自らが育てた親鸞会批判
『なぜ私は親鸞会をやめたのか』というサイトと、それに反論する為に親鸞会弘宣部が作った『なぜ私は親鸞会をやめたのかを読んで』というサイトがあるのは、ご存じの方も多いでしょう。
この二つのサイトの作者が、過去にメールにて議論をした内容が全てネット上で公開されています。最終的には親鸞会弘宣部が反論に行き詰まり、一方的に議論を打ち切った上で、『なぜ私は親鸞会をやめたのか』の作者への個人攻撃に方針を切り替えているのは、皆さんもご存じの通りです。
さて、そのメールの中にこんな文章を見つけました。
私は「『なぜ私は親鸞会をやめたのか』を読んで」の管理人である貴方に、大変感謝しています。あなたが反論サイトを立ち上げて下さったおかげで、私も自分の書いた文章を見直し、考察も深まり、新たなコンテンツを立ち上げてゆく事が出来ました。
また、あなたのサイトとの論争が話題になり、多くの現役会員の方や、元会員、会員の関係者、大学教授といった方からメールを頂き、執筆や投稿、サイト管理に 協力して下さる方々もおられました。情報を提供して下さる現役会員の方々も数多くおられました。そして、私のサイトのアクセス数もかなり増え、多くのサイ トからリンクもして頂きました。
おそらく、「『なぜ私は親鸞会をやめたのか』を読んで」の管理人であるあなたがおられなければ、私も「なぜ私は親鸞会をやめたのか」というたった一つのサイトを立ち上げるだけで、終わっていたことでしょう。
これは単なる強がりなのか、本音なのか。この二つのサイトの歴史を見てきた立場から言うと、おそらく本音なのではないかと思います。『なぜ私は親鸞会をやめたのか』は膨大な量のコンテンツと内部情報から成り立っており、執筆者や資料の提供者が複数存在しています。それらの人々が力を合わせた経緯が、親鸞会弘宣部が繰り広げたネット対策や徹底したネガティブ・キャンペーンによる怒りであったことは、よく知られている通りです。親鸞会が常識的な対応と対話を行っていれば、ここまでコンテンツが拡大することは無かったはずです。
最近話題になっている親鸞会 公開法論もそうでしょう。親鸞会被害家族の会にしても彼らを団結させたのは親鸞会の不誠実な対応だったと言われています。
毎年新入生勧誘の時期になると、ネットで親鸞会の情報を知ってやめる人が続出しますが、その種はまさに彼ら自身がまいたものだと言って差し支えありません。
問題は、親鸞会がどうやって自らが育てた親鸞会批判を刈り取って行くかです。今までのようにネット上に批判者を罵倒するコンテンツを大量生成するのか、自らの過ちを認め改める所は改め対話を試みるのか。
賢者の道が後者であることは自明ですが、おそらく親鸞会のとる道は前者でしょう。その結果はまたもや彼ら自身が刈り取って行かなければなりません。
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