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同朋の里、拡張

親鸞会の会計報告についてインターネットで調べると、「以前は吉村総長から会計報告がされていたが、現在はされていない」といった情報が出てきます。

私も在会中この「会計報告」を聞いたことがあります。大幹部限定で301会議室に集合がかかり、その年の収支を発表します。しかし発表は口頭で「人件費○○億円、車両維持管理費○○億円」といったきわめて曖昧なものですし、資料は配られず誰が監査したのかも分かりません。大概赤字なのですが、「赤字分は会長先生が出された」とか何とか、きわめて怪しい内容のものです。

当然ながら、世間ではこんな誤魔化し可能な報告は「会計報告」とは言いません。収支や資産・負債の残高まで1円の単位できちんと記載された資料を配って、初めて会計報告と言えるでしょう。

しかしこんな会計報告でさえ、正本堂の募財や建設が本格化すると無くなってしまいました。募財は何度も募り直しされた上に、地下道や鷲のマーク、大型映像、松林の絵画等々次々と項目を変えて金集めがなされ、その収支は一切公表されていないのはご承知の通りです。

その後、聞法ドメインと称して周辺施設の建築が始まり、都度数億円から数十億円の募財がなされました。宿泊施設や弁当屋、食堂に何億という金が注ぎ込まれ、会員はそれらの施設に幾ら金が集められ、幾ら注ぎ込まれたのかは知ることもありません。

1万年堂出版から「歎異抄をひらく」が出版されたときは、予約用紙さえ配られず金が集められ、10万以上の献金をした人には木村泰山氏の書が印刷された記念品が配られました。この金が何に使われたかの報告ももちろんありません。

さて、更に追加で「同朋の里」施設群の拡張がなされ、その募財がなされています。食堂と100人入れる大浴場の建築がすでに始まっており、額は8億。これが第一期分で、その後更に増築・拡張がなされそのたびに二期、三期の募財も計画されています。それにしても8億がつぎ込まれるという食堂とか浴場、顕正新聞で写真を見ても、どうしてこれに8億もかかるのか全く不明の代物です。総大理石にでもするつもりでしょうか。

これらの拡張、何でも「会員の希望」だそうでして、会館への入場料が値上げされたときと同じ理由ですね。ウソかホントか分かりませんが、何でも会員の希望とでもしておけば文句も出ないと思ったのでしょうか。

会員さん、これを機会に「会計報告」も「会員から希望」されては如何ですか?一体幾ら集められ、何にどれだけ使われたのか。これを発表するのは組織としては当然のことです。

この後更に、50周年の献金と20億のドメイン財施の残りと正本堂建設の利子などが残っています。会員は疲弊し、末端の講師部員はますます貧しくなり、その代わり小杉の山奥には月に数回も使わないような施設が次々と建設され、幹部は新築の家を買っています。

親鸞会の将来がますます光り輝く事を確信せずにはおれません。いろんな意味で。

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コメント

 たわけたことばかり言わずに
 素直になりなさい。
 自分に負けてはならぬ
 明るく元気に素直に人生過ごそう。

投稿: | 2008年6月 1日 (日) 21時45分

誰にいってるんだ?

親鸞会会員?会長とその息子?

投稿: | 2008年6月 4日 (水) 00時17分

>食堂とか浴場、顕正新聞で写真を見ても、どうしてこれに8億もかかるのか全く不明の代物です

ぶるうのには顕正新聞から写真が確認できるかもしれないけど、漏れにはどんな食堂や浴場であるのかわからん
せっかくなら写真をうPしてくれ給へ
8億もかからないものに8億集めて残りはどうするのかなー

投稿: | 2008年6月29日 (日) 10時54分

風呂やロビーの写真はここに載っていますよ。
食堂は載っていませんが。
http://www.shinrankai.or.jp/s/shisetsu/doubounosato.htm

投稿: | 2008年7月 1日 (火) 10時41分

因果の道理。蒔いた種は、必ず生え自分にかえります。18願、弥陀の本願に遭うために19願で弥陀の御心を釈迦が明らかになさいました。だから法施や財布をすすめています。すべて弥陀の本願に会うための進むみちですよ。金額のことをはたくさん出来る方は 自分の徳となりかえってくるので、幸せですね。すくなくても自分に帰る膳だから金額ではないと思います。膳はやろうと思えば思うほど出来ない自分が見えてきました。人生の目的である絶対の幸福になるための釈迦の教えだよ。また阿弥陀様との仏縁あるといいですね。
これも何かのご縁ですね。

投稿: | 2011年3月10日 (木) 09時21分

ツリですか。本気だとしたら、終わっていますね。
阿弥陀仏の御心を踏みにじり、釈尊の善巧方便と権仮方便も理解できず、親鸞聖人の教えに背いていながら、全くその自覚もないことが終わっています。

教団名に、浄土真宗とか親鸞と使わないようにして下さい。仏教ですらない外道ですから、高森教と名乗るべきです。

投稿: | 2011年3月10日 (木) 21時37分

そうだね。都合のいいとこだけ仏教・浄土真宗とか親鸞聖人とか釈尊とか勝手に利用して。。

>「だから法施や財布をすすめています」「金額のことをはたくさん出来る方は 自分の徳となりかえってくるので、幸せですね」

アホか!!!

『仏法のかたに、施入物の多少にしたがつて、大小仏になるべしいふこと。この条、不可説なり、不可説なり。比興のことなり。

【歎異抄 第18章】

これについてちかごろは、この方の念仏者の坊主達、仏法の次第もってのほか相違す。そのゆえは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といい、これを信心のひとといえり。これおおきなるあやまりなり。

【蓮如上人 御文章 1帖目11通】』

親鸞聖人も蓮如上人も法施・財施の額で、信心の深さや救いの価値を決めるのを戒めておられる。
デタラメばかりいわんでもらいたい!
もういい加減「浄土真宗」の看板はずして「馬鹿森教」にしたほうがいいぞ!

投稿: | 2011年3月11日 (金) 20時12分

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