やめた理由
ある脱会者が、自分が親鸞会にいたときに、退会した後輩からもらった「私がサークルを辞めるにいたった理由」を提供してくれました。今日はそれを紹介することにします。
先輩お世話になりました。
私がサークルを辞めるにいたった理由を、思いつくままにいくつかあげてみます。
・「後生の一大事の解決、後生の一大事の解決」と連呼されても全く空虚にか感じず、 選挙カーのように言われれば言われるほど 、無意味に思えた。
・5月くらいまでで、「人生の目的を達成しているのですか?」と聞いたところ、一人の先輩を除いては、みんな「達成している」と答えた。しかし、実は誰も信心決定していないとのこと。全部嘘だったので すね。
・解決の方法は、ちょうもんにきわまる、みだのほんがん。しかし、よく分からない。いつも同じところで答はとぎれる。「続けて聞いてゆけば分かるか ら」の一点張り。
・毎日来いと言われるが、はじめの勧誘の時には週3回と言ったではないのか。方便と言われる。では、何でも方便ですまされるのか?
・戯論は禁止とのこと。都合の悪い質問には答えられないだけではないのか?
・高森先生の言うことは絶対らしい。リポDまで飲めというのか。
・全ておまかせしろと言うが、信用できるか。インチキ宗教じゃないか。
・「君は何しに来ているの?後生の一大事の解決のために来ているんじゃなかったら、来ても意味ないよ。」じゃあ、もう行かないでおこう。
資料を提供してくれた人は、こんな事を語ってくれました。
「なんか、妙に共感してしまう。やめた人って、やっぱり同じようなこと思うのかな。しかし、当時の自分はこれ読んでも、”全然、仏法分かってないやつめ”程度にしか、思ってなかったなぁ。」
私も同じように親鸞会にいたときは、やめた人の言う事を「全然仏法分かってない人」と決め付けるようなことが多かったと思います。
しかし今思うと、やめてゆく人の言葉の中には正鵠を得た指摘も少なくなく、「彼はわかってなかった」と理由もなく決め付けることで、親鸞会をやめる理由と向き合う事から逃げていただけだったのかもしれません。
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