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高森顕徹氏の嘘つき信心

高森顕徹氏が18歳の時に獲信(弥陀の本願に救われた)事はよく知られています。そして、その信心は一念の水際でツユチリほどの疑いもなく疑情が晴れるのだと主張しており、それにあわない体験は「異安心」として徹底的に攻撃しているのはよく知られていることです。

その高森氏が、18歳で獲信したときに書いた文章が話題になっています。

求めつつ、ややもすればこの解答をなし得ざるを自身の偉きが如く考え、人をも迷わし、自分も迷いながら、実に毎日仮夢をやっていたのであります。はからずも夏休み数日前に、増井君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、さらにまた華光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。
南無阿弥陀仏々々々々々々
これも諸兄の方々のお骨折りによるものと、さらに大悲の無限の方便摂化に、ただ感泣するのみであります。毎日毎夜、念仏は楽しい時に苦しい時に、無造作に口より出づる蓄音機にさせていただいて、有難き弥陀の呼び声を聞かせていただけます・・・ただただうれしさで一杯なのであります。
【華光会発行『華光』第5巻第5号「私の信仰体験」】

ここで高森氏は「次第にその迷雲も晴れ」と、自らの弥陀の救いへの疑いの心(疑情)が「次第に」晴れたのだと書いています。一念で晴れたのではなかったと言うことです。(言うまでもないことですが、疑情でなければそもそも「晴れる」ということすらありません)

本願寺や華光会の発行物を批判して、「一念で獲信したのではないから異安心だ」と徹底的に批判していた親鸞会ですが、これだと高森氏も異安心という事なのでしょう。少なくとも、今氏が主張している真実の信心の姿とは全く異なります。

他にも、高森氏は20歳にはこんな事を書いています。

・・・挨拶も忘れて、今あった不思議な出来事をありのまま顕徹君に語った。一同は我がことのように喜んでくださる。だが、私自身は何がなんだかさっぱり分からぬ。本当だろうか・・・。これが獲信したというものであろうか?
 
まだまだ疑いの晴れぬまま、種々ご馳走に預かる。こんな、うまく食事したことが近頃にあったろうか。やがて、顕徹君の話に薄紙を、はぐが如く、光明は輝きを増し、歓喜は胸に張り裂けるのであった。
 
「如来を求めて、いくら追っかけても、人間は到底追いつけるものではない。また自分でとらえられる位なら、他力信心なんか必要もない。弥陀は十万億土の彼方におられるものだと思っていられたか知らぬが、何のことは無い、アンタの腹の中にいて、しかもこの宇宙を包んでいる絶対者なんだ。その懐に入っていながら、それを追っかけ、とらえようなんて、問題ではない。追いつけないことが分かって 初めて振り返ってみると、何のことは無い。総てが包まれていたことに気がつくのだ。この様に包まれていながら、何を悩みますかね。」
 
不思議だ!そう聞けば悩もうにも悩む種が無いではないか。そして顕徹君の語るどの話も皆、素直に肯定出来るからおかしい。弥陀が智慧や才覚で分からんでもよいのだ。このままでよいんだなあ。ああ、このままだった、このままだった。
【高森顕徹編著「獲信の記録」華光社】

親鸞会は現在も華光会の事を「金剛の信心に暗き哀れき」と批判していますが、同じような文章を高森氏は自分の編著として出していたと言うことです。

本当に18歳の時に「一念でツユチリほどの疑心も晴れる」信心を獲ていたならば、こんな事はとてもかけないと思いますが、如何でしょうか。

高森氏が18歳に獲信したのはウソなのか。あるいは、時代と共に信心に対する考えが変わったのかしりませんが、一つだけ言えるのは、高森氏は救われてより一貫して変わらぬ信心を説いてきたなどというのは、明確なウソだということです。

詳細は、こちらに掲載されています。

http://ameblo.jp/honzonron/entry-10033474054.html

これでも、高森氏を信じますか?

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