私はマインドコントロールなどされていない
私の友人に、長年キリスト教系の有名なカルトで幹部として活動を続け、今は脱会してカルト対策に積極的に取り組んでいる方がいます。所属していた教団や境涯は全く違いますが、元カルト信者として、また心の焼け野原から立ち直って人生を歩むものとして、お互いの心中を分かり合える数少ない盟友の一人です。
その方はカルトを脱会後、多くの脱会支援にかかわってきたのですが、5年間ずっと「自分はマインドコントロールにはかかってなかった」と思い込んでいたそうです。脱会説得でマインドコントロールの事を持ち出しても、マインドコントロールの本を読んでも話を聞いても、自分だけは違うと思っていたと。
それがあるきっかけで新聞記者の取材を受け、自分がカルトに入信したきっかけ、中で何を思い何を経験したかを話すうちに、「マインドコントロールされていたのは自分であった」と初めて気付いたそうです。
親鸞会の作ったサイトを見ると、マインドコントロール論は不毛だとか、浄土真宗の信心にマインドコントロールは関係ないとか、マインドコントロールそれ自体は日常にありふれた行為で悪ではないとか、色々な事が書いてあります。
しかし私から見ればそんな議論は実に取るに足らない事だとしか言いようがありません。
なぜなら、自分の心を真摯に見つめ、今の信仰がどこから来たのか、どのように生じたのか、なぜ信ずるにいたったのか。その心の歩みを見つめ、何が自分をそうさせたのかを知ることが「マインドコントロールに気付く」事だからです。完全に自分の問題であって、親鸞会の主張があまりに軽薄なのはこの点が完全に抜けているからです。
なぜ親鸞会が唯一絶対の真実を説く団体だと信じ込んでいるのですか?、なぜ高森顕徹が善知識だと思い込んでいるのですか?、どうして親鸞会に対する批判に目をつぶり、無条件に親鸞会が正しいと思い込んでいるのですか?親鸞会に入る前の「あなた」は、親鸞会に依存している今の「あなた」を果たしてどう見るでしょうか?
入信前の自分に戻って、自分の周りで起こった事柄を一つ一つ振り返って考えて、「なぜこんな嘘と矛盾だらけの団体を信ずるにいたったか」という答えを出した人にとっては、決して「マインドコントロール論は不毛」とはなりません。
私の友人が5年経ってようやく自分にとっての「マインドコントロール論」に気付いたときに、共に脱会支援をしてきた牧師は手を取って「ようやく気付いてくれたか」と喜んだそうです。その牧師は5年間、友人が自ら気付くまでずっと待っていたのでしょう。
誰しも自分の判断や意思が他からコントロールされていたと認めたくはありません。それはに勇気が必要で、時間もかかることです。人生の大部分を費やしたのならば、なおさらです。
親鸞会の「マインドコントロール論は不毛」という主張に、そうした葛藤や自省は全くありません。だから嘘つき勧誘も相変わらずですし、高森会長の著書がパクリだと明らかにされても何の釈明もなく事実を隠すだけなのです。
今年も残すところ後わずかとなりましたが、親鸞会の会員さんには、来年こそ勇気を出して、自分の信仰を見つめなおして欲しいと思っています。
あなたの人生は、あなたのものです。決して親鸞会や高森一族のものではありません。
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コメント
いつも読んでます。
浄土真宗の教義と親鸞会の教義がどう違うかというとらえかたの問題でしょうね
確かに盲目的な信仰の人が多いのも事実です
投稿: 名無し | 2007年12月31日 (月) 20時56分
会の人はお互いを慰めあってるだけではなかろうか
投稿: v | 2008年1月 3日 (木) 18時31分