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特設の坊主地獄

親鸞会被害家族の会の掲示板に、こんな記事があがっていました。

「人の死をネタに」というと、高雄義堅さん(富山県出身。龍谷大学教授。本願寺派勧学。1888-1972)が亡くなった年の親鸞会の機関紙の記事は、感情的なものがあったにしろ、ひどかったですね。

> 感謝状
>
> 貴方は息の切れぎわまで親鸞会の教えに反対し、善良なる求
> 道者を欺き、その金品を強奪。さらにおびただしく人間を無間
> 地獄へ送り込んで頂いた功績は他の僧侶の模範となるものです。
>
> よってここに特設の坊主地獄を用意し、その労をねぎらうも
> のであります。
>             えんま大王
>
> 元勧学寮頭
>  高雄義堅殿

こういう事を平気で機関誌に載せるレベルの団体、ということです。

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聞法ドメイン財施

100億を超える正本堂の募財がやっと終わったと思ったら、今度は「聞法ドメイン財施」なるものが募られるそうです。

「同朋の里」リフォーム費用 5億
あんしんあんぜ弁当 4億
厨房機械類 1億
佐川急便土地買取 6億
駐車場整備 4億

合計 20億

19年9月までに予約
20年末までに納入ということです。

この財施にはかなり不透明な部分があります。
まず、「同朋の里」のリフォームですが、常識的に考えて、このクラスの建物のリフォームにどうして5億もの費用がかかるのでしょうか。5億もあれば新しい建物が十分に建つと思いますが。

あんしんあんぜん弁当はこちらの建物の建設費のようです。厨房機械類も含めて5億。施工主は高森顕徹。経営は「有限会社祇園」が行います。一体なぜこのクラスの建物に5億もかかるのか、また月に数回しか行わない弁当の供給に5億の費用をかける理由が全く分かりません。

佐川急便の土地買い取りについては、その理由が「親鸞会として断る理由がないから」というものだったと言われています。こちらも、どこの土地をどのくらい購入するのか、明らかにされていません。

駐車場整備については、現状で駐車場は十分に余っているのにこれから何をするのでしょうか。それにしても、4億もの金をかけた駐車場整備というのはどんな内容なのでしょうか。

正本堂でさえ、あのクラスの建物には周辺整備も併せて50億~60億程度の費用しかかかってない、という話をある関係者から聞いたことがあります。残りのお金は一体どこに消えてしまったのでしょうか。

会員の皆さんは、この財施に盲目的に応ずることの無いように、十分な説明を会に求めるべきでしょう。

もっとも、度重なる「アニメ制作御報謝」に「また金儲けか」と言った会員が除名処分を受けたという歴史もありますので、気をつけなければなりませんが。まあ、こんな会除名になっても全く困らないことに気づけば何の問題もないです。

正本堂が最後の大規模募財だと思って、保険を解約したり退職金をつぎ込んだりして収めた方々には大変申し訳ないのですが、親鸞会の「金集め」は死ぬまで続きます。それが必ずしも「仏法のため」ではないことは、絵画やら弁当やらで財施を募っている事だけ見ても十分に分かるはずです。

皆さん、そろそろ、気づきましょう。

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早稲田ゼミサークル「アクセス」は親鸞会のダミーサークルです

早稲田大学に「アクセス」というゼミサークルがあり、活発に活動をしているようです。

こちらが、そのホームページです。
http://as.waseda.ne.jp/

紹介文には、

10人~40人ぐらいで教授や講師から講義を聞いたりして、文献を調べたり、発表したりする形のものです。
早稲田には、数多くの自主ゼミサークルがあります。
私たちは、そんな自主ゼミのひとつ

とありますが、実際は教授や講師から講義を聴くのではなく、親鸞会の専従講師が親鸞会の教義を説法します。文献を調べたり発表するのではなく、高森顕徹会長の本を読んで、一方的にその解釈を聞いたり、フィルタリングされた前向きな感想を発表する位です。

このサークルは、6/2(土) 14時~16時・東京ベイホテル東急で講演会を主催していますが、このときの講師も親鸞会の高森会長の息子であり、最高幹部である高森光晴氏です。

早稲田大学の皆さん、このサークルは決して一般的な「自主ゼミ」ではありません。親鸞会というきわめて問題のある宗教団体の下部組織ですから、決して騙されないように注意してください。

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高森顕徹氏の嘘つき信心

高森顕徹氏が18歳の時に獲信(弥陀の本願に救われた)事はよく知られています。そして、その信心は一念の水際でツユチリほどの疑いもなく疑情が晴れるのだと主張しており、それにあわない体験は「異安心」として徹底的に攻撃しているのはよく知られていることです。

その高森氏が、18歳で獲信したときに書いた文章が話題になっています。

求めつつ、ややもすればこの解答をなし得ざるを自身の偉きが如く考え、人をも迷わし、自分も迷いながら、実に毎日仮夢をやっていたのであります。はからずも夏休み数日前に、増井君をはじめ数名の求道者諸兄の御指導を受け、半信半疑、なお私の心は悶えました。親切にも休暇中『仏敵』の書をお借りして読ませていただき、また家にあった書物により、さらにまた華光をも送っていただき、次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。
南無阿弥陀仏々々々々々々
これも諸兄の方々のお骨折りによるものと、さらに大悲の無限の方便摂化に、ただ感泣するのみであります。毎日毎夜、念仏は楽しい時に苦しい時に、無造作に口より出づる蓄音機にさせていただいて、有難き弥陀の呼び声を聞かせていただけます・・・ただただうれしさで一杯なのであります。
【華光会発行『華光』第5巻第5号「私の信仰体験」】

ここで高森氏は「次第にその迷雲も晴れ」と、自らの弥陀の救いへの疑いの心(疑情)が「次第に」晴れたのだと書いています。一念で晴れたのではなかったと言うことです。(言うまでもないことですが、疑情でなければそもそも「晴れる」ということすらありません)

本願寺や華光会の発行物を批判して、「一念で獲信したのではないから異安心だ」と徹底的に批判していた親鸞会ですが、これだと高森氏も異安心という事なのでしょう。少なくとも、今氏が主張している真実の信心の姿とは全く異なります。

他にも、高森氏は20歳にはこんな事を書いています。

・・・挨拶も忘れて、今あった不思議な出来事をありのまま顕徹君に語った。一同は我がことのように喜んでくださる。だが、私自身は何がなんだかさっぱり分からぬ。本当だろうか・・・。これが獲信したというものであろうか?
 
まだまだ疑いの晴れぬまま、種々ご馳走に預かる。こんな、うまく食事したことが近頃にあったろうか。やがて、顕徹君の話に薄紙を、はぐが如く、光明は輝きを増し、歓喜は胸に張り裂けるのであった。
 
「如来を求めて、いくら追っかけても、人間は到底追いつけるものではない。また自分でとらえられる位なら、他力信心なんか必要もない。弥陀は十万億土の彼方におられるものだと思っていられたか知らぬが、何のことは無い、アンタの腹の中にいて、しかもこの宇宙を包んでいる絶対者なんだ。その懐に入っていながら、それを追っかけ、とらえようなんて、問題ではない。追いつけないことが分かって 初めて振り返ってみると、何のことは無い。総てが包まれていたことに気がつくのだ。この様に包まれていながら、何を悩みますかね。」
 
不思議だ!そう聞けば悩もうにも悩む種が無いではないか。そして顕徹君の語るどの話も皆、素直に肯定出来るからおかしい。弥陀が智慧や才覚で分からんでもよいのだ。このままでよいんだなあ。ああ、このままだった、このままだった。
【高森顕徹編著「獲信の記録」華光社】

親鸞会は現在も華光会の事を「金剛の信心に暗き哀れき」と批判していますが、同じような文章を高森氏は自分の編著として出していたと言うことです。

本当に18歳の時に「一念でツユチリほどの疑心も晴れる」信心を獲ていたならば、こんな事はとてもかけないと思いますが、如何でしょうか。

高森氏が18歳に獲信したのはウソなのか。あるいは、時代と共に信心に対する考えが変わったのかしりませんが、一つだけ言えるのは、高森氏は救われてより一貫して変わらぬ信心を説いてきたなどというのは、明確なウソだということです。

詳細は、こちらに掲載されています。

http://ameblo.jp/honzonron/entry-10033474054.html

これでも、高森氏を信じますか?

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満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい

まだ数は少ないですが、現役の職員の方、講師部員の方から、やめたいという相談を受けるようになりました。

ただ、親鸞会をやめて社会に出て生活できるかどうか分からず、その点が心掛かりでやめることが出来ないようです。

確かに、ある一定の年齢を超えると、異業種に転職するのは難しくなります。講師部員ならばどこに転職するのも異業種ですし、前職が社会的に問題のある宗教団体となると、就職は難しいと考えるのも分かります。今まで親鸞会の中で生きてきて、社会的に適応できるかどうかという不安もあると思います。

大丈夫です。やめる勇気さえあれば就職などたやすいことです。必ず乗り越えられます。

新しい世界に出るのは大変な勇気と努力がいりますし、何より自分が命がけで信じてきたものを客観的に判断し、否定するのは本当に苦しいことです。盲目のままでいた方が幾分楽かと思う人も多いでしょう。

しかし、そうやって自分の本心を誤魔化しながらこれからの人生生きるのか、それとも多少苦しい思いをしても勇気を持って自分の人生を切り開くか、答えはすでに出ているはずです。

願わくば、一人でも多くの人が自分の人生を真摯に見つめ、勇気を出して外の世界に飛び出されんことを願っています。社会の風は冷たいですが、必ずあなたの居場所はあります。

「満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい」(ミル)

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次第にその迷雲も晴れ

続いて申し訳ありませんが、公開法論2でついに福田講師が議論の打ち切りを宣言しました。

「どうやら、これ以上のやり取りは無意味のようです。」
「とても正常とはいえません。」
「さるべき業縁がきて、気が変になられた方なのでしょう。」
「ただただ、お気の毒です。」

なぜ私は親鸞会をやめたのかの管理人と親鸞会との議論でも、最後質問に答えられなくなった親鸞会側が「これ以上のやりとりは無意味」と議論を打ち切っていますが、質問に答えられなくなったら無意味と宣言して打ち切るのは親鸞会の常套手段なのでしょうか。

なにしろ、 齊尾氏の質問を全て無視して、逆に大量の質問をふっかけて、その後「気が変になられた方なのでしょう」と打ち切って終わりだとしたら、無責任もここに極まります。

何度も申し上げますが、これは小学生相手の言い合いではないのです。親鸞会で最高の学位を持つ現役講師部員との法論なのです。それでここまで無責任な対応が出来るのですから、「いついかなる場合でも相手の望む方法で法論に応じる」などと言う身の丈に合わない宣言はすぐに撤回すべきでしょう。

しかし、この法論を読んだ人がどんな感情を抱くかはかろうじて想像できるようで、「公開法論は読むな」という指示が各所でなされているそうです。

まるで自分たちに都合の悪い情報にはアクセスできないように情報統制するどこかの国のようです。そこでは将軍様が「親愛なる指導者」と崇められ個人崇拝の対象となっているそうですが、会長が「まさに親鸞聖人、阿弥陀仏の生まれ変わり」とたたえられる某新宗教団体とどこどこまでも似ています。

そういえば、 齊尾氏が答えたメールで、高森会長が過去にこんな事を書いていることが明らかになりました。

次第にその迷雲も晴れ、今日までの悪疑を恥づるに余念がありません。ただただ「そのままこい」「そのままでよい」とは何と有難いことでしょうか。

これが高森氏の信仰体験だそうです。一念で疑惑が晴れるのが浄土真宗の救いではなかったのでしょうか。親鸞会の人は高森氏の信仰を絶対のよりどころにしていますが、どうもそれすらも怪しく思えてきます。

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これが親鸞会の本当の姿です

親鸞会・公開法論2にまた新しい記事が掲載されていました。

私は、2月のアニメ解説の日に、2人の講師部員に狭い部屋に7時間も軟禁され、さんざん悪口雑言を浴びせられたあげく、胸倉をつかまれ押し倒され、誓約書を無理やり書かされました。

また、B君のところにも、2人の講師部員が、わざわざ九州までやってきて、夜中の3時半まで帰らなかったそうです。翌日の仕事に差し障ったと、非常識さに呆れていました。

福田支部長も、上田さんの婚約者に対して、上田さんには別の恋人がいると嘘を言って、別れさせようとしたそうですね。しかも、真っ赤な嘘と分かって、彼 女は更にショックを受けていました。そして、親鸞会をやめることになってしまったことは、福田支部長が一番よくご存知のはずです。

実名公開のブログですから、ここに記載されていることが全くの捏造と言うことはないでしょう。事実、何度かこの話題は取り上げられていますが、親鸞会側は全く否定できていませんし。

人の婚約者に「別の恋人がいる」と嘘を言って別れさせるなど、仏法者以前に人間として最低の行為ですね。親鸞会を出たり批判するものは、どんな事をしても引き摺り下ろしたいのでしょう。その方法たるやまるで中学生か高校生レベル。やっていることがセコ過ぎます。

我々を批判しないと誓約しないと、預かった金は返さないというエントリでも報じましたが、高森光晴布教局長が金銭の返却にあたって、親鸞会を批判しないと言う内容の誓約を求めたこともありました。公開法論3で明らかになっていますが、これも親鸞会は「高森布教局長に対してさえ、あのような異常なブログを作る君たちです」と言っています。

異常なのはブログではなくて、親鸞会の布教部門の最高責任者の言動なのは明らかですが、人の事を「異常」と決め付けるのは大好きな団体なのに、どうやら身内の異常さについては気づかないらしいです。

もっとも、気づいたところで、「親鸞会を批判しません、批判するものがいれば報告します」と教学講義の受講に当たって誓約させるような団体ですから、恐ろしくて誰も何もいえないのかもしれませんけど。

皆さん、知ってください。

これが、「唯一の真実」を説き、「全世界唯一の名匠、善知識高森顕徹会長先生」が率いる宗教団体、浄土真宗親鸞会の姿です。

早くその本当の姿に気づいて、自分が人生をかけるに値する団体なのか、理性的に判断してください。

見たくない事実から目をそらすよりも、それを受け入れるほうがよほど勇気を必要とする行為です。一度しかない自分の人生です。逃げずにその本当の姿を見つめることです。

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金のある者には、大法の為にどんどん使うように勧めたらよい。

親鸞会にいたときに、随分募財(献金集め)の活動をしました。支部ごとに目標が割り当てられており、絶対に達成するように厳命されていましたので、それは大変だったものです。

年金暮らしで、これ以上はどうしても出せない、と泣かれるお婆さんの前で、何時間も粘って予約用紙を書いてもらったこともあります。

私の知人は、「多額の献金を募るときに「かわいそう」と思うと言うことは、仏法を分かっていないからだ」といわれたそうです。また、「年配の人はお金を持ってないと言っても本当は絶対に持っているから、出されるまで何時間でも話をせよ」と言われた事もあります。

その後、高森会長が専用の改造バスに専属コックや厨房車まで引き連れて法話に行ったり、高価な絵画を大量に買い込んでいることを知りました。株に投資したり、会社を作ったりもしているそうです。

もちろん、乏しい年金の中から、泣く泣く献金をしたおばあさんが、そんな事を知るはずもありません。

金のある者には、大法の為にどんどん使うように勧めたらよい。
自損損他のアブクゼニを、大法の為に活かすよう仕向けるのは、大慈大悲である。
この精神を恥ずかしく思うのは、仏法の尊さがまだ分かっていないのだ。
法もまた財なり、財もまた法である。(高森顕徹会長)

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