新しい道を歩む
浄土真宗親鸞会被害家族の会の掲示板に、こんな書き込みがありました。
http://hpcgi2.nifty.com/nonsect/spict/smallpict.cgi?mode=view&key=3701_3701
私の白道や、チューリップ企画と田中氏の法論などを読んだことがきっかけで、親鸞会に疑問を持ち、新しい進路を目指し始めたという事です。心から良かったと思うとともに、いくつか思うところを述べさせていただきます。
私は親鸞会に子供さんが入っていることで悩まれる親御さんを数多く見てきました。中には親鸞会に自分の子供を「取られた」と思われる方もおられたように思います。しかしこれは決して、取ったとか、取られた、という問題ではありません。
親鸞会に長くいた自分が実感する事ですが、親鸞会に入ったというのは子供さんが真摯に人生を生きようとしたひとつの結果であって、難しいことですが、そのことを認めて受け入れてあげて頂ければと思いますし、それが出来たからこそ、ご本人が気づくことが出来たのだと思います。
ネットを見たというのは一つのきっかけに過ぎません。親鸞会に対する疑問が生じたのは、ご本人の「間違いを間違いと認める」勇気と、子供さんの人格を受け入れた上で、その幸せを願い続けた親御さんの努力が実った結果です。
自分が長いこと「真実」と思い続けてきたことに疑問の目を向けるには、相当な勇気が必要です。外から見ると「なんでそんな馬鹿げた事を信じているのか」となりますが、本人にしてみれば馬鹿げた事でもなんでもない、自分が人生をかけようとしてきた事なのです。出来ればずっと真実だと思いたい。そのほうがどれだけ楽か知れません。
それなのに親鸞会に対する批判の声に耳を傾け、疑問を疑問として受け入れるのは、辛く、屈辱的なことです。中には自主的にこれらのことを成し遂げた人もいますが、殆どは周囲の人のサポートがないと難しいと思います。何があっても全力で子供を受け入れる、という親御さんの決意と愛情があって初めて、本当に辛く苦しい一歩を踏み出すことが出来るのだと思います。もちろん、私もそうでした。
>まだ、息子もいろいろ迷ったりふっきれないところがあるようです。
とありますが、疑問を持ったからといって、夢から覚めるようにはっきりするというものでもありません。まだスタートラインに立ったばかりの状態だと思います。どうか長い目で見守ってあげて欲しいです。
また、
>「この気持ちはお母さんにはわからないと思う。」と言っています。相談にのってあげたくても、理解できないでしょう。息子の力になれないのは悲しいことです。
息子さんの力になってないということは決してありませんが、気持ちが理解できないのは仕方がないと思います。逆にご本人にとっても、ずっと心配し続けてきた親御さんの気持ちはなかなか分からないと思います。
自分の母親は私が学院に行ったことを悲しみ、もともと痩せていた体が更に痩せこけて行きましたが、少なくとも会にいるときは何も分からなかった。脱会してしばらく立ち、自分もいつの間にか人の親になりましたが、それでもあの時心配し続けた両親の気持ちは簡単には分からないのだと思います。
そして脱会した本人も、誰しも焼け野原に一人たたずむような気持ちになりますし、生きる指針を失い真っ暗闇の中で彷徨うような思いをする人もいるでしょう。それもまた、なかなか理解されにくい事です。
私はそれでもいいと思います。私は両親にそのことを理解して欲しいとは思いませんし、理解したつもりにもなって欲しくなかった。そっとしておいて欲しかった。そして、私の望みが通じたのか通じてないのか、両親は私がカルトに居た事について何も触れません。ありがたいことでした。
私は今でも親鸞会について色々と複雑な思いがあります。まだ整理できてないことも沢山あります。だからこんなブログをやっているのかもしれませんが、なかなか一筋縄でいくことではないのです。
これからだと思います。どうか、がんばってください。
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