« Makino Hiroshi はどこまで愚かなのか | トップページ | 牧野拓志氏、視聴覚室長解任 »

再び「辛口!真宗時評」の管理人、MakinoHiroshi氏へ

前にこんなエントリを書いたら、それについてMakinoHiroshi氏がこんな愉快な言い訳を付けていました。

なぜブログ上で直接、氏名を書かないのか、とのお尋ねですね。

一つに、ネット上で、個人名を出し、その連絡先を公開することが、いかに危険であり、その方に多大な迷惑がかかるか、これは常識です。
よって、安易に、不特定多数の人が閲覧するところには公開しません。

二つに、真摯に、教えを求める方は、すでに何通もメールを頂きましたので、その方々には、お伝えしました。興味本位の人か、真摯に求める方か、どこかで線引きし、求めておられる方には、お伝えしたいと思い「お聞きになりたい方は、メールで」と申しました。つまり、本当に聞きたいといわれる方には、門戸は開いておりますので、秘事でも何でもありません。

三つに、右側の「リンク」のところに、いくつかの団体のリンクを張ってあります。いずれが正しいか、迷っている方は、どうぞご自身でそのリンク先を訪問し、確かめられたらよいでしょう。それぞれの団体について、私がどう思うかは、すでにこのブログで書いてきておりますが、それはあくまで私の、ですから、あなたがどう思われるかは、私から間接的に聞くのでなく、あなた自身で、確かめられるべきでしょう。

※なお、この際、付記しておきますが、このコメント欄にご記入下さったものは、一旦、管理人が読ませて頂いたあとで、公開しております。
 中には、アダルト系の宣伝や、意味不明の誹謗中傷、さらには、心ならずも文字化けで読めないものなど、さまざまなコメントが続々届いているのが実情です。それらすべてを、無制限に即時公開はできませんので、そういう段階を踏んでおります。ご了承下さい。

Makino氏のオススメする「弥陀の本願を正しく説かれる方」というのは、どうも個人名も連絡先も公開できないし、Makino氏が「真摯に求めている人」と認定されないと教えてもらえない人みたいです。とりあえず団体名も立場も氏名も不特定多数の人に公開し、著書も出して新聞広告もして、そこらじゅうで見境なしに勧誘活動をしている親鸞会の高森顕徹ではなさそうですね。

ひょっとして「辛口!真宗時評」にメールしたら親鸞会に勧誘されるんじゃないかと心配されていた方がおられたら、違うみたいですから安心してください。Makinoさん、ようやく高森会長から離れることができてよかったね!!

ただ、自らの氏名を明らかにし、大衆の中に自ら斬り込んで法を伝えた親鸞聖人や蓮如上人とは全く性質の異なる方を紹介される事は間違いなさそうですから、こんな人に聞いても意味ないと思いますけどね。「連絡先を公開したら迷惑がかかるからぁ」とビビっている人に「命がけ」の布教なんてとても無理でしょうし、「興味本位」の人が聞けないような人が善知識なら、平太郎は間違いなく仏法を聞けなかったでしょうね。

親鸞会を脱会した人の21世紀の浄土真宗を考える会でもしっかり連絡先が明記されていますし、Makino氏がしつこく批判する本願寺の各寺院も住職の氏名と住所くらいはどこもネット上で明らかにしています。あ、そういえばMakino氏も自分のブログの中で、「木下明水クン」とか「梯實圓・本願寺派勧学」とか個人名をガンガン書いていますが、不特定多数に公開しても迷惑はかからないんですかね。批判対象は個人名でブログに公開してOK。「正しい本願を伝える方」はなぜか選んだ人のみメールで伝えるらしい(笑)。もうちょっと考えて書いて下さいよ。本当に京大出身なのか?この人は。

どちらにせよMakino氏が選んだ人にしか教えられないような「善知識」らしいので、この程度の紹介で仕方がないのかも知れませんが、どうかMakino氏のお導きで弥陀の本願を求める人は、秘密の善知識に儀式を授けられないようにくれぐれも注意してください。

Makino氏へのツッコミはこのくらいにして、人はそれまでの概念で説明のつかないことがおきると、さまざまな言い訳をして自分を納得させようとします。いわく、御殿建設は善知識が自ら望んだのではないはずだ、とか、望んだとしてもご法体を考えてのことだとか、教義的におかしいと言われているが自分の知らない理由があって本当はおかしくないのだとか、昔と今とで言っていることが違うのは対機説法だとか、盗作は深い御心があっての事で盗もうとされたのではないとか、息子の不倫疑惑をもみ消したのは(略)。

説明がつかないことを納得させようとしていろいろ言い訳を繰り返し、やがて何か「おかしい」と思う事があっても言い訳がめんどくさいので自ら見ないようにし、考えることすら放棄するようになります。

そうなったとしても、親鸞会や高森会長が言うことが絶対に正しく、すべての論理はその上に組み立てられるので、自分の心の中では一見矛盾がないように感じるのです。親鸞会の中だけで完結している論理なので外から見ると滑稽極まりないのですが、中にいる人は本気で納得し真面目に考えたつもりになっているのです。

そうして苦しい言い訳と思考放棄を繰り返してだれが得をするのか。このブログの皆さんには言うまでもないでしょう。「高森会長は詐欺師だ」と思うまで行かなくてもいい。「ひょっとして私は道を間違えたのではなかろうか」このくらいは考えてほしい。そこから「説明のつかないこと」が一気に「説明がつく」ようになります。それは今まで曇っていた空が急速に晴れて行くような感覚です。

そうなれば言い訳も、ごまかしも、思考停止もない。見たこと感じたことを、素直にとらえて心の整理をしたらいい。「なぜ私は親鸞会をやめたのか」の著者が「不思議な安堵感と開放感」と言っているのはまさにこのことです。

Makinoさん、京大出身のあなたなら、クーンの「科学革命の構造」くらい読んだことがあるでしょう。この機会にもう一度読んでみたらどうでしょうか。あなたの本来の思考力なら私の言いたいことくらいわかるはずだから。

|

« Makino Hiroshi はどこまで愚かなのか | トップページ | 牧野拓志氏、視聴覚室長解任 »

コメント

「科学革命の構造」について解説が2chに上がっていたのでここに載せときます。

810 :神も仏も名無しさん:2009/06/03(水) 18:52:16 ID:3wcjdTuy
トマス=クーン『科学革命の構造』について

思考の枠組み自体を相対化しろ、ということでしょう。
「会長は正しい、本会は正しい」という前提のもとで考えてきたようだけれど、その前提自体を疑ってみなさい、と言いたいようです。

科学史では、今まで前提自体が疑われたときに初めて新たな発見が生まれた。

例えば、昔天動説の枠組み内で考えていたのを、天動説を疑うことで地動説という考えが生まれた。
同様に、ニュートンの古典物理学が煮え切ったとき、ニュートン古典物理学という枠組みそのものを疑うことでアインシュタインの理論が生まれた。

だから、「会長や本会は正しい」という思考の枠内で考えないで、まずその前提を疑ってみなさい、そうしないと気付くものにも気付かないよ、とぶるうの氏は言いたいのでしょう。


ところで、ぶるうの氏は理系なんでしょう。とっさにこの本が思い浮かぶなんて、文系の発想では無いな。もともと本会は理系ばっかり(特に学友部)。文系的頭からするとついていけないところが多かった。会長も講師も理系ばっかりだったしな…。
大体説法からしてばりばりの理系っぽい話し方だった。まあ私の周りは理系ばっかりだったから、あまりこのことは理解してもらえなかったけど。…おっと、話がそれた。

投稿: 三流私大 | 2009年6月 3日 (水) 19時11分

Makinoさんぶるうのに完全に釣られた感じですね。見事な釣られっぷりです。
京大理学部なのにこのくらいの先も読めなかったんですかね。そんなに思考力ないんじゃ…

投稿: | 2009年6月 3日 (水) 20時40分

私がそのコメントを書いたNONAME本人です。
Makinoさんが誰を善知識と考えているのかを聞いてみたくて、あんなコメントをしました。
しかし、見てのとおりの返信だったのでがっかりした次第です。

>二つに、真摯に、教えを求める方は、すでに何通もメールを頂きましたので、その方々には、お伝えしました。

メールは1通も送っていないのですが(送る気もありませんが)、なぜかメールを送ったかのように書かれています。どういう事なのやら。

投稿: NONAME(本人) | 2009年6月 3日 (水) 20時45分

私は、昨今のネットでの親鸞会(批判)情報に大いに動揺している者です。ネット対策が悪いとは思いません。今は閉鎖になりましたが「そらごと、たわごと」は、親鸞会批判の真実を明らかにする、いわゆるどちらがウソかを明らかにするブログとして大いに注目しておりました。あのような形のネット対策なら大いにやってほしかったのですが・・・。親鸞会を批判するブログで、下ネタなどの下らない文章が書き込んであるのを見ますが、あれは会のネット対策とは違うと信じたいです。もし、あれもネット対策だとしたら、親鸞会の命運もこれまでと思います。取り返しのつかない大きな禍根を残すことになります。目的が大事なら手段は選ばなくてはなりません。とにかく目的を達すればいいんだ、目的達するためには何でもする、手段は選ばぬ、というのは、善意に解釈すれば熱烈な慈悲の現れとも言えますが、独善・傲慢に陥りやすく危険を孕んだ考えだと思います。仏法者は結果オーライではいけないと思います。その結果(成果)をどんな手段で得たのかということは結果を得ることと同様に大事なことだと思います。ご説法でも、「真実が大事だから方便が大事」と仰います。誤った手段では目的も達成できなくなると思います。

投稿: 於因説果 | 2009年6月 6日 (土) 02時06分

於因説果 様

ネット対策は大いにすればいいでしょう。ただし、真実を会見する目的であるならば。しかし、実際は事実を隠蔽するためだけにネット対策をしています。親鸞会の教えの間違いを指摘する者に対して、下品な荒らしで対応する、明らかにおかしいでしょう。自分たちの主張を堂々と述べればいいものを、それを回避して、誤魔化しと隠蔽に必死なのはなぜですか。
反社会的なことも、教えが正しければ多少のことは目を瞑れますが、教えが間違っていたら、すべて崩れます。
会長のおかしな言動が正当化されるのも、無二の善知識に絶対服従という教義があってのことです。根本から間違った教義ですので、会長の言動もやはり狂っているのです。
ネットを見るな、であって、ネットの間違いを正す、とは絶対にいいませんよね。
これが会長と親鸞会の本当の姿です。

投稿: | 2009年6月 6日 (土) 13時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« Makino Hiroshi はどこまで愚かなのか | トップページ | 牧野拓志氏、視聴覚室長解任 »