投稿:高森顕徹会長の人格(3)
高森顕徹会長の人格について、再び投稿です。
高森会長の専用の部屋や玄関、エレベータ、渡り廊下などは、過去にこのブログでも報じてきました。
まさに「そこら中に」高森会長の専用の施設が用意されていること。また、その施設の建築にあたっては「親身を削って布教一つにまい進しておられる御多忙の」高森会長が、異常ともいえるこだわりを持って細部にわたって注文をつけていること。そしてそれにどれほど多額の浄財がつぎ込まれているのか、学徒の皆さんは御存知なのでしょうか。
眺めが良くないといっては工事を何度もやり直させ、木が邪魔で立山が見えないといっては立派な樹木を聖地課に切らせる高森会長。皆さんも、その本当の姿を知って、自分が人生を預けていい人物なのかを判断してください。
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高森会長は、会員さんのことを心に掛けて、早く信心決定してもらいたいと常に思い続けている、と聞かされ続けてきましたが、それは全くの嘘です。
私は信心決定1つを目的に、長年親鸞会で求めてきました。「善知識には親しみ近付け」と親鸞聖人も教えられ、Y総務局長からは、「信心決定できるかどうかは、高森先生とどれだけ御縁をもてるかだ」と聞かされてきました。それで私は少しでも、高森会長に近付こうと常に心掛けてきました。講師部は高森会長との縁がかなりあると思い、講師部へ入りましたが、一般の講師部員は高森会長と直接話をすることは皆無です。会員さんとの違いは、講師部講義に参加できるということだけです。
それでは「善知識に親しみ近付け」が実践できないと思い、高森会長と話のできる任務に自ら就きました。そのことで高森会長と直接話をすることができ、善知識に近付けたと喜んでいたものです。
ところが、年々高森会長との距離が遠くなっていくのを感じました。お忙しいのだろうと思い込もうとしていましたが、実は高森会長の方から、接する人を限定するようになっていることに気が付いたのです。なぜ、一般の会員さんと親しく接しようとしないのだろうか、それどころか講師部員とさえ、話をしないのはどうしてだろうか、敢て」避けているように感じられるのだが、という疑問が段々大きくなってきたのです。
その疑問が確信に変わったのは、正本堂の工事中でした。正本堂の工事中に、本館と顕真会館を結ぶ渡り廊下が造られているのに気が付き、そのことを工事関係者に尋ねたところ、高森会長専用の渡り廊下との答えでした。更に詳しく聞いてみると、設計時にはなかったが、高森会長が工事中に自分専用の渡り廊下を造るように指示したというのです。
私は大変なショックを受けました。工事の費用はもちろん会員さんの御報謝ですのでそれも問題ですが、それ以上に、自分を特別視せよと指示していることが信じられませんでした。
それからいろいろと調べてみると、全国の会館には、高森会長専用の玄関、エレベーター、寝室と応接室、秘書室がどこにも用意されていることがわかったのです。真生会病院でさえ、自分専用の玄関と病室、応接室があるのです。正本堂には、高森会長専用の巨大な厨房が2つあり、家族の部屋まで用意されていて、家族は休み時間はそこに籠もって一般会員さんと接するのを拒否しています。
真生会の医師には、「君たちの使命は、地域の患者を看ることではなく、ワシの体を守ることだ」とか、「ワシが真生会は特専部の城だといったのを、自分達の城と思っているようだが、ワシの城だ、勘違いするな」といっていたことも後で知りました。
親鸞聖人が、「御同朋、御同行」、「弟子一人ももたず」と仰っておられたことは、高森会長からも何百回も聞いてきましたが、自分はまるで反対のことをしており、しかも自らが指示して無二の善知識と崇め奉らせていたのです。
善知識に親しみ近付けと教えながら、高森会長自身が会員さんから遠ざかっているのは、明らかに矛盾しています。つまりは、「皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」の気持ちなどさらさらないのです。ただ自分が特別な存在であることを認めさせたいだけなのです。
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コメント
どれだけネタがあるんですか。さすがにヒドイ。
昔は随行録とか読んで感動してたのに。なんだったんですか、アレは(苦笑)
真実の随行録を誰か出版して下さい。『なぜ生きる』を越えるベストセラーになるかもしれません(笑)
投稿: 呆れ顔 | 2009年2月 9日 (月) 19時31分
浄財が会長の専用通路だとかどうでもいいところに使われてたんですね。善知識に親しみ近つけといわれてるのになぜわざわざそんなくだらないものを作るんですかね。
投稿: | 2009年2月 9日 (月) 23時16分
いろんな問題が社会で起きてますが、親鸞会の問題は何度もくどいほどいわれてますが、仏法のために金を使っているといいながら使ってない。不必要な、くだらないところに使ってる。収支報告がない。 学生は授業さぼってアルバイト、社会人は生活切り詰めて財施。会長が命懸けって、あほか!といいたいです。
投稿: | 2009年2月 9日 (月) 23時57分
しかも、親友部員は仏法のための任務といいながら、実際は弁当つくりに、ニセ情報新聞つくりに、労働基準法完全無視の労働。最低賃金ももらってないそうですよ。
何年か前に、休日の振替えを取るのが当然なんて仏法がわかってないと、親友部合宿でキツい注意があったらしいよ。
投稿: | 2009年2月10日 (火) 00時40分
私も例の渡り廊下をみて、違和感を覚えましたが、会長先生の深い御心と
理解するだけでした。
このような暴露を読んで、怒りが込み上げてきました。
完全に騙されてきたのだと。
最早、善知識と尊敬する気持ちはなくなりました。
投稿: | 2009年2月10日 (火) 07時12分
親鸞会の職員になる人はますます減るでしょう。現役職員も増えることはなくてもますます減るでしょう。世界一の教えを広めといいながらやってることは出来損ないのワンマン社長と同じです。善知識の教えが絶対、反抗は法ぼう罪ていうが、何でもかんでも許されることじゃない。
もっと会員さんの意見に耳を傾けること。
投稿: | 2009年2月10日 (火) 07時38分
「承認欲求」が、異常化し、心の癌にかかってしまった、
かわいそうな高森君。
承認欲求は、人間だれしも持っている心理。
猿から人に進化するとき、
家族を思いあう心、仲間を助けあう心に対して、
心理的報酬として発達したもの。
適度に働けば、幸福感をもたらせてくれる良薬。
だけど、ちょっと間違えると、
強烈な麻薬のように作用する劇薬でもあります。
高森君は、その麻薬の犠牲者です。
承認欲求が異常に膨らみ、
周りの者を奴隷にしないと、心のバランスが保てない。
そんな、異常な状態に追い込まれてしまっていますね。
本当は、入院治療が必要なのかもしれません。
この承認欲求を自分自身でコントロールし、
良薬として働からせるためには、
「自己受容、自己承認」の心を働かせることです。
親鸞聖人のおっしゃる阿弥陀様の救い、
罪の意識、後悔の意識を受容しながら、前向きの一歩を踏み出す力です。
「承認欲求」、「自己受容、自己承認」をWeb検索してみましょう。
投稿: | 2012年1月 9日 (月) 09時50分