高森会長が抱いた『歎異抄をひらく』の妄想
親鸞会講師部員のMakino Hiroshiさんの運営する「辛口!真宗時評」に珍妙な記事がアップされたのは7月16日のことでした。
曰く「平成20年3月『歎異抄をひらく』が発刊されてより、「歎異抄」の解説書は一冊も見ていません。それまでは年に10冊以上、発刊され続けた歎異抄解説本が、パタッと止まってしまいました。」ということ。
実際には、『歎異抄をひらく』以降の歎異抄本は、Amazonで取り扱っている書籍だけでもこれだけあります。
歎異抄 (ちくま学芸文庫) 阿満 利麿 (文庫 - 2009/5/11)
現代語 歎異抄 いま、親鸞に聞く 親鸞仏教センター (単行本 - 2008/7/18)
初めての歎異抄―親鸞との出会い 山崎 龍明 (単行本 - 2009/6)
現代語訳 歎異抄 水野 聡 (単行本(ソフトカバー) - 2008/8/26)
人生を豊かにする『歎異抄』 高城 俊郎 (文庫 - 2009/8/4)
歎異抄を歩む 渡辺 郁夫 (単行本 - 2009/7)
よきひとのおおせをかぶりて―(能邨英士選集) 能邨 英士 (単行本 - 2009/5)
ただ念仏して―親鸞・法然からの励まし 菱木 政晴 (単行本 - 2009/2)
『歎異抄』の唯円とその周辺―ひとつの唯円擁護論 杉浦 銀策 (単行本 - 2008/11)
歎異抄略註 多屋 頼俊 石橋義秀・菊池政和 (単行本 - 2008/6/30)
歎異抄講義 (信楽峻麿著作集) 信楽 峻麿 (単行本 - 2008/5)
新訳 歎異抄―わかりやすい現代語訳 松本 志郎 (単行本 - 2008/7)
このことは「辛口!真宗時評」コメント欄でも指摘されていたようなのですが、Makino Hiroshiさんは「ならば30冊以上あげてみろ」「『歎異抄をひらく』を真っ向批判した本がない、という意味だった」というほとんど誰も理解できない屁理屈を振りかざして反論し、結局答えに窮したのかエントリ自体を削除してしまいました。貼ってある画像はGoogleのキャッシュから取ってきたものです。
京大出身の賢い(はずの)Makinoさんが、10分も調べればわかるのにどうしてこんないい加減なことをブログに書いたのか不思議でしたが、元は高森会長の妄想から生じた話ということがわかってきました。
高森会長は「本願寺が異端者扱いした人間の出した解説本が歎異抄のテキストになりつつあるのを黙ってみているはずがない」「しかし月に1冊ペースで出ていた歎異抄の解説本が、『歎異抄をひらく』以降はピタッと出なくなった」などと語っていたとのこと。またその「お言葉」が各地の会合で紹介されているようです。
『歎異抄をひらく』が歎異抄のテキストになっているなんて親鸞会以外では聞いたことがないですし、解説本が出てない云々については先にあげたとおり。中には『歎異抄をひらく』以前に企画された本もあるかもしれませんが、「ピタッと出なくなった」と言わせるこの人の頭の中はどんな素敵なお花畑なのでしょうか。
この老人は外向きには「ひとりゆく毀誉褒貶はまかせたり」といって非難攻撃をものともしないような事をいっていますが、東本願寺派との一件もあるように、誰かに認めてもらい、褒めてもらいたくて仕方がないのでしょう。親鸞会を立ち上げて50年、どれだけ本願寺を意識してもまるでかまってもらえなかった哀れな人間のたそがれを思うと、少し切なくもありますね。
『なぜ生きる』を出版したときは、「SK作戦」と銘うって信者や職員を総動員して強引にベストセラー入りをさせましたが、そのときに買った本は在庫として山のように積みあがりいまだに行事のたびに記念品として配布されています。
歎異抄のテキストになりつつある(?)『歎異抄をひらく』も早速記念品として配布が始まっているようです。15万部売れたと宣伝されているようですが、果たして一般の人が買ったのはそのうちどの程度なのでしょうか。
それにしても脳内のお花畑を根拠に自慢話をして、それに付き合わされる会員はたまったものではないでしょう。しかし中にはMakinoHiroshiさんのように何も調べずに鵜呑みにしちゃう無邪気な人もいるので、お花畑は自分の妄想の中だけにしまっておいてもらいたいものです。
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コメント
そのブログの件ですが
7月21日付けの記事
アニメ「親鸞さま」の紹介動画がリニューアル ってのがありましたが、
先ず本願寺のHP、紹介動画について書いた上で、
最近は、本の紹介でも、動かないものより、動くもの、静かなもの
より、音や声が出るものが、人気のようです。
と親鸞会関係の書籍紹介を掲載しています。
本願寺の紹介動画については団体名を出して記載していますが、
親鸞会関係の書籍紹介についてはHPを見ても出版社名しかわからず
関連団体がわかりづらくなっています。
これだと知らない人が見れば本願寺関係の書籍と誤認しかねるんじゃ
ないかと私は思います。
悪くとれば本願寺の方から来ました詐欺的な悪意を感じました。
投稿: 元学徒H | 2009年7月22日 (水) 14時02分
最近退会致した者ですが、入会時に先輩方が
「仏教の有名な先生」
「東大の名誉教授(笠原一男氏)が教科書編集の時に指導を受けた先生だ」
と得意そうに言っていましたが、多分、会長はそう言われたくて仕方なかったのでしょうね。
コンプレックスの塊の俗物ジジイで、イエスマンばかりをかき集め、真摯に意見する人の首を斬る、このカラクリに気が付いた人は皆離れて行きます。そして会長とイエスマンたちは離れた人を聞法の敗残者、信仰の奇形児、シロアリ呼ばわりします。気持ち悪いですね。
今の親鸞会を見ると、敗戦前のナチスか文革末期の中国のようなものです。崩壊は目の前です。
目覚めましょう、そして逃げ出しましょう。
投稿: 元幹部K | 2009年7月22日 (水) 17時35分
やることなすこと全てが妄想じみてて、笑えますね
投稿: | 2009年7月22日 (水) 20時25分
高森さんの書いた本がベストセラーでほとんどが会員が買い占めたとは呆れてものがいえない。名誉のためか?悪い噂が立つだけだろう。親鸞会に何を言っても無駄だが、ただのバカとしかいえないな。今の会員なら、正本堂なしでも十分に賄えるだろうよ
投稿: | 2009年7月22日 (水) 20時46分
ここまで言われて悔しくないのでしょうかね。
間違いがあれば、名誉毀損で告訴して当然なのに、
なにもしないってことは、すべて事実と認めた証拠ですね。
これに反論する(例、「学徒は誰も見ていない」)人は、
ぜひ!支部長さんに、こんなデタラメ書いてるHPがあるって
直訴してください。
投稿: | 2009年7月22日 (水) 21時49分
「 なぜ生きる」「歎異抄をひらく」どちらも、感動したというたくさんの講師、会員の新聞等の感想に対して、「ほんまかいな?」と覚めた目でいたのは間違いではなかったと、阿弥陀仏の本願に照らし合わせて読むようになって確信するようになった。皆必死になって、線を引いたり、栞を挟んだり各自、信仰が進んでいると他人に思われたかったんだね。今は、これらには、線引きも、栞も不要だとハッキリ言える。
会長は、果たして真実信心を獲ているのかも疑問。ただの詐欺師という疑いもある。仮に、信心があっても、学問の研鑽を60年間も怠って、衣食住を貪ることに、名誉や地位を求める事に、人生費やしてきた為か?この程度の本しか出せなかったのは?
信心については、阿弥陀仏と本人以外わからないけど。痴呆が進んでいるのかもしれないけど、人格的にも大いに問題ありと、暴露合戦が盛んだし。まさかの晩年だね。今からでも遅くないから、死ぬまで、必死になって、償えることを考えて、していったら、許してくれる人も出てくるかもよ!因果の道理、廃悪修善散々言ってきたでしょ?ご自分でも実践しないと!
教えも間違い、そこから派生する本も自己満足、組織はぼろぼろ、意味のない建物を次々建てて、会員に献金募って、嫌気がしてきた会員は次々に退会。どうする気?もう打つ手はないんじゃないの?
投稿: | 2009年7月22日 (水) 21時54分
削除されたエントリでmakino氏は以下のように書いていました。
> 自説を修整することは、決して悪いことではありませんので、
>どうこうは申しません。
自説を修整することは、決して悪いことではないと言うmakino氏が、なぜ自説の誤りを隠蔽するようなマネをするのでしょうか?
他人には立派なことを言っても、自分は全く正反対のことをする。
どこかのカルト宗教の会長と同じではありませんか?
投稿: | 2009年7月22日 (水) 22時16分
あほらしい。顕正新聞はもちろん前向きなことしかのせないが、同朋の里のことしかのせなくなったね。
インターネットを見るなって言っても見ますよ。次から次と仏教と関係の無いものを、不必要ものをたてるし、会員が嫌気をさして次から次に退会。当たり前ですね。親鸞会幹部がまいた種です。退会続出。教えてくださった通りです。
投稿: | 2009年7月22日 (水) 22時43分
昔、アニメ頒布ってあったけど、社会人の会員がやってたけど、あれって副業だろ?
投稿: | 2009年7月22日 (水) 22時46分
インターネットは親鸞や高森先生だけですぐに検索できる。カルト対策も進んでるから、学生会員獲得は無理。インターネットを見ない年配の人は会員増えてもお金が無い。
今の親鸞会では、将来親鸞会に進む人は、会員の親御さんくらいで一般家庭の人はまず無理だね
投稿: | 2009年7月22日 (水) 23時11分
>『なぜ生きる』を出版したときは、「SK作戦」と銘うって信者や職員を総動員して強引にベストセラー入りをさせました >が、そのときに買った本は在庫として山のように積みあがりいまだに行事のたびに記念品として配布されています。
昨年、歎異抄をひらくの発刊に際し、当たり前のように、また献金を募ったが、50万も支払った。ホントにバカだったよ。
50冊記念品で本をもっらたが、どうするんだよ!!
貰う者の立場に立って考えろって!
なんか、いい処理方法があったら教えてくれ。
投稿: | 2009年7月22日 (水) 23時40分
私は親鸞会を辞めたときに、売れる本はBOOK・OFFで売った。
おんなじ本は売れないから、数回にわけて、10件以上回ったなぁ。
けれど、全部で千円くらいにしかならなかった。
歎異抄をひらくは、講師部や職員は毎月1人3冊ずつだったか買ってるらしいぞ。はぁ、阿呆らしい。
投稿: | 2009年7月22日 (水) 23時50分
何冊も買うのは、ベストセラーにしたいだけだろ。 オレも何冊も売りに行ったなあ。金にならないのは仕方ない。捨てるのももったいないしな。一冊あれば十分だ。けど売りに行った。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 06時50分
宗教に対する偏見があるのは昔からだし、オームなどとは異なる浄土真宗の教えの本になぜ浄土真宗S会会長の肩書きが出せないのか?IさんにしてもS会専任講師と出来ないのか?疑問でしょ?会のことを多くの人にしってもらうチャンスでしょ?やっぱり、売って稼ぐ為だったんでしょ?
ダミーサークルもハッキリS会との関係を初めから学生に言っていたら問題ないでしょ?もちろん人は集まらないでしょうが。
結論から言うとやっぱり、金集め、人集めだったんでしょ?世の中そんなに甘くないよ!MCはいつか解けるし、お金が無くなったら、やっぱり考えるし、思考停止も長くは続かない。言論封じなんかしてたら、愚痴が溜まって、悪口言って会を去っていくだけ。
現役の会員の人、今なんだよ!考える時間作って、逃げないで、向き合うんだよ!現実と。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 12時59分
俺は売るだけじゃあ気が済まないから、捨てたよ。
こんな本、店頭に並ぶのも腹が立つし、阿弥陀様に申し訳ないと思ってな。
早く、この世から親鸞会がなくなることを願って止みません。
投稿: 元会員x | 2009年7月23日 (木) 15時27分
一体、誰が会がこんな風になるのを望んだの?
会長だろうな。臨終までメッキが剥げない計算だったのだろうけど。インターネット恐るべし。
皆が、自分の言いなりになる事に味をしめて、いい気になってきたけど、息子の例の事件を握りつぶした事が逆に息子の発言権なり、会の中での立場を揺ぎ無いものにしたのかもね。
失敗だったね。助けなきゃ良かったのに!結局、息子家族が幅を利かせている、今の住まいに会長が居づらくなって、F館の最上階の秘密の豪邸に逃げるように引っ越す必要まで出てきたようだし。献金させられる会員は家庭の不和まで面倒見させられる訳だ。
全くの無駄!皆、食べたいものも、着たいものの、マイホームも我慢したり、諦めたりして、献金してるのにね。
でも、こんなに訳の分からない滅茶苦茶してくれたお蔭で、教えがおかしい事も分かったし、経済的にも行き詰まって、崩壊カウントダウンになったし、これもひとえに弥陀の有難い御加護と感謝しないと。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 17時22分
BOOK・OFFに持っていけない、親鸞会名義の売れない本は、まとめて資源ごみに出しました。
仏様の教えが説かれていないので、ごみで充分と判断しました。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 17時42分
俺もネット情報で真実がわかって脱出できたし、どんどん
情報をあげていって欲しい。
そうすれば、まだ善根が残っている会員は助かる可能性あるし、
ふざけたブログなどどんどん嘘や隠蔽など姑息な手段にでて
仏法から外れていく。そして崩壊。
俺も一度は人生をかけようと思った会がこんな体たらくに
なってるのは。本当に悔しい。
だからあえて崩壊を自分の目で確かめて、人生を総括したい。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 18時13分
>『なぜ生きる』を出版したときは、「SK作戦」と銘うって信者や職員を総動員して
>強引にベストセラー入りをさせましたが、そのときに買った本は在庫として山のように
>積みあがりいまだに行事のたびに記念品として配布されています。
SK作戦(笑)、なつかしです。
私もよく毎週、本屋に並んで決められた冊数を買いました。
購入推奨店と呼ばれるランキングに反映される書店が、幹部にメールで案内されて
いましたね。「SK作戦はこの本屋でおこなえ!」と。
まったくつくられたランキングでした。
各都道府県、各本屋によって購入すべき冊数がすべて決められ、
計算された活動でしたよ!
その結果、各地方の事務所には山のように書籍が並び、親友部員が段ボールづめしている
姿をよくみかけましたよ。全部、本部会館に送ってましたね。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 20時35分
>その結果、各地方の事務所には山のように書籍が並び、
>親友部員が段ボールづめしている姿をよくみかけましたよ。
>全部、本部会館に送ってましたね。
その買い占めた本、
まさかまた、チューリップ企画が集めて売ったりなんかしてないですよね?
そんなことしたら犯罪ですしね。まさかしてないですよね?
投稿: | 2009年7月23日 (木) 21時13分
その書籍は、本部近くの倉庫に埃まみれでたくさん置いてあるから大丈夫ですよ。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 21時19分
かつて自分が属していて、これこそ真実だと思って話を聞きに行っていた所の教えが間違っていて、その結果、傾いていくのは辛いものだけど、こちらが失ったものも多くてもっと辛い。未だに会に属している家族が友達がこれを見ていたら、いや見て欲しいと思って書き込んでいるけど。何でなんだろう?もういい加減気付いても良くない?会長の化けの皮は剥れたんだよ!ほかに行くところがなければ、しばらく休んでゆっくり捜せばいいでしょ?少し休みませんか?
思い返すと、おかしなことに加担してきたよね。親を欺き、ダミーサークルに友達を誘い、チラシ、ビラ、ポスターで人を誘い、本やビデオを売りに行き、それらを買い取り、いろんな建物や、いりもしない絵画や地下道まで作ってやって。何やってたのかな?何だかな?
投稿: | 2009年7月23日 (木) 21時59分
僕が親鸞会がおかしいと思い始めたのは、正本堂ができてから。仏教と関係の無い、壁画だとか地下道建設です。善知識がいうことだからとは関係ないだろう。これらのお金は会員さんの貴重な浄財なんです。 だから親鸞会を辞めました。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 22時32分
なんか、ワクゴックていってましたが、
いまのS会はまさにそれですね。
在籍していたことが恥ずかしいです。
投稿: | 2009年7月23日 (木) 22時47分
教えが間違っている、その教えがIさんやOさんの合成だった事を知ったときは愕然とした。K報、Hに向かって、などの著書や歌などがパクリのオンパレード。H戦のご褒美で葉書がもらえることで頑張ってきたのは何だったの?
そんなに教学がある凄い先生と思われたかったの?愚かな、自分では何も調べない会員だと見くびって来たの?会員も成長するんだよ!そんな会にいた中にも、阿弥陀仏の本願が真だから、信心決定する人は出ているんだよ!いつまでも信仰の幼稚園と会員を見なし、自分の持ち駒とか打ち出の小槌のように利用できない事を思い知って欲しい。
うらみ、憎しみ、後悔の時期は過ぎ、今は汚い罵り、悪口でなく、事実を淡々と言っていくことで、現役の会員さんに訴えていこうと書き込んでいる。早く会から離れて、自分の正しいと思う道を力強く生きていかないと。今からでも遅くないから。
投稿: | 2009年7月24日 (金) 07時37分
高森のジジイはインターネットの恐ろしさを嫌ほど味わっている
ことだろうよ。いい気味だ。親鸞会の崩壊を見届けてからお亡くなりに
なるといい。
投稿: | 2009年7月24日 (金) 12時02分
そう、親鸞会の教学は完全な合成なんだよね。
会長はその事実を隠しつつ、自らの解釈として語ってしまった。
よく戦時中の話で
「特攻隊に志願して、終わってみれば騙されていたことに気づく」
なんて言ってるけど、彼の頭の中には戦争が強烈な原体験として、
焼きついたのかもしれないね。
日本中さえ騙されることがある、嘘も本当になるってね。
強烈なコンプレックスというか、不信のようなものがあって、
そういうのを原動力として、自己を高めていったような気がしてならない。
だって「祖師は紙衣の九十年」「石を枕に寝られた」と聖人について語る人が、
どの口で、沖縄のアイスクリーム食いたいとか、御報謝にも相場があるなんてことを言えるよ?
会報や著書だって、そう。O氏やI氏から学んだ教学なら、最初から
引用です、って言ってれば今頃になってパクリだのと騒がれることもなかったはずなのに。
どうしてそれをしなかったかって言うと、だったらO氏やI氏から話を
聞けばいいやってことで人が離れて行くから。
彼にはそれが出来なかった、というか許せなかったんだね。
会長は行動と言動を、完全に分離させられる人だよ。
そういう意味では、帝王学を学んだS価学会創設者ほどじゃないけど、よく似た気質を持ってるね。
投稿: | 2009年7月24日 (金) 15時58分
本の倉庫代も会員の献金から出てるんでしょ?いい加減にしたら?自分の名誉欲満たす為にお金出させるなよ!本出すたびに献金の要求があったけど、倉庫代の為の捻出の分だったの?倉庫解約して、会館、正本堂、チューリップ、法輪閣、同朋の里の会長の部屋や空いてる部屋に入れときなよ。空いてる部屋はたくさんあるはずだけど。使っていないアリーナの半分を倉庫にしておいてもいいし。名案でしょ?
1円だって余計なお金は使って欲しくないんだよ。無駄遣いはやめなよ!浮いたお金は交通費が厳しい海外や遠方の会員さんに回したら?
皆、苦しい中細かく節約して、ない中献金してるのが、馬鹿みたいじゃないか!人のお金を一体なんだと思っているんだ!
教えがおかしいから、やる事なすこと皆おかしくなってくるんじゃないの?最近の新聞は教えなんて突っ込まれるから書けなくて、、Fの献金ばっかだろ?もうおしまいかな?
投稿: | 2009年7月24日 (金) 19時20分
会員さんは本当に苦労されてる。高森先生は苦労というけど気分屋のよぼよぼじいさんだわ。
投稿: | 2009年7月24日 (金) 22時17分
確かに、S会の教学が合成であると知ったときもショックだったけど
実際に、K会のM氏のDVDを取り寄せて見てみてさらにショックを受けた。
完全に会長が分派したことが分かる。いったい土蔵秘事とそれに類する
団体というのは何だったのか?正直自分もK会のことを一緒になって謗
ってきたけど、(勿論K会が絶対正しいとはまだ言い切れないけれど少
なくとも土蔵秘事では絶対にない。)自分が獲信していないからM氏に
対してものすごいコンプレックスがあって、絶対に自分の弟子は渡さな
いという思いでやったんだと思う。自分がK会の出身だからそれを隠そう
という単純な理由でなく、Mさんに面と向かって法論しても絶対に勝て
ないと思ってるんじゃないのかな。
K会のDVDをS会の会員に見せたら、如何に会長がうそつきで卑劣な奴
かがはっきりすると思う。
投稿: | 2009年7月24日 (金) 22時29分
そもそも、この本は誰に向けて書かれたものなのか?その辺が疑問?
入門書なのか、信仰を求める人向けのものか良く分からない本だ。歎異抄が人気があるので何匹目かのドジョウを狙って出したのか?どうせ会員が献金するから、今のうちに出してしまえという類も物か?よく分からない?少なくとも誰かを信心決定まで導けるような代物ではないと思う。
肝心なところの表現が曖昧で、あやふやだし、何が言いたいのか分からない。続きは富山の小杉でということなのか?でも、今の説法では本の発刊時よりどんどん話がおかしく、痴呆は進むと考えられるので無理。
もともと、借り物の合成の教学な上にボケが入ったら訳が分からなくなって当然じゃないの?
自分の人生、80歳の直に話した事もない、自分と家族の事しか考えられない人に預けてもいいの?助かりたいのなら、まずいったんリセットして、知識選びからしてみなよ。信心の沙汰を対面で納得いくまでしてくれる人は探せばいくらでも居るはずだし。手間を惜しんじゃいけないよ!
投稿: | 2009年7月25日 (土) 09時18分
痴呆は医学的には治らないといわれるが、治るというより、環境の変化でかわります。しかし今の会長では無理でしょう。
なぜなら、会員とあおうとしないからだ。
投稿: | 2009年7月25日 (土) 11時59分
親鸞会創設以来、会長は本願寺、他宗、他宗教に対して、激しい批判の姿勢をとってきました。
あまりにも激しくそれらの信仰を憎み、批判するので、絶対的な真実を心底確信しているからこそ、まわりの人たちを扇動して、破邪の利剣を振るうという名の活動を、これまで続けることが出来てきたのだ、と思ってきました。
しかし現在、K光やO氏の著作との関連に対して、それらの諸問題に対して、会員の前で、過去の真実に対して正面から向き合っての顕正作業は、何ひとつなされていません。
この期に及んで、他人の批判はするけれども、俺の批判をするのは勘弁してくれよ、なんて許される問題じゃないでしょう。
現在でも、この問題をもみ消そうとしての妨害工作が延々と続いていますが、姑息な手段を行使することで、何とかなるだろうという行為を目にする度に、これまで組織がとってきた行為との矛盾が感じられて、幻滅するばかりです。
投稿: | 2009年7月25日 (土) 17時02分
歎異抄11条以降も詳しく解説すべきでしょうに。
親鸞会教学は、歎異抄11条以降で異義とされる種々の異端教義に当てはまる部分が多い。
投稿: | 2009年7月25日 (土) 19時58分
親鸞会以上に、弥陀の本願をひろめてくれている会もないから、困ってるんだよね。
どうか、阿弥陀さま。お釈迦さまのような完璧な善知識を派遣してください。よろしくお願いいたします。
投稿: | 2009年7月25日 (土) 23時24分
本気でそう思ってるの??
親鸞会が弥陀の本願を正しく説いているとでも?
親鸞会にいようと思わないならば、本気で善知識求めてるならば、自分で善知識を探しなさい。今はネットもあるし、いくらでも自分の力で探せるはずでしょ?
投稿: | 2009年7月25日 (土) 23時40分
もったいぶらずにお勧めの方の名前を堂々とあげほしいな。
それが、親切というものです。
おじいちゃん、おばあちゃんにもわかるように、親切、丁寧に。
賢い人じゃないと、聞けないようではダメです。
投稿: | 2009年7月25日 (土) 23時46分
>親鸞会以上に、弥陀の本願をひろめてくれている会もないから、困ってるんだよね。
>どうか、阿弥陀さま。お釈迦さまのような完璧な善知識を派遣してください。
>よろしくお願いいたします。
親鸞会がどんな批判受けているか、しっている?
もうちょっとネットとかみたほうがいいよ。
O合学友部長も、「最近の学友部では、活動的な将来、幹部になるような素質のある
学生が入部しても、ネットで調べてすぐにやめてしまう。残るのは閉じこもっている
ような、元気のない暗い学生ばかりだ」と嘆いていましたので。
北朝鮮の人が「金日成将軍様以上に、世の中で必要とされている人はいない」と
言っているみたいなものですよ。世の中を知らなさすぎ。まあ、知らされていない
とも言えるが。
でも、今はネットが普及しているから、親鸞会のことなんてしらべればすぐに
わかるでしょう。
がんばってね。
投稿: | 2009年7月25日 (土) 23時48分
世の中に、心の広い人が増えることを望んでいます。
上記のような返答は、自分さえよければという心が垣間見え悲しくなります。
弱者の立場にたてる度量の大きい人間になってくださいね。
人の痛みのわかる思いやりのある人間になっいただきたいものです。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 00時02分
大沼氏がすごすぎですよね。
高森氏も、何だかんだいっても、多くの人に影響を与えました。
高森氏を縁に、弥陀の本願を知らされた人のいかに多いことか。
よくも悪くも、両氏を超えるような影響力のある人は、なかなかあらわれないでしょうね。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 00時08分
元親鸞会の人にこそ、言いたいのですが、退会してからは、なお品のある温かみのある言動を心がけてほしいのです。
表現、言い回しが、非紳士的だと、説得力がなくなってしまいます。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 00時17分
会長は、熱烈なK光シンパだったのかもしれない。
「B敵」を読んで感動して、自分を「B敵」の作者と重ね合わせて、同一化させた。
「B敵」に続き、同じ作者の「A心調べ」を読んで、本願寺をはじめとする教界諸氏に対して、批判するだけではあきたらず、変革していかなければならないと燃え上がるまでにいたった。
I氏と同じ表現で信心を説き続け、I氏の著作から信仰表現を自分の著作に転写して発表したのは、I氏の信仰の実践者という意識があったからだろう。
財施と布教という、善を強調する変革運動を続けていくうちに、組織はK光よりも膨れ上がっていった。
ネットの普及により、K光に自分と同じ信心の兄弟、姉妹がいることを指摘された。
一転して会長は、I氏もK光も知らないといいきり、かっての恩人達と完全に決別宣言をした。
I氏やK光から多大な影響を永年に渡って受け続けてきた事実があるのだが、I氏やK光のことを知らないと、矛盾した発言をしている。
真実とされる会長の信心と、ある時期を境にして化城とされるに至ったI氏の信心の真仮の水際について、疑問を氷解させる説明は、いまだになされていない。
ネット対策員は何も疑問を待たずに、その問題をもみ消してしまおうと、命じられたままに、撹乱工作を続けている。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 00時25分
O合さんが嘆いているとおりですよ。それが実態なんです。学友部長が10年以上変わっていない。まさに親鸞会が人が育っていないのをあらわしてます。有能な人はやめてくしな。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 00時40分
でも、大沼氏や伊藤氏の著作や説法をそのまま受け入れて成りきっても、あれだけの人をひきつけるだけの説法は、誰でもかれでもできるものではないと思います。
迫力、熱意があり、人の心に響いたからこそ、多くの人が弥陀の本願を求めるよになりました。
おじいさん、おばあさん、普通の人たちにも、真宗をまがりなりにも、わかりやすく説いた功績は事実だから、そのすごさは、素直に受け入れなくてはなりません。
親鸞会でも、真に弥陀に救われて亡くなっていったかたも結構いらっしゃると思います。
だから、阿弥陀さまのなされることがよくわからなくて、凡智の私を困惑させるのです。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 00時40分
親鸞会で救われたのではなく、華光会時代に救われた人ばかりですよね。親鸞会50年の中では、皆無に近いですね。救われたと言っていた人は何時の間にかいなくなるし、救われて会の中で布教しようとしていた人は除名になるし。
影響力の大きさと言いますけど、大したことないでしょう。明治以降の真宗改革者達の方が多くの人を集めてましたよ。親鸞会では教えてませんがね。
多くの人に影響を与えた功績と言うなら、世界中に仏法を弘めた池田、若いのに政党まで立ち上げ映画も上映された大川とかいう人物の方がはるかに上ですよ。会長よりも本はずっと売れてますし。もちろんこの2人を私は全く評価していませんが、会長もそのレベルですよ。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 04時40分
何故人を頼るのでしょうか?知識選びは、真剣な聞法を重ねて、この人の話では無理と卒業した人がするものです。信仰がそこまで行っていないから、誰かいい先生いないかな?いたら教えて欲しいな?位にしか思わないのです。
もし、力を出し切る、必死な聞法を重ねていったら、会長の焦点の定まらない、眠い話では満足できないときがきます。まだ会長崇拝が解けていないから、教えてくれなど、とぼけた事が言えるのです。
今信心決定したい人は、誰に言われなくても、自分で捜します。捜さずにはいられなくなります。実際私もそうでした。信後の方はたくさんいました。ネットでも直ぐ見つかります。しかしながら、相性があり、こればかりはどうしょうもないのです。自分にあった人でないと。まだ自分で捜す気が起きないのは信仰が会長と波長が合っているのでしょうから、何も申し上げることはございません。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 07時43分
昨日もういい加減に、会や会長の実態を知って欲しいと家族に意を決して話をしましたが、あまりのいい加減さに腹が立つやら、情けないやらびっくりしていまいました。20年近く求めてる人なのですが。
時間、お金、体力費やして何をしているんでしょうか?会の中のサークルの延長でしか、皆となんとなくでしか求められない人なんだとがっかりしました。自分の問題になっていないんです。
いくつか質問をしましたが、あまりに人を馬鹿にしているというか、呆れてしまったのですが、どなたか、こんな人には、こう言ったらいいということがあれば教えてください。
1 死んでだら、お釈迦様も、善知識方も六道輪廻と教えていらっしゃる事をどう思うか?
聖人の和讃や教行信証の切り取った文の数少ない無間地獄に行くと言われて箇所を出して正しいと主張する。会の教学に毒されているし、それしか言えないのは哀れでした。
2自己の悪の姿が知らされるところばかりに、目が向き、本当の悪である疑情、自力に目が向かないのではないか?
阿弥陀仏に向かった事がないから、阿弥陀仏を疑うことの恐ろしさが分からない。どうしたらこの疑いが晴れるのかと、泣き泣き求めた事が無いから話が噛み合わない。
それから、問題になっているはずの悪に対してもいい加減で自分勝手な解釈をしていました。20年求めてやめた人の投稿もプリントアウトして見せましたが、何とも思わないと言っていました。
会長が本願寺に放火しようとした事は自分の家に放火されたのでないから構わない。ビックリです。
本のパクリも真実を知らせる為だから構わない。気にならない。次々に勝手に建てられる建物も必要。
ダミーサークルも仏教を知らせるために必要。教学講義も皆が出られてめでたしめでたし。
IさんたちK光を土蔵秘事とイニシャルではハッキリ言っているかは分からない。
Iさんの葬式に行かなかった事が悪いと思うなら会長の葬式にはいくつもりかとまで言われたときには切れかかりました。会長もIさんMさんに対して今の私のように思っていたのでしょか?だから葬式に行かなかったのかもしれません。でも直接の師弟関係と一会員では立場が全く違います。
結局、何も考えていないんです。真剣に今この場で助かろうと思っていない。この事が良く分かりましたが、家族なので放っておけず困っています。求める気がない人にはどんな事を言ってもだめなのでしょうか?まじめに相手をするのがほとほと嫌になり、どっと疲れました。会の人はこの程度しか考えていないのでしょうか?それとも自分の家族だけがおめでたいのでしょうか?今日も早朝富山に一人出かけていきました。20年近く聞いていてもこの程度です。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時03分
それは、うぬぼれだと思います。
あなたも家族も五十歩百歩です。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時11分
親鸞会で救われた人は、皆無というのは、間違いでしょう。
結構いらっしゃいます。
けこうと同様に。
真実の信心か、どうかは他人のうかがいしるとこころではありませんが。
また、大沼氏は、すごいですが、著作が、だれにでも読み続けられる状態になってないので、残念です。
その点では、影響力は、小さかった。
それを伝えてくれた高森氏がいたから、我々も弥陀の本願を知ることができたのも事実。
盗作によるから、なんとも言えない気分になるけど、親鸞会の人の多数は、特に年配の方は、それほど気にもとめないでしょう。
唯一救われる一本の道、形は、どうであれ、弥陀の本願を伝えているのですから。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時16分
創価学会や、幸福の科学などは、規模が大きくても教えに魅力はありません。
弥陀の本願とスケールが違いすぎるからです。
親鸞会の人は、いにかいさないでしょう。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時17分
善知識を自分で探せという人がいますが、これも無責任で冷たく感じます。
おそらく、救われてないからでしょう。
ほんとに苦しんで救われたなら、言わずにおれないはずです。
ひとを赤の他人としか思ってないのでしょうね。
すべての人を自分の親子兄弟だと思って温かいまなざし、思いやりで接するよう心がけてほしいものです。
高森氏より、誰々さんがいいよと、公言できないのは、残念です。
情けないような気がします。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時21分
私は、ネット検索が好きですから、上田、島田、キヨモリ、宮田、近藤、けこう会関係、コウバイ氏、そのほか、無名の救われている人の著作なども知っています。
ただ、どれも、自分の家族を自信をもってお連れできるようなレベルに達してないように思います。
残念ですが、これが事実です。
大沼氏の著作を、わかりやすく伝えている高森氏のアニメや著作のほうが、年寄りにはわかりやすいです。
この事実をみなさんもしっかりとまず、受け止めてほしいのです。
釈尊のような、仏様がもういちどあらわれてくれれば、いいのですがね。
もちろん、今の親鸞会は、友人知人を堂々と、自信をもってお連れできる会ではなくなっておりますが・・・
悲しいことです。
しかし、アニメや著作は、入門書としては、秀逸だと思います。
親鸞会にとってかわるような人、会は、まだまだないので歯がゆいのです。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時28分
高森会長の影響力って、どれ程だろうか。
数ある宗教団体の中でも、親鸞会の規模は中小の団体に入る。
創価学会、顕正会、本願寺と比較すると、信者数なら数百分の1程度だ。
浄土真宗においても、その名を知る人は少ない。
知っていても、カルトの親玉という程度の認識で、真宗においても無名。
親鸞会にいると、高森会長が世間に少しでも影響力を持っていると勘違いするが、
それは大本営発表によって刷り込まれただけだと思う。
しかし、私という個人に対して与えた影響は絶大だった。
大学4年間を含めて、人生の貴重な時間が、まったく犠牲になった。すべてが狂わされた。
そして、すべてが嘘だらけだったと知ったときのショックは、他に比較しようがない。
高森会長は、ごく一部の人間に対してだけだが、絶大なる悪影響を持っているのは事実だ。
だから、この世から親鸞会を排斥しなければならないのだと思う。
投稿: 元会員 | 2009年7月26日 (日) 09時38分
>それから、問題になっているはずの悪に対してもいい加減で自分勝手な解釈をしていました。20年求めてやめた人の投稿もプリントアウトして見せましたが、何とも思わないと言っていました。
>会長が本願寺に放火しようとした事は自分の家に放火されたのでないから構わない。ビックリです。
>本のパクリも真実を知らせる為だから構わない。気にならない。次々に勝手に建てられる建物も必要。
>ダミーサークルも仏教を知らせるために必要。教学講義も皆が出られてめでたしめでたし。
>IさんたちK光を土蔵秘事とイニシャルではハッキリ言っているかは分からない。
会の人は、ほとんど上記のような心情だと思います。
ここで、退会してるひとが言ってるようなことは、ささいな取るにたりないこと、小さなたわごとにしか聞こえないと思います。
なぜなら、すばらしい弥陀の本願をそれだけ、わかりやすく高森氏が伝えてきたということなのですから。
弥陀の本願が光を放ちすぎているのです。
だから、私は、真の知識があらわれてほしいと願っているのです。
親鸞会で聞いている人にも、やはり弥陀に救われて本当の幸せになってほしいですからね。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時39分
>高森会長の影響力って、どれ程だろうか。
数ある宗教団体の中でも、親鸞会の規模は中小の団体に入る。
創価学会、顕正会、本願寺と比較すると、信者数なら数百分の1程度だ。
>浄土真宗においても、その名を知る人は少ない。
知っていても、カルトの親玉という程度の認識で、真宗においても無名。
親鸞会にいると、高森会長が世間に少しでも影響力を持っていると勘違いするが、
それは大本営発表によって刷り込まれただけだと思う。
社会に対する影響力などは、どうでもいいのです。
ただ私が思うのは、今現在、高森氏の著作や、アニメ、とどろき以上に、わかりやすい弥陀の本願の入門書は、見当たらないということです。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時43分
> ただ私が思うのは、今現在、高森氏の著作や、アニメ、とどろき以上に、わかりやすい弥陀の本願の入門書は、見当たらないということです。
すでに、高森氏の教えていることは、弥陀の本願に反し、浄土真宗の教えを破壊するものであることが、色々なサイトで指摘されていますね。わかりやすいなら、教えを曲げてよいのであれば、「念仏となえて死ねば、極楽往生できる」というのが、一番わかりやすくて良いと思います。
高森氏の導きで、信心決定した人もあるとのご指摘ですが、これだけ教えを曲げていても救われるなら、どこの寺で聞いても救われるのではないでしょうか?
わかりやすいという理由だけで、内容は浄土真宗とは異なる教えを求めるのは、如何なものでしょう?
投稿: ? | 2009年7月26日 (日) 09時51分
本当に皆々様が弥陀の本願に救われて、にっっこり弥陀の浄土で再会したいものですね。
地球上の全ての人が、平等に弥陀に救われて幸せになっていただきたいばかりです。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時53分
高森氏の教えは、たとえていうと95%合ってるんじゃないかな。
だから、救われても不思議じゃない。
実際、ネットで指摘されてることも些細な部分で大勢には影響しないしね。
「念仏となえて死ねば、極楽往生できる」というような感じは、たとえていうと10%あってる。
だから、それを聞いて救われる人は少ないんじゃないかな。
そんなふうに私は思いますけど、いかがでしょうか。
いくら信心決定した人でも人間である限り、100%完璧には、弥陀の本願説けないでしょう。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 09時58分
2chからの引用です。
これだけでも、90%以上は間違っていると思いますが…
親鸞聖人 信心決定できなければ、六道輪廻する、もしくは化土往生する人もある。高森会長 信心決定できなければ、無間地獄に必ず堕ちる。
親鸞聖人 法に依りて人に従うのではない。
高森会長 自分に絶対服従せよ。
親鸞聖人 本願の「若不生者」は、当益の意味である。
高森会長 本願の「若不生者」は、当益の意味は全くない。
親鸞聖人 往生のために善をする必要がない。
高森会長 往生のためには、まず善をしなさい。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 10時07分
上記の指摘は、正しくない、いまいちピントはずれと思います。
誤解もあるように思います。
センスのいい人、勘のいい人なら、高森氏の教えは、90%正しいと評価すると思いますよ。
2chで90%間違ってるという人にも、かなりの思い違いがあると思います。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 10時15分
高森氏は一切衆生必堕無間だから、その解決をすることが仏教の目的と説きます。これ1つを目的に仏教を求めるというわけですから、最も大事な点です。
ところが、親鸞聖人は、この一切衆生必堕無間を否定されています。
死ねば六道輪廻し、自力の念仏を唱えるものは化土往生すると説かれています。高森氏の教えの根幹を、親鸞聖人が否定されています。
高森氏は、弥陀の本願の目的である、「生まれさせる」を「信楽に生まれさせる」と解釈し、当益(浄土に生まれさせる)という意味は全くないと説きます。
ところが、親鸞聖人は、この「生まれさせる」は「浄土に生まれさせる」としか、説かれていません。弥陀の本願の目的も、高森氏の教えを、親鸞聖人は真っ向から否定されています。
この2点だけでも、ちょっとセンスの良い方なら、90%以上間違っていると判ると思います。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 10時23分
大事なのは、弥陀に救われるか否かですよね。
ですので、高森氏や大沼氏の教えでも、救われると思います。
むしろ、必堕無間のほうが一般の人にわかりやすい。
六道輪廻やケドというと、あまっちょろいし。
親鸞聖人の著作の真意を正しくわかってないような気がする。
若不生者にしても、そう。
親鸞聖人の著作の真意を正しくわかってないような気がする、田中氏は。
というわけで、説得力に欠けるんですよね、2chでの高森氏や大沼氏の教え方に対する批判は。
少なくとも私は、そうです。
決して高森氏や大沼氏が完璧とは思わないけど、それ以下のレベルの人が騒いでも説得力がないということです。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 10時35分
さるにでも分かるように弥陀の本願を伝えてほしいのです。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 10時37分
みなさん仰っている通り、この人と名前を挙げてお勧めできる人はいないのは事実ですが、それらの人の中でも、会長よりはましな人もいます。相性もあるので、コンタクトを取って、一度どんな事を言っているか聞いてから、判断してもいいかと思います。
学生のときサークルで縁があって、会長の話しか聞いたことがない人はなお更、先入観を捨てて、ほかで聞いたら、違いが分かると思います。何で、信心決定もしていないのに、会で教えている事が正しいと言い切れるのかが、一番疑問です。会しか知らないのに、その自信はどこから来るのか分かりません。事実、会長の側でいた人で会長の人格を誉めている人はいないし、建築、アニメその他の取引した業者の人が会長の人柄に感動したことも聞こえてこない。悪口ばかり言われている。仏縁を結んだ人も聞いていない。子飼いだから、ほかの人の意見は聞けないのかもしれないけど、少し考えてみたほうがいいでしょう?多分、会長の自信に騙されているのだと思いますが、詐欺師は人を欺く事がうまいですから。
信仰が進んで、会長の話ではだめだと思った人が余りにも少なく、かえって会の擁護をする側に回る人多いのだという現実を目の当たりにして、厳しいものを感じました。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 10時51分
高森さんの教えで救われる人なんて、本当にいるの?
投稿: | 2009年7月26日 (日) 10時57分
私は、親鸞会の今の状況や活動姿勢には、たいへん批判的です。
ただ、盗作ということもあるのですが、高森氏の著作やアニメ、過去のビデオ法話でも、ただ今、弥陀に救われるということはあると思います。
それだけ、弥陀の本願が尊いからです。
だからこそ、新しい善知識があらわれて、あの立派な正本堂なりで、説法してほしいのです。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 11時03分
>>親鸞聖人 信心決定できなければ、六道輪廻する、もしくは化土往生する人もある。
>>高森会長 信心決定できなければ、無間地獄に必ず堕ちる。
>>
>>親鸞聖人 法に依りて人に従うのではない。
>>高森会長 自分に絶対服従せよ。
>>
>>親鸞聖人 本願の「若不生者」は、当益の意味である。
>>高森会長 本願の「若不生者」は、当益の意味は全くない。
>>
>>親鸞聖人 往生のために善をする必要がない。
>>高森会長 往生のためには、まず善をしなさい。
>
>上記の指摘は、正しくない、いまいちピントはずれと思います。
>誤解もあるように思います。
>センスのいい人、勘のいい人なら、高森氏の教えは、90%正しいと評価すると
>思いますよ。
指摘のどのへんがピントはずれ、誤解だと思いますか?
分かりやすくおしえてください。
ただ、誤解だ、ピントはずれだ、と言っても、分かるように
説明できないのなら説得力がないですよ。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 11時43分
> 私は、親鸞会の今の状況や活動姿勢には、たいへん批判的です。
具体的に、どんな点が問題だと思われますか?
投稿: | 2009年7月26日 (日) 12時29分
善知識が出てきて欲しいのは、誰の為ですか?自分の為?会員さんの為?なぜか人事のようにしか聞こえてきません?もし今、本当に、自分自身、疑情が出てきてそれを晴らそうと必死になっている人なら、別に大勢の中で聞く必要はないでしょう?むしろ一対一の対機説法を望むはずです。
ただ、誰でもいい訳ではなく、阿弥陀仏に疑情を晴らしていただいた事のある人から聞いたほうがいいでしょうし。教学もあったほうがいいし。
救って下さるのはもちろん阿弥陀仏ですから、誰の話を聞こうと構いませんが、それこそ本人の趣味の問題でしょうが、それに巻き込まれる家族の事を考えたら、有効にお金、時間、体力を使ったらといいんじゃないですか?という事です。マイホームも団欒もゆとりも諦めて命かけるほどの会や教えではないと言いたいのです。要らない建物や壁画に献金することはやめましょう。
頭では散々聞いてきたのでしょうし、後は阿弥陀仏に向かって、自力を捨てさせていただくだけでしょ。そのこと一つ勧めて下さる方を探し当てて下さい。自分の力で、今行動を起こしてください。阿弥陀仏が必ずあわせてくださいますから。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 12時53分
20年近く聞いていたら、社会人として働いているんでしょうが、家族の苦しみなど分からない人なんでしょうね。厳しい事を言うようですが、会の人にありがちな自分さえ信心決定できたら、家族は後回し、きっと分かってくれると家族に甘えているだけでしょ。
その人、大学で卒論書かなかったんでしょうね。きっと。指導教官に厳しく引用について指示があるはずですから。自分の卒論と会長のパクリは切り離して考えるのか、良く分かりません。
一番分からないのが、放火をしようとした人物を許して、ついていける感覚です。それが、事実という事は何人もの人がK光のMさんから聞いています。私も聞きました。たしか会長自身も説法の中で放火しようとしたと言っていた記憶があります。そんな人だから、息子が仏教と関係のない暴走族時代の自慢話を説法でしても注意しないんでしょうけど。
果たして会長が、信じるに値する人物か否かもう一度冷静になって、考えてみる事を勧めても、MCは怖いですね。感覚が麻痺してしまう。上の2つの例だけでも胡散臭いと一般人なら思いますよ。
それに、会長は、自力が問題になった人に対面で話してくれるのですか?よく関東の同行の話でいまなら、電話もあるといつも言ってるでしょ?信心決定してもらおうと、信心の沙汰をしてくれないでしょ?もはや会長に期待できるものは何もありません。
あなたが、幸せそうに楽しくしていたら、きっといつか知らされるときがくるかもしれません。これしか言えず済みません。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 13時25分
救われる間近は、余程仏縁の深い人でなかったら、自分も救われているか、教学に明るい方に、個人的に信心の沙汰を何回もして頂いて、自力が間に合わない事を教えていただかないとなかなか、信心を獲るのは難しいと思います。ここを見てる人は初心者じゃないでしょ?もう会に頼らず、皆言っている様に相性があるので、自分で少しでも早く、教えて下さる方を捜し始め、見つかるまでは、聖人の御著書を読んだり、とにかく、阿弥陀仏に向かって、自分の心を見つめていったらいいと思います。私もそうしました。弥陀の御加護で必ず探せば見つかりますから。諦めないで。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 14時01分
親鸞会のやり方には問題点が多いことは認める。
しかし高森氏がO氏I氏のパクリだと批判されつつも
真実を説いてくれていたおかげで私は仏法に出会えた。
高森氏がいなければ私は真実を知らされなかっただろう。
高森氏以上に真実を明らかにしている人を私は知らない。
こういう考えの人がいるけど、考え方が逆さまだと思う。
むしろ高森氏の教えが真実どころか問題点だらけだからこそ、
いろいろなやり方の問題や批判が生じてきたわけで。
パクリでも真実であればいいと言うけれど、丸写しで本書いて
それを自分が書いたもののようにして威張っている時点で
言論空間から抹殺されてしかるべき恥ずべき行為だし、
それは自分で本が書けるほど仏教を勉強していない証拠ですよ。
一般的に見て悪いことをしている人の言っていることに
一体誰が耳を傾けるの。「真実」を伝える人がすることじゃないです。
「先生は小難しい論文など書いて学者連中に認められる暇があったら、
一人でも多くの人を済度する為に布教に出る」
こんな風に擁護する人もいるだろうけど、
ちゃんと勉強して論文書いて、真宗の学者たちの間でも一目おかれて、
なおかつ布教はインターネットで無料で配信して、
仏法を求める人たちとは積極的に会って同じ目線で話をして、
多くの人から信用される努力をする事だってできるわけでしょう。
それをしないでパクリ本を書いて、無理やりに自分を善知識に
祭り上げさせて、執拗な献金を迫り、狭い蛸壺みたいな空間で
自己満足の布教をしていること自体、真実の法とは無関係だと思いますよ。
少なくとも人を幸せにする法ではない。
結局、自分で幸せになろうとする手間と努力を惜しんだから
親鸞会に嵌まってしまったんだと私は思っています。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 15時25分
20年近く聞いているなら、会長先生の言うことには間違いはないと思っています。
だから、もし本当に説得したいと思われるならば、1つ1つ丁寧に、高森会長の教えを否定する根拠を、親鸞聖人と他の善知識と呼ばれる方々から出さなければなりません。
私達が高森会長は断章主義と思っている以上に、相手も世間一般の教えを断章主義と思っています。それを、ハッキリ否定しなければなりません。
例えば、親鸞会の問題点をいうにしても、世間一般的にはどうか?親鸞会員と世間のズレ、また、親鸞会が正式に反論しないおかしさ等、多角的に答えなければ、会員とは喧嘩しても噛み合わないと思います。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 15時28分
親鸞聖人の正しい御教えを教えてくださる方を教えて欲しいという方が多いので、私自身の事をになりますが書きます。でも一人一人信仰や好みご縁が違うので、参考にはならないと思いますので、あくまで自分のやり方で知識選びはして下さい。
長年聞いている中で、弥陀の本願を疑う心が出てきて、どうしたら疑いが晴れるか、この事一つ聞きたくなったけれど、会長の話は初心者向けなのか、疑情を晴らす話は全体の1割未満。因果の道理、善の勧めで終わってしまって、全く自力に触れない時もあり、知識選びを始めました。
以下順不同で自分が会ってきた人についての感想を書きます
小さな会の代表者。人の信心は分かりませんが、誠実な感じの良い方でした。子どもさんや専属の講師の信心は?という評判。代表者としか会っていないのでほかの人のことはノーコメントです。書籍を求めましたが、会長のパクッた種本に思えました。でもここでは求められないと思いました。変なものをつかんでしまったら大変という予感がしました。
元講師の方は会のトラウマから抜けられない気がしています。教学もほとんどが会で習ったものでしょうし、会をつくったり、話をして、お金を貰う事で生計を立てる事自体が嫌だったので、たとえ信心決定していたとしても、また会にいたときと同じ思いをするのは御免だったので距離を置いています。
本願寺の僧であり、某大学の先生。紳士的で温厚な方で、教学も特に間違っているとは思わなかったけれど、自力の心を晴すためにの過程が曖昧で、信心が不明でした。
ブログのNさんは宗派が違うし、ブログの言葉遣いに違和感があるのでお聖教の根拠だけ原文で読んでいます。
会に今は属していない妙好人。お世話になり、信心の沙汰を幾度もしていただいて感謝していますが、生き方、考え方、方針のずれの幅が広がってしまい、離れました。
今でも、一緒に喜べる方があったら、話を聞きたいし、したいし、探してもいますけど、この期に及んで、我慢してまで合わせようとも思いません。ここに挙げた方たちとは距離を置いています。別に縁を切った訳ではありませんが、仏教の話はしていません。
このように、信心があるかないかは大事ですし、教学もあった方がいいですが、やはり、自分がその人の話が聞きたいか、気持ちのよい付き合いが出来るかどうか、それぞれの感じ方、ポリシーで異なると思います。完全に合う人を待っていても会えないかもしれませんから、次善の策の選択もありかもしれません。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 19時32分
何でおかしいと思いながら、何十年も会から離れられなかったかと考えてみました。
信仰が進んでいなかったから。この事に尽きると思います。何が自分の一番聞きたいことかが、分からなかったので、何だかしっくり来ない説法でも我慢できのかもしれません。でも過去の事実は変わりませんが、どなたかもっと自分の聞きたい事を話してくださる方にお会いできなかったのか悔やまれます。探すことを、思いつくほど、困っていなかった自分の責任ですがね。
生活する事で精一杯で、その上、月3回の富山行きで、ほかの事を考える余裕がなかったから。少し余裕が出来て、会以外の友達も出来て、話をするうちに、何だか自分は間違った方にいっている気がしてきました。余りにも世間の感覚とずれている事に次から次へと気が付いてきました。聖人の教えは在家の教えで普通に生活していて助かる教えなのに金集め、人集めの手伝いを半ば強制的にさせられている事に気が付きました。
したくない事、嫌な事が会の中にいると感覚が麻痺してしまって、流されてしまっていました。
例えば、ぶるうのさんが除名になったいきさつの話を同じ日に2回もそれも全く同じ話を別の講師から聞いたとき、何だか可笑しいな話と思いました。焼肉を食べた仲がどうのこうのというのなら、何で除名にするのだろう、しっかり話してあげたらいいのに、こんないわれ方したら、戻りたくなっても戻りにくいんじゃないのかな?いろいろ思ったことは思いましたが、頭がそれ以上働きませんでした。
振り返ってみると異常な事ばかりですが、渦中にいる人には分からないのかもしれません。かつて自分がそうであったように。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 21時49分
一緒にした仲間といえるような行動が、焼肉程度しかなかったんだろうなぁ、余程組織でギチギチで、仲間と言えない状況だったんだろうなぁ、と今さらながら、思います。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 21時54分
親鸞会がおかしいと気付くのは、自分が追い込まれたときだと思います。じゃなかったら、パンしか食べないとかおかしな生活を送りませんよ。教えもおかしいが、組織に問題ありといいたい。はたから見てもわかるでしょう。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 22時09分
一歩離れると、おかしいことに気付きます。昔は、大学生が親に仏教の話をして一緒に聞く人もいたでしょうが、今はいないでしょう。親鸞会の行動には腑に落ちないことが多いです。 完全に布教の概念から外れてますから。
投稿: | 2009年7月26日 (日) 22時28分
これだけ、ブログで大々的に書かれていることを知りながら、会員がネットを見ない事を信じて嬉しそうに話をする誰かの顔が脳裏をかすめました。本当におめでたい。それを誇らしげに頷いて聞いている会員さんご苦労様です。何でも、自分で確かめないと騙されちゃうよ。いろいろなもの搾り取られちゃうよ。自分の身は自分で守らないとね!
投稿: | 2009年7月27日 (月) 00時23分
そういえば、「なぜ生きる」のSKをやっていたときに、
40万部出たときに、SKで購入したのは半分くらい、
と聞きました。
話してくれた講師は、半分も実際に購入されているんだよ、
というつもりだったようですが、私は、半分しか売れていないんだ、
と少々ショックを受けたのを覚えています。
20万冊買うのに、かかる費用は3億円ですか。
建物を1つ建てると思えば、安いものでしょう。
今回の歎異抄は、実際には何冊売れているんでしょうね?
投稿: | 2009年7月27日 (月) 00時45分
会のほかの事を知らない会員さんが、とりあえず分かりやすく教えているのが、会のものだから、子どもに本やアニメやビデオ御法座を見せていると聞きましたけど、違うんじゃないですか?一番大事なのは本人の仏縁になるか否かでしょうが。
あのK光のMさんの子どもさんは4つかそこらで信心決定したと聞いています。また、知り合いの子どもさんは6歳で信心決定されました。それらのお子さんに、会の関係のものを与えたらご縁が深まったかは疑問です。かえって邪魔になったかもしれません。知り合いのお子さんは、会長の話がしっくり来なくて、何度も親にもう自分は会長の話を聴く必要はなくなったと直訴したかったけど、怒られると思って言えなかったとの後述談を残しているくらいですから。おそらく、会の教えでどうこうというより、もともと仏縁が厚く、阿弥陀仏に対する気持ちが、並ではなかったのでしょうが。
どうせ自分の信仰や教学までしか、言えなかったり、書けなかったりするけど、それがたとえ子どもでも、会の間違った教えを与えるのはよくないし、次善でもない。それより、自分のほうが聖人の教えに近いと考える人は、自分でレジュメや文章書いて人に伝えたほうが、スッキリしていいと思います。
投稿: | 2009年7月27日 (月) 00時57分
4歳や6歳で信心決定ですか…
信心決定の意味を判っているのでしょうか?
投稿: | 2009年7月27日 (月) 13時55分
この世で一番不思議な事は凡夫である人間が阿弥陀仏の本願で一念で信心決定させていただく事です。子どもが救われても少しも不思議ではありません。本願を信じて、疑情が晴れたら、自力がすたったら信心決定出来るのですから、不可能な事ではないでしょう。
モーツアルトは幼い頃から作曲が出来、演奏旅行をしています。現代のアメリカや中国では小学校低学年の年齢で大学で学んでいる子どもはたくさんいます。ただ、回りにそんな例がないからといって、幼い人の信心を疑うのはいかがかと思います。
会の人は、聞法を重ねる事で合点まで行って、無常、罪悪が段々知らされていって後生に驚きがたって、信心決定できるという青写真が頭の中に出来上がって、そのようになろうと日々活動しているように思いますが。三願転入としても同じように仏縁が善をしていく事によって厚くなり、徐々に真実の自己の姿、罪悪が知らされ、念仏にすがって獲信いうパターンです。
Oさんのパクリの縦と横の線の弊害と思われます。コップの水が段々溜まっていって信心決定できるイメージを持っていたとしたら、その思い込みは、捨てたほうがいいでしょう。会にいるとき阿弥陀仏の本願を疑う心が、どうしたらなくなるかということを話す人は皆無でした。疑情、自力についても同様でした。少なくとも私の周では。
真宗は信疑決判の教えです。どんな悪より弥陀の本願を疑う疑情が悪いと教えられて、そのために六道輪廻から抜けられないと教行信証に聖人も教えられています。お勤めの最後にもあります。歎異抄にもあります。
この事一つ理解できれば、難行苦行も要らない易行の教えで子どもが、助かる事は十分可能でしょう。大人は先入観などで、難しく考えすぎて子どもより、信心決定がかえってしにくいかもしれません。
投稿: | 2009年7月27日 (月) 18時15分
信心決定に年齢は関係ない。
投稿: | 2009年7月27日 (月) 18時48分
>例えば、ぶるうのさんが除名になったいきさつの話を
>同じ日に2回もそれも全く同じ話を別の講師から聞いた
>とき、何だか可笑しいな話と思いました。焼肉を食べた
>仲がどうのこうのというのなら、何で除名にするの
>だろう、しっかり話してあげたらいいのに、こんな
>いわれ方したら、戻りたくなっても戻りにくいんじゃ
>ないのかな?
焼き肉って笑えるね。恩着せがましいというか、タイヤキ
に御礼状をもとめる光晴さんの考えそうなことですね。
結局、一人ひとりの後生なんて言っても口先だけで、
会内での保身しか考えていないから、批判者は排除しよう
という動きにしかならないのでしょう。
あんな会をいまだに信じているみなさんが、本当に滑稽で
あわれです。
投稿: | 2009年7月27日 (月) 21時14分
> 4歳や6歳で信心決定ですか…
> 信心決定の意味を判っているのでしょうか?
これを書いたのは私ですけど、4歳で信心決定できるのか、なんて問題にしてませんよ。
4歳の子に「信心決定」の言葉の意味が判るかということを書いたのです。
信心決定の言葉の意味を知らない人が、「ボクは信心決定した」と言っていても、その子がイメージしている「信心決定」は、親鸞聖人が信心決定と仰ったものと違うわけですから、異安心ということになります。
「信心決定」を別の言葉に置き換えても、同じことです。
信心決定している可能性がゼロだとは申しませんが、極めてゼロに近いのではないかと思われます。
そういう4歳の子を「この子は信心決定した」と紹介できる感覚は、私には理解し難いのですが。
投稿: F | 2009年7月27日 (月) 22時05分
一念で救われる教えが信じられるなら、可能性はゼロではないでしょう。あなたが信心決定されていたり、されたらそういうこともありえると思うのかもしれません。実際Mさんのお子さんや6歳(年長か小1)の方にはお会いしてはいませんが、おなかの中にいるときからなら、5~7年です。その頃から、四六時中、自力は間に合わない、弥陀の本願に早く救って頂いて下さいと両親に聞かせてもらう縁があった子どもさんなら十分ありうる話でしょう。
投稿: | 2009年7月28日 (火) 00時38分
親鸞聖人や耳四郎のような例もあります。仏縁は過去世からのものです。たった一度のご縁で救われる事があっても少しも不思議ではないと思います。親より仏縁が深い子どもが生まれてくる事も十分考えられます。だから、年齢でなく、その人の信仰に相応するご縁を親は選んでやるべきだという意味と思いますが。K光でない方のお子さんは会長の話では満足出来ないところまで信仰が進んでいたのではないでしょうか?
事実は確かめようがありませんが、Mさんと奥さんが信心決定された後、お子さんが来たなら、毎日、阿弥陀仏や仏教を聞く御縁は大いにあったと思われます。残念ですが、会長の家とは大違いです。
投稿: | 2009年7月28日 (火) 02時30分
何回も書いていますが、4歳や6歳の子は獲信できない、ないて書いていませんが。4歳や6歳の子が「信心決定」という意味を理解しているのか、と書いているのです。
信心決定の意味を理解していない人が、「信心決定した」といっても、何の参考にもなりません。
どんな人でも信心決定する可能性があるという観点でいうなら、東京の街中を歩いている人の全員が、信心決定している可能性があります。そういう人を、「この人は信心決定している」と紹介するのですか?
信心は外見では判らないとは言われますが、他人に紹介するなら、それなりに信憑性のある人を紹介するものではないでしょうか。
私はK会に悪意はありませんが(むしろ親鸞会にいる人には、親鸞会よりK会に行ってほしいと思っている)、このような書き込みを読むと、K会で信心決定したと言われている人は、こういう信憑性の低いレベルで言われているのではないかと疑ってしまいます。
投稿: F | 2009年7月28日 (火) 08時03分
また議論になるのは嫌ですし迷惑です。なので人の信心をどうこう言う前に、どんな人も一念で救う弥陀の本願に例外はないし、一日も早く信心決定して、幸せになって、自分で、信心決定がどんなものか体験されるのがよろしいでしょう。
誰かが書いているように、会の人は、教学をして、まず合点を通ってからというところから、離れられないのではないですか?自分でおこす信心ではないし、弥陀から賜るものだから、誰でも出来ると思います。
それと6歳のとき信心決定したお子さんは会長の話を聞いていたかも知れませんが、その後K光で聞いたとは書いていないような気がします。K光の宣伝ではないと思います。
また、K光を擁護している訳ではないので、誤解しないで欲しいですが、Mさんの奥さんは会長の話を聞いて信心決定したということです。K光は会館が住まいになっているので、両親から、お子さんは、赤ん坊の頃から何時でも仏教が聞けると環境にいたことと、思いますが。6歳の子どもさんもそうですが、大学のとき4年聞いた人よりも、法施を浴びるように、それも対機説法で長く聞いていた可能性が大です。むしろ信憑性は高いのではないですか?世界には小学校に入る年に大学で学んでいる子どももいるということですし。
偏見や先入観で弥陀の本願を計らってはいけないでしょう。年齢、性別、境遇あらゆるものを超えて救って下さるのですから。
もちろん、学齢前後に信心決定できる人は本当に少ないと思いますが、過去世から類稀な仏縁があり、真実の仏教を話してくれるたり、聞ける環境を与えてくれる親を選んで生まれてきた尊い子どもさんもあるのでしょう。わが子にそこまで法施をされた親御さんも尊いと思います。私たちも、疑ってばかりいるだけでなく、見習わせていただきたいものです。
投稿: | 2009年7月28日 (火) 08時59分
もともと、子ども、お年寄りというカテゴリーに個々の仏縁を考えないで、押し込んで、それらの人の入門には分かりやすそうだから、と会のものを与える人に考えたほうがいいという内容じゃなかったですか?よその子どもさんが信心決定しているかどうかを信じるか否かは、それぞれの考えでいいのではないですか?むしろ良かったと喜んであげるくらい心に余裕があってもいいのでは?議論しても何の得にもならないと思います。お子さんがある人なら、その人が信心決定出来る様に、見習って、ご自身で話をされるご縁にされたらいいでしょう?
それより、むしろ、死後が一切衆生必堕無間地獄か六道輪廻か?善で助かるか、阿弥陀仏の本願を信じる一念で助かるか?というような事を間違わないように、全ての方に正しく伝えていく事が大切ではないですか?これだけでも、その人の人生に大きな違いが出てきてしまいます。
会長が世間向けに出している本は廃立がぼやけて、何が言いたいのか分かりにくいですし。まあ、会員向けの本もパクリの継ぎ接ぎで、話が流れず、読みにくいですけど。
投稿: | 2009年7月28日 (火) 12時53分
死後は六道輪廻だし、信心決定のために修善は要しない。
仏教を学んでいて、間違う人なんていないと思いますが…
投稿: | 2009年7月28日 (火) 16時17分
仰る通りですが、周りの現役会員は死後の無間地獄に怯え、会長の言う事を忠実に守って、借家に住み、生活を切り詰め、食べるもの、着る物、余暇を我慢して、富山詣でで、体力もすり減らすような暮らしを、喜んでしている人が多いです。家族の反対もお構いなし、自分さえ話が聞けて、地獄を回避できたらという我利我利亡者さながらの人もいます。
信心決定してもいないのに、六道輪廻など生温いとか、自己の姿が知らされていないなどと自信一杯に変な事を言ってくれます。
そして、会長への賄賂である献金に精を出しています。本人たちは善である尊い財施に励んでいるつもりでしょうが。阿弥陀仏に向かう事など眼中に無く、一向専念会長の善知識だのみの異安心としか思えません。
投稿: | 2009年7月28日 (火) 17時38分
会長が親鸞会創設してから50年以上になるんだけれど、何名が信心決定したのでしょう。
家に住み、生活を切り詰め、食べるもの、着る物、余暇を我慢して、富山詣でで、体力もすり減らすような暮らしを続けて、数多くの高齢者が、臨終に親鸞会で教えられた無間地獄の恐怖に怯えて亡くなっていきました。
私が会員在籍時にずっと違和感を感じ続けてきたのですが、その理由は親鸞会の講師はふたことめには、「信心決定しなければ、無間地獄往きだぞ」と言うのですが、代表者に救えずに地獄に落としてしまった数多くの会員(親鸞会には若者も多いですが、高齢者も多いです)に対する懺悔の気持ちが、感じられないことでした。
無間地獄往きが事実ならば、地獄に落ちてしまった数多くの会員のことが案じられて、毎日夜も眠れないほど苦しむだろうし、法話にも、もっと緊迫感が感じられるものになるのではないでしょうか。
ましてや、法財を焼いたり、人命を軽んじる行動を自慢話のように語ることなんて、絶対にしないでしょう。
誤って人を殺してしまい、精神異常になった人物の話を聞いたことがありますが、私にはそんな人の痛みを感じられる感性を持った人物の方が、人間としてまともな人物に思えます。
会長自身が、「私は親鸞聖人の生まれ変わりなんだ」と宣言しているのか、まわりが会員に言わせていたのかどうかは判りませんが、私にはどの角度から見てもその様な人物が「親鸞聖人の生まれ変わりと感じることは、出来ませんでした。
投稿: | 2009年7月28日 (火) 19時36分
会員さんの後生を本当に心にかけている方なら、こんなにネットで槍玉に上がる事はしません。教えがおかしいから、全てが狂っていくのでしょう。何人もの人が言っていますが、幸せを掴む為、取り戻す為に手間隙を惜しまない事です。自分が、納得するところまで、徹底的に調べて下さい。
投稿: | 2009年7月28日 (火) 20時23分
元気なときに、「大きな虫を生かすためには小さな虫を殺すこともやむをえない」とかなんとか言っていた人物ですよ。
これまで犠牲になった人、今苦しんでいる人たちのことなんてなんとも思っていないはずです。
投稿: | 2009年7月28日 (火) 23時15分
除名にする前に、説得して話するのが親鸞学徒だろ?
投稿: | 2009年7月29日 (水) 07時00分
昔の説法では一切衆生必堕無間と黒板に書いてました。ネットで批判されると一切衆生が書かれなくなり、だんだん必堕無間も書かれる事は少なくなったように感じましたが、いまは行かなくなったので分かりません。ネットで批判されると説法の内容をコロコロ変えるのが今の会の方針のようです。こんな大事なことでさえ何食わぬ顔をして同じ口で違う事を言っても平気というのは詐欺師と似たようなものを感じます。
投稿: | 2009年7月29日 (水) 08時59分
子どもは批判的な目を持って仏教を学ぶ事が難しいです。それが長所でもあり、短所でもあるところです。今夏休みで、家に居るお子さんに安易に会のアニメや子供向けの冊子を与える事はちょっと考えた方がいいのではとここで読んでいて思いました。選んだ方がいいですが、選んだら与えるものはほとんどないですね。
会長の本もそうですが、書かれた物には、書いた人の信仰がそのまま反映されるので、自分の信仰以下の人のものは痛いと感じます。子どもには最高のものを与えたいですが、ないので御文章を一緒に説明しながら、読んだらいいと思います。もちろん必堕無間のところは時に気をつけないといけないでしょうが。
死んだらどうなるのかは、子どもにとっても大問題です。死んだら地獄と六道輪廻では大違いです。善をしていく事でそれが間に合わないと知らされて助かるのか、阿弥陀仏の本願で疑情を晴らしていただいて助かるのか、親がどう思っているかで、子どもにする仏教のはなしも、何気ない会話も違ってきます。間違った教えをたとえ百年聞いても、方向が違うので助かる事はありません。
庄松は今の幼稚園や小学校低学年位の思考力や理解力でしたでしょうし、御文章にも「一文不知の尼入道なりというとも、後世を知るを知者とす」とあります。どんな人でも助けてくださるのが阿弥陀仏の本願です。
幼稚園の子どもでも無常を感じて、迷いを抜け出し、さとりの清らかな世界に行きたいと思うことはあるでしょう。ただ、大人に言っても分かってもらえないと思って黙っているだけかも知れません。
投稿: | 2009年7月29日 (水) 09時48分
そういえば昔、会長が発行物で一番出来が良いのは、ビーヤングと言ったな。
たしかに、あれは必堕無間とかほとんど書いてないから、1番間違いが少ないなぁ。
投稿: | 2009年7月29日 (水) 10時20分
確かに必堕無間などといって子どもを脅す事は躊躇してるかもしれないけど、内容は浅いし、絵はアマチュアクラスでしょ。
人間の実相なんて表現出来るほど信仰が進んでなっから、中途半端な内容だし、そこらの児童文学者の物の方がよっぽど感動する。
現役会員の人、自分はともかく子どもを間違った教えに巻きこんじゃいけないよ!
投稿: | 2009年7月29日 (水) 11時28分
お釈迦様は六道輪廻といってもほとんどが地獄界に生まれると説かれていたのですが、本当なのでしょうか。
投稿: | 2009年7月30日 (木) 18時02分
殺生罪を犯したものは等活地獄に落ちると聞き、必堕無間とは思えませんが恐怖を感じています。
投稿: | 2009年8月 2日 (日) 23時08分
地獄を気にするなら、早く会をやめて、正しい知識選びを始め下さい。そして信心決定して本当の幸せになって下さい。今が地獄のようなものでしょ?
投稿: | 2009年8月 3日 (月) 08時19分
御老体だね。もう超人視するのはやめよう。
煩悩具足だからね。
投稿: 毒人 | 2009年8月 7日 (金) 07時50分
マンガ『歎異抄をひらく』の衝撃度
しらじらしい。マンガまで描いて、事実を捻じ曲げるとは精神を疑う。 まともな会員さんを 馬鹿にしているのか。
投稿: | 2009年8月30日 (日) 19時48分
9/17の辛口!真宗時評で本願寺展を批判する次のような文章が載っていました。
「こういうものは開催されますが、肝心の親鸞聖人の教えを、明らかに
しましょう、という講演会は、ありません。
広く多くの人々にお届けせねばならぬのは、親鸞聖人の教えであって、
美術品、骨董品ではないはず。ましてや、覚如上人、蓮如上人ならば
まだしも、歴代門主の肖像を拝みたいという人が、どれほどいるという
のか。はなはだ、理解に苦しむ展覧会です。
美術品を見に来い、珍しいものを拝めるぞ、そんなことで人集めを
して(ついでに資金集めもして??)、祖師聖人がお喜びになるとで
も思っているのでしょうか。
心ある僧侶は、展覧会の会場の片隅でもいい、辻説法にでも立って
みてはどうか、などと夢想するのですが・・・、まあ、夢想で終わり
そうですね。」
人集め・資金集めに勤しんでいる(それも人をだまして)のは、お前らだろうと、読んでいて腹が立ったので、次のコメントを書いてあげました。
「おやおや、学徒から集めた貴重な浄財を注ぎ込んで、美術品を買いあさっては飾り立てて悦に入っているのは、あなたの師匠タカモリケンテツ大先生ではありませんか。
顕正活動と称してダミーサークルを使って学生を騙したり、身内に会長の本を大量に買わせて偽のベストセラーを仕立て上げたり、そんなことで人集めをして(ついでに資金集めもして)、祖師聖人がお喜びになるとでも思っているのでしょうか。
親鸞聖人の教えを明らかにしましょうと言って、他人を批判するくらいなら、ウジウジと下らないブログなど書いてないで、街の片隅でもいい、辻説法にでも立ってみてはどうか、などと夢想するのですが・・・、まあ、夢想で終わりそうですね。所詮、自分の立場や属する組織の名前すら公表できない臆病者に、そんなことできるわけないですからね笑」
コメント承認してくれるかなあ。せめてちゃんと読んでくれるかなあ。パロディ仕立てで悪口には悪口が返ってくるんだよ、と教えてあげたんだけど、きっとわかってくれないだろうなあ。
投稿: うーの | 2009年9月19日 (土) 22時59分