造花には 蜂や蝶も 寄りつかぬ
「香りはと 問われて困る 造花かな」
「造花には 蜂や蝶も 寄りつかぬ」
最近高森会長が顕正新聞に書いたメッセージです。
他にも、顕正新聞には造花(人工信心)を批判するメッセージで満ちています。最近の会員や元講師部員の華光会への流出に危機感を感じて、書いているのでしょう。
しかし、肝心の「華光会」という団体名はどこにも出てきません。だから彼らの「体験談」を批判するときも、どの機関紙のどの部分に載っている話かも出せませんし、また華光会とは全然関係のない土蔵秘事の話を織り交ぜたりして、何しろめちゃくちゃです。
高森会長はどう説明する気なのでしょうか。自分が華光会にいたこと、18歳のときに華光誌で獲信の体験談を書き、20歳で「獲信の記録」を書いたこと、そして伊藤康善氏の著作から剽窃した文章を自分の著作として出版し、後に理由も明らかにせず廃刊にしたことを。
後ろめたいことが沢山あるから、華光会のことを名指しで批判も出来ない。ただ、曖昧に「造花」と書くしかなかったのでしょう。
土ではなく心に咲く信心の花が本物か否かは、弥陀と本人しか知らぬことですから、私は高森氏の信心が本物かどうかはわかりません。
しかし、最近の親鸞会の参詣者数の減少を見ていると、高森氏が「造花には 蜂や蝶も 寄りつかぬ」と言うとおりの事が、いま実に親鸞会の上に起こっているのだと思います。
高森氏よ、聞きなさい。
会員は華光会が魅力的だから親鸞会から離れるのではありません。自分たちの団体の不誠実さにあきれて、出てゆくのです。
彼らに対して、信仰に妥協は許されぬと激しく破邪の利剣を振るわれた聖人だったが、「諸寺の釈門」「近世の宗師」「真信に昏い輩」とまでは言い切られたが、比叡や天台を直接、非難されているところはない。
方便とはいえ、後生の一大事を知らされた因縁がある。その仏縁を、重く有り難く思われたからではなかろうか。(中略)
『歎異抄をひらく』の大反響に、「あれを導いたのはオレだ」という心ないうわさも聞こえてくる。無理もない。羽振りがよくなると、突然親戚が増えることも、ままあることである。本会が呪われた犯罪集団となり、世を騒がせているのなら、「あんなもの知らん」となるだろうが。
「千万の化城を突破して、まことの信心決定あれかし」と念じられるお心が、彼の人々にも、いつか知らされる日が来よう。(顕正新聞平成20年5月1日号)
華光会を名指しで非難しないのは、親鸞聖人が「後生の一大事を知らされた因縁を有難く思われたから、比叡や天台を直接非難されてない」のと同じといわんばかりです。
本願寺についてはネットでも機関誌でも、名指しでひどい非難をするのが親鸞会ですが、本願寺には「後生の一大事を知らされた因縁」はなく、華光会にはあるのでしょうか。
「『歎異抄をひらく』の大反響に、「あれを導いたのはオレだ」という心ないうわさも聞こえてくる。」については、我田引水もいいところです。こんなこと書かせて、恥ずかしくないのですか?
嘘と誤魔化しに満ち溢れた自称「善知識」が、いまさら「あれは造花だから、近づくな」といったところで、誰が信用するというのでしょうか。
親鸞会では今は支部間の移動も禁じられ、会員はみな地元の支部で支部長の監視下に置かれているそうです。しかしそんなことでは、離れる人たちを留める事はできないでしょう。
こんな恥知らずな論説を掲載した弘宣部長の心中はどのようなものだったのでしょうか。
高森氏の過去を知っていながら、幹部として高い待遇を受け、もう他に生きる道も無く自分を偽って受け入れているのか。あるいは、何の疑問も無く心底信じきっているのか。
在会中世話になった方だけに、本当にかわいそうでもあり、またさびしくもあります。
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コメント
弘宣部長、教学講義の開始時にコメントするが、「高森先生におかれましては聞法ドメインの事業でお忙しい中、本日、このようなご縁を設けていただきました。…」。私は善知識のお仕事は法を説くことがメインと認識していましたが、彼の認識では聞法ドメインの事業がメインで法を説くことは二の次見たいね。
投稿: | 2008年5月18日 (日) 10時20分
954 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2008/05/17(土) 14:49:29 ID:NssnDt7Z
信前の花は立派でも技巧の造花だから同行の蜂は寄らないぞ。
( 大沼法龍 著 『随想録』 p.55)
なーんだ、造花云々も大沼師からの頂きものかぁー。
それにしても高森師には感謝も何もないとはこれ如何。
投稿: | 2008年5月20日 (火) 11時28分
>「香りはと 問われて困る 造花かな」
出典はと 問われて困る パクリかな
投稿: パクリ | 2008年5月20日 (火) 13時05分