瀬戸川さん、一体何回救われたんですか?
こうして、五十年の長きにわたり、万劫にも会い難い善知識に会わせていただき、尊きご説法のお導きのもとに、徳育講義をはじめ、月刊誌の執筆、教学試験の採点など、種々の手厚いご方便にあずかりましたればこそ、私のような罪業深重、倣岸不遜な無慚無愧の横着者が、信楽の身にしていただいたのです。大悲の願船に乗り、浄土への旅をする無上の幸せ者にならせていただけたのです。(顕真16年7月号 本会黎明期の証言 瀬戸川庸氏)
「徹到することがそれほど大事なのか、それは三品の懺悔をさせられるほどなのだからやはりすごいことなのだ。私も早く徹到させていただきたい」と思いましたが、ただあこがれのような気持ちでおりました。さりながら、それ以来、いつまでもずっと胸の底に残って離れることはありませんでした。
そして今回お聞かせいただき、(中略)仏願の生起本末を「聞」とお聞かせいただき、疑心あることなし!の身にさせていただいたのです。(中略)一日一日、極楽浄土への旅をさせていただける絶対の幸せ者にさせていただけたのです。(顕正新聞19年12月1日号 法友通信 報恩講のお礼状として 瀬戸川庸氏)
上の文章、同じ人が書いたものです。平成16年の時点で「信楽の身にしていただいた」と公言している瀬戸川さんですが、19年の報恩講で「今回お聞かせいただき」もう一度救われたそうです。
一向専修のひとにおいては、廻心といふこと、ただひとたびあるべし。(歎異抄)
歎異抄ではこう書いてありますが、親鸞会では何度でも救われていいのでしょう。親鸞聖人の信心とは違うようですが。
それとも、あんまり救われた人がいないから、もういっぺん救われたことにしたのか。または平成16年時点での信心はニセモノだったのか。
最近ではある幹部が「私は学生時代に救われた」と言っていたらしいのですが、昔の顕正新聞を調べると社会人になってから「後生の一大事の解決目指して頑張ります」と書いていたそうで。どっちが本当なんでしょうね。
最近たまに出てくる「救われたー」という体験談ですが、この分ですと他の人の体験談も実に怪しいものです。
もっとも、高森会長自身が信心詐称していたという疑いもあるくらいですから、そもそもこんなことを真面目に論ずる事が間違っているのかもしれません。
「ウソをウソと見抜く力があると、親鸞会にいることは難しい」のです。自称「唯一絶対の真実を説く」団体に、「真実」のかけらも無いことは、もはや常識です。
| 固定リンク
« 権力の委譲 | トップページ | 本尊より金が大事 »
コメント
アカギ大学事務局の者ですが、瀬戸川女史を徳育担当の教授として
お迎えする方針でしたが、単なるホラ吹き婆さんであることが判明
しましたので取りやめとします。
投稿: アカギ大学 | 2007年12月 8日 (土) 15時57分
こんな、3年か4年の間に2回も信心決定したなんて、のたわまっている
ばあさんの話を顕真や顕正新聞に載せるなんて、会員をバカにするのも
程があるわな。これじゃ、親鸞聖人の教えを破壊しているといわれても
しようがないね。瀬戸川さんの件に関しては、あれっ?と思ってる
会員も大勢いるだろう。親鸞会は何を考えているのだろうか。
金さえ集まれば後はどうでもよくなったのか。
投稿: | 2007年12月10日 (月) 00時10分