「私の白道」が完結
「清森問答」に連載されていた「元講師部員」の体験手記「私の白道」が完結しました。
初めての方でも読みやすいように、ここに一覧を掲載します。
私の白道1
http://kiyomorimondo.blog70
私の白道2
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私の白道3
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私の白道4
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私の白道5
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私の白道6
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私の白道7
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私の白道8
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私の白道9
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私の白道10
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私の白道11(最終回)
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文中にあった「M晴をあまりいじめないでくれ事件」についてはこちらのリンクを、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6979/1158394190/1-8
また、高森顕徹氏の剽窃問題についてはこちらのリンクが詳しいでしょう。
高森顕徹氏の著書のルーツ
この「私の白道」の中で触れられている、高森光晴布教局長の不倫問題を中心とした高森一族についての出来事は、ほとんど私も直接見聞きしてきたことばかりであり、何かの必要があり証言を求められた際には、進んでそれに応ずるつもりであることをここに明言します。
そのほかにも、浄財の横領疑惑や、それを明らかにしようとした講師部員への報復、東西総本部時代の嫌がらせなど、本当に色々な事がありました。
現役の講師部員の大部分は、高森布教局長に対してこの「元講師部員」と同じような思いを持っていたと思います。もちろん、言葉に出せば粛清されますから言いませんが、それでも親しい間柄では局長や組織に対する不信を漏らす人は大勢いました。
脱会した講師部員と、こうした不信を持ちながら講師部員を続けている人たちにどんな違いがあったのでしょうか。
それは、組織や局長に対する不信が、それらの源である高森顕徹会長を問い直すところまで達したか、達しなかったかの違いではないでしょうか。
「局長はおかしい、しかし高森先生は正しい。あれだけの問題を起こしながらも局長をかばい続けたのは先生の御心だ。だから私たちもそれに従わなければならない」
高森会長が自分の息子である光晴局長を、全講師部の活動を停止させたまでもみ消し、多くの会員や講師部員に一言の謝罪をすることも、させることもなく。徹底して隠蔽しかばった。
その強い意志の前に、一部の人を除いては、これ以上何かを考えることも行動することも出来なかったのだと思います。
私も、その一人でした。しかし、その考えは程なくして変わりました。
局長の不倫を暴いた人たちが糾弾され「執行猶予付きの除名処分」にされた後、再び表に出た局長の口からは、ただの一言の謝罪の言葉もなく、以前にもまして威張り始めました。
不倫を暴いた当事者の中には、人が変わったように局長に尻尾を振るようになった人もいます。あれほど声高に局長のことを批判していたのに…ただ、その気持ちは私は痛いほどわかりましたので、軽蔑するとかそういうことはありませんでした。
尻尾を振らなかった人の中には、陰湿としか言いようのないいじめを受ける人も出てきました。些細なミスで数百通の詫び状を書かなければならないような新しい規則が出来、毎日のようにポストにほかの講師部員の詫び状が入っていました。
これを茶番といわずに何というのでしょうか。私の疑念の目は局長から次第に高森会長に移って行きました。すると、盗作や隠蔽された過去がずるずると出てきました。
局長はおかしいけど、その局長を許した会長先生はおかしくない。そこでおさめて納得しておいたほうがよほど楽か知れません。誰しも数十年真剣に求めてきたものを問い直したくありません。そんな辛く苦しい葛藤をするくらいならば、盲信して進んだほうが楽に決まっています。
親鸞会の会員で、特に長く続けてきた人で、これらの問題に疑問を抱かない人はいないでしょう。そこからどうかもう一歩考えを進めてほしいと思います。その一歩は限りなく重く苦しいでしょうが、あなたの人生にもっとも必要な一歩であることは間違いありません。
そのために、「私の白道」は貴重な道しるべとなるのではないでしょうか。「元講師部員」と同じ疑問を持ち、同じ不信を抱いた人は少なくありません。しかし、歩を進める人は少ない。勇気と覚悟が必要だからです。
私はこの「元講師部員」と、光戦で一緒に活動したことがありますが、とても誠実で真面目な方だった。あの人だから、出来たことなのでしょう。今親鸞会の内部では早速「元講師部員」への中傷が始まっています。しかしそんなことに同調する前に考えてほしい。
「元講師部員」と高森布教局長、どちらがより誠実で真面目に人生を生きていますか?
二人を知っている人、考えなくても結論は出ているはずです。
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コメント
管理人様
清森問答の「私の白道」を読み、元講師の方の勇気と情熱に非常に感動致しました。
こちらのサイトは以前に管理人様自らエイプリルフールのネタ発言があって以降、不信を感じています。
私はせっかくの元講師の方の熱意をこちらのサイトで軽々しく扱われることに憤りを感じています。
親鸞会で深刻なのは被害者の方がいることです。
独自にサイトを立ち上げられた以上、断じてジョークで語る内容ではありません。
管理人様はその件について一切謝罪もされていません。
そのような誠実さを欠いたこちらのサイトで扱われることによって元講師の方の誠意までもが踏みにじられるように感じてなりません。
管理人様独自の情報だけを扱っていただきたいとお願いいたします。
投稿: 一言 | 2008年5月25日 (日) 02時58分
>再び表に出た局長の口からは、ただの一言の謝罪の言葉もなく
確かに、管理人さんにも、エイプリルフールの件に関して、
謝罪とまではいかなくても、どういう意図だったのかぐらい
一言あってもいいように思います。
ただ、管理人さんは、報酬などを受けてこのブログを運営している
わけでもないようですし、所詮ネット上の書き込みですから、
何も一言なくてもいいとは思います。
でも、このサイトを信憑性の高い情報として、信頼していた人の中には、
不信を抱く人もいるような内容だったと思います。
親鸞会の嘘を糾弾している以上、嘘はいけないと思います。
ただ別に管理人さんは追記という形で嘘であることは表明している
ので、親鸞会の嘘とは全く質の違うことなので、
そんなに問題だとは思いませんが...。
でも不信を抱いた人もいたので、一言あっても良いと思います。
良い悪いではなく、どういう意図だったのか一言必要だと思います。
そうでないと、親鸞会が会員に色々なことで黙りこんでいるのと
同じだと思います。誤りを認めたら負けだというプライドが
管理人さんにもあるのでしょうか?
誤りでなかったと思われるのでしたら、それでも良いと思うのですが、
黙りこんでいると親鸞会と同じように思えてしまいます。
(へたに謝罪みたいのをしようものなら、親鸞会に名誉毀損などで、
つけいれられる可能性があるからなのですか?)
ただこういう親鸞会批判サイトを運営していくことは大変なことだと思います
妨害や中傷を受けることもあるのでしょう。
だから、別に一言ないのも管理人さんの自由だと思います。
投稿: 一言 | 2008年5月25日 (日) 04時58分
最初にコメントされている一言さんと投稿名がかぶってしまいました。
1件目の一言さんと2件目の一言とは別人です。すみません。
ちなみに1件目の一言さんとのおっしゃるように、誠実性を欠いたサイトだから独自の情報だけにした方が良いと思われる人もいると思いますが、ここのサイトを最初に来る人もいます。
ここから清森問答や他のサイトへ誘導する役割もあるので、
たとえ、誠実性を欠いたサイトであっても、元講師の投稿が読まれる
きっかけになるならば、元講師の誠意が踏みにじられることには
ならないと思います。
不誠実極まりない2ちゃんでも取り上げられていますが、
清森問答が多くの人に読まれるきっかけになっています。
ただ誠実性に欠けるサイトだというのは、少し同感致します。
投稿: すみません。 | 2008年5月25日 (日) 05時18分
親鸞会被害家族の会という集まりがあります。
この集まりの実態は存じませんが、同様に親鸞会会員を家族にもつその家族(非会員)の方たちの悩みは深刻なものです。
被害者救済の集まりに参加されずに悩んでいる人も存じています。
私がそれらの組織の実体を知らない以上、悩めるそのような立場の方に勧めません。
情報をプリントアウトしてお伝えしています。
>>ただ、管理人さんは、報酬などを受けてこのブログを運営しているわけでもないようですし、所詮ネット上の書き込みですから、何も一言なくてもいいとは思います。
果たして報酬を受け取っていないから・・・という理由だけで「所詮ネットの書き込み=お遊び」と片づけて良いものでしょうか?
>このブログは、浄土真宗親鸞会の元会員をメンバーにもつ連絡会が運営しています。
>連絡会は、親鸞会の問題で悩む家族、現役会員、元会員といった方々からの相談をお受け
>するほか、必要に応じて各地の相談機関や、宗教問題に詳しい弁護士の紹介をしています。
>一度しかない人生です。自分たちの活動に疑問を感じたら、一人で悩まないで、私たちに
>相談してください。連絡はメールで承っております。
こちらのサイトのプロフィールにはこのようにございます。
私は単なる教団中傷を目的とするサイトではないと認識していました。
いくら冗談はいえ、まさか虚実の記事が掲載されるとは思いもしませんでした。
真摯な態度でサイトを運営なさっている方は多数おられます。
上記に述べましたが私は被害家族の方に新たな情報があればお伝えせねばなりません。
先日のエイプリルフールのネタの件で、他の方のサイトまで懐疑の目で見なければならないようになってしまいました。
それでも「何も一言なくてもいい」と思いますか?
私は大変迷惑しています。
報酬がなければ真面目に運営できないのであれば速やかに撤収していただきたいものです。
その旨、どうお考えになるのか管理人氏に一言コメント賜りたいと思います。
投稿: 一言 | 2008年5月25日 (日) 05時40分
>上記に述べましたが私は被害家族の方に新たな情報があればお伝えせねばなりません。
なるほど。一言さんのように被害家族の方に情報をお伝えされている方にとっては、ただの冗談ではすまされないことだったんですね。
あのエイプリルフールネタを本当の情報だと思って被害家族に伝えてしまったら、一言さんも信頼を失ってしまうし、親鸞会批判は捏造だと思われ、さらに被害家族の方は苦しまれてしまいますね。
管理人さんのプロフィールまでは読んでいませんでしたが、
>このブログは、浄土真宗親鸞会の元会員をメンバーにもつ連絡会が運営しています。
>連絡会は、親鸞会の問題で悩む家族、現役会員、元会員といった方々からの相談をお受け
>するほか、必要に応じて各地の相談機関や、宗教問題に詳しい弁護士の紹介をしています。
>一度しかない人生です。自分たちの活動に疑問を感じたら、一人で悩まないで、私たちに
>相談してください。連絡はメールで承っております。
ここまで書いてある以上は、確かに報酬とか関係なく、悪ふざけはよくないですね。すみません。
完璧な人はいませんし、誰でも間違いはあると思います。
だから管理人さんも、ちょっとしたジョークで悪気はなかったのかもしれませんが、プロフィールで遊び半分にやっている訳でないと表明して
入るわけですから、ここのサイトの情報を信頼して、結果的に迷惑している方もいるわけですから、
どういう意図で書き込んだのか、一言コメントは必要ですね。
投稿: 2件目の一言 | 2008年5月25日 (日) 07時44分
>上記に述べましたが私は被害家族の方に新たな情報があればお伝えせねばなりません。
>先日のエイプリルフールのネタの件で、他の方のサイトまで懐疑の目で見なければならないようになってしまいました。
>私は大変迷惑しています。
>報酬がなければ真面目に運営できないのであれば速やかに撤収していただきたいものです。
たかだかエイプリルフールのジョークで何言ってんのこの人?
4月1日の記事、もう消えてしまったけど、確か一番最後に「4月1日の記事」と書いてありましたよ。
それでも本気にしてコピーして配って恥かいたのならば、それは本気にした人の責任でしょう。
自分の間抜けを棚に上げて、ブログに信頼できないとか謝罪が欲しいとかクドクド書いてんの、どうにかならんのかね。
信頼できないのなら読まなければいいし、情報が欲しいのなら自分でいろんな人に会って話を聞いたり、一生懸命調べてレポート書いて配ったらいいでしょう。
しかも2ヶ月も経とうとしている今になってレスつけてくる。ひょっとして「私の白道」を読ませたくない会の関係者の方ですか?それならば任務ご苦労様です。失礼しました。
そんなしょうもないことに怒ってる暇あったら、その怒りを親鸞会に向けなよ。
あきれてものも言えない。
投稿: は?なににこの人? | 2008年5月25日 (日) 18時32分
は?なににこの人?さんってもしかしてここの管理人さんですか?
もしそうだとしたらとても残念です。
投稿: | 2008年5月25日 (日) 19時15分
ブルーノさんに対して相当な批判が出ているようですが、私はそんなに
目くじらを立てる程のことではないと考えます。
4月1日の記事は、読んだとたんジョークだとすぐ分かりましたよ。
ブルーノさんはこれまで長い間、親鸞会の暗部を真摯に暴露してきて
くれた人です。お仕事をされながらこれだけの記事を書いてこられた
ブルーノさんには頭が下がります。
私達読者はパソコンのスイッチを入れるだけで、親鸞会の情報を
何の苦労も無く手に入れることが出来たのです。
ブルーノさんのたった1回のおふざけジョークにそんなにこだわる
必要は無いと思いますが。いかがでしょうか。
投稿: | 2008年5月25日 (日) 20時17分
めくじらたてない方も、もしぶるうのさんが謝罪したらしたでそのほうが良いと感じていらっしゃるんですよね?
なら、クレームがある以上、謝罪したほうがぶるうのさんにとってプラスだと思います。
会社でもお客さんに喜ばれるサービスをしない会社は長く続きません。
お客さんが悲しんで、会社が儲かるというのはおかしい。
お客さんのクレームを聞き、改善することでみんなが幸せになると思いますし、成長するのではないでしょうか。
投稿: | 2008年5月26日 (月) 00時01分
【高森氏のニセ信心を見抜いていた伊藤氏】
>ブルーノさんのたった1回のおふざけジョークにそんなにこだわる
必要は無いと思いますが。いかがでしょうか。
賛成ですね。親鸞会会員、元会員あわせて、良い意味でも悪い意味でもクソ真面目すぎるんですよ。私も最初は騙されましたが、「いや、なかなかよく出来たジョークじゃあないか。」と笑ってしまいましたが。
だからこんなニセ信心オヤジの仕掛けた罠にまんまとひっかかるんだ。
さて、下記の文章を熟読してみてください。
伊藤氏は、高森氏を真の信心決定者とみなしているかどうか?いろいろ見方はあるでしょうけど、私はみなしていない、と解釈します。
「自分一人で獲信」「僕は先生でもなければ、善知識でもない」「先ず生きてると云う意味で、先生と云うのでしょうな」など、皮肉に満ちた表現ばかりです。伊藤氏は高森氏のニセ信心を見抜いていたんですよ。
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「獲信の記録」
伊藤「僕を先生々々と云うが、その意味が充分判らぬのですがね、高森君等は 自分一人で獲信したのだから、その意味に於いて、僕は先生でもなければ、善 知識でもない。学校で学問を教えていないから勿論、先生ではない。先に生まれたから先生と云うのならば自分の親に向っても先生と云いそうなものだが… …マアー此のオイボレ、先ず生きてると云う意味で、先生と云うのでしょうな」
(高森顕徹著「獲信の記録」p100、華光社)
投稿: アルビレオ | 2008年5月26日 (月) 09時42分
私はあの時学生でしたが、急に講師の人の集合があって、
ビックリしたのを覚えています。
その後帰ってきた講師の人の口から、
会合の内容を語られることはなく、
「なんの集合だったのですか?」
とも聞けない雰囲気でした。
しかし、その翌年当たりから、講師の人の雰囲気や
士気が明確に落ちてきて、実際に学友部の不振も
その翌年か翌々年からはじまったように思います。
ある講師の方は、あきらかに見た目が老けてきていました。
投稿: | 2010年9月14日 (火) 09時10分