聞法ドメインがそんなに大事なのでしょうか
それまでは堅実に経営を進めてきたのに、自社ビルを建てたとたん経営が悪化する企業があるといいます。
最初のころは地道に頑張っていたのに、利益があがってくると自分の身の程をわきまえず、豪華なビルにお金をつぎ込み、気持ちが大きくなって無駄な設備に投資したり無理な経営拡大に走ったりして、資金繰りが悪化してしまうのです。
最近の顕正新聞を見ていると、退会した元講師や華光会への批判のほかは、聞法ドメインの記事ばかりが目立ちます。
食堂、大浴場、D館。当初は老人福祉施設や幹部会員の富山移住の計画も進められていました。射水のあの土地を親鸞会の建物で埋め尽くしたくて仕方がないのでしょう。何かというと「2000畳」と「ドメイン」ばかりです。
そしてガラガラの大講堂を会員で埋め尽くそうと無理な勧誘が繰り広げられ、大学には大量の職員が派遣され違法な勧誘が行われ、会員にはひっきりなしに献金の依頼がきています。
一体親鸞会はどうなってしまったのでしょうか。
私がいたころの親鸞会は、建物の大きさや設備の豪華さを強調するような団体ではありませんでした。
いろいろな問題を抱えている団体でしたが、少なくとも「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。」と蓮如上人が言われた事から、大きく外れるような方向には動いていなかったように思います。
最近の親鸞会は、昔とはまったく別の団体になってしまったようです。
事業がそんなに大事ですか。建物がそんなに自慢でしょうか。
私の住まいの近くに、天聖真美会という新宗教の建物があります。信者からの多額の献金で建てられた巨大な施設を見るたびに、どこの新宗教の教祖も考えることは同じだと知りつつ、親鸞会だけは違うと信じ続けてきた自分の浅はかさを思い知らされます。
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コメント
親鸞会・・殺伐とした団体だよね。
何言ってもダメだよ。
投稿: | 2008年7月13日 (日) 23時47分
聞法ドメインは必要でしょう。
真宗万年の礎なのですから。
そして、礎を築くとしたら、今しかないと思います。
投稿: 学徒B | 2008年7月18日 (金) 18時23分
礎とは建物ではありません。
人材です。
投稿: | 2008年7月18日 (金) 22時58分
>聞法ドメインは必要でしょう。
>真宗万年の礎なのですから。
本当にそうでしょうか?
今回の降誕会に参加した人から聞きましたが、さほど詰める必要もなく、1畳に平均3人以下しか座っていなかったそうですね。
実際のタタミの枚数は1800帖以下ですから、参詣者は5000人程度でしょう。
行事でこの人数というのは、だいぶん減った感じがします。
今でさえ、参詣者が減り続けているのに、高森会長が亡くなったら、正本堂は無用の長物となります。ドメインは、なお必要ありません。
何に使うつもりでしょうか?
光晴次期会長の説法を聞くのに、2000畳も必要ですか?
ビデオ聴聞なら、各地で聞けば良いでしょう。
どう考えても、無駄な投資です。
投稿: 元学徒C | 2008年7月18日 (金) 23時00分
元学徒Cさん
考えが近視眼的ではないでしょうか。
連如上人が生まれられたのは、親鸞聖人が亡くなられた後200年後です。その時、本願寺はわずか三間四方の大きさだったと言われています。
いつの世か必ず、高森先生の御後に続く善知識は現れて下さるでしょう。
その時に、2000畳やドメインが完備されていれば、全地球規模での布教のための拠点になります。
その準備を私達でさせて頂くのです。
全地球規模での布教拠点と捉えれば、○万坪も「点」みたいなものです。
一時的な参詣者の増減に一喜一憂せず、大きく考えましょう。
もちろん、大切なのは、建物より人です。
しかし、何も富山まで行かなくても、地元でビデオ御法話さえ聞いておれば・・・というような人が後生の一大事の解決ができるとは思えません。
ここ一つ聞かせて頂きたいと、富山まで参詣する人が、2000畳もドメインも他の数千人の人のためではなかった、私一人がためのものでした、と喜べる人になれるのだと思います。
2000畳もドメインも、そのような人が増えるご縁になると思います。
投稿: 学徒B | 2008年7月19日 (土) 00時49分
高森先生は親鸞聖人のみ教えを曲げているので善知識ではありません。
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/200807
RE:しかし、何も富山まで行かなくても、地元でビデオ御法話さえ聞いておれば・・・というような人が後生の一大事の解決ができるとは思えません。
弥陀の本願に底を入れている浅はかな考えですね。
投稿: 確かな証拠 | 2008年7月19日 (土) 08時22分
>いつの世か必ず、高森先生の御後に続く善知識は現れて下さるでしょう。
>その時に、2000畳やドメインが完備されていれば、全地球規模での布教のための拠点になります。
その時は、その時に建てれば良いことです。
九州に善知識が現れれば、九州に会館を建てるでしょうし、北海道に善知識が現れれば、北海道に建てれば良いことです。
今より、ずっと進んだ設備が出来ることでしょう。
講師の方から聞いた話では、本館・顕真会館の維持費が年3000万、正本堂の維持費が年1億だそうです。合計1億3000万のお金を、いつ現れるか分からない善知識の為に支出し続けるのですか?
今回の無駄なドメイン計画のために退会された学徒を何人も知っています。
親鸞聖人が非常に嫌われた「本尊取り返し」や、覚如上人の「本尊に知識の名を記すまじきこと」の戒めに反する、「親鸞」の二字の貼り合わせ、それも1000円もしない代物だそうですが、とにかく親鸞会の最近の行動は異常としか思えません。
投稿: 元学徒C | 2008年7月19日 (土) 09時36分
箱物は増える(維持費は増える):老人は増える(年金の支給金の総計が増える)
退会で会員は減る:少子化で勤労者は減る。
年金は将来破綻するとも言われてますが親鸞会の将来はいかに。
投稿: 確かな証拠 | 2008年7月19日 (土) 10時49分
上記のコメントを見る限り、危険な財務状況であることが分りますね。
次々と負債を抱えつつ、経費がかさむため収益の見込みが減少し、資本が減少する。立てた固定資産は売るに売れない価格になるでしょうし、ちょっと危険な感じがします。
将来的に学院へのハードルが低くなって、短期で卒業、学生勧誘に大量ハケンされるようになるかもしれませんね。もちろん講師になったら完全歩合制でしょう。それだけ経費を下げないとやってけないでしょうから。
つまり、ブラック(=使い捨て)でないと維持できないと思います。
投稿: | 2008年7月20日 (日) 06時17分
九州に現れて下されば九州に建て、北海道に現れて下されば北海道に建てる。という主張は一見すると良いことに思われます。
しかし、建物を立てるにはお金だけ出なく場所や時間が必要になることはご存知でしょう。
事実、正本堂の建立には何年という月日が掛かっています。
高森先生に御後に続く善知識が現れて下さった時、速やかに、多くの方が参詣できる場所が整っていたら素晴らしいことでしょう。
投稿: 学徒D | 2008年7月20日 (日) 13時39分
学徒Dさん
親鸞会は絶対に正しい。と頑なになるお気持ちは分かりますが、本当にそうでしょうか?
親鸞会の教義に対する非難は多くありますが、そのことは、どう思われますか?全ては後生の一大事の分からぬ者の戯言でしょうか?
このサイトを読まれている学徒Dさんですから、『ひょっとしたら、親鸞会は間違っているのかも・・・』という気持ちもあるのかもしれません。
親鸞会を辞めた方がいいとは言いませんが、多くの情報を得ることは大事だと思います。世間には多くの親鸞聖人に関する本があります。そういうものを見て、やはり親鸞会しかないと思えばそれはそれでいいと思います。
とにかく、これが絶対唯一の真実だと思い、他の人の意見を一切聞けなくなってしまうのは、危険だと思います。
投稿: | 2008年7月20日 (日) 14時06分
上の書き込みの付け加えですが・・・
親鸞学徒が拠り所とするべきものは、親鸞聖人の御教えであり、親鸞聖人のお言葉です。
断じて、高森先生の言葉ではありません。
高森先生の言うことが、明らかに、親鸞聖人の仰られたことと異なるならば、それは親鸞聖人の御教えではありません。
明らかに異なっていると分かっても、先生しか分からない深い御心で解釈して下さったのだ。と逃げることは可能ですが、そこは逃げてはならない、徹底して追及しなければならない事項だと思います。
そんな当たり前のことに、最近気付きました。
投稿: | 2008年7月20日 (日) 14時42分
> 高森先生に御後に続く善知識が現れて下さった時、速やかに、多くの方が参詣できる場所が整っていたら素晴らしいことでしょう。
仮に善知識が現れたとしても、親鸞会に善知識が現れる可能性は低いでしょう。
結成して50年にもなりながら、救われた喜びを語る講師が、誰も現れていないのですから。
正本堂の存在は、真宗界でさえ全くの無名ですから、善知識が現れても正本堂の存在は耳に入ることさえない可能性が高いと思われます。
正本堂を建てるのに時間がかかったのは山を削る手間があったこともあり、普通の土地なら2年もかかりませんよ。
何十年、何百年先に現れるか分からない善知識のために、今から建てておく必要はありません。
そもそも、「本尊取り返し」や「本尊貼り合わせ」、著書の剽窃や、息子の不倫もみ消し事件など、高森先生を善知識を呼んでよいものか疑問になることが多すぎますね。
投稿: 元学徒C | 2008年7月20日 (日) 16時34分
親鸞会に善知識が現れられてもM貼が追い出すでしょう。お山の大将でいたい訳ですから。まして、他から現れられても、その方を受け入れると言うことはありえないでしょう。
ひとつ期待できるとすれば財政難から受け入れざるを得ないことになることくらいか。
投稿: 確かな証拠 | 2008年7月21日 (月) 01時36分
還相の方としか思えない善知識が現われたら、
本願寺の本堂、全国の真宗末寺を活用するかもね。
投稿: | 2008年7月24日 (木) 23時47分