本願寺はなぜ親鸞会に無関心なのか
最近、若干ではありますが、本願寺(大谷派)から呼ばれて話をする機会も出てきました。その際に感じたことです。
以前から私は、本願寺がなぜ親鸞会に対して無関心なのかが不思議でした。たとえば日本基督教団は統一協会に対して行っているような積極的な取り組みが全く見られないのはなぜかを知りたいと思っていました。
その理由が多くの僧侶と話すことで分かってきました。意外でしたが、殆どの寺にとっては親鸞会の影響が全くない、あるいはあっても極めて軽微であるから、無関心なのです。
親鸞会が言うように、門徒が「本願寺に騙されていた」と憤慨し、親鸞会の法話にはせ参じるようなことは殆どありません。親鸞会サイドから見るとたまにそんな話が顕正新聞などに掲載されていますが、掲載されている本人に直接聞くと、実際は本願寺に対してそんなに憤慨もしていないし、別に縁を切ったわけでもありません。
門徒が親鸞会の会員であったり親鸞会の行事に参加していたり、と言うことは珍しくありませんが、大半は寺との関係もそのまま維持しています。門徒の一家が丸ごと親鸞会に移るというケースも極めてまれであり、講師部員の子供でさえ親鸞会の活動を熱心にしている人などいないのに、二世信者、三世信者と代々会員が続く家などまず見られません。家族の何人かが会員になっていても、中心となる会員がやめればみんなやめてしまいます。
つまり門徒の家で誰かが親鸞会の会員になったとしても(それ自体がレアなケースですが)、その家や会員と寺との関係が切れることは殆どありませんし、大概は「その人だけ」で親鸞会の会員も終わりであり、寺にとっては何の影響もないと言っても良いくらいなのです。これでは関心を持てというのも難しいくらいです。
ですから、親鸞会では「本願寺が親鸞会を脅威に感じ、親鸞会の布教を妨害している」と会員向けに主張していますが、実際は脅威どころか「無関心をどうにかしなければ」というレベルなのです。
それでも最近は親鸞会に対する相談件数の増加から、大谷派を中心にカルト問題、親鸞会に対する活動が行われていますが、あくまで「社会問題として取り組む」という姿勢です。しかもそれでさえ、親鸞会よりも大きな影響力を持つ、とある新宗教団体の方がより関心を持たれています。
親鸞会は会員数も参詣者数も減り続け、今は6000人程度の会員しかいません。それなのに「一万人の人が聞法出来る受け皿作りが必要だ」と、月に数日しか稼働しない施設を建てまくり、加えてそれで集めたお金の使途すら公表できていません。初代会長は高齢で、2代目は会員の信頼を得られておらず、3代目は講師にすらなっていません。
近いうちに親鸞会は身の丈に合わない施設の維持で経済的に行き詰まり、自らの重みで瓦解するでしょう。そんな団体が脅威にならない事自体、冷静に考えれば分かることです。
親鸞会が「本願寺が親鸞会を脅威と思っている」と宣伝するのは、会員向けのプロパガンダに過ぎません。それは親鸞会に対する批判を「本願寺の陰謀」とすり替え、自浄努力を放棄し親鸞会の抱える問題から会員の目をそらすためのものなのです。
しかし中には、本当に「本願寺が親鸞会を脅威に思っている」と信じ込んでいる人もいます。顕正新聞に正本堂の写真を大きく載せ「これをみたら本願寺は驚くだろう」と得意げに話す姿は単なる妄想以上のものを感じます。
このケースは単に元から思いこみが強い上に老いて判断力が低下しているのか、あるいは最初から思考力に問題があるかのどちらかであって、何かしら根拠があって言っているのではないことを知っておいてください。
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コメント
2代目は会員の信頼を得られておらず
控えめな表現ね。
2代目は会員の信頼を失っており、…
投稿: | 2008年6月22日 (日) 11時35分
不倫しまくりで、バレたら親子ぐるみでなかったことに。
信頼感のかけらもないわな。会員から集めた金でやりたい放題。
末端の講師は子供を保育園にもやれず貧乏のどん底であえいで
いる。この世の地獄を現出させるのが親鸞会の目的なのか?
まぁ、親鸞聖人の御教えとはかけ離れたまがい物であることは
断言できますね。
投稿: T車L号 | 2008年6月22日 (日) 12時15分
>控えめな表現ね。
>2代目は会員の信頼を失っており、…
控えめな表現ね。
2代目は会員から既に見放されており、…
投稿: | 2008年6月22日 (日) 13時08分
>控えめな表現ね。
>2代目は会員から既に見放されており、…
控えめな表現ね。
2代目は会員から始っから鼻にもかけられておらず…
投稿: | 2008年6月23日 (月) 12時14分
私は、親鸞会に入会した当初から「堕落坊主集団 本願寺」だの
「真宗破壊の親玉」だの本願寺への非難悪口をこれでもかと言わんばかり
に聞かされてきた。しかし本願寺に対してそれまで何の恨みも無かった私には
本願寺に対して全くと言っていいほど怒りの心は起きてこなかった。
対象があまりにも大きく漠然としているために怒りの感じようがなかった
のかもしれない。
親鸞会も本願寺のことなど放っておいて自分の道を進めばいいのでは
ないのかという思いもあった。
だが決起大会などで専任講師や先輩そして同僚がハチマキを巻いて
マイクの奪い合いをしながら「打倒!本願寺!」と絶叫しているのを
見たりしていると、本願寺に怒りを覚えない自分がおかしいのではないかと 自己嫌悪に陥ったこともある。
煮え切らない感情を抑えて本願寺への座り込みに参加し、また
「本願寺なぜ答えぬ」の書籍をかかえて何週間も寺町をまわった。
本願寺が親鸞会に対して、ほとんど無関心であることは当時から
うすうす気付いていた。本願寺からは「手間のかかるヤンチャ坊主」
くらいにしか思われてなかったのであろう。
親鸞会は本願寺に勝手に片思いし嫉妬し、振り向いてくれないからといって怒り狂っていたのである。
今になって思うが、会員は高森顕徹のコンプレックス解消の道具
に使われていたのである。
投稿: | 2008年6月23日 (月) 12時44分