« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

親友部のリストラ

親友部内で「リストラが始まるのではないか」と噂になっているそうです。

今のところは単なる噂に過ぎないようですが、病院経営は慢性的赤字のうえに、「正本堂」や「同朋の里」施設群の建設費、維持管理費の負担、さらにそれらを支える会員の減少により、リストラの可能性は十分にあると思います。

かつて親鸞会は、「ビデオの再生ボタンさえ押せれば大丈夫」「収入は前職の水準を十分に考慮する」といううたい文句で、ビデオ部員を大量に募集しました。その数、200名。仕事をやめてビデオ部員になった人も多数いました。

しかし、幾たびも制度が変更され、次第に給与は減らされ、最終的にはほとんどの人がやめてしまいました。

同じことは、講師部員に対しても行われています。「私と同じ道を歩みたいだろう」と講師部員の給料が突然なくなったのは記憶に新しいところです。

そして、その後正本堂が建ち、同朋の里施設群が建設されました。ひっきりなしに集められる財施で、多くの講師部員や会員が経済的に苦しい思いをしている裏で、一部の幹部講師は自宅を新築したりしています。

親友部員はそんな現実をずっと見てきているはずです。「人」の給与が切られ、「建物」には湯水のようにカネがつぎ込まれる団体。そしてその会計報告すらなされない団体。

だからこんな噂が出てきているのでしょう。

噂している暇があったら、勉強して資格でも取って、早く親友部をやめて一般の会社に転職したらいいと思いますよ。手遅れになる前に…

| | コメント (13)

新しい道を歩む

浄土真宗親鸞会被害家族の会の掲示板に、こんな書き込みがありました。
http://hpcgi2.nifty.com/nonsect/spict/smallpict.cgi?mode=view&key=3701_3701

私の白道や、チューリップ企画と田中氏の法論などを読んだことがきっかけで、親鸞会に疑問を持ち、新しい進路を目指し始めたという事です。心から良かったと思うとともに、いくつか思うところを述べさせていただきます。

私は親鸞会に子供さんが入っていることで悩まれる親御さんを数多く見てきました。中には親鸞会に自分の子供を「取られた」と思われる方もおられたように思います。しかしこれは決して、取ったとか、取られた、という問題ではありません。

親鸞会に長くいた自分が実感する事ですが、親鸞会に入ったというのは子供さんが真摯に人生を生きようとしたひとつの結果であって、難しいことですが、そのことを認めて受け入れてあげて頂ければと思いますし、それが出来たからこそ、ご本人が気づくことが出来たのだと思います。

ネットを見たというのは一つのきっかけに過ぎません。親鸞会に対する疑問が生じたのは、ご本人の「間違いを間違いと認める」勇気と、子供さんの人格を受け入れた上で、その幸せを願い続けた親御さんの努力が実った結果です。

自分が長いこと「真実」と思い続けてきたことに疑問の目を向けるには、相当な勇気が必要です。外から見ると「なんでそんな馬鹿げた事を信じているのか」となりますが、本人にしてみれば馬鹿げた事でもなんでもない、自分が人生をかけようとしてきた事なのです。出来ればずっと真実だと思いたい。そのほうがどれだけ楽か知れません。

それなのに親鸞会に対する批判の声に耳を傾け、疑問を疑問として受け入れるのは、辛く、屈辱的なことです。中には自主的にこれらのことを成し遂げた人もいますが、殆どは周囲の人のサポートがないと難しいと思います。何があっても全力で子供を受け入れる、という親御さんの決意と愛情があって初めて、本当に辛く苦しい一歩を踏み出すことが出来るのだと思います。もちろん、私もそうでした。

>まだ、息子もいろいろ迷ったりふっきれないところがあるようです。

とありますが、疑問を持ったからといって、夢から覚めるようにはっきりするというものでもありません。まだスタートラインに立ったばかりの状態だと思います。どうか長い目で見守ってあげて欲しいです。

また、
>「この気持ちはお母さんにはわからないと思う。」と言っています。相談にのってあげたくても、理解できないでしょう。息子の力になれないのは悲しいことです。

息子さんの力になってないということは決してありませんが、気持ちが理解できないのは仕方がないと思います。逆にご本人にとっても、ずっと心配し続けてきた親御さんの気持ちはなかなか分からないと思います。

自分の母親は私が学院に行ったことを悲しみ、もともと痩せていた体が更に痩せこけて行きましたが、少なくとも会にいるときは何も分からなかった。脱会してしばらく立ち、自分もいつの間にか人の親になりましたが、それでもあの時心配し続けた両親の気持ちは簡単には分からないのだと思います。

そして脱会した本人も、誰しも焼け野原に一人たたずむような気持ちになりますし、生きる指針を失い真っ暗闇の中で彷徨うような思いをする人もいるでしょう。それもまた、なかなか理解されにくい事です。

私はそれでもいいと思います。私は両親にそのことを理解して欲しいとは思いませんし、理解したつもりにもなって欲しくなかった。そっとしておいて欲しかった。そして、私の望みが通じたのか通じてないのか、両親は私がカルトに居た事について何も触れません。ありがたいことでした。

私は今でも親鸞会について色々と複雑な思いがあります。まだ整理できてないことも沢山あります。だからこんなブログをやっているのかもしれませんが、なかなか一筋縄でいくことではないのです。

これからだと思います。どうか、がんばってください。

| | コメント (0)

如来のみ声

かつて高森布教局長の不倫疑惑が講師部を揺るがし、高森会長自らによる粛清合宿が繰り広げられたときに、高森会長はネット上の批判は「如来のみ声だ」と言っていたと聞いています。それにしては不倫疑惑自体を「捏造」と決め付け何の検証も許さなかった訳ですが、この高森会長の言葉自体は間違っていないと思います。

当時の親鸞会にはまだネットやマスコミの批判をすべて捏造と決め付けるのではなく、「もっともな批判があるのならば耳を傾けよう」という空気がありました。その証拠に、身分詐称は多くの指摘を受けてあまり行われなくなりましたし、ネットに書き込まれた脱会者の声を読んで「あんなふうに思われているとは思わなかった」と反省する講師部員もいたのです。

それがいつしか「ネットの批判は本願寺の陰謀」「書かれていることは捏造」とされ、少しでもネットの批判に同調的なことを言おうものならば、まるで悪魔の手先になったかのように非難されるようになり、そして読むことすら禁じられました。

たとえば私の白道清森問答といったサイトには、親鸞会にとって非常に貴重な提言が数多く含まれていると思いますが、当然ながら会内でこうしたサイトの内容について真摯に耳を傾けようという動きはまったく見られません。

親鸞会を脱会した人の書いたものです。当然、私情は入っているでしょうし、誤解や不当な非難もあるでしょう。すべてを受け入れろと言っているのではありません。批判というのは、一見理不尽なように見えても、全てがそうではなく、中には全うなものもあるという当然のことを言っているまでです。

当然それは私たち反カルト側にも当てはまります。カルトがすべて悪で、反カルトが絶対の善のように取り違え、自分たちに寄せられる批判の声を善悪二元論で全て切り捨てるようならば、それはカルトと何の違いもありません。

批判する人も批判される人も、全てが正しいのでもなく、全てが間違っているのでもありません。カルトの全てを悪と決め付けたら説得はできません。自分たちが全て正しいと相手を見下ろしていれば対話にはなりません。

お互い間違いだらけの身なのです。私たちは悪を糾弾するという姿勢ではなく、ただ脱会して知らされたことを語る。それを聞いてやめるかやめないかは本人が考えることです。

親鸞会が自分たちに寄せられる批判の一部でも「如来のみ声」と聞くようになれば、もはや親鸞会はカルトではありません。それを期待する我々もまた同様の姿勢でなければならないのは、言うまでもないことです。

| | コメント (0)

聞法ドメインがそんなに大事なのでしょうか

それまでは堅実に経営を進めてきたのに、自社ビルを建てたとたん経営が悪化する企業があるといいます。

最初のころは地道に頑張っていたのに、利益があがってくると自分の身の程をわきまえず、豪華なビルにお金をつぎ込み、気持ちが大きくなって無駄な設備に投資したり無理な経営拡大に走ったりして、資金繰りが悪化してしまうのです。

最近の顕正新聞を見ていると、退会した元講師や華光会への批判のほかは、聞法ドメインの記事ばかりが目立ちます。

食堂、大浴場、D館。当初は老人福祉施設や幹部会員の富山移住の計画も進められていました。射水のあの土地を親鸞会の建物で埋め尽くしたくて仕方がないのでしょう。何かというと「2000畳」と「ドメイン」ばかりです。

そしてガラガラの大講堂を会員で埋め尽くそうと無理な勧誘が繰り広げられ、大学には大量の職員が派遣され違法な勧誘が行われ、会員にはひっきりなしに献金の依頼がきています。

一体親鸞会はどうなってしまったのでしょうか。

私がいたころの親鸞会は、建物の大きさや設備の豪華さを強調するような団体ではありませんでした。

いろいろな問題を抱えている団体でしたが、少なくとも「一宗の繁昌と申すは、人のおほくあつまり、威のおほきなることにてはなく候ふ。」と蓮如上人が言われた事から、大きく外れるような方向には動いていなかったように思います。

最近の親鸞会は、昔とはまったく別の団体になってしまったようです。

事業がそんなに大事ですか。建物がそんなに自慢でしょうか。

私の住まいの近くに、天聖真美会という新宗教の建物があります。信者からの多額の献金で建てられた巨大な施設を見るたびに、どこの新宗教の教祖も考えることは同じだと知りつつ、親鸞会だけは違うと信じ続けてきた自分の浅はかさを思い知らされます。

| | コメント (15)

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »