どの点がデタラメで、どの点は事実なのか
親鸞会はネット上に大量のサイトを立ち上げていますが、その中には「親鸞会に入って親子関係が好転した」的なコンテンツも少なくありません。
内容を読むと、親子関係が改善したのは、もしくはうまく行ったのは、仏法(親鸞会)のお陰だといった感じのことが書いてあります。中には既に親鸞会を脱会した人の記事も数多く掲載されていますし、全くの作り話もあります。
その一方、親鸞会に入って家族が崩壊した、親子の関係が悪化した、といった訴えもあります。親鸞会の講師部員や職員の子供についても多くの問題が発生していますが、当然親鸞会の作成したコンテンツにはそうした事例はフィルタリングされて一切紹介されません。
脱会者や会員の家族の作成したサイトでそうした事例が紹介されても、「あんなものはウソだ、でたらめだ」と徹底したり、「本願寺の陰謀だ」と突然本願寺批判を始めたり、直接訴える家族については「親鸞会ではなく、あなたの家族に問題がある」といった言い方もしているようです。
うまく行けば「親鸞会のお陰」、悪化すれば「家族の責任」。「自因自果」の因果の道理を徹底する団体のはずなのに、こと自分達のことについては子供のように勝手な論理を振りかざし、自らの正当化のためには既に脱会した人の体験談を掲載することも平気です。
ある人が親鸞会の講師から、親鸞会を批判するウェブの内容は「嘘であり、デタラメ」と言われたので、「どの点がデタラメで、どの点は事実なのか、教えてもらえませんか?」と聞いたところ、その講師は一切答えられなかったそうです。
親鸞会はどこに向かい、何を獲ようとしているのでしょうか。
「 わがまへにて申しにくくは、かげにてなりともわがわろきことを申されよ。聞きて心中をなほすべきよし。」
面と向かって言えなければ陰口でもいいから申してくれ。それを伝え聞いて心中を直すから…という意味の、蓮如上人の言葉です。
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コメント
本当に、親鸞会はどこへ向かい、何を獲ようとしているのでしょう。
私からすれば、まだ存在するのか・・・と唖然とするばかりです。
一番、ベストな選択は会長が非を認め、すべてを謝罪し、会を解散することです。会長を信じてついてきた講師、職員、会員、被害を受けた元会員、被害家族への補償は会長がすべきです。
一番、ワーストな選択は親鸞会が非を認めず、排他的に主張し、会を継続させることです。会長を信じてついていく講師、職員、会員はその代償を自分で負わなければなりません。
投稿: k | 2007年11月 7日 (水) 22時47分