« 投稿:どうしたら自分が本当の幸せになれるか、考えてください。 | トップページ | 急激に進む精神の劣化 »

投稿:考えることを辞めないで下さい。

最初にお礼を言わせて下さい。

私は講師部に進みたかったのですが、親の反対があり、結局は退会しました。しかし、親の反対だけでは「真実知らない者の戯言だ」くらいにしか思わず、今頃は講師になっていたかも知れません。考えるだけでもゾッとします。

ぶるうのさんを始め、苦笑さんや、清森さん、また多くの方のサイトで勉強して、親鸞会の教義のおかしさ、組織の腐敗っぷりを知ることが出来ました。おかげさまで、自分の中できっちり納得して退会することが出来ました。ありがとうございました。

最近では、これらのサイトのおかげで退会できる人が多くなってきたと感じます。ついこの間にも、親鸞会時代の友人2人と一緒に会う機会がありました。2人とも割と最近、退会したようですが、やはりサイトの力が大きいようです。

親鸞会時代の異常さを話題に、異常に盛り上がりました。周りの人に変な目で見られていた気もしましたが・・・

退会したとはいえ、親鸞会で苦楽を共にした友人のことは非常に気がかりです。いつか、また、笑って話せる日が来るのを信じて、おかしさに気付く日を待ちたいと思います。

話はそれましたが、以下、『投稿:どうしたら自分が本当の幸せになれるか、考えてください。』を読んで感じたことです。

非常に懐かしい気持ちになりました。自分も会員だった頃は、この幹部の方とほぼ同じ考えだったと思います。

親鸞会に在籍していた当初から、親鸞会のおかしさはうすうす感じていました。私が感じた疑問を少し列挙したいと思います。

○あれだけ褒め称えられる会報はなぜ廃刊になったのだろう。
 →なるほど、盗作でしたか。

○なぜ会計報告がないのだろう。多くの人が批判しているのだから、改善すればいいのに。
 →しないんじゃなくて、できない事情があるようです。

○会長から種々の言葉(短かい歌など)が会員に伝えられることがあるけど、その言葉を印刷して配布することが禁止されているのはなぜだろう。なぜ、講師から口頭で聞き取り、ノートに手書きで書かなきゃならんのだろう。縄文時代じゃないんだから・・・
 →印刷しちゃうと、盗作がバレタ時に、誤魔化しにくいからなのかな?

○名号を取り返しちゃダメって、御聖教にあるのに、なぜ取り返すのか。
○名号に「親鸞」って書いちゃダメって、御聖教にあるのに、なぜ書くのか。
 →これらの疑問を、ある時に、有名な講師に尋ねてみました。その答えは、「難しいところだね。でも、大丈夫。親鸞会は間違いなく正しい教えを説いているから。」というものでした。全く答えになっていません・・・完全にギャグです。

○細かいですが、古典文法の間違い。
→私は古典など、からっきし出来ませんが、そんな私でも「え?違うよね?」という珍解釈を会長が教学講義で披露。休み時間に友人と緊急会議を招集。友人もおかしいと思ったそうですが、会長が言うからという理由で、会長の解釈を採用。しかし、次の教学講義で、会長は同じ文章を今度は正しい古典文法で解釈。気分によって、解釈が異なるようです。

しかし、これらのことは些細な問題で、必堕無間の後生の一大事は間違いない。会長についていくしかない。親を泣かせてでも、異常な生活になろうとも、やるしかない。それ以外、考えられませんでした。

完全なる思考停止でした。

自分の知り合いの会員を見ても、辞めないで残る人は、親鸞会に入る前から、死に対して漠然とした恐怖心を持っていた人が多かったと思います。

そういう人にとっては、親鸞会の教義は単純で受け入れやすかったでしょうし、受け入れたら最後、その思考からはなかなか解放されにくくなってしまったのだと思います。

辞めてから、マインドコントロールの本を数冊読んだのですが、このように恐怖で自分では何も考えられなくなる症状を、恐怖症と言ったりするそうで、カルトには共通したやり方みたいですね。

そんな自分が疑問を持ったキッカケは「若不生者」の「生まれる」の解釈に関する法論を読んでからです。

最初は、会長の勝利を疑いなく読んでたのですが、途中からどっちが正しいのか分からなくなり、最後には会長は屁理屈しか言ってないんじゃないかと思うようになりました。

そして、ちょうどその頃、「親鸞会は本願寺に本当に勝ったのか」というサイトを見つけました。

それを読むと、「なぜ答えぬ」も、どうやら会長の勝ちとは言えないことが分かってきましたし、いかに会長の法論のやり方が汚ないかも分かってきました。

それまでは、多少の疑問が出ようとも、批判することは法謗罪だと思っていましたし、そんなちっぽけな疑問で動揺するようでは、情けない、と見て見ぬふりをしていました。そのくらいの疑問ではぐらつかない、俺の信仰は厚いのだ、と見栄を張っていました。

しかし、これらの問題は、「本願文」「宿善」のことですから、見ないようには出来ません。それからは、貪るように、「さよなら親鸞会」「清森問答」「苦笑の独り言」「私の白道」などを片っ端から読み続けました。

最終的には、親鸞会は教義もおかしい、組織もおかしい、ただ親鸞聖人の名前を悪用したカルトだったと分かり、退会しました。

しかし、必堕無間という思い込みを取り払うのには、苦労しましたし、時間がかかりました。退会した何人かの知り合いにも話を聞きましたが、やはり、そこがネックでなかなか辞められなかった、という人が多いです。

けれども、最近は「高森先生の親鸞会教学を検証する」というサイトも出来ましたし、時間をかけてしっかり理解していけば、必堕無間という脅し文句がいかにおかしいか、ということも、やがて分かります。

私も、多くの時間とお金をかけた分、辞める時には本当に悩みました。私以上に、時間やお金を費やされた方は、なお大変だと思います。

しかし、これ以上、親鸞会にいて何が得られるのでしょうか。

人間関係など居心地がいいと言われる方もいらっしゃるかもしれません。私も確かに、居心地の良さを感じることは多かったです。そういう方には、とにかく、お金だけは出さないで欲しいと強く思います。ご家族の為にも。これから親鸞会に勧誘されるであろう方の為にも。

しかし、結局、誰がなんと言おうと、自分自身でおかしさに気付く以外に、親鸞会を辞める方法はありません。

考えることを辞めないで下さい。何が正しくて、何がおかしいのか、自分自身で徹底的に調べ、考えて下さい。親鸞会の奴隷にはならないで下さい。

そして、親鸞聖人の教えというのは、親鸞会の専売特許ではありません。親鸞会を離れても、学びたければ、いくらでも学ぶことが出来ます。

最後に、親鸞会で共に過ごした友人は、本当にかけがえのないものです。いつか、また、楽しく皆で集まれる日を、心待ちにしています。

|

« 投稿:どうしたら自分が本当の幸せになれるか、考えてください。 | トップページ | 急激に進む精神の劣化 »

コメント

よく考えることは大事です。本当に親鸞会にどっぷりつかってるとまわりが見えませんから。批判記事をみれば、とこがおかしいのか、世間のこととどこがちがうのか。よく比べるとわかります。私も何度か書き込みをしてますが、非常によくわかりますよ。    親鸞会員のなかには本当に、きちんとされてる方もいます。社会で評価を得てる方もいるでしょう。そういう人の影響で会員のひともいるでしょう。 
あとは後生がだれもがあるという事実です。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 15時22分

 あれだけ勢いがあった会長も歳には勝てないですね。老後に、会員や、元会員に引退、勇退、更に隠居勧告されるとは思ってもいなかったでしょうね。人の生き死にまではどうこう言えないけど、絶対言ってはいけないけど、「もういいかげんにやめて・・・」これ位は言えますよね。
 多くの人が爆発寸前です。これ以上会長一族や幹部講師に貢ぎたくないし。時間も、体力も信心決定するために使いたいし。早く、迷惑かけないやり方で、会も解散なり、清算して欲しいです。
 会長が信心決定していようが、いまいが関係ないのです。もう説法する思考力も、体力も限界でしょ?単なる人寄せパンダなんて言われて悔しくないですか?一番会長に欠けている点は目の前の人に信心決定してもらいたいという気持ちと思われます。それがない人はもはや仏教を説く資格はないのではないですか?違うなら、反論があるなら、態度で示してください。陰で見てますから。
 それと自分には、導く力が無かった事を反省していますか?申し訳なく思っていますか?何十年も仏縁のある会員さんを飼い殺しにして、亡くなった人が気の毒です。信心決定してあなたの右腕になる講師や会員が現れましたか?ゼロでしょ?聞く方の責任だといわれ続けてきましたが、ハッキリ言えます。説ききる力があなたに無かったからです。阿弥陀仏に救われた人が生き証人です。皆さん、もう騙されてはいけません。一刻も早く、助ける力の無い会から離れましょう。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 15時53分

もうすぐなくなる会なのでしょうが、心配な点が一つあります。
解散なりの時点で、会に多額の負債が残った場合、それは、残っている職員、さらには会員にまで負わせられるものではありませんよね。責任が、どの辺りにまで及ぶのか分かりません。気になります。

時間の問題だと思いますが、見届けるなんて言わずに、一日も早くやめられたほうがいいと思うのですが。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 16時00分

負債のある会社でも責任は保証人になってる社員や役員だけであとは皆解雇でしょう。親鸞会も同じで会員は除名で、職員も解雇。破綻しても問題ありません。高森一族と保証人になってる人に責任がいくでしょう

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 16時05分

考えなくてもうんざりしたら辞められます。
教義の誤りを理解して辞められたらベストなんでしょうけど。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 16時35分

 ステージは組織、息子から、教え、会長自身へと変ったようですね。それから、会に対しても建て直しから、解散、崩壊、消滅に。
 信心決定する人が50年間出ないところに何を期待できるんですか?
 会長が助からない教えを説いた結果でしょう。本人が獲信しているかどうかは、阿弥陀仏と本人しかわかりませんが、少なくとも、人を導く能力に欠けていたのでしょう。いい加減、もっとましな人がいるはずだし、探す決心したほうがいいでしょう。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 19時12分

親鸞会にはうんざりだ。学生の時話を聞いたが、毎日毎日同じ話で、帰りが夜中で、朝は早朝から会合、おかげで入院しました。
その反動で辞めれました

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 19時22分

入院した方のお話もよく耳にします。
大丈夫でしたか、どうかお大事に。

当事者だけでなく、家族までも巻き込まれて、親が精神的に患ってしまった事例もありました(旧家族の絆のHPの掲示板)

血も涙もない団体です。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 19時40分

例の不倫事件以前に、そこそこ若くて、人格的にも優れて、教学力もある人が会で一人でも信心決定していたら、違っていた展開になっていたかもしれません。
 でも、あの事件で、会長の化けの皮が剥れてから、誰も何も言わなくなってしまったんでしょう。息子を溺愛する、ただの老人に成り下がった瞬間でしたね。その後は転落の一途を辿りましたね。
 もう、何の魅力もありません。残念ですが。立て直す、手立ては何一つありません。会員に負債を背負わせる手立てなら幹部は考えているかも知れませんが。講師の1000万の違約金やどこかの壁画と教学講義の参加と引き換えにしたり(ネットで抗議されて取りやめ)、DVDの交換に3000円、5000円の手数料をかけたり、やる事が姑息ですよね。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 21時49分

>信心決定する人が50年間出ないところに何を期待できるんですか?

親鸞会で仏教は平生業成という卒業点のある教えだと教えられました。
平生業成とは決定するということです。

親鸞会で過去、高齢者の一般会員で信心決定したという人は出てくるけれども、颯爽と活動している筈の講師に信心決定したという人物が一人も現れなかったのは、平生業成というある種の卒業をしてしまうことで、中央集権の管理活動体制から独立でもされたらかなわないと上層部が考えているからではないでしょうか。

稀に信心決定したと告白した講師が現れても、早々と除名されてしまったのは、布教局長と体験、教学、指導力を比較して会員が見た場合、会員の関心の重心がその講師に移ってしまって、布教局長を中心とする中央集権体制が崩壊してしまうのを恐れるからでしょう。

講師をこの先も中央集権体制に統治しておくためにも、組織は今後も講師が信心決定と会員の前で告白することを許さない方策がとられてゆくことと思いますが、いかがなものでしょうか。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 22時06分

信心決定したと告白するかどうかは本人の考えや生き方次第でしょう。もちろん、講師をやめることは覚悟の上でしょうけど。
 いろいろな能力が備わっていて、皆がついていくような人が講師や会員の中から、次々信心決定したと宣言する可能性が無いわけではありませんが。勝海舟が土壇場で無血開城にこぎつけたような事が出来る人があるなら、状況次第で会員も協力しないでもないでしょうし。そんな人があれば、ぶるうのさんに言ってください。支部組織を活かして親鸞聖人の御教えを伝え続けられたら、それでもいいし。

投稿: | 2009年8月 1日 (土) 22時36分

さよなら親鸞会、苦笑の独り言、清森問答、私の白道、「若不生者」の法論・・・etc
これらのブログのお陰で自分で真剣に考えるようになった。
本当に感謝です。
中には初めは刺激が強すぎて読むことができなものもありましたが、だんだんと親鸞会のおかしさに気付き始めて、読んで理解することが出来るようになりました。
親鸞会を相対化する目ができた頃には、脱会を決意していました。

投稿: 元会員x | 2009年8月 1日 (土) 23時54分

ネット批判で親鸞会のルールってかわりましたか? 教学講義の対象者がかわったらしい? 
インターネットを見たら除名になるんですか?  
ばれないとおもうけど

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 00時52分

今日も富山で会長の説法があるらしいけど、阿弥陀仏の本願、疑情、自力、他力の話、信心決定本当にしたい人が聞きたい話は僅かでしょうね。でも聞いている皆さんの信仰が幼稚園なので、其れに合わせた話をしているんですと誤魔化すのでしょうけどね。初めからかもしれないけど、人に信心決定してもらいたいなどとは思っていないようです。
  聞いている皆さんは、騙されている事も分からず、気の毒です。献金の話があっても、ぎりぎりまで保留しましょう。最後の日に予約書に一箇所1000円とか書いて出したらいいでしょう。一番いいのは、締め切りまでにやめる決心をする事です。大切なお金を会長の豪邸の為に出してはなりません。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 09時18分

  ネットもたくさんあるし、自分が見たいものを見たらいいと思います。ばれないでしょうし、それくらいで、除名にしていたら、会員がいなくなってしまうでしょう。むしろ除名になったほうが、世間的には評価が高いのではないですか?

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 09時21分

  現役会員の皆さんは、今日が最後というくらい真剣に体にかけて、聞いてみて、自分のもてる力を出し切ったら、本当に会長が自分が聞きたい話をしているか分かります。聞けないのは聞きたい話が聞けないから、会長に対機説法する力がないからだと分かります。わだわざ富山に行くのは縁の浅い人向けの話を聞きに行く為ではないでしょう?
  ただいま、この場で、ほかならぬ自分が信心決定するためでしょ?時間、体力、お金は有効に使ってください。幸せになってください。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 09時30分

 「わしの部屋からは立山の眺めが悪い、木を切ってくれ」「わしの専用廊下を造ってくれ」と言われれば、会員は「畏まりました」と会長の命令を全て無条件で受け入れて、会長の望みを叶えるべく努力してきました。
  50年間会長が自ら説法してきても講師部に1人も信心決定する者が出なかったほどの極難信の法ですが、「わしに変わって、今後はM晴から聞き続けてくれ」と望んでいるようです。
 木を切ったり、専用廊下を造るのとは次元の違う大問題ですけれど、それについて考えることは大罪になるのでしょうか?

 いつも応えてきた会長の望みでも、今度ばかりはじっくりと落ち着けてよく考えてみるべきでしょう。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 11時58分

  考えなくても、信心決定していない誰かから聞けるかどうかは、明らかです。教学的にも、人徳面でも人を導く力のない人からは皆が離れていきます。いくら、会長の望みでも、わざわざ不幸になる方へは誰も行きません。それから、今までの事ももう許してやってもいいでしょう。憎しみや恨みからは、よい事は起きません。嫌な相手には、好きにならなくてもいいので、許して、出来たら感謝しましょう。これが、明るく、元気に、病気にならないで過ごせる秘訣です。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 12時27分

>今日も富山で会長の説法があるらしいけど、阿弥陀仏の本願、疑情、自力、他力の話、信心決定本当にしたい人が聞きたい話は僅かでしょうね。

今日の追悼法要の演題は「父母恩重経」ではなかったでしょうか。

今まであまりそのような話は追悼法要ではなされてきませんでしたが、なぜでしょうか。初参詣する人に受ける話をしようとしているのか、今までの親鸞会にはないことのような気がします。

全体的に信仰が衰えているのではないか。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 12時32分

やめて3年の月日 がたちました メールを受信拒否にして 連絡もひともとりませんでした。正直いってやめたことは間違いではなかったと思います。人間的にはいい人かもしれませんでしたが ただ自分の子供までそいゆうのに まきこむなと言いたいですね もう 一生 戻ることのない団体 あうことのない人たち どーするんだろうかとふと考えてみる

とりあえず さよなら親鸞会。

投稿: たか | 2009年8月 2日 (日) 12時44分

やめる直前の心境を思い返すと、

〇支部長も、支部の会員さんも、全く信心の沙汰しないな…

〇久しぶりに会長の話聞いたけど、これってどういう人対象の話?初めての人?

〇いらない建物建てまくりだな…

〇支部長が電話かけてくる時は御報謝の話ばっかりだな…

こんな感じでしたね。

投稿: 真倉澤 | 2009年8月 2日 (日) 14時27分

昔とちがうのは公共施設で法話が無くなったこと(大阪城ホールや日本ガイシホール、横浜アリーナなど)も大きい。これは何とも言えない。 
確かに、いつも電話かけてくるのは、会費、ご報謝のときだけ。わからんでもないけど、最悪極まりない。 
後は無駄な建物が多すぎる。地下道建設も大反対したが、高森先生の提案だからということで、無意味なアンケートとったみたいだが、反対しても却下され建設されるのだ。 

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 14時38分

幸せは、待ってても来ないし、誰かに言われた事を鵜呑みにしても、誰かの得になるように利用されるだけでしょ?今更ながらに、こんな大事な事に気が付きました。自分で考えて、考えて、考え抜いて、本当の幸せになりましょう。幸せになる為の手間隙を惜しまない事です。繰り返しになりますが。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 19時20分

親鸞会の職員や講師になろうという気持ちが分からなかった。ある意味では無理やり学院にいかさせられてるような感じもした。 
学生時代は毎日、アルバイトはじめ部会を夜遅くまで参加し、朝も早くから会合ありで、クタクタだった。学校もゼミがあったりして勉強もしなきゃいけなかったが、親鸞会と過ごした記憶しかない。休み時間とかは疲れはて、寝てたな。 社会人にはやくなりたかったね。オレの青春返せと言いたかった。おかげで今は仕事も軌道にのり、充実した生活を送ってる。親鸞会の人間関係は最悪だった。身近な人にはあまり感じなかったが、融通の聞かない人もおり、殴ってやりたかったな。今の会社には、いない。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 20時19分

のどもと過ぎれば暑さ忘れる。人間は辛い事を忘れるから生きていけるのかもしれません。辛い中にいる人は、辛くないと思う事で生きていけるのかもしれません。忘れなくても、思い込まなくても、苦しみが喜びの元となる身に早くなりたいですね。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 21時05分

学生時代は、毎日、朝から会合、夜も会合で、振り替える余裕がまったくなかった。毎日毎日疲れはててた。若かったからそれですんだかもしれない。
しかし、今の親鸞会は次から次に建設される建物については腹が立ってしかたない。親鸞会のやってることは、詐欺に等しい。

投稿: | 2009年8月 2日 (日) 21時23分

親鸞会も高齢化が進み、若い講師、職員がいない。講師で若くて覇気のある人はいない。みんな疲れ切って死にそうだ。これが親鸞会の実体。

投稿: | 2009年8月 3日 (月) 00時15分

不思議なんだけど、物事って、ちょっとしたことにその人の本音が出るんだよね。もっと言うと信仰が。逢ってるとき分からないことが、電話で感じ取れたり、メールの言葉尻で出てたり、恐ろしくなる事があるね。
  自分自身、感覚を磨いて、信仰を深めて、知識選びのとき役にたててね。

投稿: | 2009年8月 3日 (月) 08時59分

退会を考えられている方は、『親鸞会被害家族の会掲示板』を参考にしてみて下さい。

投稿: | 2009年8月 3日 (月) 12時28分

 思うに、会長がこんなに非難されだしたのは、会員に与える物が少なくなったからではないでしょうか?世の中全て、ギブアンドテイクです。
  会員を遠ざけ、ないがしろにしているのに、昔与えたものに対して、献金せよと言われても、誰も出さなくなって、離れていくのは当然です。甘えないで欲しいです。

投稿: | 2009年8月 3日 (月) 12時59分

 少人数だったときは、膝を突き合わせて語っていたようですからね。腹を割って、信心沙汰をするようなこともあったのでしょう。私の白道を書かれた方の母親も、今の親鸞会を嘆いていたそうです。
 数年前と今とでは、親鸞会に対する批判内容も異なってきています。数年前から親子間の確執を生むことや、強引な親鸞会の手法は非難の的でしたが、教義そのものに対する誤りを指摘されることはありませんでした。それが今、次々と問題視されています。貼りあわせの名号、三願転入を軸とした財施の勧め、若不生者の独自の解釈、喜捨というイスラム用語を用いた財施の心がけ、釈迦に対する暴言(ご和讃を根拠としているようですが、完全な心得違いです)、引用文に見える造語(一切衆生必堕無間)を使っての説法、蓮如聖人のお言葉に反する縛り。
 その他、不倫騒動、高価な絵画の購入、専用通路、会長室の設置、見栄えを意識した伐採、不誠実な対応(会計報告しない)、盗作出版、嘘の主張(意図的に本願寺を利用する)など教義以外の問題も多いですが、それ以上に土台の崩壊が凄まじいです。
 親鸞会と謳っている以上、教えそのものを誤ったなら、存在はありえません。教義以外の点でも、説明責任を果たす機会はあったはずなのに、ことごとく逃げ回ってきた組織です。内部では、世間でも輝く人になってこそ顕正にも繋がる、と立派なことを言っていますが、振る舞いが世間以下です。
 人がいなくなって、無駄に大きな建物だけが残ったとき、気づくのかもしれませんね。何を目的とした集まりだったのか。目的が大事だから手段が大事、と繰り返している内に、手段だけになってしまったんじゃないですか、親鸞会さん。

投稿: | 2009年8月 3日 (月) 18時09分

「後生の一大事」「一切衆生 必堕無間」現役会員さんは地獄の恐怖に縛られて、会長が死ぬまで貢ぐつもりらしいけど、結局、その悪は幻想でしょ?
 きちんと聞けていないから、信後の方を交えての信心の沙汰がされていないから、何が悪かさえも分からないのではないですか?
 悪といって思い浮かべるのは、日常に身口意で造る煩悩とか、しっかり聞法出来ない罪悪とか、会に対する不信感とかでしかでしょ?
  疑情一つで六道輪廻すると親鸞聖人はハッキリ教えて下さっているのに。方向が間違っていたら、いくら献金の額を増やしても助からないと思いますが、まあ好きなようにして下さい。

投稿: | 2009年8月 3日 (月) 18時15分

  近頃はネットの影響で会やめた人も多いみたいだけど、恨み、憎しみはあなたの心と体の健康を蝕むから、許してやるといいよ。ある本に「敵を許す事は自分の心を縛っている憎しみという否定的な感情から、自分を解放させて、自由な心境を得ること」だと書いてあった。別に助けてやろうとか無理に好きにならなくてもいいみたい。
 つまらない一老人や騙されて踊らされている講師や会員さんたちを恨んで自分が病気になったら、何の為にやめたのか分かんなくなっちゃうよ!あの人たちはこちらの苦しみなんて何も分かっちゃいないんだから!逆にいいことしてやっていると勘違いしているんだから。
 しばらく休んで、ほかのことして、またどうするか考えるといいよ。六道のどこに行くかは分からないけど。もし、気になるなら、知識選びを始めたらいいだけ。

投稿: | 2009年8月 3日 (月) 18時48分

真実を説いてくれる知識には必ずめぐりあえると思うけど、せっかく会をやめたんだから、変なもの掴んじゃだめだよ。過去にお世話になったからとか、いい人だからとかじゃなくて、あくまで教えが正しいかで決めるんだよ。よく見極めるんだよ。
 何かをしていけばそのうち信心決定できるというのは今じゃないよ。会では其れが善だったけど。○○をしたら、心の穢れがだんだん無くなって、疑情が分かる様になるでは同じだし、もっと悪いよ!
 阿弥陀仏の本願の尊い事を教えてくれて、だから、疑情が恐ろしいから、早く捨てさせて頂いて下さい、と余計なことを言わない方から聞いてね。実際、信心決定している方なら、どこで悩んでいるか、引っかかっているか、獲信の経験から、言ってくれるし、合う合わないはよくわかるよ。自分の勘も頼りにして、少しでも違和感感じたら、二度と行っちゃ駄目だよ。

投稿: | 2009年8月 3日 (月) 20時28分

何十年も前に学生で会に入った時、違和感を感じ、お話だけ聞いて、活動はしたくないと言ったら、遅れるといわれましたが、未だにそういった人は信心決定していません。私も大幅に遅れてしまいました。ほかで求めるか、自分で求めたほうが、間違った教えを聞いて、会長に貢ぐ人集め、金集めの活動をするより早かったかもしれません。

投稿: | 2009年8月 4日 (火) 08時19分

> 未だにそういった人は信心決定していません。
言いたいことは分かりますが、親鸞会の人は「お話だけ聞いて、活動はしない人」だけでなく「お話を聞いて、活動もしている人」も信心決定していないんですから、活動をするかしないかが問題なのではなく、お話や活動の内容そのものが問題になるはずですね。

投稿: | 2009年8月 4日 (火) 17時00分

学生にとって親鸞会活動にメリットは何もない。ひもじい食生活で、睡眠時間もなく、たくさんお金を(常識外)使い、留年し、好きなこともできず、童貞と処女のかたまり。

投稿: | 2009年8月 4日 (火) 18時36分

ネットを見るなと親鸞会は言うが、そんなことを言うことを聞く必要はない。自分でよく見て判断しなさい。

投稿: | 2009年8月 4日 (火) 18時43分

金返せ

投稿: | 2009年8月 4日 (火) 22時47分

私はゆうに500万円くらいは使いましたね!

思い出すとつらいのでこれからのことを考えます。

投稿: | 2009年8月 4日 (火) 23時43分

献金関係で訴訟を起こして、少しでも戻ればいいですね。

投稿: | 2009年8月 4日 (火) 23時48分

親鸞会を辞めた場合に、次にどの先生から聞けばいいかハッキリおしえてもらえませんか?
さよなら親鸞会をみていても曖昧なのは、そこなんです。
なぜ、堂々と、名前を明記して、善知識を教えてくれないのでしょうか。
高森氏よりいい先生がいれば、皆さん、もっとやめやすいでしょうに。
やめても、どこへいいかわからないから、会にとどまっている人も多いのです。
ぜひ、よい先生をハッキリとこの場で教えてください。
そのうち会えますなんていうのは、やめてください。

投稿: | 2009年8月 5日 (水) 01時01分

 現会員の方でしょうか。
 本当の善知識を必死に求めておられる方は、私の白道も、華光会のサイトも、近藤氏のサイトも見ておられるでしょうし、紅楳英顕氏や本願寺関係者にも当たって善知識を求めておられるかと思います。
 仮にそれらの道を踏まえて、親鸞会の教えに疑問を抱かず、会長に付いて行けば救われると思っているなら、それはそれで良いかと思います。
 ぶるうの氏は、他の先生方のところへ誘導するために、このサイトを作られたわけではないと思っています。

 親鸞会の間では「現在ただいま救われる」と説かれているのは会長だけと教えられていますが、真宗の多くは平生業成の教えを説かれています。
 その中で、信じられないような財施を求められ、それが宿善となって獲信の因縁となる、と自説を展開しているのが親鸞会だけです。
 もしも、正しさの証明がないから、という理由で、会長にくっついているなら、それはその方がご自分の人生を捨てているか、ご自分の人生さえ他人事のように思ってしまっているかのどちらかだと思います。
 情報がない上で、親鸞会に留まっているのは悲しいことですが、全てを見聞きし、ご自分の足で探し回った挙句、親鸞会だけだ、と思われるなら、そこがその方の居場所なのだと思います。
「教えて欲しい、お願いだから」と泣く泣く袖を引っ張る相手は、ここの誰かから教えてもらって納得できることでしょうか。

投稿: | 2009年8月 5日 (水) 06時06分

とりあえず、増井さん、紅ばいさん、近藤さんは高森会長に比べれば遥かにましです。
この三人に会ってから疑問があればまたコメントしたら?

投稿: | 2009年8月 5日 (水) 07時33分

善人を敵とするとも、悪人を友とすることなかれ、と教えられます。
善知識が誰かということも大事かもしれませんが、まず悪知識から離れることが大事ではないでしょうか?

投稿: | 2009年8月 5日 (水) 08時20分

>親鸞会を辞めた場合に、次にどの先生から聞けばいいかハッキリおしえてもらえませんか?

信心決定された上で、教学的にも問題のない方は何人もおられます。
教学的に問題がないといったのは、完璧な教学ということはありえませんので、説かれる方によって、教学に少し違いがあるのも事実です。ただし、高森会長の場合は、問題があり過ぎて、正しいところがどこなのかも分からない程ですので、最初から除外しなければなりません。

その上で、敢て親鸞会の会員が馴染み易いところを挙げるならば、高森会長の出身である華光会、元講師の近藤氏、宮田氏、それと本願寺の紅楳氏です。これらの方以外にももちろんおられますが、親鸞会の会員には教学的な部分で取っ付きにくい感じがあると思います。たとえば、法然上人と親鸞聖人は、教学的には違いがありますが、共に間違いのない善知識です。
教学的には人によって違うところがありますが、根本を外していなければ、信心決定まで導いてもらえるでしょう。相性もありますので、直接会われて決められるのがよいと思います。

そういった意味で、皆さん名前を出すのに躊躇しているだけです。

これ以降は御自身の判断です。

投稿: | 2009年8月 5日 (水) 14時20分

本当に後生がご自身の問題になってくれば、言われなくても自分で探すんです。それにお釈迦様は現代におられませんから、すべての人にとってこの人しか善知識にならない、そういうものではないんです。歴代の善知識と言われる方々が亡くなられた後でも妙好人は現われて、市井の人たちの間で現代まで脈々と伝えられてきたのが浄土真宗なのではありませんか?そうでなければ今獲信している人は誰から聞いたのか、という話になってしまいます。何も大勢の人の前で説法して何人かの人が認める人ばかりが人を導いてきたのではないんです。だから探してください、見つかりますとなるんです。実際探しておられて「あなたはどなたから聞かれたのですか?」と直接聞かれる方にはお話しています。その場合も「私は」であって、このような掲示板では私自身の名前も出すことはできないので、無責任に名前を出すこともできないと考えています。〇〇会以外は全部異安心だとか、信心決定なんてあるものか、と思っておられる方には何を言っても通じないんです。今は情報もいっぱいでています。この人はそうかも、と思ったら出かけて直接私はどうしたら助かりますかと質問して確かめればいいだけのことです。人づてにでも聞いて、世界中とは言わず日本中でいいのですから、簡単なことです。後生の解決本気でしようと思ったら、自分の問題となったなら、死ぬ気で探すと思いますよ。「自分がほんとにこの人のこの話で、助かるか」、阿弥陀仏と相談してください。

投稿: | 2009年8月 5日 (水) 17時21分

元会員です。私は本願寺派(西本願寺)で聴聞を続けています。親鸞会の会員だった人とも時々会います。京都に行けない方は、全国に別院があるので、ネットで探してみてはいかがですか?ただ皆さんが仰るように、個人崇拝的に求めるのは違うと思います。

投稿: | 2009年8月 5日 (水) 18時16分

善知識の紹介に際して、妙に上から目線の発言が多いですが、どれもこれも、自分さえ助かればという人ばかりに見えてきます。
名前とどちらが拠点か、問い合わせ電話番号ぐらいを紹介できないようでは、正直、情けないです。
苦しんでいるすべての人に聞いてもらいたいと思うような大きな慈悲の心を持ってください。
私だけ聞けばいいのではないのです。
多くの人が、真実知らずに、迷い苦しんでおります。
あなたの家族、親子兄弟だと思って、ぜひとも、5,6人の先生方のお名前と、どこにたづねていけばいいのか、ぐらいは教えてください。
こちらの掲示板に明記できて、当然ではないのですか。
隠すようなことではありません。

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 13時54分

確かに、コメントに電話がのってて、すぐかけられると思います。あせる気持ちもよくわかります。
 しかしながら、誰でもいい訳ではないのです。片っ端から、電話しても、合わなかったときもあるので、よく考えて、慎重にとみなさん仰って下さっているのを感じ取ってください。
 まず親鸞会ナビに入ってください。
 次に自分がここというサイトを隅から隅まで、過去の分も、そこに来てコメントしている人のものもよく読んでこの人なら聞けるという人を探し当ててください。
 人間には感情のしこりが残るので、調子よく聞かせてくださいといっても、やっぱり合わないと思った時、お断りするのは大変ですよ。私も懲りましたから。そして、相手のあることなのでくれぐれも失礼のないように、教えて頂いて下さい。
 それから、人伝でも、信心決定したという人がいて、面識があるなら、連絡を取って話を聞かせて頂くといいでしょう、相手が了解してくれたらの話ですが。この場合も相性が大きな要素を占めますから、聞かせてくださいという謙虚な気持ちを忘れないでください。

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 14時40分

そうですね、結婚より離婚の方が何倍も大変と聞きます。
 幸せになるのに手間隙を惜しんでたら、ろくな事にならないですよ。
 それは某会で経験済みでしょ?ほかで一度も聞いていないでしょ?
 やはり、家をたてるのも、大きな買い物をするのも、合い見積もりをしたり、信用のある店を選ぶでしょ?それ以上に、死後六道輪廻か否かは大問題ですから?あまり簡単に考えると痛い目にあいます。
 行動を起こすなら、熟慮の上に速やかにがベストです。
 そして、くれぐれも、変なものを掴まないでください。

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 14時55分

紅楳氏(本願寺)
宮田氏(元親鸞会講師部)
増井氏(華光会)
上田氏(元親鸞会講師部)
島田氏(元親鸞会講師部)

上記の方以外にいらっしゃらないのでしょうか?

もし光る人材がいらっしゃいましたら、ぜひともご紹介ください。

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 15時22分

相性の合う方を、とよく聞きますが、これはどれくらい重要なことなのでしょうか?根本的な教えが違わなければさほど問題があるのだろうか、とも思うのですが・・。
人によって導き方が違うものなのでしょうか?
なんにしても、ここであげられている方だけでも5~6人はおられるようです。何百年かに一度お会いできるかどうかの高森先生のみが知識と信じていた私にとっては本当に有り難いことです。

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 16時16分

ネットに電話番号などを出すかどうかは難しい問題だと思います。
個人情報は第三者が勝手にあちこちに出していいものでもないでしょうし、
ヘタに公表すれば、心ない人間がそちらにいたずらすることも考えられます。
公表後、もしいたずらや妨害行為があった場合、相手とその関係者(家族など)に
余計な迷惑、負担がかかる可能性があることも考えてみてください。

公表を求めるならまず、探している側が「情報をください」とメールアドレスを
公開するのが良いのではないですか? 今はいくらでも捨てアドが取れます。

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 17時28分

以下のサイト、ブログにメールアドレス等の連絡先が書かれてあります。
サイトやブログをよく見られてから、連絡されるのがよいでしょう。

紅楳氏
http://www12.ocn.ne.jp/~kobai/

近藤氏
http://kondoutomofumi.blog121.fc2.com/

宮田氏
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/

華光会
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/

嶋田氏
http://kiyomorimondo.blog70.fc2.com/blog-entry-310.html

上田氏
http://seppou.com/

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 18時29分

それ以外には、おられませんか?

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 22時06分

6人中、4人までが親鸞会元講師の方々なのですね。

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 22時17分

探している方が自分のアドレスを公開して、お尋ねするのが筋だと私も思います。用事が済んだら捨てたらいいし。自分が、何もしないでタナボタはないでしょう?ほんとに探す気があるんですか?甘えないで下さい! そんな人任せだから、会に依存してるばかりで、なかなか抜けられないんです。
 ぶるうのさんにメールして誰か教えてもらってもいいし。上記のサイトを開けばメールアドレスも電話も載っています?もしかして新手の荒らしとか対策員の方ですか?困ってないし、悩んでないし、真剣さが感じられません。いい加減にして下さい。土日富山がないし、こんな事言われて、悔しかったら、パソコンに何時間でも寝ないでも向かってみたら?

投稿: | 2009年8月 8日 (土) 22時59分

ただひたすら、阿弥陀仏に向かってください!念じて下さい。
 事実として、今、残念ですが、仏様は現存していらっしゃいません。
 信心決定している人といっても、煩悩具足の凡夫です。
 信心はあっても、その人に全面的に依存するのは避けたほうがいいでしょう。会長で懲りているでしょう?
 絶対服従という洗脳があり、皆さんの知識選びは、第二の会長を見つけようとしている様に思えて仕方ありません。
 信後の方も日々教学や人格面の研鑽に励んでいますが、仏様でないので、間違ったことをいうこともあるでしょうし、関係が険悪になったり、更にもっと悪くなれば憎しみあった挙句、絶縁関係になりるか、最悪、殺される事だってありうるのです。反対もありえますが。
 聖人が、法然上人のような方にあわれたのは奇跡なんだと、実感します。完璧は望まないほうが、その分、失望しなくていいかもしれないです。
 なんとなく入ったサークルで、無二の善知識のあえたと錯覚していた人がほとんどでしょうから、今度は間違わないで下さい。
 多くの方がおっしゃるように、自分の人生です。幸せになるために、手間隙を決して惜しまないで下さい。
「本当にいい方とめぐり合えて、感謝します。」
先にあえた事を常に感謝して探すと、より、思いが強くなり、現実味が出て、阿弥陀仏がきっと、お手伝いしてくださるでしょう。ほかの事を差し置いてでもと四六時中そのこと一つ思っていたら。
 こんな気持になれたのも全て弥陀の本願のお蔭と信後にわかり、感謝出来るようになります。
 今の時点では、信心決定も知識選びも何が何でもという執念がないとなかなかです。よく聞かされたでしょ?
 「思い出すようじゃ、思いが薄い、思い出さずに、忘れずに」会にいようがいまいが、信心決定しなければまた、迷い、六道輪廻が待っています。後はご自由に。どう受け止めるかはあなた自身ですから。

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 11時36分

私・自分だけの問題ではないのです。
私は、縁のある親子兄弟、知人友人に、胸を張ってお勧めできる先生を探しているのです。
私だけならば、そんなのは簡単です。
ほっておけないのです。多くの方々を。
間違いの無い先生、信頼できる方を教えてください。

どうも最近の書き込みは、高圧的で謙虚さ・人徳がないからでしょうか、胡散臭い発言にみえてしょうがないのです。

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 22時19分

パソコンを使えないお年寄りにもわかるように、お願いいたします。

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 22時20分

私・自分だけの問題ではないのです。と言っておられる方、
これだけはハッキリ言えます、その考えは誤りです。
あなた自身、いまだ自己の問題となってないからそのような
ことが言えるのではないでしょうか?ここで具体名を出さない方
のお考えもわかります。本当に自分の後生が気になって探し回った
のなら、これだけ情報の氾濫した時代に見つからないはずがないの
です。そのことに早く気づいてほしいということを暗に言いたい
だけなのだと思いますが、それが高圧的という風に映ってしまうの
でしょうね。

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 22時45分

年配の方は周知するには、パソコン以外では、電話や手紙しかないが、これは明らかに無理です。個別訪問も無理です。不特定多数の方に知らせるにはやり方はネットしかないんですかね。

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 22時58分

さらに言うなら、あなたはご自身が救われていないにもかかわらず、
その知識の方を他人にもお勧めするんですか?それでは親鸞会
の講師となんら変わらないと思いますが。親鸞会での過ちをまた
繰り返す気ですか?「私だけならば、そんなのは簡単です」という
のであれば、まずはご自身が聞き切ることこそが肝要ではないで
しょうか?他人にお勧めするのはそれからだと思いますが・・・。

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 23時04分

すべての人が平等に救われていただきたいのです。
苦しんでいるお年寄りにこそ、何とか救われていただきたいのです。
阿弥陀仏のお慈悲は、苦しんでいるものにこそ、お目当てなのでしょうか?

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 23時05分

あえて上から目線で申し訳ないですが、それが自分の問題になっていないということなんです。後生は一人一人のしのぎです。まず自分が信心を得なきゃならんです。人の心配していられる余裕があるほど求道は甘くないです。簡単なことじゃないです。ご家族に伝えたい、多くの人を救いたいのならなおさら、自分がまず信心頂いて、思う存分お導き、お勧め、紹介されたらいいのではないでしょうか。縁のある人に勧めて一緒に聴聞して「このお方は間違いのない立派な方や~」と有り難い気持ちになるのが目的ですか?
「私だけならそんなの簡単」なら、まずご自身だけ簡単に信心決定して、ご家族を導いて差し上げたらどうでしょう。自分がされれば人に話もできますし、善き人と巡り会っての上なら、その方を自信をもってお勧めできるでしょう。
胸を張ってお勧め出来る人とか、間違いのない先生ってどういう先生ですか?「間違いのない先生から聞いてさえおれば」、というのでは知識帰命ですよ?

それとも「多くの人に胸をはってお勧めできる人なんていないのでしょう?」と言いたいのですか?それなら始めからそう言っているのです。私一人の善知識と思って探さないといけないのです。それで十分なのです。一人一人が救われてこそ、すべての人になるのではないでしょうか。
ごめんなさい、うまく言えないです。きつくてすみません。でも、もどかしいのです。仰有るとおり私には人徳はありません。言葉も知らないので上手にうまく言えないです。失礼で申し訳ございません。

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 23時07分

さらに言うなら、パソコンをさわれるような人は恵まれているのです。
ひどい辛い思いをしている世界の迷い苦しんでいる人が、今生で、どうか等しく阿弥陀様に救われますように。
私の願いは、ただそれだけです。

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 23時08分

いや、ご立派です。
私にはあなたのような奇特な考えは微塵もありません。
自分が助かることしか頭にありませんから(笑)
他人の身を考えられるということは、ご自身は今宵一息
切れたとしてもまったく不安のない方なんでしょうね。
いや素晴らしい!
これ以上言うと荒らしになりかねないんでこの辺で。
でも阿弥陀様は泣いてますよ。今一度、23時07分の
方の書き込みをご覧になってみては?

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 23時40分

皆さん、真摯に名前を挙げておられるじゃないですか。
なぜ今も、教えてくださいという主張を繰り返してるの。
誰に何を望んでいるのか知らないけど、目を通しただけでも、言葉だけが浮いてしまってるよ。
あなたから、縁のある人に伝えたらいいのではないですか?
途中から、不特定多数の人と言い出していますが、あなたは誰に伝えたいの?

高圧的、人徳がない、胡散臭い。
↑↑↑

こんなことを簡単に書き込めるあなたのことですから、全ての人をどうこうする前に、
自分をどうにかしたほうがいいですね

投稿: | 2009年8月 9日 (日) 23時57分

ずいぶんと他の人を悪し様に言ってるようだけど、
すべての人に救われてもらいたい…って、あんた、それこそを上から
目線って言うんだよ。親鸞会に毒されるとこんな風になっちゃうんだ
よね。まずは、その毒を抜くところから始めないと。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 00時30分

皆さま、仏法者として品のある言動を心がけましょう。
寛容、寛大な心を持った人が増えるといいですね。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 00時40分

みんなはあなたの後生を心配して言っているのに、
品のある言動だとか、寛容、寛大だとか、ピント
外れなこと言ってて恥ずかしくならない?
みんなが言いたいことはただひとつ、あなた自身
の求道はどうなってるの?この一言に尽きると思う
のだが、どうもあなたには伝わらないらしい…。
で、何度も聞くけど、あなた自身の求道はどうな
ってるの?今一息切れた時の後生はどうなるの?
それを抜きにしてすべての人が救われるだの、
仏法者が云々って言われてもね。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 00時53分

どうして、今の時点で一人に絞らないといけないのでしょうか。

親鸞会では、会長だけ、他は駄目、といいますが、その影響でしょうか。

そんなことを言っているのは、親鸞会だけの”特異な教え”ですよ。

それぞれの善知識がおられるのです。それぞれの人に合う方から聞いて下さいという意見を、素直に聞かないことがおかしいです。

名前を挙げられた方は、それぞれ違うのです。

華光会は数十年前の親鸞会そっくりです。その頃から会員の人には、懐かしく思われるでしょうが、若い人にはその雰囲が抵抗あるかもしれません。

紅楳氏は、学者ですが、そんな感じのない気さくな方です。ただし、布教師ではないので、大学か御自宅へ、話を聞きに伺うことになります。

元講師の方々は、日程さえあえば、全国どこへでも来て下さいます。最近の親鸞会の状況も把握されてますので、親鸞会の間違いについて的確に教えてもらえます。

その他、本願寺の布教師でも、信心があり、正しい教えを説かれる方もあります。

これだけ説明しても不足があると言われるのなら、お手上げです。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 01時02分

苦しんでいるのはお年寄りだけじゃないはずなんだけど、まあいいや。

もし本当に苦しんでいる人が身近にいるんなら、確か頼りになりそうな方の
blogへのリンクがここにあったから、そこから連絡してみな。話はそれからだ。
必要な情報は揃っているはず。てか、ぶるうのさんに相談したら?
よーく読んだらメルアドあるから。私も別件で連絡取ったことあるし。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 01時09分

もう一度言います。甘えないで下さい。困っていない人、悩んでいない人、荒らしの人、冷やかしの人はこないで下さい。書き込まないで下さい。もう。
 教えて下さっている複数の方はまだ、いろいろなブログもない何年も前から、探し始め、自分の知識と出会っていらっしゃる方だと思います。信前、信後両方でしょうが。
 他人とか、お年寄りとか今そんなこと言っている余裕があるんですよね
 まず、自分でしょ?違和感を感じます。ここに書き込みできるなら、自分であがっているブログの中の電話なりその大事なお年寄りの友達に教えてあげたら?すごく不自然です。それにお年寄りだって、本気で探す気がある人なら、こんなところに来ないで、もう探し始めてるでしょ?
 それと教えてくれている人に文句言うなら、捨てアドでアドレス公開して、その人に言ったら?不快で迷惑です。人の親切を何だと思っているんですか?
 実際、身体にかけてやってみてから、その結果を書き込んでください。自分で何も行動していない人ほど他人の批判をする傾向にあります。わかりましたか?
 

投稿: | 2009年8月10日 (月) 08時14分

信心決定されている方を本気で、お探しなら、顔の広いぶるうのさんやK森さんに聞いてみたら?何か知っていて、教え下さるかもしれないですよ。ただし、紹介してもらっても、本当に真剣に求める気がないと続かないと思いますが。一度尋ねてみたら、いかがでしょうか?私も教えて頂きましたので。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 09時44分

『親鸞会教義の誤り』は素晴らしいブログですね。『一切衆生必墮無間』は高森顕徹会長の造語だったんですね。驚きました。根拠にもとづいて、分かりやすく解説されてました。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 16時10分

気分を害する人もあるかもしれませんが。
親鸞会が間違っている、もしくは間違っているだろうなぁと思っている人には、ぜひ自分で考えて自分にとっての善知識を探して頂きたいと思います。
皆さんもう懲りられたと思います。あの人は正しいんだ、と人から教えられて、それに毒されていき信じ込むことに。
どんな人でも良いところと悪いところがあります。
高森会長でさえ、昔は熱一杯、休みなく朝昼夜と布教していた、これは評価出来ます。本質が間違っていたから論外ですが。
こんな人があるよ、と紹介だけしてもらった後は、自分の目と耳と心で、判断して頂きたいです。そうしなければ、第二、第三の親鸞会を生み出してしまうと思います。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 21時40分

どうして、阿弥陀様は、親鸞聖人のような善知識をおつかわしにならないのだろうか?
素朴な疑問。

投稿: | 2009年8月10日 (月) 22時13分

親鸞会は崩壊寸前。これもまいた種ですね。まわりの意見をきかずに次から次にやるからだ

投稿: | 2009年8月10日 (月) 23時58分

昔は熱一杯、休みなく朝昼夜と布教していた。

そうですよね、あれだけの正信げの説法は、誰でも彼でもできるものではないんだよね。

難しいところです。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 01時15分

会長の説法原稿は、大沼師のものをほとんどそのまま使ったものでした。それを意味もよく理解せずに使ったことと、自分に都合よく変えて来たものですから、結果的にヘンテコな教えになってしまいました。

大沼師の原稿を全くそのまま話をしていれば、問題はなかったのでしょうが、それができなかったのでしょう。

20、30年前までなら、許せる範囲でも、今では親鸞聖人の教えではないですから、高森教として聞きたい人は聞けばいいでしょう。浄土真宗や、親鸞聖人のお名前を名乗ることはやめてもらいたいです。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 05時49分

20、30年前までなら、許せる範囲とは?

詳しく、お聞かせください。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 08時01分

一番大きな問題は、善の勧めでしょう。本願寺との論争から善の勧めをいい出して、本願寺を形式上で黙らせて、それで終わればまだ良かったものを組織拡大と金集めに利用したことで、浄土仏教から聖道仏教へと変わりました。

年々それが酷くなり、7年前の「M晴をあまりいじめないでくれ」事件で、完全に私利私欲の組織、教えとなりました。

昨年からは、真宗のイロハという機相、信相の極めて珍しき教えまで登場し、本尊取り返しや、講師部員退部に1000万の誓約書、あるいは腕の1、2本へし折って、生きて帰さんの発言等、完全にカルトです。

本願寺との論争以降は、真宗の教えではなくなりました。

それ以前も問題はもちろんありましたが、華光会と大沼師のパクリが色濃く残っていたので、という意味です。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 08時34分

人間は誰かに必要とされなくなったときが一番やる気がなくなるようです。これ以上被害を拡大させないように、皆さん、どんどん、会長に引退勧告をしましょう。声を届けましょう。
 今まで有難うございました。いろいろ度重なる、おかしな言動をしていただいたお蔭で会を離れ、本当の親鸞聖人の御教えにあえましたことに感謝します。
 もういいです。いい加減に隠居して、伏木のご自宅で、ゆっくりお過ごしください。何か説法で、話される度に、ますます、親鸞聖人を悲しませることになりますから。ご自分の現状を考えて、勇退されるのが賢明です。罪を重ねないでください。会員を不幸にしないでください。解放してください。お願いします。
 あなたは私にとって、本当にある意味よい反面教師でした。決して同じ轍は踏みません。そこのところは大いに安心してくださって結構です。今までいろいろな意味で有難うございました。感謝しています。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 09時13分

たしか、30周年以降の記念式典の説法の最後に三願転入の出陣式にしましょうと会長が言っていた。この言葉を聞いて、全てが終わったと感じたのは私だけだったのだろうか?
 それまで、三重廃立、信疑決判とあれほどやかましく言っていたのに何なの?腑に落ちなかった。
 伊藤、大沼両氏の事はそのときは、知らなかったが、少なくとも高岡のころは、二人の教えのバクリの説法原稿だったように思える。独自性を出そうとしたのか?本願寺との論争に必要だったのか?人集め、金集めに善の勧めが不可欠だったのか?呆けたのかは不明だ。
 息子の不倫をもみ消してからは転落の一途を辿ったね。
 もともと伊藤、大沼両氏の信心もよくわからないところがあるし。特に大沼氏の縦と横の線は聖人の教えを諸行往生と誤解させる危険があるし。
 どっちにしても、50年間まともな教えはほとんど説かれていなかったわけだ。お疲れさまでした。いよいよ、もうゆっくり休んで頂きたい。もし自分の信心があやふやだと思ったら、まだ間に合うし、やり直せるよ。人の心配して、説法するより、我が身の後生を心配してください。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 14時42分

ある時期から、座談会が無くなったのも、アシスタント無しでは何を言うか危なくて仕方ないからではないのでしょうか?
 50周年での会食でもわざわざ海外や遠くからこられた会員さんを前に挨拶すらなかったのも、身内や講師から、変な事を口走って、痴呆が明るみに出たらまずいとのうわさを聞きました。本当なら、どれだけ会員を愚弄したら気が済むのでしょうか?専用の渡り廊下も呆け隠しのために作ったのでしょうか?それなら、お金返して下さい。
 過去の説法録をテープレコーダーのように繰る返すだけなら、通り一遍の昔のノートを板書しながら講義をする大学の教師と変わらないでしょう。昔の事を話すだけなら、呆けていても出来ると聞きます。
 後生の一大事はそんなに軽いものですか?思考が停止してしまっていては、もはや対機説法などできないでしょう。いいえ、あなたにははじめから、対機説法など出来なかったのではありませんか?50年かかっても誰も信心決定できなかったのが何よりの証拠です。そして、現に、対機説法を望んでいたけれど、一度もしてもらえなかった私が、生き証人です。早く見切りをつけて、阿弥陀仏に向かえばよかっただけの事ですが。自分のお人よし加減にあきれていますが。
 皆さん、もう、お金、時間、体力を使って富山に行く必要は無くなったのですよ。対機説法が出来ない善知識の話など聞きに行かなくてよろしい。会長の若い時のビデオでも対機説法など期待しても無理です。人集め、金集めのための善の話が好きでたまらないなら、話は別ですが。あなたに今、対機説法してくださる方を探し当ててください。
 「戦争は終わりました。」と言われても、まだ戦っていた人と同じにだけは、ならないようにして下さい。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 16時40分

しかし、紅楳氏、近藤氏、宮田氏、華光会、嶋田氏、上田氏6人は、著作がなかったり、説法が遠方だったりで不便。
全国ネットで展開するだけの力があれば最高なのですが。

どっちにしても、第2の高森氏になる可能性を秘めている人もなかには、いそうですし。なかなか難しいですね。

自称、信心決定したと演技しててもわからないですからね。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 22時45分

純粋に弥陀に救われたご恩報謝に、我が身をなげうって情熱いっぱい捨て身の説法、布教をされる方を私は望んでいます。
親鸞・蓮如上人のように。
すべての人の幸せを心から念じてくださるお方は、いらっしゃらないのでしょうか。

説く人を疑って聞いてても埒はあきませんからね。
まともな方から、聞かせていただきたいですね。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 22時49分

私利私欲を離れた布教を望みます。
なかなか難しいのが煩悩具足の人間のサガなのでしょうか。

投稿: | 2009年8月11日 (火) 23時25分

人に期待してるばかりじゃなくて、何で自分が我が身を投げ打って、情熱一杯捨て身の、私利私欲を離れた説法、布教をしようと思わないの?何で人のことあれこれケチつけて、疑ってるの?本気で探してないくせに。悔しかったら、探してここにあえましたって書き込んでみなよ。
 ここにあがっていない人でも、妙好人という様な人で、無償で、沙汰している人、何人も知ってるよ。ただ、教学の議論や、会に毒されてる人が好きじゃなかったり、初めから、疑情が問題になってて、それ以前の人の気持が分からないから、疑情が分かる人しか話せない人とか色々あるけどね。人と関わるのが嫌だったり、苦手な人もいるし。
 でもね、救われた人は何かしら、人が信心決定するお手伝いがしたいと思っているんだよ。阿弥陀仏から、ただで賜ったものだから、お礼なんかいらないんだけどね。本当は。相手が信心決定してくれたら、ただそれだけでいいんだけど。
 現れたらいいな、じゃなくて、何が何でも探してみせる意気込みがないと見つからないよ。それから、メールでも、電話でも、会ってでも、自分より信仰が進んでいない人のことはよく分かるよ。その人がどんなこと思っているか、どこでつまずいているかとか本当に手に取るようにね。だって、自分が通ってきた心の道だから。
 でも自分の信仰以上の人は分からないのが難点だね。信仰が浅いと誰でも有難く思えるのかもしれないし、また騙される事もあるかもしれないね。やっぱり、自分の勘を頼りにして、相性のよい人を見つけるしかないのかな?信仰が進んだら、ステップアップしていくしか。でも縁があったら、初めから最高の人に会えるかもしれないよ。夏休みの人もあるでしょうし、頑張って探してください。必ず見つかります。必要としている人には阿弥陀仏があわせて下さいます。

投稿: | 2009年8月12日 (水) 00時53分

やはり、実際、コンタクトとっての上での発言ではないでしょう。
本願寺の方、元講師の方、他の真宗団体、妙好人等を自分自身で探たら、別の書き方になると思います。私はこれらの方々に実際お会いしましたが、自分とは合わなかった方も多くあります。信仰や性格的なもの布教の仕方、教学面さまざまですが。
 でも、必死で探し回って、当たった上での発言とは明らかに違います。何故か、会や会長を擁護して、「やっぱりいないよね」と会に留めておかせるようなニュアンスが感じられて仕方がありません。だって、真剣さとか、悲壮感みたいなものが漂ってきませんから。
 もし、対策員が書いているなら、会員を馬鹿にしないでください。こんな子供だましのようなことをやっているから、会員はますます去っていくんですよ。そして、かつての同僚の元講師にでもさっさと信心の沙汰をお願いしたらいいでしょ。お盆で帰省する振りして。自分のこともっと、大事にしてあげないと可哀想ですよ。
 それと、こんな人がいたらいいなという書き方をしている人、余裕丸出しです。書き込んでる暇があったら、ぶるうのさんでも、元講師でも誰でもすぐメールした方が前に進めます。こんなところで、文句言ってても始まらないから。本気で知識選びしたいなら、まず、行動あるのみです。
 早く始めれば、始めるほど、自分が求めているような人に早くあえるでしょう。この何日かの休みを有効に使いましょう。

投稿: | 2009年8月12日 (水) 06時30分

誰か、いい人いないかなと探している人でいまだに捨てアド出して聞いてくる人はいませんね。本気で探す気なんてないんでしょ?待っているのに。出してくれたら、メールで、いくらでも教えてあげられるのに。残念です。

投稿: | 2009年8月12日 (水) 06時44分

でもね、救われた人は何かしら、人が信心決定するお手伝いがしたいと思っているんだよ。

と書かれている人は、本当に信心決定している人なのでしょうか?

信心を思いっきり堂々と語っていただきたいです。
怖いものは、無いはずです。

そう簡単に救われるものじゃないでしょう、と、ついつい疑いの目で見てしまうので、よろしくお願いいたします。

投稿: | 2009年8月12日 (水) 16時08分

みんな言ってるでしょ?何か知りたいなら、文句言いたいなら、自分のアドレス出して、アクセスしてきた人に直接聞いたり、言ったらって。それか、管理人さんか元講師辺りに自分でメールか電話して探したらって。
 本当に困って、悩んでどうしようもなかったら、そうするでしょ?決め付けるわけじゃないけど、荒らし工作員と思われちゃうよ、あなた。興味本位では仏教は、聞けないよ。それに、冷やかしの人は相手にされない可能性が大きいよ。みんな、忙しい中、時間さいてくれてるのに、もっといいようがあるんじゃないの?自分の興味が満足できたら人の気持はどうでもいいの?甘えるのもいい加減にしなよ。いい大人でしょ?
 みんな相手があることだからっていってるでしょ?最低限の人にものを尋ねるルールくらい守るセンス身に着けてから聞いたほうがいいよ。
 救われた人はお手伝いしたいというのも、書き込んだ人が信後の人から聞いたことかもしれないし。でもそんなことはどうでもいいから、早く自分から、行動起こしなね。自分で確かめたらいいだけじゃん。
 それから、会に関わった事がある人は、会から、会員に接触を持つと文句言われるし、聞きたい人が自分から言ってこない限り、自分から何もしないと思うよ。会で散々嫌な思いをしてるし。会員を取られたなんて思われるのは迷惑だし。こういう理由があるから、待ってるだけじゃ何も変わらないの。だから、自分から、アクション起こしなってみんな言うの。
 信後の人はどこかの会と違って、来るものは拒まず、去るものは追わずのスタンスの人がほとんどだよ。そこら辺は安心してもいいと思けど。
 ついでに、何度も言われてるけど、ここは会からさよならするのが目的で教えはあくまで会を抜けるために間違っていることをさわりだけみんな書いてるんだよ。教えが聞きたいなら、○○問答ででも聞きなよ。それか自分の善知識早く探して直接聞いたほうがいいよ。

投稿: | 2009年8月12日 (水) 17時56分

上記の人は、文章に品がないというか、短気なのでしょうか、悲しくなってくるような文面ですね。
うちわの小ささがにじみ出ています。
多くの人が、そう感じているはずです。
もう少し、人に対するやさしさ、思いやりの心をもっていただきたいものです。
おおらかな、そして人の痛みを受け入れられる心の広い人間が増えればいいですね。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 05時25分

本当のことをズバリと言われると、困るのか、必ず出てくるね。ネット対策の人。もしかしたら、違ってるかも知れないけど、決め付けはよくないけど、関係ない事言って、話をはぐらかそうとしたり、中断させてるように思える。
 もっと、やさしくなれ、思いやりを持て、人の痛みを受け入れろ、心がひろい人が増えるといいとか。私はいいけど家族や、お年寄りが不憫だとか。一見、ソフトな語り口で、善を勧める某会とそっくり。このように言うことが、何か、あなた方自身の信心決定と関係があるのですか?人事だよね。余裕たっぷりだよね。
 あなたたちは、何がしたくて、どうなりたいの?幸せになりたいなら、そのために、何をやっているの?人の批判している暇なんてないでしょ? 急いで、自分自身の善知識探して、本当の親鸞聖人の御教えを浴びるほど聞かせてもらったほうがいいよって言っているだけでしょ?前に進めるように急いだほうがいいと背中押して、励ましてくれているように、心ある人は感じているんじゃないかな?少なくとも私はそう感じたけど。
 多くの人は、一日も早く苦しみから逃れたいだけなの。早く幸せになりたいの。だから早く会をやめるよう言っているだけ。やめたら、誰から聞けばと不安がって、やめられない人に、それなら、次の人早く探したらいいよということに対して何が気にいらないのか理解に苦しむ。
 

投稿: | 2009年8月13日 (木) 08時15分

上記の人(17時56分、8時15分)は、一人でいらいらしているように思えます。
おそらく、現実でも一人いきりたってるあなたからの勧めでは、聞きたくない人がほとんどしょうね。
敬遠されるタイプでしょう。本人は気がついてないようですが。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 10時01分

どうか、どんと構えて、どんなおかしな人の苦しみ悩みをも、うんうん頷いて身を乗り出して聞いてあげられる器の大きい人間が、増えることを願ってやみません。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 10時06分

善知識探しをしておりますが、正直、どんぐりの背比べで、これぞと思われる人がいないのは、残念です。
妙好人うんぬんと言う話も出てきたので、わたしの個人的な意見を述べさせていただきます。
親鸞会の中にも、信心決定したと言っている人は、結構います。
50~90代ぐらいの人たちでしょうか。
なかには、もっと若い方もいらっしゃるかもしれません。
死に際に、救われて亡くなっていった人も多くいるようです。
ですので、親鸞会50年で信心決定した人が一人もいないというのは、いくらなんでも間違いだと思います。
信心の真偽は、第三者の私には、もちろんわかりませんが、親鸞会の妙好人の方も、実際、弥陀の本願を非常に熱く語られます。
「高森先生の教えられる通りだ、もう間違いない」とか、「本願成就文のままの体験をさせていただいた」とか、です。
ですので、何を言いたいのかというと、妙好人は、明治、大正、昭和、平成の今でも、本願寺だろうが、親鸞会だろうが、華光会だろうが、無所属だろうが、結構いたのは間違いないということは、わかります。
そのなかでも、多くの人にとって蓮如上人の御文章が大きな道しるべになったようです。
妙好人をたずねて聞くのもひとつの手ですが、やはり御文章のようなもものが欲しいのです。
そういう意味で近藤・宮田氏が、現代版を作ろうとしているのだろうと思います。
姿勢は、評価できます。
ただ、私は、個人的には、親鸞会の親鸞聖人アニメDVDやなぜ生きるCD、歎異抄を開くのCD、とどろきCDを繰り返し聞くだけでも、充分に信心決定できるんじゃないかなと思っております。
私と同意見の方は、いらっしゃいませんか?

投稿: | 2009年8月13日 (木) 10時54分

清森さんは、ある意味えらい、器がでかいと思いますよ。
なぜなら、やめた後でも、高森氏を尊敬しているからです。

つまり、何を言いたいのかというと、親鸞会のいい点は、素直に認めつつ、新たに新境地を開拓するという姿勢が、謙虚でいいということなのです。

8時15分の記事を書かれた方のように、やみくもに親鸞会を全否定している人は、子供じみてて器が小さいということなのです。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 11時32分

私が親鸞会に在籍中の昨年に、古参の会員さん、会員歴30年とか40年の人から聞いた話です。
これまで親鸞会で生きている元気な時に救われたという人は何人もいたそうです。私がその人は今どうされてますか?と聞いたところ、救われたといってるのに、みんな活動しなくなって会を辞めちゃった、と答えられました。
これが親鸞会の実態だと思います。救われたと思った人が、辞めたくなるのが親鸞会です。本当に救われた人が辞めたくなるならば、親鸞会はおかしな教義・活動をしていることになります。
また、救われたと思っただけの人であっても、こんな酷い会を早く離れたいと思わせるのが親鸞会だとわかります。
そんな弱い心だから真剣に聞けないとか、その程度の活動で阿弥陀仏に救われると思っているのか、と洗脳するのが親鸞会。まともな親鸞聖人の教えはなく、自力を勧める団体だとしか思えませんね。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 11時52分

上記の記事は、そういう人もいたということでしょう。
ただ、今も残ってる自称信心決定者も親鸞会には、結構いるという事実も知ってください。
結構、熱く語られますよ。
どうも、ここの人たちは、親鸞会には、信心決定している人はいない、できないと決め付けたがるようですが、それは、よくない姿勢です。

自称信心決定者は、ちゃんといますし、親鸞会でも充分信心決定できると思います。

できないというならば、それは弥陀の本願に対する冒涜みたいものですからね。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 12時13分

12日の17:56分に投稿した方は、決して器の小さい人とは思えません。
思ったことを、体験したことを正直に伝える文章で、むしろ人間的な優しささえ感じます。
また中味でも同感するところ多く、例えば、
気持のゆれる会員に対し、当該地区支部長は、退会阻止の為熱心にアプローチし、「○○がそそのかしに来ていませんか」と言う。「○○はあちこちで有ること無いこと言いふらして歩く」(○○とは私のことで身に覚えの無いこと)
身に覚えのないことさえあるが如く言うセコい輩どもの団体。
まして56分さんの言われる通り、こちらから会員さんにコンタクトすることは、簡単なことではありません。

一方13日の05:25分の方、短い文章ですが、なんかうわつらだけで、きれいごとのようにとれてしまいます。それと組織のえげつなさを肌でとらえていない、他人ごとのような気がしてしまいます。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 13時21分

私の言いたいのは、「現親鸞会のお粗末な組織」を痛めつけられた腹いせに感情論で毛嫌いするばかりに、肝心の弥陀の本願を伝えてきたいいところまでも、一緒に否定するのは、器が小さいということです。

そういう方々には皮肉かもしれませんが、高森氏が弥陀の本願を曲がりなりにも伝えていたから、自殺を踏みとどまったという人もかなりいるわけです。
真実知らされてよかった、救われたと号泣して喜んだ人も多かったわけです。

阿弥陀さまのなされることですから、このへんは、私も腑に落ちませんが、繰り返しになりますが、個人的には、親鸞会の親鸞聖人アニメDVDやなぜ生きるCD、歎異抄を開くのCD、とどろきCDを繰り返し聞くだけでも、充分に信心決定できるんじゃないかなと思っております。
教えの大筋は、間違っていないからです。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 13時28分

救われるか否かの一線、水際の部分を絶妙、鮮やかに説ける逸材が、日本に見当たりませんね。
親鸞、蓮如両聖人級の善知識が、いっらしゃいませんか。
紹介願います。
そういう点で、とどろきCDレベルまでが、現段階で望める真宗の聴聞可能な領域と私は解釈しています。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 13時37分

会でも救われた人が、まったくいない訳でもないでしょうね。でも中でやりたかった、KさんもMさんも現に言いがかりをつけて追い出されています。
 ほかの現役講師や幹部で、現役でバリバリ活動している人の中で、自ら信心決定したと宣言して、会長の手足になって活動している方が一人でもいたら、それこそ、一度、会ってみたいので、管理人さんにメールででも名前を教えたとコメントしてください。楽しみにしていますから。すぐメールしてもしあって下さるなら、あいに行きますから。
 少なくとも私は信後の、比較的若い信後の会員さんを知りません。うわさでも聞いたことがありません。30年近くいましたが。新聞等でも信後の方が、会で沙汰をしている記事は見かけませんでしたが。
 考えてみてください。信心決定したと言うと居辛いし、追い出される会ってどんな会ですか?
 そもそも、信心は弥陀から、賜るものだから、どこに属していようとも、救われるでしょう。しかし、いつまでも生きていられる訳ではないので、どうせなら、間違った教えを説いている、対機説法も期待できないところに見切りをつけて、正しく導いてくださる方を探したほうがいいのではないですか?
 お金も時間も体力ももっと有効に使ったら、いいのではないですか?会の対策も立てない大赤字の事業や会長の住まいにあなたの大事なお金は払ってはなりません。ずるずる居続けると、搾取され続けるから、もういい加減に、自分の問題と捉えて、会から一度離れて、一歩踏み出したらいいと思います。F館も活動している人、一人当たり何十万も献金しないと建たないようですし。もろもろの維持費にお金がかかるのでどうしても戻りたくなったら、良いかもでしょうし、喜んでいつでも再入会させてくれるでしょうし。
 それから、会の書籍、アニメその他では、ただ、一方的に受け取るだけなので、会にいても信心決定できたようなよほど仏縁の深い人でないと非常に難しいと思われます。信心の沙汰を繰り返さないとなかなかでしょう。私はお勧めしません。自分の仏縁をよく考えて決めたらいいと思います。教えそのものの間違いもいろいろなサイトで明るみになってきています。どこがおかしいか確かめ、その上で構わないなら、止めません。
 もともと、ここは早く会の教えや組織の間違いを分かって、会から抜け出してましょうという趣旨のものす。苦しんだ人同士、仲良くしたらいいと思います。幸せになるために、有効な情報を提供しあいましょう。自分の幸せをつかむために、行動しましょうと励ましあったらいいのではないですか?それが、投稿を出してくださった方の気持に沿うものと思います。
 他人の人格を傷つけててまで、会をそんなにむきになって、対策員と間違えられるような擁護までする必要があるのですか?「さよなら親鸞会」なのに。会で残ってやりたい人は、自分だけがそうしたらいいのでは、ないですか?それとも、不信をもって、やめたがって来ている人を少しでも思いとどめさせるのが目的でしょうか?とにかくみんな仲良く、会から、いろいろな意味で卒業したいものです。長くなって済みません。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 13時57分

捨アドと言って理解できるような賢い方、パソコンを触れる恵まれた環境にある方だけが聞けるような聴聞では、寂しい、悲しい、物足りないです。
私は、農業で朝から晩まで汗と泥まみれになって働いてるお婆ちゃんがうんうん頷いて理解できる易しい説法をしてくだされる方、媒体を望んでいます。
私は、そういう方々にこそ、まず救われて欲しいというのが本音です。
苦労知らずに私たち若年層よりも、目いっぱい涙を流してこられた方こそ、阿弥陀さまの正客であってほしいと思ってます。
早く、救ってあげてほしいと思うのです。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 13時59分

私は決して会を擁護いたしません。
ただただ、すべての方が、阿弥陀様の救いに今生で平等にあい、心穏やかに、にっこり笑顔で生きてくださることを願っているのです。
人類、皆兄弟です。
仲良く生きられるにこしたことはありません。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 14時04分

>上記の記事は、そういう人もいたということでしょう。
>ただ、今も残ってる自称信心決定者も親鸞会には、結構いるという事実も知ってください。結構、熱く語られますよ。
>どうも、ここの人たちは、親鸞会には、信心決定している人はいない、できないと決め付けたがるようですが、それは、よくない姿勢です。
>自称信心決定者は、ちゃんといますし、親鸞会でも充分信心決定できると思います。
>できないというならば、それは弥陀の本願に対する冒涜みたいものですからね。

そうですね。だからこそ親鸞会は矛盾した奇妙な団体であることに
気づかれたでしょうか。
親鸞聖人は仰っています。
「自分が救うのではない」「自分の法ではない」と。
親鸞会を抜けた人を「地獄行き」「敗残者」などと言うのは、
転倒している自力の計らいなのです。本来、出てくるはずのない言葉です。
法を謗るだけ者に対しては非難もあるでしょうが、教義に関することやその他の雑事を指摘されて、恩知らずと罵るのは、その方こそが法を取り違えているのです。
どうしてですか?と問う方には、御心などと言わず、その御心を教えてあげればいいです。
人の心でしょう。説けないはずがないのです。自分がわからなければ、上司に尋ねればいいのです。そうやって明らかにしていくのが、信心の沙汰です。会に近ければ近いほど、沙汰はありません。
こちらの投稿にもありましたが、「幸せにならないとね…」と心から願ってくれたのはご友人だったと述べておられます。
自分の身を案じてくれる人を、憎む人があるでしょうか。自分が恩を感じている人の下から離れたからといって、恩知らずなどと誰が言えますか。
会長とのご縁が直接なくとも、自分の身を案じてくれる人は、人は心を打ち明けます。生活のことも、求道のこともあるでしょう。
親鸞会はつまらない上下関係に埋没して、人を物か記号のように思ってしまっているのではありませんか?
もやもやしたものを、胸に留め、吐き出すためには脱会の覚悟が要る。
弥陀の本願を、自分のありもしない恩情に変えて、人を責めるのは聖人の教えではありません。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 14時37分

だから、今パソコンでコメントできるほかならぬあなたが、信心決定してお年寄りに話すなり、あなたが、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に、元講師にでも電話したらって、みんないっているでしょ?それが、そんなに難しいのですか?それに、お年寄りを馬鹿にしないほうが良いですよ。知識探ししている人は、どんなことしてでも、もう探し始めているから。
 もう一度、言います、人のことばかり当てにしないで、あなた自身が、年配の会員さんたちの力になって喜んでもらって下さい。どうしたら良いか、詳しく分かりやすく言いましたよ!これでも分からなければ、私もお手上げです。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 14時42分

ただ今の現状では、寝たきりの老人に仏法聞いていただける媒体といえば、親鸞会からでているCDやDVDが手っ取り早いです。
親鸞会嫌いのここの皆さんには、酷かもしれませんが、親鸞会の媒体に変わるもの、それ以上のものがないのが事実です。
私が説法できればいいですが、それだけの力、時間を持ち合わせていません。
とにかく、それにかわる媒体があれば、教えてください。
あくまで、年寄りにも平易、わかりやすいことが大前提です。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 14時46分

皆様

ぶるうのです。

記事の内容とは関係のない方向に議論が交わされているように思います。少しだけならば別に構わないのですけど、コメントが100を超えると、記事の内容についてコメントしたい方の迷惑になるように思います。
そろそろ他のところに場所を移してやっていただけませんか?
よろしくお願いします。

投稿: ぶるうの | 2009年7月10日 (金) 15時35分

以前のぶるうの氏の投稿です。
自分も釣られるような形でコメントをしてしまって、反省しています。
今回も、話題が変わっているように思いますが、そろそろ議論に終止符を打ったほうが良いように思います。


投稿: | 2009年8月13日 (木) 15時02分

そうですね。
でも、所属は異なれど信心の沙汰する別の場所が欲しいですね。
皆様が幸せになるために、設置を希望いたします。
心ある方、よろしくお願いいたします。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 15時18分

私は、昔の高森会長はニセ(似せ)善知識だったが、今ではウソ(嘘)善知識になってしまった。
だから、もう親鸞会に所属する意味はありません。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 15時26分

それも年をとったせいなのでしょうか?
老いるとは、たいへんですね。
我が身にも必ず訪れます、老苦は。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 15時36分

阿弥陀仏の本願の解釈や死後生まれる世界そして機法二種深信といった真宗の根本的な教えについて間違ってしまっていたのですから、それも最初から。会長が、今まで、どんなに必死に布教してこようと、救われる人が少ないのは自明の理です。そんな中、まこと、信心決定できた人がいたなら、本当にその人は、仏縁が深い人だったのでしょうね。
 会の出しているものは、会長が、上記のような親鸞聖人の御教えの大事な所をよく理解しないまま生み出されたものなので、縁の浅い人、老人、子どもにもよくない物だと思います。間違った教えをいくら聞いても助かりません。たとえ百年聞いても。
 教えの間違いについて古くは本願寺との論争、元講師、各種サイトでどんどん書かれ始めていますので、参考にして下さい。自分が幸せになる為ですから、手間隙惜しまず、この休みを使って、どちらの言い分が正しいかよく、検討して下さい。
 決して、組織でいやな目に遭った恨みからだけで感情的になって、会を離れるようにみんなが言っているのではないことを分かって頂けるでしょう。
 助からない教えだから会とさよならするんです。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 17時43分

一つ提案ですが、親鸞会OBネットの掲示板は会に関すること何を書いてもいいみたいだし、ほとんど書き込みされていないので、信心の沙汰がしたい方やほかの事、書きたい方は、そちらに書き込まれてもいいのではないでしょうか?
 ここは、さよなら親鸞会です。最新の記事、投稿「考えることをやめないで下さい」へのコメントをしたほうがいいと思います。
 もちろん、会の教えの間違い、組織崩壊に役に立つことなら、どんどん書いて、構わないと思いますが。
 ここは、元々、早く、会をさよならして、みんなに幸せになってもらうためにつくったものでしょ?対策員に荒されるためじゃないですよね。管理人さん。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 18時51分

>救われるか否かの一線、水際の部分を絶妙、鮮やかに説ける逸材が、日本に見当たりませんね。

信心の有無の心理状態を縦線と横線で信前と信後に分けて、信相は〇〇となり、機相はXXであると説くことや、信前、信後に出る心、出ない心を述べよと心理状態による信心の有無を、信前の会員に暗記させたりするのが親鸞会教義に基づいた教育方法の特徴ですが、それって信心を三業で語るのと、どこが違うんですか?

信心を三業で語るのは異安心であるとは親鸞会でも教えているので、異安心と、一念の水際を鮮やかに説く高森先生独特の説法の違いってどこにあるのか、ハッキリと示していただきたいものです。

投稿: | 2009年8月13日 (木) 22時22分

( ^ω^ )お盆に仏縁を深めたいものですね

投稿: | 2009年8月13日 (木) 22時59分

8月13日13:28分にコメントされた方、現会員の人かともお見受けしますが、
>アニメやDVDや~繰り返し聞くだけでも、
>教えの大筋は、間違っていないからです。
と言われますが、例えば
若不生者には当益の意味は全く無いと、会長は説法でも1月の「顕真」でも言っていますが、「尊号真像銘文」を素直に解釈すると当益の意味がハッキリしています。百歩譲って現益を含めたとしても、当益の意味は全く無いの解釈にはなり得ません。
王本願を間違って教えては大筋で間違ったことにならないでしょうか。
最近ネットで、一切衆生必堕無間他で教義間違いと叩かれ通しですが、
これらを冷静に判断すると、とてもとても『教えの大筋は、間違っていないからです。』にはなれません。
よくよく考えてみるべきかと思います。

投稿: | 2009年8月14日 (金) 11時51分

教義はどうでもいい。  高森先生の法話は以前は、録画されてましたが今はされてない。真剣に聞けないからという理由だが、どうなんですか

投稿: | 2009年8月14日 (金) 14時15分

会長の教学がお粗末な事がネットの普及とともに暴露され、何か言う度毎に、間違いが指摘されています。
 間違いが多くある説法の証拠が、残っていると思われるのは、恥ずかしいし、まだそれほど呆けが酷くなっていないのだけ残している事にしたいんでしょ?でも、50周年はもちろん、まだ全部、会員には内緒で録画しているんじゃないの?
 会長がいよいよ説法が難しくなったいざという時の為に。富山でしか、会長のビデオは見られませんよ!皆さん富山に行きましょうとか何とか言って、人と金、集める為に残してるんじゃないのかな?
 毎月の配布物にしても、ネットで指摘されるのが怖くて、教えは因果の道理とか、善の勧めとか差し障りのないものばかり。それと、やめた人や他の団体への口汚い攻撃。ほとんどの紙面が、献金の勧めでしょ。配布自体無駄だと思うけど。教え書かれていないものなら。まあ、ボタンが初めから、掛け違っているから無理な話かもね。救われる話を期待するのは。
 もう、いい加減に壇上から降りてください。毎回、ネットで、次は、何を突っ込まれるのか、びくびくしてまで話すのは、お身体に障りますよ。伏木のご自宅でどうぞ、のんびりお過ごしください。
 後は助かる、正しい教えを説いてくださる人から、何千人の中の一人でなく、1対1で対機説法して頂きますから。これ以上、間違った教えを説いて、会員を苦しめないで下さい。どうぞ、宜しく、お願いします。

投稿: | 2009年8月14日 (金) 17時55分

会長、もうみんな、貴方に見切りをつけて、貴方の元弟子や他の人の元へ「本当の教えを聞きたい」と行ってるんですよ。

現実がわかりましたならば、どうぞ、もう辞めて下さい。
貴方の作った会の方に声をかけてもらって、仏教に出会えた事だけは、本当に感謝します。

投稿: | 2009年8月14日 (金) 19時00分

さよなら親鸞会

このタイトルの意味をよく考えてください
そして、みなさん、管理人さんや多くの投稿者やコメントされている方の訴えている事に耳を傾けてください。皆が一様に早く会から「さよなら」するように言っているのは何故か。

 まず、助からない教え説いている事。これは最近、頻繁にサイトが立ち上がったり、以前より、教えのここがおかしいと多くの人が指摘しています。本願や成就文の解釈、一切衆生必堕無間、機の深信の知らされ方等々これが間違ったら、真宗でない大事な事です。
 これらを会長は、会結成当時から間違って伝えてきたのです。途中から、更に、三願転入、諸善の勧め迄持ち出して、とうとう多くの会員に呆れられる所まで来ました。それでも、いまだ、会の発行物でも、信心決定できるし、分かりやすいからと会を擁護する人が、後を断ちません。
 会にいても、本当に仏縁が深く、周りに惑わされず、阿弥陀仏とのみ対峙していける人に限るなら可能かもしれません。しかしながら、多くの、まだ、阿弥陀仏にさえ向かっていない会員には非常に難しいでしょう。
 会長は信心決定しているかもしれないし、していないかもしれません。これは、阿弥陀仏と会長のみが分かる事です。しかし、聖人の御教えの間違ってはならないところを間違えて伝えた罪は大きいと思います。つまり、教えに暗かったのです。正しい教学がなかったのです。布教に忙しくて、教学をする暇がなかったなどとは、言い訳になりません。本当に会員の事を考えるなら、自分で勉強したり、人に聞いたりいくらでも出来たはずです。60年もあったんですよ!一体、何をしていたんですか?
 会長のせいで、正しい教えを聞いたなら直ぐ助かるはずだった人も、遠回りをしました。そして、未だ会に迷って、多くの人が信心決定出来ずにいます。

 一方、会長は、人集め金集めには異常なほど固執しました。小杉の会館、周りの建物群、全然儲からないサイドビジネス等、呆れるほどです。それも会員の大切なお金で。所詮金は、人のものだから、大赤字でも対処しないし、何とも思わないんでしょう。

いいですか?これをカルトというのです。

 自分が特別の人間と思わせ、権威を持たせ、会員との接触を避ける。きちんと、会の名前を名乗らずに、大学や地域で勧誘したり、本を出したりする。そして、会員には地獄に堕ちると逃げられないようにする。自分の名誉の為に、無駄に大きい建物を建てたり、自分専用の豪邸をつくったりする。これらは、みんな、会員から搾取した献金で成り立っているのです。カルトだと皆さんが思っているものと何らかわらないでしょ?
 
 冷静に考えてください。だから、一刻を争って、「さよなら」する必要があるのです。最後にもう一度言います。会長の結成当時の気持は定かではありませんが、今の会は明らかにカルト団体に成り下がってしまったのです。急ぎ退会して下さい。

投稿: | 2009年8月15日 (土) 13時27分

非常に残念ですが、私も親鸞会はカルト団体であると思います。根拠は上の方が、書かれている事とほぼ一致します。
 退会は、内容証明付の送付等で大丈夫でしょうが、問題はその後の、心のケアです。また、自分は抜けたけど、家族がまだ、やめてくれない方もいらっしゃるかもしれません。
 お役に立つかどうかは分かりませんが、本を何冊か紹介します。縁があれば、図書館で借りてでも読んでみてはいかがでしょうか?
 『カルトからの脱出と回復のための手引き』
 『自由への脱出』
 『悪徳株式会社』
 最後の一冊は親鸞会が、どうしてもカルトとは認めたくない方に。会と豊田商事との関係が書かれています。全部が事実ではないでしょうが、宗教とお金について考えることが出来ます。

投稿: | 2009年8月15日 (土) 14時15分

おっしゃるとおりです。カルトと言われても仕方ない。 
昔からおかしいとは思いましたが、インターネットの普及と異常な建物建築が、激化させたね。弁解の余地ないですね。      普通は赤字ならビジネス辞めるか、第三者の力を借りるかして立て直しますが、経営してるのがどうしょうもないバカ息子がしてるから、やりようがないんだよね。

投稿: | 2009年8月15日 (土) 15時07分

心のケアは大変です。私は大学四年活動して辞めましたが、辞めて五年、今でもいやなことを思い出します。親鸞会は収支をまったく報告しないくせに、バス代とか会費とかやたらとうるさかった。うるさいのは、わかるが、収支くらい報告しろっていいたかった。本末転倒だ

投稿: | 2009年8月15日 (土) 16時30分

やめたがってる会員は、たくさんいるでしょうけど、そのやめた後の受け皿が、頼りない、充実していない、まだまだ信頼できないということも事実ですよ。
信頼できる教えが聞けて、また信頼できる著作のある会や人が、明らかにならないと。
もう少し力をつけてくれないと。
今は、正しい人物が明らかになる動きを、見守ってる人も多いかもしれません。
おかしな人や会についていくわけには、いきませんから

投稿: | 2009年8月15日 (土) 17時33分

カルト団体に所属していると、オウムにいる人に感じるような思いを一般の人は感じるようになっていくと思います。
今でも、会員は宗教活動に熱心な点では、いくら真宗といってもS価と同じように、それ以下に見られていることに早く気がついて欲しいです。S価は少なくともカルト扱いはされていないでしょうが。

会の中にいると、客観的に自分たちが、どう見られているか分からなくなるから怖いです。何かのきっかけで、会のことがメデイアで有名にならないうちに退会しましょう。職場でも地域社会でも変なレッテルを貼られてしまいます。
 会の事を何かで見聞きした人や近くに退会者がいる人、宗教嫌いな人はいまだに、団体に属しているだけで、胡散臭い人と思っていますよ。

投稿: | 2009年8月15日 (土) 18時00分

親鸞会の人間はとにかく、はじめてかかわった人間にはうけつけないな。とくに、学生には!胡散臭いし、腹黒いなど。やたらと拘束したがります。時代がかわってるんやから、考えろよ

投稿: | 2009年8月15日 (土) 18時08分

次が見つからないから、カルト団体から、抜けないというのは、DVで散々痛めつけられているのに、逃げない人と同じです。ハッキリ言います。間違った教えをいくら聞いても助かりません。助からない上に搾取されます。お金、時間、体力をカルトに捧げてはなりません。自分は仏縁が深いから大丈夫と自信がある方には、何も申し上げる事はございません。
 とにかく、何を差し置いても、まず、やめる事をお勧めします。悪を好まん人からは慎んで遠ざからなくてはなりません。誰も知識がいないなら、一人で求めたらいいではないですか。御文章を拝読したほうが遥かにいいでしょう。助からないカルト団体にしがみついているよりは。自分のされている事を客観的に見る事が大事ですし、必要です。
 ほかにないからといって、会の出しているものを勧めたり、やめられないなどと、泣き言を言うのはやめて欲しいです。対策員だと思われますよ。ここは、会をやめてもらうためのサイトであり、コメント欄です。趣旨が違うと思います。
 とにかくやめる事が一番です。何を思っても結構ですが、後戻りするような事は「さよなら親鸞会」には書いて欲しくないです。そんな暇があるなら、教えの間違いについて書かれてある、サイトを読んでやめる決心を固めてください。

投稿: | 2009年8月15日 (土) 18時30分

社会人になれば結婚して自立しないといけない。自由なお金がないんだから、親鸞会に収めることは不可です。時間もないから続けるのは無理でしょう

投稿: | 2009年8月15日 (土) 19時00分

「親鸞会教義の誤り」や元講師のKさんの「21世紀・・・」Mさんの「○○問答」とかかな?とにかく読んでみて、判断したらいいのでは?だめなら、一人で求めたらいいし。
 DVでも酷かったら全て、捨てて、一人で逃げちゃうよ。子どもも置いて。やっぱり、まだ余裕があるから、会にいられるんでしょ?酷い状態に自分がいる、自覚がないのが一番怖いよ。取り返しがつかなくなる前に退会したほうがいいよ!

投稿: | 2009年8月15日 (土) 19時07分

>2009年8月15日 (土) 17時33分

親鸞会辞めて一人で求めてますが、受け皿が無いどころか、ありすぎるほどありすぎるのにビックリしました。
ハッキリ言います。親鸞会のドグマの「善知識は唯一無二」はウソです。
また、高森会長は、善知識どころか悪知識です。

>まだまだ信頼できないということも事実ですよ。
>信頼できる教えが聞けて、また信頼できる著作のある会や人が、明らか>にならないと。

なら貴方が直接本人にコンタクトとって信頼できるか否か確かめたらすむのではないですか?

>おかしな人や会についていくわけには、いきませんから

おかしいと思ったらその場で離れれば済むのですよ。それで問題ないのですよ?
むしろ親鸞会がおかしいと思ってるのならば、なぜ離れないでついていってるのですか?

貴方の書き込みは、信心決定する気が無いのが見え見えです。
むしろ、親鸞会辞めて本気で信心決定したいと思っている方々を惑わし引きとめようという、悪意すら感じます。

投稿: | 2009年8月15日 (土) 19時32分

地獄が怖いんだろうけど、はたから見てたら今の時点で会員は十分、在地獄界だよ。とりあえず捨てるものを捨てないと何も見えて来ない。

5年前に私が退会を決意した時は、まだまだネットを見ている人も少数派だったし、受け皿なんか何もなかったよ。
だけどとにかく、親鸞会に居るの「だけ」は何かが違うと思って、バイトを始めた。病んでたから結構ムチャクチャな働き方したけど、でも頑張った分が報われて、バイト先の人間関係が、精神的な受け皿になってくれたよ。
受け皿なんてのは、本来誰かが用意してくれるものじゃなくて、自分で作るしかないんだよ。そんなんだから高森の言うなりにしか出来ないんでしょうが。

てか、正しい人とやらが明らかになるまでに死んだらどうするの? その人や貴方が生きている間に、正しさが明らかになるとは限らないよ? 芸術家とかでも、死んでから価値が分かったりするんだから。
貴方の考えは裏を返せば、「本当に正しい人や自分が生きている間に、その正しさは明らかになるよね」ってこと。
それが甘いんだよ! せめて間違いが確定している親鸞会と位は、縁切れよ。

投稿: | 2009年8月15日 (土) 19時39分

とにかく、やめようとしている人を躊躇させたり、踏み留まらせたり、する書き込みはやめてください。そういう考えに誘導する人は、明らかにここに来る必要がないのでほかに行ってください。場違いだと思いませんか?浮いているのが分かりませんか?少しは空気読んでください。目的違いな発言は、本当に信心決定したい人や幸せになりたい人の邪魔ですから。下げないで下さい。お願いします。皆、やめる事に必死なのですから。余裕がある人は自分だけでゆっくりしてください。決断しようとしている人を不幸な状態に、カルトに、引き戻さないで下さい。

投稿: | 2009年8月15日 (土) 20時23分

学生に何百万も使わせるのは、如何なる理由があっても、いいわけは通用しないよ。外部で問題にならないのが不思議だ。全国の主要大学に親鸞会学友部が存在するが、何だかの形で、中身は知らなくとも、接している。私の大学の学部にも何百人もいたが、半分は、接していたからね。
誰かが訴えれば、崩壊するだろう。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 10時47分

表題じゃないが、考えることをやめているからこそインチキカルトに未練がましく残っているわけで、そんな連中になにいっても馬の耳に念仏なわけであって・・・。自分の頭で考えられる奴なら、ここに至る前にとっくにやめてるだろ。今残ってるのは、さしずめ紅衛兵か喜び組か(笑)もしくは自分が半生をかけてやって来たことを否定することができない可哀想な人なんだろうね。いずれにせよそんなものは死を前にしてはがらくたも同然なのだが。いつまで生きていられるつもりですか?

投稿: | 2009年8月16日 (日) 10時53分

>次が見つからないから、カルト団体から、抜けないというのは、DVで
>散々痛めつけられているのに、逃げない人と同じです。ハッキリ言います。
>間違った教えをいくら聞いても助かりません。助からない上に搾取されます。
>お金、時間、体力をカルトに捧げてはなりません。
>とにかく、何を差し置いても、まず、やめる事をお勧めします。悪を好まん
>人からは慎んで遠ざからなくてはなりません。


たとえば、麻薬をやっている人にとって大事なのは、麻薬をきっぱりやめる
ことでしょう。
「コカインをやめて、ヘロインにしよう」とか、
「大麻をやめてモルヒネにしよう」なんて言う人がいたら、麻薬の恐ろしさを
全然分かっていない訳です。

カルトそのものの恐ろしさを知る必要がありますし、分かったならまず、
きっぱりやめてみるべきです。
私も親鸞会に10年以上いましたが、やめてみて思ったのは、
「もっと早くやめればよかった」ということです。

外からみてより分かりましたが、親鸞会の内部はあまりにも異常です。

投稿: 元会員J | 2009年8月16日 (日) 10時56分

弥陀の本願という唯一絶対の真実が絡んでいるんだから、他のものと一緒にできないのです。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 11時01分

教義の誤り、いろいろ指摘されていますが、普通の頭の人には、難しくてついていけないのですが。
もっとわかりやすく説明してほしいです。
また、ここで紹介された方々のサイトは難しいのが多くて、ほんとに正しいのかどうか、普通の頭の私には判断しかねます。
反親鸞会の人が、いかにも自信満々に間違いを指摘したり、あるいは、親鸞聖人の著作を解釈されていますが、ほんとに正しいのか、どうか私には判断しかねます。
そういう人が多いということも知ってください。
あまりにも賢い人向けのものと感じているのは、私だけではないでしょう。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 11時20分

「阿弥陀仏に向かいなさい、今救われる教えです」と言わず、まず、善に励めという人は善知識ではありません。
そして、勧誘に、正体を隠し、法話の日程も公表出来ないカルト団体だから、まずやめてください。会長の豪邸やサイドビジネスのための献金も、交通費も、宿泊費も自分や家族に使ってくださいと勧めるのがこのサイトです。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 11時44分

教義論争が難しすぎるというのは分かるが、高森のペテンぶりにもはや疑いはないと思いますが?自らの師については一言も触れないくせにパクりはしまくり。原典に触れようとすると除名って(笑)いまだかつてそんな善知識がいましたか?

投稿: | 2009年8月16日 (日) 11時57分

信心決定者を異安心と決めつけ除名するに至っては、もうなにをかいわんやです。如来のおはたらきの邪魔をしてるのが高森会の実態でしょ?獲信を自らの権威付けの手段に利用する人間のどこが善知識なんでしょうか?(笑)

投稿: | 2009年8月16日 (日) 12時15分

高森氏を信じきってる私の家族にどう話せばいいものでしょうか。
これぞという決定的なことってないもんですかね。決めの一言がないですかね。
まず、第一は盗作なんですが、盗作以外に、これぞというものがないと。
いろいろこちらで言われてるんですが、信じ切ってる人には、いまひとつインパクトに欠けるものばかりなんですよね。
ひとつひとつ見てみると。
だから、ここまで50年、まぎりなりにも無事やってこれたのでしょうけど。
皆さんのような賢い人たちが多く、信じ込まされてたのですから、凡人を説得するのは、なかなか難しい。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 12時27分

皆さんのような賢い人たちが聞いてるから、私のような者は、間違いなかろうと安心していたのかもしれません。
賢い皆さんの存在が、かえって、組織の息の根を長いものにしていたのかもしれません。
なんともいやはや、皮肉ですが。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 12時31分

会長の教学力がない事、教え方が、故意かどうかは分からないけど、阿弥陀仏に向かわせず、諸善をまず、勧めるやり方で、今救われると言っていない。これだけで善知識を名乗る資格はありません。会長の言う事に盲信していっている講師が救われていないのが証拠です。阿弥陀仏に救われた人は追い出されています。
 長い事迷っていましたが、おかしいと分かった時点で、耐えられなくなってさっさとやめてすっきりしました。次はあなたの番です。皆でやめたら、会は崩壊しますから。
 気がついた人から、即、さよならしましょう。まだ、献金を勧められたり、搾取されたいですか?善をして助かるなど方向が違うのに、無駄に求め続けるのですか?いつ阿弥陀仏に向かうつもりですか?無常は待ってくれくれないのですよ。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 13時13分

午前中にちょろちょろ書き込みしてた者です。私だってここに至るまではいろいろ紆余曲折がありました。安心してください、私も愚者です。回り道をしないと聞かせていただけなかったほどの愚者ですから。今は子供も小さいし、仕事も多忙を極めているので少々聞法から遠ざかってますが、体は離れても心が離れることはありません。いつでも戻れる港を持つ船みたいな感じですね。もちろん日がな一日五欲まみれのしょーもないことばかり考えていますが芯の部分でブレることはありません。高森会で会の統制なしにとどまれる人がどれだけいるでしょうか?あなたもぜひ本当の善知識の元で、弥陀のお救いを聞かせてもらってください。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 13時29分

上の人結局何が言いたいのか、頭の悪い私には理解しかねます。離れ切れない事を自慢して、やっぱり、会に縛ってもらわないととか、会長は善知識だから、離れないようにとの誘導ですか?
 DVの被害者だったり、麻薬中毒の人と何かに依存する事では、カルト団体の信者も、ほとんど、変わらないのですよ。縁がなくなったのなら、それでいいでしょ?戻る事ないでしょ?私なら、多少お金もらっても、北陸すら行きたくありません。空気読んでください。
 阿弥陀仏に向かって下さい。会長でなく。そして、今救われて下さい。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 13時57分

上の上の者ですが、すみませんm(__)m言葉足らずで反対の意味にとられてしまいました。私もアンチですから(笑)高森親鸞会なんぞには金輪際関わりたくありません。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 14時13分

高森は華光会出身なわけだが、今では土蔵秘事呼ばわりし自らの過去を封印してしまっている。そうかと思えば師である伊藤師の著作を無断でパクるはで、やっていることが支離滅裂。土蔵秘事だといって袂をわかったのであれば、そこの創設者の著作をパクるのは何故か?しかも奴が華光を離れたのは伊藤師存命中だというのに・・・。さらに師の葬式にも来なかったと言うではないか。高森先生の深いみこころは我々凡夫には測りかねます(笑)現役会員のころから高森への個人崇拝と絶対服従はキモくて仕方なかった不良会員だったが、今こそ言おう俺GJ!

投稿: | 2009年8月16日 (日) 15時12分

本当に少しでも怪しそうな、書き込みを見たら対策員に思えて、疑い深くなり、あらぬ疑いをかけてしまい申し訳ないです。読解力がなくご迷惑おかけしました。阿弥陀仏に今救われて下さい。幸せになって下さい。ご家族皆さんでね。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 15時40分

遺弟(orクラブ)だった人で、やめた人いますか。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 21時55分

元遺弟クラブです。今年やめました。崩壊は目の前です!

投稿: | 2009年8月16日 (日) 21時59分

>遺弟(orクラブ)だった人で、やめた人いますか。

7割はやめてんじゃないの?

投稿: | 2009年8月16日 (日) 22時12分

皆さん、新天地でそれぞれ頑張っておられるのですね。私も頑張ります
辞められた講師部の方を中心に一つの会としてまとまるということは、不可能なのでしょうか?
どうしても、スタンス・方向性の違いから分派せざるをえないのでしょうか。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 22時27分

会員が増えても、増えた倍以上やめてます。だから幽霊部員でも残すしかないんだよな! 辞めるのは当たり前。だからバカ息子はガラクタと同じなんだ。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 22時27分

親鸞会幹部は、会員さんがどれだけ苦労されてるかわからないんですね。   会長のバカ息子は、勧誘もアニメ頒布もしたことないんですね。したことあるのは、不倫だけ(笑)。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 22時30分

組織や建物が出来ると、お金がかかります。
極端な話、1人の講師を世間並にまともな生活をしてもらおうとしたら、1年間で400万円くらいは考えた方が良いでしょうね。
そんな大金を出すには、個人の負担を少なくしようと考えたら、最低100人は必要でしょう。
だから、変な考えは辞められた方が良いと思います。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 23時06分

400万じゃ生活できないよ。住んでる場所にもよるけど。私は名古屋に仕事で転勤してもとめてましたけど、親鸞会がらみで月に七万くらいかかりました。独身だからなんとかなりましたが、結婚して子供ができたら1000万ないと無理です。だから辞めました。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 23時35分

無駄な投資はしないこと。

投稿: | 2009年8月16日 (日) 23時54分

宗教法人の場合様々な税制上の優遇措置があるんだろうけど、年収400万保証するなら、その倍の金額は経費として見とかないとね。分不相当な箱物作りすぎたおかげで維持費がとんでもないことになってるだろうし。どう考えてもムリだろ(笑)昨日はくしくも終戦記念日でした。国破れて山河あり。山師が死んで負債あり。チャンチャン

投稿: | 2009年8月17日 (月) 02時27分

小杉の建物を今考えると、オウムの建物と重なります。あれらはつくりも粗末だったので、誰も使わなくなって、放置されてもどうでもよかったのだろうけど。小杉の建物は会員さんたちのお金を湯水の様に使って、今も維持されているものです。
 どうしても、F館立てたかったり、建物維持考えるなら、サイドビジネスで儲かったお金を注ぎ込んだら?いづれ、廃墟になるであろうものに投資したり、献金したりはやめましょう。とても空しく感じます。

 それから、会長はこれ以上、もっと、恥を曝す前に勇退した方がいいでしょう。法を説けなくなった人にお金はあたりません。信心決定していないと公言して、真実も分からないくせに会長の尻拭いに躍起になっているだけのもはや保身のことしかない講師にも決してお金を出してはなりません。仏教がまともに説けないのですから、やめて、一般の仕事についてください。しがみ付いていても会はもうすぐ崩壊しますから。

投稿: | 2009年8月17日 (月) 08時01分

> 次が見つからないから、カルト団体から、抜けないというのは、
> DVで散々痛めつけられているのに、逃げない人と同じです。
> ハッキリ言います。間違った教えをいくら聞いても助かりません。
> 助からない上に搾取されます。お金、時間、体力をカルトに
> 捧げてはなりません。自分は仏縁が深いから大丈夫と自信が
> ある方には、何も申し上げる事はございません。

賛成します。まずは、何をさておいても辞めることです。
一般会員であれば、辞めてしばらく本業(学生なら勉強、
社会人なら仕事)に集中するべきです。

講師部、親友部のように親鸞会からの収入で暮らしている人は、
辞めることで生活ができなくなるという問題があるかも
しれません。この不況の折、転職活動は大変ですが、早く
無事に脱出していただきたいと思います。

投稿: | 2009年8月17日 (月) 13時08分

搾取による献金です。決して投資ではありません!投資とは儲かることを見通してする行為です。
 カルトの会に献金する事は、ドブにお金を投げるより、どら息子にお金を与えたり、太らせるだけではありません、もっと酷いです。
 カルトに騙されて、親鸞聖人の教えと思い込んで、会と縁を結んでいる人が現に今も、いるのです。そんな人を増やす資金源になります。
 会が崩壊しない限り、阿弥陀仏に向かず、諸善に励んだり、献金したりしても信心決定出来ない現役会員は目が覚めません。行く所がなければ、自分で求めるなり、誰か探すなりするでしょうが、善知識という悪知識が頑張っている間はMCからは自由になれません。
 会長、お世話になった会員さんのことを本当に感謝しているなら、即刻あなたは引退してください。お願いします。
 会員の皆さんも一緒にお願いしましょう。やめ易くなりますので、勇退してくれるように。
 本当は会員さんも会長の隠居を望んでるではないですか?会長が重い腰を上げる前にドンドン退会、正しい教えを求め信心決定しましょう。これが会長を喜ばせるし、身体は楽になるし、、これ以上罪をつくらせない様になるし、真のご恩返しではないでしょうか?
 今までの献金は高い高い真実の教えを求めるための授業料だと割り切りますから、返さなくていいですから。でも、今後一切カルトを助けるお金の使い方はしません!

投稿: | 2009年8月17日 (月) 18時49分

親鸞会がカルトということを幹部は理解できないんだね。あれだけ騒がれて、あとは、お金は仏法のためとはいえ、収支は報告ないって。本末転倒。さよおならプー

投稿: | 2009年8月17日 (月) 22時03分

せっかくの正本堂、どうか阿弥陀様のお力によって、末永く使われて欲しいな。
いつの日か、真実の法城になることを願ってやみません。

投稿: | 2009年8月18日 (火) 00時04分

何かしら見返りを求めて出してしまったお金に執着して、会計報告を求める事はもうお終いにしませんか?出したときはカルトの資金源になるなんて夢にも思っていなかったのですから。
 カルトに正しさを求めてどうするんですか?
 カルトだから会計報告出来ない使い方をしても、罪悪感がないのです。
 あなたが、まだ、会員ならば、あなたの出している会費も立派な資金源になっています。
 出してしまったものは、納得して出したことになり、カルト団体にどう使われようと仕方ないことなのです。
 問題は今からの事です。過ぎた過去に戻ってお金を取り返す訳にいきませんので、早く退会して、今後、無駄なお金は絶対出さないように。皆も何度も言ってくれてて、くどいようですが。
 ちなみに、何十年かの間におそらく私も1千万以上献金してしまいました。やめてみたら、本当に勿体なかったと実感できます。馬鹿でしたよね。日本全国どころか海外にまで何をしに行ったのやら。

投稿: | 2009年8月18日 (火) 01時37分

本当に同感です。幸い自分は外国までは行きませんでしたが。ブラジルだったかに、たった半座だったか半日だけでも聞いて帰った人の話を聞いたことありましたが、今思うと常軌を離脱しすぎていますが、当時MCにかかっていた自分もうらやましく思ったものです。
上記で収支報告不問は?ですが、概ねしみじみ自分の思いに重なって無駄に過ごした年月を追憶しています。 

投稿: | 2009年8月18日 (火) 10時50分

会計報告の追求は必要だと思います。報告がない事をなんとも思わないと思いますが、新たに入会しようとしている人を思い留める効果はあるかと。

投稿: | 2009年8月18日 (火) 11時57分

長年の会員は報告がない事をなんとも思わない

と言う事です。

投稿: | 2009年8月18日 (火) 11時59分

決して、何とも思わないのではありません。だだ覆水盆に帰らずということです。お金が戻って来る訳でもありまでん。株式投資の株主なら、口出し出来ますが、相手はカルトの宗教法人です。会員に報告できない使い方が、今も昔も続いているだけです。カルトに正当性を要求しても時間の無駄ですから。多くの人は、騙されて、詐欺に遭っても時効や使ってしまって返せない事実を十分認識して、黙って、会を離れ、幸せを求めています。
 退会者の多くが、自分の思慮が不足して、思考も停止して、しまった事を認め、さっさと見切りをつけて、身を引いているのです。やめた会の収支報告などどうでもよく、なってきているのです。
 やめた人にとって、会がどうなろうと、関係ないのです。よくなることなどもはや望んでいません。やめた人は自分で求めるか、ほかを探しています。新しい人なら、お金はまだ。少ししか出していないので、どう使われるかなど気にしないし、会費と法礼ぐらいしか出していないでしょう。
 多く出した人ほど、使い道が気になると思います。大事なのは今です。今からは、びた一文もカルトの収入源にしてはなりません。

投稿: | 2009年8月18日 (火) 13時00分

新しい人を思いとどめる効果的なことは、まず、現役会員が退会して、活動の資金源になるお金を入れないようにする事、今まで縁があった人に、会に、行かないように教えのおかしいところを辛抱強く話す事。
そして、会は、親鸞聖人の名前を掲げたカルト団体だとネットなどで声に出して、注意を呼びかけることではないでしょうか?
 終わってしまった事、カルト教団の運営や資金の使い道を言及して、何か得になることがあるのなら、教えてください。
 もう一度言います。相手はカルトです。まともな事を言っても通じる相手ではもはや無くなってしまっているのです。
 これから入会する人や、MCの会員の事も大事ですが、一日も早く退会して、自分や家族の幸せを一番に考えてください。

投稿: | 2009年8月18日 (火) 13時40分

自分の場合は失った時間を返して欲しいと思っていた。そちらの方がむしろ金より深刻だ。今は幸せだからいいのだが、時折失ってしまったもう一つの人生を夢想するこどがある。

投稿: | 2009年8月18日 (火) 13時47分

お気持、痛いほど分かりますが、私も、今が幸せなので、今出来る事をやって、もっと、もっと人生を楽しみたいです。楽しい事、うれしい事、感謝できる事、感謝してもらえる事などがたくさんの人生にしたいです。会にいたときと全く違った風にこれからは生きていきます。

投稿: | 2009年8月18日 (火) 13時59分

ずっと疑問に思っている事があります。まだカルトの会から逃げていない人はそのカルト性に気がついていないのでしょうか?
 会計報告云々、いつも何とかの一つ覚えのように繰り返す人はまだカルトでも立ち直る余地があるかもしれないと期待しているのでしょうか?カルト団体がはいそうですかと言って、お金の流れを報告するとでも思っているのですか?それとも対策員が、話をそらすための切り札なのですか?
カルトに正論ぶつけても、無駄な事は分かっているはずなのに不思議でなりません。
 それと息子の悪口を言うより、会長を追い詰めて、引退させたほうがいいのではないですか?息子は小心な小者です。会長の七光りがなくなったら、失脚は確実です。隠し金でブラジルあたりに逃げるかもしれませんが。会長のビデオ持って、Hさんと一緒に。これは置いといて。
 助からないカルトの教えだから、やめないといけないのです。
  
 幹部で20年なら、1500~2000万円
     30年なら、2500~3000万円

 交通費、その他諸々活動に掛かった諸経費が消えてしまった事になります。家一軒建ちます。もうこれ以上、カルトの資金源に大事なお金を与えないで下さい。
 今からでもあなたが、家族との今までの時間を取り戻す努力をするなら家庭が、暖かく迎え入れてくれるでしょう。自分の居場所に戻りましょう。
 お金の切れ目が縁の切れ目、献金をしないあなたをカルトは冷遇しますから。困ってもカルトは誰も助けてくれないどころか、自業自得と鼻で笑いますよ。講師たちの悲惨な生活を目の当たりにして、明日は我が身と考えられませんか?自分も貧乏しても恩のある会長にまだついて行くつもりですか?

投稿: | 2009年8月18日 (火) 18時58分

今、自分が何をする事が幸せになれるか、この事をまず考える事が大事ではないかとコメント欄を読み返して思いました。
 何を言っても、人はその人が思うようにしか、行動しないのです。自分自身で「気づき」がないと、こちらが、いくら相手の事を考えて、あれこれ、言っても聞き流し、厚意でした事も反故にしてしまいます。
 なぜなら、どうして、そういわれるのか、そうされるのか、分からないから、反発して、相手を非難までします。相手を思いやる、相手の気持になって考える余裕がないのです。思考は停止したままなのです。
 相手の幸せを考える、私も相手の立場になったらよいのでしょうが、とにかくカルト団体と関わると危ないという事が頭にあります。急がないと大変だと言う考えが先に立ってしまいます。これは反省すべき点ですね。
 何かいうことより、自分が幸せに、機嫌よくすごす様子を見ていたら、今はカルトに迷っている人たちもこちらにつられて、自分のおかしさに気がつくのかもしれません。
 今から、振り返ると、当時異常だった事とかは現役会員にはまだMCから抜け切れていないので、そのままは受け入れる事は難しいでしょう。でも続けていっていったら、いいつか『気づき』があるかもしれません。
 ただ、会に何かを求めるとか、(たとえば会計報告など)現役会員に変わってもらう事とか、会や会長や息子への私怨的悪口は書いてもなにも変わらないのではでしょうか。
 やめた立場で客観的な過去と現在の事実と今の自分の幸せを淡々と語っていくことしかないのかなと改めて思いました。それから、正しい教えと、教えが間違っている事は何度でも書いていったらいいと思います。
 カルト団体の会員でも、本人達は、自分たちのことをカルトだとは夢にも思っていないでしょうし、信心決定するために、苦しい中カルト団体にいやいや我慢して、属しているのですから。

投稿: | 2009年8月19日 (水) 08時06分

口で言うのは簡単です。収支報告がないというのは、犯罪に等しいです。口を酸っぱくして言わないといけない。いってもしかたないではすまない。

投稿: | 2009年8月19日 (水) 23時04分

助かるか、助からないか教え以外はカルトに正当性を主張する事には疑問を感じます。会をすでに去った、去ろうとしている人間に収支報告を会に求める何のメリットがあるのか、どうしても何度聞いても、分からない私に分かるように、納得出来るようにどなたか、説明してください。会や会長がこれからどうなろうと構いません。私たちが、今から、お金を出さず、関わらないだけでいいのではないでしょうか?
 こんな事を言ったら本当に失礼かもしれませんが、正義を唱えた瞬間から不幸は始まるし、議論に勝って、説得に成功出来ることは少ないです。それと「非学者論に負けず」という諺もあります。議論も喧嘩もはしたくありません。むしろ、仲良くしたいのです。
 ただ、会で苦しんだ経験を共有している人たちと一緒に、励まし合いながら、会をはなれる気持になってもらって、共に幸せになりたいだけです。いつまでも、会に固執して、自分から、縛られていたら、幸せは逃げていくような気がすますが、いかがでしょうか?とにかく、カルトから早く離れ、本来の自分自身を取り戻す事が先決ではないかと思いますが。

投稿: | 2009年8月19日 (水) 23時45分

会をすでに去った人と、去ろうという決意が固まった人は
収支報告を会に求める必要がないとも言えます。

とはいえ、会を去ろうという決意がまだ固まっていない人に
とって、自分が「仏法のため」と思って身を削ってした
財施が、会長一族の私利私欲のために使われていたという
事実は、会を去る決意をするための1つの材料にはなると
思います。「会長の判断はすべて正しい」という洗脳に
染まり切っている間は、そういう判断すらもできないで
しょうが、やめるかやめないか迷っている会員が、やめようと
判断する1つの材料として、親鸞会がいかにお金をいい加減に
使っているか、という事実があると思います。

> とにかく、カルトから早く離れ、本来の自分自身を取り戻す
> 事が先決ではないかと思いますが。

そうですね。まったく賛成です。最終的に、会を離れようと
いう気持ちが固まったのであれば、一刻も早くそうするべきで、
収支報告を求めるために会とさらに関わりを持つ必要はないと
思います。

投稿: | 2009年8月21日 (金) 18時27分

これだけ教えが間違っていると言われて、ネットも見ておかしいと分かっているのになぜ退会にまで至らないのか、一つ心当たりがあります。
会に残っている人で、教えは間違っている、だけど次の受け皿がないからやめられないという人が結構多いのです。これを理解するのにはとても時間がかかりました。求めるものが、方向が大きく違っていました。
 助かりたいと、ひたすら、教えのみにこだわって、ほかの会員ともなるべく関わらず、献金も最小限にしてきた私は、教えが間違っていたら、はいさよならが当然でした。
 でも、まだやめていない人たちは正しい、救われる教えでなく、「何か依存するもの」を会に求めていたのです。DVやクスリや麻薬に依存するのと変わりません。本当に酷い目に遭っているのに、なんで続けるの?こう周りがやめるようにいっても聞く耳を持ちません。それだけ、「依存」は心地よいのです。言い換えれば、中毒状態なのです。更に言うと、当の本人たちは、会に癒されているのです。
 これを持っていたら、阿弥陀仏にいつか救われる魔法の「杖」を会は持たせてくれたのですから。会の多くの人は「杖」が離せないのです。会を離れると杖も消えてしまうので、やめるに、やめられないのです。
 でも、何かに依存していないと不安で、生きていけない人たちなので、会を離れても、また何か別のおかしなものを掴んでしまう可能性も大きいです。本人たちは否定するでしょうが、やめた人は過去を振り返ってみたら、思い当たる節があるかもしれません。
 少しずつでもいいですから、自分で考え、しばらく「杖」なしで、一人で求めてみて、自分の納得できる教えや知識を探してください。それと、やめた人の周りは精神的に彼らが自立できるよう辛抱強く接していかないといけないのでしょうね。会より、こっちのほうが楽しいよと見せながら。
 見かけは大人で、社会で働いてもいるし、でも、何かに依存しないと生きていけない人は本当に厄介です。本物の阿弥陀仏の本願に今救われたいと思ってくれたらいいのにね。偽者じゃなくて。

投稿: | 2009年8月21日 (金) 18時43分

出来ない事はしないでしょうし、嘘の報告をしたら、後ろに手が回ります。これだけ言われてもしないのだから、今後することは皆無です。いかに無駄に会員さんたちのお金を使ってきたかもう十分、分かりました。これでも、まだ献金しますか?お金どうなちゃったのと聞き続けますか?もっと、別の事にエネルギーを使った方がいいでしょう?

投稿: | 2009年8月21日 (金) 18時52分

会にやいのやいの一方的に、会計報告を求めるのでなく、各建物の会長の部屋や完成したF館の幻の6階の写真を公開したら会員の目が覚めるかもしれません。百聞は一見にしかずです。録音が出来るなら、会長御殿の写真も見られそうですが。それか、会長の車とか、無駄な贅沢品を写真で見せてくれるとリアルでいいけど。
 でも、やっぱり、会に依存する心があるうちは、やめられないんだと思うね。教えが間違っていようと、会長がどんな人物だろうと、MCの人にはあんまり関係ないみたい。

投稿: | 2009年8月21日 (金) 19時02分

やっぱり、1000万とか3000万とかが惜しいんじゃないかって思えてきたよ。会にいて、会長の話さえ聞いていたらいつかは助かるとか、皆で赤信号渡れば怖くないって感覚だったりかな?根拠のない救いや癒しを会にいることや献金で今も買っているんでしょ?
 会長がどんな悪いやつでも、贅沢しても、ほかに頼る人いないし、離れられないでしょ?貧乏になったり、病気になる様なきっかけで目覚めないと。
 自分が思い込んでいる、自分がこしらえた、偶像の会長と阿弥陀仏に向かっていたら、助からないのにね。

投稿: | 2009年8月21日 (金) 19時16分

誤 惜しいんじゃないか
正 惜しいんじゃないんじゃないか

大事な所間違えました。ごめんなさい!
それにしてもものすごく高い「杖」お互いに買っちゃいましたよね。
でも、そんな役に立たない「杖」はさっさと捨てちゃいましょう。自分で立てなくなる前に。六道に舞い戻る前に。急いでね。

投稿: | 2009年8月21日 (金) 19時27分

もちろん、1000万とか3000万は誰だって惜しいでしょう。
惜しくないと言ったら嘘です。
お金だけでなく、失った時間も惜しいと感じるでしょう。
ただ、失ったお金の返金を求めても返って来ませんので、
それについてはあきらめるしかありませんね。

それまでに捨てたお金が惜しくて、今後もお金を捨て続るのは
愚かです。「これまでにカルトに注いだお金と時間が惜しいから
続ける」のではなくて、「これからもカルトにお金と時間を注ぎ
続けるのはもっと惜しいからやめる」というように、思考を
切り替えましょう。その切り替えがなかなかできずに、やめ
られない人もいるとは思いますので、そこをどうするかですね。

投稿: | 2009年8月21日 (金) 20時49分

何千万円も大金を注ぎ込んでも平気でいられたり、惜しくないと感じる人は、やっぱり、阿弥陀仏の本願がお金で買えると思っている人達だからでしょ?臨終の観音様の救いに安心を求めているかどちらかでしょ?
 でも、カルトに騙された事に気がついた上の人や大部分の退会者も、もちろん私もお金と時間、体力が無駄だったと悔しいとハッキリ、分かりました。
 ただ、今からも、カルトに騙されていると気づかずに献金を続けるのとスッパリ縁を切ってもう搾取されないのとでは大きな違いがあります。
 やめて、客観的に外から見ている人には変で、辛そうに見えても、当の本人たちは安心をお金で買い、みんなで、温泉に入っていい気持になっている気分なのですよ。きっと。自分で気がつくまで、こちらは自分の人生前向きに楽しんで、気がついてもらうのを待つしかないのではないでしょうか?

投稿: | 2009年8月21日 (金) 23時33分

人は皆不安で、何かにすがって生きているのだと感じます。
その不安を解消する手段をカルトに求めてしまったのが、会員たちです。 何かに依存する事でしか不安が解決できないのは、麻薬、アルコール依存者、DVの被害者その他いろいろですが、いずれも心身ともにずたずたになるまでやめられません。死ぬまでやめられない人もいます。
 一人では立ち直る事が難しいので、それぞれ、救済の為の援助グループが出来ているほどです。依存は、それほど、根が深く、簡単にやめられないのが現実です。
 何もお年寄りばかりではありません。若く、外見上、普通に社会で生きている人たちが、依存で苦しんでいます。正確に言うと、依存は一時は心地よいけれど、醒めた時、この世の地獄を味わいます。でも、快楽が忘れられず、また手を出すのです。
 教えの間違い、会長の人格面、会のお金の使い道、その他、依存していない人間から見ると異常な事で、会をやめる理由になる事も、会に依存して、癒しをお金で買い、受け取っている会員にはどうでもいいことなのかもしれないと、現役会員を見て思います。
 豊田商事から、多額の詐欺に遭ったお年寄り達も、騙されたと分かっても、あの人たちは優しかったとか、悪い人ではないと言っていたのを思い出しました。理屈で説明しても当人に分かってもらえないし、カルトの様だとうすうす分かっていても心地よいから、癒されるからと、ずるずる会に所属して、献金を搾取されている人たちにも何とか、阿弥陀仏の本願で救われて欲しいです。

投稿: | 2009年8月22日 (土) 09時10分

なるほど、会をやめられない人は、安心をお金で買っているからかもしれませんね。でも、カルトであり、偽者だから、禁断症状が出たとき、辛くなり、苦しくなり、愚痴が出てくるのかもしれません。
 大体が、阿弥陀仏の本願はお金で買うものではないでしょ?
 でも、カルトに入ってしまって、お金を出すようにうまい事、誘導されて、安心を得たいが為にお金だけでなく、時間や体力そのた、持っているものを搾取され、搾り取られているのが実態なのかもしれません。両者の利害が合致している間は抜けられないのではないでしょうか?
 お金や、ワイロで、安心や弥陀の本願まで買えると思っている事自体、大きな間違いだと、一日も、早く気が付いて欲しいです。

投稿: | 2009年8月22日 (土) 09時27分

なぜ会をさよならしなければならないのか?やめなければならないのか?
カルト団体だからです。教えも出鱈目、会員から搾取したお金を無駄遣いし放題。
 当の会員たちは、親鸞聖人の浄土真宗の教えを聞いているのだと思い込みたいのでしょうが、もう化けの皮が剥れてしまっています。
 これらの事実を知っただけで直ぐ、離れる会員は会への依存度が小さいし、やめてからも、しばらくは、別のところに行こうとも多分、思わないの少し安心です。でも、問題は、何もかも分かっていながら、会にとっぷり首まで漬かって、身動きできない人たちです。
 ぶるうのさん、そして、ここにきている人の誰でもいいので、会に分別もなく、依存しきっている人たちがどうやったら、退会して、ほかを探すでもなく、普通に日常生活を送っていけるか教えてください。ご自身の体験談でも何でも結構です。私の理解を超えている問題なので。どうぞよろしくお願いします。

投稿: | 2009年8月22日 (土) 13時46分

会計報告の必要性云々について話題になっていますが、会計報告するように求めていく必要はあると思います。
これは、会計報告さえ出来ない不健全な団体であることを、明らかにするためです。

マインドコントロールされてしまった人に、何を言っても無駄ですが、そういう人は、おそらく批判サイトは見ていません。
批判サイトを見ている人は、懐疑的または、まだ入会していない、熱心になっていない人ですので、そういう人に対しては、団体の不健全さをアピールする効果はあるでしょう。

だから、親鸞会に立ち直ってもらおうなんて、さらさら思いませんが、1人でも多くの人に、親鸞会の不健全性を知ってもらうために、会計報告を求めていく必要があると思います。

投稿: | 2009年8月22日 (土) 17時29分

おっしゃるようにMCの人たちは活動に忙しくネットは見ていないかもしれませんが、おそらく9割を超える人が教えが間違っている事も、息子の不祥事も、お金の無駄遣いも承知の上で残っています。陰で噂したり、愚痴をこぼしあっています。でもやめない。だから困っているのですが。かわいそうで仕方ないのですが、力不足で何もしてあげられません。
 会に疑いをもって来ている未会員や熱心でない人には、会計報告そのものや報告がない事には関心は少ないと思います。むしろ、会員の献金で始めた、実際のサイドビジネスの怠慢経営やその結果の赤字の額やこんなものいらない建物や絵画などを紹介していったほうが説得力がありそうですが。
 会計について報告しなくなってから、会の幹部も講師もお金の流れには一切触れませんし、いくら働きかけてもなしのつぶてです。これが無駄というもの、あなたが出した献金はこんなものに使われていると知らせたほうがいいような気がします。
 カルトは何も回答してこないので、何か求めるスタンスでなく、カルトから、抜けてほしい側が、明らかにおかしな点を具体的に上げていく事が、縁の浅い人に、入会していない人には訴える効果があると私は思いますが。いかがでしょうか?

投稿: | 2009年8月22日 (土) 19時01分

未だに会員の人に知ってもらいたいのは、親鸞会の親友部員(職員)は、ここ数年間で20人以上増えています。
あんしん弁当等の事業で働いている人でも、会員はほとんどが、親友部員に所属なっていて親鸞会から給料が出ているそうです。
単純に考えて、事業が儲かっていたら人件費をその事業から出さなくては、余分な法人税を払わなければならなくなりますよね。
そこから事業が儲かっていない、少なくとも黒字ではないとわかります。
また、自分の支部を見渡してもらって会員数はどうでしょうか?会員数が増えているなら、親友部員が増えても良いですが、実際は支部の会員数は減っていると思います。
会員数が減っているのに、親友部員が増えているなら、それだけでも会員1人あたりの負担が増えますし、施設が増えた分電気、水道ガス代、維持費等(正本堂にある掃除機一台で30万円近くします)が余計にかかります。
収入が増える(会員数増加)見込みがないのに、無法図に拡大する親鸞会の経営方針を決めているのは会長です。
つまり、会員1人1人の負担が増えても何とも思わない会長です。
私達会員のため、という言葉は、お客様感謝セールと同程度の言葉だと、知ってください。

投稿: | 2009年8月22日 (土) 21時32分

会計報告はカルトとかという問題ではなく、するのは当然です。福井県の学院で金銭について講義する資格はありません。 

それと、ビジネスについてもそうです。高森会長、息子は経営のど素人です。ビジネスは思い付きでやるほど甘くありません。   親鸞会は学院生には反省をさせても、経営やビジネスに反省がまったくありません。 
話にならない

投稿: | 2009年8月22日 (土) 22時16分

華光会が会計報告しているのは知っていますが、
本願寺はしているのでしょうか。
少なくとも、うちのお寺(お西)はしていません。
寄付とかなら本堂に掲示されてますけど、お寺全体の収支報告は
もらったことがないです。
読経の労働対価ならしなくてもいいという考えなのでしょうか。

投稿: | 2009年8月23日 (日) 00時19分

カルトに依存しなくては生きていけない連中は、もう放置でいいでしょ?自らの人生を真剣に生きられない人に何いっても暖簾に腕押し。そう言う連中に求道がなってないと叱責されてたかと思うと腹立たしくて仕方がない。自分は考えることを放棄しなかったからこそ反発して傷が浅いうちに抜けられたが、彼らはそうじゃなかった。MCだから被害者だってのはチト違うだろ。

投稿: | 2009年8月23日 (日) 03時30分

上記の人、小さいな。
助けてやる気概を持ってほしいな。
器のでっかい男になってほしいよ。

投稿: | 2009年8月23日 (日) 09時53分

まあまあ、仲間割れは止めて、仲良くしましょうよ。
所詮、人間てちっぽけで、弱くて、何かに縋っていないと、不安でしょうがないのかもしれません。MCの人たちだけが特別ではありませんから。大丈夫と思っていても病苦や貧乏になったら分かりません。明日は我が身と思って、皆助けたいと必死なんですよ。お互い様って所かな?特に家族は縁がきれないから、厄介で困る。
 それと器の大きい男なんている筈ありません。女ならいそうですが。女性は大地です。かないませんよ。
 親友部の情報ひさびさのヒットでしたね。少しばかり、寒くなりましたね。有難うございました。また、別のもっと強烈なのを、教えて下さい。期待しています。
 そういえば、会の病院どうなっちゃったんですかね?
 対策員が、荒しまくっていましたね。余程触れてほしくないのかとびっくりしましたけど。そういうネタがほしいですね。たとえば、○○医師がこんな事いていたとか、弁護士、会計士がどうとかそういうのが、聞きたいですね。どうせお金どこにいちゃったか尋ねても無視だし。こちらから、赤字ネタをばら撒きましょうね。

投稿: | 2009年8月23日 (日) 19時38分

試しに、会を一度やめてみたらいかがでしょうか?仕事や体調が思わしくないので、また良くなり出したら戻るかもしれませんと言って、少し会と距離を置いてみて、ゆっくりする時間をつくってみて下さい。忙しすぎて、阿弥陀仏に向かえませんから。会の人にはしばらくそっとしておいてほしいので、こちらから連絡するまで、アポは結構と釘を刺すことも忘れずに。
 何も止めなくてもと思われるかもしれませんが、会の外の世界を見るためです。遠慮なく、いろいろな人や団体の話を聞いたらいいと思います。その上で、どうしても、会に戻りたいなら、もう何も申し上げる事はございません。好きにして下さい。試す価値はあると思います。

投稿: | 2009年8月23日 (日) 20時07分

赤字経営で弁当屋やったりするビジネスは、親鸞会崩壊に近づいてるのと同じですね

投稿: | 2009年8月23日 (日) 21時27分

赤字経営を何とかしないといけないなら、経営のプロをとっくに呼んできて立て直してるはすだけど、黒字になったら困る理由があるのかな?儲け出そうという、必死さが見られないのは、所詮、会員の献金でやってるし、つぶれても構わないと思っているのかな?従業員も親友部員がサイドビジネスにかりだされているみたいだし。ほんとにただ働きとか、低賃金とか、残業手当無しとか、搾取が好きなんだね。参ったね。
 そもそも何で、商売などやろうとしたのかも疑問?頭を下げない人が、頭を下げてなんぼの仕事やって儲かるはずないでしょ?
 阿弥陀仏の本願に救われる親鸞聖人の御教えを広める事と全然関係ないでしょ?サイドビジネスは?

投稿: | 2009年8月24日 (月) 17時41分

阿弥陀仏より自分の方が偉いと思っているんじゃないかな?会長は。
だって、生きている人で、私が今まで、見たことある人の中で、一番横柄で威張ってるもの。会長は。
 会にいる時はこの人胡散臭いという直感が、浮かんでくるたび、打ち消していた。たまに聞かされる、阿弥陀仏の本願でかく乱されてしまって。そう人でなく、法によるんだって自分に言い聞かせて。
 でも、止めた途端、世間でも、素晴しい人はたくさんいることが良く判った。井の中の蛙はまさに自分の事。無理に言い聞かせたり、思い込まなくても、偉い人は、凄い人は存在そのまま、文章そのまま感じるものがあるんだってことも。

投稿: | 2009年8月24日 (月) 19時52分

まだやめていない人は、一体、いつまで、生きているつもりでしょうか?このまま会にいて、善に励んでいけば、いつかは、信心決定できるとおもっているのでしょうか?それとも、善をする事でせめて、仮土でもいければと報土往生は諦めているのでしょうか?
カルト団体で、教えもいい加減、トップは私利私欲を求め、会員のことなどこれぽっちも考えていないのに、まだ何を信じるんですか?辛いでしょうが、行動しなければ何も変わりません。

投稿: | 2009年8月25日 (火) 09時00分

誰でも、自分が信じて、何十年もの間、いろいろなものを犠牲にして、やってきた事が、間違いだったと言われたら辛いと思います。
 でも、事実から目を逸らしていても何の解決にもなりません。
 一度、疑いが心に生じてしまったら、それが、本当かどうか確かめるまで、更にもっと辛くなります。
 だから、自分で考えて、いろいろな人の書いたものを読んだり、実際会いに行ったりして、真偽を確かめない限り、真剣に求められないと思うのですが。大事な自分の人生です。本当にこれからも続けていって大丈夫だと確信するまでの、半年か一年、スッパリ会から離れて自分にとって何が大切かゆっくり探してみても、その時間は決して無駄ではないでしょうし、それでも、会に戻るだけの理由が見つかったら、戻ったらいいのではないでしょうか?簡単に会や人に流されてしまってはなりません。
 とにかく、ゆっくり、考える時間を確保したほうがいいと思います。

投稿: | 2009年8月25日 (火) 22時23分

会がカルトであるとは信じがたい方にお尋ねしたいのですが。
 百歩譲って、会が、カルトとではないとしても、心底会長を信じられる、確かなものがあるのでしょうか?あるとしたら、どなたか教えて下さい。私はどうしても会長に対して、何も感じる所もなかったので。30年かかっても。
 対面で信心の沙汰をして貰った訳でもなく、いつも何千人の中の一人でしか聞けず、献金だけ言ってくる人にどうやったら、何千万もお金が、出せたのでしょうか?
 自分でも不思議ですが、それが、カルトのカルトたる所以なのだとやめて、つくづく、思うようになりました。
 会長の話によっても、活動を通してでも、最後まで無常も罪悪も深まっていく感じはなかったですが、そんな事には関係なかったのです。
 阿弥陀仏の本願は今の救いですから。真宗は今、どんな人でも、救われる教えですから。無常、罪悪が、深まるのを待っていたら、親鸞聖人の平生業成で無くなってしまいます。
 教えが間違っていたから、私のような縁の浅いの者は会にいては救われないと退会しました。後悔はしていません。正しい教えを説いている方はたくさんいますし、御著書があります。
 会の多くの人が思っているように、無常、罪悪を掘り下げていったその先に、延長上に弥陀の救いがあるのではありません。
 少しずつ、貯金のように、コップの水が、溜またら、横の線を進んいったら、助かるようなそんな本願ではないのです。誤解を与えるようにしか説けないなら、そんな人は善知識でも何でもありません。
 

投稿: | 2009年8月26日 (水) 20時35分

自分だけは教えを正しくわかっているつもり

まだ会をやめていない会員の特に長年求めている講師や会員に多いと思います。これだけ方々から、教えの間違いが指摘されているのもかかわらず、なぜ重い腰を上げないのか考えてみました。
 自分だけは教えを正しく聞いているという、自負があるのです。根拠のない思い込みとでも言ったらいいのでしょうか。特に、大講師試験に合格してしまった人は要注意です。頭では平生業成で今助かるし、無常罪悪の先の救いではない事など自分はわかっていると思っています。
 でも会長の話は9割5分が諸行往生、善の勧めです。残りの少しに、申し訳程度に今、この場で信心決定出来ますよと話をするものだから、また、わかったつもりに逆戻りです。会長の話は間違っていないのだと、またいすに腰掛けてしまいます。楽ですから。
 頭は今救われるとわかっていると思っていても、実際の言動は諸行往生です。信心決定しない限りわかったということはありえないのです。でもうぬぼれが強くて、自分が間違っているとは思えないのです。思いたくないのです。
 車でのバスでも行き帰りで阿弥陀仏のことが話されないのもほかの人は仏縁が薄いからで、自分はお勤めも欠かしていないし、阿弥陀仏を尊く思っていると思い込みたいのです。
 阿弥陀仏に対して、それほど深い思いがあるなら、ほかの人に阿弥陀仏の本願の素晴しい事を話していくはずでしょ?そうしないのはわかっていないからだと思います。

投稿: | 2009年8月27日 (木) 08時28分

その通りかもしれません。このわかったつもりがMCされた人たちの正体なのでしょう。
 この人たちがやめていないから、まだ、大丈夫と警報機がなり続けているのに、煙が出ているのに、会員の多くは、何事もないように思えるのでしょうか?崩壊は近いのですよ!逃げないと間に合いませんよ。自分の頭で考えて、冷静に、自分だけは大丈夫と思わず、もう一度疑ってかかっていく事が大切です。

投稿: | 2009年8月27日 (木) 08時40分

本当に、わかったつもり、思い込みというのは、(先入観とか、偏見とは違うと思います)その状態に気が付いて、打ち崩すのに大変な努力が要りますね。
 何の根拠もないのに、会長以外に正しい教えを説いている人がいないと思い込んでいました。そう信じ込まされていました。
 何の疑いもなく、教えを正しく説いていないし、質問に答えていない本願寺に座り込みに行きました。『本願寺なぜ答えぬ』を読み解く教学がありませんでしたし、なんとなく、理論に無理があり、筋が通っていないと感じてはいましたが、いちいち確かめるのは面倒で、会任せにしていました。
 お寺で、念仏唱えているお年寄りを馬鹿にしていました。本願寺の中にも真の教えを説いている人がいて、阿弥陀仏に救われて御恩報謝の念仏だったかもしれないのに。自分たちは後生の一大事の解決という崇高な目的で求めているのにと念仏を唱えている人を見下していました。その方が、どうして、唱えているかなどと考えもせずに。ただ、救われてもいないのに、有難がっていると決め付けて。実際自分では、念仏を唱えようともしなかったくせに。
 もちろんダミーサークルでも活動していました。何の疑いもなく。良い事をしていると信じきっていました。本やアニメも売りに行きました。
 破邪顕正の名の下に、多くの人に間違った教えを説く人の話に誘ったり、実際会場に連れていきました。そして入会までさせてしまいました。
 本当の教えをその一人一人に話に言って、お詫びしたいのですが、会があることない事吹き込んでいて聞いてもらえないのと、その人たちに迷惑がかかるので、やめてくれたら、会いに行こうとじっと、黙って、待っています。ここに書き込む事で読んでくれたらと思って、たまにコメントしていますが。
 会長に騙されて、利用されたにしても、もっと早く自分の頭で、考えたら良かったと、今更ながら思います。そしてせめて、、今まで、自分が伝えてきた間違った教えでは助からないので、生きている限り、お詫びして、訂正していきたいと思っています。本当の親鸞聖人のみ教えをお伝えしたいと思います。大して教学もないので、自分の知らされた範囲で。方向だけでも。

投稿: | 2009年8月27日 (木) 18時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 投稿:どうしたら自分が本当の幸せになれるか、考えてください。 | トップページ | 急激に進む精神の劣化 »