エドワード・G・サイデンステッカーと親鸞会
カルトは権威が大好きです。中身が空虚なほど、外部の権威を借用しようとします。
創価学会はその典型でしょう。池田大作の権威付けのために、アーノルド・J・トインビーなどの文化人の権威が利用されたのはよく知られています。
親鸞会は最近なくなられたエドワード・G・サイデンステッカー氏を、熱心に自らの権威付けに利用しているようです。氏は川端康成作品の翻訳で有名ですが、最晩年に親鸞会の布教書「なぜ生きる」の翻訳を監修しました。それをもって、あたかも氏が高森会長や親鸞会を評価したかのように宣伝されています。
おそらく氏も、親鸞会の違法な勧誘や不透明な金の流れ、高森会長の盗作問題や絶対無条件服従などの問題を知っていれば、協力はしなかったでしょう。親鸞会で学生に対して行われている会合の録音も、聞かせたかったと思います。
「競売にかけられた家を見に行った。とても安くいい家だったので、決めようと思ったが、内部画像を見たら、家中に血痕の後があった。過去殺人現場となった民家だった。カルトとはワケあり物件と同じだ。表からは綺麗に見え、熱心に見え、素敵に見えるが、内部はひどいものである」(ジャン・ドウゲン氏の講演より)
カルトは、自分たちに都合の悪いことは必死になって隠し、表の綺麗なところだけ見せようとします。だからこそ、多くの人がだまされるのです。
親鸞会が宣伝するように、氏が本当に高森会長や親鸞会を絶賛していたのならば、親鸞会に入会くらいしていたと思います。しかしそんなことは全く聞きません。少し考えれば分かる事です。
サイデンステッカー氏が、本心では親鸞会をどう思っていたのか、亡くなられた今では確認するすべもありません。
しかし親鸞会は本人の意思とは関係なくこうした権威を利用し、変わらず自分たちの問題点は隠蔽し続けるでしょう。
私たちは、それを防がなければなりません。
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