公認取り消し
長年多数の幹部を輩出し、拠点大学として知られた某大学の親鸞会サークルが大学の公認取り消しとなり、少なくない会員に衝撃を与えているようです。
学友部員の気持ちとしては、「自分たちは親鸞聖人の教えをまじめに学び、それを人にも伝えたいと思っているだけなのに、なぜ誤解されるのだろう」と思っているようです。しかしその理屈は全く通じません。
なぜなら、同時期に公認が取り消された摂理のサークルの人も、「自分たちは聖書の教えをまじめに学び、それを人にも伝えたいと思っているのに、どうして誤解されるのだろうか」と思っているからです。このあたりの心理は親鸞会と全く変わりません。
そもそも、「親鸞聖人の教えをまじめに学んでいる」だけなら、どうして自分たちの正体を隠して勧誘するのかが全く理解できません。正々堂々と「親鸞聖人の教えを学んでいる親鸞会です」といえばいいのです。それで人が集まらないのならば、親鸞会と言う団体が半世紀にわたって社会の信頼を失ってきたことが原因なのですから、自らの姿勢を正して、信頼回復に取り組めばいいだけの話です。
そうした努力を全くせずに、親鸞会と言う団体を明らかにすると聞く人がいないと勝手に決め付け、公認サークルと言う隠れ蓑を使ってダミーサークル勧誘を続けるのならば、それは単に甘えているとしか言いようがありません。
東京のある大学の親鸞会サークルでは、新入生に学校行事への参加を欠席するように促します。新入生には「行ってもお酒を飲むばかりで時間の無駄だから」といいますが、本当の理由は「そこで親鸞会についての悪い噂を聞くかも知れないから」という理由です。同じ理由で親鸞会以外の友人ができないように、昼休みや授業の空き時間まで部室に呼び、親には誤解を与えるから話さないほうがいいと教え、新入生同士が仲良くなろうとすると「引き離し対策」で離そうとします。
統一教会や摂理のやり方と一緒です。こんな事を続けてゆけば、ますます親鸞会は社会の信用を失い、自分たちの名前を出した勧誘ができなくなるでしょう。これを自因自果といい、惑業苦とも言います。本願寺の陰謀ではありませんよ。自分で自分の首を絞めているのです。
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失礼します。
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投稿: あだち | 2008年6月 6日 (金) 20時33分