« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

無条件服従

この決勝点を教えられたのが、蓮如上人の次のお言葉です。

○善知識の仰なりとも「成るまじき」なんど思うは大なる浅間しき事なり。然れば「道宗、近江の湖を一人して埋めよ」と仰せ候とも「畏まりたる」と申すべく候。(蓮如上人『御一代記聞書』)

 善知識が「近江の湖(琵琶湖)を一人で埋めよ」と言われたら、「ハイ、かしこまりました」と言うべきである、と教えられています。善知識の言葉、すなわち仏教の結論である「一向専念無量寿仏」を「ハイ」と聞いたときが、救われたときです。

なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで
http://shinranshonin.hp.infoseek.co.jp/naze16a.html

これが、会内向けに書かれた「顕正新聞」だとこうなります。

我々も又、善知識の仰せに対し本会の指示に対し、何事も何事も仰せのままに指示通りに無条件で服従するように努めていかねばならない。これが求道であり、 この過程があってこそ、親鸞聖人の「よき人の仰せをこうむりて信ずるほかに別の仔細なきなり」という真の無条件服従が体験できるのである。(顕正新聞)

無条件で服従せよと言うのは仏説に対してのことです。しかし親鸞会ではそれがいつの間にか、親鸞会という組織の指示に無条件で服従することになっています。いつ蓮如上人が「組織の指示に無条件服従せよ」とおっしゃったのでしょうか。

ただひたすら、善知識を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事にのみ、私達が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、会長先生の御下にぬかずかねばならない。(顕正新聞

そもそも、親鸞会が根拠としている『御一代記聞書』は、蓮如上人の著作ではありませんし、その信憑性には大いに疑問符がつけられているものです。

仮に『「畏まりたる」と申すべく候』と仰ったとしても、「善知識を弥陀の化身と仰ぎ、善知識のお言葉を弥陀の直説と頂いていく事にのみ、私達が無碍の大道に雄飛できる道のある事を再自覚し、会長先生の御下にぬかずかねばならない」などと機関誌に書かせるとは思えませんし、そもそも「善知識に無条件服従しなければ救われない」などと仰ったことはありません。

だから、親鸞会でも、その通り教えられているのです。(なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで)

どこがその通りなのでしょうか?

また、もちろんこれは、何でもかんでも自分の判断を放棄して、他人の言いなりになれ、奴隷やロボットのようになれ、というような低レベルのこととは、次元の違う話です。(なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで)

この絶対の体験をするまで、聴聞によって無条件服従の心を培い、本会の指示に無条件に従うことによってその形を整え、心身ともに無条件服従へ仕向けていく努力が自己の信心決定を早め、強固な組織作りとなり、真宗の流れをより早く可能たらしめるのである。(顕正新聞)

心身ともに無条件服従に仕向けてゆけとのことです。これは「奴隷やロボットのようになれ、というような低レベルなこと」と何が違うのでしょうか。

蓮如上人が直接かかれたものでもない、言行録の一説を金科玉条のごとく振りかざし、親鸞聖人が仰ったこともない「無条件服従」を執拗にすすめているのが親鸞会です。

求道とは、本当の仏教を説く善知識の言葉を「ハイ」と聞かせて頂くところまで進む道程です。(なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで)

会長先生のご指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します。
    上司の指示は会長先生の命と心得ます。(親鸞会講師部聖則)

親鸞聖人の仰ったことに「ハイ」と従うのはいいでしょう。

しかし、「本当の仏教を説く善知識」が高森会長だと聞かされて、無条件で「ハイ」と従うのは考え物です。

親鸞聖人が、自らの弟子に「自分の指示に無条件で従え」という「聖則」を作って毎日読ませるような方だったのか、よく考えればわかることだからです。

カルト宗教では、宗祖や教義への思いをたくみに教祖への服従にすりかえます。決して考える事をやめず、生ずる疑問をあいまいにすることなく、よく考えてみてください。

高森会長が「本当の善知識」かどうかは、あくまであなたが自分の頭で判断するしかないのですから。

| | コメント (0)

絵画

同朋の里に75点の絵画がかけられたそうです。

同朋の里に限らず、親鸞会の建物には沢山の高価な絵画がかけられています。新入生の中にはあれは「会員が喜捨したもの」という説明を受けている人もいるようですが、そのほとんどは高森会長が浄財で購入したものです。

中には正本堂ロビーの松の絵のように、会員に特別に財施が募られたものもありました。一口10万円だったと思います。(訂正:一口100万円の間違いでした)

かつて会長は海外へ布教に出向くたびに、沢山のお供を引き連れて、現地で大量の絵画を買っていました。韓国では画廊ごと「買占め」したこともあります。

大量の絵画は飛行機で富山の本部会館に送られます。アリーナ一面に並べさせた絵画の間を、高森会長が満足そうに歩いて品定めしていた光景は忘れることが出来ません。

どこにどの絵画を飾るかは全て高森会長が決定し、そのたびに人手をかけて絵をつけたり外したりしていました。絵の傾きや位置には異様なほどこだわっていましたが、その一方で書画の縦横を間違ってかけていたりと、本当にわかっているのか疑問な点もありました。

会員には「会館に来た人たちの心が和むように、高森先生がご用意してくださった絵画」であると説明されていましたが、私はバブル期の成金が海外で名画を買いあさる光景と、アリーナを埋め尽くす絵画の間を歩く高森会長の姿を、心の中で重ねていました。

彼の行為が本当に会員のためを思ってのことなのか、それとも単なる自分の自己満足のためなのか。私にはわかりません。

ただ、これだけは言える事があります。

親鸞聖人が現代に生きておられたら、門徒さんが血のにじむような思いをして出された浄財で、高価な絵を買いあさるようなことは決してされなかったでしょう。

会員が食費を切り詰め家も車も買わず、家族と軋轢を起こしてまで親鸞会に収めたお金は、こんなところにも使われています。よく知っておいてください。

| | コメント (2)

迫害

カルト宗教は自らが批判されると、批判された教団の内部では、「私たちは真実を伝えているから迫害されるのだ」と決まって言われることが多いです。

「イエス・キリストだって迫害されたじゃないか」「日蓮だって迫害された」「親鸞聖人」だってと、自分たちと祖師の受けた迫害を重ねて、「だから私たちも非難されるんだ」となるわけです。

統一協会も摂理も、顕正会も創価学会も、親鸞会も、全く同じです。

しかし、外からの批判には「宗祖の時代も迫害された」といいながら、内部からの批判は徹底的に粛正し、気に入らない人を除名にするのも一緒です。

キリストや日蓮、親鸞聖人が、迫害の中命がけで布教していたにもかかわらず、これら教団の代表はボディガードや優秀な弁護士に守られ、高級な食事をとり、常に信者の賛美の声を必要とするのも一緒です。

高森会長が宗祖と自分の立場を重ねて悦に入っているのか、それとも違うことを知っていて利用しているのか、そこまでは分かりません。

ただ一つ言えるのは、親鸞聖人は信者から集めた金で城のような建物を造らせ、沢山の取り巻きに囲まれ、大勢の人に自分の食事を作らせ、専用のフロアにふんぞり返っているような人では無かっただろう、と言うことです。

こんな外から見れば滑稽としか言いようがないことでも、内から見ると分からないのです。

| | コメント (0)

虚偽

親鸞会の学友部では、ネットでの親鸞会批判は匿名の無責任なもので、内容は捏造や虚偽であると教わっているそうです。

そして、ネットの情報を鵜呑みにせずに、自分の目で見て耳で聞いたものを信じて欲しいと訴えているようです。

どうして、自分の目で見て、耳で聞いている親鸞会そのものが虚偽だと思えないのでしょうか。

中にいなければ分からないこともあるし、外から見ないと分からないこともあります。

親鸞会を脱会した数多くの人たちは、大なり小なりそれに気づいた人たちです。

| | コメント (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »