口だけの「命がけ」
かつて親鸞会が「世界の光親鸞聖人」というアニメを作ったときに、「また金儲けか」と叫んだ会員がありました。
その会員は、即刻除名になりましたが、そのときに高森会長は、「命がけで作ったアニメを批判するなら、命がけでなければならない」と言ったそうです。
親鸞会ではよく「命がけ」という言葉が使われます。高森先生の命がけのご布教、命がけの御説法、命がけのご執筆、壇上で死ぬ覚悟だなどなど…まさに命がけの大安売りです。
疲れたら説法や講義は「お疲れでお休み」、どこかに布教に出かけるのにも大勢のお供を連れて、専用のバスやら外車やら厨房車を引き連れてまさに大名行列。
そんな風に「命がけ」で作ったアニメや本も、自分で一から書いたのではなく、他の人に作らせて自分は朱入れがメインの作業。昔書いた会報や白道燃ゆの内容は殆ど華光会の「パクリ」。
会館の中に入るにはIDカードに何十ものセキュリティチェック。親鸞会に批判的な人は説法すら聞けない仕組み。どこに行くにもガードマンが付き、会館には高森会長が移動するための専用の渡り廊下や通路まで用意されています。
会員には親鸞会を批判するなと誓約文を書かせ、ネットに高森会長の批判が書き込まれれば、即座にネット対策部隊が掲示板を荒らし、「反論サイト」なるものを作ったり、大量のスパムサイトを立ち上げて隠そうとします。
どこが命がけなのでしょうか。何が怖くて、何を恐れて、彼は活動しているのでしょうか。
そんな高森会長が率いる講師部員も、保身が最優先で、親鸞会を本当によくしようと思って命をかけている人がどれほどいるのでしょうか。
本当に命をかけている人は、簡単に「命がけ」などとは言わないものなのでしょう。
口先だけの「命がけ」は、もう沢山です。
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コメント
アニメを繰り返して見てください。
仏法の重みが分かります。
弥陀の本願を真剣に聞き求めてください。
世間の不急の事にとらわれても詮なしです。
投稿: | 2007年8月19日 (日) 19時41分
>アニメを繰り返して見てください。
>仏法の重みが分かります。
>弥陀の本願を真剣に聞き求めてください。
>世間の不急の事にとらわれても詮なしです。
親鸞会のことがよく分かりません。
仏法の重みが分かれば、このブログに書かれているようなことを平気で
やってもいいのでしょうか?
そのように誤解する人も少なからずおられると思いますが。
あなた自身はどう思っておられますか?
それとも、このブログに書かれていることは、全てウソですか?
自分の心に正直になって、返答できますか?
投稿: るるぶ | 2007年8月20日 (月) 01時22分