Wikipediaでの隠蔽活動
Wikipedia:高森顕徹の項目で、高森顕徹の著書のルーツ へのリンクをはずそうと必死になっている人たちがいます。
Wikipediaというのは誰でも編集できるインターネット上の百科事典で、最近は検索結果の上位にWikipediaのページがランクすることも多く、数あるネットのコンテンツの中でも非常に多くのアクセスを集めています。
そのWikipediaから、高森顕徹会長の著作が伊藤康善氏や大沼法龍氏の著作からの盗用に満ちていた、という疑惑を指摘するネット上のコンテンツにリンクが張られているのですから、何が何でも消したいのでしょう。
「リンクは公式サイトに限られる」と主張したり、「存命中の人物に都合の悪い情報は除外されるべきだ」と主張したり、「匿名のコンテンツは信頼できる情報ではない」等…反論されるとそのたびに別の理由を持ち出してきて、何とか消そうと躍起になっているようです。
興味深いのは「匿名のコンテンツは信頼できる情報ではない(だから消せ)」と主張している人が、別の項目では匿名コンテンツ(中身は親鸞会の宣伝サイト)にリンクを貼ったり、「リンクは公式サイトに限られる(だから消せ)」と言っている人が、同じ項目で公式サイト以外のコンテンツ(これも中身は親鸞会の宣伝サイト)にリンクを貼りまくっている事です。
つまりは理由などどうでもよく、単に親鸞会と高森氏にとって都合が悪い情報を、消したいだけなのでしょう。
今は高森顕徹の著書のルーツは著作権侵害の疑いがあるからリンクするべきでないと主張しています。高森氏の盗用疑惑を指摘したコンテンツへのリンクを外すのに、「著作権侵害」を主張している自分たちの矛盾には気づかないのでしょうか。
Wikipediaで親鸞会に都合の悪い情報を消すことが、親鸞会弘宣部の任務として行われていたという確かな情報もあります。現在のWikipediaの編集活動が弘宣部によって行われているのかどうかは知りませんが、いったいどんな気持ちでこの活動を行っているんだろうかと、心配になります。
かつて「ハトの会」というホームページが「どちらが先か」というコンテンツで同様の事を指摘していましたが、親鸞会からのクレームで閉鎖されました。しかしまた別の形でさらに充実した情報がネット上に現れました。
どんなに隠しても、事実は事実として変わりません。そのとき隠せたとしても、いつかまた別の形で必ず現れます。
私が親鸞会にいたときは、ビデオや弁論大会や機関誌で常に「高森先生のすばらしさ」が強調され、表立って高森会長への批判をした人は除名になりました。眩いばかりの高森氏への賛美の裏に、いったいどんな真実が隠されているのでしょうか。
こんな事をしていたら、いつか親鸞会は消えてなくなるでしょう。
※他にも親鸞会関係のWikipedia項目で同様のことが行われています。
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