顕正新聞のお笑い論説
平成21年1月15日号の顕正新聞に「切り刻みても飽くかよ」という論説が載っていました。親鸞会を辞めるときは1000万円の違約金(関連記事1、関連記事2)で報じた会合の内容を受けてのことでしょう。実に笑える論説で、書いた人の「心にも思ってないことだが書かなきゃなんないから仕方なく書いた」感が漂ってきてほほえましさすら感じます。
「いつの世にも、真実はたった一つしかなく、真実に背く一切の邪悪を破り、正法を顕示することは我ら親鸞学徒の使命である」「裏切り者は斬り捨てて、卑怯者よ去れば去れ」「真実の勝利に向かって我らは驀進するのみである」という感じのいつもの通りの勇ましい文章が並んでいます。そして、口で勇ましくても親鸞会の内輪で叫んでいるだけで、実際には何もしないのもいつもの通り。
「裏切り者」が許せなくて、「邪悪を破る」のが使命なのに、だーれも親鸞会を「裏切った」清森氏や近藤氏に法論を挑む人はいません(負けて責任を取るのが恐ろしいのでしょう)。彼らが実名でブログを書いているのを見て「完全になめられている!!」と勇ましく叫んだ人は、弘宣部ビルの3階の奥に引っ込んでちまちま下らない文章を内輪の機関紙に書いているだけで、いつまでたっても実名でブログなんて書きません(書く勇気が無いのでしょう)。もちろん、親鸞会という安全地帯の中から適当に叫んでいるだけで、誰も独立して親鸞聖人の教えをお伝えしようなんていう勇気のある人はいません(やってゆく自信が無いのでしょう)。
「裏切り者は許せないっ」と会合で叫んでいる講師部員も、本心からそう思っているのではなく言わなきゃ叱られるから言ってるだけ。その証拠に自分の担当区域にその「裏切り者」がいても何も出来ません(心の中は真実なんてどうでも良くて、問題になりたくない、再研修になりたくないということくらいしかありませんから)。
華光会にいたっては相手を名指しで批判することすら出来ません(会長の盗作疑惑がばれるのが怖いのでしょう)。次期会長の不倫疑惑を糾弾するブログが作られても、「ネットなどたわけたことばかりです」というのが精一杯で、何の抗議も釈明も出来ません(本当の事が明らかになるのが都合が悪いのでしょう)。
最近親鸞会がやったことといえば、本願寺の関係者のフリをしてブログを書いた事くらいでしょうか。それすらも当の本願寺には親鸞会がやっている事がすぐにバレてしまい、いまだに続けているのは引っ込みがつかないのかあるいはバレて無いと思い込んでいるのか。
ああ、そういえば親鸞会に都合の悪い映像や資料を「著作権侵害だ」と消去し、関係者を除名にし、会員には「捏造だ」と説明するくらいはやってましたね。有志が親鸞会の疑問点をメールで大量に送ったら、「不審なメールが来るからメールアドレスを変えるように」という連絡も流しました。反論は苦手だけど隠蔽は大得意。実に素晴らしい「親鸞学徒の使命」の果たし方ですね。立派立派。
そんなことしている間にも親鸞会批判サイドは学生ですら実名でブログを立ち上げています。「邪悪を破る」意欲においては、講師部員は学生にも負ける程度のものしかないのでしょう。実に哀れ。
こんな状況の最近の親鸞会。トップの会長はすでに教えとかどうでもいいのか、F館という会員にとっては殆ど必要が無い(でも会長専用の玄関やエレベーターやフロアは勿論作るよ!)建物を建てるのに頭がいっぱい。会員はすでに「また金集めか」とすっかり心は離れています。
見事なまでにすべてが崩れ始めている親鸞会。「真実に驀進」とか100年早いから、少しは自分たちの足元を見たほうがいいのでは?今年も彼らの活動から目が離せませんね(心配で)。
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コメント
20年前、学生部だった私が宗教嫌いの父を地元で行なわれた高森会長の
法話に連れて行きました。
私 「話の内容は分った?」
父 「言ってることは理解できたよ。しかし高森先生、高森先生って
さわぐからどんなすごい先生かと思ってたら、ただの熊五郎や
ないか。」
私 「熊五郎・・・」
父 「ずんぐりして黒い顔して。ありゃ熊五郎や」
私 「外見より高森先生の話の内容で判断してよ」
父 「何か、貯金通帳だの財布だの金の話を大分しとったやろ。熊五郎は
お金が好きそうやな。大体、宗教家がお金の話しとったら
あかんのや。お前も早よ考え直したほうがええで。」
私 「あのな、今真実の教えを説けるのは高森先生だけなんや。
高森先生は命賭けなんや。高森先生のメガネな、レンズが入って
ないんやで。あれはな疲労で目の下に出来た隈を隠すためらしい
よ」
父 「そうか?そんなに疲れることやってるようには見えんで。
たかだか 1日3時間話しするだけやろ。メガネとったら
余計 熊五郎になるからメガネかけとるだけやろ。」
父は散々悪態をついて昼休みに帰ってしまいました。
現在、高森一家や親鸞会のスキャンダルや凋落を知るにつけ
しみじみと思います。親父よ、あなたは正しかった。
高森は善知識でもなんでもなかった。ましてや阿弥陀仏や親鸞聖人
の生まれ変わりだなんてとんでもない話だった。彼はお金が大好きな
ただの熊五郎だったのである。
投稿: | 2009年1月19日 (月) 13時16分
>いつまでたっても実名でブログなんて書きません(書く勇気が無いのでしょう)。
実名を出したサイトはありますよ。ブログではありませんが。
http://sendai.cool.ne.jp/tetuworld/
ずっと「coming soon」のままですけどね。
投稿: | 2009年1月22日 (木) 10時24分