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信仰と真実

ここ数日で私の周りにも様々な動きがあり、知らされたことも多くありました。親鸞会では降誕会が行われたようですが、参詣者は確実に減っているそうで、特に学友部の不振が目立っています。これは予想通りですから驚きませんが、それ以外にかなり衝撃の事実が明らかになってきています。これは、いずれお話しようと思います。

さて、「親鸞会の組織や体質は問題だと思うが、高森会長が真実を説く唯一の人だから聞く」という人がいます。

私も親鸞会の中にいたときはそう思っていましたので、その気持ちはわかりますし、いろいろな方とお話をすると、そう思っている人はかなり多いようです。しかし考えてください。「高森会長が真実を説いている」という主張に、何か論理的な裏づけはあるのでしょうか。

そもそも、宗教で説かれる「真実」というのは、証明も反証も不可能であり、まったく確かめようがありません。ですから、それを真実とするか否かは純粋に「信仰」の問題です。

その「真実」と「信仰」の問題を一緒にし、そもそも高森会長が「真実」を説いているという事を自分の信仰の前提にしてしまっている人が多いように思います。真実だから信仰するのではありません。信仰があっての「真実」なのです。

私は親鸞会の会員には、このことを取り違えている人が多いと思います。高森会長が救われたかどうかも、説いていることが真実かどうかも、「あなたが信じているだけでまったく確かめようのない事」で、信仰の前提にも裏づけにもなりません。

著作は伊藤康善や大沼法竜からの盗作、教義もそれらのパクリ損ない、昔と今といっていることが違いすぎ、自分の息子のした不祥事は関係者を粛清してまで闇に葬る、命がけと言って置きながら500回忌は理由もいわずに勝手に「キャンセル」、法論をすれば相手の主張を歪曲する、金を集めても使い道すら公開しない、それでいて、自分の指示に「無条件で従え」と朝晩忠誠を誓わせる…

さて、こんな人が「他のところはウソと誤魔化しだらけだけど、説いていることは真実だから」といっても、誰が信用するのでしょうか。

理性的に判断すれば到底信用できない人を信じていることに、早く気づいてほしいと思います。

「自分は理性的に判断して選んだんだ」という人は、自分が信ずるにいたったプロセスを、統一教会信者やオウム信者のたどってきたプロセスと比べてみてください。驚くほど一緒ですから。

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コメント

惚れてしまったということでしょう。
どんなひどい男でも惚れてしまったらいい男になってしまいます。

投稿: 要するに | 2008年6月13日 (金) 22時32分

衝撃の事実→何なのでしょうか?

親鸞会では降誕会が行われたようですが、参詣者は確実に減っているそうで→定量的に知りたい。2000畳の1/3が埋まらなかったとか。何人くらい減ったとか。

特に学友部の不振が目立っています。→学担講師のリストラがありますかね?

投稿: 興味ある~ | 2008年6月15日 (日) 00時18分

3年くらい前まで学友部で聴聞していました。
アニメも全巻揃え、ご報謝した正本堂が建った時はとても誇らしく思ったものです。

最近はこのブログや2ちゃんねる等で、会にいた時は知らなかった(知ろうともしなかった)多くの情報を得て動揺しています。
既に戻る気はありませんが・・・。

衝撃の事実、学友部の不振とありますが、私も詳しく知りたいです。
面倒をみていた後輩は、今どうしているのか。お世話になった講師の方にも除名された人がいるそうで気になっています。
連絡を取るとまたご縁に誘われそうで何とも歯がゆく。

できれば普通の幸せを手に入れて欲しいです。

投稿: | 2008年6月15日 (日) 17時35分

何なのでしょうか?伸ばすのはこれくらいにしてそろそろ教えてもらいたいものです。
まさか、最近の2つの記事の内容じゃないですよね。

投稿: 衝撃の事実 | 2008年6月23日 (月) 12時17分

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