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投稿:会長とは、一言も言葉を交わすことなく

元親友部員からの投稿です。
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私は親友部員を経験したことがある元親鸞会会員です。

親鸞会という組織に長く在籍して、様々な異常性を感じました。

親鸞会では、上司の指示には従いなさいと言われますが、もし上司に可笑しな言動(教えに反する言動、組織の私物化等)があれば、もっと上の上司に報告せよとも言われます。

顕真学院でも、そのように組織感覚に関する講義で教えられます。

ところが、実際に可笑しな上司の言動を報告すると、報告した当人が上司批判をする問題児だと、目をつけられてしまいます。

上の立場の人達の中であいつは指示に従わない問題児だと、有ること無いこと針小棒大に噂します。

立場が上になる程、過ちを犯さないことよりも、過ちを直ちに改めることを誇りにする気概は、なくなります。

ですから、親友部員を続けるためには、世間虚仮といわれるように、親鸞会の組織も虚仮だ、人格的に可笑しな人間は講師部でさえいるんだ。

しかし、高森会長の教えは他所では絶対に聞けない真実の教えだから、石にかじりついてでも、親鸞会の問題点には目を瞑り、後生の一大事だけを考えて、頑張ろうと思うしかありません。

私の白道に講師部について書かれてあったように、講師部と同じで、親友部員も、心が綺麗な人達、もしくは心を綺麗にしようという人達の集まりではありません。

噂や影口が大変多いです。何でそんな事あなた知ってるんですか?という事が多々あります。

また、この人だから信頼して相談した、という内容が、なぜか上司が知っているということも多々あります。だから不平・不満を言ったならば密告されるのではないかと、親友部にると一年と経たずに本音を言えなくなります。

親鸞会という組織の在り方が、最初は純粋に仏法のためお役に立ちたいと純粋に思って親友部になった人達の心を、真っ黒に変えてしまうんです。

どうして陰口・噂が絶えなくなるのか、これまで原因はわかりませんでした。しかし、親鸞会の教義が、高森会長の教えが間違っているのが原因だとわかりました。


教えが間違っている(原因)から、親鸞会という組織も間違っている(結果)、組織の動く方向性も間違っている(結果)とわかりました。

私は親友部を辞める前後と、親鸞会を辞める前後には、3日以上泣きました。

悲しくて、辛くて、親鸞会に裏切られた、親鸞会にいる良い人達を裏切てしまったと思って、涙が止まりませんでした。

講師部なら、退部するときは、会長にチラッとでも目通りが出来ますが、親友部はそんな事さえありません。親友部は、親友部になりたいと希望を出し、面接を受け、顕真学院で研修、そして親友部実習という流れですが、会長との接点は一度もありませんでした。

会長とは、一言も言葉を交わすことなく、親友部員になり、親友部を辞めていく、それが親鸞会親友部です。

どれだけの思いで親友部になったかは、会長は微塵も知らないでしょうし、騙された鴨が、葱しょってやってきた、せいぜいコキ使ってやろうぐらいにしか思ってないのでしょう。

もしも親鸞会を続けるかどうか迷う人がおられたら、親鸞会に10年以上関わっている人で、心から幸せになっている人(阿弥陀仏に救われた等の意味ではありません)がいるかどうか、確認して頂きたいと思います。

10年以上になると、誰もいないと思います。

私が親鸞会を辞める前後に相談した人から言われた言葉が心に残っています。「○○(私の名前)、幸せにならないと。ホントにね、幸せにならないといけないよ」と言われました。

親鸞会の人達は、上は会長をから末端の会員まで、仏縁、宿善、良い種まき、尊い御縁、等と口当たりの良い言葉をよく使います。

ところが、「幸せになってもらいたい」と、心から、本気で思い、相手に、こんな言葉を伝える事はほとんどないと思います。

親鸞会を辞めるかどうか迷われている方は、一度、仏縁だの、良い種まきだの、煩悩だの、欲だのという言葉に騙されず、私は今幸せかどうか、周りの人達は幸せかどうか、よく考えられて頂きたいと思います。

私はようやく親鸞会を卒業しました。これまで大変な迷惑をかけてきた、両親兄弟に少しでも安心してもらい、自分自身も幸せになれる道を、精一杯進みたいと思います。

これからが本当の意味での光に向かって幸せな道を進む人生だと思っています。

親鸞会の皆様、くれぐれも過労には気をつけられて、自分自身が幸せに向かう道を、もう一度考え直されてください。これまで、お世話になりありがとうございました。

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コメント

私は、かつて学友部で活動していました。
何人かの先輩が、講師部や親友部に進みました。
しかし、学生時代は魅力があった先輩でも、講師部や親友部に入ると以前の魅力がなくなるというか、活気がなくなるというか、不幸せそうに見える人が多かったです。
講師部の人と接していても、不幸せを見せないように、必死に誤魔化すように、活動に没頭しているとしか思えない場面も多々ありました。
気のせいではなかったのかもしれません。

今考えると、自分自身も含め、他の学生も、不幸せな現実から目を反らし、私は真実知らされた幸せ者と思い込むようにしていた気がしてなりません。

上辺だけの幸せ、上辺だけの友情。
本当に何もかも誤魔化しの組織でした。
異常でした。

会の異常性に気付けて本当に良かったと思います。

投稿: 元会員 | 2009年7月 5日 (日) 03時05分

親友部は大無量寿経の「則我善親友」からとられた、と聞いています。
お釈迦様が「わが善き親しき友」とおっしゃったお言葉です。
その親友部同士で本音を言えないとは、「親友」ではありませんね。
ところで以前教学講義で高森会長が「観無量寿経に『則我善親友』と書かれています」と何回も間違えて言っていましたが、誰一人間違いを訂正する人はいませんでした。
間違いを間違いと言えない環境に問題があります。

投稿: ひろし | 2009年7月 5日 (日) 08時40分

親鸞会をやめられて本当によかったですね。
「幸せにならないと」、ほんとそのとおりです。

私も講師部をやめる決意をし、やめる直前は悩みに悩みましたが、
今はやめる決意をして本当によかったと思っています。
やめた直後はいろいろと苦労しましたが、今では一般社会で働き、
家族とともに何不自由なく暮らしています。

親鸞会をやめる時は孤独を感じていましたが、やめてみてわかったのは、
自分を見守ってくれている人、自分を支えてくれる人がこんなにも
たくさんいたんだということが分かり、今ではそれらの人には心から感謝です。

もちろん、講師部時代にお世話になった先輩方や周りの会員のみなさんにも
感謝しています。

会内では辞めた人は裏切り者、恩知らずのように言われますが、
当の本人は親鸞会でのことを意外と感謝していたりもします。

当初はいろいろな感情がありましたが、他人を恨み続ける人生は
不幸でしかないことが分かり、今では親鸞会での出会いも含め、
いろいろなものに感謝の念を感じられるようになりました。

あなたが幸せな道を歩んでいかれることを心から念じています。

投稿: 元講師です | 2009年7月 5日 (日) 08時50分

親鸞会で感謝できたことは「仏教」はすごい、と確信できたこと。
自分の考えで生きていくよりはるかに幸せになれると思う。

そして、仏教を学ぶにつれ徐々に親鸞会は仏教ではないということが分かってきた。
恨み呪って身を破滅させている親鸞会。
自利利他の精神はどこにもなく、自分の信心決定、宿善を求めてムキになっている。
親鸞会および会員だった自分を振り返っても苦しんで当然だった。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 09時12分

講師や親友部に進んだもの、職員になったもののリストを作成、何人が進み、やめたか、平均年齢を調べれば、将来がある程度わかりますね。
親鸞会で一番大事なのは、安心弁当を食べるより、休みをとることです。
親鸞会は世界の光ではなく世界の腹黒い光だ。間違いない。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 09時53分

会にいたころ、自分さえ聴聞出来たら、宿善を求められたら、家族を犠牲にしても誉められ、善い事をしているような気になっていた人が多かった事を思い出しました。

 弁論大会でも自分が、自分がと己の頑張り、手柄を声高に誇らしげに発表する人を見て、家族は泣いているだろうと思ったものでした。

 人を不幸にして、自分さえ信心決定出来たらそれでいいと考えている間はなかなか仏教が入っていかないのではないでしょか?

 自利利他である仏教を外道まで貶めている教えを聞いていたら幸福にはなれないでしょう。

 もう一度、仏教の、親鸞聖人の教えに立ち帰って純粋に、一人でも良いから真実を求めていく方が、自分の人生を後悔せずに、生きられるような気がします。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 10時10分

親鸞会の弁論大会は、無意味な弁論。昨年の報恩講で優勝した弁論はよかった。よく、高森先生!ってさけぶ弁論はカルトだ。 

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 14時25分

親鸞会講師は高森くんに近づきたいため、人生の目的達成に向けて進むんだろうが、お金が減るだけで、疲れとストレスがたまるだけ。講師は童貞と処女のかたまりで陰気臭い。 
親鸞会は人間を不幸にしてどうするんだよ。
高森○晴くんは会長の息子っていうだけで彼には間違っても誰も注意できないんだな。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 16時31分

一般会員だった自分でさえ、自分の心に嘘をついて活動するのは大変な
苦痛だったのに、ましてや講師部、親友部になればそのご心労は
いかほどであったかと思われます。

退会できて本当に良かったですね。

まだ会に残っている友人達も早く気づいてもらいたいと念じるばかりです。

投稿: 幽霊会員 | 2009年7月 5日 (日) 16時35分

親鸞会の活動は年中無休。体の悪い(病気や持病)方やお金のない方は仏教聞けないことになる。すべての人が聞くべき教えと言われるのに年々敬遠されてますね。口だけでやってることは金集めだから!何かあると教えがわかっていないと。それを正すのが親鸞会の役目なのに、どんどん除籍にしてますね。 
時代がかわってるのに、全くかわりませんね。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 17時44分

将来、安定感ある生活をするならば、一般社会にでて働くべきですね。親鸞会は昇級もなく、低賃金で働かさせられます。子育てなんてできるはずがない。  親鸞会で働くならば、将来はなく、本当に大変。親鸞会の講師は年齢的に若いので、高齢の講師はいないだろう。年金もなく、未来は後生とはいえ安泰ではない。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 18時46分

>将来、安定感ある生活をするならば、一般社会にでて働くべきですね。
>親鸞会は昇級もなく、低賃金で働かさせられます。
>子育てなんてできるはずがない。

親友部の給与は月に12~14万くらいですか?


>親鸞会の講師は年齢的に若いので、高齢の講師はいないだろう。

以前は若い人で構成されていましたが、今では高齢化して
問題になっていますよ。
体力も気力も以前に比べるとないし。

病気になったりして、ついてゆけなくなる人も現れつつ、
あるのではないですか。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 19時02分

これを読んでいる○玉講師とか渡●講師とか○晴とかどういう思いをしているんでしょうね。

投稿: 元会員x | 2009年7月 5日 (日) 19時05分

書き方が変だったかな? 給料が12万て高卒の初任給の手取りですよ。家族いて、生活できるわけないだろ!
講師も○玉講師世代が一番多いかな?高齢化進み、ますます講師が不足し、給料ないから布教する人もいなくなる。給料ないし、安月給だから、講師や職員にならないだろうね。コロコロ制度もかわるから、だれもがついていけない。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 19時45分

親友部の給与は、いわゆる初任給は、1.5福で、手取りはだいたい1.25福ですが、大抵はじめはどこかの会館に住むので、その分が天引きされます。会館に住むと、宿泊係やら何やらで、時間外労働がたくさんあるから大変です。
低賃金で体力的時間的にも余裕はなく、考える余力を与えない、それが親鸞会の上層部のやり口ですね。
もちろん昇給は、僅かな金額しかありません。
あと、会館に住まずに、アパートを借りたりすると居住手当てが0.2福つきます。通勤手当てもチョロッとつきますけどね。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 19時45分

バカ息子がよく、新勧で新入生が未来の親鸞会を支えるんだ!みたいなことを言ってましたが、バカ息子が有能な人材を潰し、親鸞会を都合のいいようにしてるから、未来はない。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 19時47分

親鸞会で働くより、一般企業で働いたほうが健康的で、ストレスもたまらず、求めやすいですよ。    親鸞会の人は民間で働いたことないから知らないんだよな。 
親鸞会の経理は経理じゃない!なにが福だ? 
民間企業が行うのが経理だ。
ちなみに親鸞会は固定資産がだいぶあるけど減価償却とかどうしてるの?

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 19時55分

バカ息子はもう少し経営とか簿記を勉強して、親鸞会が立て直せるように勉強したら? 
組織のリーダーで簿記を知らないのはバカです。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 19時59分

密告が当たり前の風土ができてしまうと会員どうしの信頼感は育たないでしょうね。自分を守ることで精一杯で、利他に気持ちが向かなくなるでしょう。風土って教えと同じくらい大事なものだと思います。

投稿: 風土病? | 2009年7月 5日 (日) 20時02分

報連相は大事だが、親鸞会の場合は相手にもよるが、相手を奈落の底に突き落とすようなことが多すぎる。清森氏の除名しかりだ。 指摘会合とか?そんなことする必要はないだろう。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 21時29分

親鸞会は顧問会計士がいるのに一体何をしてるんだ。親鸞会幹部は法律や財務は素人以下だから、どんどんさばけ

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 22時17分


親鸞会っていまだに学院に行く人いるんですか?

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 22時19分

この投稿者の方が持っておられた、不信、疑惑、怒り、荒みといった感情を、多くの現役会員が持っていると思われます。おそらく、投稿者さんも退会を決意されるまでは、そういった感情を表に出されることはなかったでしょう。ですから、表面上従っていても、いわゆる腹に一物ある会員さんは多いと思われます。これは、いつか表面に形となって現れます。感情は意業なのですから何がしかの結果を生み出す力があるのです(と教えて頂きました)。親鸞会は、このマイナスの意業を一刻も早く浄化しなくては衰退あるのみです。構成員の心に負の感情が充満していながらも、その団体が発展していくということは考えられません。浄化には、会員さんの信頼を回復するより他にないと思います。高森先生と上層部の方々には、どうか我々会員の声を聞いて頂きたいと思います。その前に、まず声を出させて頂きたいと切に願います。

投稿: 意業 | 2009年7月 5日 (日) 22時39分

親鸞会の批判を受けとめ、改善しないといけないよ。難しいことは何一つ言っていない。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 22時51分

親友部の人って、ノルマがあるのですか勧誘に……
年に何名以上は必ず二千畳に連れてこい等など。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 23時22分

>高森先生と上層部の方々には、どうか我々会員の声を聞いて頂きたいと思います。その前に、まず声を出させて頂きたいと切に願います。

これはまっとう至極なご意見と思いますが、これまでそういうまともな声を先生への誹謗だといって封じ込めまともな意見を言う人を追い出してきたのが親鸞会なのです。私は前々から組織の雰囲気が何かおかしいと思っていました。それはここ数年ひどくなる一方で、抑圧、言論封じ込め、「ものを言え」とは建前ばかりでどうしてなのだろうと思っていましたが、実情を知り、このような腐った組織になるのは教えがおかしいからだと見切りをつけました。

教えや指導が正しいなら、そのとおりに実行できるはずですし、できなければ意味がないのです。教えがおかしいから、誰もそのとおり実行できないし、目的も果たせないのだと思います。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 23時48分

ばっかじゃなかろか!高森先生や幹部にものをいうだけで批判ととられるんだから。
理由を言えばだれもが納得するが、適当にごまかすから、批判されるんだ。だいたい収支報告しない理由は不正してるからだ。じゃなかったらオープンにできるはずです。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 23時57分

昔みたいに全国で法話が無いから、地元じゃないかぎり、年に一回富山へ行くのも無理だろ。 

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 23時59分

童貞のおっさんが布教しても誰もきかないね。不倫したバカ息子なんかから、誰も話はきかないね。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 00時04分

ある人曰く、高岡会館元館長H山支部長は、消費期限が過ぎた会員からのお布施を冷蔵庫に入れているなり。驚嘆至極。
一般会員の不在時には、いつも不機嫌なり。こんな愚者久Y支部長が講師部希望の実習生の教育担当とは、お粗末至極に存じ候うなり。
これが親鸞会講師部の汚点に候う。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 00時06分

あんな性格のまがった支部長はバカだね。だから世の中では使い物にならない。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 00時29分

 この期に及んでまだ、T会長、上層部に自分たちの意見を聞いて欲しいと思っている現役の方があるようですが、今まで、たくさんの方々が、色々言ってきたのにどうにもならなかった現実と早く、向き合ってください。

 ここで言われている事は、ネットを最近見はじめた方には目新しいかもしれませんが、語りつくされた事なのです。
 
 会に変わって欲しい、会計を公開して欲しいと期待する気持ちも解らない訳ではありませんが、教えを広めようとも思っていない、会費や献金を私腹を肥やすものと割り切って、見かけ上、苦情が出ないだけの活動をしている会に求めるのは最早、無理です。少なくとも会の上層部は自分も信心決定を諦めていますし、会員さんたちの後生などこれっぽっちも気にかけていませんよ。もし考えているなら、、とっくに会をやめています。
 
 そもそも教え自体が間違っているのですから、助からない教えなのですから、どうしようもありません。T会長も一部で囁かれている痴呆説の為か今年になって、おかしなことを言って顰蹙を買っています。教えの根幹を揺るがすほどおかしなことを。もう無理なのです。頼りにならないものにすがっている自覚を持ってください。

 残念ですが、あなた方や私の桃源郷であったS会は砂上の楼閣だったのです。認めたくない気持ちは長年会にいたのでお察ししますが。
 
 過去や未来は現在を変えることで変わります。一日も速く、速やかに会とさよならして真の幸せになったなら、あれらの日々があったから、今の幸せがあると感謝できます。ぐずぐずしている暇はありません。沈みかかった船から少しでも早く避難する事を強くお勧めします。

 友達の事はその人が目覚めるまで仕方ありませんので放っておきましょう。ボートを回しても本人に乗る意思がなければ、絶対に乗りませんから。まず自分が安全な所に逃げて、それから人のことは考えて下さい。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 07時26分

> 過去や未来は現在を変えることで変わります。

いえ、過去は変わりませんよ。細かい突っ込みすみません。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 11時51分

 もちろん過去に起きた事象や事実は変わりませんが、その人の思いが変化することで、過去は変わります。

 過去に、あんな事があったのも、自分に真実を知られる為だったと喜ぶ種になります。何一つ無駄な事などなかったと、肯定的に思えます。同じ事でもとらえ方が変わると、違ってきますし、感謝せずにいられなくなります。過去の忌まわしい出来事も、景色が変わって思えてきます。例えが適切か判りませんが、イダイケ夫人がアジャセやダイバダッタに感謝した様に。

 会と速く離れて皆さんが、幸せになられる事を強く念じます。さよならする勇気を持ってください。もういいでしょう。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 12時45分

親鸞会の今の現状で新しい人を勧誘するのは無理です。世間一般で当たり前のことができてないからです。ものを言うのは親鸞会がよくなってもらいたいから厳しく言うだけですよ。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 13時18分

親鸞会の問題が拡大しひどくなったのは、富山に建物をつくりすぎたこと、全国法話がなくなったこと、講師の給料がなくなったことです。 
あげればキリが無いが、これらの問題が今の親鸞会を表してる。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 13時48分

私が親鸞会と接触したのは1990年くらいだったかな。
当時は全国で法話もあり、聴聞だからだと、真剣だった。
おかしいと思ったのは正本堂ができてからだ。なぜかというと、
全国法話のときは会場は一般で使われる大きな会場だったし、経費もかかったが、そんなに疑問は生じなかった。
正本堂ができてからというものの、富山で毎月1回の法話、教学講義、アニメ解説、がおこなわれる。
何がいえるのかというと、会員さんの住む地域にもよるだろうけど、一般の会場を使わなくなった分経費は、浮くはずだし、経済的にもずいぶん楽になるはずです。
ところが講師の給料がなくなるし、これ以上必要のない同朋の里の建物を
作ったりと。頻繁に使うならまだしも、月に1回使うかどうかだろう。
収支報告がないから維持費もわからないし、会計報告がないから何がどうなってるのかわからない。わけのわからない福という単位を使うし。
全国法話から富山に集中したので、地元でもない限りは富山には足を運ぶのは難しい。会員は富山に足を運ぶのは当たり前だが、富山は非常に遠い。せいぜい滋賀や岐阜までがいける範囲だ。
会員の減少は、富山で集中したことが要因なのは事実だ。
あとはネットで出ているもろもろも諸問題です。
親鸞会の職員は、腹黒い講師部員の集まりです。世界一の団体といわれていたが、世界一最悪です。
組織体質には外部から人材を入れるのが一番ですが、組織が腐ってるから、
外部の人はやめちゃうんだよな。
親鸞会の幹部は上司への報告はぴか一だがフォローは世界一へたくそ。
親鸞会で使う金があるならば、もっと食事や洋服に金をかけたほうがいいと思います。


投稿: | 2009年7月 6日 (月) 18時37分

地方の法話が無くなったのは、平成13年秋の長野が最後でした。
正本堂が完成したのは、平成17年秋ですね。
地方の法話は、その地方の会員のご報謝で賄われていました。
会場費は場所によって違いますが数百万円ですね。
地元ならば交通費もあまりかからないので、また施主になれるので、皆さん数万円ご報謝していました。
地方の法話が無くなっても、親鸞会自体の出費には影響ありません。
それどころか、平成14年からはご法話と教学講義の月二回しか法礼が親鸞会に入らないから、収入が減ったと思います。
会長が地方に行くと、会場で集めた法礼以外にも、施主から別途にお礼を渡していました。
本部では、施主がどこになるか決まっていないので、法礼以外のお礼は入りません。
その結果、二千円だった法礼が五千円に値上がりしました。
一流の舞台を見るにも五千円では見られないから、五千円出させて頂いても安いです、と講師に言われました。
富山の会員さんは、交通費や宿泊費が少ないからまだいいですが、遠方の会員さんはたまったもんではありません。

投稿: ひろし | 2009年7月 6日 (月) 19時34分

公正な会計報告が出来たり、おかしいという声を聞いて改善する事が出来るなら、これだけネットなどで叩かれているのだからとっくにやっているはずです。

 滅茶苦茶なお金の使い方をしているから、数字が出せないだけでしょ?
水増しした価格で発表された建物でバックマージンとって、私腹を肥やしているのか、借金返済にまわす為に自転車操業しているのかと一連の建物については考えれます。

  方針がころころ変わって、皆が貧乏になろうと会長も上級幹部も何も考えないから、救済策を取らないのでしょう。

  批判を受け止めて欲しい
  改善して欲しい
  それらは難しくない
  良くなって欲しい
  
  対策員の方ですか?こんな寝言言っているのは?辞めようとしている人を引き止める手段ですか?どんな事を言おうと構いませんが、あなた達も空しさを感じているなら、いい加減夢から覚めてもいいんではないですか?

  反対にお尋ねします。一体どこをどう考えたら、会が良くなる、立ち直る、会員の事を考えてくれるようになる、改善するといった発想が出てくるのでしょか?其れが証拠に、今まで良くなった事なんて一つもないでしょ?何かしてもらった事があるのですか?
 
 直接話した事もない会長や搾取ばかりを考える会に何の未練があるのか知りたい。助からない教えを聞いてどうするんですか?友達は貧乏になって落ちぶれたあなたを助けてはくれませんよ。
 
 会にとどまるどんな価値があるのですか?疑問です。あなた方を会に引き止めている理由は何なのですか?思い切れないわけは何ですか?不可解です。納得のいくように誰か説明してくれませんか?
 
 普通、会長や会の悪口を言った時点で即やめるべきと思われますが?他人の為とかでなく、あなた自身が辞められない訳を聞きたいです。宜しくお願いします。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 20時08分

>  もちろん過去に起きた事象や事実は変わりませんが、
> その人の思いが変化することで、過去は変わります

それは、過去が変わったのではなくて現在と未来が
変わったのです。過去が変わる、という表現は事実に
反します。「過去の見え方が変わります」ならばぎりぎり
セーフです。

> 過去や未来は現在を変えることで変わります。

などと言わずに、

「過去は変わりませんが現在を変えれば未来が変わります」

と言えばそれでいいことです。

親鸞会の脱会をすすめるのはいいことですが、そのために
事実に反することを言う必要はありません。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 20時55分

親鸞会によって人生むちゃくちゃになった方たくさんいますよ。特に講師部はバカ息子を除き、エリート集団ですよ。東大や早稲田、名古屋、大阪など。かりにやめても頭脳がありますから、資格はとれるでしょうが、思考が停止してること、一般社会にでていないことから、順応できない面もあります。講師部もだんだん高齢化し、給料ないから講師になる人はいません。高齢化になれば体もうごかなくなり、最後には伝える人もいなくなります。
学生勧誘も失敗してますから、衰退は時間の問題!

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 22時06分

相変わらずです。よくなることはないから、迷ってる人を助けてやりたいな

投稿: 林五郎 | 2009年7月 6日 (月) 22時27分

地方で会場を借りても、せいぜい1回300万円程度。
年50回借りても1億5千万円。
正本道の建設費を考えたら、地方の会場を借りる方が遙に安いですよ。
しかし、地方で会場を借りているうちは、
会長先生専用の豪華な施設の建設が出来ませんから。

親鸞会が会計報告をしなくなった時期と、
親鸞会の地方ご法話がなくなった時期ってほぼ同じ時期じゃないですか?

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 22時43分

同じですよ。高森くんにはものが言えないんだよな。みんな気付いてるけど。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 22時48分

 横から済みません。失礼します。言わせてください。
  現象、事実は変わらないと言っているのですから、思いで景色が変わると言っているのですから、その先のことも前に書いてあった事も過去の出来事が気持ちの上で嫌な事が良い事に変ったという意味にとらえるような、気持ちを汲む余裕位あってもいいのではないかと思います。言葉にとらわれ過ぎると本質を見失いますよ。
 
 過去にこだわって先に進めない人に、人生万事塞翁が馬なのだと言っているように思えます。所詮迷界のこと夢幻の中で何が正しい、間違いだ、勝った負けたと言っている場合ではないのではないですか?気持ちがスッキリする方、幸せになれると思うほうにいけばいいだけのことでしょ。別に会をやめさせようと無理強いしているとも思えません。

 誰が何を言おうと現に会に残っている人がいて、あの手この手で説得しても辞めないのでしょうから。でも、あなたにはそう感じるのですね。その思いも未来に振り返って見たとき変わるかもしれませんよ。

 もっと厳密にならなくてはならない事、今すぐしなくてはならないこと、自分自身で確認すべきことをこの無常の世の中考えていったらいいと思います。結局、今が大事だといいたいのではないですか?本題からずれていくので、不毛な議論は止めた方がいいと思います。

 会には議論の為の議論が好きな人が多かったです。それがとても嫌でした。それとも故意で流れをさえぎるのが狙いですか?まあどちらでも構いませんが。

 何でも勝たないと気がすまないのでしょうね。負けるが勝ちということもあります。コメントした人、負けでも構わないでしょ。過去は変わらないって事でOKですよね。

 結局、会にかかわった全ての人が幸せになれる事がこのブログの、投稿してくれた人の望んでいる事でしょ。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 22時50分

全国で法話したほうが収入も多く、人も集めやすい。富山でするなら、人は集まりにくい、収入もない。しかも思い付きの弁当屋も赤字経営だし、ますますひどくなるね。

投稿: | 2009年7月 6日 (月) 22時55分

>投稿: | 2009年7月 6日 (月) 22時50分

上記の投稿者さんの意見に賛同します。

一人でも多くの人に、少しでも早く親鸞会の実情を知って貰うことが必要だと思います。

みんなそれぞれ親鸞会に対しては思いが違うでしょう。

過去を清算して有難いという思いに達した人の意見も大事だと思います。
過去に捉われて、苦しんでいる人には、やはり助けになる意見だと思います。

まずは、このように親鸞会から目覚めた人の意見のある場所を教えてあげる方が先決だと思います。

後はその人がどの道を選ぶかはその人の自由。

過去苦しんできた人、今苦しんでいる人は、

>親鸞会の脱会をすすめるのはいいことですが、そのために
>事実に反することを言う必要はありません。

こういう書き方はしないだろうと思います。
逆にすごく違和感があります。


投稿: | 2009年7月 7日 (火) 06時37分

6時37分にコメントされた方へ 22時50分より
  有難うございます。わかって下さって嬉しく励みになりました。
  会にいたときも、自称?裁判官や先生方が沢山いらっしゃって、しょっちゅう、どちらが正しいとか間違っているとかばかり教学も含めてやっていました。

 「そうだよね、(あなたの言う事、考え方は)よくわかるよ」
 
 今苦しんでいる人はこの一言でどんなに救われるか、日常生活で実践してみたらわかります。人間関係が大変わりします。自分がその意見に反対賛成を表明するのはその一言の後でいいのです。それが普通の人たちの思いやりのある会話です。相手の言う事を確認しているなけなのですが、共感してもらっているとこちらに心を開いてくれます。初めから、人の意見を否定したり、裁いたりすると鼻つまみものになったり、本当に聞いて欲しい事が聞いてもらえず損ですよ。

( 同じ、事実でも心でどのようなとらえ方をするかで中身がまったく、違って見えたり、今まで、憎み、嫌っていた人が好きにならないまでも自分の人生にとって必要な人だとしみじみ思えたら楽になります。これを過去が変わると表現していたのでしょうね。でも事実そのものは残念ですが変わらないので、不遇を囲っていたら、今出来る事でよいように変えていくことが必要かもしれませんね。)このように言ったらいいだけでしょ。何で喧嘩を売るような言い方なのか不思議でつい横から口を出していました。

 ただ上記のように言うには、自分がその心境にいないと余裕がないといえないから、心がまだ変わった経験をしていないのでしょう。

 管理人のぶるうのさんは知り合いがおおいみたいなので、会とさよならしたいけど迷っている人やさよならしてどうしたらいいかわからない人は相談されたらいいのではないでしょうか。
 

  

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 08時59分

親鸞会の実情をみなさんに知ってもらうことです。きちんと要をオープンにすればいいことです。同朋の里の拡張をみたらわかるでしょう。お金があるのではなく、ないから資金を回すために、立てざるをえない!

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 13時04分

親鸞会の講師は一部にすばらしい人もいるが、童貞か目が往ってるか、ハゲのどれかですよ。 
早起きや規則正しい生活がいいように見えるが、親鸞会講師のストレスは、民間企業の何千倍以上だから、腹黒い人間しか講師になれない。だから親鸞会は崩壊するんだ。

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 13時08分

地方の法話では、集まったご報謝からまず会場費を出します。
残りお金で、次に会長へのお礼を出します。
その次に必要経費、最後に宣伝費になります。
担当講師が張り合っているのか「〇〇では〇百万円お礼を出したから、私達はもっと出させて頂きましょう」と言っていました。
会長のホテル代や接待のお金もバカになりません。
会長は沖縄のアイスクリームが好きだから、わざわざ輸送してアイスクリームを沖縄から取り寄せた、という話は有名です。
海外とか会員が少ない場所では、地元会員以外からもご報謝を募ります。
数年前の香港でも、募られました。
「会場費が不足しているから」と言っていましたが、実情はお礼が出ないからだったと思います。
会長が老齢化して地方の法話に行けなくなったので、豪華なホテルに宿泊したり各地の料理を食べる機会が無くなったので、豪華な御殿を建てて、豪勢な料理を食べているのではないかと思います。
光晴氏に説法力と人間性があれば、会長が地方に行けなくなった時に光晴氏が地方の説法をして会長が本部で説法をすれば良かったのですが、残念ながら光晴氏には説法力も人間性のかけらもありません。
光晴氏が地方に行けば、正本堂は必要なかったのです。
年に一度や二度の会員結集ならば、プレハブを建てるなり会場を借りるなりすれば済みます。
信心の沙汰は地方で出来るので、勿論同朋の里も必要ありません。
未だに高齢の会長を当てにしている現状が異常なのです。
規模が違いますが、華光会では地方は主に息子の増井信氏が、会館では主に増井悟朗氏が説法しています。
高齢の会長を当てにしていては、会長が説法出来なくなった時に崩壊が一気に進むでしょう。

投稿: ひろし | 2009年7月 7日 (火) 17時26分

同朋の里は不要です。さっきも出てましたが、全国に支部があるんだからわざわざ作る必要はないでしょう。

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 18時50分

地方での説法ってどれくらい経費かかるのか?  
出費は会場費とせいぜい高森先生の旅費と給料くらいか?入金は会員の法礼とご報謝か?相変わらずの収支報告ないからわからんな

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 18時57分

地方の法話の会場で集めた法礼は、そのまま親鸞会に出しました。
会場費などは、地元会員のご報謝で賄われました。
例えば会場費3百万円とすると、その倍以上はご報謝が必要でした。
地元会員で2万円の人が100人で200万円、代表施主になる人が50万円程で5人として250万円、残りは少額の人で数十万円。
集まったご報謝で会場費、会長へのお礼、接待費、その他必要経費、余れば広告費、という具合でした。

投稿: ひろし | 2009年7月 7日 (火) 19時12分

地方の必要経費は、会場費、輸送費(会長の説法用演壇やら絨毯やらをトラック2、3台分)、会長用の食事のY山氏の調理するための特設車。会場で出たゴミの処分費用、消耗品くらいでしょうね。

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 19時15分

そんなに金をつかわないのになぜ、お礼が何百万もいるのか?金のむだ。高森一家がむだをなくせば親鸞会は黒字です。会員さんの節約の何百倍と高森一家が無駄使いしてるんだ。   暫定でもいいから一回の地方法話の利益(高森先生のおれい)をだしてもらいたい

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 19時28分

会長へのお礼は私のいた本部では一回200万円程度でしたね。
ある本部で法話をしたときに、100万程度しかお礼がなかったので、会長は「何事にも相場というものがある」と苦言したそうです。
それからその本部でも必死で御報謝を集めてました。

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 20時13分

相場は月四回法話があり、法話の旅費等を抜いてもせいぜい30万あれば十分だ。一度に2百万て使い道ないだろ?バカだ。

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 20時43分

高森先生が命懸けというがマイクでしゃべってるだけだろ? 
よぼよぼ高森爺さん。バカ息子をしっかり教育してやれ

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 20時45分

高森くんはお礼で何に使うのかな? 

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 20時46分

> ある本部で法話をしたときに、100万程度しかお礼がなかったので、会長は「何事にも相場というものがある」と苦言したそうです。


本部によっては会員数が少ないため、運営費を出すだけでも大変。
その上にお礼を包むのは、本当に生活を犠牲にして出されている。
そんな現場は何回も見てきた。

そのお礼に対して「相場がある」とは何事だろう。
100万円が相場以下だと言うのか?
それだけ貰っている布教使がどこにいるのか。

金銭感覚が狂っているとしか思えない。

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 21時42分

自分でしちゃいけないっていってることを自分で実践しているところがイタイよね。
因果の道理あれだけ力説しても結局わかってないのは本人たちなんだね。

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 21時46分

ご法礼に相場があるわけないだろう。会員さんが生活を犠牲にして、仏法のためにと出されたものですよ。ほうぼう罪だ。
高森は親子ともども苦労をしておらず相手の痛みもわからない腹黒い奴らだね。少しは反省しろ

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 23時15分

昔、高森さんは私たち会員のことを常に考えているとある講師からいわれた。顕正新聞とかはいいことしか書いていない。常に考えてるなら、もっと会員さんが求めやすいように配慮しないといけないだろ。ちがうか?高森さん

投稿: | 2009年7月 7日 (火) 23時40分

上司にものを言うことが批判になるから、言うなら匿名で手紙を送るしかありません。しかし高森先生まで手紙は行かないでしょうね。ネット批判は教えがわかっていないからだといわれるが、最近は正そうともしない。
結論は何をやってもむだ。

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 12時28分

>  過去にこだわって先に進めない人に、人生万事塞翁が馬なのだ
> と言っているように思えます。

なら、そういえばいいのであって「過去が変わる」
という事実に反することを言う必要性はありません。

> 所詮迷界のこと夢幻の中で何が正しい、間違いだ、
> 勝った負けたと言っている場合ではないのではない
> ですか?気持ちがスッキリする方、幸せになれると
> 思うほうにいけばいいだけのことでしょ。

勝った負けたはどうでもいいですが、何が正しい、
間違いだ、ということははっきりさせてもいいでしょ。

その上で気持ちがスッキリすればいいのであって。
「過去が変わる」なんて言わないでも「過去の見え方が
変わる」と言えばいいのであって、もともとそんな
細かいことにこだわるつもりはありませんでしたが、
元コメントの人が「過去は変わると言っても間違い
ない!」と言い張るものだから、あえて反論しました。

別に、元コメントの人を個人的に攻撃しようとか、
勝ち負けをはっきりさせようとかそういう気持ちは
ないのですが、どうしてそういう風に考えるのでしょうね。

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 13時00分

>  会には議論の為の議論が好きな人が多かったです。それがとても嫌でした。それとも故意で流れをさえぎるのが狙いですか?まあどちらでも構いませんが。

そういうあなたが、一番議論をややこしくしてませんか?
議論したくないなら、黙ってればいいのに。

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 13時08分

私の体験を聞いてください。私は平成初期に大学一年で出会い、全国飛び回ってました。それこそ聴聞のためです。ところが、活動に没頭しすぎて振り替えることができなかった。疲労が重なったせいか、何も考えたくなくなり、うつになりました。病院治療のかいもあり、大学も復学し、一年卒業はおくれましたが、無事卒業しました。うつになってから、何度も誘いはきたが、病気のせいで来ても、かえってもらってました。もちろん病気なおってからは話を聞いてません。 振り替えるだけで腹が立ちます 

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 19時50分

>過去や未来は現在を変えることで変わります。一日も速く、速や
>かに会とさよならして真の幸せになったなら、あれらの日々があっ
>たから、今の幸せがあると感謝できます。

真の幸せとか言ってるようなので、他団体の何かをやってる人でしょう。その後の書き込みを見てもただやめただけの一般人には思えません

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 19時59分

>ただやめただけの一般人には思えません

多分、ただやめただけの人はこんなところなんてきっと興味示さないと思う。

振り返ると腹が立つ人もいるように、振り返ると使った時間やお金が惜しいと思う人もいる。

苦しんできた分、今後の親鸞会の動向はかなり興味がある。
同じように苦しんで貰いたくないと思う。

他団体の何かをやっている人でしょうってどうして、そんな風に決めつけるのだろうか?

この人はきっと、自分の過去を昇華できたんだろうと思う。
そのように感謝できる身を、まず一緒に喜んであげられないんだろうか?

ここは親鸞会で苦しんでいる人に、どうにか少しでも楽になって貰いたい、親鸞会の現実を中では分からないから、外から働きかけようとしている場所なんでしょ。

だったら、

>なら、そういえばいいのであって「過去が変わる」
>という事実に反することを言う必要性はありません。

っていう書き込みや、

>真の幸せとか言ってるようなので、他団体の何かをやってる人でしょう。

という書き込みにやっぱり違和感を感じる。

だって、苦しんできた本人としては、そんな事より親鸞会の実情が知りたかった。本当に死んだら無間地獄があるのか知りたかった。
辞めるには自分を正当化させたかった。無間地獄に行きたくなかった。

それが、無間地獄なんてありません。と言われた時の喜びは、きっと苦しんできた人にしか分からないと思う。

だから、この場所で、上のような意見の人には苦しんできた人を慰めようとも感じられないし、苦しんでもいないように思える。
本当に辛い体験をしたからこそ、今感謝できる身があるのだと思う。

又、

>勝った負けたはどうでもいいですが、何が正しい、
>間違いだ、ということははっきりさせてもいいでしょ。

こういう書き方も嫌いだね。
貴方は何が正しいか、間違いかどうして分かるの?
そんなもの、時代や場所によって変わるでしょう。
こんな話を親鸞会でも良く聞かされてきた。
だから、全く貴方のいう正しい事は、果たして正しい事なのか。

そんな事考えて書き込みしている間に、私はこの場所を一人でも多くの人に読んで貰いたいと思い、実行もしているよ。

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 20時49分

わたしもかつて親鸞会に在席していた。やめたのは、教えよりもむしろ、体とお金がついていかなかった。振り替えると、腹立たしいが、やはり自分が所属していただけに動向が気になるね。気の会う人もいたけど、ネットを見てると、反社会的なのは一目瞭然です。

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 22時19分

親鸞会に入って腹の立つことがほとんどだが、良かったこともあった。大勢の人前で話ができるようになったこと。慣れもあるがなかなかできない。あとは聴聞で、地理に詳しくなったかな。嫌でも体重が落ちた。メタボには無縁だったな。

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 22時55分

親鸞会の中にいるときと、外へいるときではまったくちがう。まわりが反対する理由がよくわかった。

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 23時07分

教えがわかっていないから反対するというのがある。まちがいとはいえないが、客観的にみておかしいのは収支報告が無いこと。おかしなことをするから、報告できないんだよな

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 23時08分

  前の人の言ってる事良くわかるよ。このブログの趣旨や元の投稿者の言いたかった事に立ち返ってみたら?
 
 自分が正しいと主張するのは構わないし、言論の自由はあるけど、人を思いやる気持ちが少しでもあったなら、その文章の端々や行間にシンパシーが感じられるんじゃないかな。人を労わる文章をたとえ1行でも入れずにはいられないでしょ。もし自分が苦しんだ経験があるならね。

 そういうコメントが増えるといいなと思うけど。だって会からさよならして皆幸せになりたいから、ここにきて読んだり書いたりしてるんでしょ?ほかに目的があるの?

 それから、余計なお世話だろうし、もう反論して欲しくないけど、本当に苦しんでいる人の邪魔だし終わりにしたいから、敢えて書かせてもらうけど。過去の捉え方の定義が元々違うので、話が噛み合わず平行線たどってるんでしょ?

 片方は「過去」をその思いも、見方も何もかもひっくるめて定義して、もう一方は、事実、現象面のみの定義。どちらも正しいし、正しくない。第三者からするとそう思える。

 ここは学校じゃないし、何が正しいかなんて、誰ももとめていないんじゃない?それより、自分が今何を考え、幸せになる為に何をしようとしているか、もし助けが要るなら、どのような人にどんな助けをして欲しいのか?そんなことの方が聞きたいでしょ。それと励ましの言葉と会の実態。

 昔、辛かった事を言っても良いけど、それだけだと余計辛くなるし、悪口を言うとその人以下の人間に成り下がっちゃうから謹んで、積極的な、前向きな事を最後に書くとかしたら良いんじゃないかと思う。ひとつの意見だし、説教するつもりはないよ。

 過去を塗り替えたいし、法然上人の比叡山位の時間があったら、何でも出来たのにと悔しくて、悲しくて何ヶ月も泣いたかな。周りに愚痴を言ってきてもらいもした。でも、泣いていても、愚痴っても、何にもならないし。だから、同じ思いに苦しんでいる人の気持ちがわかったんだし、少しでも希望というか、慰めになれるかと思って書いてる。何の役にも立っていないかもしれないけどね。ただ苦しみには終わりがあることを抜け出せる事を分かって欲しいだけでなんだけどね。

 会に関わりのある人もないひとも皆幸せになれるといいと本心で思っているなんて言っても、信じてもらえないよね。

 

投稿: | 2009年7月 8日 (水) 23時42分

参詣者全員が投票して弁論大会の優勝者を決めていたときは盛り上がったな。
投票用紙を回収して講評の間に時間に間に合うように手作業で皆協力しながら集計したりして。
得票数も優勝者が2位以下に大差をつけたときとか、すごい反響だったのを覚えている。
その頃は参加者全員で作り上げているという満足感があった。

それが審査員制に改悪され、また事前指導や検閲が行われるようになってから、
弁論大会がひどくつまらないものになった。

そんなふうに上層部の意向がより反映されるようになるにつれて、
狂っている部分が増えて行った。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 00時04分

最近の弁論大会は「大衆審査」でないのですか?

新人の沙汰っていって、結局は自己紹介をしてるだけなんですよね。
今日の話をどう聞いたなんて話はまったくない。
事前に承認を得た人をM晴があてて話すだけ。
なんだか学芸会を見ているようでした。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 00時27分

正本堂が出来てから、500人だったかが支部、部門から選ばれて投票する。
その審査員の選出も、事前に報告が必要みたい。だから、何があっても来る人が選ばれる。来なかったら支部長の責任問題になるから。
だから、会計、次長、副次長、班長といった支部の中でも活動頑張ってますよ、布施たくさんしてますよ、という人が選ばれる。支部では、若い人はあんまり選ばれないですよ。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 00時48分

弁論大会の審査員をわざわざお金とか立場で選ばれるなんて、弁論大会中止にしたらよい。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 12時20分

>  片方は「過去」をその思いも、見方も何もかもひっくるめて
> 定義して、もう一方は、事実、現象面のみの定義。 

「過去」に対する思いや見方は「現在の、過去に対する思いや
見方」なので、現在でしょ。それを過去に入れるというのは、
無理がありすぎます。

過去は変わりません。でも、過去に対する見方や思いは変わります。
なぜ、それではいけないの?理解に苦しむ。

> 貴方は何が正しいか、間違いかどうして分かるの?
> そんなもの、時代や場所によって変わるでしょう。

だったら、あなたが私のことを間違っているというのも
まったく意味ないことです。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 18時08分

議論は嫌いだ、といいながら、「過去に対する思いも過去に
入るんだ!」というとんでも理論をことさら主張する人達は、
議論が嫌いなんじゃなくて好きなんじゃないの?

そうでなければ「そうですね、過去に対する現在の思いは
過去には入りませんね」で終わることだと思うのだけど。

議論が嫌いだといいながら議論を終わらせようとしない
人達の心が理解できない。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 18時11分

で、本質的なところに話を戻すと。

俺の個人的な考えでは、過去は変わらないけど未来は
変わるんだから、より良い未来を作るために
現在を変えよう!

これでいいじゃん。なんで「過去を変える」にことさら
こだわるかまったく理解できない。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 18時15分

>  ここは学校じゃないし、何が正しいかなんて、誰ももとめていないんじゃない?

そうなの?少なくとも、間違ったことを言うよりは、
正しいことを言う方がいいでしょ。

しかも、そんなに難しいことじゃない。

過去は過去であって、それ以上でもそれ以下でもない。
現在の気持ち、未来の気持ちを過去に入れるのはおかしい。
あえて間違っていることを言う必要性はどこにもない。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 18時24分

私は、この議論は「親鸞会を憎い少しでも親鸞会に自分を不幸にした代償を払わせたい」と思っている方、「騙されて良い勉強をした、自分は手遅れにはならなかったから二度と間違わない教訓にしよう」という方の議論に感じます。
親鸞会に対しては、人それぞれ犠牲の大きさや考え方の違いもあり、清算の仕方があると思います。
私は、ここのコメントを読んだ会員が親鸞会に対して再考するキッカケになれば、 と思っています。
親鸞会を卒業した(と思って)私達は、仲良くして、ギスギスした親鸞会の可笑しさを会員に知らせてやりませんか?と思い提案します。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 18時37分

最近、このサイトの趣旨と関係ないコメントが増えてきましたね。
親鸞会が最も喜ぶ展開です。
もちろん、そういう意図の書き込みではないと思いますが。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 18時42分

結局のところ。

「過去に対する見方は変わります」と言えばいいところを、
「過去は変わります」と間違ったことを言ってしまった。

そのことを(細かいツッコミすみませんと言いながら)
指摘した。

そこで「なるほど、たしかにそうですね」と言って、
間違いを直せば、何も問題はない。

そうでなくて「私はこういう意味で言った!それが何が
悪い!あなたは私の心を理解しないのか!」と逆ギレする
から、話がややこしくなる。さらにややこしいのは、
本人が逆ギレしているのでなく、第三者がわらわらと出て
きて逆ギレすること。

別に、細かい間違いをしたことは恥ずかしいことでもなんでも
ないんだから、変に意地をはらないで、さっと訂正すれば
それでいいんじゃないの?

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 18時43分

だまされたっていう意識はまったくない。
ただ、人の意見に耳を傾けてもらいたい。特に組織について。
非難はつき物だろうけど、一般常識に欠けてるから問題なんだな

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 19時18分

親鸞会はくだらないことに時間のかけすぎ、誰が弁論の投票してもいいだろ?

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 20時48分

是非しらず邪正もわかぬこのみなり
 小慈小悲もなけれども名利に人師をこのむなり (親鸞聖人)

 過去の意味は読んでる人がそれぞれの思いで判断されたらいいのでは?
 なんで白黒ハッキリさせたがるかな?何が正しいなんてこの世で判断できる人は一人もいないし、誰かが言ってたけど、時代や場所や個人の解釈で変わるんじゃないの?いつも聞いてきたでしょ?相対の世に絶対は存在しないって。言葉の意味も例外じゃないでしょ?
 自分が自分がばかり主張するんじゃなくて少しは読んでる人の身になって考えてみたら。
 より幸せに向かえる前向きになれる情報や励ましの言葉とか書いて仲良くしたほうが良いよ。
  ねえ、そうでしょ?元会の職員さん?
 

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 21時29分

弁論大会、何か懐かしいなあ。総評の深松本部長、石崎総務局長、
日下部副本部長。みんな個性のある評論してたな。それぞれ立派な
人物だった。みなさんお亡くなりになったと聞いた。(まちがって
いればごめんなさい)
 この方がたがご存命であれば親鸞会の衰退を少しは防げたであろうかな。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 21時53分

  仏教と関係ない世間の癒し系の本とかでも少し立ち直れるきっかけになれるかも。
 古くて、仏教じゃないけどマーフィーや中村天風とか。
 今風で本も読めないほど落ち込んでいたなら斉藤一人の本でCDを聞いて
 「自分を許します」
 「他人を許します」
 と一緒に言って「自分で自分の機嫌」をとったりしてみるとか。
 五日市剛さんのように「有難う」「感謝します」「ツイテル」という魔法の言葉を言い続けるとか。
 本はいいよ。アマゾンや清水克衛さんの本屋のホームページ見るとか
 自分だけで考えると暗い事や消極的な後ろ向きな事考えちゃうから。別に宣伝料は貰っていないよ。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 22時04分

一つ良いことが書いてあった。深松本部長、石崎総長、亡くなられましたが、親鸞会の草創期を支えられたかたです。この方たちは、親鸞会内外でも評判はよかった。この方たちがいたから親鸞会は大きくなり、逆にこの方たちが亡くなられたから悪いほうへいった。深松本部長は書の大家で学校の先生、石崎総長は旧国鉄職員、今の親鸞会館の土地を購入するのに骨を折られたかたです。バカ息子もみならってもらいたいです。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 22時33分

親鸞会は収支報告しないことを指摘されているが、金銭について厳しく言われているにもかかわらず、収支報告しないのは重罪です。世間一般の会社でもオープン化してます。ましてや、親鸞会は、会員さんの会費で成り立ってるんです。生活を切り詰めて懸命に苦労をされております。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 23時16分

>  自分が自分がばかり主張するんじゃなくて少しは読んでる人の身になって考えてみたら。

そういうあなたの考えを主張することも、自分が自分が
主張することになりますね。

白黒はっきりさせたくないなら、黙っていればいいでしょ。
なんで、口出すの?

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 23時39分

「議論するな」
「白黒はっきりさせるな」
「正しい間違っているにこだわるな」
「自分が自分が主張するな」

という主張をくり返す人がいますが、その主張自体が
無意味ですし、その主張をしていること自体が自己矛盾に
陥っていることに気付くべきですね。

議論が嫌いな人は、黙っていて下さい。
誰も、議論につきあってくれとは言っていません。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 23時42分

> 相対の世に絶対は存在しないって。言葉の意味も例外じゃないでしょ?

言葉の意味に絶対はないから、どんな言葉の意味を使っても
構わないんだ、という意見には、まっこうから反対します。
到底承服できません。

もし、そのことについて議論したいのであれば、してもいいです。
でも、そうすると余計に話がずれるので、ここには踏み込みません。

「過去が変わる」というのは間違いだ、という意見は変わりません。
この意見に対して、反対意見があるのであればどうぞ。
なければ、そういう結論で終わりとさせていただきます。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 23時49分

顕真学院等では金銭について厳しく指導されているのに、財施の収支報告はない。この2つの事実を整合させる理屈があるとすれば一体如何なるものであろうか。こじつけさえ思いつかない。

投稿: | 2009年7月 9日 (木) 23時56分

過去が変わるというのは間違いだというのは学問上のいわゆる客観的な視点で見ているからだと思います。過去が変わるというのは主観的な自分の認識や感覚として受け止め感じ取ったままを表現しているからだと思います。

私は客観的な定義としての過去についてはあまり興味がありません。心の中にあって現に自分を悩ましている過去、または克服できたと思える過去こそ私の関心のあるところです。心と切り離された過去よりも、自分が抱く様々な思いを含んだ過去の方が自分にとっては重要です。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 00時30分

人徳のある方々が、会が悪い方向に行くのをとどめる役割を務められていたと思うと、人を見る目が無かったと嘆いている自分の気が少し楽になるな。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 00時44分

「言う必要性はありません」
「まったく意味がない」
「心が理解できない」
「まったく理解できない」
「必要性はどこにもない」
「何も問題はない」
「黙っていればいいでしょ」
「何で口出すの」
「その主張自体無意味」
「黙っていて下さい」
「議論に付き合ってくれとはいいません」

 どこかで聞いてきませんでしたか?
 そうさよならした某会です。
 これらの言葉にどれだけ苦しめられ、うつになったり 果ては、死にたくなったことでしょう。
 言論統制と思う人は私だけではないと思います
 これらも言葉には人を思いやる優しさや歩み寄る気持ちが伝わってこないような気がします。人の意見に耳を傾ける姿勢を見せる事を振りでも良いからして下さい。

 お願いですから、自己満足の為に口から出たような上記に様な上から押さえつけるような言葉は遠慮してください。やっと立ち直りかけている僕には耐えられません。薬も通院もこりごりです。

 暖かい、やる気が出る、生きる希望が出てくる楽しい言葉をかけてください。どうぞ宜しくお願いします。

 「黙れ」は特に禁句にして下さい。会で散々黙ってきたのにこんなところでも言われるとは思いませんでした。嫌な言葉です。救いを求めてここに来ている人がたくさんいることをいつも考えて書いてください。重ねて確認しますが、これは切実なお願いです。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 08時59分

議論が好きならば、いくらでも口を出せばいいですよ。
でも、議論が嫌いだから議論するな!と私に言いながら、
自らは議論をふっかけてくるんですから、議論が嫌いならば
黙っていて下さい、と言ったのです。そうやって、まだ
私に絡んでくるということは、議論を続けたいのですね。
それならば、それでいくらでもつきあいます。
私に「黙れというな!」というのであれば、私にも
「議論するな!」と言わないで下さい。
「議論するな」という方が、よっぽど言論統制でしょう。

> 人の意見に耳を傾ける姿勢を見せる

あなたは私の意見には聞く耳を持たないけど、
私にはあなたの意見を聞け、間違っていると思っても
そんなことを言うな、というのですね。それは、不公平です。

> 過去が変わるというのは主観的な自分の認識や感覚と
> して受け止め感じ取ったままを表現している

もちろん、そういう意味で使ったのでしょう。
で、過去が変わったと主観的に感じるのはいつですか?
それは、現在であり、未来です。
だとすれば、過去が変わったのではなくて現在及び
未来が変わった、ということになります。

「過去が変わったように感じる」というのであれば
いいですが、そうではなく「過去が変わった」という
のであれば、それは事実に反します。したがって、
意味が通じません。「過去が変わったように感じる」
と正確に言葉を使うべきです。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 11時01分

「過去が変わった」というのは間違いだ、というだけでは
建設的ではないので、こういう表現であれば正しい、という
表現をいくつか例示します。こういう表現を使えば、いくらでも
正しく会話できますから、言葉は正しく使って下さい。

過去が変わったように感じる
過去の記憶が変わる
過去の見方が変わる
つらい過去が楽しい過去に変わる

私の主張は、一貫して「言葉は正しく使いましょう」という
ことです。「言葉は正しく使わなくてもいい」という人が
いれば、いくらでも議論を続けます。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 11時11分

私も親鸞会に長く在籍しましたが、学生時代から、周りには良い人が多かったです。
変わった人はいても、悪い人はあまりいませんでした。
良い人を通して、親鸞会を信じてしまっていた事がわかります。
もしも早い段階で、会長や不倫男の姿を知っていれば、親鸞会員を続けませんでした。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 11時20分

 もう八つ当たりや弱いものいじめはやめなよ!
  元のコメントの人はとっくに降りてるんじゃない?
  ここに来てる人たちは攻撃的な言葉や何が何でも正しいという態度に敏感で嫌だから、思い出しちゃうから、もう争いはいいからって何度も懇願してるんだよ。コメント見て自分が攻撃されてるように思っちゃうんだよ。自分も含めて。
 入院したり、引きこもってたりしてる人何人も見てたから、気持ちが良くわかるよ。過去が変わるかどうかなんてどっちでもいいの!ただ泣いていたとか苦しんでいると言っている人たちに慰めや労わりの言葉もなく、唐突に、正しさを主張するコメントだけ書くのは良くないよ。皆立ち直ろうと必死なんだから。
 エネルギーはどうせなら会の崩壊に向けたら良いんじゃない?
 ここのブログやはじめの投稿の目的は会を離れることでしょ?なぜ未だに苦しんでいる人が癒されたい、自分を過去も含めて受け入れたいという声が届かないかな?表現の仕方の解説じゃなしに、辛かったんだね、でも貴方は全然悪くないんだよっていってあげなよ。
 直接関係ないかも知れないけどあのTさんだって、お願いされて2Cに来なくなったでしょ。今ではさすが偉い人だと、人の痛みが分かる人だと尊敬してるよ。
 会や対策員の回し者なんて思われたくないでしょ?流れを止めたり、うんざりさせてここに来ないようにしてるってあなたのこと誤解されたくないし。まあどうしても言葉の定義や使い方が気になるなら、国語の先生にでもなれば?聞いてもらえるよ。
 同じ議論するなら、会を皆がやめて会が崩壊して、皆が幸せになれる事に向かっての議論をしていこうよ。今後はどちらが正しいという議論はスルーという事で。
 コメントは投稿者やコメントした人への共感や励ましであって欲しい。自分の為であると同時にね。もう良いよ。有難う。いろいろ考えて何に苦しんでいたのか再考する事が出来た事に感謝するよ。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 12時47分

> 私の主張は、一貫して「言葉は正しく使いましょう」という
> ことです。「言葉は正しく使わなくてもいい」という人が
> いれば、いくらでも議論を続けます。


議論するのは一向に構いませんが、場所を移しては如何でしょう。
ここは親鸞会の問題点について議論するサイトですから。

2chにスレッドを立てるなり、新たなブログを立ち上げるなり、
いくらでも手段はあると思います。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 12時50分

> 八つ当たりや弱いものいじめはやめなよ!

別に、八つ当たりや弱いものいじめはしていません。
私は、書いている個人を攻撃する意図は一切ありません。
ですから、客観的な表現を使っています。

> 元のコメントの人はとっくに降りてるんじゃない?

それなのに、関係ない人があれこれと議論をややこしく
するのがおかしいんじゃないですか?

> 慰めや労わりの言葉もなく、唐突に、正しさを主張するコメントだけ書くのは良くないよ

慰めや労わりの言葉を先に書けば良かったのですね。
「大変でしたね。頑張って下さい。でも、過去は変わりませんよ」
と書けば良かったのですね。
なんだか面倒な掲示板です。

> コメントは投稿者やコメントした人への共感や励ましであって欲しい。

共感や励まし以外のことは書くな、ということですね。
共感以外のコメントを許さない内輪の掲示板は、
不健全だと個人的には思いますが、ここがそういう趣旨の
掲示板(正確にはブログだと思いますが)であるという皆さんの合意が
あるのであれば、このコメントを最後に一切の書き込みをやめます。

> 議論するのは一向に構いませんが、場所を移しては如何でしょう。

親鸞会の問題点と直接的に関係のないことは書くな、という
ことですね。

見事な言論封鎖ですね。

では、黙ります。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 15時25分

皆様

ぶるうのです。

記事の内容とは関係のない方向に議論が交わされているように思います。少しだけならば別に構わないのですけど、コメントが100を超えると、記事の内容についてコメントしたい方の迷惑になるように思います。
そろそろ他のところに場所を移してやっていただけませんか?
よろしくお願いします。

投稿: ぶるうの | 2009年7月10日 (金) 15時35分

コメントに関して、内容が正当か、そうでないかはともかくとして、
読んでいる人に不快感を与えるようなものを書いている人は、
少し落ち着いて自分の発言を振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。

議論というのは、それぞれの主張があり、なかなか決着のつかないものも少なくありません。

その内容について、賛成する人もいれば、反対する人もいるでしょうが、
内容以前に、読んでいる人に不快感を与えるようなものは、
いかがなものかと思います。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 18時17分

相手の言葉尻をとらえて、「言論封鎖」だとか言っている時点で、

なにか過剰に自己を防衛しようとしている親鸞会の体質のようなものを
感じてしまいます。


投稿: | 2009年7月10日 (金) 18時19分

  「大変でしたね 。頑張ってください」
  「つらい過去が 楽しい過去に変わる」
 有難うございます。真に痛み入ります。頂戴したお言葉心に深く受け止め過去がもっともっといい思い出に変われるよう今を大切に生きていきます。上記のように書いていただき、一歩踏み出されたからきっとあなたもそして励まされた私も幸せになれると思います。(決して上から目線とか同情ではなく本心です)
 同じ労力使って書くなら、もうよしてくれ、ほかに行ってといわれるより、感謝されたほうが自利利他になるよ。どこの板でも同じと思うけど自分が言いたい事より相手が聞きたいこと書いたほうが結局自分の為になるよ。
 自分が正しいって言い続けて、結局、相手をあきれさせて議論に勝ったつもりで喜んでる某会と貴方が同じに思われなくて本当に良かった。結構実際会うといい人でしょ。貴方。違いますか?

投稿: | 2009年7月10日 (金) 19時15分

この掲示板はいつから2chになってしまったのだ。コメントはあくまでコメントであって、議論の場ではないので皆注意しようよ。コメントって普通一言で終わらない?おんなじ人がずっと書くのはコメントではないよ。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 21時40分

それだけ問題が多いってことですね。

投稿: | 2009年7月10日 (金) 22時21分

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