私が親鸞会をやめられたのは弘宣部長のおかげ
脱会した元講師部員からこんな話を聞いたことがあります。
かつて親鸞会で「光戦」(1セット10万円のアニメ「世界の光親鸞聖人」を頒布すること)が最優先と言われていたときは、講師部員も親友部員(職員)も年輩の会員も学生も、皆寸暇を惜しんでアニメを持って街を歩きました。暑い日はワイシャツを汗でぐしょぐしょにしながら、寒い日は足先の感触を失い震えながら。毎日行く先行く先で断られ、精神的にぼろぼろになりながらもまわったそうです。
その元講師部員が学院生だったときは、その光戦の最盛期とも言える時代でした。学院でも月に2回「光デー」があり、学院の担当講師も学院生も皆アニメを持って外に出ました。そんなときに、一人だけ「記事の執筆があるから」と光戦にまわらない人がいました。当時の副学院長です。その後何度か副学院長は変わりましたが、光戦に出なかった副学院長はその人だけでした。
その人はその後弘宣部長になり、M晴をあまりいじめないでくれ事件の時は議長に選ばれ、批判分子の講師を徹底的に指摘しました。すさまじい合宿で、普段高い立場にある人や講師歴の長い人も、自分に非があれば土下座し涙して心からわびていました。ところが弘宣部長だけは「私もネットに色々書かれているが、そんなものはデタラメだ!」と聞かれてもないのに言っていたそうです。デタラメと言ったのは「破廉恥行為をして2度も左遷された」ことです。この合宿では例の「不倫事件」は捏造だという結論が無理矢理出されましたが、ついでに自分の破廉恥事件も捏造にしたかったのかも知れません。しかし、すでに多くの人が顛末を知っている事件でしたので、彼が「デタラメ」と言ったときに、会場は何とも言えない白けた雰囲気になったそうです。
さて、最近顕正新聞にこんな記事がありました。
ところがである。自分の獲信体験なるものを得意げに書きまくり言いまくり、他人にも読ませ、聞かせている者たちがいる。
ある者は、「オレは弥陀の呼び声を聞いた。お前ら、まだ獲信できんのか」とうそぶき、「法施も財施も要らん。聞いてさえおればいいのだ」と放言する。
善の勧めの否定は、弥陀の三願転入の仏意の蹂躙であり、親鸞聖人のみ教えの破壊である。その大罪の自覚もなければ、「救われた」と言いながら、懺悔も歓喜もない。無論、「遠く宿縁を慶ぶ」心などさらにない。
弥陀より賜る白道どころか、恨みと呪いの真っ黒な愚痴を言いっぱなして恥じない〝自称獲信者〟もいる。
ニセ体験であることは明白だが、なぜこうしたニセモノが後を絶たないのか。(顕正新聞2008年6月15日号)
この文章を新聞に載せたのは先に触れた弘宣部長であることは明かですが、同じ講師部員として生きてきて、同じ高森会長や布教局長の問題を見てきて、どうしてこんな違いが出てしまったのでしょうか。
私は、私の白道の著者が親鸞会を後に出来たのは、真剣に高森会長の言うことに従い、真剣に法を求めようとしてきたからだと思います。どんな役職にあっても、布教の最前線で真摯に活動する方だった。だから気づくことが出来たし、気づいたときにやめることが出来たのです。
真剣にやってないから、親鸞会の問題を知る立場にあっても、それを直視せず、自分の問題として考えることもせず、適当に誤魔化して自分の立場を正当化して、言われるままに「自称獲信者」と見下した記事を書くことが出来る。
「私の白道」の著者が、真剣に光戦で重い鞄を担いで全国を回っていたときに、彼は何をしていたのでしょうか。ぬくぬくと暖かい学院の事務室や、弘宣部ビルの3階の大きな机にふんぞり返ってパソコンをいじっていたのではなかったか。私の白道の著者が、合宿で除名通告を受け、正座して涙していたときに、彼は指示棒を振り回して、批判分子の糾弾のついでに自分の破廉恥疑惑を「そんなものはデタラメだ!」と叫んでいたのではなかったか。
脱会したその講師部員は、「私が親鸞会をやめられたのは弘宣部長のおかげ」と言っていました。彼の姿を見て、ここにこれ以上いてもしょうがないと考えることが出来たと。
弘宣部長が心の底から「親鸞会は間違いだった」と知らされたとき、親鸞会をやめて一から出直す勇気はあるのでしょうか。いや、おそらく無理でしょう。適当に理由をつけて納得させ、「親鸞会が間違いだった」と考える事すらも出来ないだろうと思います。
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コメント
弘宣部長が心の底から「親鸞会は間違いだった」と知らされたとき、親鸞会をやめて一から出直す勇気はあるのでしょうか。いや、おそらく無理でしょう。適当に理由をつけて納得させ、「親鸞会が間違いだった」と考える事すらも出来ないだろうと思います。
認識が甘いね。
狡猾なW部のこと、とっくに「親鸞会は間違いだった」と思っているはず…。甘い汁がすえるから億尾にも出さないだけ。本当に親鸞会の存続がやばいと知らされたら真っ先に逃げ出すでしょう。
投稿: | 2008年6月22日 (日) 11時39分
同感。
渡部は単なるアホではない。
親鸞会の邪教ぶりは一番よく知っている。
権力のうまみから離れられないだけ。
面従腹背とは彼のためにある言葉だ。
投稿: 元弘宣部員 | 2008年6月23日 (月) 23時42分
上のお二方、W部氏のどのような言動に基づいてそのように推測されているのでしょうか。
納得できるエピソードを2・3挙げられませんと説得力に欠けると思います。
投稿: | 2008年6月25日 (水) 23時54分
んじゃ私からひとつ。あとは近くにおられたと思われる元弘宣部員さんにお任せ。
家を建てたこと。親鸞会が正しいと思っていれば財施していたはず。一般の講師はほとんどが生活に窮しているにもかかわらず家を建てる事ができたと言うことは甘い汁を吸っている証拠。
ついでにもうひとつ。
かつてはM貼るの悪口を公然に近い形で言っていたのに、M貼るの権力基盤が固まってきたら尻尾を振っていること。
投稿: | 2008年6月26日 (木) 10時52分
>かつてはM貼るの悪口を公然に近い形で言っていたのに、M貼るの権力基盤が固まってきたら尻尾を振っていること。
W部が総本部長になったときの話だね。M晴のやり方は問題だと常日頃言っていたのに、あっという間にM晴の言いなりになった。
セクハラ問題をダシに釘を刺されたというのが真相。それを聞いた学院長はW部を「男として情けない!」と嘆いたとか。みんな実話です。
投稿: | 2008年6月26日 (木) 19時22分
あの新聞記事を読んで、私は末端会員なんで何のことか分からず、「何の事言ってるんだろう?」と意味が分かりませんでした。けんしんにも「某グループ」とか批判して、何のことかさっぱり…。それでインターネットで検索してすべて分かりました。
意味不明の新聞の記事より、私の白道のほうが、よっぽど信じられますよ。心打たれますよ。私はこの元講師の方の方が好きです。
今や疑問を会内部で聞く人なんていません。ねつ造の一言ですから。みんなインターネットの情報こそ真実だとわかってこそこそ見ています。wべさんは書けば書くほど逆効果です。信心は他人が判断できないって書いてたくせに。かわいそうな人。人望もなく。
投稿: ぱぴよん | 2008年8月17日 (日) 14時21分