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親鸞会さん動画を削除しないでください

当ブログでも紹介している悲願の法城のビデオが、度々親鸞会からの権利侵害の申し出により削除されている模様です。

誰かがアップしては消されるという繰り返しなのですが、たとえばYoutubeには親鸞会の宣伝ビデオが大量にアップされているのに、このビデオだけが消されるのはなぜなのでしょうか。

「家を売っても、アパートで生活すればいいのです。喜捨をしないのは親鸞学徒ではありません」と高森会長が話す動画を公開するのが、なぜ問題なのでしょうか。

座談会という場で、高森会長が会員に向かって公に説法した動画なのですから、隠す必要は無いはずです。それを隠そうとするのは、結局親鸞会という団体が数多のカルト宗教と同じく、「見せれるところだけ見せて、都合の悪い部分は徹底的に隠す」所だからだ思われても致し方ないでしょう。

今後、こうした形で親鸞会が自分たちの正体を隠そうとするのならば、私にも考えがあります。この先一度でも当該の動画が削除されるようなことがあったら、そのときはあるメディアファイルをアップするつもりです。

親鸞会にとっては、公にしてほしくないものでしょう。ちなみに、著作権侵害等のクレームでは削除できない性質のものですので、お楽しみに。

以下はYoutubeから。会内では捏造されたものと言われているそうですね。自分たちのした会合を「捏造」として闇に葬り、「捏造」に出来ないようなものはクレームをつけて削除する。実に卑怯な団体です。親鸞会って。

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本願寺はなぜ親鸞会に無関心なのか

最近、若干ではありますが、本願寺(大谷派)から呼ばれて話をする機会も出てきました。その際に感じたことです。

以前から私は、本願寺がなぜ親鸞会に対して無関心なのかが不思議でした。たとえば日本基督教団は統一協会に対して行っているような積極的な取り組みが全く見られないのはなぜかを知りたいと思っていました。

その理由が多くの僧侶と話すことで分かってきました。意外でしたが、殆どの寺にとっては親鸞会の影響が全くない、あるいはあっても極めて軽微であるから、無関心なのです。

親鸞会が言うように、門徒が「本願寺に騙されていた」と憤慨し、親鸞会の法話にはせ参じるようなことは殆どありません。親鸞会サイドから見るとたまにそんな話が顕正新聞などに掲載されていますが、掲載されている本人に直接聞くと、実際は本願寺に対してそんなに憤慨もしていないし、別に縁を切ったわけでもありません。

門徒が親鸞会の会員であったり親鸞会の行事に参加していたり、と言うことは珍しくありませんが、大半は寺との関係もそのまま維持しています。門徒の一家が丸ごと親鸞会に移るというケースも極めてまれであり、講師部員の子供でさえ親鸞会の活動を熱心にしている人などいないのに、二世信者、三世信者と代々会員が続く家などまず見られません。家族の何人かが会員になっていても、中心となる会員がやめればみんなやめてしまいます。

つまり門徒の家で誰かが親鸞会の会員になったとしても(それ自体がレアなケースですが)、その家や会員と寺との関係が切れることは殆どありませんし、大概は「その人だけ」で親鸞会の会員も終わりであり、寺にとっては何の影響もないと言っても良いくらいなのです。これでは関心を持てというのも難しいくらいです。

ですから、親鸞会では「本願寺が親鸞会を脅威に感じ、親鸞会の布教を妨害している」と会員向けに主張していますが、実際は脅威どころか「無関心をどうにかしなければ」というレベルなのです。

それでも最近は親鸞会に対する相談件数の増加から、大谷派を中心にカルト問題、親鸞会に対する活動が行われていますが、あくまで「社会問題として取り組む」という姿勢です。しかもそれでさえ、親鸞会よりも大きな影響力を持つ、とある新宗教団体の方がより関心を持たれています。

親鸞会は会員数も参詣者数も減り続け、今は6000人程度の会員しかいません。それなのに「一万人の人が聞法出来る受け皿作りが必要だ」と、月に数日しか稼働しない施設を建てまくり、加えてそれで集めたお金の使途すら公表できていません。初代会長は高齢で、2代目は会員の信頼を得られておらず、3代目は講師にすらなっていません。

近いうちに親鸞会は身の丈に合わない施設の維持で経済的に行き詰まり、自らの重みで瓦解するでしょう。そんな団体が脅威にならない事自体、冷静に考えれば分かることです。

親鸞会が「本願寺が親鸞会を脅威と思っている」と宣伝するのは、会員向けのプロパガンダに過ぎません。それは親鸞会に対する批判を「本願寺の陰謀」とすり替え、自浄努力を放棄し親鸞会の抱える問題から会員の目をそらすためのものなのです。

しかし中には、本当に「本願寺が親鸞会を脅威に思っている」と信じ込んでいる人もいます。顕正新聞に正本堂の写真を大きく載せ「これをみたら本願寺は驚くだろう」と得意げに話す姿は単なる妄想以上のものを感じます。

このケースは単に元から思いこみが強い上に老いて判断力が低下しているのか、あるいは最初から思考力に問題があるかのどちらかであって、何かしら根拠があって言っているのではないことを知っておいてください。

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私が親鸞会をやめられたのは弘宣部長のおかげ

脱会した元講師部員からこんな話を聞いたことがあります。

かつて親鸞会で「光戦」(1セット10万円のアニメ「世界の光親鸞聖人」を頒布すること)が最優先と言われていたときは、講師部員も親友部員(職員)も年輩の会員も学生も、皆寸暇を惜しんでアニメを持って街を歩きました。暑い日はワイシャツを汗でぐしょぐしょにしながら、寒い日は足先の感触を失い震えながら。毎日行く先行く先で断られ、精神的にぼろぼろになりながらもまわったそうです。

その元講師部員が学院生だったときは、その光戦の最盛期とも言える時代でした。学院でも月に2回「光デー」があり、学院の担当講師も学院生も皆アニメを持って外に出ました。そんなときに、一人だけ「記事の執筆があるから」と光戦にまわらない人がいました。当時の副学院長です。その後何度か副学院長は変わりましたが、光戦に出なかった副学院長はその人だけでした。

その人はその後弘宣部長になり、M晴をあまりいじめないでくれ事件の時は議長に選ばれ、批判分子の講師を徹底的に指摘しました。すさまじい合宿で、普段高い立場にある人や講師歴の長い人も、自分に非があれば土下座し涙して心からわびていました。ところが弘宣部長だけは「私もネットに色々書かれているが、そんなものはデタラメだ!」と聞かれてもないのに言っていたそうです。デタラメと言ったのは「破廉恥行為をして2度も左遷された」ことです。この合宿では例の「不倫事件」は捏造だという結論が無理矢理出されましたが、ついでに自分の破廉恥事件も捏造にしたかったのかも知れません。しかし、すでに多くの人が顛末を知っている事件でしたので、彼が「デタラメ」と言ったときに、会場は何とも言えない白けた雰囲気になったそうです。

さて、最近顕正新聞にこんな記事がありました。

ところがである。自分の獲信体験なるものを得意げに書きまくり言いまくり、他人にも読ませ、聞かせている者たちがいる。
ある者は、「オレは弥陀の呼び声を聞いた。お前ら、まだ獲信できんのか」とうそぶき、「法施も財施も要らん。聞いてさえおればいいのだ」と放言する。
善の勧めの否定は、弥陀の三願転入の仏意の蹂躙であり、親鸞聖人のみ教えの破壊である。その大罪の自覚もなければ、「救われた」と言いながら、懺悔も歓喜もない。無論、「遠く宿縁を慶ぶ」心などさらにない。
弥陀より賜る白道どころか、恨みと呪いの真っ黒な愚痴を言いっぱなして恥じない〝自称獲信者〟もいる。
ニセ体験であることは明白だが、なぜこうしたニセモノが後を絶たないのか。(顕正新聞2008年6月15日号)

この「自称獲信者」が、私の白道の著者と華光会をさしていることは想像に難くありません。最近の華光会には親鸞会の人の参詣が絶えないそうですから、親鸞会も余程恐れているのでしょう。批判の内容を見ても、すでに「私の白道」の文中で否定されていることばかり。親鸞会得意の悲しいほどワンパターンなレッテル貼り批判です。

この文章を新聞に載せたのは先に触れた弘宣部長であることは明かですが、同じ講師部員として生きてきて、同じ高森会長や布教局長の問題を見てきて、どうしてこんな違いが出てしまったのでしょうか。

私は、私の白道の著者が親鸞会を後に出来たのは、真剣に高森会長の言うことに従い、真剣に法を求めようとしてきたからだと思います。どんな役職にあっても、布教の最前線で真摯に活動する方だった。だから気づくことが出来たし、気づいたときにやめることが出来たのです。

真剣にやってないから、親鸞会の問題を知る立場にあっても、それを直視せず、自分の問題として考えることもせず、適当に誤魔化して自分の立場を正当化して、言われるままに「自称獲信者」と見下した記事を書くことが出来る。

「私の白道」の著者が、真剣に光戦で重い鞄を担いで全国を回っていたときに、彼は何をしていたのでしょうか。ぬくぬくと暖かい学院の事務室や、弘宣部ビルの3階の大きな机にふんぞり返ってパソコンをいじっていたのではなかったか。私の白道の著者が、合宿で除名通告を受け、正座して涙していたときに、彼は指示棒を振り回して、批判分子の糾弾のついでに自分の破廉恥疑惑を「そんなものはデタラメだ!」と叫んでいたのではなかったか。

脱会したその講師部員は、「私が親鸞会をやめられたのは弘宣部長のおかげ」と言っていました。彼の姿を見て、ここにこれ以上いてもしょうがないと考えることが出来たと。

弘宣部長が心の底から「親鸞会は間違いだった」と知らされたとき、親鸞会をやめて一から出直す勇気はあるのでしょうか。いや、おそらく無理でしょう。適当に理由をつけて納得させ、「親鸞会が間違いだった」と考える事すらも出来ないだろうと思います。

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信仰と真実

ここ数日で私の周りにも様々な動きがあり、知らされたことも多くありました。親鸞会では降誕会が行われたようですが、参詣者は確実に減っているそうで、特に学友部の不振が目立っています。これは予想通りですから驚きませんが、それ以外にかなり衝撃の事実が明らかになってきています。これは、いずれお話しようと思います。

さて、「親鸞会の組織や体質は問題だと思うが、高森会長が真実を説く唯一の人だから聞く」という人がいます。

私も親鸞会の中にいたときはそう思っていましたので、その気持ちはわかりますし、いろいろな方とお話をすると、そう思っている人はかなり多いようです。しかし考えてください。「高森会長が真実を説いている」という主張に、何か論理的な裏づけはあるのでしょうか。

そもそも、宗教で説かれる「真実」というのは、証明も反証も不可能であり、まったく確かめようがありません。ですから、それを真実とするか否かは純粋に「信仰」の問題です。

その「真実」と「信仰」の問題を一緒にし、そもそも高森会長が「真実」を説いているという事を自分の信仰の前提にしてしまっている人が多いように思います。真実だから信仰するのではありません。信仰があっての「真実」なのです。

私は親鸞会の会員には、このことを取り違えている人が多いと思います。高森会長が救われたかどうかも、説いていることが真実かどうかも、「あなたが信じているだけでまったく確かめようのない事」で、信仰の前提にも裏づけにもなりません。

著作は伊藤康善や大沼法竜からの盗作、教義もそれらのパクリ損ない、昔と今といっていることが違いすぎ、自分の息子のした不祥事は関係者を粛清してまで闇に葬る、命がけと言って置きながら500回忌は理由もいわずに勝手に「キャンセル」、法論をすれば相手の主張を歪曲する、金を集めても使い道すら公開しない、それでいて、自分の指示に「無条件で従え」と朝晩忠誠を誓わせる…

さて、こんな人が「他のところはウソと誤魔化しだらけだけど、説いていることは真実だから」といっても、誰が信用するのでしょうか。

理性的に判断すれば到底信用できない人を信じていることに、早く気づいてほしいと思います。

「自分は理性的に判断して選んだんだ」という人は、自分が信ずるにいたったプロセスを、統一教会信者やオウム信者のたどってきたプロセスと比べてみてください。驚くほど一緒ですから。

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いくら教義が立派でも

5月30日付けの朝日新聞夕刊で、「いくら教義が立派でも」というタイトルのコラムが掲載されました。下に張っておきます。クリックすると拡大しますので、一度内容をお読みください。

28418ff4 親鸞会の会員の方はこの記事を見て何を思われるのでしょうか。自分たちの団体の運営は健全であり、開かれたものだと考えているのでしょうか。

私は親鸞会にいたときは、親鸞会は誰からも疑いようのない健全な運営がなされているから、そもそも疑う人もいないし公開の必要もないと思っていました。しかしそれは間違いです。そもそも健全ならば隠す理由はないのです。公に出来ないということは、それだけ見られてはまずい情報が満載だということです。今となっては馬鹿馬鹿しい位に当たり前のことですが、なぜあの時はわからなかったのでしょうか。

今は昔と違って親鸞会の運営に疑問を持つ会員も増えてきました。機関誌に華々しく取り上げられているような会員が、別の場所では「親鸞会は信用できない」と言うのです。内部では批判が禁じられているから言わないだけです。それを真に受けて、「会員は疑問も持たずに言われたとおりに金を出す」と上層部が思っているのだとすれば、その思いは早々に打ち砕かれることになるでしょう。親鸞会の終焉は刻一刻と近づいています。

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偽なる者は甚だもって多し

●偽なる者は甚だもって多し

「然るに濁世の群萌・穢悪の含識、乃し九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入ると雖も、真なる者は甚だ以て難く、実なる者は甚だ以て希なり、偽なる者は甚だ以て多く、虚なる者は甚だ以て滋し」(教行信証)

これは外道の者が、折角、仏縁を結んでもと、いうことだけのことではなかろう。

「真なる者(真実信心の人)は甚だもって難く、実なる者(真実信の人)は甚だもって希なり。偽なる者(安楽椅子の人)は甚だもって多く、虚なる者(安楽椅子の人)は甚だもって滋し」

とも、仰っている親鸞聖人のお言葉である。

安易に座れる椅子は満ちている。勧める者も数多い。襲いくる群賊悪獣悪知識のその中を、千万の化城(安楽椅子)を突破して

「常没の凡愚・流転の群生、無上妙果の成じ難きにはあらず、真実の信楽、実に獲ること難し」 (親鸞聖人)

「信を得る者希なり」 (蓮如上人)

の聖語を、全身で聞き獲るものこそ、まことの親鸞学徒である。

(顕正新聞平成20年6月1日号)

以前台湾布教に赴いた親鸞会のK講師に、現地の会員さんが「K先生はいつ信心決定されたのですか?」と尋ねたところ、「あともう少しです」と答えたそうです。ところが別の人が同じ事をK講師に尋ねたところ、「10年前に信心決定しました」との答え。結局この講師は他の問題もあり現地の会員さんの信頼を失い、日本に帰りました。

育児関係の著作で有名なある特専部の精神科医は最近、「大学時代に信心決定した」と明言したそうですが、大学卒業後顕正新聞に「我が身が信心決定することこそ先決と頑張らずにおれない」と書いていたことが判明しています。

チューリップ企画で法論しているサービス課の山田氏は、「自分は救われている」と法論中に宣言。しかしそれまで周囲の人も彼から「救われた」などと聞いたことは一言もなかったそうです。

その他にも、元徳育教授の瀬戸川さんが「2度救われた」件や、滋賀県の篤信者であるTさんの、殆ど同じ内容の獲信の体験談が華光誌と親鸞会の機関誌に掲載されている件。また、高森氏自身の信心もかなり怪しい事など、今までも取り上げてきました。

「偽なる者は甚だもって多し」

顕正新聞もたまには良い記事を書くもんだと、感心した次第です。

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同朋の里、拡張

親鸞会の会計報告についてインターネットで調べると、「以前は吉村総長から会計報告がされていたが、現在はされていない」といった情報が出てきます。

私も在会中この「会計報告」を聞いたことがあります。大幹部限定で301会議室に集合がかかり、その年の収支を発表します。しかし発表は口頭で「人件費○○億円、車両維持管理費○○億円」といったきわめて曖昧なものですし、資料は配られず誰が監査したのかも分かりません。大概赤字なのですが、「赤字分は会長先生が出された」とか何とか、きわめて怪しい内容のものです。

当然ながら、世間ではこんな誤魔化し可能な報告は「会計報告」とは言いません。収支や資産・負債の残高まで1円の単位できちんと記載された資料を配って、初めて会計報告と言えるでしょう。

しかしこんな会計報告でさえ、正本堂の募財や建設が本格化すると無くなってしまいました。募財は何度も募り直しされた上に、地下道や鷲のマーク、大型映像、松林の絵画等々次々と項目を変えて金集めがなされ、その収支は一切公表されていないのはご承知の通りです。

その後、聞法ドメインと称して周辺施設の建築が始まり、都度数億円から数十億円の募財がなされました。宿泊施設や弁当屋、食堂に何億という金が注ぎ込まれ、会員はそれらの施設に幾ら金が集められ、幾ら注ぎ込まれたのかは知ることもありません。

1万年堂出版から「歎異抄をひらく」が出版されたときは、予約用紙さえ配られず金が集められ、10万以上の献金をした人には木村泰山氏の書が印刷された記念品が配られました。この金が何に使われたかの報告ももちろんありません。

さて、更に追加で「同朋の里」施設群の拡張がなされ、その募財がなされています。食堂と100人入れる大浴場の建築がすでに始まっており、額は8億。これが第一期分で、その後更に増築・拡張がなされそのたびに二期、三期の募財も計画されています。それにしても8億がつぎ込まれるという食堂とか浴場、顕正新聞で写真を見ても、どうしてこれに8億もかかるのか全く不明の代物です。総大理石にでもするつもりでしょうか。

これらの拡張、何でも「会員の希望」だそうでして、会館への入場料が値上げされたときと同じ理由ですね。ウソかホントか分かりませんが、何でも会員の希望とでもしておけば文句も出ないと思ったのでしょうか。

会員さん、これを機会に「会計報告」も「会員から希望」されては如何ですか?一体幾ら集められ、何にどれだけ使われたのか。これを発表するのは組織としては当然のことです。

この後更に、50周年の献金と20億のドメイン財施の残りと正本堂建設の利子などが残っています。会員は疲弊し、末端の講師部員はますます貧しくなり、その代わり小杉の山奥には月に数回も使わないような施設が次々と建設され、幹部は新築の家を買っています。

親鸞会の将来がますます光り輝く事を確信せずにはおれません。いろんな意味で。

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