あなた方が守りたいのは一体何なのか?
高森顕徹会長の代表作「会報」が、かつて「私の道」と改題して出版される予定があったことは、高森顕徹著『会報』に関する基礎知識にも紹介されています。
当時出版にあたって、会報に掲載されている挿話や引用の出典が調べられました。
ところが、真宗聖典に掲載されているような根拠についてはすぐにわかったものの、それ以外の出典がわかりません。問題となる部分をすべて印刷し、出典が明らかになったものとそうでないものをファイルに分けましたが、「出典不明」のファイルに収められた書類は一向に減りませんでした。
「わからないって、高森会長が書いたのだから、高森会長に聞けば知っているはずだろう」と思われるかもしれません。しかし、不思議なことにそれはなされませんでした。
そしてネットで会報の「パクリ」が明らかになると、「私の道」計画はいつの間にか消え、会報は何の説明もなく廃刊になったのです。
会報だけでなく、「光に向かって100の花束」が1万年堂出版から出たときも、同じように挿話の出典が調べられました。しかし、結局多くの話が典拠不明のまま、明らかにされることはありませんでした。
高森顕徹氏の著書のルーツや、高森顕徹著「光に向かって100の花束」は大沼法龍の著作のパクリですといった一連の記事で、高森会長の著作が伊藤康善や大沼法竜といった人たちのパクリであることが明らかになっています。しかしそうなると必ずそれを否定し、高森会長を擁護する人が出てきます。
曰く、『蓮師も白骨の御文は後鳥羽上皇の「無常講式」から文をとっておられる』『祖師聖人も「取捨を加ふといへども毀謗を生ずることなかれとなり。」と「取捨は可」と教えておられる』といった理屈です。
もし高森会長が、蓮如上人や親鸞聖人が言われるのと同じ理由で、「仏法のものは自由にパクってOK」として堂々と自著に使ったのならば、どうして部下に典拠を探させた時、『実はあの部分は伊藤康善の「安心調べ」からほとんど丸々持ってきたのだ』『光に向かっての種本はこれだ。大沼法竜の「教訓」だよ』と言わなかったのでしょうか。
それどころか大沼法竜の本をパクった事実を隠し通して、「余裕は、タナボタでは来ない」と自慢している位です。こんな人物と蓮如上人や親鸞聖人と比較したら、蓮師や祖師に失礼です。
清森問答には、こんな記事が上がっています。
○私はこれまでほとんど高森先生、親鸞会発行の出版物しか読んだことがなかった。皆さんもそんな人、多いと思います。
何しろ高森先生だけが、唯一の善知識だから、他は読む必要は無い、間違っている。読むこと自体高森先生をおろそかにしている謗法罪だという意識しかありませんでした。
禁止を破った清森さんはその為、何日も講師部会合の時、前に出され、全講師部から指摘の嵐を受けた。
「君は学院再研修だな」と冷たく高森布教局長から断を下され支部長解任の処罰を受けてしまった。誰も恐ろしくて他の本は読めなかった、話を聞けなかった。今もそうですから、ここをこっそり見ている講師部員は隠れてでしょう。
なぜ、自分の書いた仏教書以外は見ないように仕向けたのか。自分が裸の王様であることが明らかになるのを恐れたとしか思えません。そんなこと無いだろう思っている方、ぜひ伊藤康善の本を正本堂にもって行って、表紙を見えるようにして堂々と読んで見てください。すぐに講師部員か職員が飛んできますから。
ネットで高森会長を擁護する文章を必死で書き続け、高森会長を批判する人を呼び捨てにし散々に貶め、高森会長の元を去った人たちの悪口をメーリングリストで書いて会員に配信し、去ろうとしている人の家に会員を引き連れ夜中に押しかける人たち。
疲弊しきった会員に「会長先生の御心だから」と無茶な財施計画を声を張り上げて推進し、高森会長が1万人に話をしたいと望めば痴呆のお年寄りやバスの運転手まで連れてきて人集めの目標達成に身をすり減らす。
一体あなた方は、一度しかない人生で、何を守ろうとしてそんな馬鹿なことをしているのか。
もしそれが高森会長の為だというのならば、その人物はあなた方が人生をかけるほどの値はないから、やめたほうがいい。
もし高森顕徹という人物を長年にわたって信じてきた自分のプライドを守りたいだけならば、勇気を出してそのプライドを捨て、新しい人生を力強く歩んでほしい。
高森会長のパクリの件、実は一部の幹部には周知の事実です。彼らは高森会長の過去、親鸞会の財政やお金の流れ、次期会長の光晴氏がどういう人かも知っています。
知っていて、それでも親鸞会を離れない人は、もう仕方がない。
知らされず、隠され、裸の王様を拝まされてきた人は、そろそろ決断してもいい時です。
| 固定リンク
コメント
> 痴呆のお年寄りやバスの運転手まで連れてきて
「バスの運転手」に対して差別意識があるように読める文章です。おそらくそれは本意ではないのでしょうけれど、だとすれば言葉が足りないか誤解を生じやすい表現だと思います。
このコメントはぶるうのさんが確認されたら消してください。
投稿: x | 2008年3月25日 (火) 07時06分
一般の講師や会員さんは盗作問題について何も知らないのでしょうか。これだけ2ちゃんねるや批判サイトで宣伝されれば、いくら閲覧を禁止されていても、水面下では相当知られていそうですが。
入会間もない学生会員はいざしらず、何年も続けている彼らは盗作や不倫などの問題を知っていて、あえて残っているのだと思っていました。
長年人生をかけてきた人たちに「あなた、それおかしいよ」などと言うにしのびなく、仮に言っても見苦しいすり替えや言い訳、開き直りを聞かされるだけだと思い、現役の人と会ってもネット上での批判はあえて話題にしていないのですが。
投稿: アンドロメダ | 2008年3月25日 (火) 13時19分
>Xさん
実際にバスの運転手の方も会場にひっぱってきたことがあったというだけで、蔑視発言ととらえるのは大げさだと思います。
私が学生の頃は、富山駅前にてかたっぱしから声をかけ、「かわいい女の子もたくさんいるよ!」なんてナンパもどきの勧誘をして、
男子高校生を5人ぐらいバスに押し込めた講師もいました。
投稿: ニシキノアキロ | 2008年3月26日 (水) 21時40分
エイプリルフールショックからまだ立ち直れない?
がんばって親鸞会のインチキぶりを告発してよ。
このサイトの更新を心待ちにしてるシンパ・アンチは
多いと思うよ。
投稿: 526 | 2008年4月17日 (木) 22時42分