。
在職していないのですから、離職票など発行されるはずはありません。
もちろん労災、雇用保険には入っていません。
いわゆる偽装請負というやつで、違法行為です。

投稿: | 2009年9月 4日 (金) 15時21分

現会員で、親鸞会をやめようかどうか迷っている方
まだやめるだけの決意が出来ない方には
最低、貯金だけはしておくことをお勧めします。
特に親鸞会で仕事をしている方ですね・・・
講師や一般会員問わず、ある程度のお金の蓄えがないと。
親鸞会をやめたはいいけど、一文なしでは話になりません。
「何かあった時のために備えて、お金を蓄えておくように」
とお釈迦さまが在家の仏教徒達に言われたそうです。

投稿: 元アルタ | 2009年9月 4日 (金) 17時46分

http://m.news.ameba.jp/entryDetail.do?guid=ON&entryId=44681&categoryId=64

この働いてはいけない会社の記事をみると、全部親鸞会に当てはまっている。
ドン引きした。

投稿: | 2009年9月 4日 (金) 21時01分

誰かが薦めてくれた本をほかの人にも読んで欲しかったので、図書館で購入してもらいました。
『自由への脱出』ですがこの中でカルトリーダーの精神病質の行動的特徴のほとんどが会長と息子そのものなのでここに紹介します。
1 弁舌の才/うわべの魅力
2 ごまかしやだましに長けている
3 誇大な自意識
4 病的な虚言
5 後悔の念、恥や罪の意識の欠落
6 浅薄な感情
7 愛する能力の欠如
8 刺激の欲求
9 冷淡/感情移入不能
10行動の抑制がきかない/衝動的
11若い頃から問題行動/非行(少年犯罪)
12無責任/信用がおけない
13見境のない性行動/不貞
14現実的な人生設計をもたない/寄生的な生活様式
15犯罪者、事業家としての多才さ
会長にはほとんど、息子に至っては全部当てはまる気がします。これをカルトと言わず、何がカルトでしょう?

投稿: | 2009年9月 4日 (金) 23時28分

『自由への脱出』の続きです。
その少し後に 導師の正体を知るという項目があります。
カルト脱会後再び犠牲になる事を防ぐために自問して欲しい項目を要約して紹介します。
・あなたはリーダーのことをどの程度知っているか?
自分で直接確かめた知識か、人の話を通じて知っているのか?
・最初にリーダーに会ったときどう感じたか?
・その感じは会に在籍している間に、あるいはリーダーと関わるうちに変化したか?
・そのリーダーはカリスマ的魅力があり、頭の回転が速く、大勢の人の心を動かせるか?その特性をどのように利用し、思い通りに事を進んできたか?
・リーダーが特殊なパワーや高い霊性、特別な知識を持っていると信じ、今でもそう思うか?
・リーダーの嘘やまやかしに気づいたことがあるか?言動に矛盾を感じた事があるか?自分が明らかにとっぴなことや非合理な事、破壊的なことを見聞きしたとき、あなたはそれをどうやって合理化して納得したか?
・リーダーが常軌を逸脱したり、道理に合わない、虐待などの行為に、どんなもっともらしい説明をしたか?
・15の特徴のうちいくつ当てはまるか?
・リーダーには副リーダーたちがいたか?その人達は精神的にリーダーに似ていたか?それとも命令に盲目的に従う献身的な弟子たちか?
・リーダーの少年時代、思春期、青年期について何を知っているか?それは15のパターンに当てはまるか?
・あなたはリーダーと性的に近しい関係にあったか?その関係はどのようにもたらされ、説明され、正当化されたか?
以上長くなりましたが参考にしていただけたら幸いです。

投稿: | 2009年9月 5日 (土) 00時01分

15の特徴をT会長に当てはめてみました。長文になってしまい済みません。時間と文章力がなく、どうかお許し下さい。
 熱心な人を惹きつける巧みな上辺の話術で騙す。自分は何百年かに一度現れる善知識だと誇大な自意識を臆面もなく言いふらす。本やアニメが広まったら、真宗改革が出来ると病的な虚言を用いて、会員をにわかセールスマンに仕立てた。多大な献金やただ働き同然で行商させた。本やアニメが功を奏さなくても何の説明もなし。自身の本の剽窃、孫引きが明るみに出ても、恥も、罪の意識もない。アニメセールスの途中死人が出ても、お悔やみも説法の中でなし。(一方、家族には贅沢させ、孫は会の病院勤務)海外や地方の講演に行った先での観光や食事、最近は温泉での懇親会で刺激を満たしている。頼みもしないのに、多額の絵画や壺、置物など買いあさり、飾って喜ぶ。信心決定したり、「金儲け」と批判したり、気に入ぬ講師、会員は除名。呼び捨てや人格攻撃を促す冷淡さ。人の痛みなどお構い無し。感情移入どころのことではない。
 食堂、弁当屋、コンビニ、うどん屋、寿司屋など思いつきで、献金をせびり、職員を出向させこき使う衝動的な行動パターン。反対があっても押し通す。(地下道がいい例)。若い頃、予科練(特攻隊ではない)志願するも、終戦。仏教の大学に行く。これが、会員の不幸の始まり。本願寺放火未はも母親とM氏がとめた。(長子は言わずと知れた、暴走族上がり。自分の説法で自慢している。) 言動がころころ変わり、間違っていたら、自決すると公言しながら、法論には負けるのが、怖くて応じないか、誤魔化して、質問の為の質問や本筋と関係のない根拠を挙げて勝利宣言するなど、全く信用が置けない。長子の不倫、セクハラ、パワハラ等をもみ消し、不倫相手の親御さんに誠意のない回答をする。(長子はだんまり)長年人から搾取する事だけで生活し、呆けて仏法を説かない今も、過去の栄光にすがり、献金をせびる。ベストセラーに見せかける為、会員に本を買いに行かせたり、世間に疎い大学生を宗教でないと騙し、隠して勧誘して、洗脳する。ほとんど犯罪に近い行為。事業など出来る才覚もないくせに、献金で病院やさまざまな商売に手を出しては全て大赤字。
 こんな所しか取りあえず思いつきません。どなたか、もっといい例があったら、教えて下さい。いまだT会長を善知識だと大きな勘違いをしていて、搾取され続けている現役会員の為に。会長が、口のうまい冷酷で自分勝手な健康ばかり気にする、気の小さい詐欺師の成れの果てのただの一老人だと分らせてあげましょう。
 会長の本願寺、K会憎しの怒りの負のパワーが、同調する取り巻きが増え、多数、集まり、それらの人々が、悲劇に巻きこまれたのだと、今となると思われます。ナチスや北朝鮮に例える人もいます。

投稿: | 2009年9月 5日 (土) 17時31分

一々ごもっとも、日頃言いたかったことだらけで、胸がスーっとしました。60年前の錯覚から始まり、盗作のオンパレード 詭弁を弄する法論など、初期の頃から確信犯だったんでしょうね。とにかくこんな最低以下な人間はちょっといないですね。それにしてもいかに多くの人々を苦しめてきたか、本人は自覚していない気がします。

投稿: | 2009年9月 5日 (土) 19時16分

いつの間にか6階の会長専用施設や屋上庭園は削り取られていますね。


http://tsaa.exblog.jp/d2009-11-06

投稿: | 2009年9月 5日 (土) 20時49分

上の例示をしたものですが、一人でも読んで、共感して下さった方がいらっしゃった事を嬉しく思います。有難うございました。拙い推敲のないままの読みにくい文章でごめんなさい。
 あなたの思われている通りです。会長は多くの人を苦しめてきたなどとは思っていません。自分は真実を説いている英雄だと位思っているかもしれません。今頃枕を高くして、高いびきで安眠遊ばされています。死にたいほど苦しんだ会員や家族を辞めさせる為に思案に暮れている人の気持など分るはずがありません。
 現役会員も始めは、こんな文章は受け入れられないかもしれませんが、何かの弾みで、これ、本当かもと気が付く時が必ずあるでしょう。
 分らない人には、分る様に、自分がどう思っているか言っていかねば、何も始まりません。ハッキリ言われたら、、相手も、そんな風に思っている人間がいることを認めずにはおれなくなります。S会に入って、怒りが消えないなら、その矛先を自分で溜めると心身の病になり、自殺したり、死んでしまったりします。
 間違いなく、悪いのはカルトの団体であり、リーダーです。今までは、S会をやめて自身は、幸せな身になったので、これ以上関わりたくないとS会を避けていましたが、まだ家族や友人がカルトを信じ、搾取されています。自分だけ逃げられない状態にいます。
 S会に関わっていまだに、嫌な思いが抜けない人の出来る事は、S会と対峙して、自分の思いを打ち出して確認する事だと思います。誰に遠慮する事もありません。嘘をついている訳ではないのですから。自分はこんな事をされて、こんなに辛く、悔しかったと、思う存分、ぶちまけたらいいと思います。共感してくれる人がいたら、元気になれます。励ましあったらいいと思います。
 人生は戦いです。やるかやられるか、戦う事を放棄したら、残る道は人生の敗北です。会長が、仲間を増やし、カルトを増殖させた事に、カルトの被害者も団結して戦っていかねばと覚悟しました。

投稿: | 2009年9月 6日 (日) 00時59分

立ち直れたようでまだ完全には、立ち直れていないのかも。私も。自分は当時、こんなカルトの言動で騙され、怒りが収まらないとか、コメントに書いたら、共感してもらえるかもね。そこまではという人は思うままに日記風に記していったら気持の整理になるのかな?MC状態だったときは怒ることすら思い浮かばなかった。ひたすら、自分ばかり責めてたから。怒りが出てきたのは辛いけど、自分がカルトにいたという屈辱的な事実を多少なりとも受け入れられた証拠かも。この気持は無理に押し戻したり、感じないように誤魔化したら、いつまでも立ち直れないし、心身の病を引き起こす気がする。

投稿: | 2009年9月 6日 (日) 06時47分

済んだことはもういいではないか、何を愚痴っているんだ・・と言う人がいますが、なんかきれいごとに聞こえますが。どれだけの時間と労力と金【皆さん半端な額でない筈→散々せびっておきながら、『財施は出したものの功徳となり、それで終わり』とウソぶく奴がいる】を搾取されてきたか。こんな狂った団体のことは大いに叱責すべきではなかろうか少しでも、未だに狂わされている人々の目覚めの縁になるなら尚更に。

MCにかかった人達が目を覚ますのは本当に大変なことです。
自分も2~3コンタクトしたことありますが、一筋縄ではいきません。
頑な最大要因は、思考停止して貝になり怖いものは無意識に避けるという自己保身の気持ちが働く・・と接触経験から受け取っています。
T会長がかって「鉄板に種を蒔くようなもの」と表現したことがありましたが、正にMCの方たちにも同様に言えるかもしれません。それでも今ネット上で進められているような地道な一歩一歩しかないんだと思います。

投稿: | 2009年9月 6日 (日) 10時01分

私も自責の念には苦しめられました。怒りの感情も辛かったですが前述の『自由への脱出』にもありましたが怒りは回復の兆しと受け止め乗り越えてきました。自責や怒りの感情の辛さからトップに対する感情も無意識に抑えてきましたが(あまりにも大きくなりそうで恐かった)やっと会長への怒りを自分のなかで認められるようになりました。本の中にもありましたが、怒りを向けるべきはメンバーではなくトップだそうです。だまされるほうも悪い。私も悪かった。しかしだますほうも悪い。私も騙されて何人か宗教であることを最初は隠して勧誘したりしました。申し訳なかったです。だから今はその罪滅ぼしではありませんが親鸞会の罪を訴えていくつもりです。私も勇気ある方々の告白をきっかけにして気付くことができましたから。感謝申し上げます。

投稿: | 2009年9月 6日 (日) 13時03分

人尊からずして、その法尊し
 人に依らず法に依れ

 基本は本当に幸せになる教えをきくことでしょう。
 その崇高な教えを金儲けや自身の煩悩を満たす為に利用した詐欺的カルト集団の会長そのものへの怒りも確かにあります。そして会長の負のエネルギーが多くの人を巻き込んで、苦しめ、未だに3000人弱の会員はMC中です。
 まだ、罪を憎んで人を憎まずという境地までは達していないけど、会長や幹部がが今までの罪を懺悔して、ひっそり隠居してくれたら、もういい許しましょう。
 このままだと、建物の維持の費用がかさんで身動き取れなくなるから、富山県や射水市に小杉の建物は全て寄付してしまったらいかがでしょうか?読んでますか?T君?I君。各支部で会員が担当講師のお世話をするかどうか決めたらいいのではないでしょうか?講師はほかの仕事についてもいいし、この際、自由にしてやんなさいよ!皆夢だったと思ったらいいだけでしょ?
 ヒットラーもムッソリーニも北の某氏もT会長も皆元をただせばダダの小心なつまらない無慈悲な男たちです。彼らは一人では何も出来なかったでしょうが、不幸な事に取り巻きが多く集まって、祭り上げたので独裁者になりました。だから、周りが引いたらいいのです。
 某国営放送の関係のカルチャー講座もS会がカルトである理由から取りやめになったそうです。今このときを逃してはなりません。会で受けた苦しみ、搾取、偽り等あらゆる所で訴えていきましょう。崩壊は目前です。

投稿: | 2009年9月 6日 (日) 16時38分

騙された方も悪いというのは、いじめられる方にも非があると同じ理論だと思います。明らかに騙す方がいじめる方が悪いでしょ?仕掛ける方が悪いんです。でも戦いのリングにどちらも上がってしまったからには、良い悪いなんて、悠長な事は言っていられないのです。何としてでも勝ち抜いて生き残らないと。何もしなかったら、更に搾取され、追い詰められ、最悪命を落とします。
 明らかに悪い奴には、自分のしたことを認識させ、罪を背負って、償ってもらわないとなりません。被害者が泣き寝入りをしたり、自殺しても、加害者は何の事か、蚊に刺されたほどにも思いません。
 人のことは分りませんが、自分はこんな被害を被った、辛い思いをしたと第三者に知らせるほかにはありません。S会に騙された多くの人が各方面に内情を告発していったら、良いと思います。味方は何千、何万といます。自分の事は客観的には語れないので、主観的になっても、事実だけ淡々と告発していくだけでも十分だと思います。
 カルトで騙されたことと、子どものいじめとの違いがあります。カルトは騙すほうが何枚も上手で、年上で、赤子の手を捻るより簡単にMCまで持っていかれてしまうことです。だから大学でのダミーサークルの勧誘は何としてでも止めさせないとなりません。まだ社会経験もない疑う事も知らない未成年に騙されたほうが悪いなどと言う事は酷です。どうか特に大学や若くて騙された人は自分を責めないで下さい。あなたは悪くない!絶対悪くない!またそのほかの会員さんたちもあなた方は悪くない!全て騙すほうの責任です!騙されたとき、ただ幸せになりたかっただけなのに、それの何が、悪いのですか?その時点では、阿弥陀仏に向かいなさいと言って下さる知識とただ、ご縁がなかっただけなのですから。
 騙された事がハッキリしたからには、自分の命を守る為に戦わなければならないのです。自分自身の為に。共に生き残って本当の幸せになりましょう!

投稿: | 2009年9月 6日 (日) 20時44分

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