« 2007年12月 | トップページ | 2008年3月 »

チューリップ企画と田中一憲氏の法論

親鸞会に入会してまもなく、「本願寺なぜ答えぬ」「どちらがウソか」「法戦」と言った法論本を読みました。

感想は、なんとひどいものだろうか、と言うものでした。もちろん感心できるものも少なくありませんでしたが、殆どは相手の質問をはぐらかして逆に質問攻めにして勝手に勝利宣言したり、相手の主張を故意に歪曲した上で論破して勝利宣言したり、質問に内容とは直接関係のない組織や人格を攻撃して印象操作したり、というものでした。こんなものをどうして本にして出しているのか全く理解が出来ず、疑問をぶつけても「教学力がないから分からないだけ」という一点張りでした。

しかし恐ろしいことですが、周りは親鸞会の会員ばかりで組織や教義への批判は禁じられ、周囲の人が「素晴らしい本だ」と繰り返す環境にしばらくいると、次第に「おかしいと思っている自分がおかしいのではないか」と思うようになるのです。私もそのうち、すばらしさが分かってきた、高森先生は本願寺の学者を論破したすごい方だ、と思うようになりました。

そして親鸞会をやめて冷静に読み直したときに、自分が当初こうした「法論本」を読んで感じた疑問が全くなくなっていないことに気付きました。つまり理解もしていないのに「理解した」と思い込んでいたのです。自分だけ理解できていないと思われたくない、周りの人がみんな素晴らしいと言うのだから素晴らしくないはずがない、自分が選んだ宗教団体が間違いのはずがない、という思い込みがそうさせたのでしょう。

私と同様の疑問を持った人が他にもいるらしく「親鸞会は本当に本願寺に勝ったのか」というブログが公開されています。反論サイト作りに熱心な親鸞会もこのサイトには何の反論もしていません。事実親鸞会の会員にこのサイトにあるような疑問をぶつけても何も答えられないことが殆どです。

あまりに強く「高森先生が間違っておられるはずがない」と思い込んでいるがゆえに、その思い込みに根拠がないことに気付かないのです。親鸞会をやめてその影響カから離れて、ようやくそのことに気付きます。そして、親鸞会の言う「法論」が、如何に議論のセオリーから外れた、稚拙で身勝手なものであるかに気付くのです。

さて、田中一憲という方が、親鸞会の関連会社であるチューリップ企画との法論をブログにしています。チューリップ企画は田中氏からの質問には何一つ答えられず、救われたら分かるのだと言わんばかりに見下した態度を取り続けています。

全く持って酷い法論であり、よくもこんな常識のない会社に田中氏は辛抱強く付き合っているなと同情を禁じえませんが、もっとも驚くべきことは、チューリップ企画のサイトからこの法論のブログにリンクが貼られていることです。

誰が見てもこんなブログにリンクを貼ったらチューリップ企画の会社としての品格が疑われると思うのですが、そんなことすら分からない位にこの会社は感覚が麻痺してしまったのでしょうか。ちょうど私が親鸞会にいた時に、あまりに強く親鸞会は正しいと思い込むがゆえにその思い込みに何の根拠もないことを気付かなかったように、また、疑問が消えてもいないのにあたかも疑問が消えたかのように思い込んでいたように。

この会社も自分たちの信奉する親鸞会と高森顕徹の教義が正しいと思い込むばかりに、自分たちのしている議論がいかに非常識で品格を欠いたものであるか、そしてそれを見た一般の人がどう感じるか、考えることも想像することも出来なくなってしまったのでしょう。

学友部の偽装勧誘が何度批判され苦情が出ようと、その是非を考える事すら出来なくなってしまったのと一緒です。つまり親鸞会の内部の尺度でしか物事を測ることが出来なくなってしまったのです。

親鸞会の悲惨な「法論本」は、ある意味親鸞会を脱会した人への貴重なカウンセリング本になっていますが、このチューリップ企画の法論も、脱会者のカウンセリングとこれから脱会する人への後押しにはきっと役立ってくれると思います。

そういう意味においてなら、このブログは実に意義があると言えるでしょう。

※この法論のブログはチューリップ企画のサイトからリンクで訪問できますが、そのリンクには解析が仕込まれてありクリックした人のIPアドレスが抜かれる仕組みになっています。親鸞会はこうした情報を管理しある程度は人物を特定できるようにしているので、会員の人はチューリップ企画のサイトからではなく、このブログのリンクから訪問したほうがいいでしょう。

※チューリップ企画側で法論している山田氏は信心決定していると文中で告白しています。しかしこの山田氏を良く知る人の話によると、氏は親鸞会の活動にはあまり参加していないし、今まで「信心決定した」などと本人から聞いたこともないそうです。親鸞会では信心を獲たらその喜びを叫ばずにおれないと教えられていますが、少なくとも山田氏に関しては例外らしいです。まあ、親鸞会には良くある信心詐称でしょうけど。

※親鸞会の法論については、あまり知られていませんが「親鸞会の本尊論に対する疑問」と言うのもあります。主に2ちゃんねるで行われた議論を集めたものですが、親鸞会の法論のやり方がどこでも変わらないことに驚くばかりです。

| | コメント (4)

行事日だけ繁盛、行事日以外はガラガラ

脱会した私の友人が、脱会後に現会員と会ったときに、こんな会話をしたそうです。

現会員「本願寺は参詣者いなくてガラガラだろ」
脱会者「君は見にいったの?」
現会員「確認するまでもないだろう。確認しないとわからないのか」
脱会者「行事のある日は人いるよ。ない日はガラガラだよ。親鸞会も同じでしょうが。」
現会員「いたって、芋虫みたいなばあさんとかばっかりだろ。若い人いないだろ!」

芋虫って…すごく失礼な言い方ですが、親鸞会の印象操作のやり方が垣間見える会話です。

親鸞会が本願寺の写真を機関誌に載せるときは、行事のないガラガラの時に撮影したモノを使い、白黒にして少し傾けて掲載します。参詣者もお年寄りを中心に撮影するわけです。

逆に自分たちの写真については、若い人が沢山いる写真を撮影します。会場の後方ががら空きでもそれが目立たないようなアングルから撮り、居眠りしている人がいればデジタル加工で目が開いているように修正します。

こうすると、実際は本願寺でも行事日は人でいっぱいですし、青年層の集まりでは若い人も沢山いるのですが、そんな様子は全く伝わりません。逆に親鸞会でも学生部の無い地方の支部はお年寄りばかりですし、行事のない日の本部会館はガラガラですが、常に繁盛しているように見えるわけです。

実際に構成員数で比べたら親鸞会は本願寺の1%にも遠く及ばない上に、親鸞会の会員数自体が減り続けている訳ですが、そんな事実は隠しておきたいのでしょう。

「一宗の繁盛と申すは、人の多く集まり、威の大なる事にてはなく候」と仰った蓮如上人が聞かれたら呆れてモノも言えないでしょうが、親鸞会は創設以来一貫して「衰退する本願寺」と「躍進する親鸞会」のイメージを作りたくて仕方がないのです。この習性の根は高森会長の本願寺に対するルサンチマンにあると私は考えていますが、ここでは深くは触れないことにします。

さて、最近顕正新聞でもよく取り上げられている「食事処」をはじめとする商業施設群ですが、多くの人が予想したように、「行事日だけ繁盛、行事日以外はガラガラ」という状態が続いています。

職員も肝心の行事日前後は殺人的な忙しさで聴聞もロクに出来ないのに、普段は閑散としていて手持ちぶさたで、不満もたまっているとか。

顕正新聞に載るのは例によって「喜ぶ会員」と「やる気のある職員」の声だけ。施設が成功したように思わせる演出に必死ですが、まともに信じている人はいるのでしょうか。

かつて有限会社レストラン祇園が同様の状態で、経営的にも深刻な状態でしたが、今回も全く同じです。どうやら親鸞会という団体、学友部に限らず、過去の失敗から学ぶという能力が完璧に欠けているようです。

祇園の場合は職員の全員解雇という最高に無責任な解決策を親鸞会は行いましたが、今回も本当に行き詰まったらそれくらいやりかねないのでは無いでしょうか。究極の行き当たりばったりですが、過去にもビデオ部員や講師部員の賃金カットを平然と行ってきた団体ですし、職員の人生がどうなるとか殆ど考えていませんから。

会員からの財施という「打ち出の小槌」に頼っているから、月に数日しかまともに稼働しない施設に大金を投じる事も出来るのですが、可哀想なのは会員です。仏法に使われると信じて献金したお金が、こんな所に見事に散財されているとは知らないでしょう。

それでも親鸞会は今後もこうした施設を作り続けるでしょう。何でそんな馬鹿なことをするのか?今はあえて書きませんが、いずれここで明らかにするつもりです。このブログをずっと読んでくださっている方ならば、すでに想像はつくかも知れませんが。

| | コメント (3)

東大最強哲学(東京大学 世界の名著に学ぶ会)は親鸞会のダミーサークルです

かつて親鸞会は、東京大学で「人間科学愛好会」というサークル名で布教活動をしていましたが、正体を隠した勧誘方法や強引な布教方法で悪評が立ち、大学当局からも睨まれサークル名称と部室を変更します。それが今の「東京大学 世界の名著に学ぶ会」です。かつて当ブログでも『東京大学の「世界の名著に学ぶ会」は親鸞会のダミーサークルです』というエントリーでその事を報じました。

その時に紹介した二つの「世界の名著に学ぶ会」のブログ
http://sekaimeicho100.cocolog-nifty.com/
http://greatbook.jugem.jp/
は長らく更新が停止していたのですが、新たにこんなサイトが立ち上がっていました。

あなたは何のために生きていますか?東大最強哲学
http://study.fan.coocan.jp/pctop.html

「世界の名著に学ぶ会」というサークル名は小さく画像で入っているだけで、検索してもこのサイトが出てくることはありません。「世界の名著に学ぶ会」が親鸞会のダミーサークルであることは既に学内でも知られるようになって来ましたので、その対策でしょう。

彼らは何が原因で自分たちに悪評が立つのか、全く考えもしないし反省もしないのでしょう。だから評判が悪くなれば自らの姿勢を変えることなど万に一つもなく、対策といえば名前を隠したり変えるだけです。

東大に入る頭脳を持っていながら何でこんな単純なことすら考えられないのかと思いますが、「自分たちは真実の教えを説いている」という新宗教にありがちな盲信が、文字通り彼らを盲目にさせているのでしょうか。

彼らが駒場祭で使った行事のチラシが手元にありますが、それにはこんなことが書いてあります。

ゲストの講師には
・駿台予備学校 数学講師 落合信一郎先生
・経済アナリストの----氏
・東洋哲学講師の椎名英樹先生
をお招きしております。

公認会計士とか経済アナリストとか適当な権威付けで人を勧誘するのは相変わらずですし、自称東洋哲学講師椎名英樹氏は浄土真宗親鸞会の講師部員です。なぜ親鸞会の講師と正直にかけないのでしょうか。会員に対しては「最高の職業」とか言っておきながら、一般の人に対しては隠し続けるのも相変わらずです。

サイトにはいたるところに女性の写真を入れていますが、この人は東大生でもその卒業生でもありません。女性がいると言う事をアピールしたいのでしょうが、宗教の布教活動であるという最も大事なことは一言も書かずに、世俗的な権威や女性の力で分別のない学生を勧誘しようと言う姿勢には本当にあきれ果てます。

彼らには誇りとかモラルという概念はないのでしょうか。

この「東大最強哲学」、近いうちにまた悪評が立ち、そのときはまた性懲りもなくサークルの名前を変えたりして対策をするのでしょう。しかし東大当局もようやくカルト対策に真剣に取り組み始めましたので、彼らの隠蔽や誤魔化しもおそらく今までのようには行かないと思いますが。

最後に、「世界の名著に学ぶ会のブログ」の最後の記事についていたコメントを紹介して、終わりにしたいと思います。

たとえ、あなた方が所属する親鸞会の説く内容が至極真っ当なものであったとしても、「世界の名著に学ぶ会」などと、あたかも宗教とは無縁の読書会であるか のような名称を用い、東京に上京してきたばかりの無垢な新入生を知らず知らずのうちに親鸞会に引き込むという手法はどう取り繕っても褒められたものではな いはずです。私は、「布教の自由」は最大限、国民に対して保障されるべきものと考えるので、親鸞会の都内近郊の大学における布教活動を否定するつもりはあ りませんが、最低限、判断力が未成熟な大学生(特に新入生)を勧誘する段に及んでは、自らが宗教団体であることを明示する道義的義務があなた方にあるので はないでしょうか?
私は、あなた方の説く親鸞聖人の教えに対してはものすごく共感を感じているので、このような布教手段が採られていることのみが残念で仕方ありません。あな た方が宗教団体であることを秘匿する理由には、「大学生は宗教に対する拒否感が強く、当初から宗教団体であることを明示しては、その内容の当否を判断する 以前にまともに話を聞かなくなってしまう。だから、まずは宗教だということは抜きにして、純粋な気持ちで話を聞いてもらいたい」というものがあるかもしれ ません。しかし、こうした考えは短期的に見ると功を奏すかもしれませんが、長期的には人を引き付けておくことはできません。事実、私がそうであったよう に、手段が不当であれば、その内容に関わりなく、心のどこかで不信感が存在し続けるものですから・・・
突然、失礼いたしました。

彼らはこれから声に対してどんな思いを持っているのでしょうか。おそらく、彼らの言う「真実」を分からない人はかわいそうだね、程度の気持ちしか持つことは出来ないのでしょう。

| | コメント (7)

2008年の親鸞会

2008年となりました。皆さん、今年もよろしくお願いいたします。

昨年の親鸞会は、元講師部員やビデオ講師の離反や、少なくない大学でカルト対策が徹底されたことによる布教状況の悪化、会員数の更なる減少、ネット法論での惨敗、「聞法ドメイン」施設の建設といったところがトピックになると思います。

今年の親鸞会はどうなるでしょうか。いくつか寄せられている情報から予想したいと思います。

まず、「聞法ドメイン」施設群にはさらに資金が投じられ、それによる献金もよりいっそう要求されるでしょう。熱心な会員に対しては富山移住が推進され、その為の施設や住居建設等の構想が会員に対して発表されるでしょう。

投資が本部周辺に集中されるゆえに、特に地方の会員数の少ない地域を担当する講師部員の経済状況は、ますます悪化するでしょう。今でも経済的に自立不能な講師が増えていますが、今後もさらに増えることが予想されます。

大学におけるダミーサークル活動は止むことはないでしょう。しかしこれまでのような成果を大学であげることはほぼ不可能になるため、生涯教育団体などの新しいタイプの偽装団体がさらに推進されることでしょう。

高森顕徹会長より高森光晴布教局長への権力移譲が最終局面を迎えます。高森光晴氏の「信心決定」が何らかの形で報じられ、50周年記念大会では会長の後継として正式な発表があるでしょう。

最後に、会員の皆さんに警告したいと思います。

一つの信仰として親鸞会での活動を続ける事を、私はとがめるものではありません。

しかし、親鸞会から自らの人生を親鸞会にかけるような決断を迫られたときは、断固として拒否してください。そうでないと、今後親鸞会に何があっても、経済的にも精神的にも親鸞会から抜け出る事が出来ないような状況に置かれる事になります。

今後、高森光晴体制になることは必至ですが、光晴氏が顕徹氏のような求心力を持っていないことは、親鸞会もよく分かっています。だからこそ、「親鸞会に命をかける人」を選別し、簡単には親鸞会から離れられないようにしようとしているのです。

情報源の秘匿のためにこれ以上詳しくはかけませんが、この一年は「その選別がいよいよ始まる年」だと思ってください。そして、その誘いには決してのらない様に。

あなたが今親鸞会に対して抱いている思いや信頼が、将来も変わらないとは限りません。後戻りできない場所で気付いてしまったならば、それは悲劇以外の何物でもありません。

親鸞会は既に一枚岩ではありません。幹部や講師部員の中には、内心親鸞会に見切りをつけている人が大勢います。しかし、親鸞会にあまりに依存してしまったがゆえに、親鸞会から離れた心のまま、親鸞会に居続けなければならない人は、既に今の時点でも少なくないのです。

一人でも多くの人が、人生を自分のもとに取り戻せる1年となりますように。

| | コメント (2)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年3月 »