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投稿:高森会長に人間の心はあるのか

最近親鸞会を辞めた方から、以下の投稿を頂きました。
それにしても、「親鸞聖人の心霊写真」を勝手にコピーして3000円で販売ですか。高森会長のお金への情熱にはただただ敬服するばかりです。高森会長にとって親鸞聖人とは単なる金もうけの道具にすぎないのでしょうね。

これを見ても親鸞会は「被害者などいない。被害の実態など無い」と言い続けるのでしょうか。
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岡目八目とは、よく言ったものです。親鸞会を離れて、客観的に見ると、如何におかしな団体であったかがよく分かります。

信じ切っている者にとって、親鸞会の実態を知らされても、戸惑うだけでしょう。私がそうでした。
「そんなばかな、ウソに決まっている、何かの間違いだ、会長先生に限ってそんな事するわけがない」
支部長は勿論、誰にも相談出来ない、そんな中で精神状態がおかしくなっていき、うつの様相まで呈するようになりました。

本当に騙されたと分かった時は、絶望に近い衝撃がありました。親鸞会の実態を、認識するのは、自分の人生を全否定するようなものです。
悲しくないわけが、ありません。また、その後に出てくる堪えようのない怒りは『親鸞会、高森会長憎し』の心だけでした。

私が、一番力を入れて来たのは財施でした。これまで親鸞会に費やした金額は、家の一件や二件くらいは、十分に建つ金額です。法施が出来ない分、せめて財施をさせて頂こう思ってした事ですから、その時は、惜しいとかいう心はありませんでした。

しかし、騙された事が分かった時、「金返せ!」とか「訴訟を起こすぞ」という、かつて感じた事のない、大きな憎しみと怒りでした。

憎しみや怒りを抱えて生きるのは、辛いことですし、本当に苦しいです。こうなる前に、《なぜ、気づかなかったのか》にも書かれているとおり気付く機会はたくさんあったのに、なぜ”おかしい”と思わなかったのか悔やまれます。

みなさんは本当に、親鸞会のやっている事を一度もおかしいと思った事はないですか?

もし、ひとつでも「これは、おかしいのではないか」と感じたら、それは正しいのです。それを「これは、私が会長先生の深い御心がわからないからだ」とか「私が真実に対して、理解が出来ていないからだ」とか「信心決定したら分かることだ」などとは絶対に思わないで下さい。自分の正直な心の声に、耳を傾けて下さい。

私は、もう数十年前に「これはおかしいのではないか」と思えることがありました。それは、私の叔母が、茨城県に旅行に行った時の、記念写真を、見せた事がきっかけでした。

その写真は現像してみると、なんと心霊写真のように、ある人の姿がくっきり写っていました。場所は、聖人見返り橋という小さな橋の傍らで、ここで親鸞聖人は関東の同行と分れたところと聞いています。その橋の所に、昔のお坊さんが着用する、着物を着て笠を被り、杖を持った方が写真に白く浮き出ていました。びっくりした私は、その写真を会のある方に見せました。その写真は会長先生もご覧になって「親鸞聖人かもしれません」と言っていたことを後で聞きました。

問題はその後です。

そんな写真の事は、すっかり忘れてたある日、聴聞会場である会員さんが、私が持っていたその写真を見せてくれたのです。びっくりした私は、「その写真はどうされたのですか?」と聞きますと、「3,000円で求めました」と言われました。

私は、本当に驚きました。なんで、私が見せた写真を、他の人が持っているのか、また1枚3,000円とはどういう事か。。。。

「私に何の許可も連絡もなしで、こんな事するなんて」と思いましたが、洗脳されていた私は「こんな事で、親鸞会のお役に立てるのなら」と思ってしまい、上司に何も伝えませんでした。未だに、その事をしっかり覚えているのですから、あの時やはり、親鸞会はおかしいと思ったのです。

学院長から「仏法と世間の事は、切り離して考えなさい」と言われた事があります。世間的には、問題的な行動であっても、親鸞会ならそれが許されるという事なのでしょうか。

私は営業の仕事をしておりますが、営業では、For youの仕事に徹すれば、必ず成功する。しかしFor meの仕事は失敗しかないと言われます。For youで仕事をすれば、双方勝利WIN WINの結果が得られるといいますから正しく自利利他の精神です。

世間の人でも、このような事を知ってる人がいるのに、世界の光、親鸞聖人の御教えを説く者が、なんでこんな原理原則を、分からないのか、不思議でなりません。倫理、道徳さえも満足に守れない者が、仏法者とは笑止千万です。ですから、少しでも”おかしい”と思ったら、勇気を出して確認してください。手遅れになってしまいます。

私は、もっと早く親鸞会の実態を知りたかったと思いました。私はまだ、命のある間に知る事が出来ましたから、よかったですがどれだけの人が実態を知らずに亡くなっていった事でしょうか。私が知っている亡くなった方は、みんな高額の財施をされ、真面目に求道していた方ばかりです。

私が、一番許せないのは、このように取る物だけ盗って信頼しきっている会員を騙した、いえ騙し続けている親鸞会、高森会長です。この人には、人間の心というものがあるのでしょうか。本当に許せません。

皆さん本当に、どんな気持ちで、亡くなっていかれたのかと思うと涙が止まりませんでした。

「私は説き切っています。聞き切らないのは皆さんの責任です」とはどの口が言わせるのでしょう。ばかばかしい!怒りを通り越して、本当にこんな人を心から信じていた、自分がなさけないです。

ぶるうのさんや清森さん、斉尾さん、上田さん、そして嶋田さん、また多くの方々がネット上に書いて頂けなかったら知る事が出来ませんでした。心から感謝いたしております。また、その勇気にも本当に、心から敬服しております。

これから気づく人達も、もっと早く知りたかったと思うに違いありません。浅学非才の私ですが、未だ気付かずにいる、会員さんに何らかの形で行動をし続けていこうと思っています。

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コメント

私も、ぶるうのさん始め、嶋田さん清森さん上近藤さん苦笑さんには大変感謝しています。
中でも、一番は、会長(偽名・山田)と法論した、田中さんです。
あなたがいて下さったからこそ、疑問が起こり、他の皆さんの問題提起が心に響くようになりました。
本当にありがとうございました。

投稿: | 2009年6月25日 (木) 15時22分

地獄の沙汰も金次第とはT森カルト会のためにあるような言葉です。
T森会長は信者を「大きな虫を生かすための」小さな虫けらのようにしか見なしていません。
思考停止はもういいかげんやめにしましょう。
まずはこの投稿者様のように、「今まで親鸞会で経験した変なこと」に対する問題意識をもつことが大事だと思いますね。

投稿: 親鸞会の常識は世間の非常識 | 2009年6月25日 (木) 17時40分

「正本堂落慶法要の記念ビデオ」で、よろめきながらスクラムを組まされて「同志の歌」を歌っている高齢者の姿、とても痛々しかったです。

投稿: | 2009年6月25日 (木) 19時45分

問題点は数えきれないが、富山の小杉に建物が集中したことが問題を大きくさせてしまった。  
昔は全国で法話があり、かえってそれらの経費でお金がかかって、そんなに変な問題はおきなかったね。今はビデオやらアニメやら、弁当やら、完全に聴聞でなくビジネスになってる。

投稿: | 2009年6月25日 (木) 22時00分

この方の仰る通りです。何かというと、最後は「先生の深い御心」で片づけてしまう。私はいつもいつも本当にそんな心があるのだろうかと思っていました。本当に深い御心があるのなら、他の会員さんのいうように親鸞聖人の生まれ変わりなのならば、善鸞を義絶したような厳しさ、一緒に田畑を耕すような優しさがあるはずではないですか。しかし会長はほとんど会員と顔をあわすことはありません。それどころか、何を勘違いしたのか、たくさんの建物を建て、どんどん隠れているではないですか。会員の皆様早く気づいて下さい。時間、お金、心、人との繋がりを犠牲にしてまでしがみつくべき団体なのでしょうか?

投稿: | 2009年6月25日 (木) 22時11分

20年ほど前から親鸞会で聞いている者です。ネット情報や自身の経験から、親鸞会に不審を抱くようになりました。しかし、なかなか会から離れられないのは、「やはり高森先生は真実信心のお方のはず」との思いがあるからです。今はあまり感じなくなってきたのですが、20年前のご説法では、「みなみな信心決定あれかし」の先生の思いが強く伝わって来ていました。「君らに信心決定してもらわないと儂は困るんだ・・・」といった鬼気迫る気持ちを感じていました(主観的ですが、そう思えました)。しかし、今はご自身の保身に汲々となさっているように見えてしまいます。この変化が合点がいかないのですが、先生も煩悩具足だからそれゆえの変化なのかな、真実信心は変わらなくても外に現れる形は如何ようにも変わるということなのかもしれない、と思ったりします。しかし、蓮華の五徳の、中虚外直の徳は、外には身を慎み正すということではなかったか、と思うと迷路にはまりそうです。とは言え、このままズルズルといってはダメな気がします。事実確認の行動を起こしたいと思います。

投稿: 漸進 | 2009年6月25日 (木) 22時54分

最近は関東の大学で非常に犯罪が増えてます。昔は大学はエリートと言われましたが、昨今の犯罪は小子化のあおりでしょうか。  ますます監視は厳しくなり、勧誘も難しいでしょう。名古屋や大阪より甘いから

投稿: | 2009年6月25日 (木) 22時56分

はじめにTさんに不信を持ったのは所謂N事件でした
 ある学生さんがNさんとの関係を暴露した手紙をTさんに書いて、上層部で針のむしろになったNさんが、反乱をおこして、関東に「真宗友の会」という会未公認の組織をつくって、会員を引き連れていこうとしました。結局数名しかついていかなかったのですが、それがIの会です
 そのときTさんが「こんなことになるのなら、しかるべき女性をあてがっておけばよかった」と言われたとN講師から聞きました。伝聞なので事実かどうかは判りませんが、その後N講師もY講師も結婚しました。「しかるべき女性」とはそのときの話の流れやニュアンスで結婚相手でなくお仕事の方と取れました。Tさんが本当にそう言っていたなら嫌でしたが、確かめる術はありませんでした。今から考えるとこの発言は世間以下です。
 また皆でNさんを呼び捨てにしていたのにも違和感を感じました。会に逆らった人は後に同じように呼び捨てにされました。

 それから、高岡、滋賀、岐阜の会館は狭く、入り切れない人は、プレハブのような仮小屋で聞いていました。一番初めの滋賀降誕会は、講師が、次に幹部が席を譲りましたが、その次からは、番号が後ろの人や後から来た人が仮小屋に行かされました。お金で席を買うところなのだと思い嫌な感じがしました。

 T商事と蜜月関係にあったとき、変な新聞の購読の勧誘を講師がさせられていました。試しに両親に1ヶ月送りましたが、毎日届かず、内容もなく、ヌードもあり嫌な感じだと叱られました。

 関西本部はT商事の資金が途絶えて建ちませんでしたが、そのとき、関西本部のための名目の献金がありましたが、未だ説明もなく、返してももらっていません。よく会計報告さえすればと書いている人がいますが、そんなこと期待しても無理だし、出来るはずがないのです。どこかほかにまわしてしまっているのでしょうから。あの彦根の土地は売ってしまったのでしょうか?悪徳株式会社を読んで下さい。大筋がわかります。どこまで本当かはわかりませんが。小説なので。

 小杉の会館も車を持った人のことしか考えていませんでしたね。お金のない学生が、1時間以上歩いてくると非難しました。なんで駅からタクシーで2500円以上もかかるところに会館を建てるのかわかりません。

投稿: | 2009年6月25日 (木) 23時21分

私も約二十年会員ですが、当時は日本全国で法話があり、そういった意味で聴聞優先でしたから、あまり疑問は感じなかった。今は、先ほどもあがってましたが、建物が集中したり、弁当やができたり、仏教とは関係ないだろう。社会人になり、収支報告のない、いい加減な団体、何かあると高森先生の御心といわれ、信頼から薄れたね

投稿: | 2009年6月25日 (木) 23時22分

小杉の会館は高岡駅から遠く、学生時代はお金がなく四苦八苦したわ。本当に腹が立った。車の免許をとろうとしたが、先輩から止められたが、無視して二年から通ったかな。

投稿: | 2009年6月25日 (木) 23時34分

漸進 さま

私もあなたと同じく20年ほど前に親鸞会に入会し、10年ほど前に退会した者です。求道で苦しいこともありましたが、「高森先生はもっと苦労されている」、「高森先生は人格的にすばらしい方だ」と思い続けていました。
10年前のある日、父に高森先生の著書(←実はその多くがパクリ)を読まれてしまいました。
(実は両親にちゃんと読んで欲しかったので、あえて見える場所においていたので、私の思惑通りことが運んだわけですが・・・)

父が一通り読んだ上で以下のことを言われました。
「人をバカにしたような言葉が多く、誤魔化している箇所も多い。
一度、この方と話をしてみたいんだが、会うことは出来るのか?」
私は答えました。
「会うなんてとんでもない。雲の上の方だ。ごまかしているように思えるのは、教えが分かっていないからだ。」と。
その時、父がいった言葉を今でも忘れません。
「それは典型的な邪教の教祖だ。なんで雲の上に安住しているんだ。
本当に会員に教えを広めたいなら、会員と一緒に侵食をともにしてでも、接点を持つはずだ」と。

過去の経歴もよくわからない、一度も喋ったことがないのに、自分で勝手に会長を崇拝している自分に気がつき、冷静に高森会長および親鸞会という組織を見るようになりました。その過程で今2ちゃんねるをにぎわしているいろいろな問題点が見えてきました。
教えも組織も問題だらけ。会長自身も問題だらけ。
問題点がはっきり見えてきます。

自分がなぜ高森会長に従うのか、なぜ親鸞会というフィルターを通してしか聖人の教えを学んだことがないのに親鸞会教学が正しいと思えるのか一度冷静に考えてみることをお薦めします。

投稿: | 2009年6月25日 (木) 23時36分

親鸞会の中にいて、「ん?これは如何なものか?」と感じたことを2つ申します。1つは、アニメ戦が展開されていた頃、親友部の人から訪問販売のしかたを教わった時でした。親友部の人が、「(相手が)家の奥から出て来られたら、まず『寺の方から来ました』と言ったらいいです」と言われ、続けて「近所の寺のある方向から来たら、そう言っても間違いは無いですからね」と笑いながら言われました。これは、ギャグなんだなと思って聞き流そうとしていたら、本当にそのように指導しようとされていると判ってヒキました。こちらの都合の良いように間違って受け取られ易く言うのは如何なものかと思いました。もう1つは、「歎異抄をひらく」の発売直後、SK活動なる活動に携わった時です。SKとは「書籍-購入」の略らしく、親鸞会発行の書籍を、支部幹部が分担して一般書店から購入し、その書籍の販売部数を伸ばす活動です。これも、犯罪ではないが、潔いかどうかを問えば潔くない行為であり、一般の人が知れば眉を顰めるのではないかと思います。このように反則スレスレで戦うのは、仏法者としての品格を自ら捨てることになるのではないかと思います。反則とは程遠い所に立ち続けるのが仏法者であると思います。

投稿: ギリギリセーフ? | 2009年6月25日 (木) 23時54分

 続きです。会館が小杉に移ってから、時間が出来たのか、ビデオ、本、Dの里関連の建物、弁当屋、コンビニ、食堂次から次へと献金を要求されました。正本堂が建ったら、会費に献金を含めたものにするというのを変更しましたとお詫びを聞いていません。

 それから、制度を次々に変え、講師やビデオ講師を貧乏にしました。組織で大事なのは人です。人を大事に出来ない組織に未来はありません。またビデオ講師補が変更になるようですし。献金しないものは教学講義に参加させないと言っていたのに、参加人数が集まらないと皆さんおいでくださいです。

 先に手紙からN事件が始まったと書きましたが、あるときから幹部しか書くなと通告されました。この時点でもうTさんは終わりだと思いました。とても嫌だったので、教学講義の献金と手紙の事は、腑に落ちなかったので会の友達に話しましたが、わかってもらえず悔しかったです。

 Tさん一体何があなたを変えたのでしょうか?それともはじめから宗教で儲けたり、威張ったりしたかったので、皆を利用したのでしょうか?それとも惚けたのですか?真相はわかりませんが、あなたが余りにも変なことをしてくれたので、私は弥陀の本願を真剣に求めることが出来ました。だからあなたには別の意味で感謝しています。有難うございました。どうか本当に幸せになってください。読んで下さった方々にもたくさんの幸せがきます様に念じています。

 人に頼る人はその人が倒れた時点で倒れます。
どうか、悔いのない様自分の人生よく考えて、生きて行ってください。あなた次第ですから。あなたの心は誰も変える事は出来ないのです。自分が気持ちのよい道を選んで下さい。嫌だとおもったら、大抵間違っていますから。

投稿: | 2009年6月26日 (金) 00時15分

先生が、「親鸞会と関わった人は一人として、イヤな思いをしてもらいたくない、させたくない」と思っておられるかどうか。真実、このお気持ちがあれば、離れていく人は皆無となるのではないでしょうか。

投稿: これ一つ | 2009年6月26日 (金) 00時24分

会員時代、下から壇上の会長の姿を仰ぎ見て
「この方の目に映る数千人の私たち会員の姿は、原爆投下後の焦熱地獄の中で全身火傷に覆われながら、苦しみ抜いているように見えるに違いない、その中で自分一人だけ無傷でいるのは申し訳なくてしょうがない、助けを求めている会員達を一人残らず救うまで、気が休まることなど一瞬たりともないと感じられておられるのに違いない」
と思っていました。

「正本堂落慶法要の記念ビデオ」の光春講師の後から出てきて、称賛の拍手に笑顔で両手を挙げて応える会長の姿からは、そんな過去の思い込みとは異質の「自信と満足感に溢れる満ち足りて満足した人物の姿」が垣間見てとれました。

投稿: | 2009年6月26日 (金) 00時34分

そうそう、思い出した。はじめの会館はあのスクリーンくらいだったのが今は二千畳。そのようにTさんが語ったとき背筋がゾーっと寒くなった。
 釈尊は貯蓄を奨めていらっしゃるのに、家を売ってアパートで暮らしなさいと言ったあのビデオを見たときと同じ感じだった。

 スローガンにもちゃっかり2千畳が盛り込まれてあったし。人集め、金集めじゃないのかなと思った。

 実際、本当に金に汚い会だね。今度はビデオとDVDの交換で一本3000円~5000円の商売するみたい。廉価のビデオの何倍かな?DVD余っちゃったのかな?本当に次から次へとお金に困っているのかいろいろ考えるね。交換する人が少なかったら半額にするとか言い出すかも。教学講義の条件にあれ程こだわっていた献金や活動日数が急になくなった様に。何しろ行き当たりばったりだから。交換しょうとしている人は後半年か1年待ってみたら?そのころには会事体ないかもしれないけど

投稿: | 2009年6月26日 (金) 01時08分

本当に親鸞会は正本堂ができてますますおかしくなった。

正本堂周辺にはぜいたくな庭石がごろごろ 聴聞に関しても
会員 非会員の区別が厳しくなり 警備員の目をかいくぐって
中に入らなくてはならない状態。さらに暗黙の聴聞料5000円
はこの不況下にあって いったい何を考えているのかというほどの高額。
 とどめは同胞の里の第2期工事のための金集め・・・

中に入れば あんしん弁当におみやげや ますます高森ビジネス
が生活費を工面してきたお年寄りから金を巻き上げる。

これで高森会長が死んだら本当に経営破たん状態になることは必須。

今の現状を見ていると 同年輩の池田大作に見習って創価の成功ビジ
ネスを後追いしているとしか見えない。

残念ながら 創価と親鸞会ではその規模 人員では月とすっぽん

幹部が狂っている間は 純情な会員の金品を搾り取るだけ搾り取って
高森会長が亡き後 とんずらするつもりと言われてもいいのではないか。

それほど今の親鸞会は不信に満ち満ちている。

投稿: 元会員 | 2009年6月26日 (金) 01時52分

この投稿者の方が書いておられる「本当に騙されたと分かった時」とは、どんな時だったのでしょうか。何が退会の決め手になったのでしょうか。高額な財施をして来られた方なので、高森先生への信順度も一方ならぬものだったと思います。そんな方が決断されたのですから、その決め手となったことに興味があります。野次馬根性で申し訳ありませんが、ぶるうのさん、もしできることなら、投稿者の方にその点もこの場で語ってもらえないでしょうか。(もちろん、その方が拒否されればそれで不服はありません)

投稿: 漸進 | 2009年6月26日 (金) 21時45分

組織で一番大事なのは人材ですが、親鸞会を批判する人が言ってもわかってもらえないんだよな。私は親鸞会を守るつもりはないが、衰退を止めようとしてるのに、話にならないわ。

投稿: | 2009年6月26日 (金) 22時49分

騙した、騙されたというより、嫌だ、理不尽だ、スッキリしないという感じが、限界を超えたときに離れるのではないでしょうか。
 そうなると、方便と思って無理やり納得してきた、様々な嘘が耐えられなくなります。
 またTさんの深い御心に対しても只の思いつきや欲を満たすためにやっていることの言い訳としか感じられなくなります。一度、ここまでくるともう雪崩のように次から次へと過去のおかしな出来事が心に押し寄せます。フラッシュバックしてきます。

 そして初めてTさんの教えている内容に目が向き、この人の話をいくら聞いてもだめだと覚るのです。洗脳や思い込みが取れたとき、夢から覚め、魔法が解けたとき、目の前にいたのはただの世俗的なお爺さんでした。K会のMさんにTさんの人となりを確かめるまでもなく。もう話を聞く気にはなれませんでした。

 まだ、退会していない方は騙されたとは思っていません。Tさんも組織も自分の宗教観なりポリシーなり生き方なりに抵触していないのです。喜んで騙されているのです。困っていないのです。平気なのです。居心地がいいのです。微温湯だと感じても上がりたくないのです。このままいけばいつかは本当の幸せになれるのだからと自分に言い聞かせながら。

 つまり、今の自分に何が大切で何をすべきかという事を真剣に考えず流されています。ちょっと引っかかる所があっても、忙しいとか、信仰には関係ないと誤魔化してしまうのです。これがかつての自分の姿でした。

投稿: | 2009年6月26日 (金) 23時48分

親鸞会に言われるがままにするとまわりが見えなくなり、それが正しいと思ってしまう。一歩はなれて冷静に見ると、客観的に見れると思います。親鸞会に長いこといる人はよくわかるが、時間や金にはうるさい。これには否定しないが、金については納金はしても、領収書はわけのわからない福だし、収支報告は全く書面でもない。だから、そっぽ向かれるのだ。詰めが甘く、きちんとしていない。

投稿: | 2009年6月27日 (土) 12時54分

親鸞会は、偽装サークルのトップに必ず名前があがる。それと、難易度の高い大学や授業料が高い大学、総合大学がメインになってる。逆に、学生が少ない大学には拠点はない。

投稿: | 2009年6月27日 (土) 16時47分

昔親鸞会の中では、末端会員は別にやけど、結婚相手でさえ、上司から、どうだと紹介されたら、「はい、わかりました」と言わんといけんと聞いたことがある。

その人は当時講師部だった人と20年以上前に結婚、嫌そうではないから、まだ良かったが・・・。

女性をあてがうなんて、そんな事を、すべての人は平等と説く仏教組織がしていたなんて、ショックです。

しかるべき女性の意味がよくわかりました。

投稿: | 2009年6月27日 (土) 21時48分

昔は今みたいに婚活みたいなのがなく、身内の紹介や世話人がいてそれが当たり前の時代。別に上司が決めてはいわかりましたでも良かったと思う。結婚は世間体もあるし、親も心配するからな。

投稿: | 2009年6月27日 (土) 22時04分

ネットの批判を客観的に見てよく読んでもらいたい。職員や講師は完全に洗脳されてますから、客観的に見れないよね。 

投稿: | 2009年6月27日 (土) 22時38分

漸進様

本当に騙されたと分かった時は、どんな時かといいますと、ネットに書かれていた事を自分で確認した時です。
ネットの閲覧は、会ではご法度でしたから、実はずっと見た事はなかったのです。
しかし会を辞めたある人から、ネットに書かれている事を見てもらいたいという内容の書簡を頂きました。
その人は、真面目に求道していた方なので、辞めた事は気になっていました。
正直言いまして、ネットを見るのは、大変な勇気が要りました。
一度見て見ると、次から次へと、私の知らない会の実態がすっぱ抜かれており、動揺しました。
確認しようと思ったのは、書かれている事がうそであって欲しいという願いもあったからです。
しかし、盗作といわれた書籍類は、オリジナル本を見れば盗作かどうか、一目瞭然です。
かまたさん事件は、あの録音を聞けばこれも分かります。
分からない点は、辞めた方にメールや電話、また面会して確認しましたが、複数の人の答えが、全部一致してました。
親鸞会に対する信頼感が、崩壊しました。この時、私は騙されていたのだ
と思ったのです。

退会の決め手は、倫理道徳のかけらもない者が、仏法者とは思えなくなった事です。
教えも、でたらめだった訳ですが、1,000歩譲って、教えは正しかったとしても、親鸞会で求め抜こうと言う心が、全く無くなってしまったのです。
こんな気持ちになってから、以前から”おかしい”と思っていた事が噴出してきました。
投稿文に書いた、心霊写真もそうですが、親鸞会では
除名された方がたくさんいます。
除名という事は、高森先生の聴聞が出来なくなる事です。
高森先生の聴聞が出来なくなるという事は、信心決定出来なくなるという事です。
信心決定出来なくなるという事は、地獄に堕ちるという事です。
縁あるすべての人に弥陀の本願を伝えるというのが、親鸞会の使命のはずなのに、なんで縁のあった人を、地獄に堕とすような事をするのか
それは”おかしい”と思ってました。
ですから、私は『親鸞会は、やってる事はおかしいが、教えは正しい』とは決して思えなかったんです。

私は、信頼という事をとても大切にしています。
信頼出来ないところに、いつまで在籍しているのはイヤでした。

ですから、人から聞いた事で判断するのではなく、ご自身で納得いくまで
調べたらどうでしょうか?


投稿: 投稿者 | 2009年6月27日 (土) 23時52分

会のおかしい事を本気で知ろうと行動を起こしたのは、本気で信心決定したいと思った時からでした。
 それまでは、Tさんが自ら、教え以外は人間の集まり、煩悩のあつまりだから、「清濁飲み込まなければならない」とか「おかしな人がいても人は人だし、自分は阿弥陀仏を相手にしていったらいい」と言った言葉を信じて敢えて考えない様にしていきました
 
 それで、自分を誤魔化せている間はよかったのですが、無常は迫っているし、とにかく今信心決定したいという気になったら、本当にTさんがS会が、本当の親鸞聖人の御教えを正しく説いているのか確かめずにはおれませんでした。

 手始めに、ネットの2チャンネルの過去ログを毎晩1ヶ月ほど見続けました。そこには自分がおかしいと思っていたこたが出るは出るは芋づる式に次から次へと。やっぱり、勘というものは当たっているのだと思いました。同時に、それまではTさんは正しいけれど、組織がおかしいと思っていた間違った感覚が一掃去れました。会長のTさんがおかしいから会全体がおかしいのだと改めて確信しました。

 教えは伊藤、大沼両先生の継ぎ接ぎ、御本尊も名号と聖人の御名前の合成、教学も都合のよいところを持ってきただけ、Kシリーズの初期のもの
はS学会の借り物もあり、いい加減な行き当たりばったりのオンパレード
教えは変わらないといいながら、廃立中心がいつの間にか三願転入にシフト。これは過去の新聞の縮刷版をもっていたら、確認されたら、出たら目を言っているわけでないことが、よくわかります。

 Tさんは何がしたかったのだろうと思いました。宗教ビジネスで火をつけたいほど憎い本願寺やMさんが後継者になり、伊藤さんの葬式にも行かなかったK会を見返したかったのでしょうか?とくにK会とのかかわりを
会員に知られたくなかったようです。富山までわざわざ会いに来た伊藤さんを門前払いしたほどえらくなっていたみたいですから。

 M講師の事も不思議でした。聖人でさえ息子親鸞と親子の縁まで切ったのになぜ野放しにするのか?御法座の後、息子の座談会、運転者講習会と会員を残らせくだらない自慢話をしているのを長い間放置して貴重な時間とお金を彼に貢がせたのは何故ですか?これも宗教ビジネスと割り切っていたのなら納得できます。

 子どものころから、彼に仏教を話していっていたら、バイクを乗り回して、人に迷惑をかける事もなかったでしょう?そんな人が運転者講習会ですか?そのバイクのお金はそこから出たのですか?普通の良識のある人は暴走するためのバイクはまず買い与えないし、人の迷惑になることは命がけで止めます。こうした甘やかしが、後の不倫事件につながっていくのでしょうが。

 不倫事件も告発した側が静粛されましたよね。何故怒らなかったのでしょうか?どう考えてもおかしいでしょ?また続きを書きます。

投稿: | 2009年6月28日 (日) 10時02分

投稿者様
こちらの要望にお応え下さってありがとうございました。「私は、信頼という事をとても大切にしています」とのこと、信頼が第一ということを改めて思わせて頂きました。私はネットに書かれている疑惑についてきちんと調べたわけではないので、会への信頼が決定的に崩壊したわけではありませんが、「信じていいのか?」という疑問は常にあり、心の置き所を得ない状態です。ただ、会の雰囲気には、臭いものにフタをする、言論統制、威嚇・牽制、のようなものを感じ、それが私の信頼をグラつかせていることも確かです。

投稿: 漸進 | 2009年6月28日 (日) 20時07分

続きですが、粛清を静粛と間違えて、意味が変になり済みません。お詫びして訂正します。不倫事件についてですが、不倫自体は何とも思わないとか、法律に触れないとかいう人がいます。もちろん組織にとって、組織の規約を破って、それをトップが握りつぶして、証拠不十分で、取り上げた側を処分したことも変ですが。もし自分の子どもや親や夫や妻が不倫していたらどんな感じですか?善を勧める宗教が不倫を許したり、それに準じるような商売の人との行為を暗に勧めることは腑に落ちません。いろいろな価値観があるといっても、親鸞聖人の教えを求める人は家族を大切に思いやる心や崇高な倫理観があってしかるべきと思います。思いはとまらないかもしれませんが、実際行動に移すのはいかがかと思われます。

 不倫を取るに足らないもの、商売の人と遊ぼうが自由という真っ当な宗教がどこにありますか?そのことを誰も問題にしていないのが不思議です。よく解りません。

 同じころ講師の給料を払わない代わりに自由に説法できる支部長制が始まりましたが、これも短時間(10分ほど)の説法の後ビデオを流すやり方 に変わっていきました。Y講師の説法を何十年かぶりに聞く事がありましたが、明らかに説法力が後退していてがっかりしました。現場で説法していなければ当たり前ですよね。

 初めは会員は支部長を自由に選べましたが、そのうち、同じ県内等に限定されるようになりました。これは地元の活動での講師の収入を考えてのことと思っていますが。よく解りません。

 アニメ、本に始まり、そして弁当屋、食堂、コンビニと本来の布教に関係ないものが増えはじめました。もう限界でした。そのころからKさんUさんK会と自分の足で事実の確認をしていきました。そして自分で聖人の御教えを求めるようになりました。

 その後、会も離れ、元会の職員の方とお話しました。予てからの疑問である在職中にいろいろなおかしな点に気づいていたか尋ねました。すると笑いながら、そんなこといちいち気にしていたら、職員など務まらないというのです。びっくりしました。笑っていう事なのでしょうか?職員は確信犯なのでしょうか?程なくその人からメールで一方的に絶縁宣言されました。まだ富山に聞きにいっていると思われます。信心決定はもう諦めてしまったのでしょうか?悲しかったです。

 少しでもおかしいと思ったら、直どんな事でもいいので、自分で調べたらいいと思います。投稿者の勧められるように。

 でも信心を極めたいとか、富山に行けないほど困っているとか、会の人間関係に疲れない限り、なかなか行動に移せないかもしれません。信じているものが悪く言われるのは嫌だし、今までの苦労や信じてきた自分が報われないし。
 事実を知る事は少しでも早いほうが再出発も早くなります。どういう道を行くかはその人次第ですが。勇気を出して一歩進んで下さい。

 最後に一言、嫌な人と離れるにはその人に心から今まで有難う、感謝していますと言うと効果があります。騙されたと思ってやってみてください。皆仲良く幸せになれる事を念じて終わります。長文読んで頂き有難うございました。失礼します。

 

投稿: | 2009年6月28日 (日) 21時18分

>初めは会員は支部長を自由に選べましたが、そのうち、
>同じ県内等に限定されるようになりました。これは
>地元の活動での講師の収入を考えてのことと思って
>いますが。よく解りません。

他県の支部に所属していると、活動にあまりでなくても
分からないので、会員がどこで何をしているか分からず、
会としては、批判分子を把握できなくなります。

そのような批判分子を洗い出すために、ある頃より
所属支部は県内に限定することになったのです。

批判に耳を傾け姿勢を正すのではなく、徹底的に
自分たちを批判するものを叩くやり方は、親鸞会の
体質をよくあらわしていると思います。

そして、その結果が今の衰退ぶりです。
まさしく因果の道理狂いなしでしょう。

投稿: | 2009年6月28日 (日) 22時38分

親鸞会の職員は、自己評価が低かったり、能力が低かったり、人生諦めてたりする人が多いですね。

気を利かせて何かしようとしたら、指示無視になったり、上司批判と受け取られる。上からは、理不尽な指示を受ける、労働組合どころか、給与、休日すべて決められる、親鸞会はこんなもん、叱られる辛いのは自分が悪いからだと諦めなければやってられません。

まともな人程早く辞める。

投稿: | 2009年6月28日 (日) 23時35分

これだけの批判記事がでれば、親鸞会職員になる人はいない。高齢化して破綻あるのみ。若い人もやめるだろうし。

投稿: | 2009年6月29日 (月) 18時08分

除名された講師や会員、この人達の後生について、親鸞会はどう考えているのだろう。自業自得だから関知するところではない、というスタンスなのだろうか。弥陀の正客でない人はいないのに。

投稿: みんな正客 | 2009年6月30日 (火) 00時31分

以前は気にならなかったのに、先生の話が鼻について聞いていられなくなってしまった。
でもいざ離れようかと思うと意外なほど寂しくて空しい。
同じ目的でがんばってきた仲間だし不思議な結束感があった。これからみんなどうしていくのかも気になる。かといって、合わせたような会話しかできないのなら居ても意味ないかなとも思う。

投稿: | 2009年6月30日 (火) 10時53分

 まだ会とさよならしていない人は、試しに、ここに書いている事を一番信頼の置ける仲の良い友達に話してみてください。顔色が変わったり、笑い飛ばされたり、無視されたら、冗談だよでその場を取り繕って下さい。言いつけられたら嫌なので。身を守るために。

 でも、そのとき親身に話を聞いてくれなかったら、その人は只の知り合いで初めから友達ではなかったのです。

 良いときばかりでなく、意見が合わなくなったり、違う道を選んでも、側にいてくれるのが本当の友達ですから。

 残念な事に私には某会には知り合いはたくさんいたけれど本当の友達はいませんでした。

 知り合いの為に、人生を後悔したくなかったので、静かに会を離れました。もう1年近くになりますが、誰も後生を心配してくれる人はいません。

 自分のことを大切にしてあげて下さい。後悔のないように。良い方に行くよう念じています。

投稿: | 2009年6月30日 (火) 21時41分

「鼻について聞けない」ならもう潮時でしょう。その人から卒業する時が来たのでしょう。元に戻る事はもうないと思います。経験上。

投稿: | 2009年6月30日 (火) 22時06分

人は、相手を信頼すればこそ、関わりたい、つきあいたい、頼りたい、与えたいと思う。「たとえ、布教局長が不倫をしようとも、それを先生が揉み消そうとも、君は二千畳で聞法できるじゃないか、求道できるじゃないか」と言われても、「それもそうですね」とは言えない。信頼できなければ聞けども聞けない。信頼が最も大事。こんなことに気付かない先生ではないはずなのに、なぜ?と思う。
今の親鸞会の体質には、「バレなければ少々のことはOK」というものを感ずる。バレようがバレまいが、何を為したかによって受ける報いは決まる、というのが因果の道理ではないですか。

投稿: 信頼第一 | 2009年7月 1日 (水) 00時59分

会員さんからの手紙を自分が読まず、ただ異分子を排除する目的の為だけに妻や秘書やその他第三者に読ませる人を信頼できますか?
 会員さんの言葉をきかなくなった時からアウトだったんじゃないですか?地下道は無駄だから、地上に屋根ある歩道を作るように何度も手紙を書いたのは私だけではないと思いますが、まったく聞き入れてはもらえませんでした。

 以前なら、おかしいと声を上げれば変わる事もありましたが、手紙を読んでいないのですから、変わるはずはないし、痴呆が始まったとしか思えないほど、回りの言いなりのように感じられました。

 除名になった講師のKさんに除名の理由を自宅に聞きに行ったのか、聞くことが出来るまで門の前で粘らなかったのか、聞きましたが、そんな事をしても教えてくれないだろうといわれました。

 本当に会員さんの幸せを考えてくださる方なら、いうことを聞かなくなったというだけで、縁を切ることはせず、理解するまでじっくり話して下さる筈です。ましてや手足として助けてくれた講師なのですから。

 

投稿: | 2009年7月 1日 (水) 08時24分

もっと人の意見傾けてもらいたい。地下道をつくるつくらないは法をおろそかにしているのでない。こんな馬鹿馬鹿しいこといってたら、世の中は破滅するわ

投稿: | 2009年7月 1日 (水) 22時24分

法をおろそかにしていない事なら、意見を聞かなくてもいいのですか?
蓮如上人が、ものを言えとおっしゃっているのは、信心の沙汰をせよと言われるのは建前ですか?他人の言論を封じ込めるような高圧的な言い方はよしたほうがいいですよ。

投稿: | 2009年7月 3日 (金) 12時28分

「信ある者」と書いて「儲かる」と読む。信ある者には、世の中のお金や物が任されるから、その状態を指して「儲かる」と言うのでしょう。信ある者は任される。任されて一々口出しされない、チェックされない。もし、チェックされ問い質されたら、相手を十分に納得させるデータなりを即座に示し説明する。さらに、不信を持たせていたことを詫びる。親鸞会に今必要なのは、今までの強行路線を推進することではなく、会員の信頼を得る努力だ。

投稿: 信頼第一 | 2009年7月 3日 (金) 22時58分

バカ息子とおかかは人をたてることができない。  あれでよく講師がつとまるね。孫もおじいちゃんが最高の道といわれた講師になぜならないのか?

投稿: | 2009年7月 3日 (金) 23時35分

高森家では、孫が車の免許をとったら、会長のところまで行って、おじいちゃん免許をとりました、ありがとうございます、と礼を言いにいく。
そう学院長が流石高森家だ立派だねぇ、と昔自慢気に言ってたらしいぞ。
最高の道に行かない孫の腕を一本や二本折らなくてもいいんですか?おじいちゃん。

投稿: | 2009年7月 3日 (金) 23時54分

高森先生の深い御心、とよく言われる。「深い」とは、末を見通した、遠大な、超長期的な視点に立った、という意味が込められているように思う。「今は疑問・不審に思うかもしれないが、10年、20年、あるいは50年先には、あれで良かったんだ、と必ず分かってもらえる」との信念を持って先生はご教導下さっているということだろう。とはいえ、我々のような未信の者には、仏智図り難しで、とても理解が及ばない。顕正は相手の目線に合わせてせよ、と教えられる。我々の目線に合わせて御心を説明しては頂けないでしょうか。

投稿: 凡智 | 2009年7月 4日 (土) 00時07分

会長の言うことが絶対なら、なぜ孫が講師にならないのか?説明してもらいたい。親鸞会で夫婦で講師はいるが、親子ではいないね。兄弟姉妹でもいる。親子では高森会長と息子だけか?  

投稿: | 2009年7月 4日 (土) 08時04分

凡智 さんへ

会長の深い御心とよくいわれますが、会長の何をあなたは知っているのでしょうか。

『本願寺の体質を問う』『本願寺なぜ答えぬ』を頒布することが真宗改革になるといわれ、その後はアニメ頒布で本願寺が変わるといわれました。専属の販売員も募られて、仕事をやめて販売員になった人に、突然の解雇通告。ビデオ講師が募られて、これも突然のリストラ。
『なぜ生きる』が世にでれば、正本堂はオートマチックで建つといわれても、会員は増えず、当時の会員への献金が激しくなっただけ。その本も今は一部の書店に置かれているのみ。
『歎異抄をひらく』が出版されると本願寺等から誹謗中傷が激しくなるといわれていたが、本願寺は無視。かわりに元講師、元会員からの誹謗中傷は激しくなりました。
数々の御殿を隠して、財施を募る深い御心とは何か。
本館と祇園を結ぶ会長専用の渡り廊下の意味は?
正本堂以外の御殿を造る意味は?

上からいわれている会長像ではなく、自分の頭で考えてみてください。

投稿: | 2009年7月 4日 (土) 10時03分

その通りだね。最近の親鸞会は本願寺や寺より、元講師の批判が絶えない。理由は教学よりむしろ組織についてだね。
アニメの販売社員の解雇?だから、親鸞会の職員になるとろくなことがない。そもそも休みが全く無い団体自体がおかしな話だろう。

投稿: | 2009年7月 4日 (土) 10時46分

そういや、忘れてたけど、投稿に対して、私的意見です。
高森会長に人の心はありません。いっつも私の心の真実の姿は地獄一定だと開き直っていらっしゃいますから。

投稿: | 2009年7月 4日 (土) 20時29分

本当に、人間の心なんてないと思います。会長の手足となって、一生懸命に働く講師の方々を、明日の生活さえ心配なほど超貧乏にしても、平気なお方ですよ。
世間の人の方が、よほど慈悲があります。
もう、会長に幻想をだくのはやめましょう。

投稿: | 2009年7月 4日 (土) 22時07分

高森くんは世間の人間以下だね。常識的に考えれば給料払うだろう。

投稿: | 2009年7月 4日 (土) 22時58分

高森くんの妄想のために、まわりが大迷惑!。安心弁当しかりだが、経営する以上は黒字は当たり前だし、赤字なら改善しないといけないが、経営計画のない会長やバカ息子がやってるから、皆が嫌気をさし、みんなやめるだろう。

投稿: | 2009年7月 4日 (土) 23時40分

おはようございます。
著作権者の許諾を得ずに、写真をコピー(焼き増し)し、販売した場合、明らかに著作権侵害です。どのような言い逃れもできません。法廷に犯罪者を引きずり出すべきです。S会の反社会性・実態を社会に暴露する良い御縁だと思います。

投稿: 元会員 | 2009年7月 7日 (火) 05時19分

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