満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい
まだ数は少ないですが、現役の職員の方、講師部員の方から、やめたいという相談を受けるようになりました。
ただ、親鸞会をやめて社会に出て生活できるかどうか分からず、その点が心掛かりでやめることが出来ないようです。
確かに、ある一定の年齢を超えると、異業種に転職するのは難しくなります。講師部員ならばどこに転職するのも異業種ですし、前職が社会的に問題のある宗教団体となると、就職は難しいと考えるのも分かります。今まで親鸞会の中で生きてきて、社会的に適応できるかどうかという不安もあると思います。
大丈夫です。やめる勇気さえあれば就職などたやすいことです。必ず乗り越えられます。
新しい世界に出るのは大変な勇気と努力がいりますし、何より自分が命がけで信じてきたものを客観的に判断し、否定するのは本当に苦しいことです。盲目のままでいた方が幾分楽かと思う人も多いでしょう。
しかし、そうやって自分の本心を誤魔化しながらこれからの人生生きるのか、それとも多少苦しい思いをしても勇気を持って自分の人生を切り開くか、答えはすでに出ているはずです。
願わくば、一人でも多くの人が自分の人生を真摯に見つめ、勇気を出して外の世界に飛び出されんことを願っています。社会の風は冷たいですが、必ずあなたの居場所はあります。
「満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい」(ミル)
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