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いくら教義が立派でも

5月30日付けの朝日新聞夕刊で、「いくら教義が立派でも」というタイトルのコラムが掲載されました。下に張っておきます。クリックすると拡大しますので、一度内容をお読みください。

28418ff4 親鸞会の会員の方はこの記事を見て何を思われるのでしょうか。自分たちの団体の運営は健全であり、開かれたものだと考えているのでしょうか。

私は親鸞会にいたときは、親鸞会は誰からも疑いようのない健全な運営がなされているから、そもそも疑う人もいないし公開の必要もないと思っていました。しかしそれは間違いです。そもそも健全ならば隠す理由はないのです。公に出来ないということは、それだけ見られてはまずい情報が満載だということです。今となっては馬鹿馬鹿しい位に当たり前のことですが、なぜあの時はわからなかったのでしょうか。

今は昔と違って親鸞会の運営に疑問を持つ会員も増えてきました。機関誌に華々しく取り上げられているような会員が、別の場所では「親鸞会は信用できない」と言うのです。内部では批判が禁じられているから言わないだけです。それを真に受けて、「会員は疑問も持たずに言われたとおりに金を出す」と上層部が思っているのだとすれば、その思いは早々に打ち砕かれることになるでしょう。親鸞会の終焉は刻一刻と近づいています。

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コメント

私は6年前に母が突然亡くなり何かにすがりたい一念で親鸞会とご縁ができました。しかし信心が進むと同時に色々なことに疑問が出てきました。
パソコンを買って初めてインターネットの世界を知りました。そしてこの「さよなら親鸞会」を読み今までの疑問が一気に湧き上がりました。講師に話したところインターネットは匿名なので信じてはいけない。本願寺の人がやっている。等々。今は人集め・金集めに必死ですね。親鸞会という偽善の組織に騙され今も真実を求めている人達が気の毒でなりません。

投稿: 元親鸞学徒 | 2008年6月11日 (水) 14時34分

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